死者の書
このお話は別視点、敵キャラ魔王カルステンのお話です。
僕はお姉さんを殺した。
そう、殺してしまったんだ。
その忌むべき事実は変えられない。だから僕は、発想を転換することにした。
お姉さんのアンデッド化。
魔具、〈死者の書〉を用いてお姉さんをアンデッド化した。
僕がこの魔具を持っていたことは偶然だった。誰かをアンデッド化しようとしていたわけではない。いつかどこかで、使う機会があるんじゃないかと思ってとっておいたのだ。
いやー、本当に危なかった。
お姉さんと離れ離れになるところだった。それはとても悲しいことで、嫌なことだ。
もちろん、死人となってしまったお姉さんはこれまでと全く違う。体の動かし方だって、物の食べ方だって、生きていたころとは全く異なるだろう。
でも、大丈夫。
僕がゆっくりと看病していこう。
お姉さんの家、庭にて。
僕とオリビアは日向ぼっこをしていた。
空は雲一つないほどの快晴で、東の太陽が溢れんばかりの陽光を照らしてくる。少し肌寒い風と相まって、それはとても心地よくて安らかな時間だった。
「今日はいい天気だねオリビア」
こくり、と頷くお姉さん。気持ちよさそうに、椅子にもたれかかっている。
僕も一緒に、遠くの空を見る。
いい天気だ。
本当に、これまで起こった激動の戦いがすべてあるかのような……安息日。
だが……運命は僕たちを逃してはくれないらしい。
「カルステン様……」
茂みから現れたのは、一体の魔族だった。
毛むくじゃらの体に、長い尻尾と耳。加えて発達した虹彩を持つ、人間とはかけ離れた目が特徴。
妖猫、と呼ばれる魔族。彼はその中でも、僕の側近として城で仕えてきた一匹だ。
「き……、君は」
「お久しぶりです、カルステン様」
まずい。
魔王の天敵――オリビアの死とともに、僕のもとには魔王たる力の証〈橙糸〉が戻ってきた。
そう、僕は魔王に戻ったのだ。魔法の源として、魔族に必要とされる……魔王に。
けれど僕は城に戻らなかった。別に魔王とか領地とかどうでもいいからだ。僕はお姉さんがいてくれるだけで、十分だったから。
でもまさか……この場所が突き止められていたなんて。
「忠誠心の低い者たちが多いという事情はあります。しかし失礼を承知で申し上げるのなら、あなた様は魔王なのです。王がいつまでも不在では、領地が乱れ余計な騒乱を生みます。すぐに城への帰還を……」
「……なっ!」
こ、この妖猫! お姉さんの前でなんてこと話してるんだ。
僕の後ろで、お姉さんが呆気にとられたような顔をしている。
ぼ、僕のことを魔王って呼ぶなんて。お姉さんがいる前でそんなことを言われたら……僕は……。
まずい、まずいよこれ。
「き、君が何を言ってるか分からないよ。オリビア、下がって。こいつ頭がおかしいよ。僕が追い払って見せるから」
僕はそう言ってお姉さんを後ろに下げる。
「カルステン様?」
妖猫が不思議そうに首を傾げた。仕方ないことだ。人間のふりをして、魔族を追い払おうとすらしている僕の姿はとても不自然だ。だから、変に思われて当然――
「誰と話してるんですか?」
「え……」
な、何を言ってるんだこの魔族は? ここにいるのは僕と君とお姉さんの三人だけだ。誰と話してるかなんて、分かり切ってるだろ?
「ここに……お姉さんが……」
「どこにいるんですか? そこには誰もいませんよ」
「……は?」
いない?
「な、何を言ってるんだ君は! お姉さんならここに、ちゃんと……」
振り返ると、お姉さんがいない。
あレ?
なンで……、どウシて。僕はさっきまで、ズっとお姉さんと話をしてたのに。どこにいっタの? お姉さンは?
「う……ぐぅ……」
頭が、急に……痛み出した……。
この、思い出したかのように頭の中で再生される映像は……なんだ?
これは夢だ。
白昼夢だ。
決して、現実に起こったことの記憶じゃない。
お姉さんは死んだ。それは事実だ。
なら僕は、その絶望すらも覆してみせる!
魔具、〈死者の書〉。
この魔具は対象をアンデッド化することができる。
魔具、〈死者の書〉は本の形をしていた。僕がそれを開くと、紙記された文字がキラキラと輝きを放っていく。
起動した。
僕はお姉さんを蘇らせる。でも、あの時首を絞めてしまった事実が消えてしまうわけじゃない。
真剣に謝るか、正体を明かすか、魔具で誤魔化すか。選択肢はいろいろとある。でも僕は……もうこれ以上罪を重ねたくない。
この前の話はきっと何かの間違いだ。正直に話をすれば、きっとお姉さんだって分かってくれる。
なんて、考え事をしていた僕は気が付いてしまった。
「あ……れ……」
魔具は起動した。
お姉さんはアンデッド化するはずだ。
でも、どれだけ待っても、お姉さんは起き上がることはなかった。
そんな……。
魔王を殺す者オリビア。人外の力を持つその人間の本質に、僕はとうとうたどり着くことができなかった。
魔具〈死者の書〉は使用した生き物をアンデッド化する。オリビアには確かに魂があった。でも、彼女は果たして普通の生き物だったか?
この魔具が、通用する生き物でないとしたら?
「なんで……こんな……」
僕は何度も〈死者の書〉を起動させた。認めない、こんな結果は認めたくないという魂の叫びが僕を突き動かした。
でも……ダメだった。
何度やっても、どれだけやっても。
お姉さんは生き返らない。
そう、それはまるでこぼれたミルクがもとに戻らないように……。白かったお姉さんの肌は死斑に染まり、体からは気持ち悪い臭いが発生している。
もう、戻れない。
僕は……失敗した。
「う……あ……ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
僕の咆哮が周囲にこだました。
知らない。
僕は……こんな記憶知らない。
お姉さんは生き返ったんだ。僕の魔具を使って、アンデッドとして第二の生を歩むんだ。
でも……お姉さんはいなくなった。
なんで? どうして?
答えは決まっている。
「お前があああああああああああああああああああ、お前が連れ去ったんだな!」
許さない!
お姉さんに危害を加える奴は、僕が倒す。
魔具、〈隠れ倉庫〉起動!
「かる……すてん……様」
その間、一秒にも満たない。
魔具、〈破滅の槍〉が妖猫の腹部を貫いた。想い人を守る僕の決意に、油断なんてものは存在しない。
「なぜ……私を……。私は……ただ」
「は、ははははっ、ざまあみろ! お姉さんを狙うからこんなことになるんだ! 僕はお姉さんを守る! 守るんだああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ」
妖猫は地面に倒れ、僕は戦闘に勝利した。
哀れな奴。
ここに来ないで、他の魔族たちみたいに僕を馬鹿にして好き勝手してればよかったのに。変に生真面目なところが、逆に不運だったね。
……と、こんな奴にいつまでも構っている暇はない。いなくなったお姉さんを探さなきゃ。
「…………」
「お、お姉さん!」
なんてことだ。どうやら、お姉さんはずっと僕の後ろにいたらしい。
あの妖猫は〈拘束の筒〉みたいな魔具を持っていたのかもしれない。彼を倒したことによって、お姉さんは姿を現したんだ。
きっとそうに決まってる。
「…………」
「うん、うんそうだよオリビア。僕ね、すっごく強くなったんだ。これからは安心して、この家でゆっくりしてていんだよ。男が働くべきだよね、やっぱり。僕はあいつとは違うから……」
「…………」
「て、照れるなぁ。僕も大好きだよ」
僕たちは手を繋いだ。
二度と心が離れないように、腕を、肩を絡ませていく。
僕たちは永遠だ。
もう二度と、この時間は邪魔させない。
空に集まったカラスたちが、まるで鎮魂歌を奏でるかのように不気味な鳴き声を発した。
病みステンさんのお話です。
過去編はおそらくあと2~3回の投稿で終わりです。