イルマVSオリビア
このお話は別視点、敵キャラ魔王カルステンのお話です。
グルガンド東方、とある平原にて。
魔王イルマはただ一人でそこに立っていた。
彼女が部下を退けここに一人で滞在するのは、すでに二日目。待っているのだ。自らを滅ぼさんと立ち向かう愚かしくも勇敢な敵――オリビアを。
赤い髪とマントを揺らし草原に立つその姿は、勇敢であり美しくもある。全魔族の畏敬を集めるにふさわしい姿だった。
魔具、〈隠者の衣〉によって姿を隠している僕は、少し離れた草陰からずっとその様子を見ていた。
僕の推測が正しければ、おそらく今日……イルマの待ち人がやってくる。
不意に、空気が変わった。
イルマは眉をぴくりと動かし、僕はただならぬ雰囲気に少しだけ体を震わせた。
草原は雨雲のような黒い雲に覆われ、天上はまるで敵を目前にした獣のようにゴロゴロと鎌首をもたげる。
そして、彼女がやってきた。
魔王の天敵、オリビア。
ごうん、という轟音とともに、オリビアの背後に雷が落ちた。
偶然か?
まるで彼女自身が稲妻を生み出しているのかのような錯覚を覚えてしまう。あるいは天――つまりは神そのものが、魔王の死を望んでいる?
「お前が今代のオリビアか。なるほど、今までの奴とは少し違う気配がする」
荒く息を吐くお姉さんは、その言葉に答えようとはしない。イルマもまた、反応を期待してはいないのだろう。
イルマが拳を構える。圧縮された空気が、まるで突風のように僕へと襲い掛かった。気を抜いたら、〈隠者の衣〉が吹き飛んでいってしまいそうだ。
「楽しませてもらおうかっ!」
歴代最強、今代のオリビア。
最強魔王、赤の力王イルマ。
僕は今、歴史の残る最強同士の戦いを目の当たりにしている。
ひゅん、と風を切る音がしてイルマの姿が消えた。次に僕の視界に映ったのは、一瞬でオリビアへと肉薄した奴だった。
魔法ではない、魔具ではない、スキルでもない。完全に己の力によって生み出された跳躍。
イルマはオリビアを殴った。限界まで握りしめた拳でアッパー。
イルマに拳を叩きつけられたオリビアは、遥か天高くまで吹き飛ばされた。風を切り、雲を突き抜けようかという勢いだ。
「…………」
僕は呆けていた。
もう、僕がどうにかできる次元を超えている。そんな戦いだ。
見ているだけしか、できない。
不意に、僕は目に違和感を覚えた。
それは雲の隙間から差し込んだ光か、はたまた雷か。
オリビアだ。
空気を蹴り、その衝撃波によって人知を超えた速度を生み出したオリビアは、音速に迫る速度でイルマのもとへと着地したのだった。
地面が、まるで大岩でも叩き落したかのように抉れている。その中心には、腕と足四本で獣のようにうなり声をあげているお姉さんがいる。
あ……あり得ない。
僕は……運が良かっただけなのかもしれない。
もし、真剣にお姉さんと戦ってたりしたら、間違いなく負けていた。ループがなければ、あるいは勝つ気で挑んでいたとしたら、簡単に押し負けていた。
そもそも、〈邂逅の時計〉を用いたとして、奇岩王と空鳥王が戦いに勝利できたのだろうか? 300回、いや1000回繰り返したとしても勝てる気がしない。
次元が……違い過ぎる。
死にゆくかりそめの未来を妄想し、僕は体を震わせた。
「衣服を傷つけられるのは……100年、いや、200年ぶりか」
これほどの一手をもってしても、魔王イルマは無傷。ただし、纏っていた黒マントは無残にも引き裂かれ、先端は焼け焦げていた。
「来いっ! その力、余すことなく私の前に示してみろ!」
「……ふっ、あうっ、かっ!」
お姉さんの拳とイルマの拳が交錯した。
戦いは、熾烈を極めた。
魔王イルマはオリビアを殺した。しかし彼女には再生回数がある。何度殺しても、蘇りそして牙をむく。
そして、信じられないことではあるが、オリビアは強くなっていった。どうやら、死ぬことによって戦闘レベルが上がっていくらしい。
さしものイルマも、強化されたオリビアが相手となっては苦戦せざるを得なかった。
お姉さんはイルマの拳を受け、地面に倒れこんだ。
すでに、お姉さんは80回以上死んでいる。
魔具〈魂魄の魔眼〉によってお姉さんを見ている僕。
魂が揺らいでいる。あれは死にゆく人間の霊が肉体から出ようとしている何よりの証。おそらく、あと一度か二度死ねば……本当の意味でお姉さんは死んでしまうだろう。
対するイルマもまた憔悴を隠せない。マントはボロボロになり、シャツの袖は無残にも切り裂かれている。
玉のような汗はすでに何度も地面へと落ちていた。その眼は決してオリビアを離さないものの、平時の気迫と威厳は全く感じることができない。今にも深い眠りについてしまいそうなほどだ。
あの魔王イルマが……疲弊している。
もし今、僕が彼女を殺そうと思えば、何の障害もなく命を絶つことができるかもしれない。
でも、そんなことはしない。というよりもできないんだ。僕の考えた計画には、魔王イルマの存在が不可欠なのだから。
僕は魔王でなくなった。だから魔法も使えなくなった。だけどお姉さんを救うには……どうしても魔法が必要なんだ。
僕を含め6魔王は死んだ。この僕が魔法を使う方法は……ただの一つだけ。
「お前の力……しかと、この瞳に、刻み……込んだぞ」
疲労を隠せないイルマではあるが、しかしまだまだ闘気が消えることはない。消耗は激しいものの、まだ戦うことができる証だろう。
結果的に、この勝負はイルマの勝ちということだ。
止めを刺そうとするイルマ。抵抗どころか起き上がることすらできないオリビア。
魔王VSオリビア。その決着がつこうとしている……この瞬間。
今、すべてのコンディションが整った。
僕は〈隠者の衣〉を脱ぎ、その姿を露わにした。
「き……貴様っ!」
驚愕に見開かれた目をこちらに向けるイルマ。オリビアとのバトルに集中し、僕の存在にまったく気が付いていなかったようだ。
魔具、〈支配の指揮棒〉。この魔具は対象を支配し、使用者の命令を拒めなくする魔具である。
かなりレベルの高い魔具であるが、誰にでも使えるわけではない。強い体力や精神力を持つ者には通用しないのだ。
そう、普通なら魔王イルマに使えないはずの魔具。
だけど今は、状況が異なる。
今、死にかけて弱っている魔王イルマであれば……効くはずだ!
「従え、魔王イルマ」
びくん、とイルマの体は電流でも流れたかのように震えた。魔具の支配下にある証だ。
「僕を……配下にしろ」
オリビアを弱らせるのはイルマ。そしてイルマを弱らせたのはオリビア。
そして彼女の配下になり、魔法を使えるようになった僕。
「いい……だろう……」
若干抵抗の意思を見せたが、〈支配の指揮棒〉の影響下にあるイルマは僕の申し出を承認した。
そして、イルマは地面に倒れた、彼女もまた、限界が近かったようだ。
ここで、すべての条件は……整った!
僕は〈隠れ倉庫〉から〈身代わり人形〉を取り出した。調整をすでに終えているその人形は、お姉さんの姿をしている。
同時に取り出した〈破滅の槍〉で、死にかけだったお姉さんの心臓を貫く。
「あっ、うっ」
小さな悲鳴のような声をあげ、お姉さんが絶命した。
「…………」
魔王を殺す者、オリビア。その運命からどのようにすれば逃れられるのか? 僕は結局、これだと言えるような解答を見つけられなかった。
だから、発想を転換した。
お姉さんを助ける、ではなくて命令するという方法だ。
魔具、〈身代わり人形〉は持ち主の命令を聞き誰かになりすます魔具である。もし、お姉さんがこの魔具を新たな肉体として手に入れたのなら、魔具の持ち主である僕の命令を聞くようになるんじゃないか?
もちろん、僕はお姉さんを支配する気なんてない。命令して、自分のものにしようなんて思っているわけじゃない。
ただ、こう言うだけだ。
魔王を殺すな、と。
これで、すべてがうまくいく。たとえオリビアとしての魂が魔王の死を望んでいたとしても、僕の支配下にある肉体――〈身代わり人形〉がその欲求を拒む。もし暴れまわることがあったとして、仮初の肉体では本来の戦闘能力を発揮できないだろう。
これは、僕の導き出した答え。
お姉さんの肉体を転移させることによって、魔王の天敵オリビアを無力化するための……策だ!
槍を刺されたお姉さんの体から、魂が抜けだした。このままだと、天に昇って行ってしまう。その先が天国なのか地獄なのか、まだ死んだことがない僕には分からないが……。
「――〈赤糸転移〉っ!」
イルマの配下として、彼女の力を借りることができるようになった僕。扱うのは、自ら開発した魂を転移させる魔法。
かつては、僕の魂をイルデブランドへ移すのに使用した。今は、死にゆくお姉さんの魂を人形へと移すために発動させた。
赤い糸が、天に昇ろうとするお姉さんの魂を捕らえ、取り囲んでいく。そのままゆっくりと、人形の心臓部分へと移動していった。
魂は糸に取り囲まれたまま、人形の中へと入りこんでいった。
「……ふぅ」
少しでも気を抜けば失敗する、そんな作業だった。
これで、きっと何とか……。
などと安心しきっていた時、僕は……気が付いてしまった。
「……そ、そんな」
魂が……定着していない。
一度は人形に入れ込んだはずの魂が、再び外に出ようとしているではないか。僕の時はこんなことはなかった。
オリビアの魂は特別なのか?
それとも、僕の魔法は不完全だったのか?
分からない……分からないよぉ。
やっぱり……無理だったのか?
僕は魔王、お姉さんはオリビア。どれだけ手を尽くしても、どこかで……離れ離れになる運命だったのかもしれない。
お姉さん……僕は。
「…………」
目を瞑った。
己の無力さに、涙が零れ落ちそうだった。お姉さんを助けたかった。また、一緒に暮らしたかった。でも、そんな些細な幸せすらも……もう、二度と戻ってはこないかもしれない。
そう思うと、猛烈に悲しかった。
雨が降ってきた。
雨が先だったのか、僕が涙を流したのが先かは分からない。
――よろしくね、目玉君。
お姉さんとの出会いを思い出した。
――綺麗なブローチね、大切にするわ。
お姉さんの喜ぶ姿を思い出した。
――照れちゃうじゃないの。
お姉さんの照れる仕草を思い出した。
ああ……僕は。
いくつもの思い出を積み上げてきた。
こんなに幸せなことがあるんだって、知ってしまったんだ。もう、絶対に失いたくない……そんな日々だったんだ。
魔法は失敗した。
でも、だからそれで諦められるのか? 終わった、さようならって、簡単に決別できるのか?
そんなわけはないっ!
諦めない!
僕は、彼女を……取り戻すっ!
「来いっ、〈脱魂の指輪〉っ!」
魂が逃げるなら……そいつを押し込めばいいっ!
腕を霊体化させた僕は、死にゆくお姉さんの魂を鷲掴みにした。
「逃げるなあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
〈身代わり人形〉へ、魂を押し込む。何回だって、何千回だって同じ作業をしてみせる! ほんの少しでも、お姉さんの戻ってくる可能性があるなら!
僕は心臓をマッサージするように、何度も何度も胸を抑えつけた。魂が盛り上がっていくのを感じる。でも……絶対に逃がさない。
お姉さんは僕と暮らすんだ! これから、一緒に人生を歩んでいくんだ。魂だろうがなんだろうが、僕たちの未来に邪魔なんかさせない!
どれだけ、抑えつけていただろうか。長いようで短い、感覚が麻痺してしまったかのような時。
むくり、とお姉さんが上半身を起こした。
「オリ……ビア?」
「あれ、おかしいわね? なんだか……体が」
ふらり、とまたしても地面に倒れこむお姉さん。冒険者として鍛え抜かれた元の体と違って、人形の戦闘能力はさして高くない。この魔具は筋力や技術までをコピーできないのだ。
何より、これまでと違う体に違和感を抱いているのかもしれない。
「よ、よかったよオリビア。僕、君が死んじゃったのかと思ったよ」
「あ、れ、イル君。泣いてる、の? ……ごめんなさい、記憶が……」
「いいよ、何も考えなくて。帰ろう、僕たちの家に」
「そう……ね」
僕たちはゆっくりと立ち上がった。
お姉さんは、僕の肩に手を当てながら、ゆっくりと歩き始める。
あのお姉さんの弱々しい姿が見えるなんて、なんだか新鮮だな。
こうして、お姉さんの命は救われた。
魔王の天敵オリビアは死に、ただの人としてのオリビアに生まれ変わったのだ。
ブクマも増えて、やる気がでました。
今日はちょっと多めの文字数ですね。