カルステンの生存戦略
このお話は別視点、敵キャラ魔王カルステンのお話です。
グルガンド近郊、お姉さんの家にて。
「よっ、はっ、ほっ」
庭に僕の声が響く。
僕は木刀を構え、お姉さんと対峙する。一流の冒険者であるお姉さんの剣を受けていた。
訓練の一環だ。イルデブランドを冒険者として鍛えたいらしい、お姉さんたっての願いでもある。
魔王の天敵として覚醒するときもあるお姉さん。最近は悩みこんでいることが多かった。でも今は、そんな暗い雰囲気なんて吹き飛んでしまったかのようだ。
お姉さんも体を動かしている方が楽らしい。汗を散らし笑っているその姿は、軽く興奮を抑えられない様子だ。
「すごいわイル君、最近上達が早いわね」
どうやら、僕の成長を喜んでくれているらしい。
そう、この体は成長したのだ。決して魔具でズルはしていない。
僕はイルデブランドとは違って、まじめに訓練してるからね。
正直、僕は楽しかった。自分の足で、自分の筋肉で、体を動かし技術を磨き肉体を鍛え、確実に一歩ずつ前へと進んでいくその感覚が嬉しかった。
イービルアイは何もできない、醜く不便で弱い体。人間の体はこんなにも素晴らしいのに、イルデブランドはなんでもっとしっかり訓練を受けなかったのだろうか? 本当に不思議でならない。
「うーん、そろそろテストしたいわね」
「テスト?」
「そうそう、卒業試験みたいな? ずっと準備はしてたんだけど、イル君がぜーんぜん成長してくれないから諦めかけてたんだけど、これならきっといけるわね」
そう言ってお姉さんは笑ったが、すぐにその笑みを消して僕から目を逸らした。
「ふふっ、なんだか寂しいわね。イル君が強くなって自分で稼ぐようになったら、もう私はいらない人かしらね?」
僕――イルデブランドはお姉さんに養ってもらっている。自分では働いていない。いきなり働き出すと怪しまれるかもしれないから、これまでずっとイルデブランドの真似をしてきたんだ。
でも、それももう終わりだ。時間をかけ成長した(ことになっている)僕は、今までのイルデブランドとは違う。お姉さんを助けて、一緒に戦える存在になるんだ。
「ぼ、僕はオリビアがいないと生きていけないよ! これからも、ずっとずっとそばにいてよ!」
慌ててそんなことを言ったら、お姉さんが照れくさそうに頭をかいた。
「そ、そんなストレートに求愛されると、わ、私だって女の子なんだから照れちゃうじゃないの。もう、イル君の馬鹿。最近変よ」
えいえい、と僕の頭を小突くお姉さん。なんだかじゃれあってるみたいで嬉しかった。
不意に、お姉さんが手を握ってきた。
僕も優しく、でも離さないように握り返す。
僕は魔族。
お姉さんは魔王の天敵。
でも、この手は綺麗に絡み合う。
心はきっと、繋がっていた。
「もし……私がいなくなったら生きていける? ううん、生きて欲しいわ」
「え……?」
不穏な言葉に、僕は鳥肌を覚えてしまった。
「な、なに言ってるんだよオリビア? 死ぬって、冗談だよね?」
「も、もちろんよイル君」
「ならどうして?」
「でも……最近……おかしいの……私……、記憶が…………」
言葉が、小さくなっていく。
「オリビア?」
「…………」
無言。
意識がもうろうとしていたような様子を見せていたお姉さんは、急に言葉を止めた。
「…………」
僕はそっと、彼女から距離を取る。
覚醒だ。
魔王の天敵、オリビアが目覚めたのだ。
オリビアは魔王を殺す。
だが結局のところ、彼女が何をやっているのかというのを理解している魔族は誰もいなかった。
だが僕は、その真理の一端を垣間見ることができた。
それはもちろん、奇岩王が僕に仕掛けたループのおかげだ。
運のいいことに、ループ発生の20時間後がオリビアの覚醒時間だったのだ。狙われるのは水の空鳥王ヘンドリック。僕は戦いを終えた後、お姉さんがどうなるのかをずっと監視していた。
ループ発生前に、僕はヘンドリックを殺している。にもかかわらず、お姉さんはヘンドリックに近づき、まるでハイエナのように死体を貪った。
初めて見たときは、その気持ちの悪い光景に吐いてしまいそうだった。
では、オリビアは魔王ヘンドリックの何を求めているのか?
僕はそれを確認するため、ループ数回を費やし実験を行った。ヘンドリックの体を切り刻んだり、遠くに投げたりした。
その結果、お姉さんが最も強く反応を示したのは体の部位は、ヘンドリックの心臓部分だった。
そして僕は、魔具を駆使してさらなる調査を試みた。
その結果、有益な情報を得ることができた。
オリビアは魔王の根幹、『虹色の糸』をその体に取り込む。そのために魔王を殺し、その肉体――糸のある心臓部を食べているのだ。
ここに、僕の生存を賭けた戦略は成った。
魔王の天敵、オリビアと対峙する僕。
勝利することは難しいだろう。オリビアは死んでも再生するんだ。ひょっとするとその再生回数には限りがあるのかもしれないけど、ループ下でそれを確かめる術はなかった。
加えて、その身体能力は格段に向上している。魔具を駆使した僕でも、楽に倒すことはできないだろう。
「かっ、ひゅっ」
苦しそうに息をするお姉さん。その瞳に理性はない。
「オリビアっ、僕だよ、イルデブランドだよ!」
声をかけてみるが、まったく反応してくれない。
駄目だ。
知り合いの声で目を覚ましてくれる、なんて甘い状態ではない。ちょっとだけ……期待してたんだけどなぁ。
オリビアは信じられない速度で跳躍し、僕のところまで肉薄する。
対する僕は〈隠れ倉庫〉を使い完全武装。
「ぐっ」
〈剛腕の手袋〉を装備しているはずのパンチをいともたやすく退け、〈跳躍の靴〉を装備した僕よりも勢いよくジャンプするオリビア。
単純な勢いでは、完全に競り負けている。
ここまでか。
戦えないほどじゃない。負けているわけじゃない。だけど、勝利の見えない戦いを不毛なまでに続けていくことに、何の意味があるのだろうか?
僕はイルマとは違い、戦士じゃない。
今こそ、ループで培った経験を生かすとき。
オリビアは魔王を狙う。その脅威から逃れる方法は、ただ一つ!
僕が魔王を辞めればいい!
創世神から与えられた魔王の根幹――〈橙糸〉を摘出するっ!
魔具〈脱魂の指輪〉。
この指輪は体の一部をゴーストのようにすることができる。僕はこれを用いて、自らの左手を霊体化した。
こうして生み出した実体のない左手を、心臓部分に突き刺す。ここにある〈橙糸〉を抜き出すのだ。
さほど難しいわざじゃない。加えて、幾多のループを乗り越えて練習時間のあった僕になら、十分に可能だ。
「ぐっ……」
ここだっ!
ちくり、と鈍い痛みを覚えるが一気に引き抜いた。
橙色の糸、〈橙糸〉だ。
オリビアは僕の引き抜いた〈橙糸〉に飛びついた。つるん、と口の中に糸を頬張ると、こと切れたように倒れこんでしまった。
静寂が、この地に戻ってきた。庭の前に立つ木々が、そよ風に揺られ葉を散らしている。
「……はぁっ」
盛大にため息をつく。ループで何度経験があると言っても、やはり脅威を目前にすれば震えもする。
僕は魔王ではなくなった。
しかし、この体は生きている。魔具だって持っている。
「お姉さん……」
僕は赤ん坊のようにすやすやと寝ているお姉さんの頬を撫でた。やわらかい、それでいて暖かい感触に、僕自身が癒されている。
僕はその手を握る。
僕は生き残った。
今度は……お姉さんの番だ。
きっと、いや必ず救ってみせる。そしてまた、二人で一緒に暮らそう。
僕は冒険者になる。お姉さんと一緒に戦って、お姉さんと一緒にご飯を食べて、お姉さんと一緒のベッドで寝る。それはとても幸せなことで、かけがえのない日々。
記憶の齟齬に苦しんで、自ら死んでしまうかもしれないと思っているお姉さん。暗い雰囲気のお姉さんなんか見たくない。いつものように笑って、優しくて、綺麗なお姉さんでいて欲しい。
僕はそのためならなんだってやる。
たとえ……どれだけ困難な道でも、貫いてみせるっ!
霊体を突き刺して糸を抜き取る。
この技に見覚えのあった読者さんがいたら感動です。




