7
季節は夏である。
先日ようやく一学期を終え、天下の夏休みに突入した。
そんな時、私はクーラーの効いた部屋で寝転びながら携帯電話を耳に当てているのだった。
「今日の夕方からお祭りあるんだけど、咲耶も勿論行くよね?」
「なんで既に強制的なの」
電話の相手はなんと早川さんであった。
一之瀬君のことで敵視されているのかなと思っていたのだが、話してみると何故か馬が合った。一学期が終わる頃には「弥生」「咲耶」と互いに呼ぶようになっており、ズバズバと言いたいことを話す彼女との会話は楽しい。
「んー、でもこっちでも今日お祭りだしなあ」
弥生が言っているのは隣町の割と大きなお祭りなのだが、私は毎年町内の広場で行われる小さなお祭りの方に行く。この暑い中、隣町まで足を延ばすのは億劫であるし、小さいと言ってもそれなりに屋台があって楽しめるのだ。
今も外からは蝉の鳴き声に混じって、町内の子供達がお神輿を担ぐ声が聞こえてくる。
「へー、そっかーじゃあ行けないねー」
やけに間延びした、わざとらしい話し方をしてくる。何か含みがあるな。
「せっかく二宮君も来るって言ってたのになあー仕方がないよね。じゃあ私達だけで」
「是非行かせてもらいます」
思わず即答してしまった。二宮君で釣るとは卑怯な。
あれ? でも、私が二宮君を好きだって弥生に言ったっけ? この前まで牽制されていたのに。
「分かりやすすぎ」
私が考えこんでいると、心を読んだかのようなタイミングで言葉を返されてしまった。
そういえばこの前星谷さんにもそんなこと言われたような。
「いつから気づいてたの?」
「最初会った時にそうかなーと思った。まあ裕也に乗り換えられても困るから釘を刺しておいたけど」
「最初から!?」
初対面の人に見破られるほど私って分かりやすいのか!?
……いや待て、逆に弥生が人よりも鋭いだけかもしれない。そうに決まっている。
でなければあの時、桐生さんにも御堂さんにも気持ちがばれていたかもしれないからだ。
「まあ、涼香はともかく、まどかは気づいてないって断言できるね。あの子結構人の感情に疎いから」
「そうなんだ……良かった」
弥生に知られるのはいい。だけど桐生さんにだけは知られたくない。
でも……と弥生が続ける。
「なんで二宮君? 成績も中の下、顔はどちらかと言えば可愛い系だけどなんかチャラっぽいし、スポーツは駄目だし」
「いや良いところもあるんだよ……優しいし」
「おまけに咲耶の気持ちにも気づかない超鈍感だよ? 裕也と比べてみなよ。好きになるのは許可しないけど」
「断言するけど好きにはなりません。ていうか、そういう一之瀬君も結構鈍感というか」
「そうなんだよねー、なんか他人のことには妙に鋭いのに。私がちょっと風邪引いた時もすぐに気づくし」
惚気か。しかし、二宮君は全体的に鈍いな。なんで私好きなんだろう。
自分でも分からなくなってきた。
「まあ、可愛い恰好してきなよ。そうしたら、にぶにぶのあいつも少しは咲耶のこと意識してくれるかもよ、万が一くらいの確率だけど」
「……どうせ、桐生さんしか見てないよ」
「ですよねー」
私の恋の障害は多い。
電話を切ってからは、あまり時間がなかった。高校は隣町にあるので、行き慣れてはいるものの、お祭りがあるという神社には行ったことはない。あまり方向感覚には自信がないので、早めに出なければならない。
弥生にはああ言ったものの、服選びには相当時間が掛かってしまった。本当は浴衣で行きたかったのだが、どうせいつもの小さいお祭りだし動きやすい恰好でいいか、と用意していなかったのだ。
部屋中をひっくり返してようやく決めたのは、一番最初に手に取ったお気に入りのワンピースである。……最初から潔く選んでおけばよかった。
夕暮れが眩しく、目を細めながら待ち合わせ場所を探す。流石に人が多い。うちの町内の祭りとは大違いだ。
人をかき分けていると一際目立つ人達が固まっているのが見えた。彼らの周囲だけぽっかりと空間が空いており、周りの視線を独占している。
言うまでもなく、私の待ち合わせ相手である。
……入りづらいなあ。
そうは思ったものの、待たせているのは分かっているので小走りで彼らの元へ向かった。
「お待たせしました」
「遠野さん、終業式ぶりだね」
やや久しぶりに見る一之瀬君は相変わらずキラキラして目に痛……おっと失礼、かっこいい。
「間に合わなかったら置いていこうかと思ってたのに」
「残念でした」
弥生と軽口を言い合いながら、他の子にも挨拶する。
「じゃあ、行こうか」
一之瀬君が先導して歩き始める。彼の両隣は勿論弥生と桐生さんのポジションである。その後ろを歩く御堂さんはと星谷さん。御堂さんは分からないが、星谷さんは少し羨ましそうにそれを眺めている。一之瀬君は本当に罪深いやつだ。
そして最後尾が私と二宮君である。別に私に気を使った並び順なのではなく、一之瀬君を中心とすると、どうにもこの並びになってしまうのである。
花火の時間まではまだ少しある。私は後方を歩きながらみんなの服装をちらりと観察する。
男子二人は普段着といったところだが、女子は私以外は浴衣だ。用意していなかった自分が悪いのだが、やはり落ち込む。たとえ余計に彼らと比較されようと、二宮君に見てほしかった。
みんなとても綺麗だが、とりわけ桐生さんの浴衣姿は格段に綺麗だ。祭りに夢中な人々も彼女が通ると思わず振り返るほどに。濃紺の生地に咲く彩り豊かな花が彼女によく似合っている。
「「かわいいな」」
思わず呟いた言葉に被さるように別の声が全く同じタイミングで同じ言葉を発した。
びっくりして、声の主――案の定二宮君を見る。
すると何故か嬉しそうに微笑まれた。同じ気持ちの人がいるのが嬉しいのだろうか。
微笑まれたのは嬉しいが、微妙な気持ちになった。
祭りに来ている人達はみんな楽しそうである。あちらこちらで良い匂いがしてきて、一々立ち止まってしまいそうになる。
「二宮君、ちょっと」
「どうした?」
私は一番後ろで二宮君の隣に並びながら、皆には聞こえないように少し声を潜めて話しかける。
「一応聞いておきたいんだけど、このお祭りは小説とは関係ないんだよね?」
この間の呼び出し事件のようなことがあるかもしれない、と思い気になっていた。
「関係はないけど、絶対に何も起こらないって確証はないかな。俺も今まで結構巻き込まれてるし」
一之瀬裕也は正義感が強い。例えば目の前で引ったくり犯がいれば捕まえようとする、不良に絡まれている人がいれば助ける。聞けば、2年生の時にはコンビニ強盗に居合わせ、隙をついて取り押さえたとか。それを成し遂げる能力も備わっているのだがら始末に負えない。
そしてそれらは彼にとって、わざわざストーリーに記されることさえない程の、ごく日常の出来事なのである。
「全てが文章になっているわけじゃないってことね」
「そういうこと。まあ俺が言うのもなんだけど、あんまり気にしすぎない方がいいよ。巻き込まれる時は巻き込まれるんだから」
確かに。何かと一之瀬君達に振り回されている彼が言うと説得力がある。
「あれ、裕也達は?」
ふと話を止めて、二宮君が辺りを見回す。言われるまで気付かなかったのだが、一之瀬君達がいつの間にか居なくなっていた。あれだけ目立つ人達なので、すぐに見つかるかと思いきや、どこを見回してもいる様子はない。
「置いていかれたのかな?」
「一言くらい言ってくれればいいのにな」
「弥生に電話してみるよ」
そう言って携帯電話を取り出す。実は他の人の番号も自己紹介の時に交換してもらったのだが、未だに掛ける勇気は出せていなかった。
無機質な呼び出し音を聞きながら、しかし、と思う。
いくらなんでも夏祭りで好きな男の子と二人ではぐれるなんて、こんなピンポイントな出来事が起こるだろうか。
作為的な何かを感じ、ため息を吐いていると「もしもしー」と呑気な声が聞こえてきて、思考を打ち切る。
「弥生、今どこにいるの?」
「ん? どこでしょー」
「ふざけてないで」
「そんなに怒らないでよ。せっかく二宮君と二人きりにしてあげたのに」
やっぱりわざとか!
「だって二人で楽しそうに話してたからさ、これは一肌脱ごうと」
「そういう気は回さなくてもいいから!」
「もうすぐ花火も始まるからさ、そっちで合流しよ。何か買ってくるから場所取り頼んだ。それじゃ」
「ちょっと! ……切れてる」
本当に一之瀬君と言い弥生と言い、話を聞かない人ばかりだ。幼馴染だから似ているのか?
「どうだった?」
私は花火の場所取りを頼まれたこと、そこで合流することを話した。
「まったく、勝手なんだから」
「遠野さんは早川さんと仲がいいんだね」
「うんまあ、いつの間にかね」
最初はこの子とは仲良くなれないだろうなあと思っていたのに。今のように時々腹立たしいこともあるが、遠慮なしに会話できて一緒にいても気が楽である。
「二宮君も、一之瀬君と仲いいよね?」
「まあ、な。あいつ基本的にいいやつだし。でも……」
二宮君は言葉を切って顔を上げる。心なしか遠い目をしているように見えた。
「……時々、なんでこいつと友人やってるんだろうって思うことはある」
いつもフォロー役ご苦労様です。
「あ、ハルだ」
歩いていると、少し先の石段に座っている千春を見つける。思わず声に出すと、何故か隣の二宮君の肩がびくっと反応した。そんなに大きな声出したかな?
私の声が聞こえたのか、千春は「よー」と片手を上げた。頬袋がいっぱいになっていて折角の美人が台無しである。
「今年はこっちに来たんだ?」
「うん、誘われたから」
「誘われたって、後ろの彼に?」
そう言って彼女は私の後ろに視線を移す。
「え、いや、」と二宮君の戸惑った声が聞こえる。1年の時は千春も一緒のクラスだったので初対面ではないはずなのだが、どうしたのだろうか。
「弥生に誘われたんだ。いつものメンバーだよ。ハルは1人なの?」
「彼氏と来たよ。まあ今は食糧調達に行ってるけど」
「ハルの?」
「当然」
気の毒に。でもそれでも千春の恋人をやっているということは、相当忍耐強いのか、そんな彼女も好きな人なんだろう。以前聞いた話によると、もう何年も付き合っているようだし。
「そういえば、ハルも浴衣じゃないんだね」
「浴衣だと汚したら大変だからね」
確かに、浴衣だったらたこ焼きのタレが掛かったら台無しになるだろう。
それからしばらく千春と話して別れる。歩き出すと、先ほどまで後ろにいた二宮君が早足で横に並び、ほっとしたように息を吐いた。
「二宮君って、ハルのこと避けてる?」
「いやちょっとこわ……苦手なだけだ」
今怖いって言いかけたけど。千春は割ときつい物言いをするので、苦手とする人がいるのは事実である。
もしかして、実は何か危険な設定の人物だったりするとか?
「二宮君。無いとは思うけど、ハルが登場人物だってことは……」
「それはない、断言する」
それだけは、ときっぱりと否定された。二宮君はあの小説が大好きなようなので、それははっきりと覚えているのだろう。
千春はあまり二宮君に良い印象を持っていないみたいなので、きっと睨みつけられたりしたんだろう。
……会話が無い。
川辺まであと少しなのだが、しばらく歩いているうちに会話も尽きてしまった。二宮君は何とも思っていないかもしれないが、だんだん沈黙が苦しくなってくる。
「み、みんな、浴衣可愛かったね」
「そうだな。遠野さんはなんで浴衣着なかったんだ?」
「私は……今日急に誘われたから用意できなくて」
「そっか。それにしても、まどかの浴衣姿は特に可愛かったよなー」
「……そ、そうだね」
「裕也と並ぶと絵になるっていうか――」
二宮君は、本人の前以外だと、桐生さんのことをまどかと呼ぶ。小説を読んでいる時にそう呼んでいたのかもしれないが、弥生のことは早川さんと呼ぶということは、彼女が二宮君にとって特別な存在であることに他ならない。
未だに桐生さんの話を続けている彼を見ると、どんどん胸に黒いものが溜まっていくようで嫌になる。
「二宮君……」
「ん?」
――桐生さんのこと、好きなんだよね。
「……花火、楽しみだね」
言いかけて、慌てて別の言葉にすり替える。
なんでそんな当たり前のことを聞こうとしたのだろう。どう返されるかも分かっていて、それで自分がどんなに傷つくのかも知っていて。
二宮君は死を回避したいと言っている一方で、桐生さんへの思いを捨てる気などないように見える。このまま小説通りにストーリーが進んでしまえば、二宮君が裏切ろうが関係なく、一之瀬君に桐生さんは取られてしまうのに。
小説の”二宮彰”がどうだったのかは分からないが、今の彼はただ一之瀬君と一緒にいる桐生さんを見ているだけで満足なのだろうか。
「あ、もう花火始まっちゃったな」
花火を見上げる二宮君の横顔を見ながら思う。
――このままでいいの?
そう言いかけた言葉は、結局花火の音に紛れるまでもなく、吐息に変わった。




