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あの事件から数日後、何事もなかったかのように普通に暮らしていた私を突如襲ったのは、廊下に響き渡る黄色い声でした。
昼を前にした4限目の授業。いつものように聞こえる千春のお腹の音をBGMにしながら終えた時だった。やっと終わったと、いそいそお弁当を取り出そうとしたその時、廊下からきゃーっと嬉しそうな声が聞こえ、隣の席の子と顔を見合わせる。
「なに、あの声?」
「さあ、アイドルでも来たんじゃないの」
……アイドルって。この昼下がりの、決して都会とは言えない学校にアイドルって。
「咲耶、いるじゃん。うちの学校にもアイドルが」
「……ああ、そうだね、そういえばいるね」
「遠野さん」
黄色い声が最大まで近くなると、かのアイドルこと主人公の一之瀬君が後ろの扉を開けて、そう声を掛けた。
同じ学年だが、うちのクラスと彼らのクラスとは渡り廊下を挟んで校舎が違うため、普段どのような状況かは知らなかったのだが。
なるほど、こんな有様なのか。
「お昼まだだよね。ちょっと一緒に来て欲しいんだ」
まだ教室に残っていたクラスメイトがおお、と小さく声を上げて私に視線を向けてくる。
一方、クラスメイトとは違い千春は一之瀬君を睨んでいるように見えた。あれ、千春って二宮君だけじゃなくて一之瀬君も嫌いだったっけ?
しかし、その手は止まらずに綺麗な所作で重箱からご飯を食べている姿は実にシュールだ。
「……この前のことで、話があるんだ」
現実逃避していて何も答えていなかった私に近寄り、あまり聞かれないように小さな声で言う一之瀬君。手を取るあたり、強制連行なのだろう。
あの一之瀬君、そういうことすると誤解されるからね。いや、私だから誤解しないけど、さっきから廊下にいる黄色い声発信源の子達からの視線が痛いです。
クラスメイトからは睨まれていないが、色々聞きたそうにうずうずしているのがよく分かる。いま気づいたのだけど、うちのクラスって平和だったんだな。
これがハーレム系主人公の成せる業か!
一之瀬君は私にお弁当を持たせると、そのまま手を引いて大勢の生徒に見られながら私を連れ出した。
私、学校一のイケメンに呼び出されました!
……全然嬉しくない。
連れてこられたのは、使われていない空き教室だった。
私達が教室に入ると、そこにはこの前の事件に関わった全員が揃っていた。やけに視線を向けられるな。座るのを促されて、私は迷わず二宮君の隣を選んだ。のんびりしていたら、流れで一之瀬君の隣に座りかねない。
私が席に着くと、静かに座っていた御堂さんが立ち上がり、扉へ向かった。
「……結界」
気になって見ていると彼女がそう呟き、刹那彼女の手元が淡い光を放った。また魔法なのだろうか、と思い首を傾げていると、正面にいた早川さんが教えてくれた。
「あれはこの教室に結界を張って、人が来ないようにしているの」
何てことないように言っているが、魔法って万能なんだな。
というか今更だが、私の前で何も気にせず魔法を使っているが大丈夫なのだろうか。
御堂さんが戻ってきたところで、一之瀬君が場を仕切るようにそれで、と話し始めた。
「いきなり連れてきてごめん。今日は水族館で起こったことについて説明しようと思って来てもらったんだ」
「そうですか……」
その事件のことで用があるとは分かっていたものの、とりあえず文句を言いたい。
「なんで一之瀬君が迎えに来たんだ……」
しかも1人で。他の誰かか、もしくは複数で来てくれたらあんなことにはなっていなかった。
小さい声で呟くと、一番近くにいた二宮君には聞こえたのだろう。彼は状況を悟ったのか、非常に同情的な視線をくれた。
「とりあえず、この前は殆ど話せなかったから自己紹介からな。俺は1組の一之瀬裕也」
知ってます。二宮君に言われる前から、彼はうちの学年では有名人だった。本人に自覚があるかは別として、彼は非常にハイスペックな人物である。おまけに正義感が強く、困っている人を見るとすぐに助けてしまうので、助けられた女子は揃って彼を好きになってしまう。星谷さんのように。
「私は桐生まどか、4月に1組に編入してきたんだ。よろしくね」
一之瀬君の隣で勝気そうな笑顔でそう言った桐生さん。相変わらず綺麗である。私は返事を返しながら、二宮君の方をちら、と密かに観察した。
……まあ、想像通りに桐生さんを見てにこにこといい笑顔で、少しむっとする。
一之瀬君を見てみなよ、二宮君より近くで桐生さんの笑顔を見ているのにまるで気にしていない。
「同じく1組の早川弥生。裕也とは幼馴染なの」
「……2年の御堂涼香と申します」
早川さんは桐生さんとは別の種類の美人である。大和撫子と言ったら想像するような長い黒髪で、綺麗というよりは可愛いに分類される、朗らかそうな女の子である。
御堂さんのことは学年が違うこともあり殆ど知らないが、あまり表情を変えないな、というのが第一印象だ。口数も多くないが、しかし決して周りに対して無関心ではないらしい。先ほどからずっと、じーっと見られているからだ。私に何かあるのだろうか。
……こうしてみると多種多様な可愛い女の子が揃っており、若干居辛い。ちなみに私はというと、自他ともに認める平凡顔である。大勢の中にいると埋没してしまうくらいの容姿で、友人と人ごみで待ち合わせをすると大抵私が見つける方になる。
……ところで、この場における二宮君の存在感の無さはなんなのだろう。
「遠野さんと星谷さんは知り合いなんだっけ?」
「はい、委員会が一緒で……咲耶先輩」
「ん、どうしたの?」
「先日は、本当にすみませんでした!」
何か思いつめたような顔をしているなとは思っていたのだが、いきなりの謝罪に私は首を傾げた。
「何? 何かあったっけ」
「私、先輩に酷い怪我をさせてしまったって聞いて」
ああ、水族館の時のことか。一応頭にはあったが、すぐに完治してしまった上、自ら巻き込まれたようなものなので星谷さんに怪我をさせられたという意識がなかったため、謝罪に結びつかなかったのだ。
「別に気にしなくていいよ。早川さんが治してくれてすっかり元通りだから」
「でも……私が魔力を暴走させた所為で」
なんだろう。ごく普通に魔力って単語が会話から出てくると、すごく違和感がある。
星谷さんは落ち込むと結構引きずるタイプなので、私は努めて軽い口調で返した。
「じゃあ、お詫びに再来週の図書当番変わってくれる?」
「え、でもそんなことで……」
「その日新刊が出るから、早く帰れるかどうかは私にとって死活問題なんだよね」
これは今考えた嘘ではなく、本当のことである。あのシリーズの、というと、前に話したことあったのでああ、先輩が大好きな、と納得された。
「私はともかく、星谷さんの方こそ大丈夫だったの?」
「はい、一之瀬先輩に魔力を抑えてもらったので。それから、使い方も教えてもらいました」
特別な病院に運ばれたとは聞いていたものの、その後のことは知らなかった。
聞けばあの後、魔力をコントロールする術を学ぶ為に彼らが所属する組織に所属することになったという。しかし星谷さんの魔力量はとても多く、コントロールには時間を要した。なんとか暴走させないように、最低限の制御ができるようになって学校に来れたのが今日だったらしい。
「ところで、遠野さんはどうして星谷さんと一緒に人質になっていたの?」
桐生さんが一番聞きたかったであろう言葉を口にする。そうですよね、私も自分が人質になるなんて人生で経験するとは思いませんでした。
私は順を追って、リニューアルしたと聞いて水族館へ行ったこと、そこで1人でいた星谷さんと会って一緒に回ろうと誘ったこと、一之瀬君と話していた星谷さんを見ていた男達が、彼女と話している私も関係者だと勘違いして人質にされたことを話した。
「そうだったのか……」
一之瀬君は次に、信じられないかもしれないけど、前置きをしてから魔法について、組織について、そしてこの前の事件の全容を語った。途中途中で桐生さんと早川さんの注釈が入り、一之瀬君のフォロー体制は完璧である。
詳しい内容は二宮君のノート通りであった。あれだけ信じられないと疑っていたのが嘘のように、現在までの状況の一致を当たり前のように聞いた。
「……ということなんだけど、魔法があるなんてなかなか信じられないよな。俺も少し前まではそんなこと考えもしなかったし」
「まあ、そうだね。でも、実際に見て驚いたよ」
「……そういえば、二宮先輩はあんまり魔法に驚いているようには見えませんでした」
「え!? そうかな?」
御堂さんが、不意に思い出したかのように呟いた。二宮君は他にも色々あったし、驚いている暇もなかったからかな……とやけに早口になって言う。そんな風に焦ると逆に怪しまれてしまうと分かっているのだろうけど、咄嗟に話して振られて動揺したのだろう。
二宮君を見る御堂さんの視線が少し怪しんでいるように見えるのは、私が単に気にしすぎているだけだろうか。
「ところで、私にそんなこと話して良かったの? 魔法とか、事件とか、隠さなきゃいけないんでしょ?」
困っている二宮君から意識を逸らさせる為に、やや声を強めて言う。実際に聞きたかったことだ。私自身は何が起こったのか言われずとも把握していたが、彼らがわざわざ呼び出してまで説明したのは何故だろう。
しかも、彼らが所属する組織は、一般人に魔法の存在を秘匿しようとしているのに関わらず。
一之瀬君は少し背筋を丸めると、口元に手を当てて声を潜めるようにして言う。そんなことをしなくて良いように、先ほど魔法をかけたのではないのか。
「……確かに本当は話していいようなことじゃない。けど、巻き込まれたのに何が起こったのか知らされないままなのはどうかと思ったんだ。特に遠野さんは命の危険に晒された訳だし」
「なるほど……」
確かに私が元々何も知らない状態なら、いきなり訳の分からない連中に話したこともない同級生を脅す為に人質にされたら、混乱してしまう。ましてや、目の前で魔法なんてもの見せられたら尚更だ。
「……実のところ、本来は事件に関わったあなたと彰君の記憶を消さなければいけなかったのだけれど」
「記憶を!?」
桐生さんがため息を吐きながら言った言葉に私は驚いて固まった。
秘匿の為に記憶を消すなんて、そこまでするのか。せいぜい口止めされるだけかと思っていた。……というか、そもそもそんな魔法が存在しているのか。やっぱり魔法って怖い。
「というわけだから、今言ったことは秘密な」
「勿論」
「特に彰はうっかり言いそうだから気をつけろよ」
「そんなことしねーよ」
話す話さないはともかく、二宮君がうっかりなのはあってると思うので、一之瀬君に同意しておく。
「……さて、難しい話は終わりにして、お昼にしようか。あんまり時間もないしな」
そうして、そのまま彼らと昼食を食べることになってしまった。
予想していたよりも居心地は悪くなかった。元々知り合いだった二宮君と星谷さんがいたこともだが、他の子も感じがいい子達だ。特に早川さんは、私に色々質問を投げかけてくれて、場を繋いでくれたので助かった。
けど、一之瀬君はそんなに話しかけてくれなくていいんですよ。
「遠野さんのお弁当ってすごく美味しそうだね」
星谷さんと話していた所に割り込んだ一之瀬君はいつの間にか私のお弁当の中身を覗き込んでいた。
「遠野さんの手作り?」
「うん、一応」
自慢できる所は殆どない私の唯一の特技が料理である。特技と言っても、高級料理店の味だとか、プロ顔負けだとかそういうレベルではない。家庭料理に少し手を加えただけのものだ。普通の主婦と同レベルである。
……二宮君には巻き込まれてもいいと言ったものの、一之瀬君に絡まれるのは想定外だぞ。女の子達の目を見るのが怖い。
「……良かったら、どうぞ」
「え、悪いな。ありがとう」
本当はあげる気など毛頭なかったのだが、食べようとするのを横からじーっと見られるのに耐えられなくなった。千春くらいの根性があればきっぱり断ることが出来ただろうに。
あと絶対に悪いなんて思ってないだろう。
一之瀬君はひょいっと私のお弁当から卵焼きを取ると、口に放り込み咀嚼する。
「美味しいなあ。いいお嫁さんになりそうだね」
「はあ……」
「裕也、私のお弁当も食べる?」
「え? いや、弥生のは……むぐっ」
早川さんは素早く一之瀬君に詰め寄ると、前にガードした手をすり抜けて、彼の口に箸を突っ込む。口に入る直前にちらっと見えた真っ黒の物体は、一体なんだったのだろう。一之瀬君の苦しみようから、相当な物だということは窺える。
私は彼から目を逸らすように、二宮君の方を向いた。
「に、二宮君も良かったら……」
「いいのか? ありがとう」
ちょっと星谷さん、意味ありげに笑ってないでよ。
色々あったけど、二宮君には美味しいと言ってもらえたし、結果的にいい昼休みだった。
次の授業は移動があるので、先にお暇させてもらうことにした。
彼らに声を掛けてから教室を出る。すると、少し歩いた所で早川さんが出てきて呼び止められた。
「遠野さん」
「ん? 何か忘れ物でも――」
「裕也は優しいけど、それは誰にでもだから。だから、勘違いしないでね」
「え、はい……」
何故か笑顔でそう言って、彼女はそれじゃあ、と先ほどの教室に帰って行った。
扉が閉まるまで、私は立ち尽くしていた。
「け、牽制された……?」
もしかして先ほど沢山質問されていたのは、私を探るためだったのか? そういえば御堂さんにもよく見られていたし……。
いや、そもそも私、優しくされたっけ? 色々と話しかけられたことを言っているのか?
冗談じゃない。女の子達とは仲良くなれると思ったのに、なんて誤解を……!
おのれ一之瀬!
余談だが、教室に帰った私を迎えたのは、頭からすっかり抜けていたクラスメイト達からの質問攻めの洗礼であった。さっさと移動しろ。
一之瀬本人は、知り合いが少ない状況に緊張しているかと思って、積極的に話しかけていただけです。他意は全くありません。