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何度か警告はしたが、咲耶は二宮への気持ちを変えなかった。まあそんなに簡単に諦めるとは思ってなかったけど。
しかしながら、咲耶の好意は周囲にバレバレだ。一年、二年と学年が上がるにつれて、それを知っている人はどんどん増えていくというのに、肝心の二宮は一切気付く様子がない。知っていてあえて気付かないふりをしているのかとも思ったが、そうだとしたらきっと二宮は譲以上の詐欺師になれる才能があるだろう。
小説のことは抜きにしても、個人的にもこんなに鈍感すぎる男は止めた方がいいと思った。報われなさすぎて、こっちがやきもきしてしまう。
そんなことをしているうちに、高校もあと一年になってしまった。
充実しすぎて、本当にあっという間だった。
だが高校生活の思い出に浸っている時間はない。なぜなら三年に進級直後、桐生まどかが転校してきたのだから。彼女が来たことによって、物語はスタートした。
彼女が一之瀬と接触してからというもの、周囲で魔法関係の事件が頻発するようになった。もっとも、今までもあまり大規模ではないにせよ一之瀬は命を狙われていたのだろう。だが、組織に所属していない私が調べて把握できる程度には、秘匿が後手に回るほどの事件だったと窺える。
そして、二宮が桐生に惚れた。彼女を見る目は熱く、これは駄目だなと即座に判断した。咲耶は諦めた方がいい。例えば咲耶が、振られた二宮を慰めて彼女の立場に滑り込むことを画策しているなら別に止めないが、彼女はそんなことができるような器用な性格ではない。きっとずるずるといつまでも想いを引き摺っていくのだろうから。
五月、御堂涼香が一之瀬についた。そして……。
「なあ、咲耶ちゃんって言ったっけ? ハルの友達」
「そうだけど?」
「なんか一之瀬裕也達に巻き込まれたみたいだけど」
「はあ!?」
六月。譲と会っていた時に、そんな聞き捨てならない言葉が耳に入ってきた。思わずハンバーガーが喉に詰まってむせる。
譲はそんな私にウーロン茶を差し出すと、私が落ち着く間もなく口を開いた。
「昨日、二駅先にある水族館で事件があったの、知ってるか?」
「けほ、……ん、おじさんがそんなこと言ってた」
「そこで咲耶ちゃん、レジスタンスの魔法使いに人質に取られたらしいんだよ」
「人質に!?」
思わず立ち上がるとそう叫んで、大きくテーブルを叩き――そうになって慌てて我に返った。他の客の視線がこちらに向けられるのを感じて、そそくさと椅子に座り直してウーロン茶を飲み干す。
あらかた視線が散った所で、私は改めて譲に話を促した。
「それで、さくは無事なんでしょうね?」
「あの、それ俺のウーロン茶だったんだけど……まあいいや。それで一緒に人質になってた子が偶然にも魔力が発現して、暴走したんだよ。その混乱で魔法使いは取り押さえたみたいだ」
偶然、ねえ。
咲耶が関わったこと以外は概ねアキが書いた通りみたいだ。
レジスタンスとはその通り組織に対抗しようとした人間が作ったものだ。組織に復讐したいという思いから築かれたこともあり、今までも色んな事件を起こしているらしい。私やおじさんはレジスタンスには所属していない。私達のように組織に関わらず静かに暮らしたい魔法使いも多いのだ。
譲は話し終えると、水分の無いもさもさしたハンバーガーにかぶりつく。私はもう食べ終わっていたので、さっきのウーロン茶の代わりにミルクティーを差し出した。
「ん」
「ありがと。咲耶ちゃんもちょっと魔力暴走に巻き込まれて怪我したみたいだけど、回復魔法ぐらいなら誰かが使えるだろうから無事だろうし」
「さくが、怪我した……」
魔力暴走したという人質は、確か星谷美玖だったはずだ。
私は思わず手を強く握りしめた。……あの子が悪い訳じゃない。分かっているのだが、突然正体不明な魔法なんてもので傷を負った咲耶はどんな気持ちだっただろうか。
「さくの記憶は、どうなるの?」
「なんか知らないけど保留扱いになってた。もう一人の一般人と一緒に」
もう一人、二宮のことか。
さくが巻き込まれたのは、恐らく二宮の為だという確信が私の中にはあった。最近、彼女の様子が少しおかしくて、話しかけても上の空であることが多かったのだ。咲耶にそれだけ影響を与えられるのは、今のところ考えられるのは二宮だろう。
それから数日経って、お昼休みに咲耶が一之瀬に連れて行かれるのを見て、確信は確定に変わった。
その後も、咲耶は一之瀬達に巻き込まれているようだった。事件のこととは関係なしに、一之瀬のファンに呼び出されたり、夏祭りに連れていかれたり、色々としているらしかった。
それでも二宮と過ごす時間が増えた彼女は嬉しそうだ。楽しそうに一緒に出掛けたことを話す咲耶を見ていると……なんだろう、娘が嫁に行ってしまった父親のような心境になった。
季節は変わり、もう十二月になっていた。今年は魔法関連の事件が多く、早いなと感じていた高校生活がもっと加速しているような気がしてきた。
よりにもよってクリスマス前に譲と喧嘩してしまったので、イブは1人だ。咲耶に連絡を取ってみると暇だという返事が来たので買い物に誘ってみた。
実は買い物というのは口実だ。そろそろ咲耶に話を聞きたいと思っていたのだ。
内容は、二宮のことだ。
このまま行くと、あいつは三月に魔王に殺される。
私は今まで一之瀬達に関わるつもりは全くなかった。そして今もあまりない。けれど、咲耶は違う。彼女は積極的に一之瀬達と関わり、そして友情を築いている。
さらに言えば、最近の二宮は……もしかしたら咲耶に傾いているのではないだろうか、と思う時があるのだ。桐生を見る目は相変わらずだが、咲耶と話している時の酷くほっとしたような表情を見ると、咲耶にも望みはあるのではと感じる。
そして二宮が咲耶を好きになれば、一之瀬を裏切る理由は完全に無くなる。
咲耶が二宮への想いを諦めないのなら、そしてそこに一縷の望みがあるのなら、私も協力したいと思った。
二宮が桐生を選んで一之瀬を裏切るというのなら、自業自得だ。その時は咲耶に気付かれる前に私が鉄槌を下してやる。
咲耶と合流して街を歩いていると、注意を喚起する音と共に放火が多発しているというアナウンスが聞こえてきた。
放火……
「放火だって、物騒だよね」
「……」
「ハル?」
咲耶が何か言っているが、言葉を返すことができない。
中学時代のあの時が、そして何より前世の最期が頭から離れてくれない。この世界に生まれてからも、前世の夢は何度も見た。あの炎に包まれた部屋も、何度も何度も私の脳内に蘇ってきた。
思考に呑まれかかっていた私は、咲耶の悲鳴でようやく正気を取り戻した。
咲耶が何か言いたげに見てくるが、気にしないでと言うことしかできなかった。もし口に出してしまえば、再びあの悪夢が戻ってくるような気がしたのだから。
咲耶の二宮への想いを聞いて、私にも決心がついた。だが、私1人では組織に対抗することは出来ないだろう。後で譲に連絡してみようと思う。この時すでに、喧嘩していたことはすっかり忘れていた。
連絡する前に、私にはやるべきことがある。
咲耶と別れた私は、嗅覚と脚力を強化して街を走り出した。もうすぐ夜になる。放火犯が動き出すのもきっとこのくらいからの時間だろう。夜通しかかっても、何日掛かっても必ず見つけてやる。
すると幸か不幸か、すぐに煙の臭いが流れてきた。
近い。私は即座に現場に向かうと、集まり始めていた人混みをかき分けて先頭に立った。
……灯油の臭いが強烈に漂ってくる。強化している為か非常に強い臭いだ。
灯油を使ったとなると、犯人も同じように強い臭いを纏っているはずだ。私は人混みから抜けて細く続いていた灯油の痕跡を追った。まるで犬みたいだと自嘲しながら強化した脚力で走り抜けると、一つの家にたどり着く。延焼するほど近くはないが、それでも家が燃えているのをはっきりとその目で見ることができる位置。ここだ、と確信した。
玄関の鍵は……閉まっている。関係ない、壊してしまえばいい。
強化した脚力のまま大して強度もない扉を蹴り飛ばす。思った以上に音が出てしまったが、周りは放火現場に集まっているのだろう、人っ子一人いなかった。気付かれにくいように壊した扉を玄関に立てかけておく。
私の予想では、恐らく火事が見渡せる二階にいるはずだ。灯油の臭いもそちらから流れてくる。踏み抜きそうな勢いで階段を駆け上がり、部屋の扉を再び蹴破るとそこには怯えた様子の冴えない男が1人、震え上がっていた。
しかし私の姿を見ると、震えは止まり、それ以上に困惑した表情を見せた。多分警察が来たと思ったのだろう。しかしいざ現れたのはこんな小娘1人。どういうことだ、という文字が顔に浮かんでいる。
一歩、私は踏み出した。今まで出したこともないような殺気を纏って。
「あんた、よね。放火犯って」
「ひっ」
「火事で死ぬって、苦しいのよ。痛くて熱くて苦しくて……それがどんなものか、あんたも味わってみる?」
私はすぐさま男に飛び掛かり、床に叩き付けた。そして逃げないようにきつく踏みつけておいた。
「があっ」
ああ、もうこんなので気絶してる。普段打たれ強い譲にやってるから一般人への手加減が出来ていなかった。
男の部屋には灯油の空タンクなど、証拠になりそうなものが沢山あった。これだったら私が捕まえなくてもいずれ警察が逮捕に踏み切っただろう。けれど、ただ逮捕されるなんてそんな生ぬるいことで許す訳にはいかない。
私は近くにあった火種に使ったライターを見つけ、手に取った。そして男の服に手を伸ばし――。
「駄目だよ、ハル。そんなことしたら」
見慣れた手が、ライターを点火しようとした手を掴んだ。その手はライターを床に置かせて、代わりに自分の手を握らせた。
「ハルが手を汚すなんて、絶対に駄目だよ」
「譲……」
「参ったよ、仲直りしようと思って咲耶ちゃんと別れた所に話しかけようとしたら、急に走っていっちゃうんだもんな」
「私、」
譲に握られている手が震える。手だけじゃない。全身が先ほどの放火犯のように、怯えて震える。自分が、怖い。
あんなに容易く人を殺そうとした、自分が怖い。
「……とりあえず、ここから出よう。それで警察に連絡を入れればいい」
「……うん」
譲はそのまま黙って私の手を引いた。私はその手に引かれて、一言だけ言葉を口にした。
「……ごめん」
外では寒いだろう、と譲が自分の家へ連れてきてくれた。
彼が警察に連絡している間。私は何とか心を落ち着かせることができた。暖かいコーンスープを飲んだからかもしれない。内側からじんわりと体が温まって、心が安らかになる。
それと同時に冷静にもなった。
私が人を殺めようとしたことは、きっと一生忘れられないだろう。でも、それでいい。忘れていたら、私はもう一度同じ過ちを犯してしまうかもしないのだから。
戻ってきた譲は、私を見てほっと溜息をついた。
「譲、聞いてほしいことがあるの」
「うん」
例え信じて貰えなくても、それでも構わない。ただ、知っていてほしかった。
私は、前世のこと、そしてその最期のこと、そして……この世界のことを全て話した。
譲はただ相槌を打って、時々質問を交えながら静かに話を聞いてくれる。
「魔王倒せるってマジ?」
「マジ」
全ての話が終わった後、彼は開口一番にそう言った。
「……ふうん、そうなのか」
「信じてくれるの?」
「まあね。正直最初はハルが遅い中二病に目覚めたのかと思ったけど……組織の内部でも僅かにしか知らないような儀式の内容まで知ってるとなると、ちょっと疑ってはいられないかな」
譲はそう言いながらすっかり冷めたコーヒーを口にした。冷めたコーヒーっておいしくないよね、彼も顔を顰めている。
私も話しっぱなしで喉が渇いてくる、と思っていると譲が席を立ってお茶を持ってきてくれた。先ほどのコーヒーは諦めたのか二人分だ。
「それで、ハルはこれからどうするんだ? そのまま傍観か、それともその物語とやらに介入するのか……まあ、ハルもあながち無関係って訳じゃないしな」
「え、無関係じゃないってどういうこと?」
何気なく彼が口にした言葉に、私は首を傾げる。
私が、物語と関係してるって?
「何言ってるんだ? ハルのお母さんが一之瀬裕也のひとつ前の封印魔法の使い手だったんじゃないか。だから身柄を狙われて……」
「!?」
……え?
私の母親が、封印魔法の使い手、だった?
「……」
「えっと、もしかして初耳か?」
黙ってこくん、と頷くとあちゃー、と普段しないような気まずげな表情を浮かべた。
私はしばらく色んなことが頭をよぎり、混乱を極めていた。
そういえば、と思う。私が最初に魔力を発現させてから、光を発する度に母親が飛んできて手を握ってくれた。あれはずっと、私を落ち着かせてくれる為にやっていたのだと思っていたが、しかしきっと封印魔法を使っていたのだ。
組織を抜け出していても、おじさんはそこまで外出に気を配らない。普通に仕事に行くし、認識阻害魔法を使っている様子もなかった。つまり幼少期、あれだけ隠れるように暮らしていたのは、封印魔法という特殊な魔法を使う母を守る為だったのだ。
その後譲を追及すると、彼は困ったような顔をしながらも話してくれた。
封印魔法が使える人間は常に1人、増減は一切ない。私の母が死んだ後、同じく封印魔法に素養があった一之瀬裕也がその能力を得ることになったのだと。
「……そうだったんだ」
今一之瀬が命を狙われるようになった原因には、私達家族の問題も含まれていたのだ。あのままいけば、本来封印の贄になっていたのは母だったのだから。そうだったら、彼はもっと平穏な暮らしを送ることができていたはずだ。
勿論母に贄になってほしかった訳じゃない。でも、だからと言って一之瀬の命が組織によってむざむざ奪われていくのを黙って見ていることもできない。
シナリオ通りに進んでも、一之瀬は確かに助かるだろう。けれどそれは二宮の死と、そして彼らが傷を負うことによって成立する。
「私……」
このまま黙って傍観している訳にはいかない。それだけは確かだった。
「儀式を止める」
「そうそう、そうこなくっちゃね。それで俺はまず何からすれば良い? 組織の情報収集ならまかせてよ」
私の言葉を待っていたかのように、すぐさま譲はそうやって言葉を切り返してきた。
確かに私にできることは少ない。組織に伝手はないし、儀式が行われる場所だって分からない。譲の言葉は本当にありがたいものだ。
だけど、それは譲が組織に背くことに繋がる。
「でも、どうして協力してくれるの?」
組織に牙を剥く危険も、そして何より魔王を倒せば魔法が使えなることも分かっていて、どうしてこんなに助けてくれるんだろう。
そう尋ねると彼は一瞬きょとん、と呆けた後、面白がるように笑った。
「言ったろ、俺は尽くすタイプだって」




