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次の日、昨日の特訓の所為でうつらうつらとしながら授業を終えた私は、とっとと帰ろうとばさばさ雑に教科書を鞄に突っ込んでいた。すると、普段は話をしないタイプの大人しげなクラスメイトが「あの……」と小さな声で私を呼んだ。
「どうしたの?」
「えっと、正門の所で西条さんを呼んでる人がいるって……」
「私を?」
嫌な予感しかしない。自慢ではないが、今生の私はそこそこ美人な部類に入ると自負している。呼び出しを受けたことも少なくない。が、いざ会いに行くとバリッバリの不良に「どっちがこの学校の頭か教えてやるぜ!」と殴りかかられたり、かと思えば次の日には同じやつに「舎弟にしてください姉御!」と土下座されたりと、だいたいそんな感じである。
そういえば、清楚な女の子が「お姉さまと呼ばせてください!」とか言ってきたこともあったな……。私のまともなモテ期は一体いつ来るんだろうか。
さて、今日は誰が殴り込みに来たのだろうか、と思いながら靴を履き替え正門まで向かうと、なんだか最近見た覚えのある金髪が目に入った。周囲の女子生徒の騒ぎ声が大きい。その声も全て、門にもたれ掛かるようにして立っているあの男に向けられていた。
昨日の今日か。
「……生きてたんだ」
「あのさ、あれだけ派手にぶっ飛ばしておいてそれはないんじゃないか……」
最初に思ったことを口に出すと、即座に切り替えされる。私はこの男がいることに不穏を覚えながらも内心ほっとした。
いや本当に、もしあれで死んでいたらどうしようと結構真面目に考えていたのだ。
ちらりと確認するが、どこも痛そうな様子はない。既に回復魔法を施しているのだろう。
「それじゃ」
「待った!」
死んでいないのならもう私がこいつを気にする要素は何一つありはしない。とっとと帰ろうとしたのだが、その前にしっかりと手首を握られた。不愉快に思い、即座に手を振り解く。
「触らないで、気持ち悪い」
「うわちょっと傷付いた。君って口悪いね。ちょっとでも俺の話聞こうとか思ったりしない?」
「しない」
相手にしているのも神経を使う。こいつは組織の犬だ。昨日のこともあるのですぐに実力行使に出るつもりはないのかもしれないが、用心しなくては。不意を突かれて魔法を使われたら、肉弾戦しか出来ない私はすぐに負けてしまうだろうから。
「なーなー、駅前の喫茶店、リニューアルしてケーキメニューが一新したんだって」
「……」
「どこの高校に行くつもり? なんなら俺と同じ所はどう? まあ三つ違いだから卒業しちゃうけど」
「……」
我慢しろ、我慢だ。
あれからずっと私の後をついてべらべらと非常にどうでもいいことを話し続けている。中には私の興味を引くもの――喫茶店のケーキとか――もあったが、全て無視した。
今まで大人しく無視をし続けた理由は、単純に周囲の人間が多かったからだ。流石に学校付近の人目の多い場所ではお互い魔法など使えないし、こんな公衆の面前で殴ったりしたら内申に響く。
だが、そろそろ大丈夫だろう。辺りを見回して人がいなくなったのを確認すると、私はくるりと踵を返した。男との距離は一メートル。私が一番得意とする間合いだ。
「あんた……」
「あ、そういえば名前言ってなかったね。俺は東郷譲って言うんだ。末永くよろしく」
「聞いてないわ。でも譲って名前、これっぽっちも似合ってない」
全国の譲さんに土下座してほしい。
「よく言われる」
「それで……また私にぶっ飛ばされに来たの?」
「それは勘弁してほしいな、マジで痛かったし。……昨日言ったこと、覚えてるよね」
こいつは私が須藤千春であったこと、そして魔法使いであることを知っていた。そして、あのまま抵抗しなければ、恐らくその組織とやらに連れていかれていたのだろう。
「私はお前らには従わない」
あの人達を間接的に死に追いやったお前らを、私は決して許しはしない。
しかし、それに対し男――東郷が返した言葉は、予想の斜め上だった。
「うん、従わなくていいよ。俺も君を捕まえる気ないし」
「はあ?」
理解不能だ。あっけらかんとした態度でそう言った彼に私は、なんだか無性に腹が立ってきた。ならなんで着いて来るんだ。
そう思ったのが顔に出ていたのか、そして私がそう思うことが最初から分かっていたのか、東郷はにやにや笑いながら口を開いた。
「なになに、やっと話を聞いてくれる気になったのか?」
とりあえず、一発殴っておいた。
「げふっ」
「さっさと要件を言え。内容によっては……地獄送りだ」
胸倉を掴んで恫喝する。どんどん不良に傾いていくな私。おじさんに知られないようにしなければ。
東郷はむせながら、分かった、分かったから放して、と情けないことを言っていた。
「昨日話した過去の事件の資料、全部上手く抹消しておいたから安心しなよ」
「は? 何言って」
「ついでに最初にそれに気付いた構成員の記憶もちょいと弄っておいた。君の存在が今後組織に把握されることはないと思うよ」
「嘘……」
昨日私を脅しに来たこいつが、今度はこっちが有利になるように動くなんて、本当に何を考えているのか分からない。
いや待て、今こいつが言ったことが真実だという保証がどこにある。そうやってこちらを油断させる為にわざと嘘をついているのではないか?
やつの目をじっと見る。そこには楽しげな感情しか乗っておらず、嘘かどうか見抜くのは困難だった。
「いやあ、そんなに俺を見つめて、もしかして惚れちゃった?」
もう一度殴っておく。さっきよりも少し強めに。
「がはっ」
「あんたが言ったことが本当かどうか、証拠はない」
「……まあ、そうだろうね」
お腹をさすりながらも、結構余裕そうだ。思ったより打たれ強いのかもしれない。
ならもっと力を込めておけばよかった。
「万が一それが本当だとしても、それを私に伝えに来た理由はなんなの」
「理由? 頑張って証拠隠滅してきた俺は君に対して貸しがあるわけだけど」
「もしそれが事実ならね。……それで、あんたは私にどんな借りを返してほしいのよ」
そう尋ねると待ってましたとばかりに彼は私が制止する間もなく、両手を握りしめた。
「実はさ、君に一目惚れしちゃったんだよねー。俺と付き合ってくれねえ?」
手が塞がっていたので、足が出た。
おじさんが仕事から帰ってくると、私は真相を確かめるべく、おじさんに今日あった全てを、いや最後の下りだけ省略して報告した。彼はまた組織の人間が私の前に現れたことに憤っていたが、話を聞き終えると、ちょっと待ってなさいと言い、携帯電話を持って部屋を出て行った。
それから三十分くらいして、待ちきれなくなった私がテレビを見ていた頃、ようやくおじさんがリビングに戻ってくる。
「どこに掛けてたの?」
「組織の内部に何人か内通者がいる。千春の両親が逃げた時にも協力してくれた、信頼できるやつらだ。……そいつらに確かめてもらったんだが、確かにあの事件の資料ファイルが消えていたらしい。ご丁寧に番号まで詰めて、だ」
組織は、魔法に関係した事件は全て詳細を記録し、保存している。勿論それらには個別のナンバーが記載されており、ただ資料を処分するだけではやがて気付かれ、何故処分されたのかと怪しまれることになる。
しかし今回の場合、固有のナンバーまですり替えられている。他の資料の番号まで変えなければならず、さらにそれはその他の関連資料にまで隙無く手が及んでいた。協力者もその事件があったことさえ知らなければ、資料がないことに気付くはずがないと言ったらしい。
事件の資料が一体どれくらいあるのかは分からないが、膨大な量であったことは間違いない。
「こんな手の込んだことをたった一日で……? 千春、その男は東郷、と言ったか」
「うん、金髪の男。高校生で、私の三つ上だって」
やつがべらべら話していたことを意外と覚えてしまっている。喫茶店は週末に行こう。
「聞いたことがないな。そこまで能力がある人間なら名前が通っていてもおかしくないのだが。しかしなんでそいつはそんな面倒なことをやったんだ? 何か言ってなかったか」
「……い、いや何も言ってなかったけど」
「そうか」
考えながらで、私に意識をあまり裂いていなかったおじさんは、動揺にも気付いていなかったようだ。
よかった。あんなこと言われたと知られたら、どうなるか。
……どうなるんだろう。
ちょっと気になった私はその後の夕食の時間に、テレビを見ながら何気ない感じを装って聞いてみた。
「おじさんは、もし私に彼氏が出来たら、どうする」
「……出来たのか?」
みしり、と彼が握っていた箸が嫌な音を立てたのを聞いて、私は慌てて首を振った。
「いやいやいや、もしって言ったじゃん」
「そうだな。もし、千春に彼氏が……」
その時を想像しているのだろうか、宙を睨むおじさんの顔がどんどん険しくなっていく。
やがて、べきり、と先ほど守ったばかりの箸が折れた。
「滅す」
あいつはともかく、本当にちゃんと好きな人が出来てもおじさんには言わないでおこうと固く誓った瞬間だった。
次の日、私はいつも通り学校へ行き、いつも通り授業中にお腹を鳴らし、いつも通り放課後に靴を履き替えた。昇降口を出て歩き出すと、正門に金色がちらついていた。
通りかかった自称舎弟が「姉御、あいつ新しい舎弟ですか? 一発絞めておかねえと」と言ってきたが、無視した。
私はそのまま正門を出て帰路を歩く。数歩遅れて足音が増えた。
「……確かに、記録は抹消されてたわ」
「言った通りだろ?」
「あんなのたった一日でできるはずがないって言ってたけど」
「そりゃあ俺に掛かればあんなの楽勝だし」
「弱いくせに?」
「いやいや、俺体術でもそこそこ強い方だよ? 君が規格外なんだよ」
そうなのか。魔法を使った訓練はおじさんとしかしていないから知らなかった。ということは私よりも遥かに強いおじさんは、一体何者なんだろう。
「それで結果も出たことだし、俺と付き合ってくれる?」
「遊びに付き合うつもりはないんだけど」
そもそも、こいつの考えていることが何一つ分からないままだ。一目惚れしたとか言っていたが、真に受けるつもりは毛頭ない。
「遊びじゃないって。彼氏いないんだろ? 俺と付き合っても何のデメリットもないよ」
「メリットもないけど」
「メリットならあるぜ。俺って結構尽くすタイプだからさ」
そういうと、東郷は突然片足を地面につけた。そして、自然な動きで私の手を取る。
「俺、東郷譲は、西条千春さんのことが好きになりました。どうか俺と恋人になってください」
「っ!?」
真剣な表情で目をしっかりと合わされて、私は言葉も出ないくらい動揺した。
こういう物語のような演出に、実を言うとかなり弱い。昔から――それこそ前世から男にモテたことはなく、こんな風に告白されたことなんてなかった。
彼は動揺している私を見て、ふっと微笑む。
「わざわざあんな滅茶苦茶大変な証拠隠滅をするくらいには、君を好きだよ」
「……さっき楽勝とか言ってたくせに」
やっぱり滅茶苦茶大変だったのか。
しばらく言葉を選んでいた私は、ややあって口を開いた。
「ケーキ」
「ん?」
「喫茶店のケーキ、全部奢ってくれたら付き合ってあげてもいい」
正直、かなりぐらっと来たのは間違いない。しかし素直に了解できるほど、私という人間は出来ていなかった。
東郷は顔を背けた私を見て、くすりと笑った。
「勿論喜んで、お嬢様」




