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私はそのまま、父親の友人であるこの男の家で暮らすことになった。
彼は西条と名乗った。彼も父親と同じく元々組織に所属していた魔法使いだという。
「千春、君は両親と共に死んだことになっている。組織が君を狙う確率がゼロではない以上、存在を隠す必要があるからだ」
組織が狙っていたのは元々母親の身柄だったらしいが、魔法使いを合法非合法問わず集めている組織に、魔法が使える私の存在は極力隠しておいた方がいいらしい。
私の新しい戸籍は、西条さんの娘になっていた。
「お前は今日から、西条千春だ」
西条千春になって最初にやったことは、魔法の練習であった。
もしもの時のことを考えると、自分の身は自分で守らないといけない。今までは父親が認識阻害を掛けてくれていたが、聞くところによると、西条さん――そういえば私も西条になったんだった。おじさんは身体強化魔法が得意で、他の魔法はあまり使うことができないらしかった。
これから年が上がるごとに1人で外出することも増えるだろう、ということで強制的に魔法を習うことになった。
「千春、使える魔法はあるか?」
「光は出せるけど」
そう答えて私は即座に体中に淡い光を纏った。
五歳の時に魔力だという光を発して以降、いつの間にか自分の意思で魔力を放出することができるようになっていた。……まあ用途といったら暗い所で明かり代わりになるくらいなのだが。
「魔法を使うには必要な分の魔力をコントロールし、そしてそれぞれの魔法に合わせて魔力を変換しなければならない。今やっているのは魔法に変換される前の純粋な魔力放出だ。それ自体はまだ魔法ではない」
そうなのか。だが変換と言われても、どうすれば良いのか皆目見当もつかない。
「どの魔法が得意か不得意かは個人差がある。千春がどの魔法が得意か分からないから、色々試してみよう」
その後、水をイメージしろ、とか目の前に壁を作るように、とかおじさんの指示通りに色々やってみた。が、思い浮かべてすぐに魔法が発動するわけがない。殆どは全く発動することもなく、ただやみくもに魔力を無駄遣いする結果となった。
「……うん、千春は魔力の放出速度だけは人一倍早いな。早く魔法を発動できるということはそれだけ相手に対してアドバンテージを持つことができるから、とても重要なことだ」
が、肝心の魔法が使えていなければ意味がない。
その日は結局ほぼ魔法を使うことができなかった。
それから一か月、新しい小学校に通いながら毎日欠かさず魔法の特訓を行った。おじさんの帰りが遅い日も自主練でイメージトレーニングなどをしてみた。
「……これしか出来ない」
だが、その中で私が身に着けたのは、身体強化魔法のただ一つだった。
せっかく転生して魔法が使えるようになったというのに、派手な攻撃魔法も、回復魔法も、結界を張ることも出来やしない。同じ魔法が得意なおじさんは苦手と言いながらも、いくつかの攻撃魔法を使っていた。
がっくりと項垂れる私を見ながら、しかしおじさんは嬉しそうだった。
「身体強化魔法なら、魔法を使っていても悟られにくいし、複雑なイメージも必要としない。護身術にはもってこいだ」
「そうですね……」
まあ確かに、下手に「ファイアボール!」とか言って敵に火球を投げつけたい訳じゃない。特に、もし私が炎魔法しか使えなかったとしたら、一生その魔法は封印したことだろう。人を傷つける炎なんて二度と見たくはないのだから。
それだったら、自分の力で加減の効きやすいこの魔法で良かったのかもしれない。
「身体能力が向上しただけじゃ、体の動かし方は分からないだろう。千春、魔法はもういいから次は護身術の特訓だ」
おじさんはやけに張り切ってそう言った。
最初に見た時にスポーツでもやっているのだろうかと思ってはいたが、実際の所、おじさんはあらゆる武術を嗜んでいた。
あれよあれよという間に、私の特訓は、室内で魔法をイメージするものから中庭で組手をすることに変化してしまったのだ。
……実は私、前世の高校時の部活は女子空手部だった。元々ストレス解消に汗を流したいと始めたものだったが意外に嵌ってしまい、主に弟が生意気な口を叩いた時などに有効活用していた。
おじさんも、何故か空手の型を知っている私を不思議そうに見ながらも、それならばと他にも様々な武術を叩きこんでくれた。しかしながら、普段温厚なおじさんがその時は滅茶苦茶怖かった。ちょっとでも気を抜くとすぐに気付いて床に叩き付けられたりもした。多分普通の小学生なら泣いてたと思う。
その成果もあり、中学に上がった私は魔法を使わずとも大の男を伸せるようになってしまっていた。……女子中学生の名が泣く。
中学では柔道部があったので入ってみた。といっても女子は僅か三人、一学年に一人という割合である。なので練習も男子に混じり部活を行っていたのだが……ある日うっかり勢い余って男子の主将をぶん投げてしまい、他の部員からドン引きされてしまったこともあった。
いや、おじさんと喧嘩して苛々してたもんだからつい……。
特に組織の人間に会うこともなく、両親の顔も薄れてきた頃のことだった。
「君が西条千春さんかな?」
中学からの帰り道で変な男に出会った。
高校生くらいだろうか。顔は中々整っているが、金髪にピアスと、まあチャラついていた。理由もなく殴りたくなる顔、というのが第一印象であった。
初対面でいきなり名前を言い当てられ困惑していると、男は沈黙を肯定と受け取ったのか、ずかずかとこちらに近付いてきた。
「いや……須藤千春さんと呼んだ方がいいのかな」
「!?」
私は即座に男からバックステップで距離を取ると、姿勢を低くして構える。そんな私の様子を彼はにやにやと笑いながら見ているだけだった。
この男は以前の名字を把握している。――つまりそういうことだ。
「……組織の人間か」
「ご名答」
男はそのまま、得意げにべらべらと勝手に話し始めた。
組織の人間が以前の案件の資料を見ていたら、私の両親の資料を見つけた。その内容に違和感を感じ、調べていくうちに誰かが私の死を偽装するように、当時の担当者に幻惑魔法を掛けていたことが分かった。そこで真相究明のために自分がわざわざ出向いたのだ、と。
「昔の資料なんて滅多に誰も見ないだろうけど運が悪かったね。魔法を掛けたやつがあんまり得意じゃなかったんだろう。当時は色んなごたごたで気付かなかったみたいだけど、見る人が見れば偽装はすぐに判明するような単純なものだったよ」
恐らく両親が死んだ直後におじさんがやったものだろう。
「君の存在を隠しておく理由があったってことだよね。例えば……魔法使いだとか」
「……」
既に分かっていたのだろう、大げさな素振りでそう言った声には確信が込められていた。
私は考える。ここでこいつを倒すのはいい。だが、それからどうなるだろうか。
組織からは疑惑を持たれている。例えばこの男の口を塞いだとしても、別の人間がやってくるだけだろう。西条の名を知っているということは、おじさんの所にも誰か来ているかもしれない。
思考を巡らせながらも男の動きに注目していると、彼は片手に魔力を溜めながら一歩、踏み出した。
次の瞬間、私も一気に加速した。
「まあ、少し眠っててもらっ」
「くらえっ!」
余裕綽々、といった男の鳩尾に渾身の蹴りを食らわせる。予想よりもずっと綺麗に入った一撃で、何か言おうとした男の体が優に5メートルは吹き飛んだ。
「え!?」
防御されると思った。もしくは躱されるかと。ようやく地面に背中から着地した男はそれからぴくりとも動かなかった。
やばい、やりすぎた。
組織の人間だというから、全力で向かわなければ返り討ちに合うだろうと思い、極限まで身体能力を上げて攻撃した。
「よ、よわ……」
しかしよもや、こんなにあっさり倒れるとは思いもよらなかった。
ひょっとしてやられた振りをしているのか、とも思ったがしばらくしても起き上がる様子はない。
……死んではいないと思うのだが、確認するのが怖い。
私は悩んだ挙句、くるり、と百八十度回転して全力で走り去った。
もしかして尾行されているのでは、と疑心暗鬼になった私はスピードを維持したまま狭い路地を幾つも通り、三十分後にようやく家に到着した。
「た、だいま」
流石に魔法を維持しながら全力疾走はきつかった。ぜえぜえと息を整えていると、今日は早かったのか和服で寛いだ様子のおじさんが玄関まで様子を見に来る。普段ならおじさん和服姿だやったー! とテンションが上がるのだが、当たり前だがそんな余裕はない。
「千春、どうしたんだ」
「組織の、人間だというかいう、変なやつが来て」
「何!?」
たどたどしく訴えると、おじさんは驚愕し私の両肩をものすごい勢いで掴んだ。かなり痛い。
「どんなやつだ、何をされた!」
「高校生くらいの、変な男で……」
私は簡潔にあらましを語った。組織内で私の死の偽装がばれかけていること、会いに来た男は私が魔法使いだと確信していたこと、そして全力で蹴り飛ばして逃げてきたことを話す。
おじさんは全て聞き終えると、無事で良かったと私の頭にぽんと手を置いた。
「魔法使いといえど女子供と舐めて掛かっていたのかもしれない。もしくはその男が特別弱かったのか……。しかし千春、力を過信してはいけないぞ。今回はたまたま上手くいっただけかもしれない。組織の方は他の仲間にも協力してもらって何とかするから、お前は無茶するんじゃない」
「はい」
「よし、そうと決まれば特訓だ。またろくでもない連中が来るかもしれないからな、万全の状態を保たなければ……」
そうして私はおじさんに引き摺られるようにして地獄の道場へと連れていかれたのだった。……敵が来る前にお陀仏してしまいそうです。




