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最後に覚えていたのは、真っ赤に燃える部屋と恐怖だけだった。
「……っ!」
はっ、と目が覚めて起きると、静寂に包まれたいつもの私の部屋があった。
荒い呼吸を鎮める為に大きく深呼吸する。大丈夫だ、ここはあの時じゃない。熱くはないし、煙もない。
そう言い聞かせてようやく息を整えると、あれは夢だったんだ、と冷静な判断ができるようになる。
また、この夢か。
それは、かつての私の最期の時だった。
三橋遥は普通の女子高生だった。のんびり屋の父親と、しっかり者の母親、そしていじり甲斐のある弟がいる、どこにでもいるような人間だった。
家族仲は結構良かった。夕食を皆で囲んだり、休日には全員で出掛けたり……そういえば両親と喧嘩したこともなかった。弟――千明とは毎日のように口喧嘩していたが。
私があいつのおやつを食べたとか、私があいつの隠していた黒歴史ノートを読み上げたりとか、くだらないことで沢山喧嘩した。
あの時の私はそんな平凡な日々が壊れることなんて、一度も考えたことはなかった。只々毎日を享受して、呑気に暮らしていたのだ。
後々考えると、あれは放火だったのだろう。
ある日の夜、寝ていると自分の咳で目が覚めた。上半身を起こすと、そこは既に火の海だった。扉は既に炎に埋め尽くされていて出ることはできない。
熱い、苦しい……。
いっそのこと、このまま寝ていたらもう少し楽に死ねただろう。
なんとか窓の側まで来たが、開けようとした瞬間あまりの熱さに手を放した。煙に混じって微かに見えた外では、消防車が大量の水を噴射している。
けれど、それはこちらまで届くことはなかった。
次の瞬間、何かが――恐らく燃えて壊れた柱とかだろう――振ってきて、激痛と共に意識が閉ざされたのだから。
次に気付いた時、私は別の人間になっていた。
小さな家で知らない大人二人――恐らく両親なのだろう――と暮らしており、5歳くらいの私は千春と呼ばれていた。
多分転生、というやつなのだろう。
あの火事で家族の誰かは生き残ったのだろうか。お父さんは、お母さんは、千明は。
そのことばかりが頭を巡り、考えても仕方がないと現状に落ち着くことができるまで、1か月かかった。
前世の記憶が戻ってから気付いたことは、この世界は以前の世界とか違うらしい、ということだった。今住んでいる国は日本で、年代も前世と殆ど変わっていない。こちらの方が10年ほど先であったくらいだ。
では何が違うのかというと、この世界には……魔法があるのだ。
前世の記憶を取り戻してすぐ、私の体に異変が起こった。ふとした時突然、体が光り出したのだ。
「……なにこれ」
人間が発光するわけがない。そうか、今生は蛍にでも生まれ変わったのか。
などと現実逃避していると、母親が飛んできて悲鳴を上げた。そりゃあ自分の子供がいきなり発光し出したら悲鳴も上げたくなるよね。と思っていたのだが、次に彼女が発した言葉に、私は驚きを隠せなかった。
「なんてこと……千春まで魔力が目覚めるなんて!」
おいおい、その年までメルヘンな頭なのか。失礼なことを考えていたが、私とて自分が発光している理由など分からない。魔力と言われた方が納得できるというのも事実だ。
転生なんてものを経験したんだから、他にも常識を覆すようなことがあってもおかしくないだろう。
母親の悲鳴を聞いて駆け付けた父親は、私の姿を見ると彼女と同じように驚いた後、母親に顔を向けた。
「落ち着きなさい、親の不安は子供に移る。千春の魔力を抑えるんだ」
「え、ええ……千春、ごめんなさい。びっくりさせちゃって」
私がずっと黙っていたのを驚いて声が出なかったのだと判断した彼女は、優しい手つきで未だに弱まることのない光に包まれた腕を掴んだ。
「深呼吸するのよ。大きく吸って、吐いて」
言われた通りに深呼吸していると、徐々にだが光が弱まっていくように見えた。初めは錯覚かと思ったが、3分経つ頃には嘘だったかのように先ほどの光は消え失せていた。
「きえた……」
「そうだな。千春、よく聞くんだ。今は全部理解できなくてもいい。ただ、少しでも覚えておいてくれ」
そう言って聞かされたのは、今の光が魔力だということ。両親も種類は違えど魔法が使えるということ。そして最後に、魔法を使えるということを絶対に他の人に言ってはいけない、ということだった。
今の私はただの五歳児ではない。女子高生だった記憶を持ったいびつな子供だ。だから、両親の話した言葉を全て理解することが出来たし、魔法の危険性についてもなんとなく把握した。
この世界には魔法が存在している。それを使う者もいるが、絶対数は恐らくかなり少ない。一般的に知られているものではないのだろう。人前で魔法を使うことは絶対的に危険だ。
そして後々知ったことが、両親は何かから逃げているということだ。
狭い路地の一角の小さな家の隠れるように住み、いつも人目を気にして出かける時には認識阻害の魔法を掛けている。
時々両親二人でこそこそと話し合い、そしてそれが終わるとしばらくしてから引っ越すのだ。同じような立地の小さな家に。
十歳までに五回……一年に一度くらいの頻度で引っ越しをしていた。仕事はどうしているのか気になったが、生活が困窮している様子もないので様子見を続けた。
催促の電話が掛かってくるわけでもない、怖い人が家に押しかけてくるわけでも無い為、借金取りに追われている訳ではないらしいと判断する。
ではいったい何から逃げているのか。十歳になった私は思い切って父親に直接聞いてみることにした。
「お、とうさん」
未だに彼らを呼ぶ時にはどうしても自分の中の違和感が拭えず、自然と呼ぶことができない。私の両親は前世の両親だという思いが強すぎるのだ。
だが彼らはそんな私にも優しく接してくれた。
「どうした、千春」
「……お父さん達は、何から逃げているの」
「……気付いていたのか。賢いお前ならそう思って当然だろうな」
彼は私の頭を黙って撫でた。こうされるのは嫌いじゃない。
「千春ももう十歳になるんだもんな。……これから言うことをよく聞くんだ。いいな」
こくり、と頷くと彼は笑って更に頭を撫でた。そして、不意に真剣な表情になる。
「お父さん達は、とある組織から逃げている。組織って分かるか?」
「うん」
「その組織は魔法使いを集めている所なんだ。そこからお父さんとお母さんは二人で逃げた」
「どうして? 何かやったの?」
「それは……」
バタン! と父親の言葉を遮るように大きくドアが開く音がした。恐らく玄関だろう。そしてその音に続くようにどたどたと、誰かが家に入ってきたようだ。彼もそう思ったのだろう、先ほど私に見せた表情から一変して、酷く強張った顔をして私の両肩に手を置いた。
「千春、絶対にここから出たら駄目だ、分かったな」
私の返事も聞くことなく、彼はそのままリビングから出て行った。私は扉に向かうと、こっそりと少しだけ隙間を開け、廊下の様子を観察することにした。
うちの家は小さい。だから侵入者と鉢合わせた父親の様子もさほど苦労することなく見ることができた。
「――」
何を話しているのかは分からない。ただ分かったのは侵入してきたのが追手ではないようだということだった。侵入者である大柄の男は父親の姿を見つけると急いで何かを伝えていた。父親も警戒する様子もなかったので味方なのだろう。
父親はその男を少し話すとすぐさま男を置いて玄関へと走り去って行った。私にも聞こえる大きな声で「娘を頼む!」とだけ言い残して。
一体何が起こったのだろう。
様子を窺っていたままの体勢でそう考えていると、扉の隙間から覗いていた目と振り向いた男の視線とがばっちりとかち合ってしまった。
私は視線を逸らすことができなかった。
目が合った男は、滅茶苦茶ダンディーなおじ様だった。はっきり言って私の好みどストライクの男性である。年は父親と同じくらい、三十代半ばと言ったところか。長身で何かスポーツでもやっているのだろうか、がっしりとした体格で、若者には出せない渋い雰囲気を醸し出している。
男はこちらへ歩いてくると私がぶつからないようにゆっくりと扉を開け、片膝をついた。こちらを怖がらせない為か、同じ高さに視線を合わせてくれる。
「千春、だったか?」
「はい。おじさんは、お父さんの知り合いですか?」
「そうだ。ちょっと君のお父さんは出かけなくちゃいけないから、俺と一緒に待っていようか」
そう言って彼は私の手を引いてリビングに入ると、ソファーにどっしりと腰掛けた。私も少し離れて隣に座る。
そこではっと我に返った。
うっかり目の前のダンディーに気を取られていたが、玄関へ向かう父親は尋常じゃない焦り方をしていた。何かがあったのだ。
「お父さんは、どうして急いで出て行ったんですか」
「……あいつは、そう、君のお母さんを迎えに行っただけだ。何も心配いらない」
私の質問に、少しだけ間を開けて男は答えた。
母親を迎えに行ったと言ったが、確かに一時間くらい前に買い物に出かけたのを思い出した。彼女はあまり魔法が得意ではないのか、いつも父親に認識阻害の魔法を掛けてもらっていた。そして今日もそうだったはずだ。
しかし、迎えに行ったということは、自力で帰ってこれない理由があるということに他ならない。この男がわざわざ呼びに来る程の、理由が。
「……もしかして、お母さんが捕まったんですか」
「!?」
そうじゃないかもしれない。しかし一番可能性が高いものを言うと、男の体がぴくりと揺れた。案外分かりやすい人だ。
「君は、どこまで」
「魔法を使う人を集めてる組織に追われてるって聞きました。そこから逃げ出してきたと」
「そうか……あいつが、言ったのか」
男はふう、と大きくため息を吐くと、体ごとこちらに向き直した。
「まだ、捕まってはいない、仲間が何とか匿っている。だが時間の問題だ。君のお父さんは俺達の中ではずば抜けて強い。すぐにお母さんと一緒にここに戻ってくるだろう」
「お父さん、強いんですか」
「ああ、攻撃魔法のエキスパートだ。適うやつなんていないさ」
少し誇らしげにそう語った男は、だから安心しなさい、と私の頭を撫でた。
途端に、眠気が襲ってくる。安堵からだろうか。私も、心配するくらいには両親のことを大切に思えていたんだろうか。……そうだといい。
けれど彼らは、二度とあの家には帰ってこなかった。
あの後目を覚ました私は自分の家ではなく、先ほどの男の家にいた。
訳が分からず混乱していた私に突き付けられたのは、両親が死んだ、という言葉だった。
彼らが亡くなった原因は、交通事故だったらしい。母親を救出した父親は、彼女を連れて逃走中に信号無視をしたトラックと衝突したのだ。
すまない、と目の前で何度も男に頭を下げられる。そうか、死んでしまったのかと私はその言葉を素直に受け入れた。
両親には申し訳ないが、私は最後まで彼らを親だと思うことができなかった。きっともっと長く付き合うことが出来れば、いつかは心からそう思うことが出来ただろう。けれどそれには五年という月日はあまりにも短かったのだ。
きっと死んだということが理解できていないのだろう、と思ったのか男は黙って私の頭を撫で続けた。
親だと思うことはできなかった。けれど、きっと大切な人達だったのだろう。私は気が付いたら涙を流していた。
五年前、突然様子の変わった娘に、きっと私が思う以上に彼らは悩んだだろう。それでも以前と変わらず接してくれた、愛してくれていた。
千春、と呼んでくれた。
この名前が好きだった。偶然なのは分かっているけど、千春という名前は、千明と遥、前世の私達姉弟の名前が合わさったものだったから。
以前の私と今の私を繋ぐ、大切な名前だったから。
千春編、始まりました。




