12
12月24日、クリスマスイブである。
「虚しいなー」
「虚しいねー」
街中を歩くカップルを恨めし気に見ながら千春と揃って呟いた。
せっかくのイブだというのに、女子二人で買い物である。今朝突然千春から二人で出かけようと呼び出されたのだ。
私はともかく千春にはきちんと彼氏がいるはずなのだが一応そう言ってみると、
「そんな奴存在しません」
と返事が来た。どうせまた千春が一方的に怒っているだけなのだろう。千春の彼氏を見たことはないが、話に聞く限り、千春が怒っていてもいつもさらっと受け流してしまうタイプなのだとか。その様子に彼女が余計に怒って……という繰り返しである。
今まで何十回と彼氏と喧嘩している彼女を見ているが、別れたいという言葉は一度も聞いたことがない。今回もそうなのだろう。
きっと一週間もすれば千春もけろっと怒りを忘れてしまう。夫婦喧嘩になんとやらである。
ちなみに後から聞いた話によると、この時の喧嘩は千春が楽しみにしていたおやつを勝手に食べられたというものだったらしい。本当にどうでもいいことだったなと思ったが、本人曰く「私から食べ物を奪うとは言語道断」だそうだ。
「現在この地区で放火事件が多発しております。付近の住民の皆さんは燃えやすいものを置かないように――」
人ごみを避けながら歩道を歩いていると、カンカンと大きな音を鳴らして一台の車が通り過ぎる。恋人と歩く人達はまるで気にも留めていないようだ。
私はアナウンスを聞きながら、そういえば、最近ニュースになっているなあと思い出していた。
「放火だって、物騒だよね」
「……」
「ハル?」
千春からの返事がないことを不思議に思い、彼女の顔を覗き込む。
すると彼女は見たこともないような、まるで親の仇でも見つけたかのような憎悪に満ちた表情で通り過ぎた車を睨みつけていて、思わず小さく悲鳴を上げてしまった。
その声に気付いたのか、千春がはっとしたように肩を揺らしてこちらを振り向いた。その時にはいつもの彼女に戻っており、さっき見た表情は夢だったのだろうか、とすら思った。
「ハル、あの」
「ごめん、なんでもない。気にしないで」
「……分かった」
なんでもないはずがないのだが、それ以上言及することはしなかった。頑固な彼女に聞いたところで答えてくれるとは思わないし、理由を聞くのを躊躇するくらい、先ほどの表情は憎しみに満ちたものだったからだ。
「ささ、あのお店行ってみようよ。クリスマスなんて忘れて楽しもう!」
明らかに空元気の千春に、さっきのことは忘れた方がいいんだろうな、と結論付けて赤と緑の電飾が鮮やかなお店に入ることにした。
当たり前だがお店はクリスマスムード一色で、冷やかしに入るにはちょっとお客さんが多すぎる。
「さくはプレゼント買ったの?」
途中で喫茶店に入り、休憩する。暖かい紅茶を飲んで一息ついた所で、千春が周りのオーラに流されたのかそう問いかけてきた。
クリスマスとは言っても、パーティでもしなければ基本的に友達にプレゼントを買うこともない。
何も用意してないと言うと、不意に千春の目線が私の首元へと動く。
「それ、クリスマスに二宮に渡すために編んでたんだと思ってた」
私の首に巻かれているのは、選択授業で作っていた白いマフラーである。まどかのおかげもあって余裕を持って提出したため、早く戻ってきたのだが。
「だから、これは自分用だって言ったでしょ」
もともと渡すつもりもなかった……いや、本当のことを言うと、あわよくばどうにか渡せないだろうか、と思っていたのだが、結局いつも自分のマフラーをしっかりと身に着けていた二宮君に言い出す勇気はなかった。
しかし千春は私の言葉を聞いていないのか、更に言葉を続ける。
「タイミングなんて沢山あったんだからさっさと渡せばよかったのに。なんなら私が代わりに渡してあげたし」
「代わりにって……」
いったいどうやって渡すつもりだったんだろう。他の人に渡してもらう方がずっと恥ずかしい気がする。千春のことだ。きっと「さくがあんたにマフラーあげたいんだって」とやたら直球に言いそうで怖い。
というか、千春はあまり二宮君のことをよく思っていなかった。他の男にしろと何度も言ってきたのに、今日はやけに協力的である。
「……ハルって二宮君のこと嫌いなんじゃなかったの?」
「……別に嫌いって訳じゃないよ。あいつ自体はね」
二宮君自体は、というのはどういう意味だろうか。本人以外に二宮君を嫌いになる要素があるということだと思うが。そういえば……。
「ハルって一之瀬君達のこともあまり好きじゃないみたいだよね」
「知っていたんだ」
二宮君の周囲にはいつも彼らがいる。以前教室に来た時も一之瀬君を睨んでいたし、何より彼女は私が一之瀬君を含め他の女の子達と一緒にいる時は決して話に加わってこない。千春が人見知りをする性質ではないことは知っているし、まどか達は話したこともないのに嫌われるような人達じゃない。
「……まあ色々あるんだよ」
今日の千春は様子がおかしい。先ほどのこともだが、何かを隠す言動が多い。
「さく」
「どうしたの?」
千春はたっぷりと十秒ほど間を開けてから、やけに真剣な表情で口を開いた。
「あんた、二宮のこと好きだよね」
「な、何を今更」
「いいから」
「……勿論好きだよ」
そんなの好きに決まっている。
「あいつが桐生まどかを好きでも?」
千春にはっきりとそう口に出されてのは初めてだ。いつも遠回しに別の男を好きになればいいと言っていたのに。
確かに不毛な恋をしていると自覚している。二宮君の視線の先にまどかがいるのを見る度に苦しくなる。例えこの先、二宮君がまどかに振られたとしても、彼が諦めるかは別の問題だ。
もしかしたら、二宮君がまどかを諦めないまま、原作通りの結末を迎えるのかもしれない。私がいても何の役にも立たないかもしれない。
「望みがなかったとしても、好きなのは変わらないよ」
だが結局私の気持ちを変えることなど、自分でも出来ないのだ。
「そう、分かった」
「何が分かったの?」
「秘密」
途端に真剣な表情はどこかへ行ってしまい、へらっとしたいつもの飄々とした笑みを浮かべている。
一体今の質問はなんだったのだろうか、ともやもやしたものが残るが千春がいつもの調子を取り戻したので、まあいいかと疑問は胸にしまうことにした。
結局プレゼントは買わず、イブらしい物は一切ない普通の買い物を済ませた。
千春と別れてしばらく歩いていると、雪がちらついてくる。寒い寒いと思っていたが、イブに雪が降ることなんて初めてのことだ。
そういえばこの辺り、二宮君の家の近くだな。
私は持っていた荷物を肩に掛け直し、心なしかやや歩くスピードを落とした。
……特に深い意味なんてない。別に二宮君に会えたらいいなんて思ってない!
そんなことを考えていると、少し離れたT字路から二宮君らしき人が歩いてくるではないか。
「二宮君!」
遠目だったので本当に二宮君かも分からなかったのに、思わず声を上げてしまった。
言ってしまってから、これが別人だったら恥ずかしいと思った。しかし彼は私の声に反応して立ち止まってくれたので、慌てて彼の所まで走った。
「遠野さん、そんなに急いでどうしたんだ?」
少し息を切らした私に二宮君は不思議そうに首を傾けた。
神様、ありがとう。クリスマスイブに二宮君に会えるなんて。
「な、なんでも、ない。二宮君が見えたからつい」
何か言い訳をしようと思ったのだが、全く言い訳になっていなかった。しかしどうせその意味を考えず額面通りに受け止められるのだから、気にしなくてもいいのかもしれない。
「遠野さんは今帰り?」
「うん、ハルと出かけてたんだ。二宮君は?」
「コンビニ。牛乳がなくなったんだってさ。こんな寒い中、家を追い出すなんて酷いよなー」
そう言いながらコンビニのロゴの入ったビニール袋を私に見せた。
「ほんとに寒いよね。二宮君ももっと厚着してこれば良かったのに」
「近いし、そんなに寒くないかなって油断してたらこの有様だ。おまけに雪まで降ってくるし……」
そこまで言った彼が言葉を止めて大きくくしゃみをした。鼻の頭を赤くして、このままだと風邪を引いてしまいそうだ。
「あの、良かったらこれ使う?」
私はふと思い立って、何でもないかのように二宮君にマフラーを差し出した。
何でもない。ただ二宮君が寒そうにしていたから見ていられなかっただけだ、本当だ。
「いいのか? でも遠野さんが寒くなるだろ」
「いいのいいの、ほらコートも手袋もあるし!」
全然寒くないから大丈夫! とアピールすると本当に寒かったのだろう、それ以上断りはせず、差し出していたマフラーを受け取った。
「ありがとう、それじゃあ使わせてもらう」
そう微笑んでマフラーを巻く彼を見て嬉しくなる。やっぱり二宮君に白は似合っていた。
帰り道に家の前を通ると言えば、そこまで一緒に帰って、そこでマフラーを返すという話になった。
「そういえばこれって、学校で編んでたやつ?」
「そ、そうだよ。知ってたんだ」
ぎくっ、とした。手編みだと知ったら使いたくないかもしれない。
「きれいに出来てるな、すごい温かい」
「……ありがとう」
プレゼントはできなかったが、少しでも二宮君に使ってもらえたことが嬉しかった。
今は寒さに感謝だ。
近いと言っていただけあって、ほどなくして二宮君の家の辺りまで来た。
もうすぐ着いちゃうなーと少し落ち込んでいると、ふと二宮君があ、と声を上げた。
なんだろうと思っていると、彼の視線の先にもくもくと煙が上がっているのが見える。
「なんだろう、火事?」
「最近多いみたいだしな」
ふと背後からサイレンが響いてきて、大きな音を立てながら消防車が通り過ぎた。
そのまま歩いていると、曲り角を曲がった所で目の前が真っ赤に埋め尽くされた。
「あ……」
轟々と火柱が上がっていた。
火事になっているのは一軒家のようで、家全体が炎に包まれている。このままだと隣の家にまで延焼してしまうだろう。
「おい、まだ消えないのか!?」
「灯油が撒かれていたみたいだ、住民は?」
けたたましい消防士の大声がこだまする。
離れた場所にいる私達にも熱を感じられるほど、その炎は強く大きかった。
あまり大きな通りではないので、家の前は消防車や野次馬でいっぱいになっており、とても横切れない。
「二宮君、別の道を……二宮君?」
彼の方を見ると、ふらふらと吸い寄せられるように燃えている家に近付こうとしており、驚いて急いで止める。
「危ないよ」
「……」
しかし彼には私の声など聞こえていないようだ。
「……ひ」
「二宮君?」
「嫌だ、やめろ、……熱い、死にたくない!」
まるで火に魅入るように燃えている家を茫然と見ていた二宮君が、突然声を荒げた。彼は頭を押さえて怯えるように体を震わせていた。
周囲に集まった人達はみんな火事に気を取られており、誰も彼の様子に気づいていない。
「二宮君!」
「赤い……火、また、俺は……」
肩を掴んで揺さぶるが、彼が正気に戻る様子はない。彼は未だ燃え盛る炎を見続けて、ぶつぶつと何かを呟いている。
「二宮君!」
私は、思わず二宮君を抱きしめた。彼は火を異常に恐れている。これ以上彼の視界に赤い光景を映したくなくて、二宮君の頭を抱き込む。
しばらく抵抗するように抜け出そうとしていたが、力いっぱい押さえ込んでいると徐々に動きを止めて、すがるように背中に手を回される。
「大丈夫だから」
ぽんぽんと子供にするように彼の背中を叩く。
「とおの、さん」
「家に帰ろう」
顔を上げた二宮君の視界に再び火事の光景が映らないように、強引に腕を引っ張って歩き始める。何とか彼の足は動き出したが、掴んだ腕は未だに震えたままだ。
私はどうしていいのか分からず彼に声を掛けることも、その顔を見ることもできなかった。
「……ごめん」
二宮君は終始無言だったが、一度だけ微かにそう言ったのが聞こえた。
二宮君を家に送り届けると、私は先ほどの彼を思い出した。彼は錯乱しながら言っていたことが気になって仕方がない。
”また俺は死ぬのか”
聞き取れないくらい小さな声だったが、確かにそう言っていた。
もしかして、二宮君は……。
考えようとした思考を打ち切る。私が勝手に踏み込んでいい領域ではないだろう。
夜、眠る時間になっても、あの時の二宮君が脳裏に焼き付いて離れなかった。




