2節 拒否権は無いから
今日もまた、陽が昇る。これは命の息吹の象徴である。
「行ってきまぁーす!」
由緒の元気な声が耳に届く。慌てて飛び起きた十架は、窓から庭先を見下ろす。玄関の扉が開き、妹の由緒と赤い髪の少女が連れ立って外へ出る。
早朝の散歩。十架のそんな嘘を信じ、由緒は真似している。昔からお兄ちゃん子で、十架の後ろをついて回っては真似を繰り返していた。
あの日も由緒は十架の真似をして、人形遊びをしていたという。その人形を取り上げられた時、頭上を見上げた由緒の瞳に映ったのはギラリと煌めく銀色の刃だった。
(違う。由緒は生きている。皆、生きている。死んでなんか……)
陽が昇る度に希望を抱き、陽が沈む度に希望を打ち砕かれる。いつか人形たちが停止しない日を夢見て、数えきれないほどの希望と絶望を繰り返し、やがては精根尽き果てるだろう。
所詮、この街は十架の箱庭に過ぎないのだから。
(淋しい)
誤魔化してきたこの気持ち。額を押さえ胸を押さえ、防波堤を越えて押し寄せる感情の波を必死に耐え続ける。
「はっ……」
目眩さえ感じた。十架は指の隙間から見える柚芭市に、虚像を思い出す。
“十架さン……”
「なんです」
“あれ、土ノ使い手じゃナイ?”
影に言われるまま空を見上げた十架の瞳には、白虎に跨がる金髪の青年の姿が映る。その隣りには、見たことのないシャドウとその主人の姿。
「……マオ。どうして、俺の街に」
また仕事の依頼だろうか。確かに次の仕事場を決めていない為、直接十架の家へ来るのは自然の流れかもしれないが。
白虎と見慣れぬシャドウは、十架の家の前へ降下する。
「こんな朝早くから、一体どんな死人形を作ってほしいと言うんだ」
迷惑そうに言ってみる。しかし死人形という単語を聞き、金髪の青年――伊佐薙マオの隣りにいた外国人風の女性は、目を丸くした。
「そうですか! 貴男が死人形師なのですね!」
「……ええ、そうですが。貴女は」
「これは失礼致しました。私はウェルン・ホープ。空人形を司るシャドウ・コンダクターです」
「! 空人形師……」
シャドウの話の中でしか聞いたことのなかった、自分以外の人形師。実在しているのかどうかさえ疑わしかったが、こうして目の当たりにしてみると不思議なものだ。
女性が肩に掴まって飛行していたシャドウは、絢爛豪華なフランス人形だ。ただし身の丈が3メートルもある。
「……それで? 空人形師を引き連れて来てまで、俺に何の用だ」
しばし呆然としていた十架は、思い出したようにマオに尋ねる。
「今回は大仕事だ」
マオは言う。
「世界に3人存在するとされている人形師が、一同に会する歴史的事象かもしんねぇ」
「はい?」
マオは非常に勿体ぶった言い方をする。しかしウェルンに注意をされ、いそいそと今回の目的を語る。
「実はよ……あ!」
マオは歓喜に似た声を出し、またもや横道に逸れる。彼の視線の先を追いかけて後ろを振り向いたとき、そこには散歩を終えた由緒と世槞が立っていた。
まずい、と思う。しかし。
「あいつのお姉ちゃんじゃん! えーと、誰だっけ……俺、一度会った可愛い子の名前は絶対に忘れないんだよな……」
世槞の顔を指差したまま、首が折れそうなほど傾け、そして思い出したマオは明るい表情で言い当てる。
「梨椎世槞ちゃん! こんなとこで会えるなんて奇遇!」
マオは十架の横を通り過ぎ、世槞の両手を握る。そのとき由緒の視線に気付き、猫なで声を出す。
「んー? お嬢ちゃんはもしかして十架の妹カナー? こいつも将来が楽しみだ! あ、将来なんてなかったか。わはは」
「おい、離れろ」
十架はマオの首根っこを掴み、2人の少女から距離を取らせる。
「誰?」
しかし世槞の方はマオを認知していなかった。マオは気にすることなく、ウェルンに振り返る。
「なぁウェルンっ。世槞ちゃんも連れて行こうぜっ」
マオの提案に異議を申し立てたのは、意見を出された本人ではない。
「待て、マオ。何の目的かはまだ知らないが、第三者を巻き込むな!」
「第三者ぁ? 十架、お前なに言ってんの?」
由緒が泣き声をあげる。白虎という獰猛な獣や大きなフランス人形、見知らぬ人間たちに囲まれて恐怖しているのだ。世槞は由緒を抱き締め、頭を撫でて宥めている。マオはそんな世槞を指差し、言い放つ。
「そいつ――シャドウ・コンダクターだぜ?」
十架の目元が、ピクリと痙攣する。
「……え?」
聞き返そうにも、マオはすでに十架を見ていない。
「世槞ちゃん! 俺のことマジで覚えてない? 地獄の火刑人軍との戦争ん時さ、俺も参加してたんだぜッ」
十架は世槞を見る。世槞は眉間に皺を寄せながらマオの顔をジッと見つめている。どうやら思い出そうと記憶の中を探っているらしい。
「……ごめん。あのとき私、目の前のことで必死だったから」
結局、思い出せなかったようだ。マオはわかりやすくガックリと肩を落とした。
「マオさん。話を進める気が無いなら、私がやりますよ」
ウェルンは咳払いし、十架を真っ直ぐに見つめて目的を語り始める。しかし十架の瞳はウェルンを見ていない。
「生人形師を、ご存知ですね?」
十架がよそ見をしながら頷くのを確認し、ウェルンは続きを語る。
「約800年ほど前より、生人形師による人間の人形化が各地で発生しています。人形化した後の人間は、必ず殺されています。理由は不明ですが、我々人形協会はそれを食い止める為、今回シャドウ・システムと手を結ぶこととなりました」
「……そうですか」
十架は一応の返事をするが、感情がこもっていない。
「そこで死人形師である貴男に、まずこの頭蓋骨を用いて人形にして頂きたいのです」
ウェルンはボストンバッグの中から奇妙な傷の付いた頭蓋骨を取り出し、道端に置く。由緒の泣き声が一層激しくなる。世槞は由緒を連れ、夕柳家の中へ入った。
「これは?」
「生きているうちに己の生人形を作られ、人形が完成した後に用済みとされて殺害されたのではないか、と推測されている女性の頭です」
「なるほど。この頭から復元される死人形を証拠とし、誰が生人形かを断定するわけですね」
「その通り。誰が生人形か、空人形か、死人形か――なんてことは作った本人にしかわからないですから」
十架は腕を組み、マオを見る。
「今回は確かに大仕事のようだ。報酬は弾んでもらうぞ」
「ああ、もちろん、もちろん! お前が作ったこの箱庭を維持するに見合った、最高の額を――」
ウェルンは頭上に疑問符を浮かべ、マオを見る。夕柳家からは、世槞が1人、顔を出す。
「ウェルン、実はよぉ、俺はこの柚芭市をあんたに見せたかったんだ。夕柳十架による最高の傑作! 死人形の街を!」
時刻は朝の7時30分。学校へ登校する学生、出勤する大人たちで街は溢れ出す。
「あの方たちが……死人形、と?」
「ああ。柚芭は5年前に影に汚染され、人口約130万が全て影人化した。だから組織による浄化作業が執行され、街は無人となった。人間がいない街なんて地図に記載する意味は無ぇ。日本地図から柚芭の名前が消えた直後――たまたま柚芭市跡上空を飛行していた組織人が見つけたんだよ。街が、復活している様を」
ウェルンは十架を見る。十架は顔にいかなる表情も浮かべていない。
「急ぎ本部に戻って調べたんだ。データベースにアクセスし、始末済みの影人を検索。そして現在柚芭で生活を行っている人間たちと同一人物であることを知った。しかしそんなことは有り得ない」
「組織からの強制捜索がありましたよ」
十架が続けてこう言う。
「俺の存在を知った組織は、街の維持費を報酬とする代わりに、この能力を提供しろと持ち掛けてきました。……同意、するしかありませんよね。確かに人形たちを生かす為には、莫大な資金が必要だった。俺は自分の街を取り戻すと同時に、組織の飼い犬となったわけです」
だから、と付け加える。
「今回の依頼――拒否する権限は、俺には無い」
十架は頭蓋骨の上に両手を翳す。手の平から触覚のように伸びる金色の糸は、まるで意思があるかの如く頭蓋骨に絡みつき、何重にも巻き付いてゆく。
糸はやがて人型を象り、手から伸びる糸をプチンと切った直後、頭蓋骨は外国の田舎村に住む女性へと変貌した。
世槞はその光景を見て、あとずさる。十架は気配で彼女の動作を感じ取る。
「おーっ、この子この子! 間違い無ぇわ。バール村にいた!」
「では、やはり」
マオとウェルンは確信を持つ。
「ああ。バール村の村人は全員、生人形だぜ。そいつらから生人形師の情報を聞き出せたら良いんだが……。ま、空人形師と死人形師、そして俺ら組織と世槞ちゃんが協力したらすぐに解決だろっ」
即座に「待った」を掛けたのは世槞だ。
「お、おい! 私はまだ一言も協力するなんて言ってない!」
「えー、世界の危機なんだぜー? 頼むよ世槞ちゃーん」
「うるさい! シャドウ・コンダクターなんて他にもうじゃうじゃいるだろ! 私は今、それどころじゃっ……」
わめく世槞の眼前にて、ユラユラと揺れるは薄汚れた布の袋。世槞の瞳は吸い付くように袋を追いかける。
「……世槞。協力しないと、人形を作ってあげませんよ」
「は……はぁ?!」
世槞の人質は、未だ十架の手の中であった。
「え? なになに? 世槞ちゃんコイツに弱みでも握られてんの? ひゃー、下衆いことすんなぁ、お前」
布袋を興味津々に見つめ、マオは意味有り気な視線を十架に送る。
「口出しするな、これは俺の交渉だ。それにお前はこの赤髪の女に協力してもらいたいのだろう? なら黙ってろ」
「ヘイヘイ」
世槞は悔しげに十架の手を見つめ、唇を一文字に結ぶ。
“この事態は、貴女の勝手な行動が招いた結果です”
世槞の足元から、シャドウ・コンダクターだと証明するなによりの証拠である影の声が響く。声は非常に低く、おどろおどろしい。聞く者の心臓に重くのしかかる。
“ご決断を、世槞様”
世槞はやけくそ気味に声を張り上げる。
「わかったよ! 協力すれば、いいんだろ!!」
――交渉成立。
マオは歓声を上げて拍手をし、ウェルンは申し訳ないと頭を下げる。十架は袋を握りしめたまま、視線を落とした。
「あの……」
おずおずと声を出したのは、意味もわからないままこの世に復活を果たしたバール村の女性だ。見知らぬ土地、見知らぬ人々に囲まれ、怯えている。
「あー……人形にはしたものの、もう用済みなんだよな」
マオは白虎から銅の剣――土震剣グラージョを受け取る。少女は悲鳴をあげ、逃げようとするが素早い足払いを食らい、転倒する。
「許してくれ、な? 誰からも必要とされなくなった人形は、邪魔なんだよ」
「マオ!」
マオはうつ伏せに倒れている少女の後ろ髪を掴み上げ、首筋を目掛けてグラージョを真っ直ぐに突き刺す。血を伴って貫かれた土震剣は、少女が事切れるまで抜かれることはない。このわざとらしい言動は、十架にマオの胸倉を掴ませる。
「マオ、お前、何度言えばっ……」
「人形だ、お前は死んでる……それを言ったら、死人形は怪物となる。でも、怪物になる前に始末したら大丈夫だろ。今みたいに」
十架は胸倉を掴む手を緩めず、耳元で低く囁く。
「ここが死人形の街であることを、忘れるな」
「…………」
解放されたマオは、女性2名からの冷ややかな視線を受けて頭を掻き、何事もなかったように振る舞う。
「さ、さっそく出発な。ひとまずメキシコのバール村で情報集め」
マオは白虎の煌鐵の背に飛び乗り、ウェルンはフランス人形の裂榮の肩に掴まる。
「出張ですよ、ペルーシュ」
“アいっ!”
名を呼ばれ、壊れた機械音声は陽気に応える。十架の影から現れたのは、身の丈4メートルのブリキ製の操り人形――マリオネットだ。ギョロリと丸い眼を動かし、操り人形らしいカクカクとした動きで十架を手の平の上に乗せ、立ち上がる。
“久っ々ノ表世界だァー”
久しく名を呼ばれていなかったペルーシュは、着用しているオーバーオールの裾を引っ張りあげて丈を調節した。
“では世槞様、私の名も”
民家の壁に寄りかかっていた世槞は、面倒臭そうにボソリと呟いた。
「……羅洛緋」
名を呼ばれた世槞の影からは、高さ10メートルの漆黒の扉が現れる。僅かに開いた隙間から緋色の目が覗き、見る者の魂を貫く。
“我が名は羅洛緋。闇炎を司りしシャドウ・コンダクター、梨椎世槞の下僕”
漆黒の扉から飛び出してきたのは同じく漆黒の獣だ。体長4メートル。一見するとオオカミのようであるが、オオカミに頭は3つもないし、尻尾にしても2本もない。これは地獄の門番ケルベロスである。
世槞はケルベロスの漆黒の毛を掴み、背に跨がる。全員が柚芭市上空へ舞い上がったことを確認し、マオは出動の合図を出した。