2節 ウェルン・ホープ
――グギィ。
その建物は、存在している次元が少し、ズレていた。
一見すると、森の奥深くにある古教会だ。打ち捨てられて何百年。しかしその外観はあくまで<入口>に過ぎず、両開きの扉の中に入れば一転、古教会は近未来の大都市となる。
爽快に晴れた青空の下を飛び交う飛行船、交錯する道路、建ち並ぶ高層ビル群、自然の匂い。これが建物の中だということを忘れてしまうほど精巧なつくりを成している。
都市を行き交う人は全員が同じ服を着用しており、それはここがシャドウ・コンダクターを統括するシャドウ・システムの総本部ヴェル・ド・シャトーであり、そこの隊服だからなのであろう。
いくつかのブロックに分かれた建物内は広大であり、移動手段は様々だがシャトルを利用する方法が一番効率的である。
とあるブロックに足を降ろした女性は、プラチナに輝く軍服を着用した案内人に連れられ、一際大きな建物の前にて「待て」と言われた。
その建物は古代ローマ帝国でいう元老員が政治を執り行う場所に似た造りであり、一目見て、組織の重鎮たちが集まる場所なのであると理解出来た。
“ここがルィーゼ委員会の本拠地です。あの者たちは頭が堅く、また世界の傾きを修正する為ならば手段を選ばない非道集団です。お言葉と態度には、お気をつけ下さい”
女性は足元から聞こえるアドバイスに頷き、緊張の面持ちで扉が開くのを待った。しかし。
「だぁーかーらぁー、すんませんでしたってぇ! 今回のことは全て俺の責任だって言うんでしょ? わかってます、重々承知してます。落とし前つけさせて頂きますってば」
重厚なる扉が開き、緊張が最高潮に達した時に聞こえた気が抜けるような会話に、女性は尻餅をつきそうになった。
「おっと、危ねぇ! 姉ちゃん、大丈夫か?」
「…………」
短くカットした金色のヘアスタイルに、ホストクラブにいそうな顔立ち。例の気の抜けた会話をしていた張本人だが、着ている服はまごうことなき、組織の隊服だ。
「手を退けなさい、女たらしの伊佐薙マオ」
同じく組織の隊服を着用し、立派な髭をたくわえた中年男性が、伊佐薙マオと呼ばれた金髪男性の手を叩く。
「ひっでぇよ、おっちゃん。俺だって別に手当たり次第にやってるわけじゃ……」
「おっちゃんではない! アダッジョ委員と呼べ!」
マオの胸倉を掴み、鬼のような形相で怒鳴る男性は、ポカンとした表情でこちらを見ている女性に気付き、コホンと咳払いをした。
「わざわざご足労願い、恐縮です。私は組織のルィーゼ委員会に籍を置きます、ガルーダ・アダッジョです」
「あ……私は人形協会の会長を務めます、空人形師ウェルン・ホープです」
女性の自己紹介を聞いたマオは大きな声をあげる。
「へぇ。あんたも人形師なのか」
「! 私以外の人形師をご存知なのですか?!」
マオとアダッジョ委員は目を合わせ、互いに頷く。
「今回、ホープ様をお招きしたのは他でもない。人形にまつわることでして……」
「承知しています。生人形師のことですね?」
アダッジョ委員は建物内のある一室にウェルンを招き入れた。
「その異変に気付いたのは、ついこの間のことなのです」
お恥ずかしながら、とアダッジョは付け加えた。
「マオ、説明してくれるか」
「おう」
「返事はハイ、だ。このクソガキめ」
アダッジョ委員とマオのやり取りを見てウェルンは笑うが、すぐに真顔に切り替えて説明を聞く。
「2週間前、ジェン・パディントンというシャドウ・コンダクターが、メキシコの山奥にあるバール村にて重要な情報を掴んできた。しかし報告を上げる前にミーシア沖にて影人との海戦が始まっちまった。これには俺も参加したが、ジェンは戦死。重要な情報とやらは闇の中になり、俺が再びバール村へ派遣されることとなった」
「そこで見たものは?」
ウェルンはある確信を持ってマオに尋ねた。
「普通の日常。外国の田舎村って感じだった。けど、村の外れで俺は無数の人間の骨を見た」
マオは持ち帰ったという頭蓋骨をテーブルの上に置く。
「骨はバラバラで、何体分か、なんてのはわからなかった。だがこの頭蓋骨を見てくれ」
首を斬られていること以外は至って普通の頭蓋骨だが、後頭部には手術の跡があった。
「この傷跡には見覚えがあってよ。……村一番の美人、バルバラちゃん! その子の後頭部にも同じ傷跡があった。妙なもんだなぁ、と思ってさ。ある程度推理はしてるんだが、明確な答えを出す為に持って帰って来たわけだ」
「マオさんの推理は――……もしかして、こうですか。バール村の人間は、全て、人形が成り代わっている……と」
マオは親指を立てる。その通りらしい。
「果たしてジェンが仕入れた情報がそれなのか、違うものなのかはわからねぇけど、収穫はあった。もしそれが事実なら、この世界には」
知らず知らずのうちに人間に成り代わっている人形が、紛れ込んでいるかもしれない。
「そこで私はホープ様に協力を要請したのです。空人形を司るシャドウ・コンダクターであり、人形に関する事件を解決している人形協会の会長に――。それに貴女は、バール村のことについてすでに答えを出されたご様子」
ウェルンは両手の指を絡め、重い口を開く。
「私たちはまさしく、その事件を追っています。犯人は生人形師で間違いないでしょう」
「生人形……か」
「人形師はこの世界に3人存在すると云われています。生人形師、空人形師、死人形師。生人形師は、生きている人間を人形にします。空人形は、架空の存在を人形に。死人形師は死んだ人間を人形に……ゆえに死人形師はネクロマンサーと同一視される場合もありますが」
アダッジョは当然の疑問を投げかける。
「ホープ様。バール村の村人全員が人形として、その仕業は何故、死人形師ではなく生人形師であると確信されておられる? 村人を殺してから人形にした可能性も」
「死人形師には会ったことがないので判りかねますが……マオさんが危惧していた未来はすでに世界中で始まっています。――人形の成り代わり事件として。その犯人が生人形師であることは、遥か800年以上昔から判明していることなのです」
アダッジョは頭が痛いのか、額を抑えている。
「待って下さい。生人形師は影人ですか?」
影人は影人となった年齢から不老不死となる。
「違います。何度か代替わりをしていますが、生人形師は生まれる度に同じことを繰り返すのです」
アダッジョはついに両手で額を覆ってしまう。長らく組織の重鎮の座に君臨していようとも、この事件は類い希なものらしい。
「面白そうじゃん」
マオだけは唯一、面白がっている。
「面白い?」
ウェルンは顔をしかめる。
「長きに渡る生人形師の世界全人口人形化計画を阻止する為に立ち上がんだろ? 腕が鳴るぜ。胸も高鳴る!」
「そう簡単なものではありません。誰が人形か、なんてことは人形を作った本人にしかわかりませんし、仮に人形を見つけられたとしても生人形師の情報を引き出せるわけも……」
「それがよぉ、出来るやつがいるんだよ」
マオは頭蓋骨を人差し指の上に乗せ、クルクルと器用に回す。
「ご対面願いましょうぜ、死人形師サマとよ」
――ベリ。