10節 死の真相
「こんな田舎町に僕を期待させるような人がいるって?」
疑り深い紫遠から距離をとった場所で、世槞は十架にある頼み事をする。
「お願い。紫遠にお母さんに会わせる時、一緒についてきてほしい」
「何故? 家族の感動的な再会の場面に部外者は不要でしょう」
「でも十架はお母さんを作ってくれた恩人だし」
「恩人になりますか?」
「なるなる! そ、それに……私には、墓を荒らしたっていう負い目があって……その……」
世槞は視線をキョロキョロと動かし、言いにくそうにしている。
「はいはい。俺と罪を分け合いたいわけですね」
「ごめん!」
「いいですよ。死人形師として自己紹介もまだでしたから、それも兼ねましょう」
「ありがとうっ」
世槞は十架と共に紫遠を例の部屋へ招き、扉の前でゆっくりと呼吸を繰り返す。
「いい? 紫遠……」
「僕はいつでも。それにしても、随分と勿体ぶるね」
世槞は十架に目配せをし、十架が頷いたところでドアノブを回す。
開いた扉の隙間から漏れる光は、部屋の窓から射し込んでいるものだ。しかし障害物に遮られ、全ては廊下まで届かない。世槞はその障害物に対し、こう言った。
「ただいまっ、お母さん――」
10年ぶりの家族の再会。別れはいつも突然で、心の準備が出来ていないところを襲われる。
あの頃に時間を戻したい。
あの時、ああしていれば、こうしていれば。後悔ばかりが残る。
幽霊でもいいから会いたい。謝りたい。そしてたくさんのお礼を言いたい――。
死者に対し、願う気持ちは数多い。だが、誰もが叶えられないまま自らも死者となる。
しかし、死者に会えるとするなら? また一緒に生きることが出来るなら?
残された人々の悲痛な想いを叶える。それが、死人形師に与えられた役割。シャドウ・コンダクターとしての役割など、些細なことに過ぎないくらい。
現代の死人形師である夕柳十架は、自らも悲痛な想いを抱き、自らの願いを自ら叶えた。そして数年後に十架の前に現れた少女も、同じ想いを抱いていた。彼女の家族も、きっと同じ想いを抱いているものと――驕り高ぶっていた。
「――――っっ」
少女と同じ顔をした少年は、十架が予想する反応を大きく外した。――目を見開き、後退り、うろたえる。世槞が見せた喜びの感情が、微塵にも無い。
「紫遠! 紫遠なのね! ああ……私の可愛い息子」
「――――」
紫遠は目を見開いたまま、母親との距離を保つ。
「昔から世槞とそっくりだったけど……そのまま成長したのね。一瞬、見分けがつかなかったわ、ふふふ」
「――――」
純粋に家族との再会を喜ぶのは、死者も同じだ。10年前に事故で亡くなったという世槞と紫遠の母親は、失われた10年を取り戻そうと努力している。
「し、紫遠……あのね、私……」
世槞は紫遠の腕を掴み、事の顛末を白状しようとする。しかし。
「少し、席を外してくれるかい、姉さん」
低い声で、それでいて反論させぬ凄みで紫遠は言う。世槞は戸惑いながらも従い、部屋を出る。
「ああ、君は残ってくれ」
世槞の後を追って部屋を出ようとした十架を、紫遠は引き止めた。
「…………」
扉が閉められ、世槞が部屋から遠ざかったことを気配で確認するなり、紫遠は優雅且つ素早い動きで十架に振り返った。
(――え)
ピシャリ、と頬に付着する生温い液体。それは時間をかけて十架の顎へ到達し、ポタリと床に落ちる。落ちた液体は、とろりとした真っ赤な色味を帯びていた。
「……どう、して」
十架には理解が出来なかった。世槞があれだけ切望し、十架の理不尽な条件全てを受け入れて手に入れた希望の光。それを、この梨椎紫遠という世槞の双子の弟は、いとも容易く……迷いなど一切見せることなく……
「殺した」
母親を。母親の死人形を。
力無く横たわる母親の顔は笑っている。最愛の息子に再会出来た、その喜びを抱えたまま。
「どうして」
どうして。この言葉だけが頭の中を駆け巡る。
鋭く尖った氷の刃から滴り落ちる血に見向きもせず、十架の瞳を見据えたまま紫遠は言う。
「酷いね、君は」
「……なに……が……」
酷いのはお前だ。どうして世槞の想いを踏みにじった。あんな無邪気で、自分を犠牲にしてまで両親を求めた健気な少女の想いを!
「貴男は!」
「――僕に」
十架は言葉を続けようとしたまま、固まる。紫遠の凍てつくような鋭く冷たい瞳に飲み込まれたのだ。
「酷いよね。僕に、2度も親を殺させるなんて」
???
言っている言葉の意味がわからない。両親は、交通事故で死んだのでは。
「君さ、姉さんとどこで知り合ったの?」
「……墓だ。貴男たちの家の……」
「ふうん。なら、あの墓の状態を見て何も感づかなかったわけかい」
墓の状態。梨椎家の墓は、打ち捨てられた寺の中にある。雨風に晒され、まるで放置されているような――。
紫遠の次なる言葉を聞かされ、十架は身体の芯から震えを覚えた。
「僕と兄はね、両親を憎んでいるんだよ」
どうして、なんてもう言えなかった。それ以上聞いてはいけない。何故だか、強くそう感じたのだ。
「……ったく。墓の場所なんて記憶操作をして消したはずなのに、姉さんってばどこから情報を仕入れたんだか」
汚いものでも見るような目で母親の死人形を見下ろし、処分を十架に依頼する。
「死人形は誤作動を起こし、やむなく処分した――そういう設定にしておいてくれないかな。死人形師の夕柳十架さん」
「…………」
頷くしかない。もう、それしか出来ない。
「姉さんに親は必要ない。僕と兄がいる。いや、僕だけで十分だ」
「…………」
「だからさ、邪魔、しないでよね」
「…………」
十架は両手の平から伸びる黄金の糸を母親の遺体に巻きつける。肉体の消失を図る為だ。母親が確実に始末される様を見届けた後、紫遠は納得して部屋を出る。開けた扉を閉める際、独り言のように呟かれた言葉を聞いてしまい、十架は激しい吐き気を覚えた。
――なにが可愛い息子、だよ。僕と姉さんを殺そうとした張本人が。
部屋に1人になる。未だ残る母親の血があまりに鮮やかで、十架は口を押さえてうずくまる。
血の上には、朽ちかけた母親の骨。
“……大丈夫? 十架サン……”
おそらく、世槞は殺されかけた記憶を抹消されているのだ。でないと、両親の人形を求めるはずがない。
「俺は……」
世槞の中には、両親との楽しかった思い出しか残っていない。しかし、紫遠の中には――。
「不可能だ」
“十架さン”
「あの弟から姉を奪えるはずがない。世槞を想う気持ちが、俺とは桁外れに違いすぎる」
世槞を好きなのは自分も同じ――とんだ驕りであった。
逃げるようにその部屋を飛び出した後、十架は窓から宿の中庭を見下ろす。そこには偽りの事情を世槞に説明する紫遠の姿があった。
世槞はわかりやすくショックを受け、母親の元へ行こうと走り出す。しかし紫遠がそれを許さず、捕まえて少し強引に抱き寄せていた。嗚咽を漏らして泣く世槞の背中を優しく叩き、再び親を亡くした悲しみを共有するフリをする。
(俺がしたことは、一体なんだったのか)
世槞を再び悲しみの底に叩き落とし、紫遠には再び親殺しをさせた。
「帰ろうか、僕らの家に」
紫遠の首筋に顔をうずめながら、世槞はゆっくりと頷いた。
目を赤く腫らせた世槞が、十架の元へ来る。横腹の傷はすでに手当てされていた。
「ごめんね、十架には……なんだか申し訳ないことをしたわ」
「……いえ」
「お母さんの骨が古すぎたのが原因かもしれないんだってね? だとしたら、お父さんの死人形を作ったとしても同じ結果になっちゃう可能性がある」
残念だけども、両親の死人形は諦める――世槞は、悲しげに笑いながらそう言った。
「あ、もうすぐ出発の時間だ。私たちの故郷に帰らなきゃ。生人形師は無事に拘束出来たし、任務は無事完了ね」
マオと紫遠が待つ町の外れへ向かおうとした世槞を、十架は呼び止める。
「そういえば――ウスバカゲロウの幼虫が始末された後、蟻地獄からこれが出てきました」
十架は内ポケットに隠し持っていた砂まみれの小型機械を世槞に差し出す。世槞はそれを見るなり、慌てた。
「その反応は……なるほど。通信機は誤って落としたわけではなく、故意に」
「しっ、紫遠には言わないで!」
世槞は十架の手から通信機を奪い取り、いつもの騒がしい調子でそう言った。十架は苦笑しつつも、心のどこかで安堵する。
「言ったりしませんよ。絶対に」
「うう。また弱味を握られた。どうせまた、言わない代わりの交換条件とか出してくるんだろ」
十架は目を丸くし、愚かな我が身を振り返った。
「出しません。もう必要も無い」
世槞を手に入れることが不可能だと思い知ったから。
「ほ、本当……?」
「ただ……もし次に会うことが出来たら、また抱きしめさせてください」
にっこりと微笑む十架の本当の気持ちに気付くことなく、世槞は冗談を交えつつ了承する。
「またか……。お前、そんなに私のことが好きなの?」
「はい」
「紫遠よりも?」
「そう願います」
世槞は渇いた笑いを漏らし、ベンチに座る十架の視線の高さまで腰を落とす。
「でも、次と言ってもいつ会えるかわからないから」
陽の光に反射する白い手を広げ、慣れない動きで十架を抱き締める。
「……ずるいですよ」
自身も両腕を世槞の背に絡め、儚い楽園に身を委ねる。
――この決定的となる瞬間に、夕柳十架の世界は破壊されたのだ。




