6節 生人形師の正体
町を4人で歩いていた時である。立ち止まったウェルンは、後ろを歩いていた世槞の頬を何の前触れもなく、引っ叩いた。
「痛っ……」
「この程度の痛み、あんたが私たちにしてきたことと比べたら、どうってことないでしょう!!」
突然の怒声。女性特有の金切り声は、周囲からの注目の的だ。
「なんだよ突然! 自分たちが納得して私に従ってたんだろうが!」
負けじと反撃する世槞。マオは世槞を宥め、十架はウェルンを宥める。
「もういい! お前らとの契約は今日限りで解消だ! 勝手に地獄に落ちやがれっ」
持っていた書類を地面に叩きつけ、マオの手を振り払うと、世槞は1人、仲間たちから離れて町の裏通りを進んだ。
“迫真の演技でしたね”
町の出入り口を潜った時、シャドウが声を出す。
「なんだか設定では、有能だけど手段を選ばない詐欺師が、お金に困っている3人の家族と手を組んでメキシコの経済をひっくり返す……とか、やたら凝ったやつだった」
とはいえ、詐欺師役が世槞というのは、なかなか無理のある設定であった気がしてならない。
「これに生人形師が引っ掛かってくれるといいけど……」
町から離れ、砂漠地帯に入る。どこを向いても同じ風景の砂漠は、仕切りの無い迷路と同じだ。
“世槞様、これから本当にご両親と共に暮らすおつもりなのですか”
シャドウは、主人の顔色を窺うように尋ねる。
「え。なんだよ今更。羅洛緋も同意してあの夜、行動を起こしたんじゃないの」
“確かに同意はしました。両親に会い、それで世槞様の気が晴れるなら……と。しかし、一緒に暮らすとなるならば話は別です”
世槞は立ち止まり、己の影を睨みつける。
「なんで家族が一緒に暮らしたら駄目なんだ? あの日、無くしてしまった日々を取り戻せるんだぞ? 大切な人には幽霊でもいいから会いたいものじゃないか」
“10年が、経っています。貴方がた兄弟は両親がいない現実を受け止め、この世界を生きてきました。両親がいないからこそ、生まれた絆もあります。それを今更破壊し、10年前に戻ろうというおつもりですか。いや、戻れるはずがありません。確立された現在の生活に両親という異物が混入し、乱れが生じるだけです”
「異物? 私たちのお父さんとお母さんを、異物だって言うのか、お前は」
所詮、覚醒した時に声を出し始めたやつが何を知ったような口を――。頭に昇る血は、接近する気配の姿を打ち消していた。
“世槞様!”
陰に覆われた頭上を見上げる。この広い砂漠で獲物を見つけた<6本足の甲虫>は、大きな口から粘液を絞り出しながら、ニヤリ、と笑っていた。
「これ……生人形じゃない!」
鋭く尖った足が振り上げられ、勢いよく世槞の身体を狙う。身を翻して避けながら、甲虫型の影人の身体から透明の糸が煌めいているのを見る。
(操ってる……オクトパス型の時と同じように)
どこだ。どこにいる。
障害物の少ない砂漠では、隠れられる場所など限られている。
“世槞様”
「影人は任せたぞ、羅洛緋!」
漆黒の扉を開いて表世界へ堂々たる出現を果たしたケルベロスは、身の丈10メートルの甲虫型影人に挑む。
世槞は目を凝らし、糸を辿って走る。
(そこか!)
岩の陰からピンと伸ばされた糸が、上下左右に動いている。
「見つけたぞ、生人っ……」
“――させないわ”
岩とは違う方向から仕掛けられる、何者かの攻撃。世槞は即座に上体を倒してそれを避け、正体を見極める。
「お前――」
粗末な短剣を手に、華奢な身体を必死に振り乱す少女。これが生人形師の正体なのか。いや。
「お前、生人形師のシャドウだな」
目を疑う光景だが、これが事実だ。
栄養失調が浮き彫りになった細い身体、窪んだ目、すぐに破られそうな弱い構え。
少女は劣勢に追い込まれている甲虫型を目視するなり、小さな悲鳴をあげて岩陰に滑り込む。世槞はその後を追い、岩陰を覗く。
“ギーラ! もっと他の影人を呼び寄せてっ。このままじゃ……ヒッ”
世槞と目が合い、息を飲む少女。少女は岩陰にいた年端もいかない<少年>を素早く抱き上げ、駆け出した。甲虫型を操っていた糸はすでに切れ、羅洛緋が勝利の雄叫びを上げている。
「どういうこと……」
年齢でいうと9歳くらいだろうか。世界に危険を及ぼすものと判断し、人形協会と組織が協力して始末に乗り出した生人形師が、まさかこんな幼い子供だったとは。シャドウもシャドウで、弱々しすぎる。
“世槞様。また影人を操られる前に始末を”
甲虫型を始末した羅洛緋が世槞の元へ舞い戻る。
「あ、ああ……」
生人形師とシャドウを追い、砂漠を疾走する。
「待て!」
そう叫んで止まるはずもなく、世槞は仕方なく追い付いたシャドウの足に蹴りを加え、転倒させる。
シャドウはまるで自分の子を 守る親のように、我が身を盾にして生人形師を衝撃から遠ざける。
その姿を見て、世槞は下唇を噛む。
(なんなのよ……)
これではまるで、自分が悪者じゃないか。
“世槞様、世界の敵に対し、情け容赦は必要ありません”
わかっている。わかってはいるのだが。
「ねぇ、どうして人間を人形にするんだ」
ずっと聞きたかったこと。殺すことは簡単だ。その前に疑問を解消しなくては、いつまでも世界の痼りが取れない。
生人形師の少年は、涙声になりながらも、倒れている少女の身体を必死にゆする。
「ブラッディーノ、ねぇ、ブラッディーノ……」
ブラッディーノという名のシャドウは、ゆっくりと上体を起こし、少年を抱き締める。
“大丈夫。大丈夫よ……私が護るから”
そしてギョロリとした眼を動かし、世槞を睨む。
“計算違いだわ。お前、なかなかやるわね。マルケイスの町をふらふらと歩いていた時は、簡単に殺せそうだったのに”
事実、世槞の髪の毛は簡単に手に入った。これが油断に拍車をかけ、作戦通りに生人形師は誘き出される結果となった。
「……甘く見られたものね。しかし計算違いはこっちの方だ。800年も前から恐れられている生人形師のシャドウが、まさかこんなか弱い女だとは……。いや、イマジネーションでわざと弱々しい姿にしているだけ?」
しかしあの幼い生人形師にそこまでの知識と計算高さがあるようには思えない。覚醒時に初めて召喚された時のまま、変えていない可能性がある。
「初めて召喚されるシャドウの姿は、その属性の先代使い手が望んだ姿で現れるそうだ。お前のその姿は、先代生人形師が望んだものなの?」
ブラッディーノは世槞を睨みながら言う。
“違うわ。私の姿は、初代生人形師の時代から変わっていない”
「そう。初代生人形師はよくわからない人物だな……」
しかし次なるブラッディーノの言葉に、世槞は絶句する。
“私の父よ”
「……なんて?」
ブラッディーノは少年の頭を優しく撫で、「大丈夫」の言葉を繰り返す。
“いいえ、正確には……私のモデルとなったポーシャの父ね”
「話が、見えないんだけど」
ブラッディーノは視線をゆっくりと流す。
“……見えなくて結構! 見る必要も無いわ!”
少年が右手を振り上げた。戦意を喪失しかけた隙を見ての攻撃。世槞は脇腹の肉を接近していたトラ型に食い千切られ、飛び散った血をブラッディーノが片手に掴む瞬間を視界に捕らえる。
「しまった!」




