知りたい名
「あ、有り難う」
瞬いて俯いた。栗毛に乗り、易々と方向転換させる。
「夕凪も…式神も早くしろよ」
先に行った千柚に追いつくべく、どんどん進んでしまった。
蝶彩は鐙に足を掛けて白毛に跨る。手綱を右手で持ち、馬上から左手を青に差し出す。
「引き上げてやろう」
「おぉ、蝶彩ちゃんは優しいね」
掴んで力を入れて引き上げた。
「落とされぬように気をつけろ」
「分かってるって」
腰には両腕がしがみついている。体温が感じられ、今は密着状態だった。
「私にくっつきすぎだ」
「堅い事を言うなよ。離される前に急いだ方がいいぜ」
「分かっておる」
白毛が歩き出す。蝶彩は眉間に皺を刻み、調子のいい青が鼻歌を歌う。
絶え間なく蹄は動いて鳴り響き砂埃が舞う。
進行を速める度に馬上は揺れた。乗馬に慣れていない自分が、疲れる事は分かり切っていた。
見渡す道はどこまでも木々が生え、これまた長い長い道が続く。
飄々と吹き出した風で一斉に木の葉がざわめいた。かさかさと互いに触れ合い音を鳴らす。
どこかで鳥が高い鳴き声を上げた。それを合図として複数の鳥が鳴き始める。途切れず鳴き続ける様は不気味だった。
「貴様は私に、教えてくれぬのか……」
胸中で蟠る思いを伝えた。
「急に何を言うんだ。汝は何を教えて欲しい。知りたい?」
しゃらしゃらと鳴る鈴の如く青は軽やかに笑う。
蝶彩が知りたい事を察している上で誑かす。性根が悪い。
「もうよい」
それ切り口を噤んだ。
あの時、彼は遠い過去を少しだけ話してくれた。これ以上自分の過去に蝶彩が、踏み込む事が許せないのか、詳しく話す行為を頑なに拒んでいた。
射干玉のように黒い髪、人を惹きつける黒い瞳。名は知らない少女。
いつか本人の口から名を話して貰えたらいいと思う。
それが実現するのは近い日か。否、遠い日になるのかもしれない。
手綱を強く握って前方に注意を向けた。先を行く千柚と章来の背中が見え、距離は縮まっている。
未だに青の考えも心も全て読めない。底のもっと深い奥底に思いや感情を隠していた。
「悪い……」
「何ゆえ、貴様は私に詫びるのだ?」
蝶彩に素直な詫びを入れた。その行為自体が稀だ。
今度は逆に青が口を噤む番だった。沈黙だけが降り積もる。
「詫びるな。調子が狂う。この馬鹿者」
小さな声で叱咤を飛ばし、少女は苦々しくしんみりと笑った。
程なくして追いつき、二人と合流した。
先頭には黒毛に跨る千柚。少し後ろを栗毛を進ませる章来。
ちらりと一瞥した少年は密着している、蝶彩と青を見て頬を引きつらす。沸き上がる怒りを抑えた。
「式神、夕凪が迷惑そうだ。密着しすぎだ!」
「黒髪の目は節穴か。どう見ても蝶彩は、嬉しそうだろ」
左手を首に回す。青は面白半分に真珠のような頬を突く。
「顔が見えていないにも拘わらず、ふざけおって……。私の顔は貴様が申した、戯言とはかけ離れておるぞ」
「またまた、ご冗談を」
先刻の素直さが嘘だったように跡形もなく消えている。
頬を突く暇潰しに飽きて、今度は少女の髪を触った。気が散る。
「私の髪に触れるな」
「いいだろ。別に」
手綱を離す訳にもいかず、後ろを向く訳にもいかず、嘆息を漏らした。不快感に苛まれる。
どうにもならない状況に章来は、険のある顔で唇がへの字だ。
千柚はそんな三人に構う素振りもなく、黙々と先導し続ける。背筋はしゃんとしていたが、どこか悄然としている。




