喜色
「お気になどなさらず、私は大丈夫です」
「いけません。微量な毒でも体内を侵します。痺れを感じているのでしょう」
手は毒の所為で痺れている。命には別状はない。少なくとも確実に毒はじわじわと体内を侵す。
「単なる痺れ如き、心配には及びませぬ」
「夕凪はもっと自分の事を大切にしろ。人を頼れ。人に迷惑をかけてもいい」
真っすぐな瞳に直視され、不覚にも蝶彩は章来から目が離せなくなった。今の彼は此方だけに意識を向けている。
「よもや、貴様に説教をされるとはな……。心配しておるのか」
「違う。そんなんじゃない!」
両目を見張り、視線を泳がせた少年は動揺する。手で火照った顔を覆い隠して俯く。
「大切な所で素直さが足りない。でも、顔は素直だね」
「黙って下さい」
「おぉー。怖っ」
愛弟子の髪を面白半分にくしゃりと撫で、不愉快なのか弟子は師匠の手を払い除けた。
「僕が毒を抜いて差し上げましょう」
物柔らかに笑み、千柚はためらいなく傷口がある、蝶彩の指をくわえた。
さらっとやってのける男に、衝撃と唖然が隠せず章来は頬を引きつらせて固まる。
望ましくない状況に青は口元を歪めた。
手の甲に二本の指を走らせ、千柚の妖力が体内を流れる。
何とも形容し難い奇妙な感覚だった。
口に含んだ毒混じりの赤黒い血を吐き出した。
蝶彩は嘘のように痺れが消えた手を握っては開く。
「傷は自然治癒に任せますが、蝶彩の願いならば喜んで治します」
左右に首を振り、「御厚情、有り難く存じます」と誰にも引けを取らない笑みを浮かべた。
「心底から感謝をして頂き、とても嬉しいです」
笑みの虜になった千柚はうっとりと、白い頬に触れようとする。
透かさず少年が師匠の脇腹を存分に鞘で突く。
「男の嫉妬は見るに耐えないよ」
痛みで涙ぐむ。脇腹を押さえて「まぁ、未熟な童だから仕方ないか」と呟き、鼻を突っつく。
「馬鹿師匠、僕は未熟な童ではありません!!」
「何ゆえ、貴様は怒っておるのだ?」
「別に怒ってなんか……」
当然ながら蝶彩にはどうして彼が嫉妬を抱き、更に不機嫌な理由も分からない。
頭には一刻も早く山を下る事と、少しでも早く都に近づく事、その二つしかなかった。気は急いていた。
「焦りは禁物です。落ち着いて気を穏やかに。僕が疾風の如く山を下りて見せましょう」
焦りを見抜いた千柚は、瞬く間に蝶彩の肩と両足を持ち上げて横抱きにした。
驚いてしまい即座に声が出せない。
「お離し下され。綺羅様」
「そう言われると、離したくなくなります」
狡いめいた笑みを口元に作り、少女を抱えたまま高く跳ぶ。
大木が密集する場所を物ともせず、足場を見つけて素早く跳び続けた。
山の頂からおさらばし、短歩術を使って下り道をどんどん進んで行く。
蝶彩は静かに黙っていた。
誰かの身に委ねる事は決して悪くはない。しかし、それはダメだと抵抗する自分がいた。人に甘える行為が下手だ。故に頼れないのだ。
ちらりと横顔を窺うと千柚は、喜色満面でいかにも楽しそうである。
その横顔は不思議と焦りを忘れさせてくれた。
「今度という今度は、許しませんからね!!」
我を忘れて章来は湧き上がる怒りで叫んだ。
既に千柚の背中は遠く小さい。すぐに大木に紛れ見えなくなった。
「長髪は実に気に障るな。あの世へ送ってやろうか?」
青の冗談には聞こえない物言いに、「師匠でなければ、あの世へ送っている」と本心から出た言葉を吐いた。
両手で蝶彩を抱え込む、千柚を思い出して苛々する。
「おぉー。怖っ」
「師匠の真似をするな!」
章来の頭をぽんぽんと青が叩く。蹴りを入れても悠々とかわされた。




