出発
三人を玄関先で待たせ蝶彩は寝間にいる。
古い引き箪笥、書棚、文机。生活に必要な物が置かれ、飾り気なく整然とする。
着物を脱ぎ、代わり映えしない藍染の狩衣に身を包む。
幼き頃から少女は藍色を好んで身につけていた。理由は心が落ち着き安らぐ。自分の髪と瞳が藍色だからだろう。
髪を梳かして結い直し櫛を仕舞った。
左右の手には黒い手甲、足元は真新しい足袋。首には清輝から貰った黄色い水晶の数珠を下げる。
懐と袂に数十枚、呪符を入れた。普段は使わないが鍔のない短刀を懐に忍ばせ、どこかで役立つ可能性はある。
夕村は山麓に位置する為、六晶都に行くにはまず麓から登り、頂まで到達しなければならない。
頂に到達したら山を下るだけで、後は長い都までの道のりが待っている。
蝶彩は千柚に食料をどうするかと尋ねていた。「心配はいりません」と笑っていたが、些か不安が胸中に残る。
寝間を出て板張りの廊下を歩く。
どんな物よりも大切な数珠。ぎゅっと握り締めた。
妖力を体内に流して印を結ぶ。手で三角形を作った。
脳裏に自分の姿を思い浮かべる。できる限り鮮明に徐々に変貌させていく。
「想を実とし、我の姿を変えよ」
眩い妖力が周りで渦巻き、風を湧き起こす。
藍色の瞳は鋭さを増し、容貌から艶やかさが影を潜める。少女の時よりも背は幾分か高くなり、きりりとした美麗な少年に変じた。
玄関の戸口を開ける前に振り返った。見納めた訳ではない。
ここへ再び戻って来る。帰って来るのだ。
愛用の草履を履き、戸口を開けた。一斉に三人の視線が纏わりつく。
千柚が「変術」と呟き、何故か喜色を漂わす。
外の空気を吸い、不愉快に思いながらも無視した。
当の本人は気づいていないが、集まる視線は単に皆、見惚れているだけだ。
いくら艶やかさが影を潜めても少年の姿は、十分な程人を夢中にさせ魅惑的だった。
「汝は変術が好きだなぁー」
歩み寄る蝶彩に青は近づき、覗き込むように顔色を窺う。
「私の勝手だ。道中で足手纏いにはなりたくないからな。端からなるつもりは毛頭ないが」
少女の高い声質は少年特有の声質になっていた。冴えた美声である。
「蝶彩ちゃんのそういう所、俺は結構好き」
好きと言われても特に恥じらう気色さえなかった。
「私にちゃんは不必要だ。狂言を申すな」
青の額に珍しく弾いた指先が当たった。大概避けられるのだが、逆に当たると此方が拍子抜けしてしまう。
「痛い!」
「済まぬ。当てるつもりはなかった」
平然と謝る蝶彩を青がぶすっと睨む。
「式神、ふざけすぎだ。軽々しく好きって言葉を口にするな」
章来は不機嫌な彼に構わず、一方的に捲し立てた。
「黒髪は本当に律儀だな。花も恥じらう蝶彩に美しいだの好きだの、一言か二言か試しに囁いてみろよ。少しは愛らしく頬を染めるかもしれない」
「い…言える訳がないだろ。そんな容易く……」
恥ずかしさで顔を火照らせ俯いた。
「どうした?赤くなちゃって」
「青、章来をからかうのはよせ」
「俺の勝手だろ」
機嫌が悪い様を見て蝶彩は根に持たれたと悟る。
やはり幼稚だ。密かに心中で呟く。
気にせずくるりと背を向け、「お待たせして申し訳ありませぬ」と千柚に頭を下げた。
「いえいえ、蝶彩は変術が使えるのですね。常の時と同じくお美しい」
変術で容姿は変わっていても中身は少女だ。依然として口調は丁寧である。
「まず山の頂まで登り、そこから下らなければなりません。その後はどうするのですか?」
現在、疾うに白昼を過ぎていた。時刻は未の刻で何も起こらなければ、夕暮れ時よりも前に山を下れる。
山道は有効的に馬が使えない所為で不便だ。足場が悪い上に登り下りで時間を食ってしまう。
生きている馬には当然餌と水が必要だが、何よりも気がかりな要素は妖に襲われやすくなる。




