捨てた哀れみ
「綺羅千柚という」
蝶彩と目が合った章来は、たじろいで目線を下げる。頬を紅潮させ、小さな声で話した。
そんな様子には気づかず考え込む。
綺羅千柚、陰陽寮の者に違いない。二人でわざわざ来た理由は一体……?目的が読めなかった。
思考を中断させ、膝を折り屈み込む。
「どうか面を上げて、下さいませ」
声に反応して千柚は俯いた顔を上げた。魅惑的な藍色の瞳に見据えられ、息を呑み瞬きを忘れる。
「私は長い髪が綺羅様に、とても似合っていると思います」
「本当ですか!?」
「はい、嘘ではありませぬ」
ぱっと顔色が明るくなる様は少年のようだ。
「師匠が図に乗る」
章来は頭を押さえ、渋っ面で青は笑いを噛み殺し眺めた。
「お嬢さん。お名前は?どうしてか愛弟子は、全然教えてくれなかったのです」
「教える訳がありません。名前を教えれば、こうなる事は分かっていました」
千柚は蝶彩にうっとりと見惚れ、弟子の声が耳に入っていない。
少年は「馬鹿師匠」とげんなりする。
「黒髪が長髪の愛弟子……。お可哀相に」
「可哀相は余計だ!」
嫌みたらしく同情して、嫌みな同情はいらないとつんと横を向く。
二人の関係性は出会った当初から、どこか険悪で憎まれ口を叩き合い、馬が合っているとは言い難い。
「貴様等は相変わらずだな」
小さな声を零し笑う。
すると、
「笑うな!!」
少女を睨んだ二人は息ぴったりに返してくれた。
「それでお名前は?」
「姓は夕凪、名は蝶彩と申します」
「素敵なお名前ですね」
千柚が蝶彩の頬に馴れ馴れしく触れようとする。
「師匠、これ以上の戯れはよした方が身の為です」
低い声色で物申した。
「……まあ、落ち着いて章来。僕は君の師匠だよ。喉元に刀先を突きつけないで」
降参のしるしに両手を上げた。
それを見て少年は素早く抜いた長刀を鞘に納める。
「実は夕凪に頼みがあってここへ来た」
目的の一つが頼み事だとしても、まだ隠された何かがある。少女は直感的に感じるものがあった。
「ここへは時越えの術を用いて来たのか?誰が術を使った。陰陽寮の者が扱えるのか」
問いに章来は答えるべきか逡巡した。
「蝶彩は二つの気配を感じ取ったようですね。それは追い追い話しましょう」
すっと立ち上がり、千柚は蝶彩の手を握って立たせてくれた。
今までとは異なる顔つきで、瞳には妖しい影が踊った。
これが、この男が持っている鋭利な性質。人と妖を威圧する力だ。
「綺羅様は強さの為、何をお捨てになられましたか」
分かりきった馬鹿げた問いを投げかける時ではない。だが、気づけば勝手に口から、止めようもなく言葉が出てきたのだ。
「僕が捨てたものは――」
耳元に口を寄せてはっきり答える。
「哀れみ」
千柚が捨てたものは妖に対する哀れみだった。〝人〟ではない〝異形のもの〟への慈悲心。
確かに妖を退治する陰陽師には、不必要な感情だろうと考える一方で納得し難い。
本によいのか。哀れみを捨てて……。
「甘い。汝は甘すぎる」
思考を読まれていた事に腹を立てる、間もなく蝶彩は青に引っ張られる。
「立ち話も何だろ。彼奴等を客間に通して話せばいい」
「何ゆえ、怒っておる?」




