終と始
歩き続けて数分が流れた。
木の葉がさざめく音と時折鳥が鳴く声は、暗闇の中で不気味さを増す。
「もし汝が風邪をひいた場合、責任を持って介抱してやるぞ」
「結構だ。風邪をひくつもりは毛頭あらん」
「これでもあの起こし方はやりすぎたと、深く反省をしてるんだ」
青の目を見て直ちに蝶彩は言い放つ。
「嘘は感心せぬ」
「ちょっとは悪かった。その気持ちに偽りはない」
「どうやら口振りから察して真意のようだ」
唇の形がへの字になり疑うなと視線を刺した。余程、不愉快らしく機嫌を損ねる。
機嫌がよくなるまで口を開かなかった。
「なぁ、蝶彩」
青は少女を呼び、どうしてか口唇を吊り上げ頬を指差す。
「虫にでも刺されたのか?」
眉の間を縮め瞳を凝らし訝る。
「刺されておらぬではないか」
それらしき痕はなく、むしろ痣が気になり目立つ。
「汝は馬鹿だろ」
急に侮辱され耳に障る。
「貴様に馬鹿呼ばわり……」
背中に手が回り、突然ぐっと引き寄せられ、言葉の先が話せなかった。
自然に青が蝶彩の唇へ自分の唇を重ねた。至近距離で藍色の瞳と青色の瞳、視線と視線が絡み合う。
「俺に心配と迷惑をかけた罰だ。どれだけ心を悩ませたと思っている」
即刻頬に添えられた手を容赦なく払い除けた。「この不埒者め!!」
凄みを帯びた声音には怒りがある。唇を拭う蝶彩は忌々しく思い、無意識に歩調が速まった。
不覚にも鼓動は高鳴って青の行動は少女を驚かせる。
闇が広がる遠くの方を睨み、艶やかで美しい容貌を歪めた。
「あれ?もっと取り乱すかと思ったのにな」
残念がる青は蝶彩の行く手にひょいと躍り出て遮った。
「許し難い低俗且つ不埒な振る舞いなんぞで、私は断じて取り乱さぬ」
「ふーん」
しつこい程じっと見つめてくる。拗ねた顔なのは気の所為か。
「彼奴の甲にお礼と称した口づけをして、俺に何もないのは不公平だろ」
「あれは謝意と敬意を込めたものだ」
まじめに答えた。柳眉が寄り構わず足を踏み出す。髪と袂を揺らし振り返る。
「後にじっくりと聞かせて貰うからな。貴様の過去を」
意表を突かれ降参して両手を上げ、「はい、はい。約束はお守り致します」と言う。
さあっと一頻りに風が吹く。濡れた着物に当たる風はより冷たい。
前髪を掻き上げ、少女は白妙が耳元で囁いた言葉を心中で呟く。
白妙は偽りを口にしていない。あれは真だ。
静寂が降り積もる中、二人は黙々と互いの存在を感じながら歩いていた。 静かな空間に青の落ち着いた声が響く。
「蝶彩」
一度目に呼んだ時と比べて真剣である。
「何だ?」
「血を流した汝はもう見たくない」
息が詰まるような物悲しい気配が辺りに漂う。
言葉を発するのをためらわせた。
「……私と共にいれば、血を見続けるであろう」
蝶彩は陰陽師だ。妖と交えている限り、血は避けられぬ。常に死と隣合わせ、それが妖を退治する人の生涯、陰陽師というものだ。
死はとてつもなく恐ろしい。誰かが戦わなければ消える命がある。それなら迷わず戦う。
「俺が守る……。守ってやるよ」
気づけば柔らかに囲まれた片手の中で、彼は照れ隠しに、ころころと楽しそうな笑声を漏らす。
「頼もしい言葉だな」
「汝との約束だ。これからはどんどん俺を頼れ」
首に回された手を外そうとする。試み虚しく力が強い為外れない。
蝶彩はこれがなかったら、誉めていただろう。
不快さと呆れに近い憤りが込み上げてくる。
完全に青は楽しみ面白がる。「あの時、白い奴は蝶彩に何と囁いた?」
面白がり戯れているかと思えば、ころっと真剣になり、的を射抜いた鋭い問いする。
蝶彩は青の手を外す行為を諦め、ゆっくり話し始めた。
「白妙は私にこう申した。『あの小僧は生きている』と……」
運よく月夜に助けられ生き長らえ、意識のない少女を流れ陽陰と偽り、興味本位で白妙が助けた。
冠世が死んだ瞬間を目にして、清輝が死んだ瞬間も蝶彩はしっかりと見た。鮮烈な記憶が残る。
血は迸り命は噴き出す水の如く、徐々に弱まり無くなった。
生きているはずがない。明らかに、確かに、完全に命を失っていた。
あの日から数日が経過した後も、二人が死んでしまったという、残酷な現実を受け入れられずにいた。
悲しみに飲まれて現実を否定した。
それ故、二人が死んだ場所には近寄らなかった。否、一切近寄れなかった。
蝶彩自ら死体を手厚く、地へ葬ったわけではない。亡くなった事を夕村の村人達に伝え、皆早すぎる死を悔やんだ。
代わりに直接亡骸を地へ葬ってくれたのだった。
幼い少女を気遣い、誰も二人を葬った時の事を全く話さなかった。
実際に埋めたのは二人ではなく一人、冠世だけだったのかもしれない。
「清輝とはいつか再び、どこかで相見えるだろう」
「汝は会いたいのか」
「叶うのなら明日にでもな」 恐らくいい巡り会いはできない。あくまで推測まじりの直感だ。
手を握り締め、口をきゅっと引き結ぶ。
「俺もそいつに会ってみたい」
「貴様は気楽でよいな」
できた隙を逃さず蝶彩は青から離れ、捕まえようとした手からも逃れる。
間抜けにそう何回も捕まる気はない。
「酷いなぁー。蝶彩ちゃん。俺の隣がそんなに嫌か?」
不服そうな顔でかなりご不満のようだ。
「ちゃんはいらぬ。私に触れすぎだ。馴れ馴れしい奴は好かん」
「ただ親しみを込めて接しているのに、貴方は馴れ馴れしい、好かんと申し上げるのですか。あぁー。なんと、嘆かわしい」
大袈裟な身振り手振りで流暢に話す、青の面持ちは悲痛である。
細やかな表情は巧妙な演技。質の悪さが存分に発揮される。
「一生のお願いです。私の隣へ戻って下さい」
手を合わせ懇願した。
「巻き込むな。一人で戯れに励め」
「冷たい主様だ」
髪を掴むはずの手が空を掴み、次も油断なく躱す。
「貴様はまじめ、誠実、真面、真剣という言葉を知らぬのだな……」
「その言葉を聞くだけでむず痒くなる」
しかめっ面を作り青が腕を掻いた。 調子がすっかり狂わされ、困惑顔の蝶彩は腕を組み無辺な夜空を仰いだ。瞬く星は一つも存在しない。
脳裏には清輝の姿が浮かび、歳月が経っても色褪せずその姿は鮮明で、はっきり記憶にある。
譬え少年が自分に牙を向いたとしても、もう一度会いたい気持ちは変わらず胸にある。思いは募り強くなる一方だった。
「清輝は生きている……」
蝶彩の囁きは静かなる闇へ消えた。事は終わりを告げ、再度新たに始まったのだ。




