迎え
二人の背中が次第に遠ざかって行く。
章来はぼんやりと立ち尽くした状態でいた。
顔と体が火照って熱い。
握られた手の感触、甲に口づけされた彼女の唇は柔らかく、思い出すだけで鼓動が速くなる。胸の奥が狭まるようで息苦しい。
僕の為だけに微笑んでくれた。
今度会った時、真面に顔が見られそうもない。
「夕凪はただの礼だと言った。深い意味は……」
あわよくばあって欲しい。そんな考えが脳裏を過ぎる。
「何を言ってるだ」
気恥ずかしくなり、穴があれば入りたくなった。
蝶彩はただの礼としてやった行為。恋愛感情を抱いているのは一方的で、章来を好きになった訳ではない。
それはそれで残念だが。
頭を振り払い、森の中を歩き出す。もう彼女の事は考えまいとしたがダメだった。
こんなふうに人を好きになった。少女が初めてだ。
つい最近まで男だと信じていたので、女だと知らされ驚いた。
変術は完璧だった。いつ会っても少年姿の蝶彩で凛々しく妖退治をしていた。勝負を挑んでは巧みな具合に回避された。
好きな人はいるのだろうか。
「先から何を考えて」
身体の火照りはいくら待っても静まりそうにない。
彼女の微笑みが脳内を占めている。すっかり惚れ込んでしまった。 前方から蹄の音が近づいて来た。馬が此方に駆けている。
手綱を引き絞り、馬を止めた。
男は話しかけてくる。
「迎いに来てあげたよ。感謝して貰いたいな。章来」
髪は女のように長い。目尻には泣き黒子があり、妖しい色気がある。
身なりは珍しく狩衣を着ていた。
型にはまるのを嫌う。狩衣も着用するが、日によってただの着物や直衣、水干、羽織袴。自由な服装だ。
「六晶都からここまで来るのは大変なんだ。術を上手く使えば時間は短縮できるけど」
この馬も術を用いて具現化している。餌、水を必要とせず疲労を知らない。
「嫌みですか」
男の名は綺羅千柚。陰陽寮の陰陽師。女色を人より好む難点がある。
「弟子なんだから、僕の嫌みくらい聞き流せ」
「生憎、心が狭いので無理です」
千柚は章来の師匠だ。自ら志願して弟子入りした。
新しく術をつくる才能は並外れて凄い。
「数多の夜はどうだった?」
「それはもう最悪でした。妖がうじゃうじゃいましたから」
分かり切っていたが尋ねる。
「師匠はどうでしたか」
「同じく最悪だった」
今更ながら数多の夜が終わったんだと実感する。日は疾うに昇っていた。 異形共に加え、強い犬現を退治した。きっと一人だったら倒せなかっただろう。
三人が力を合わせ戦ったからこそ倒せたのだ。
皆の力で退治できた事が誇らしい。
青が蝶彩のいた幻術空間を見つけ、二人で破る事は困難を極めた。
結界が何重にも張り巡らされていた。一気にかなりの妖力が消耗してしまった。
どうにか綻びをつくり、青に全てを任せた。
血塗れの少女が現れた時は、心臓が鷲掴みされた錯覚に陥った。
落ち着いて思考すれば、泣いたのは情けなかった。しかし、涙が止まらなかったのだ。
月夜が彼女を癒してくれてよかった。
少年は座り込む。精神的、肉体的にも疲れている。
「お疲れのようだね。大丈夫じゃなさそうだ」
わざわざ馬から下り、師匠が覗き込んできた。
「休憩してもいいですか」
「いいよ」
弟子の隣に腰を下ろす。
「肩を痛めたみたいだな」
「何で分かるんですか」
見破られてむっとなり横目で睨む。「師匠が弟子の状況を理解できて当然だ。寮に帰ったら早速、特製の湿布を作ってあげよう」
無言のままだと黒髪をくしゃくしゃに掻き回される。
「素直に『師匠、有り難う御座います。一生ついて行きます』と、気が利いた事を言えばいいのに」
「もしかして、声真似をやっていましたか。似ていませんし、下手ですね。死んでも『一生ついて行きます』は言いません」
外方を向き乱れた髪を直して口にする。
「刃こぼれしたので、長刀を元通りにして下さい」
長刀は自分にとって大切だ。戦う為の武器、守る為の武器である。
「僕の術にかかれば鍛冶職人も顔負けだからね」
任せなさいと自信満々に胸を張る千柚。
長刀に何かあった時は男へ頼み直して貰う。
能力に驕るのはよくありません。
眼差しで伝えて章来は苦笑気味だが笑った。




