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藍の陰陽師  作者: 蓮華
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あの日から止まった時

 蝶彩を抱える主は翔るように宙を跳ぶ。悠然と着地して地に下ろしてくれた。


 青い髪に透き通った、薄い青色の瞳。頬には美しい菊の花の刺青を持つ。白い水干姿の式神。


「汝を捜すのも大変だったし、苦労したんだぞ。強固な結界を破って、幻術の中へ入り込む荒業。黒髪の手を借りてやっと成功した」


「あれは貴様の術か」


「ああ、どうだ。凄いだろ」


 青は不敵に得意の笑みを浮かべた。


 白妙の全身は水でできた竜に巻きつかれている。


 大蛇みたいな体は一枚一枚鱗があり、四本の足はがっちり掴む。


 二本のひげに目、耳、牙、角。水術の竜は美しくも勇ましく、そして何より神々しい。


「暫くはあれで持つな」


 印を結び強化する。


「章来は幻術の外か」


「そうだ。黒髪なんかどうでもいいだろ。それよりも、自分の心配をしろよ」


 不機嫌顔で蝶彩の額を指で弾いた。傷の具合を確かめる。


「脇腹と足の怪我、かなり痛そうだな。俺が治してやろうか」


「治さなくてもよい」


 歩みを進めると脇腹はずきりとした。足の傷はずきずき脈を打つように痛む。「蝶彩、止まれ!!」


 白妙の方に歩み寄ろとする、少女の腕を青は強引に掴んだ。すぐ手を振り払おうとして、力ずくで羽交い締めにされた。


「離せ。私は貴様と戯れている暇などない」


「その怪我で彼奴と戦うのか。やめておけ」


 掴む力は強い。動きを封じられていた。


「私は戦える。白妙と決着をつけたい」


 あの日から蝶彩と白妙の時間はずっと止まったまま歳月だけが経過した。記憶は色褪せる事なく覚えている。


 かけがえのない冠世と清輝までも殺され、ただ悲しみに暮れた。生きる希望が見出せず、寂しさと孤独に震えた。


 あの時は理解できなかった。今なら分かる。


 憎しみはいかに愚かで、人を歪めてしまうか。飲まれたら最後、元には戻れなくなる。


「はぁ、決着……?笑わせんな」


 冷淡な声音には少なからず、馬鹿にした響きが含まれていた。


「そんな傷を負う汝が戦っても、敗北する事は目に見えている。どうせ、もう呪符は数枚しか残っていないだろ。無様に死にたいのか」


 突然込み上げてきたおかしさに蝶彩は笑声を漏らす。見透かされていたからだ。


 驚き青が掴んでいる手を緩める。


 その一瞬にできた隙。しっかり逃さず身を捻って宙を舞う。痛みを感じさせぬ動きで着地した。


「青、悪いな」


「……」


 無言で何も言わない彼の透き通った、綺麗な瞳を少女が見据えた。「私は見目も力も確実に成長したが、ずっと時はあの日から止まっていた。終わらせなくてはならぬ。それが私の為であり、白妙の為でもある」


「好きにしろ」


 言いたい事はたくさんあったはずだが、敢えて本心に反する言葉を述べた。意思を尊重してくれたのだ。


 瞳の奥底にはどうにか抑制する怒りがあり、雰囲気は哀愁が漂う。


「これだけは言っておく。絶対死ぬなよ。蝶彩」


「私が死ぬわけなかろう。手出だしは無用だ」


「分かった」


 最後に青を直視して蝶彩は白妙へ目を向けた。


 不安を抱き心配している。誰かが自分を思ってくれるのは、くすぐったくも温かい気持ちが広がり嬉しい。


 彼には世話になった。もう煩わせたくはない。


 間もなくかけられていた術は破られるだろう。


 白妙の顔が苦痛に歪む。透明な水の竜はしっかりと体で、巻きつき締めつけている。


 不意に口がにたりと笑った。真紅の瞳が異様な光を宿す。


 ぞっと背筋が寒くなる。次の瞬間……。


 ぱっと形を失い、水は数々の滴となって飛散した。神々しい竜が瞬きの間に跡形もなく消えた。


 術から解放され、首と腕を回して落ちていた刀を掴む。


 峰に指を走らせる。舌が出て楽しそうに白刃をぺろっと舐めた。


「白妙、私の声が聞こえるか」



205 動きを止め、関心がそそられたのか此方を見た。目は虚ろ、無機的、冷え切る。


 声が届いても夕凪蝶彩という存在を完全に認識できていない。


「私が分からぬのか」


「血、欲しい……」


 言下に白妙は凄まじい速さで疾走した。


 狙いは無論、少女だ。どんどん接近してくる。距離が縮まった。


 自我が残っていると信じていた。


 人でもなく妖でもない謎の存在。美しくも奇妙で不明な点が多い。


「自我は私が引き出してやる!」


 貴重な呪符を白妙へ放ち足に貼りついた。「呪符よ。縛めの鎖となりて、動きを封じ込めよ」


 印を結び手を握り合わせ、より強い妖力を込める。


 呪符が光を放ち、見る間に縛めの鎖に姿を変えた。


 蛇が枝へ巻きつくように鎖が容赦なく全身を締めつける。立っていられずうつ伏せで倒れた。


 臆する色もない少女は拘束した白妙に歩み寄る。


「しかし、私は気づいたのだ。憎しみは無価値であり、何も生み出さぬと。憎んだ所で私の心は荒れ、渇く。決して癒されん。失った者は失ったまま……。取り戻せはしない」


 鎖を外そうと手を頻りに動かす。が、力ずくでも無理で術はまだ破られず持っている。


 鎖の中には蝶彩の妖力が流れ、破られる事を拒む強固な術にしてある。


「白妙はあの日、私と清輝に申した。『憎しみは負の塊。憎しみからは憎しみしか生まれない』と。貴様が申した通りだった」


 もがいていた白妙の動きが急に止まる。


「蝶彩…離、れろ……」


 辛うじて聞き取れた苦しそうな声は危険を教えた。


「白妙!?」


 切り裂くような凄まじい風が吹き荒れた。それに合わせ雪が乱れ飛ぶ。


 雪の風を真面に受けて、身体を踏み支える事が困難となり煽られる。


 少女は抗えず地面へ背中を打ちつけ、雪の御陰で衝撃が和らぐ。


 締め上げている縛めの鎖は、さらさらとした粉雪となる。念入りにかけた強固な術が破られたのだ。 起き上がり白妙の姿を視界に捉え、距離を置く。


 逃げ続ける行為は単なる時間稼ぎにしかならないと承知の上だ。今は戦いに勝つ為、無意義でも無様でも逃げ続けた。


 刀を滑らかに動かし、蝶彩の腕へと斬りかかる。


 肩口を狙われ低くめた姿勢で、次の攻撃を見切り刀の峰を蹴った。


 上手い具合に白妙の脇を擦り抜け、走れる所まで移動を試みた。


 脇腹から止まっていた血が再び流れ出す。手で力の限り押さえ痛みに耐える。


「貴様に償って欲しい訳ではない。ただ……」


 構わず痛む脇腹に指を食い込ませた。幻の中にいる自分は本物で紛れもなく生命がある。今も心臓は脈打つ。


 空っぽな血に飢えた双眸。白妙は歩みを進め、的確且つ着実に接近していた。


 少女の言いつけを守り、青は手出しをしてこない。気配は読めても感情まで読めなかった。


「結!」


 片手で印を結び、印を切る。


 結界に閉じ込め、呪符を透明な壁へ投げつけ術をより強化する。


 これで到頭呪符は残り一枚となった。


「ただ貴い命の重さを分かって貰いたい」


 何事も命あってこそ成り立ち、それを失えばおしまいだ。


 蝶彩は本気の気持ちで臨み白妙と話したかった。否、話さなければいけなかった。 今の彼には届かないかもしれない。


「違う……。届かせてみせる」


 刀を一振りして忽ち氷柱状の尖った氷が現れ、雪の地を這うように進みどんどん凍っていく。


 結界に打ち当たり、氷は粉々となる。即ち消滅した。


「容易には破らせぬ」


 結界をもう一つ張り二重にした。


 藍色の瞳に強い光が宿っている。それはまさに明るく輝く光明のようだ。


「私はこの手で数多の妖を殺めてきた。人も妖も命あるもの。人を殺める事、妖を殺める事とは違うようで本質は同じだ。私は妖の命を奪って世に生きている」


 人が正ならば妖は負。表と裏が存在し、表があるからこそ裏があり、その逆も成立する。


 表裏は同時には存在できない。朝昇る太陽と夜現る月みたいに。


「貴様が奪ってきた命は重い。今まで私が奪ってきた数多の命も同様だ」


 白妙は刀を振り翳す。勢いよく結界に振り下ろした。


 弾かれその反動で吹っ飛ばされる。背後の結界に身体をぶつけた。


 それでも平然と立ち上がった。斬りかかる。


 人と妖が通じ合い、理解し合える平凡な世に、決してならぬ事は目に見えている。


 陰陽師は妖を退治する者。それが道理で存在意義だ。


 双方が忌み嫌い、反発しているから均衡は保たれ世が成立する。非力な者と異形なもの、双方のどちらかが唐突に絶え、滅びる事は有り得ない。


「妖は憎い。だが、人と妖が通じ合えると思っておる。真に馬鹿だな。……私は」 間違いなく青は鼻で笑っている。現実不可能な世を望む愚かしい少女を――。


 章来が聞いていたならば、「夕凪は馬鹿か!甘すぎる」と散々罵りそうだ。


 清輝なら何と言ってくれたのだろうか。


 白妙は大上段に構えていた、刀を不自然に下ろした。


「お前は…ただの愚かな人間だ。……早く、殺せ。我は…生がある限り飢えと渇きを癒やす為、血を求め続ける。蝶彩、お前だけは殺したくない」


「白妙!?私の声が届いておるのか」


「いいから、ころ、せ…殺せ!!」


 苦しむ白妙の悲痛な叫びが響いた。命を奪うくらいなら死を心から望む。蝶彩の手に掛かって死にたいと請い願う。


「あの時の私ならば躊躇なくできた。憎しみに支配され、報復が全てだった。刃を無くした今の私にはできぬ」


 声は残念ながら苦痛に呻く白妙には届いていなかった。


 片手で握っていた柄を両手で持つ。白刃が青白い光を帯びる。


 大きく振り被って袈裟に斬る。


 結界内で雪が吹雪き、儚い小さな一片一片は刃へ変わった。三日月のような形をした、それは勢いよく結界にぶつかる。


 新たに印を結び妖力を注ぐ蝶彩の手が震えた。印を崩した途端、結界は壊れてしまう。小刻み震える手に力を込めた。


 白妙が呪言を唱える。


 突然、手に痛みが走り印を崩す。しまったと思った瞬間にはもう遅い。二重に張った結界が壊れた。


 雪の刃は減速せず、真っすぐ進む。印を結ぶ間も避ける間すらない。

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