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藍の陰陽師  作者: 蓮華
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願い

 蝶彩を助けた何ものかがいる、驚愕すべき真実を白妙は知らない。


「いつの日か不思議と楽しくなった。共に過ごす流れゆく時が名残惜しい、愛しいとさえ思った」


 うっとりと少女を見入る。白妙は感情というものが何かを知り、すばらしさに触れ凍りついた心が動かされた。


「どうやら、貴様も私も同じ時を過ごしすぎたようだ」


 二人で過ごした時は幾年も巡った。


 暖かく穏やかな春。桜なら山で見れるにも拘わらず、わざわざ遠出をして花見をした。


 最も暑い夏。照りつける太陽の中、涼気を得る為に水撒きを行った。


 実りの秋。十五夜に団子や芋、栗などを盛り、神酒を供え、芒や秋の草花を飾って月を眺めた。


 冷え込む冬。空は白く幾日も雪が降る日が続いた。雪が好きだと教えてくれた。


 全部の季節と出来事が思い出として記憶に刻まれている。


 生涯あの日の光景は記憶から消えず色褪せない。冠世と清輝の貴い命を奪った白妙は断じて許せなかった。


 しかし、募った憎しみと怒り、敵意は自分自身が気づかない内に、ゆっくりと日に日に失われた。


 その感情を二人が望まぬ事を悟っていたから――。


「我が憎いか。以前よりも、強くなった蝶彩なら殺せるだろう。さあ、殺せ。我はもうこの手でお前を殺せない」


「……白妙。何を申している?」


「お前の手なら殺されても構わない」


 蝶彩はただ澄んだ銀色の瞳を眺め、直感的に嘘を言っていないと感じた。底に隠された真意が全く読めず、胸中は惑いに覆われる。「私は無闇に命を奪わぬ!」


 こんな時に白妙が不自然な笑みを零した。


「我の願いは叶えてくれないのか」


 手を翳し刀を出現させた。その刀は白く不透明でまさに雪のようだ。


 蝶彩の背後へ回り、喉元へ冷たい刃を突きつけた。


「何の真似だ?」


「戦え」


「断る」


 刃を突きつけられても少女は、彼を恐れる所か平然とした態度でいる。恐怖心はどこからも湧いてこなかった。


「ならば、仕方あるまいな」


 突きつけた刃を下ろし、次の瞬間には少女の脇腹を突き刺していた。


 激痛が走り、痛みに呻く。生暖かい血が流れた。


 狩衣は既に妖の血と自分の血で、血みどろになっている。


「戦わないと、徐々に傷が増えていくぞ。お前は無様に死にたいのか」


 痛みに苦しみながら笑声を上げた。


「白妙。私を…欺けると、思った、か。二度目は……引っ掛かららぬ」


 眉を寄せた蝶彩の顔は苦痛に歪んでいた。


 偽りは真実や現実の前で脆い。忽ち意味を無くす。「これは幻術だ」


 幻術は人の目をくらまし、幻影を見せるだけでなく、快楽や希望、絶望、痛み、苦しみも感じさせる。


 人を惑わし狂わす、さながら現実のようだ。それ故に幻術にかかった事実に気づかぬ時があり、幻か現実にいるのか判断できず、最悪の場合は死す事もある。


 幻術は死さえも現実にする恐ろしい術だ。


「さすがにそこまで、愚かではないか」


 白妙が柄に力を入れて握ると刀身も砕け散った。


 蝶彩の傷口は塞がっている。塞がっているのではなく、血も傷口も元から存在していなかった。そう表現した方が正しい。


 偽りの苦痛から解放された少女は口を開く。


「白妙、謂れを申せ。死を望む深い謂れをな」


 幻術をかけてまで戦わせようとした。心底から殺される事を請い願う。


 何がおかしいのか存分に肩を揺らし、腹を抱えて笑い出す。


「ふふふ、アハ、ハハハ。ハハハ。蝶彩、ダメだ……。済まない。自我が保てなくなってきた」


 腕がだらりとなり、頭を下げる白妙が動きを止めた。


「おい、白妙」


 呼びかけても反応せず、心臓を手で掴まれたような不吉な予感がした。


 辺りが奇妙なまでに静まり返った。肌がひりつくこの感覚は戦いが始まる緊張感。


 やけにゆっくりと顔を上げ、瞳の色は銀から真紅に変化している。


「血、血、血が欲しい」


 苦しげに呻くように囁いた。 蝶彩の脳裏に蘇る。記憶が過去を遡りあの時、恐ろしかった白妙と重なった。


 避ける間もなく首を掴まれ、そのまま地面へ叩きつけられる。


 幻術の雪は本物と同じように冷たい。冷たさが痛く感ずる程だ。


 首を締めつける力は強く苦しさに喘ぐ。場の悪さを感じさせぬ素早い動き。後ろへ跳び片手を突いて避けた。


 氷柱が数々の音を立て雪の地に突き刺さる。


 限界がある体力では、いつまでも避け続けられない。蝶彩は奥歯を噛み締める。


 また氷柱が押し寄せるように来た。


 対処する為、呪符を放つ。


火風ひかぜ」 風と共に暴れる火が溶かしきった。


「白妙、やめろ」


 言葉は届かず虚しく散った。


「血、血……」


 飢えを癒そうと執拗に血を求める、白妙は氷柱を放ち続けた。


 満足せず欲しがる。少女の前から姿を消した間も、こうやって求めていたのだろう。


 攻撃を避けるか、結界で弾き身を守る事しかできず、押されていた。


 懐に手を伸ばし、少女は気づく。


 妖退治に使い、あれ程あった呪符が底をつき始めた。限られた数枚だけ残っている。


 両手を翳した白妙は二刀を出現させる。細身の美しい対の刀だ。


 一振りして明確に蝶彩の首を狙う。


 反らして躱す。呪符に指を走らせ、表面が妖力を帯びた。


 精神を落ち着かせる。焦りは平静さを奪い、死を早めるからだ。


 白妙は対の刀を巧みに使い熟す。所作は優美で無駄な動きがない。


 斬りかかると見せかけ身を引く。引くと思わせて斬りかかる。


 蝶彩の急所を見事に狙っていた。何とか攻撃を擦れ擦れで逃れる。


「想となり変、して現となれ」


 宙に浮いた呪符が光輝き渦を巻く。ぱっと弾け漆黒の刀が出現した。 刀特有の白刃ではなく喩えるならば、濃い闇を思わせる黒刃だ。


 刃と刃がぶつかり合い金属音が響く。


 一刀と二刀では明らかに一刀の方が部が悪い。


 右と左で代わる代わる重い攻撃を繰り返す。


 力は負けている。だが、己の腕を信じて立ち向かう。


 白妙の攻撃を少女は一直線に薙ぐ。


 柄を両手で握り、力ずくで二刀を受け止めた。手が痺れ落としそうになる。


 的確な刀捌き。少しでも気を緩めると、一瞬で斬られてしまいそうだ。


 白妙は後退り、鋭い踏み込みで脇腹を突く。


 狩衣を斬り裂き、皮膚をも斬り裂いた。鮮血で染まる。


 痛みを気にせず蝶彩は後方へ数歩下がって、冷静に間合いをとる。


 僅かな隙をつき、白妙の刀を弾いた。高い金属音と共に弾かれた、刀は高々と舞い上がる。


 羽衣が勝手に動き、足に巻きつく寸前、軽く飛びつつ避ける。巻きつかれたら自由が束縛され、命取りになる。


 中々刃で斬り裂けず、羽衣が首を囲み絞めようとした。身を低め逃れて布を二つに裂いた。


 蝶彩は刀を扱うより、弓の扱いの方が長けていた。弓は至近距離には向かない。射手の腕前があってこそ遠隔で力を発揮する。


 よく剣術は冠世に稽古をして貰った。刀剣はどちらとも並に扱える。


 清輝との刀勝負はいつも少女が、連勝して無敗知らずだった。


 躱しにくい箇所を突いてくる。力に押され均衡を崩す。 刃が迫り急所に定まっている。瞬術で場所を移動し、刀が雪に突き刺さった。


 そんな様子を後ろに倒れた状態で確認した。


 一気に距離を詰め、腹部を斬ると見せかけて脛を斬り裂いた。


 白妙の剣術は並外れて優れている。人ではない常軌を逸した存在だ。当然かもしれない。


 鮮血が流れ、少女は傷口の痛さで片膝を突く。雪に赤い血が滴る。


 足が傷ついた事は痛手だ。片方を庇いながら戦うのは不利である。


 荒々しく雪は吹雪いていた。乱れ降る所為で視界が悪くなる一方だ。


 吹雪く中でも、幻術でつくられた世界は胸を打つ程美しい。白銀の世界に白妙自身が、幻想的に溶け込んでいた。


 刀を振り上げた彼の双眸に、蝶彩は映っているが映っていない。


 白妙ではなく流れ陽陰として、幾多も刀を交えた事をふと思い出す。


 風が荒ぶる日、冷たい雨と肌を刺す雪が降る日さえ付き合い、ひたすら武芸に励んだ。


『いい踏み込みです』


 少女が振り下ろした刀を受け流す。


 男の攻撃は速くしかも強い。傷つける為に振るわれていない。


 軌道を読み防ぐ。きんと高い音が鳴り響き打ち合う。


『なに故、貴様は手加減して本気を出さんのだ』


 戦いを中断し、藍色の瞳が不満そうに見つめる。


『私は本気を出していますよ』 陽陰は殆ど手加減して一度も本気を見せなかった。それが非常にもどかしく、腹立たしかった事を覚えている。


「こんな時に思い出す、私は愚かだな……」


 苦い笑みを作る。痛む足で立ち上がり、せめても急所は守ろうとした。


 白妙の刀を弾き、鋭い剣戟が続いた。


 行き成り目前から姿を消した。見渡すが辺りに姿は確認できない。


 荒い息を吐き、刀を構え直す。疲れが滲み出る。静寂は流れた。


 神経を研ぎ澄ましても白妙の気配が感じられず、巧妙に隠されている。


 何かを視界の端に捉えた瞬間、蝶彩は背後から頭を蹴り飛ばされ、どさっと雪の地へ倒れた。


 術でつくった漆黒の刀は音もなく消滅する。


 脳が揺れて平衡感覚が戻らず激痛は凄まじい。


 動けなかった。白妙が足を置いて背中を踏みつける。


「……まだ、死ねぬ」


 目は霞がかり頭がぐらつく。微かにでも油断すると意識を手放しそうになり、背中は押しつける足の重みで痛い。圧迫感が苦しく、体に全然力が入らなかった。


 首に冷たい刃が当たる。白妙が一振りすれば、確実に蝶彩の首は飛ぶだろう。


 奥底から恐怖が湧き起こり体を駆け巡る。潔く死を受け入れる訳にはいかない。


 白妙の手が動き、刀も動く。突然、動きが止まる。刃が首を貫通する事はなかった。


 気づけば少女は風を感じ、小脇に抱えられていた。この読みにくい気配は……。

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