募る不安と焦燥の中で
「急ぎすぎだ」
不服ながら肩越しに後ろを見ると、彼との距離が開いていた。
「汝は亀か」
遅いという皮肉な意味が込められている。
「お前が速すぎるんだ」
仕方なく距離が縮まるまで待つ。短い時間ですら気持ちが急ぐ所為かじれったい。
速度を緩め前へ進む。疎らに妖の存在が感じ取れる。無益な戦いを避ける為、遠回りでも安全な道だけ選択した。
戦いなんかして貴重な時間を奪われるのは御免だ。蝶彩を捜したい。
気配は一本の糸みたいに細く頼りなく、ぷつりと途絶えてしまいそうだ。
こんな曖昧な危うい気配を辿るのは、至難の業を超えていた。必要以上に心の働きを鋭敏にしっぱなしで神経がすり減る。
「本当にお前は夕凪の気配を辿っているんだな」
「疑うのか。俺が適当に突き進んでいるとでも」
「確かめただけだ。僕にはもう気配が感じられない。式神が頼りだ」
響きに悔しさが潜んでいた。彼女を見つけたいのに微かな気配を感知できず歯がゆい。
「安心しろ。一刻も早く蝶彩を見つけてやる」
青は章来の不安を打ち消すよりも、自身へ言い聞かせるように告げた。
「偉そうに言うな」 それ以降二人は黙々と急いだ。無事な姿の少女が見たい一心で――。
疲れても休む暇はなかった。体力には限界がある。足が動く限り進む。
俺をこんなに急がせて、汝はどこにいるんだ。
よろけた章来が下に落ち、低い姿勢で着地する。
「へろへろだな。薄茶髪」
声をかけ身軽な所作で木から下りた。さすがに呼吸が乱れている。
「余裕ぶってる…式神こそ。ハァ、本当は、しんどいんだろ……」
肩で息をして額に浮く汗を拭う。
「汝よりは遥かに増しだ。行くぞ」
青は歩み始める。最初に飛ばした結果、追いつく事に焦り少年が体力を消耗させてしまった。
悪いとはこれっぽっちも思わないが。
「急がなくていいのか。別に僕は走れるぞ」
呼吸を整えながら隣に並ぶ。自分が足手纏いになる事を避けたい行動の表れだ。
「へばったらお荷物になる。重い薄茶髪を運ぶなんて絶対嫌だね」
「だから、僕は走れる」
「……」
「聞いているのか!」
「耳に響く。うるさい。黙れ。阿呆」 たとえ無視をしてもこの距離なら聞こえる。無言になった訳はしくじりに気がついたから。
現在歩く道は完全に一本のみ。妖と戦いを回避して齎された状態がこれだ。
追い風が吹き、遠くまで匂いを運ぶ。気配を隠しても嗅覚が優れた妖なら、存在を認知できる。
近辺で狭間の開く耳障りな音が鳴った。そして前方から十体以上の群が接近する。
「誰が阿呆だ。また無視をし続ける気か」
考え込んでいた間も章来は「聞け、聞け」と騒がしかった。
「俺達はとことん運に、見放されてるみたいだぜ」
青の言葉を間もなく少年が悟り表情は苦々しい。長刀を鞘から引き抜き、いつでも戦闘に入れる。
水が宙を流れ星の如く走った刹那、異形共の体に穴が空いた。
「ただでさえ苛々してるのにこれ以上、苛立たせんなよ」
急げば急ぐ程、焦れば焦る程、どこからともなく邪魔がやって来る。
陰険な光りを双眸に閃かせ、自由自在に水術を扱う。
再び戦いが幕を開けた。
「さっさと終わらせるぞ」
「ああ、終わらせてやる」
宙に浮く球状のものが寄って来る。あれは尖だ。
敵を攻撃する際に細い棘を出す。棘の先には猛毒がある。
一度刺されれば命を失う。 「気をつけろよ。黒髪」
「お前もな」
刀が唸る。その訳は空気を裂く時に鳴る音だ。無害な内に章来は尖を斬っていく。
一斉に棘が出た。すっと滑らかな動きで近づく。
「結!」
正方形の結界を作り閉じ込めた。
「滅!」
少年は複数の消滅を成功させた。未だ数が残っている。
「やる気あんのか」
危うさなく攻撃を躱す。青は冷静沈着だった。
「僕は真剣だ」
油断せず尖以外の相手も熟して仕留める。
刀捌きに迷いはない。己を信じている証拠だ。
「汝の戦い方は時間がかかる。俺はさっさと終わらせたいんだ」
道を阻む異形共は全て消し去る。
鋭利な光が目にちらつき、大胆不敵に言い放つ。
「水消散」
そこら中で形を無くし、水となり消え散った。五秒足らずの出来事である。どこにも妖は見当たらなかった。 少年が驚き、ぼんやりしていたのは、束の間で文句を言ってきた。
「時間がかかる戦い方で悪かったな」
急激な妖力消耗により疲労感が生じる。疲れを無視して足を歩ませ、蝶彩の気配を感じて安心する。
彼女に一歩一歩近づいていた。
存在があると思うと更に安堵できた。
もしいなくなったら……。過ぎった最悪な考えを振り払う。
頼む。無事でいてくれ。
もどかしさに唇を引き結ぶ。
「何か術を活用して速く行けないか」
章来が発した言葉。青の脳裏で瞬間的にある考えが浮かぶ。
「速く行ける方法ならあるぞ」
にっと笑って呪言を唱えた。
「水獣現出」
水が渦巻き、獣が姿を現した。
頭から背にかけて鬣が生え尾は長い。爪と牙は鋭く、体つきは立派だ。紺碧色の瞳に並び毛並みも美しい。
「それ妖だろ」
「此奴を妖と一緒にするな」
水獣は三大獣の中に含まれ、他にも火獣、雷獣がいる。人に禍を齎すという伝承が多い。 陰陽師は三大獣を妖に分類していた。一方で知能は高く、神の使いとする信仰もある。
鬣を撫でて背中に跨った。
「お前は何者なんだ」
「ただの式神だ。乗れ」
それ以上の詮索を許さなかった。
しっかり章来が乗ったのを確かめ、一応忠告しておく。
「飛ばすから振り落とされんなよ」
水獣が力強く駆け出し、さっと景色が過ぎ去る。
吹きつける風に当たり、心中でまだ間に合うと言い切った。青は先を急いだ。
道はまっすぐまだまだ続き、地を踏み締めて進む振動が乗っていると直に感じる。
水獣の名は水琉という。昔名付けた。
心中で右、左と指示を必要な度に送った。
水琉はただ指示に従う。従順である。
言う事を聞くようになるまで、時間がかかったのをふと記憶に蘇る。が、今思い出しても仕方ない。
気配が近づく。感じにくいが強くなった。
近づきつつある証拠だ。
「確実に蝶彩の元へ接近している。だから、安心しろ。黒髪」
「夕凪は無事だろうか」 焦燥と不安に押し潰されそうな気持ちが章来から滲み出る。
「くたばった彼奴なんて想像できるか」
「できない」
「なら、大丈夫だ」
信じる青はきっぱり断言した。




