役目と信頼
「やったな。蝶彩」
青は素直に喜色を浮かべる。
努力が身を結び、通った攻撃。事がいい方に傾く。
「喜ぶのはまだ早い」
成功を収め、勝利への道はできあがりつつある。これから慎重な判断と行動が必要だ。
現在犬現は立ち上がれなくなっている。しかし、麻痺から回復すれば次の段取りが狂う。
「いくら何でも、動きを止める為とはいえ、あんなに接近した事はどうかと思うぞ。危険……」
「貴様の申したい内容は察しておる。私が返結界を破り、段階は第一から第二へと移行できる。次は章来の番だ」
少年の口を塞ぎ、黙らせて話し始めた。目が不満そうだ。今聞かなくても文句はいつでも聞ける。
心なしか頬に赤らみがあり、恥ずかしげだった。原因は蝶彩が口を塞ぎ、直に肌が触れたからである。
「夕凪に言いたい事はある。でも、ぐだくだ言うのは僕の本意じゃない。今は為すべき事を為す」
一刀鞘に戻し、右手の柄を握る。痛めた左肩より確かな右を頼りにした方が聡明だ。
彼に与えた役目は犬現の三つ目の機能を奪い、死角を故意に作る。それが第二段階。因みに第一段階は返結界を破り、攻撃を加えて第二に繋げる事が目的だった。
章来が足を踏み出し少しずつ慎重に進む。
敵に牙を剥きウーウー呻る。どうにか口は動くようだ。
残念ながら運は味方せず、難が待ち受けていた。
吸う力が少年を襲う。風を起こすとは逆に空気を吸っている。 吹き飛ばされるのではなく、引き込まれそうになっていた。
蝶彩と青はとっさの判断で幹に捕まり、一番近辺にいた章来が危険だ。
体勢を崩せば何もかも終わる。しかし、抵抗は難しい。
前のめりに倒れた。地を転がって引き摺られるように向かう先は犬現の元――。
「水壁!」
青の声がいた。水の壁に遮られ、引き込まれる事はなくなった。
「これは貸しな」
「お前に報いる恩義はない」
土で汚れた召し物を払いもせず起き上がる。助けには感謝しても礼は胸の中に止まり唇を歪めた。
ここまで彼の不満が伝わってくる。
「夕凪、好機を見極めた時に声で合図をくれ。無駄な思考なく直ちに動ける」
「承知した。だが、私が機を見誤る可能性は皆無だと断言できぬぞ」
「いい。お前を信じる」
彼は水壁に守られているが、蝶彩と青は木に掴まっていなければ危うい。
目に見えぬ強い力で引っ張られ、抗うのも一苦労。
この状態は犬現の体力が切れるまで続くだろう。いつ終わるか曖昧で見極めが成功するか心配だ。
明確な判断が問われ、先を読む状況把握と理屈を抜きにした第六感に頼り、挑戦を試す必要性がある。
何としても少年の信頼に応えたい。 髪も袂も激しく揺れ、こんな時に限って気になった。
「ここでは見にくい故、もっと近くに寄る。青はそこを動くな」
犬現は麻痺を回復させるだけの時間を稼ぐ為、姑息な妨害をしていた。
時間を与えれば与える程に此方が不利になる。
「俺が言う事を聞くと思うか」
青は聞く耳を持たず、口が笑っている。どんな時も大胆不敵で危機を危機と、困難を困難とも思わない。
「お供致します。蝶彩様」
肩に手を置いて背中を支える。込めた力と温もりを感じた。
「どうせ、貴様は文句も柳に風と聞き流す。今は内に秘してやろう」
「ずっと内に仕舞ってろよ」
ちと黙る事を覚えたらどうだ。心中で呟き雑念を払う。
少女はなるべく幹に掴まりながら盾にして進む。申し分なく彼は支えてくれている。
的確な位置で止まり、身を低めて足裏に力を入れただ待つ。
結界を張って吸い込もうとする風を阻めるが、体感しなければ分かり得ない。体感しなければ見落としてしまう。
終わりの瞬間を。
直感が騒ぐ。これは当たる。確信へと変わりつつあった。
「まるで我慢大会だな。意外とわんこはしぶとい。どれだけ俺達を腹の中に入れたいんだ」
妖の目は獲物二人に固定。喰らいたい欲でまみれている。
「確かにしぶといな。だが、そろそろ終わりは近い」 力が微かに弱っていた。段々疲れは表れ出し、自ずと好機がやって来ると分かる。
まだその好機は訪れず、暫時経過した。
「行け。今だ。章来!」
見極めた途端、嘘みたいに吸い込む風はやみ、少女の声が響き渡った。
水壁を避け飛び出す。破竹の勢いで章来は犬現目指して走る。
疲れた所為で息をハァハァと吐き、腹が波打つ。
氷塊が降ってきた。その程度の攻撃では少年を立ち止まらせる所か、傷つける事も叶わぬ。
彼の素早さは見る者に爽快感を与え、惚れ惚れさせた。
長刀を振り上げ、容赦なく突き刺す。数秒間、返結界に阻まれたが恐るべき事に破った。
三つ目に刃が深く入り、苦痛の絶叫が鼓膜を震わす。麻痺状態でなければ暴れていた。
一気に引き抜く。血が飛沫する。
油断せず後退って「次は式神の番だ」と視線を投げかけた。
「さっさと終わらせるか」
青の周りを水が立ち上るように幾重にも渦巻いた。彼は自分の能力が発揮できる、戦いを心置きなく遺憾なく楽しむ。
犬現の内から妖力が出て忽ち全身を覆う。横たわる体が動き、三人の真上を跳ぶ。
着地を成功させ、前足と後ろ足の跡が土に残り砂塵は舞う。
妖力を使い果たし、麻痺を回復させたのだ。
薄青の双眸に刃みたいな光りが閃き、顔に広がる喜悦。「選択間違いしたな。わんこ。三つ目を治して麻痺の回復を待てば、少しでも長く生きていられたのに」
蝶彩も目にしていた。三つ目の傷が一切癒えていない状態を。
「おい、早くしろ。遠くへ逃げられるぞ」
「大丈夫だ。必ず俺が仕留める」
焦る章来の声に悠然と犬現を見据え続けた青が答えた。
「水乱!!」
細長い水が互いにうねりながら後を追う。遂に追いつき、秩序なくジグザグを描いて水は刃物と同等に鋭い。体を切り刻み、内部も貫いた。
背を向けて逃げた時から既に死角ができ、負けは確定した。
高らかに終わりを告げる。
「消水泡」
命を失った存在が水の泡となり消える。犬現の亡骸が無くなった。
「俺達の圧勝だな」
誇らしげに吊り上がった口角。青は少年を一瞥した後、口が閉じたままの少女を見遣る。
呆気ない幕切れだった。風が吹き荒れ何ともうら寂しい。
「今日はもう休むか?」
心遣いは嬉しく感じる。敢えて首を左右に振った。
「動かせる体があるならば、妖を一体でも多く退治したい」
疲れているがまだまだ戦える。
「汝は頑張りすぎて体を壊す質だ。黒髪も同じくな」「自分の限界くらい僕は心得ている」
「裏を返せば蝶彩と同じなのが嫌なのか」
「お、同じとか嫌とか、全然関係なくて……」
うまい言葉が言えず、しどろもどろになり顔を赤く染めた。
「そもそもどうしてそんな解釈になる!」
調子を取り戻し、恥ずかしいのか早口で捲くし立てる。
「夕凪、妖を退治する事も大切だ。でも、自分の事を第一に考えろ」
「自重しろと」
幾度も頷く様が思いの外おかしい。口唇に仄かな笑みが浮かぶ。
「少なからず貴様にも自重は必要だな。一応忠告して置く。それ以上左肩を使うな」
あらかじめ釘をさす。手遅れになってからでは全てが遅い。
無理に動かした所為で左肩の痛みは増幅しているはずだ。
章来は正真正銘の負けず嫌いである。蝶彩が指摘しなければ、肩の痛みを隠しながらも戦っていたと安易に予測がつく。一言も弱音を吐かなかった。
物事を成し遂げようと前へ進む。強い精神力は敬服に価する。
「ああ」
分術を解いて長刀を一刀にした。それは右しか使わないと伝える彼なりの意思表示。
数多の夜は平常の夜より長々しい。ひたすら妖を相手に戦いを繰り広げ、安息できる間もないからだろう。
何かが聞こえた。頭の中で。数秒経っても声らしきものは響かず静かだった。 気の所為か。そう断定して遅れを取らず少女は足を踏み出す。
(ちょ…さ)
脳裏で聞こえた。気の所為ではなかった。
(蝶彩)
今度ははっきりと届く。
(助けて下さい)
(陽陰、何が起きた!?)
すぐ念を伝え返したが、男から念が返ってこない。
(陽陰、陽陰)
頭が真っ白になりかけて冷静になれと言い聞かす。息を吸っていても息苦しかった。
夕村に戻らなければ……。
陽陰と村人が心配だ。最悪な有様が浮かんで片隅に押し退ける。
不吉な胸の鼓動に突き動かされ、視線を夕村が位置する方角へ走らせた。
目に映った光景に息を呑む。
「煙……?」
凄まじい煙が次々と盛んに湧き上がっていた。暫く呆然と眺めて激情が大波みたいにうねる。
「村が…嘘だ。嫌だ」
青と章来は小さな声を訝しむ。 陽陰が助けを求めた理由は村の危機だった為。目に映る煙のつじつまが合う。
恐ろしい考えに行き着き、半狂乱になる少女は駆け出した。
透かさず青が腕を掴む。進行を妨げる。
「どうしたんだ。蝶彩!!」
「煙が上がって、燃えている。村のある方角だ。火で、火事だ!」
心の平静を失い、我を忘れた蝶彩を目の当たりにして、二人は純粋に驚く。
力強く掴む手を少女は振り切り、思考が停止した頭でも走り始める。今度は邪魔されなかった。
心は狂い乱れ混乱状態に近く、冷静な態度でいる事が難しい。抑えがたい衝動が急げと駆り立てる。
「戻って来い!!」
「止まれ、夕凪!」
青と章来の叫ぶ声は完全に届いていない。
蝶彩の背中が徐々に薄れ、闇へと紛れ消えてしまった。
青は顔を歪め舌打ちする。腹立たしげに黒く闇しかない空を睨んだ。
苛立ちと焦りが入り交じった声音で言い放つ。
「おい、黒髪。汝には煙が見えたか」
章来は静かに首を振って否定を示す。
「どうやら蝶彩はいつの間にか、本人も気づかない内に、幻術をかけられたらしい……。妖ではなく、あの忌々しい男にな」
怒りを込めて吐き捨てる。陽陰の姿は目に嫌というくらい焼きついていた。 思い出すだけで癪に障り、まんまとしてやられ鬱憤が降り積もっていく。
「何で彼奴が夕凪に幻術をかける必要がある?」
顎に指を添えて首を傾げた。心の底に渦巻く疑問。眉間に縦皺ができている。
「そんな事知るか!今はどうでもいい。さっさと蝶彩を捜すぞ」
高く跳躍して枝に着地、間を置かずまた跳んだ。
陽陰は少女に執着心を持ち、必要としているのは数日観察したから分かる。
自らの手で害を与えて苦しめたい異端且つ奇怪な嗜好があるか。もしくは深い謂れがあるか。単に狂ってしまった可能性もあった。
幻術に取り込まれた、彼女の気配をどんなに頑張って読んでも微弱な程度。集中していなければ感じなくなる。
恐らくいや、確実にと断定できる。もう近辺に存在はない。
簡単には彼女との接近を許してくれなさそうだ。
「待て。式神!勝手に慌てて行くな
すぐさま少年が青の後を追う。
鼓動が速い。ただ不安が膨れ上がっていき、苦々しい思いを味わう。こんな気持ちにさせる存在と無常な世で、再び相見えるとは思わなかった。
容姿も性格も似ている所為でむかつく。度々重なる所為で余計にむかむかする。
気をつけろよ……。
青は少女の無事を切に願う。願う事しかできず、そんな自分に憤りたくなる程ただもどかしい。
足場を見つけては跳んでを繰り返す。着地場所が悪く体勢を崩しそうになるが、何とか持ち直した。




