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藍の陰陽師  作者: 蓮華
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闇の中の光

 涙は止まってくれなかった。喉と胸が押し潰されたように痛い。


 己の事で一杯一杯で足音に気づいたのはつい先程である。


 起き上がり涙を拭う。少年と男がかけるべき言葉を探し、結局見つからず口は未だ閉じられていた。


 二人は狩衣を纏う身形から予測して、陰陽師の可能性が最も高い。


 両親に妖退治をする者だと教えて貰った。姿を見るのは初めてだ。


「お前、どうして泣いている」


「……」


 拭っても頬を伝い流れ落ちる涙が弱さを表しているようで忌々しい。無言で通り抜けようとした少女の手首を少年が掴む。


「聞かれたら答えろ」


「私に構うな」


 振り払い走り始める。言葉とは裏腹に引き止めて欲しいと思う自分がいた。忽如目前に男が現れ立ち止まる。


「済まないが君の記憶を見させて貰うぞ」


 悲愁が漂う顔つきで呪言を唱え、額に印を書く。二本の指を添えた。そして暗褐色の瞳は閉じる。


「やはり間に合わなかったか」


 瞼が開き反らさず視線を注ぐ。「ごめんな」と言う必要もないのに謝り、全て責任を背負おう。


 蝶彩は何に対し謝っているかくらい分かった。 妖から村人達と両親を守れなかった事だ。


 彼等とこんな山道で出会った訳は妖の気配を感知し、向かう真っ最中だったからだ。


「私は誰も責めたくありません。自分が無力な所為で皆を失いました」


 言葉にして痛烈な痛みが胸を抉り、悲しみが肩にのしかかる。顔を手で覆い、耐えきれなくなって座り込む。嗚咽が漏れた。


「今は泣きたいだけ泣け。俺と親父がそばにいる」


 背中がじわりと手の体温で生温かい。少年のものだ。


「漸く清輝もおなご一人、慰められるようになったか」


「性別がどうとか、こうとか言う前に人として慰めるのは当然だ」


 清輝は赤くなって言い返す。


 少ない遣り取りから仲のよさが窺える。どんなに望んだ所でもう夢永と日皐に会えない。


 凄惨な現実、無情な現実。ただ受け入れてめそめそしているのは嫌だ。


 やがて涙は涸れ、心を落ち着かせ暫く経ち弱さが消え去った。泣き腫らした目で二人を直視する。


「私は両親と風蘭村に暮らしていた。村は妖によって滅びた。大好きだった皆が死んだ」


 しっかり一言一言を己の口で伝え、蝶彩は頭を下げる。


「貴方様を陰陽師とお見受けして頼みがあります。私を弟子にして頂きたい」


「両親を奪った妖が憎いか」


 投げかけられた問いに正直な気持ちで頷く。


「憎しみの先に何があるか、この目で見届けろ」 大きな手を差し伸べた。男は少女が陰陽師になる事を承諾した。


「灸冠世だ」


「俺は灸清輝。宜しくな。一番弟子として色々教えてやる」


 清輝も手を差し伸べる。


 同時に握って二人の確かな温もりを感じた。目頭が熱くなっても涙を堪えて笑う。


 残酷な世に絶望しか存在しなければ、憎むだけでいられる。救いと希望が存在する故に憎みきれず、淡い期待を胸に抱く。


 皆の命を犠牲にした上で成り立つ命。のうのうと生き続ける事が許されるのだろうか。譬え許されなくても、生きる意味を見出せぬ少女は生きていく。


 今は迷惑で邪魔な存在だとしても弱さを理由にすがる。強くなって、たくさん精一杯の恩を返す為にも……。


 これが不条理な世に抗うと決めた日だった。



 過去を話終わり現実に引き戻される。


「私に力さえあれば、村人達も父上も母上も失わなかった。他を十分守れるだけの強さが欲しかった」


 守れない事は辛く胸に痛みと苦しみを伴う。とても悔しく惨めだ。


 二度までも蝶彩は失う不安、恐怖、絶望を味わい、憎しみを刻み成長した。


「早よう。寝るのだぞ。青」


 そそくさと立ち、無表情な青を一瞥して寝室に向かった。


「汝もな」


 後ろから小さな声がかかる。 彼に過去を盗み見られていなければ、過ぎ去った時を思い、話す気まぐれも起こさなかった。


「いつ思い出しても心が痛む」


 これ以上、深く考える無駄な脳の働きを停止させる。


 暗い室内で寝衣に着替え、布団を敷き結う紐を解いた。


 仰向けになり枕に頭が落ち着く。藍色の双眸を閉ざし、穏やかな眠りは知らぬ間に訪れた。



 幼い頃の自分が畑にしゃがみ込んで、出たばかりの芽を観察していた。


 右隣には日皐がいて左隣には夢永がいる。


「綺麗な花が咲くまで大事に育てような」


「蝶彩ならきっと素晴らしい花を咲かせられます」


「父上と母上の為に一日でも早く花を咲かせるぞ」


 二人が笑っているだけで嬉しい。心が満たされた。


 立ち尽くす蝶彩は第三者として醒めた目で眺める。あるいは懐かしむような寂しいような目で。


 ここが夢の中でもう終わった、戻れない日の記憶だと理解していたから――。


 夢を見る事をやめて目を開けた。卯の刻より、早い寅の刻に目を覚ます。


 辺りは薄暗く布団から起きあがると肌寒い。手際よく畳み、押し入れに仕舞う。


 櫛で髪を解かし縛る。藍染の着物に着替えて寝間を後にした。


 誰かの家には泊まらず、遅くに帰った陽陰の履き物が左右ずれたままだ。きちんと並べる。 草履を履き地を踏み締め、家の裏にある井戸へ向かった。


 朝の空気は夜の空気と異なり、清々しく気持ちを和やかにさせる。


 汲んだ井戸水で顔を洗い、懐に入れておいた手拭いで拭く。


 着物が空気により冷えた。玄関で脱いだ草履を揃えて、陽陰が使う部屋の目前を通過した。


「せめて朝餉の支度が整うまで寝させてやろう」


 一人呟き口角を下げた。恐らく彼は少女が起こしに来なかった場合、いつまでも眠りこける。


 見慣れたくりやにはいつもお世話になっている。襷で袖と袂をたくし上げ、前掛けをつける。早速釜で米を炊き始めた。


 まな板の上で野菜を切り、水瓶に貯めた飲み水を鍋に入れ、出汁をとってから野菜と煮込む。機を見極め、味噌を溶かす。独特の深い香りが漂う。


 お茶が沸いた頃、青が姿を現した。


「お早う。蝶彩ちゃん。汝の朝は早いな」


「私にふざけたちゃんをつけるな。大して早くなどない」


 早起きに苦を感じた事はなく、当たり前の習慣となっていた。


「直に朝餉の支度ができる。居間で待っておれ」


「ご飯くらい運んでやってもいいぜ。彼奴の分だけは死んでも断るが」


「では、頼む。私が遅ければ先に食してよい。陽陰の様子を確かめてくる」


 青が陽陰を快く思っていないのは態度と言葉から伝わる。


 人と式神が分かり合うのは難しい。訳は人が式神としか見ておらず、蔑み軽視しているからだ。


 蝶彩はその隔たりが、かなり不満でやるせさを感じていた。 襖を開け放つ音でも起きる兆しはなく無反応で寝息が聞こえた。


 掛け布団で俯せに眠る男は、灰色の部屋着を身につけ、横を向く顔がちょうど枕の中央だった。


「起きろ。陽陰!」


 腹の底から大きな声を出してもまだ寝ている。


 近づき蝶彩はしゃがむ。体に染み込んだ酒の臭い匂いがした。


「起き……」


「もう起きていますよ。蝶彩。お願いですから、静かにして下さい。頭に響きます」


 額を押さえて痛みにしかめた顔。目を擦り瞼が上がる。焦点が合った。


「二日酔いか」


「はい。色々な人にどんどんお酒を進められ、断りにくくて。この様です」


「朝餉を食せる状態ではないか」


「残念ながら無理です。昼餉の時に頂きます」


「分かった」


 気遣う少女が立ち去ろうとすると、


「もう少しそばにいて下さい。お願いします」


着物の裾を掴まれた。


「幼子みたいな事を申すな。掛け布団の使い方が間違っておるぞ。部屋着ではなく今度からは寝衣に着替えて寝ろ」


 言い損ねた注意を今告げて腰を下ろす。


 男が苦笑して見苦しく弁解する。


「飲み過ぎて奇跡的にふらふらと帰って来たんですよ。どうにか着替え、布団を敷き、そこから記憶が途絶えています。昨日はろくにお前と話していません。僕の寂しい心を察して貰いたいです」「貴様の寂しい心なんぞ知らん」


 注がれる視線に居心地の悪さを感じて眉根を寄せる。


「何だ?」


「いえ、何も。ただ蝶彩がそばにいるのだと思いまして……」


 儚げな笑みだった。脆く簡単に壊れてしまいそうな。彼がそんな笑みを作る原因は不明瞭である。


「私にとって貴様は近くも遠い」


「急にどうしたのですか」


 瞳が真相を知りたいと凝視してくる。純粋な好奇心だ。


 少女は首を傾げ、分からないなりに考える。声を発した。


「言葉通りの意味だ。近くも遠くも感ずる。陽陰は私を知っておる。私も貴様を知っておる。だが、全ては知らぬ。故に隔たりがあり、それが遠くさせる」


「例えばどんな時、近く感じるのです」


「今この時だ」


 心底から愉快げにくすっと笑う。蝶彩が口にした返答を面白がっていた。


「僕はお前が近い存在だと思っています」


「そう思う謂れを簡潔に述べろ」


「秘密です」


「なに故、秘するのだ」


 仕舞いには教えて貰えなかった。隠されると逆に気になる。 板張りの廊下が軋む早歩きの音。近づいて来る。苛々して急いでいる。乱暴にがらっと開く。


「遅い!」


 ずかずか歩み寄る青は蝶彩を引っ張り立たせた。


「漆黒、蝶彩は連れていくぞ」


 男の髪色は漆黒だ。必要な時それを名として呼ぶ。


「どうぞ」


 そっけなく答えて陽陰は口を噤み瞳を閉ざす。自ら関わろうとしない。


 お互いにいけ好かないと考えているのが目に見えた。


「じゃあ、お言葉に甘えて。行くぞ。蝶彩」


 少女の返答を聞かず、背中をぐいぐい押して急がせる。開いたままの襖が気になったが、閉め損ねて茶の間に着く。


 低い四脚の食卓にはお茶とご飯、味噌汁、漬け物が用意されていた。宣言通り二人分ある。


「私を待つ必要も呼びに来る必要もなかった」


「一人で飯を食べても美味しくねぇだろ。細かい事は置いといて、さっさと食べようぜ」


 箸を手に取って豆腐を噛み、口の中に味噌汁を流し込む。青の表情は柔らかい。幸せそうだ。


 蝶彩の気持ちが和み安らぐ。口ではああ言っているがわざわざ待っていた。


「しっかり食前は挨拶をしろ。無論、食後もな。よく噛んで味わえ」


「やっぱ、先に一人で食べていればよかった」


 口元を歪めてもぐもぐする。冗談みたいだが本気に聞こえた。


 姿勢は正座で手を合わせ、恵みに感謝を捧げ、今日も食事ができる。「汝が作った味噌汁は結構旨い。後でおかわりしてやるから喜べ」


「世辞はいらん」


「素直に喜べよ」


 隣には青がいる。一人より二人、二人より三人。


 決して一人の時は感じなかったものを誰かと一緒なら心に感じられる。


 今なら分かる。忘れていたものを冠世と清輝が思い出させてくれた。


 過去を見つめる遠い目つきで少女は微かな喜色を表した。

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