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藍の陰陽師  作者: 蓮華
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儚き幸せ

 食膳には箸、茶碗に持ったご飯、お味噌汁、煮物が並ぶ。


「貴方の所為で少し冷めてしまいました」


「俺の所為にするなよ」


 桶に汲んできた井戸水で指先まで綺麗に洗い、夢永は日皐から手拭いを受け取る。


「天と地の恵みに感謝して、作ってくれた日皐にも感謝して頂きます」


「やめて下さい」


 いつも必ず伝えてくる率直な感謝の気持ちが、くすぐったいようで白い頬を赤く染めた。


 食べ始める前の挨拶をしっかり蝶彩は済ませてから、ご飯、味噌汁、煮物の順番にちょっとずつ食す。


「美味だ」


 よく煮てある野菜の味わいは深い。


「冷めていなければ、もっと美味しいお食事でしたのに」


 咎める視線を母が送り、父は「言い合いになったのはお互い様だ」とぼやく。


 たわいない会話が続き、和やかな時は過ぎ去る。夢永が笑い、日皐もそして蝶彩も笑う。


「明日の朝、母上に何としても見せたい景色があるのだ」


「どのような景色ですか?」


 目を瞬き首を傾げ、横髪がさらりと揺れた。


「それは内緒だ」


「気になります」


「確か明日は……」 透かさず蝶彩は無言で圧力をかけ、夢永の口を噤ませる。察しがついて「済まん」と唇の動きが伝えた。


 明日は日皐の誕生日である。


 去年は紅花で染めた手拭きを贈った。今でも大切に使っている。


 今年も誕生日が近づき、どうしようか迷い少女は森を歩いていた。気づけば見知らぬ奥まで来てしまい、偶然幸運にも菫が一面に咲く場所を発見した。


 誰かが植えたのか、はたまた種から生えて次第に増えていったのか、いずれにせよ奇妙な光景だった。


 菫が咲く様子を見て脳裏に名案が閃いた。形に残る贈り物でなくとも日皐を喜ばせられる。母が生まれた日に、ここへ連れて来ようと。


 森の奥深くで帰り道が分からなくなり、困り果てたが、自力で家に戻れたのは奇跡と表現すべきだ。


 帰りが遅くなった為、両親に心配をかけ申し訳ないのと同時に言い訳する事が大変だった。


 あの場所の行き方は記憶した。


「父さんも連れってて、くれるよな」


 除け者にされては堪らない。夢永が期待と懇願の眼差しを向ける。


「元々、三人で行くと決めていた。辰の刻に出発だぞ。約束だ」


「はい、楽しみにしていますね」


「俺も明日が楽しみだ」


 立ち上がった父は二人のそばで膝を突き、肩に腕を回して引き寄せた。


 蝶彩と日皐は静かに身を委ねる。安心感に包まれて快い。


 三人で菫を見に行けると信じていた。いつから定めは捻じ曲がったのだろう。約束は永遠に果たされる事なく、実現しなかった。 深々と夜が更ける頃、風蘭村の人達は寝静まり、一切物音なくしんとしている。


 遠吠えで蝶彩は覚醒した。暗い寝室が夜の色濃さを物語る。やがて闇に目が慣れてきた。


 長く尾を引く吠え声はまだ続き、薄気味悪さに不安が生じる。暗い所為か恐怖もそそられ寒気に震えた。


 隣を見ると背を向けて夢永が眠っていた。仰向けの日皐も起きる気配がない。


 両目を瞑ってもすぐに眠気は訪れず、鳴き声が近づいている。


 上体を起こし手を握り締め、胸騒ぎがする。杞憂であれば幸いだ。


「どうしたのです?蝶彩」


 唐突に声をかけられ心臓が飛び跳ねた。安堵が広がる。


「母上……」


 音で日皐が身を起こしたと分かった。


「先刻、遠吠えに起こされたのだ。母上もか」


「はい、私もです」


「野犬か、狼か、それとも……」


「一緒に寝ませんか」


 我が子の心情を見抜いた。不安を悟られてしまい、恥ずかしく思う。


「私は大丈夫だ。幼子ではない」


「遠慮はいりません。二人の方が温かいですよ」 穏やかな声音で話す日皐が蝶彩の布団へ入り込む。冷えた手の平を重ねた両手で温めてくれる。


 心が落ち着き、母親がそばにいると頼もしい。安心できた。


 闇に染まる藍色の瞳は互いを映す鏡のように同じだろう。


「苦…しい」


 夢永の寝言が聞こえてきた。


「そんなに強く抱きつかなくても、俺は逃げないぞ。日皐」


「即刻叩き起こしましょう」


 立とうとする日皐を押さえた。大概冷めた顔は無表情なはずだ。夢の中できっと父がにやけ、偽りでも幸せを満喫している。


 暫く寝言を言い続けて後に寝息だけが耳に入る。


「今後は見逃しませんよ。夢永……」


 低く呟き吐息が零れた。


「では、寝ましょうか」


「うむ」


 微かに生じたひびは次第に広がっていく。ひびは割れ、幸せが音を鳴らし崩れ出す。


 バウ、バウ、バウ!


 そこら中からけたたましい鳴き声がした。遠吠えし合っていた集まりだった。


「妖」


 蝶彩には分かる。どことなくだが間違いない。物心がつく以前から気配を完璧でないにしろ感知できた。「何だ。この騒ぎは」


 がばと身を起こして夢永はやにわに立ち上がる。騒ぎで目がすっかり覚めたらしい。


 刹那、切り裂く悲鳴が響き渡った。


「蝶彩と日皐はここにいろ。俺が様子を見てくる」


 ただならぬ悲鳴を聞いても尚、確かめる為行くと果敢に言う。


「お願いです。ここにいて下さい」


「心配するな。必ず戻ってくる」


 妻を直視し愛娘の髪を撫でた。ゆっくりと進む背中が暗闇に紛れる。行ってしまった。


「私がついておるぞ」


 腕を掴む五本の指に力が入り、改めて判断は正しかったのだと察する。


 隠そうと試みてもひしひし伝わる。その感情は恐れだ。


 少女も心中に恐れを抱くが抑えていた。

「親としてこの上なく情けありませんが心強いです」


 何かがぶち当たる激しい音に包まれ、家の壁は振動して木がバキバキ鳴る。


 危険を未然に防ぐ為、壁を突き抜けたもの目掛けて反射的に布団を投げた。


「ちょっと蝶彩」


 強く腕を引っ張り無理に急がせた。後ろで床が壊れる。


 構わず歩む。迷えば命を落とす。風蘭村に安全な場所がないという最悪な結論に達した。


 新たな悲鳴が上がり、また、またと連鎖していく。


 草履を履き引き戸を開ける蝶彩を慌てて日皐が止めた。「外は危険です。家にいましょう」


「もうどこにも安全な所は存在せぬ。父上が心配だ」


「夢永なら無事です」


 消えそうな弱々しい声は震えた。信じる気持ちがぐらついても切に信じる。


「行く。私は行くぞ。これだけは譲れん」


 長い沈黙が降り積もり、答えを口にする。


「分かりました」


 決意した女は寝間から小刀を持ち出して懐に仕舞う。手をぎゅっと握って引き戸を開けた。


 獣に似た鳴き声と混ざり、人の怯えた声、童の泣き声などが一層聞こえる。


 蝶彩は手を引かれるまま前へ歩む。幸い周囲は月の光で青白く光がある。


 引き戸も壁もどこかしら破壊された家が多い。地表には突き刺さった穴が空いている。


 地に横向きに倒れた人を見つけて背筋が凍り、鳥肌は立ち息が詰まる。


 所々着物に血がつき、ぴくりとも動かない。朝挨拶を交わした村人の亡骸だ。


「見てはなりません」


 悲しみが胸で渦巻き静かに堪える。唇をきつく結ぶ。日皐の横顔には明らかな痛みがあった。


 生きた者が死人にしてあげられる事は祈りを捧げて、幸せな来世を願う事だ。


 接近する地を踏む音と荒い息遣い。


 二人の間に緊張が走り青白い光の下、正体が露わになる。 体毛は灰褐色で尻尾の先が槍みたいに鋭い。獰猛な顔は尖りひげが生えて、細長い白目に赤色の二重線が入っている。


「あちらへ逃げましょう」


 追って来る一体をどうにか撒き、血腥い臭いが鼻に届いた。


 亡骸の黒い血溜まり。群がる何体もの妖は下品にくちゃくちゃと喰らう。


 思わず息を呑みそうになって口を塞がれ、慎重な態度の日皐と共に後退る。一時的に家と家の間へ姿を隠す。


「やめて、来ないで。まだ死にたくない。あが、うぅ。痛い。い、たい」


 一人の女が喰らわれ殺されていく瞬間を目の当たりにした。悲痛な苦しみ叫ぶ声に耐えきれず、少女は耳を塞ぐ。震えが止まらない。


 母が痛い程抱き締めてきた。存在を確認するように。守るように。


「誰か、助けてくれ。ああ、ああぁぁ……」


 村人が助けを求め、奇怪な言葉を発した。


「待っていろ。助けてやる」


 それは夢永の声だった。


「父上!」


 後先を考える余裕はなく、駆け出して制止を振り切った。


 あちこち見回し、太い木の棒片手に立ち向かう男がいる。


 妖はうるさく吠えて飛びかかり、引っ掻き攻撃をかわす。


 血を流す若者にもう一体が迫る。未だ父はその事に気づかない。


 狙い通り投げつけた石は妖の顔に的中する。注意を引いたが呻って猛然と近づく。


 逃げたいが意に反して思うように足は動かず危険が迫る。


「真に跳ね返り気質には困ったものです」


 小刀で目を突き刺し怯ませた、勇気ある日皐は我が子を背中で庇う。「待っていろと言っただろ。危険だ。戻れ」


「危険なのは貴方と同じです。待つ事も戻る事もできません」


 どんどん気配が集まっている。周りを囲まれていた。


 木の棒を振るう打撃では、勢いを押さえ止める事が関の山だ。


「夢永さん。僕を置いて逃げて下さい。日皐さんも蝶彩ちゃんも。早く……」


 若者の名はりつという。近辺の村々へ足を運び、作物を売る商売をしていた。性格は明朗で人付き合いが上手な働き者である。


 暇な時間によく遊んで貰った。


「お前を置いて逃げられるか。一緒に行こう」


「そうですよ」


「この足じゃ無理です」


 太股に深く細長い傷があり彼は座り込む。微笑みを浮かべて必死に隠すものの、苦痛が滲む。


「私が支えるぞ」


 手を差し伸べる蝶彩に「有り難う」と心から笑む。


 次の瞬間、気づけば腕の中で崩れ落ちるように倒れた。胸に尖った何かが貫通して赤い血に染まる。暗くても認知でき、痛烈な衝撃を与えた。


 槍みたいな鋭い妖の尻尾は自在に伸縮する。


「律さん!」


「よくも律を」


 脈を取る日皐の顔は蒼白で夢永は奥歯を噛み締めた。


 少女を庇って律は死んだ。嘘、嘘、嘘。真実の受け入れを真っ白になりかける頭が拒む。 到頭男が持つ木の棒に限界がきた。真っ二つに折れる。


 数は十体程、呻り声を上げて距離を詰め、うねり動く尻尾が獲物をいたぶりたがる。


「左端にある隙間を駆け抜けて山道まで行け。危険を伴うが、まず姿を暗ます事が先決だ。俺が囮になる」


「貴方だけを囮にはさせません」


「逃げてくれ。俺の一生のお願いだと言っても無駄か」


「はい。無駄です」


 ただ見つめ合う夫婦は決意した表情で互いに頷く。


「蝶彩は私と夢永の大切な娘です。こんな所で妖如きに命を消させはしません。きっと貴方なら大丈夫です。どんな困難にも負けぬ強い意志があります」


「ごめんな。蝶彩。三人揃って菫は見れそうもない。日皐より楽しみにしていたのに残念だ。いついかなる時も希望を忘れるな。希望さえあれば何とかなる」


 言葉が出なかった。理由は二人が死を覚悟していると、考えなくても了したからだ。我が子の為だけに犠牲になる道を躊躇せず選ぶ。


「振り向かず走る行為に専念しろ」


 首を振り続けた。心は嫌だと叫ぶ。


「最後の頼みくらい融通を利かせて欲しい。だが、蝶彩らしいな」


「私達の分まで生きて下さい。貴方なら必ず幸せになれます」


 日皐は泣きながら微笑んだ。儚くも美しい。


 夢永に「受け身はとれよ」と体を持ち上げられ、妖が襲いかかるのとほぼ同時に投げ飛ばした。


 地に全身を打ちつけ蝶彩が転がる。 興奮した鳴き声に混ざって両親の苦しみが呻きとなり聞こえた。


 貴い命が確実に奪われていく。助けたくても助ける事は叶わぬ。


 痛みを無視して約束通り、一度も振り返らず駆け出した。立ち止まりたい気持ちを抑え、許す限り速く足を前へ進ませる。逃げる為に。


 思い出が走馬灯の如く脳裏に浮かぶ。巡る日々を時には怒り泣き、安らかな気持ちで毎年四季を楽しんだ。笑い合い幸せだった。


 支え協力しながら暮らしてきた村人達。穏和な律。大好きでかけがえのない両親。


 皆、死んだ。


 妖に憤る。弱い自分にも憤る。妖が憎い。弱い自分も恨めしく憎い。


 荒ぶる感情が胸を息苦しくさせ、心臓は脈打つ。どうにかなってしまいそうだ。


 山道に行き着く以前に息が切れ、肩を上下させる。急ぎ進む足は幾度となくよろけ、それでも登った。


 辺りは静かで呼吸と足音しかしない。でこぼこの地面に足を引っかけて運悪く転ぶ。


 前に手を突き、擦り傷ができる。背を覆う髪は乱れて寝衣も足袋も汚した。


 無気力に身を横たえ、少しでも油断すると悲しみに支配され何とか耐えた。


 意に反して視界がぼやける。ダメだ。泣くな。自分へ言い聞かす。


 徐々に耐えられなくなり蝶彩は声を殺して泣く。


「母上、父上……」


 絶望の底に突き落とされた。喪失感が押し寄せる。二人がいない世で独り生きる意味がない。

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