運命の雨
バイトを始めて半年たった9月の夕方だった。
少し肌寒くて、夏の終わりが近い事に気付く。
曇っているなと思っていたけど、暗くなるころにはついにポツポツと雨が降り出した。
こういう日は、意外と混む。
ビニール傘を求めて、普段見かけない顔が多く駆け込んでくる。
レジをすませて包装や値段のタグをはずしてやると、
もう用は無い、とばかりに慌ただしく出て行く。無駄の無い動き。
どうせなら他の商品も買ってくれよ、という店長の声が聞こえてきそうだが、
僕はさっさと客が捌けて助かっている。
雨が降り出してしばらくすると、今度は客が遠のく。
わざわざ「ちょっとそこまで」は出ないし、傘を買うならもう他で買っているから。
だから店内には意地でも傘を買わないと決め込んでいる雨宿りの客が一人いるだけだ。
静かな店内には数年前に流行った曲が有線で流れている。
あれは、なんて曲だっけ。
たしか、若いのに自分で作詞も作曲もやっていて・・・
~♪
頭の中で一緒に歌う。
あれ?歌詞が出てこない。一番盛り上がる部分なのに、思い出せない。
サビにさしかかったその曲の、歌詞を思い出そうと考えていると、
自動ドアが開き、一人の客が駆け込んできた。
黒に近い髪は雨に濡れ、束になって雫を落としている。
半袖の腕は細く水滴が寒そうだ。
息を切らし、肩を上下させている彼女は、真っ直ぐに僕をみた。
瞬間、時間が止まったかと思った。
それくらいの衝撃が、僕の中に走った。
目が合ったのは、1秒か、2秒か。
とにかく物凄く短い時間だったと思う。
でも、僕はこの瞬間の衝撃を、10年も20年も忘れる事なんて出来ないと思う。
僕が覚えている限り、彼女はこの店に始めて来た。
僕がいない日に来た事はあるかもしれないけど、少なくとも僕は始めて見た。
だって、彼女を見た事があれば、僕は絶対忘れるはずがないから。
彼女は店の入り口で、軽く服の水を払った。
店の床を水で濡らさないための配慮かと思うと、そんな事ですら僕の胸を熱くさせた。
そして、店内を1周すると、キョロキョロとしながらレジにいる僕のほうへ来た。
なんだ。
手には何も持っていない。
会計じゃないよな?
「あの・・・」
脈が、これ以上ないくらい早く胸を打つ。
まさか。
ドラマじゃあるまいし、こんな出会いってあるはずが・・・
「傘、ありませんか?」
・・・・・。
一瞬、何を言われたのかわからない。
「えっ・・?」
「傘、売り切れちゃいましたか?」
僕の馬鹿!
何がドラマみたいな出会いだ。
売り切れた事にも気付かないダメ店員の僕に、
彼女は傘を求めている。
だが、傘はもうない。
「ちょっと待ってて下さい!」
変な期待をした事を誤魔化すように、慌てて彼女に言うと、
ロッカーに置きっぱなしにしていた自分の傘を差し出した。
ついでに、向かいの酒屋が新装開店の時に配っていた粗品のタオルも。
「でも、それじゃ・・・私、そんなつもりで言ったんじゃないんです。本当に。」
「使って下さい。もう1本あるし、本当に大丈夫ですから。傘の発注が足りなかった俺のミスだし」
かっこつけて、「俺」とか言う僕。
傘ももう1本なんて持ってないし。
「このへん他に店もないし、使って下さい。」
彼女はそれでも遠慮していたが、僕が何度も勧めると、
何度目かに彼女は折れて、お礼を言うと僕の傘を差して店をあとにした。
彼女の姿が目に妬き付いて、ドキドキが止まらなかった。
その日の夜には夢に出てきた。
完全に僕は彼女に恋をした。
また来るかもしれないと思うと、始めてバイトに向かう足取りも軽く感じた。
でも、それから彼女は店に現れなかった。