決断
学園の一室。人払いされた部屋で、セリアはリリア嬢と向かい合わせに座っていた。
「リリー」
セリアの声掛けに反応したリリア嬢は、ゆっくりと顔を上げる。眠れなかったのか、その顔には疲労の色が滲んでいた。
「まずは紅茶でもどうかな。リリーに似合う可憐な香りの茶葉を用意したんだ」
カップへ紅茶を注ぐ。
湯気と共に、ふわりと華やかな香りが部屋に広がった。そっと口をつければ、香りに負けない味わいがゆっくりと舌に広がる。
セリアのお気に入りの紅茶だ。
「……私が悪いんです」
ぽつり、とリリア嬢が言葉をこぼす。カップの揺れる水面を見つめながら。
「こうなるかもって思ってました。でも、大丈夫かもしれないって思って……もう違うのに」
紡がれる言葉は抽象的だ。それでもセリアはそれに耳を傾ける。急かさないように、責められてると感じないように、邪魔にならない程度の相槌をうちながら。
「……何のこと言ってやるんだって思いますよね。でもきっと、言っても信じて貰えません」
一拍、言葉を置いてからリリア嬢はそう言う。諦めたようなどうしようもないような疲れたような表情で。
「リリー、私は言ったよね」
視線が絡む。揺れる瞳から目は逸らさない。
「君の話ならなんでも聞きたいよ」
だから話して。顔を曇らせる原因を、諦めの意味を、その行動の真意を。
*
「私……前世の記憶があるんです」
そう言ったリリア嬢の言葉に、セリアは一瞬反応しそうになってそれを堪える。セリアと同じ状況なのかもしれない。けれど更に続いた言葉に、そういう問題では無いのだと知る。
「ここは乙女ゲームの世界なんです。えっと、物語の世界…みたいな……」
乙女ゲーム。それはセリアの前世で聞き覚えのあるものだったが、馴染みのあるものではなかった。セリアは前世では、そういった恋愛ゲームをあまり好んでしなかったのだ。
「そう、じゃあリリーは物語と同じように動いたってことなのかな」
「そうなんですけど……でも違うくて……」
セリアの問いかけにリリア嬢は言いにくそうに口篭る。言いたくないと言うよりも言っても良いのだろうかという不安が見えて、セリアは大丈夫だと先を促す。
「その物語では、セリア様は……悪役令嬢なんです。だから今と全然違うくて……」
そういえば、入学式の日にそんなことを言っていた気がする。
徐々にリリア嬢の頭が下がっていく。違うのに無理に同じようにしたから、ダメだったのだと。おかしいって思ったけれど止めれなかったと。
「リリーは物語と同じにしたかったのかな?それともしないといけない理由がある?」
「それは……」
学園で見るリリア嬢は、いつもどこか切羽詰まっている様子だった。不安げに揺れる瞳、困ったように下がる眉。庇護欲を唆る可愛らしさだが、物語を楽しんでいるようには見えなかった。
「わたし……でも……わたし……」
言葉が詰まり瞳に涙の膜が張る。先程まで無かった恐怖の色が滲んだ。
「ゆっくりで良いよ。大丈夫」
リリア嬢の手を包む。冷たい手を、少しでも体温が移るように。
ぽつりぽつりと言葉が零される。
1年前に男爵家に引き取られたこと。あまり歓迎されていないこと。マナーレッスンで鞭打たれたこと。学園で良縁を見つけないと売り飛ばすと言われたこと。
「私、初めは大丈夫だって思ったんです……。だってヒロインだから、流れのまま行けば、ちゃんと誰かと結婚して家を出れるって」
けれど、その考えは悪役令嬢のはずのセリアが入学式の日にリリア嬢を助け起こしたことで崩れた。
「違うかったんです。物語と同じじゃなかった。分かってたんです本当は。セリア様と会う前から、だってヒロインは「優しい」男爵家に引き取られたはずだったから……!」
でもじゃあどうすればよいのだろう。突然貴族になって、教育を詰め込まれて、脅されて。
「どうして良いのかわからなかったんです……!」
だから縋った。知ってる人物に、会話に、選択に。見境なく縋りつけば、いつの間にか身動きが取れなくなっていた。
誰かの心を踏み台にしていたことにも、気付かないまま。
セリアはリリア嬢の隣へと移動して背中をさする。どこか抑えたような泣き声が、部屋を静かに震わせる。
その震えが止まるまで、セリアはただ隣にいた。
*
「リリア嬢の家の方は、随分と過激な言葉を使うんですね」
セリアは手元の紙に視線を落としながらそう呟く。あの話の後、リリア嬢から預かった男爵家からの手紙だ。書かれている内容の過激さと使われている言葉の品性のなさに読むだけでげんなりとしてくる。
「元々評判の良くない家だろ」
殿下はセリアの言葉に、呆れたような色を声に乗せてそう返す。
先程リリア嬢との話を話せる範囲で報告したため、この部屋には2人しかいない。
「にしてもですよ」
「それで?」
「ん?」
「どうするんだ?」
殿下がじっとセリアを見つめる。その視線の強さに、セリアは手紙を置いて姿勢を正す。
「セリアなら。ルミエール家ならリリア嬢を救えるだろ。特に苦労もなく家から出させてやることは出来る」
「そうですね」
「そうやって誰でも助けるつもりか?」
それが本当に正しいのか?と殿下は問う。見境なく助けるのが、見返りなく施すのが。
きっと殿下の言うことの方が正しい。貴族として、在り方として。けれど。
「殿下。私は転んだ相手に、手を差し伸べられる人になりたいんです」
あの日、雨に濡れながら自分に伸ばされた手を覚えている。
「そうか」
「私のわがままですよ」
「知ってる」
わがままなら仕方ないな。と殿下が苦笑する。この人はいつだってセリアにとんでもなく甘い。
この人のその笑い方に、胸が締め付けられるようになったのはいつからだっただろうか。
*
(リリア目線)
これからどうしたい?と聞かれた時、リリアは戸惑った。私はどうしたいのだろうか。
どうにかしなければと思っていた。待っている悲惨な未来を回避しなければと。それだけに必死で、自分の感情は置いてけぼりだった。
男爵家のことは一旦気にしなくて良いと言われて、安心したはずなのに分からなくなった。私ってなんだろう。けれど。
「ちゃんと話したいです……皆と……」
私が縋った人達。選択肢を選ぶだけと思っていた相手。寄り添うフリをして何も分かってなかった。
「うん。そうだね。それで?」
柔らかい声。目の前に座るセリアが、リリアに向かって重ねて問いかける。
「彼らの誰かと関係を深めたい?」
リリアは、考える。そうなろうとしていた。自分の為に、言われた通りに、物語をなぞって。
「……いいえ」
申し訳ないと思う。これから幸せになって欲しいと思う。けれど、リリアは誰のことも愛してはいなかった。
「そう。じゃあ、これ」
そっとセリアからリリアに封筒が差し出される。男爵家のものよりも質の良い綺麗な封筒を。
「リリー、これは強制でも命令でも無い。だから断ってくても良いんだけど」
うちで働かないかい?
言われた言葉に目を見開く。確かにルミエール家で働くとなれば義両親も何も言えないだろう。けど、
「どうして……そこまでしてくれるんですか……?」
優しいはずの義両親は、リリアに厳しかった。鞭で打たれて、脅された。助けてくれるはずの攻略対象は、リリアに手を振りあげた。なのに、セリアは悪役令嬢なのに。
セリアが席を立ってリリアの隣に来る。手を取られて、唇を寄せられる。
「立てそうかな?お嬢さん」
もう転ばないようにね。そう落とされた言葉に。リリアの視界がじんわりと歪んだ。
*
学園の一室、その窓からセリアは学園の門を見下ろしていた。
今日、リリアが学園を去る。
リリアと男子生徒達の話は、静かに穏やかに終わったらしい。その関係も。セリアはその内容を知らない。知らなくて良いと思っている。彼らが納得しているのなら。
1人の女子生徒が、学園の門に向かう後ろ姿が見える。少ない荷物を持って、振り返らずに。
「見送らなくて良かったのか?」
いつの間にか隣に来ていた殿下が、セリアに問いかける。
「えぇ、またすぐ会えるので」
でも、その時はもうこの関係では無いのだろう。貴族とは、使用人とはそういうものだ。
それを提案したのはセリアで、決めたのはリリアだ。
それが正しかったかは分からない。
「迷うな」
殿下が、セリアの方を向いて言う。
「決めたんだろ、セリアが。なら良いんだよそれで」
「……そうですね」
「好きにしたら良い。その方がらしい」
思わず手を伸ばす、顔に、頬に、頭の後ろに。
「……殿下ってかっこいいですね。」
少し冷たい唇の感覚。心臓が跳ねる。体温が上がる。顔が染まるのが分かる。けれど、それは。
「……ばか」
その一言だけが、やけに優しく胸に残った。




