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 噂の令嬢はリリア・アルエットと言う名前らしい。平民として暮らしていたが、つい一年前に男爵家に引き取られたそうだ。それ以外の情報は、どうにも教えてくれた方々の感情が乗ってしまっているため、ひとまず気にしないことにする。実際に自分で見てみなければ正確なことは分からない。


 殿下と話した数日後の昼休み、リリア令嬢は中庭の端の方にいた。他にも三人の男子生徒が一緒にいる様だ。端にいるにもかかわらず妙に注目を浴びており、チラチラと他の生徒が伺い見ているのがわかった。


 セリアはその視線をものともせず、リリア令嬢の近くへと足を進める。


「やぁ、良い天気だね」


 いつものテンションでセリアが声をかければ、三人の男子生徒のうちの一人が、いかがわしげにセリアを見て口を開いた。ネクタイの色からして、彼だけがセリアと同じ二年生で、残りの二人は一年生だろう。


「何か用ですが、ルミエール令嬢」


「おや、可憐な小鳥のさえずりが聞こえてきたのならそちらを気にするのは礼儀だろう? 可愛いお嬢さん、お名前を伺っても?」


「え? えぇ、リリア・アルエットです……」


 そっとセリアが手を差し出せば、おずおずとリリアが手を重ねる。その手に以前と同じように唇を寄せる仕草をして、セリアは少し顔を傾げてリリアを見た。


「素敵な名前だね。その可愛らしい声にピッタリの、綻ぶ花のような名前だ。私はセリア・ルミエール。この前は大丈夫だったかい?」


 セリアの言葉に、リリアは少し恥ずかしそうに視線を下げた。その様子に周りの男達の視線が突き刺さる。だが、リリアがセリアの名前にピクリと反応したのは、手を重ねているセリアだけが気づいただろう。


「あ、はい。大丈夫です。怪我もなかったですし」


「それは良かった。ずっと気になってたんだ。君の可憐な肌に傷が付かなかったかって。リリーと呼んでも?」


「もちろんです。私もセリア様と呼んで良いですか?」


「小鳥のような可憐な声で呼ばれるなら、どんな呼び名だって大歓迎だよ」


 そう言ってセリアは、リリア令嬢からそっと手を離す。その代わり、庭師に貰った一輪の小さくて可愛らしい花を彼女の髪へと挿した。


 今日のところはこの辺にしておこう。顔見知りになったのだから、これから徐々に聞いていけば良い。


「これも何かの縁。困ったことがあったら、いつでも言っておくれ。君の話なら、喜んで聞くよ」


 得意のウィンクをひとつ飛ばして、セリアはその場をあとにする。その際、中庭にいる他の令嬢方に甘い言葉をかけるのも忘れない。


 その話を後日聞いたレオンハルト殿下は「結局口説いてる……」と頭を抱えていた。





「そこまで悪い子には見えなかったんですよね」


 レオンハルト殿下にリリア嬢はどうだったかと聞かれ、セリアは素直にそう答える。


「声をかける前に少し様子を伺ってたんですけど、楽しんでると言うより妙に切羽詰まってる感じがして」


 異性を侍らせている、という言葉だけ聞けば、不健全な様が想像できる。けれど、どうにもセリアが接したリリアはそういう性質の女の子には思えなかった。むしろ、正解の言葉を必死に考えて紡いでいるような、そんな印象さえあったのだ。


「なにか事情がある感じか?」


「うーん、どうですかね。勘みたいなところはあるんですけど」


「セリアの勘は当たるからな」


 レオンハルト殿下に言われて、セリアはえへへと照れ笑いする。しかし、セリアがリリアとちゃんと話したのは一回だけである。流石にそれで全てを察するのはセリアにだって無理だ。


「まぁ、もう少し様子を見てみます」


 学園が落ち着かないのは私も嫌なので。とセリアが言えば、レオンハルトは「無茶はするなよ」と少し心配そうに声をかけた。





(リリア視点)


 王都に屋敷を持たない貴族は、学園に通う間、敷地の端にある寮の一室を与えられる。その寮の部屋でリリアは膝を抱えて座り込んでいた。


「どうしたらいいの……」


 口から零れた言葉は弱々しく、一瞬で部屋の空気へ溶けてしまう。


 カサリ、と握りしめていた紙が音を立てる。無機質な文字列が並んだその紙と、それを運んできた封筒。そのふたつがリリアの心を掻き乱していた。


 リリアは己の部屋を見渡す。殺風景な、ほとんど物のない部屋。その部屋の真ん中にある机の上には、昼間に貰った小さくて可愛らしい花がコップに入れて飾られている。その花だけが、この部屋の中で唯一輝いて見えた。


 ――あの人がくれた花。


 リリアはそっと指を伸ばし、触れる直前で止めた。


「どうしたらいいの……」


 ゲーム通りじゃない。それだけが唯一、リリアがはっきりと分かっていることだった。





 セリアは廊下を歩きながら頭を悩ませていた。リリア嬢と中庭で話をしてから数日。学園はさらに騒がしさを増していた。というのも、リリア嬢と仲良くしている人物が更に増えたからである。それも三年の少しばかり有名な令息が相手だ。


 リリア嬢とはあの日以来、廊下で会えば挨拶する程度しか交流できていない。やっぱりもう一度ちゃんと話しかけた方が良いよなと思っていたその時、セリアの進行方向にある階段を、リリア嬢が降りていく後ろ姿が見える。


 丁度よく現れた彼女に、セリアが話しかけるかと小走りで近付こうとすれば、それよりも早く別の女子生徒がリリア嬢の後ろへと立った。


 その女子生徒の手が不自然に伸ばされるのを目にしたセリアは、更に足を早めて女子生徒の手首を掴む。そのままくるりと、まるでターンをするようにふたりで柱の影へと隠れた。


「やぁ、お嬢さん。今日も素敵な髪飾りだね」


 その女子生徒は、セリアにいつも手を振ってくれている子だった。いつも素敵な髪飾りをつけて微笑んでいるその顔は、今は青ざめている。


「セリア様……」


 青ざめた顔と震える肩。それでセリアは、先程伸ばされた手の意図を正確に察した。


 掴んだ女子生徒の手首から手を離して、そのまま流れるように指を絡める。


「貴女の可憐な手は、こうして私と指を絡めるのに使うべきだと思わないかい?」


 咎める音が乗らないように、セリアはゆっくりと囁く。嫉妬というものは厄介だ。囚われてしまえば、心を掻き乱されずにはいられない。この女子生徒は、例の三年生の幼なじみであったはずだ。


「ごめんなさい……セリア様……」


 掠れる声、冷たい指先。大丈夫だよと言うように、絡めた指先に頬を寄せた。


 その冷たさが、今の学園の空気そのもののように思えた。

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