転生したら“育児”が最強スキル扱いでした
目が覚めた瞬間、最初に思った。
(……天井、木)
梁がむき出しの天井。窓から入る風は草の匂いがする。
スマホも、充電器も、壁紙もない。
次に思った。
(……ここ、どこ)
起き上がると、ベッドというより寝台。机の上には紙と羽ペン。足元には革靴。
そして、頭の上に。
『ステータスを確認しますか?』
光る文字が浮いた。
「やめてくれ。いきなりそういうの、心臓に悪い」
小声で文句を言いながら、私は頷いた。
画面が切り替わる。
⸻
【名前】ユイト
【職業】なし
【体力】E
【魔力】E
【剣術】E
【防御】E
【交渉】E
【特技】育児:S
⸻
「……育児?」
声が裏返った。
「いや、育児って、あの育児? 赤ちゃんの抱っことか、寝かしつけとか、夜泣きとか、そういう……?」
私が確認するように呟くと、部屋の隅にいた男が椅子から跳ね起きた。役所の人っぽい服装で、額に汗がびっしりだ。
「お、お前……! 本当か!? その表示!」
「本当ですけど……育児がSって、そんなに――」
「国家級だ……!」
男は両手で頭を抱えた。
「剣術Sでも魔法Sでもない。育児S……! お前、伝説か!?」
「伝説じゃない。育児だよ」
私が即座にツッコむと、男は泣きそうな顔で続けた。
「今、町で“災害”が起きている。赤子の泣き声が止まらない。魔力が乱れ、窓が揺れ、家畜が怯え、住民が倒れ始めた!」
「……泣き声で?」
「泣き声でだ!」
私はしばらく黙った。
意味が分からない、が、困っているのは本当らしい。
「……分かった。見に行く」
そう言った瞬間、男の顔がぱっと明るくなる。
「助かる! これで町が救われる!」
「いや、泣いてる赤ちゃんを落ち着かせるだけだよ」
「それが救いなんだよ!!」
この世界、育児の扱いが重すぎる。
剣も魔法もない。
でも、抱っこならできる。
私は外套を掴んで、町へ向かった。
⸻
町に着いた瞬間、空気がざわついているのが分かった。
風が荒い。人の声が落ち着かない。
窓が小刻みに震えている家まである。
「……ほんとに泣き声だけで、こうなるの?」
「だから言っただろ!」
男は半泣きだ。
宿屋の前に、人だかりができていた。
誰も中に入ろうとしない。近づくことすら怖がっている。
――聞こえる。
赤ちゃんの泣き声。
ただの、力いっぱいの泣き声。
なのに、胸の奥に刺さるように響いてくる。
「司祭様が来たぞ!」
誰かが叫んだ。人だかりを割って、黒いローブの男が進み出る。杖を持ち、顔は自信満々。
「これは神罰だ。封印せねばならぬ」
司祭の後ろに、鎧姿の若い女騎士がいた。凛々しい顔立ちだが、目が死んでいる。寝不足の顔だ。
「リゼ隊長。赤子を押さえろ」
「……はい」
女騎士リゼは宿屋へ入っていった。
数秒後。
「うわっ!? えっ!? 待って、無理……!」
中から悲鳴。
赤ちゃんの泣き声が、さらに大きくなる。
人だかりが一気にざわめく。
「やっぱり近づいたらダメだ!」
「魔力が乱れる!」
「封印しろ!」
私は頭を抱えたくなった。
(泣くのは……怖いからだよ……! その空気が余計に泣かせてる……!)
そのとき、扉が勢いよく開いた。
リゼが赤ちゃんを抱えて飛び出してきた。
いや、抱えてない。持ってる。板みたいな姿勢で“保持”している。
「この子、暴れるんですが!」
「暴れてない! 泣いてるだけだ!」
司祭が怒鳴る。
「泣き声が災害だと言っているだろう!」
リゼの腕がぷるぷる震えている。
「戦場より難しい……!」
赤ちゃんは顔を真っ赤にして、声を枯らす勢いで泣き続けていた。
その泣き声に合わせて、宿屋の窓がガタガタ揺れる。
母親が入口の床に座り込んでいた。
目が虚ろで、頬は青白い。
「……すみません……すみません……」
小さく謝る声。
その声を聞いた瞬間、私の足が勝手に動いた。
「ちょっと、貸してください」
「誰だ!」
「近づくな!」
「死ぬぞ!」
育児で死ぬ世界、怖すぎる。
リゼも驚いた顔で私を見る。
「あなた、正気ですか!?」
「正気。たぶんこの子、眠いだけ」
「……え?」
「抱っこ、替えるね」
私はゆっくり赤ちゃんへ手を伸ばした。
首と背中を支える。腕の中に“丸さ”を作る。
赤ちゃんが、泣きながらも私の胸に頬を擦りつけるように動いた。
私は小さく揺らす。大きくしない。
揺れは“波”じゃなく“呼吸”。
「大丈夫、大丈夫」
背中を軽く、トントン。
泣き声が、ほんの少し落ちた。
人だかりが息を止める。
「……減った?」
「泣き声が……弱く……?」
司祭が眉をひそめた。
「まぐれだ。封印の準備を――」
「待って」
私は赤ちゃんの額に触れた。熱はない。
でも、汗ばんでいる。
服が厚い。毛布が重い。
(暑い……刺激が強い)
私は母親に目を向けた。
「服、厚すぎるかも。ひとつ脱がせてもいい?」
母親は呆然として、慌てて頷く。
「は、はい……」
上着を一枚だけ外し、毛布を軽くする。
泣き声がまた少し下がった。
窓の揺れも弱くなる。
「……嘘だろ」
誰かが呟いた。
赤ちゃんは目を擦ろうとし、唇が少し乾いている。
手をぎゅっと握る。
(眠い。あと喉が渇いてる)
私は母親に聞いた。
「ミルク、あります?」
「あります……でも飲まなくて……」
「温度、確認していい?」
「温度……?」
母親が困った顔をする。ここでは気にしないのかもしれない。
私は哺乳瓶を受け取り、指で温度を見る。
(冷たい寄りだな)
「少し温めよう。赤ちゃん、温かいの好きだから」
司祭が苛立った声を出す。
「そんな些末なことで、この災害が止まるものか!」
私は笑顔で言い返した。
「赤ちゃんにとっては、些末じゃないです」
司祭の口が止まった。
宿屋の台所を借りて、ミルクを少し温める。
熱くしすぎない。手の甲で確かめる。
赤ちゃんに哺乳瓶を当てた。
「はい、どうぞ」
赤ちゃんは一瞬迷い、それから――吸った。
ごく、ごく。
泣き声が止んだ。
同時に、窓の揺れが止まる。
風が静かになる。空気が戻る。
「……止んだ」
「魔力暴走が……止まった……」
リゼが口を開けたまま、私を見ていた。
「あなた……何者なんですか」
「ただの育児経験者」
私は小声で答える。
司祭が信じられない顔で前に出た。
「封印も浄化もなしに……!」
「封印じゃなくて、安心が必要だっただけです」
「安心……?」
私は赤ちゃんの背中をトントンしながら、静かに言った。
「泣くのは、言葉がないからです。伝えたいことがあるだけ」
赤ちゃんの目が半分閉じる。
身体の力がふっと抜けていく。
私は音を減らし、歩く速さを落とす。
揺らしすぎない。
「大丈夫。眠っていいよ」
赤ちゃんが、すーっと眠った。
その瞬間、曇っていた空が少し明るくなった。
雲が薄くなるみたいに。
人だかりの中から、拍手が起きた。
「すごい……」
「こんなの、見たことない……」
「育児って、魔法より上なんだ……」
(いや、上じゃない。育児は育児……!)
母親が私の前で膝をついた。
「ありがとうございます……! 本当に……!」
「立って。膝、痛い」
私は慌てて言った。
母親は涙をこぼしながら、眠る赤ちゃんを見つめる。
「この子が泣くたび、周りが壊れて……私が悪いんだって……」
「悪くない」
私ははっきり言った。
「赤ちゃんは泣きます。泣くのは普通」
「泣いても大丈夫って空気が必要なんです」
母親の肩が、少しだけ下がった。
リゼが深く頭を下げる。
「……私は赤子を“制圧”しようとしていました。謝ります」
「制圧はやめよう」
「はい……」
それから、ぼそっと言う。
「抱っこ、教えてください」
私は笑った。
「いいよ。まず肩の力を抜いて」
「それが難しいんです……!」
「分かる。最初そう」
そこへ、周囲の人が一斉に前へ詰めた。
「うちの子も夜泣きが……!」
「食べなくて……!」
「寝ないんだ……!」
私は一歩引いた。
(……スローライフ、どこ……?)
司祭が悔しそうに杖を握りしめる。
「そんな……生活技術で……!」
私はにこっと笑って言った。
「生活が崩れると、世界が崩れるんです。たぶん」
司祭は言い返せなかった。
窓が揺れていないから。
⸻
その日の夕方。
宿屋の一室に、簡易の相談所ができた。
机と椅子。紙。
そして、その前に並ぶ列。
列が……長い。
「……え、これ全部?」
私が呆然としていると、母親が申し訳なさそうに言った。
「みんな怖かったんです。赤子が泣くと世界が揺れるから……」
「揺れるのは世界じゃなくて、大人の心だよ」
私の呟きに、リゼが真面目に頷く。
「でも、それが常識でした。泣き声は災害。だから皆、抱くのが怖くなって……」
「怖いと、余計に泣く」
「……悪循環ですね」
私は椅子に座り、深呼吸する。
(やるしかない)
「はい、順番に聞きます」
夜泣き。離乳食。抱っこで反る。寝かせたら起きる。
そして最後は――親の限界。
私は一つずつ、原因を分けて話した。
「夜泣きは原因がひとつじゃない」
「眠いのに眠れない」
「暑い、寒い、音が多い、明るい」
「お腹が張ってる時もある」
「まず落ち着いて、同じ手順でやってみよう」
リゼが横でメモを取っている。真剣すぎる。
「あなた騎士でしょ」
「はい」
「なんで育児の講義を受けてるの」
リゼは真顔で言った。
「戦場より勝てる気がしません」
「勝たなくていい。寄り添えばいい」
「その言葉、泣きそうです」
泣かないで。
そして、疲れ切った母親が震える声で言う。
「私が悪いんですよね……泣かせるから……」
「違う」
私はゆっくり首を振った。
「一人で抱えたら、誰でも限界になる」
「助けを呼んでいい」
「眠っていい。休んでいい」
「赤ちゃんを守るために、あなたが壊れたら意味がない」
母親の涙が落ちた。静かで、強い涙。
「……ありがとうございます」
「どういたしまして。生き残ろう」
冗談みたいなのに、本気の言葉になった。
生活は戦場じゃない。
でも毎日続く。続くことが一番強い。
⸻
夜。
相談所を閉め、宿屋の窓から町の灯りを見る。
赤ちゃんの泣き声は聞こえない。
聞こえても、もう災害にならない気がした。
私は椅子にもたれて、目を閉じた。
(疲れた……)
そのとき、指先に小さな感触。
赤ちゃんミルが、私の指を握っていた。
小さな手。温かい手。
弱いのに、強い。
「……君、ありがとうね」
ミルが「ふぇ」と小さく声を出す。泣き声じゃない。呼吸みたいな声。
私は笑った。
「スローライフの予定だったんだけどな」
背後でリゼが呆れた声を出す。
「あなたのスローライフ、最初から無理でしたね」
「そうかな」
「そうです」
私は肩をすくめた。
「でも、平和だよ。今日」
リゼが少しだけ優しい顔になる。
「……はい。確かに」
窓の外は静かで、風も穏やかだった。
「明日、看板作ろうかな」
「看板?」
「“育児相談所”って」
リゼが真顔で頷く。
「必要です。国家を守る施設です」
「大げさ」
「大げさじゃありません。今日、町が救われました」
私は困って笑った。
「救ったのは、ミルクの温度と毛布の重さと、抱っこの角度だよ」
「それを分かる人がいないのが問題です」
「……確かに」
私は小さな手を見た。
剣も魔法もない私が、こんな場所で必要とされるなんて。
でも、考えてみれば当然だ。
誰かが泣いたら、止める力。
怖い顔じゃなく、安心させる力。
勝つためじゃなく、生きるための力。
それは最初から、強い。
⸻
翌朝。
宿屋の前に、立派な木の看板が立っていた。
リゼが誇らしげに文字を読む。
『育児相談所(最強)』
「……誰が“最強”って書いたの」
「町の人です。満場一致でした」
「やめて恥ずかしい」
でも、看板の前にはすでに列がある。
昨日より増えてる。確実に増えてる。
私は深呼吸した。
「……スローライフは?」
リゼがさらっと言う。
「諦めた方が早いです」
「ひどい」
そのとき、看板の下でミルが小さく笑った。
その笑いに合わせて、町の空気が少し明るくなった気がした。
私は負けたと思った。
「……まあ、いいか」
袖をまくる。
「剣より重いのは、抱っこだしね」
誰かが笑った。笑いが広がる。町があたたかくなる。
私は今日も戦わない。
でも、守る。
泣き声が世界を揺らすなら、眠れるようにして世界を落ち着かせればいい。
最強スキルが“育児”で、よかった。
私は列の先頭に声をかけた。
「はい、どうしました? まず、眠れてますか?」
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
このお話は、
「育児って、地味だけど最強じゃない?」
というところから生まれました。
剣や魔法で“倒す”強さも格好いい。
でも、誰かの泣き声に向き合って、安心させて、眠らせる力は、毎日世界を立て直していく強さだと思っています。
ユイトがやったのは特別な魔法ではなく、
服を軽くする、
ミルクの温度を整える、
抱っこの角度を変える、
「大丈夫」と言う。
たったそれだけ。
それでも“空気”が変わる瞬間を書きたくて、この短編にしました。
あなたの一言が次の物語の栄養になります。
読んでくださって、本当にありがとうございました。




