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二話・魔法少女ミラクルるりか 後編

 羽柴仁は、本気でピンチだった。

 外界で入院している兄貴分と、付き添っている舎弟の富良野を除くと、誰も味方が居なくなってしまったのだ。

 組長の蒲生と共に、ここへ連れて来られた時から、ある程度の覚悟は決めていた。

 案の定現れた浅間龍祥は、酷薄な笑みを浮かべて、二人を見下ろした。

「そちらの親分さんには、引退してもらう事にするよ」

 腕組みして、二人を見下ろした浅間は言った。

 囲んでいる兄弟分は、何か様子がおかしかった。

 サキュバスに操られているのか、浅間が何かしたのか、その辺は判然としない。

「うちみたいな弱小組織の頭を取るより、政府公認魔導士でおった方が、実入りがええと思うけどな」

 羽柴は浅間を見上げた。

 体が動かないのは、魔法のせいでも、縛られているせいでもない。

 動けない程痛めつけられたのだ。

 組長の蒲生は、そこまでひどい目には遭っていないが、監禁されていた期間が長いせいか、弱っている。

 おまけに魔法が使えない。

 封じているのは、明らかに浅間だ。

 こんな魔法封じ、魔力が格上の相手には通じないのが普通だが、組長を盾にして抜け目なく弱らせてから使って来ている。

 本当に嫌な奴だ。

「目的の為には、蒲生組が丁度良かっただけだ」

 どんな目的があるのか知らないが、迷惑な話だ。

「お前なんぞ、助けん方が良かったわ。犬でも三日飼えば、恩は忘れんちうに」

 羽柴は、悪態をついた。

「君にはもう、味方は居ない」

 浅間は言った。

「君らの業界では、さすがに親分を殺した様な男に付いて行くのは抵抗があるだろうし、まだ利用出来るから、彼は生かしておくが…」

 何かされている様子ではあるが、組員達も、そこまでがっちり操られている訳ではないらしい。

 蒲生をちらりと見てから、羽柴に視線を戻した。

「君は邪魔だから、ここで消えてもらう。外界に居る二人も、後で始末するがね」

「おんどれ、兄貴と富良野まで」

 立ち上がろうとしたが、きっちり縄で括られた上に、弱らされていては、身動きは取れなかった。

 本当は、こんな威勢のいいセリフを吐くのも、一苦労なのだ。

「済まんな…わしが不甲斐なくて」

 蒲生はつぶやいた。

 若い頃は無茶もしたらしいが、元々魔力がすごく高い訳でも無く、人望があって周りが盛り立ててくれるタイプの親分なので、こうなると弱い。

「謝らんでください。不甲斐ないのは、わしの方ですけん」

 オヤジを守れんで、こんな訳の分からん状況のままで終わりか…案外短い人生じゃったのう…。

 半ば覚悟を決めたその時…。

 土蔵の入り口が、物凄い轟音と共に吹き飛んだ。

 薄暗い土蔵に一気に射し込んだ真昼の光に、皆は一瞬目がくらんだ。

 打ち壊された土壁の、もうもうと立ちこめる土煙の中に、裾の広がったミニのワンピースを着て、天使の羽根が付いたステッキを持った少女のシルエットが浮かんだ。

「誰だ、お前は」

 浅間は尋ねてから、しまったと後悔した。

 何だか、展開がお約束になる予感満載だ。

「誰かと問うなら、答えましょう。愛と友情の名の下に」

 びしっとポーズが決まった。

「魔法少女ミラクルるりか、只今参上」

「ああ…正義は無いんじゃな」

 大体正体が分かったので、羽柴はぼやいた。

「正義があったら、ヤクザを助けには来ません」

 るりかは断言した。

「よく分からないけど、面倒だからやっちゃって」

 浅間は、配下に回ってしまったらしい蒲生組の組員に命じた。

 明らかに、浅間の守備範囲外の生き物の登場で、戸惑っている。

「てめぇら、命が要らねぇなら、かかって来やがれ。ミラクルスパーク!!」

 魔法のステッキから飛び出した電撃が、辺りを薙ぎ払った。

「それ、魔法少女のキャラじゃないわ。やめてやめて、オヤジは去年、狭心症で入院…」

 とばっちりを食らいそうになって、蒲生を庇って床に倒れ込んだ羽柴を、誰かが触った。

「だいぶやられたわね、ジン君」

「マキちゃん…」

 一瞬嬉しそうな顔になってから、そもそもマキちゃんが誰だったか思い出した羽柴は、言葉を飲み込んだ。

「何しに来たんじゃ、マグロ」

「わざと言ってるだろ、お前」

 腕を掴まれて、容赦なく根本治癒魔法をかけられた。

 羽柴は悲鳴を上げたが、怪我はあっという間に治った。

「何でこれくらい、自分で治さないんだよ」

「魔法封じられて」

「ああ、なるほど…」

 るりかに手こずっている浅間を、ちらりと見た。

「今なら抜けられるな」

「もう抜けたわ」

 浅間の支配下から逃れた羽柴は、あっという間に真空を作って縄を切り、蒲生を回復させた。

「逃げるぞ。表に車を用意してる」

「お前、これは…」

 状況が理解出来ないで、羽柴は尋ねた。

「質問は後。早く…」

 言いかけた所で、浅間がこちらに気が付いた。

「仲間が居たぞ」

「うわー、見つかった」

 当たり前だ。薄暗いとはいえ、仕切りも何も無い土蔵の中なのだから。

「バレちゃしょうがない。同じく、魔法少女マジカル鯖子、お呼びとあらば即参上」

「いや…もう参上しとるし、誰も呼んどらんし、そもそも君、少女じゃない」

 羽柴の弱々しいツッコミが、むなしく響いた。

「細かい事気にするなぁ。食らえ、アトミック○ァ○○ーブレード!!」

 浅間に、何か凄い一撃がヒット。

 どこから突っ込んでいいか分からないが、とりあえず中ボスを一発で倒した。

「先輩、その技、ほぼアウト」

 ザコ敵を倒し終わったるりかが言った。

「いいじゃん。剣道部なら、一回はやってみたいんだよ」

 全国の剣道部員の賛同は、微妙に得られないまま、ミッション終了。

「よし、逃げよう」

「ここまで圧勝しておいて、逃げるんじゃのぅ…」

 蒲生を助け起こしながら、羽柴は呆れて言った。

「当たり前だ。こいつ、俺の本名知ってるんだぞ。出会い頭にぶちかまして逃げなきゃ、こっちが危ないわ」

「わしも、行きがかり上じゃが、お前の本名は知っとるんじゃけど」

 羽柴は言った。

「ジン君は義理と人情の人だから、他言しないわよね」

 ぐいっと近付いて、色っぽい声で言われた。ああ、あんなごつい兄ちゃんだと知っているのに…スネ毛があってビッグマグナム黒岩先生なのに…本人を目の前にすると、この胸のときめきは何?

「そっちの親分は、走れる?」

 聞かれた蒲生は、うなずいた。

「仁、ええ女捕まえたなぁ」

「違います」

 羽柴は全力で否定した。

「すんません、泣いていいですかぁ」


 サキュバスは、先刻と変わらず、縁側で茶を飲んでいた。

 逃げ去る四人を見て、別に止めるでもなく、普通に手を振って見送った。


 外界には、四人で戻った。

 羽柴の愛人だと思っていた女が、見覚えのある西谷商会の魔法使いだった事に関して、蒲生親分は追求しないと決めたらしかった。

 外界での潜伏先や、今後どうするかについては、あえて聞かない事にした。

 ただ、浅間に関しては、今後もからんで来そうな、嫌な予感はした。


 環状線の路肩に、巨大な四駆が止まった。

「家の前までは送らない方がいいですよね」

 気を利かして、るりかは言った。

 ケータイには、有坂からのメールが来ていた。

 今日帰るのは知っていたが、何時頃になるのかという内容だった。

 今から帰ると返信して、鯖丸は車を降りた。

「色々ありがとうございました。私のワガママに付き合ってもらって」

「分かってやってたのかよ」

 鯖丸は、少し呆れた。

「変な子だね、君は」

「それ程でもないと思います」

 るりかは、真顔で言った。

「先輩の方が、だいぶ変ですよ」

「そんな事ないだろ」

 二人は少しの間沈黙したが、後ろから来た車が、邪魔そうにクラクションを鳴らしたので、るりかはあわてて車を発進させた。

 鯖丸は、ちょっとの間だけ見送ってから、欠伸をしながら家路についた。

 眠い。とにかく、早く帰って寝よう。


 家に帰って、押し入れから布団を引っ張り出した鯖丸は、その場にばったり倒れて寝た。

 目を覚ますともう夜だった。

 有坂はいつの間にか帰宅していて、ちゃぶ台代わりのこたつテーブルの前に座って、何だか不機嫌な顔で俯いていた。

 足下と天板には、図書館から借りて来たらしい英文の本が山積みになっていたが、広げたまま読むでもなく、放り出されている。

 狭いテーブルの上は、半分空けられて、夕食が一人分だけ取り残されていた。

 俺、また何か、怒らせる様な事やっちゃったのか?

「あの…連絡が遅くなったのは、悪かったよ」

 一応心当たりを言ってみた。

 返事がない。沈痛な面持ちで、俯いているだけだ。

「晩ご飯は一緒に食べようと思ってたんだけど、寝過ごしちゃって…」

 頼むぅ、何か言ってくれぇ。

 何が気に障ったのか全速力で考えたが、他には浮かばなかった。

 元々、あんまり自分を省みるタイプではないし。

 もしかして、るりかと一緒に居る所、見られたのか。そして、今朝早く研究室を出たのも、バレてるのか。

 学部は違うが、同じ大学だから、あり得ない話ではない。

 それとも、このあと実はできちゃったのとか言い始めるのか。いや、それはない、あれだけ気を付けてるんだから。

 しかし、100パー無いと言い切れるか?絶対困る。来年だったら喜んでもいい事だが、このタイミングはマジでかんべんしてください。

 まさか、更に最悪の事態なんて事は。

 いきなり、私達もう別れましょうとか…

 凄い勢いで、妄想だけがぶんぶん回っている。

 嫌な汗が出て来た。

 こうなったらもう、エロい方向へ持って行って、なしくずしで場の空気を変えるしかない。布団も敷いてあるし。

 鯖丸は、捨て身の攻撃に出ようとして、ふと気が付いて止まった。

 有坂は、不機嫌だとか、怒っているとかではない。辛そうだ。というか、苦しそうだ。

「どっか調子悪いの?」

 急に心配になった。

 彼女も頑丈なので、具合悪そうにしているのは、初めてだったのだ。

「調子悪いなら寝て。俺、今日はそっち片して寝るから」

 こたつテーブルを片付けないと、二人分の布団は敷けないので、鯖丸は自分が寝ていた布団に、有坂を押し込もうとした。

「玲司君」

 有坂は、きっとこちらを睨んだ。

 あ…今度は本当に怒ってる。

「何」

 恐る恐る聞いた。

「どうして、納豆のパックに、食べ残した煮豆を入れておくの」

 入れた憶えはある。でも、何でそんな事怒ってるんだ。

「蓋が付いてて、丁度良かったから」

 普通に答えてから、ふとテーブルの上を見た。

 煮魚と野菜炒めが皿に盛られていて、スーパーで買ってきた総菜が一品並べてある。

 その横に、明らかに少し距離を置いて、納豆のパックが放り出してあった。

 半開きになった蓋の隙間から、少し豆が見えている。

 記憶がよみがえった。

 研究室に籠もる日の朝に、一人で朝食を食べた後、残った煮豆をパックに仕舞って、蓋が開くので元通り納豆の包装をかけ直し、流し台の横に放置して出掛けた。七日前だ。

「食ったの、これ」

 驚いてたずねた。

 もちろん、食べるだろうと思って置いておいたのだが、まさか今頃。

「ついさっき…」

 有坂は、うらめしげにこちらを見た。わぁ、そんな目で見ないでー。

「食中毒かも」


 その後有坂は、怒り狂いながらトイレに立て籠もり、二度と再び出て来なかった。

「待てぇ、俺、そこまで悪い事したか?自分だって不注意だからじゃないか」

 鯖丸は、トイレのドアを叩いた。

「あんなにきっちり包み直す事ないじゃない。間違えるわよ」

 有坂は付け加えた。

「糸引いてたし」

「引いてたんだ…」

 それはちょっと分が悪い。というか、糸引いてた煮豆か。厳しいな、それは。

「分かったよ、俺が悪かった。だから、出て来て。もう限界」

 当然だが1DKのアパートに、トイレは一個しかない。

 立て籠もられてしまうと、完全にアウトだった。

 そういう点では、便所共同だった前のアパートも良かったなぁと思った。

 土手を上ってすぐそこに、良く整備された公園のトイレもあったし。

「それに、明日はコンビニのバイトなんだよ。五日も風呂入ってない状態じゃ、行けないだろ。頼むから」

 ユニットバスなので、トイレに立て籠もられると、風呂も使えない。

 いくら鯖丸でも、さすがに食品を扱うバイトだと、そこそこ清潔感には気を使う様子だ。あくまでそこそこだが。

 返事がない。出て来る気配もない。

「食っちまったもんは仕方ないだろ。どうして欲しいの」

「冷蔵庫買って」

 ドアの向こうから返事があった。

「えっ」

「冷蔵庫買ってくれるなら、出る」

 いや、無理無理、何言ってるの、この娘は。

「そんな贅沢品、買える訳ないじゃん。欲しかったら自分で買えよ」

 女の子と同棲して、毎日ごはんを作ってもらっておいて、とんでもない事を言い出す男である。

 貧乏をこじらすと、恐ろしい。

「ダメよ。私は扇風機と炊飯器を買わなきゃいけないんだから」

 最近バイトを増やしていると思ったら、そんな野望があったらしい。

「炊飯器ならあるだろ」

 もちろん、ワンゲルから持って来た兵式飯盒の事だ。

「あんなの、炊飯器じゃないもん」

「扇風機だってあるし」

 しかし、世間ではそれをうちわと呼ぶのだ。

「これから夏が来るのに、冷蔵庫がないと、食中毒で死ぬ」

 今まで普通に冷蔵庫なしで生きて来たんだけどなぁ…と思ったが、それはろくに自炊をしていなかったからだ。

 家賃は鯖丸が払っているが、生活費は折半にしているし、ご飯も作ってくれるので、食費は大変助かっている。

 だが、冷蔵庫は超高級家電だ(鯖丸基準で)自力で買える訳がない。

 どっかに落ちてないか、冷蔵庫。

 ダメだー、考えている場合じゃない。もう無理。

「開けてくれぇ。このままじゃ、人として大変な事にー!!」

「冷蔵庫は?」

 もうダメだー。

「分かった。冷蔵庫でも何でも、好きな様にしたらいいよ。だからもう、勘弁してください」

 鯖丸は、とうとう折れた。


 数日後、西谷商会の事務所に、鯖丸は暗い顔をして現れた。

「何だ、景気悪そうな面して」

 コーヒーを飲みながら事務仕事をしていたジョン太が、声を掛けた。

「景気は良くないよ。所長、何か仕事ないですか。小商いでも何でもいいから」

「うーん、北島君がしばらく休むって言うから、宅配やる?」

 所長は聞いた。

 以前にも一度、代理で入った事はあるが、大して危険もない代わりに、普段の仕事程は時給が良くない。

 大体、キャリアが四年近くあるランクSが、高校生の代わりに宅配と云うのが、普通はあり得ない。

「あ、やります。宅配なら日帰りだから、都合いいし」

 あんまり仕事を選ばない鯖丸は、即答した。

「北島君、何かあったんですか」

「お祖父さんが怪我されたから、代わりに檀家を回ったりしてるらしい」

 家がお寺だとか言ってたが、本物の坊さんだったのか、あいつ。人は見かけによらないものだ。

「君も、色々忙しいんじゃないの」

 所長は、怪訝な顔をした。

 鯖丸がこんな風に御用聞きに来るのは、珍しい。

 大学三年の頃、本気で稼ぐモードに入っていた時以来だ。

 四年になって、剣道部を辞めたら学費は免除されなくなるので、その為に稼いでいたのだが、結局春の大会まで出る事になったので、上手い事審査を切り抜けられて、その年は援助を打ち切られなかった。

 院生になってからは、剣道部を引退した分時間も出来たし、塾の講師も始めたので、貧乏ながらもそれなりに低空飛行で安定した生活だったはずだが。

「そうなんですけど…ちょっと冷蔵庫が」

「ああ、冷蔵庫壊れたんだ。そりゃ気の毒にな」

 所長は、納得した顔をした。

「違います。冷蔵庫はこれから買うんです」

「ええっ、お前ん家冷蔵庫なかったのかよ」

 ジョン太は、驚いた顔をした。

「薙刀女の貧乏耐性って、どんだけ凄いんだ」

「やっぱり、冷蔵庫って生活必需品なの?」

 鯖丸は、一応聞いた。

「当たり前だ。最低限文化的な生活に達してないだろ、あれがないと」

 ジョン太は、呆れた顔をした。

「お前、今までよく捨てられなかったな」

「不吉な事言わないでくれよ。それでなくても最近有坂が怖いのに」

 とうとう、おっちゃん相手に愚痴を言い始めた。

「最初はあんな娘じゃなかったんだけど…」

「いいじゃねぇか。尻に敷かれてやるのも、男の甲斐性だぞ」

 おっちゃん、何だか楽しそうだ。

「初期設定で敷かれてるジョン太に言われたくないよ」

 鯖丸は文句を言った。

 別に、威張りたい訳ではないが、敷かれるのも御免だ。

「冷蔵庫ぐらい買えよ、すぱっと」

 今まで黙って聞いていたトリコが、口を出した。

 自分の経済状況は知っているはずなのに、何て事言うんだ。

「俺に、あんな超高級家電、すぱっと買える訳ないだろ」

 鯖丸は反論した。

「お前、冷蔵庫を何か勘違いしてないか」

 トリコは言った。

「別に、中古のちっちゃいやつでいいんだろ」


 実は、二十四年近く生きて来て、鯖丸が家庭用冷蔵庫のある生活をしたのは、一年半程の間だった。

 地球に来て、重力にどうにか慣れて普通の生活が出来る様になってから、高校で寮に入るまでの間、叔父さんと同居していた一年間と、トリコと同棲していた四ヶ月、それに、女関係で荒れていた頃、キャバ嬢としばらくルームシェアしていた間くらいだ。

 冷蔵庫と言えば、引き出しが三つくらい付いていて、身長(家電では普通使わない表現)170センチ以上ある、アダルトな財力でしか買えない白物家電だ。

 この世にはちっちゃい冷蔵庫があるのか、何てこった。

「俺にも買える範囲内なの、それ」

「買えるんじゃないかなぁ」

 トリコは言った。

「まぁ、それはそれとして、宅配の仕事はやってもらう訳だが」

 所長は言い切った。

 しまったー、冷蔵庫が超高級家電じゃないなら、別に宅配はやらなくても済んだのに。

「よろしくね」

 ああ…何かもう、問題山積み。

「いいじゃないか、それで予算が浮いたら、たまには二人でどっか遊びに行けば」

 トリコは言った。

「お前な、あんな生活に付き合ってくれる娘なんて、天然記念物だぞ。文句言ってたら、バチが当たるよ」

「えー、俺だって努力してるのに」

「それは知ってるけど」

 花見で一回会っただけだが、生真面目でいい娘そうだった。

 真面目だし、まだ若いから、こいつをいい様に操縦したり出来ないんだろうな、気の毒に。

 鯖丸も、上手い事扱えば、けっこういい男なんだが。

 とりあえず、顔は残念だけど。

「いいから、ちっちゃい冷蔵庫、買って帰れ。それから、たまには二人で外食でもしろ」

「うん、分かった」

 鯖丸が、案外素直にうなずいたので、トリコはほっとした。

 何かもう、元カノと言うより、おかんのポジション。

 すごく釈然としない。

 しぶしぶ宅配の打ち合わせをした鯖丸が帰りかけた時に、るりかとハートが、魔界から戻って来た。

「お疲れ。どうだった、向こうの様子は」

 ジョン太が尋ねた。

「良くないね。最近無茶するプレイヤーが多くて」

 ハートは首を振って、机の前に座った。

 何が入っているのか、重そうにキャスター付きバッグを引きずって来たるりかは、帰りかけている鯖丸と、目が合った。

 微妙なアイコンタクトを送ってから、こんにちはと普通に挨拶して、横を通り抜けた。

 全く、何事もなかったかの様な態度だ。

「所長、依頼者の方から、かぼちゃいただいて来たんですけど」

 バッグから、次々とカボチャを取り出して、皆の机の上に配り始めた。

 どうやら依頼者は、魔界でやってる農家だったらしい。

「あんまりそういうの貰って来ない様にね」

 所長は注意したが、一応主婦なので、カボチャは有り難く受け取った。

「先輩もどうぞ。お家に帰って、煮てもらうといいですよ」

 ずっしり重いカボチャを渡された。

「ああ、ありがとう」

 煮るくらいなら、俺だって出来るのに…と思ったが、素直に礼を言ってディバッグに押し込んだ。

 確かに、煮るくらいなら出来るだろうが、待っている結末は、たぶんカレーだ。

「じゃあ、お先失礼します」

 皆に挨拶して、事務所を出た。

 先日の件は、所長にはバレてなさそうなので、ほっとした。


 その後、案の定スーパーで安売りのカレールーとミンチ肉を買い込んだ鯖丸は、リサイクルショップと電気屋を何軒か回って、帰路についた。

 なぜか、もう既に、小型の2ドア冷蔵庫を肩に担いでいる。

 貧乏性でケチのくせに、いざ買うとなったら、決断が速いのだ。

 リサイクルショップで散々値切り倒したあげく、保証期間まで延長させる鬼畜っぷりに、けっこう同年代の店員は、最後には店長を呼びに行く有様だった。

「あのー、それと配送料がかかるんですけど」

 リサイクルショップの店員は言った。

「持って帰ります」

 鯖丸は、言い切った。

「じゃあ、お車まで運びますが」

「歩いて帰る」

 すごい事言う客だと思いながらも、一応要所要所を段ボールで被って、ガムテープで貼ってくれた。

 本気出せば大型冷蔵庫を二階から下ろせる鯖丸は、ちっちゃい冷蔵庫を肩に担いで店を出た。

「いいね君。うちでバイトしない?」

 店長が、わざわざ駐車場の所まで出て来た。

「時給いくらですか」

 鯖丸は、本気で聞き返した。

 微妙に労働条件がかみ合わなかったので、保留にして道を歩いていると、向こうから来る人影があった。

 羽柴仁だ。

 何で、こんな住宅街を歩いているんだと思っていると、向こうから近寄って来た。

「おう、元気じゃったか。この間は世話になったな」

 外界に居るせいなのか、潜伏しているからなのか、あまりヤクザっぽくない格好をしている。

 せいぜい、ちょっと悪そうな人だ。

「何やっとんじゃ、お前」

「冷蔵庫買って帰る途中なんだけど」

 話し込むにはしんどいので、道端に冷蔵庫を下ろしてから、鯖丸は言った。

「そんなん配達してもらえや」

 本当に普通の意見を、ヤクザから言われた。

「配達代もったいないから」

 鯖丸基準で、普通の意見が帰って来た。

「何じゃその辛い話。西谷商会って、そんな給料安いんか。うちの組のが、まだマシじゃ。うちで働け」

 短時間で二件も勧誘されてしまった。

「断る。それに、俺ランクSだから、時給は高い」

「時給計算か…」

 羽柴は考え込んだ。

「もっと働けや、お前」

「いや…学生なんで、学校も行かないといけないし」

「学生か」

 羽柴は、納得した顔をした。

「見た目若いと思うとったら…そうか。謎が解けたわ」

 どうでもいい謎だ。

「嫁もおるし、タメ年かと思うたが、やっぱし二十歳ぐらいじゃよなぁ」

 ああ…とうとう成人に見られる様にはなった。ブラボー、でもこいつはいつか殴る。

「ところで、ジン君は何しに来たの」

 道端で、冷蔵庫の横にしゃがみ込んでいる二人は、完全に不振人物だった。

 人通りの多い場所ではないが、たまに通りかかる通行人が、ぎょっとした様に二人を見て行く。

「何って…」

 羽柴は、自販機でコーヒーを買って来て、鯖丸に一個渡した。

「うち、この近所だろ。何か用事があって来たんじゃないの」

 おごってもらった缶コーヒーを、開封しないで大事にポケットに仕舞ってから、鯖丸は尋ねた。

 電話番号もメールアドレスも教えていないので、他に連絡手段が無かったのだろう。

「ああ、実は」

 羽柴は言った。

「オヤジが、お前とるりかちゃんに世話になったから、礼がしたい言うてな」

 ちょっと頼りない、蒲生親分の顔が、思い浮かんだ。

 浅間に組を乗っ取られて、シマも子分の大半も無くしてしまったはずだ。無理しなくていいのに。

「一席設けようと思うんじゃが、いつがいい?」

「一席って、どういう席?」

 全く見当が付かないので、聞いた。

「まぁ、大した事は出来んが、料亭でそれなりの…」

「要らん」

 鯖丸は即断した。

「いや…お前ん所の、微妙に可愛くない嫁も、一緒に…」

「微妙に可愛いだろうが。本気で殴るぞ。言っておくけど俺、剣道やってるから、外界でもジン君より強いし」

 棒的な物を持ってないと、微妙に弱いのは秘密。

 そして、どっちにしても微妙な有坂の可愛さも、本人には秘密だ。

「大体、ヤクザと一席って、あり得ない」

「るりかちゃんにも、それ言われたわ」

 羽柴は、がっくりしている。

「じゃが、世話になって何の礼も無しでは、筋が通らんわ。何ぞ欲しい物とか言うてくれ」

 さっきまで冷蔵庫だったのに。何て間の悪いヤクザ。

「米」

 鯖丸は、即断した。

「ストレートじゃのう」

 羽柴は呆れた。

「分かった。ちょい待っとってくれ」

 羽柴は、近くにある酒屋に入って行った。

 お米引換券とか貰えると思った鯖丸は、期待した。

「待たしたのう」

 スーパーなんかでは見ないサイズの米袋を担いで出て来た羽柴を見て、鯖丸はちょっと引いた。

 いっちゃんええやつくれ…とか言っているのが聞こえたのだが、こんな惨状は予想していなかったのだ。

 米だー。それも、酒屋で売ってる、いっちゃんええやつだー。ヤクザすげー。

 でも、持って帰るには、重量オーバーだー。

「あの…ジン君…」

 一応聞いてみた。

「これ、嫌がらせだろ」

 さっきは配達とか言ってたくせに、何で買って来て渡す。それも、冷蔵庫運んでる時に。

「お前なら持って帰れる思うたんじゃ」

 羽柴は、ヤクザのくせに爽やかに笑った。

「家はすぐそこじゃろ。体育会系の意地を見せてみぃ」

 冷蔵庫のドアを開けて、米袋を無理矢理押し込んでいる。

 助けてはもらったが、それなりにひどい目にも遭わされているので、絶妙に嫌がらせを混ぜて来た。

「そりゃ、持って帰るけど」

 合計六十キロ。

 無理ではないが、しんどい重量だ。

「うわ、バランス悪っ」

 一度持ち上げてみた鯖丸は、米袋を冷蔵庫から取りだした。

 それから、両肩に一個ずつ、ひょいと担ぎ上げた。

「ところでるりかは、何欲しいって言ったの」

 気になったので聞いてみた。

「嬢ちゃんは、金では買えん物がお望みじゃ。よう分からんが、一日アシスタント券五枚綴りとかいうの、渡されたわ」

 うわー、ジン君終わったな…と、鯖丸は思った。

「わしは、何のアシスタントをさせられるんかいのう」

「知らない方がいいと思うけど、夏コミ前は、スケジュール空けとくんだね」

 一応忠告した。

 夏コミが何なのかも分かっていない羽柴が見送る中、鯖丸は冷蔵庫と米袋を担いで、割と普通の足取りで、すたすたと帰って行った。


 いっちゃんええ米と、採れたてカボチャのカレーライスは、ものすごく美味しかった。

 帰って来た有坂は、晩ご飯がもう出来ている上に、台所に冷蔵庫があるのを見て、久し振りに機嫌を直した。

 当分、平穏な生活が送れそうだった。

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