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一話・ヤクザvs魔法使い vol.3

 女体化ついでに女湯をエンジョイしようとした鯖丸が、ジョン太にボテクリ回されている頃、トリコは昔の知り合いに手引きしてもらって、遊興地区に入っていた。

「こんなのバレたら、只じゃ済まないぞ」

 政府公認魔導士だった頃、懇意にしていた情報屋は、眉をひそめた。

「悪いね、色々迷惑かけて」

 女衒に引率されているお女郎を装って、後ろをとぼとぼ歩く振りをしながら、トリコは言った。

「俺はいいよ。姐さんには色々恩もあるし」

 一見テキ屋風の情報屋は、この辺一帯顔パスだった。

 本業もテキ屋で、他にも女郎屋への女達の斡旋とか、後ろ暗い商売もやっている。

「あんた、一回正体がバレてさらし者になってんだから」

「顔は変えてるから、大丈夫だろ」

 長い黒髪を結い上げて、色っぽい感じの外見だが、カエデ姐さんとは、確かに顔は違う。

 とは云え、魔法整形を見破る能力を持った者も、全く居ない訳ではない。

 相変わらず剛胆な姐さんだ。

「心配するな。今の仲間は、危なくなったらちゃんと助けに来てくれるから」

 情報屋は、諦めた風にため息をついた。

「俺に出来るのは、連れて行くだけだから」

「それでいいよ」

 堀で囲まれた遊興地区の中は、一部の飲食店を除けば、ほとんどがその手の店だ。

 奥にある、一般の客はちょっと入りにくい様な遊郭を借り切って、襲名披露と、その後の宴席が設けられている。

 こんな場所を選んだのは、外部の者が目立つからだ。

 浅いとは云え、堀に囲まれているので、通常の出入りは、四カ所の橋からしか出来ない。

 遊興地区の中は、いつもに増して賑わっていたが、客の大半がその筋の人達なので、異様な雰囲気だった。

 明らかに襲名披露に招待されていそうな幹部連中が、まだその辺をうろうろしている所を見ると、始まるには時間がある様子だった。

 ヤクザの盃事には、様々な決まり事があり、意外と厳粛な儀式だ。

 その後、部屋を変えて宴席が設けられている。

 遊興地区の女達は、その宴席の為に集められていた。

 情報屋は、遊郭の通用口から、中に入った。

 店を仕切っているらしい女が、神経質な表情で、こっちを見た。

「女将さん、新しい娘、連れて来たよ」

 情報屋は、きせるでたばこを吸っている女将に、声をかけた。

 女将は、面倒くさそうに顔をしかめた。

「もっと若い娘がいいって、親分さんは言ってたんだけどねぇ」

「頭数が足りないから、綺麗な娘なら、誰でもいいって言ってただろう」

 情報屋は、不満そうに言った。

「あのう、見た目は変えられますけど」

 なるべく、控えめに聞こえる口調で、トリコは言った。

 今の外見は、魔界の標準で、二十代前半くらいだ。

 アンチエイジング治療が一般化した外界で、保険の利かない美容目的の治療を受けていれば、四十歳くらいまでこの程度の外見を維持出来るが、魔界ではそんなもんだろう。

 これより若い娘がいいって…親分ロリコンかい。

「まぁ、その辺はいいよ。適当で」

 女将は、奥へ入れと云う風に、ちゃっちゃと手を振った。

「親分はそう言ってたけど、色んなタイプが居た方がいいから」

「よろしくお願いしまぁす」

 草履を脱いで、トリコは裏口に上がった。

 情報屋は、少し心配そうな顔をしたが、怪しまれるとまずいので、さっさと立ち去った。


 女達が詰めている部屋は、裏にあるので日当たりも悪くて、陰気な場所だった。

 親分衆に取り入って、どうにかここから引き上げてもらおうと、やる気満々の娘も居れば、ヤクザ相手の宴席に呼び出されて、怯えている娘も居る。

 空いている場所に座ったトリコは、勝手に備え付けてある茶をいれて飲みながら、周囲を観察した。

 ちょっとお腹が空いたが、昼食が出される様な気配はない。

 鯖丸が鰻重をむさぼり食っていた事実を知ったら、殴りに行きかねないシチュエーションだ。

 仕方がないので、懐に入れていた潜入捜査の必需品、カロリーメイトをこっそり食べていたら、隅の方に居た女と、目が合った。

 窓の外を眺めながら、ぼんやり、だるそうな顔で煙草を吸っている娘には、見覚えがあった。

「雛ちゃん…?」

 言ってから、しまったと思った。

 女は、顔を上げてこちらを見た。

 少し考えてから、はっとした様な顔をした。まずい。

「あたし、ちょっとおトイレ」

 言い訳をすると、じゃあ、私も行こうとか言いながら、女は付いて来た。

 廊下を少し歩いて、人目に付かない場所に来てから、トリコは声をかけた。

「何で分かったの。顔は変えてあるのに」

 後から付いて来た女…以前くらき屋に潜入していた時知り合った雛菊は、煙草の煙を吐いてから、少し笑った。

「私はね、そういうの見れば分かるの」

 客商売だからなのか、そういう能力を持っているのか…。

「黙ってて欲しいんだけど」

 トリコは言った。

「姐さん、まだ政府の仕事してるの?」

 雛菊は聞いた。

 くらき屋に潜入していたのは、まだ、政府公認魔導士だった頃だ。

 あれから、三年が経っている。

 くらき屋で会った頃は、十七歳くらいだった彼女も、何だかしなくていい苦労を山程して来たらしく、すっかりスレた感じの遊女になってしまっている。

 色々あったんだろうな…とは思った。

「いや…今は民間だ」

 面倒なので、普段の口調に戻った。

「どうしようかなー」

「取引しよう」

 トリコは、交渉にかかった。

「協力してくれたら、外界に戻る手助けをする」

「姐さん、何も分かってない」

 雛菊は、ため息をついた。

「私、本当なら、三回ぐらいは外へ戻れるお金は、稼いでるんだよ」

 酷い話は、けっこう耳にして来ているので、何を聞いても驚きはしなかった。

「身内に、借金増やしてる奴が居るのか?」

 雛菊は、うなずいた。

「オヤジがギャンブル依存症でさ」

 何もかも、諦めた様な顔だ。

「返しても返しても、いつの間にか借金が増えてるんだ。たぶん、もう、外には戻れないと思う」

 よくある話だ。

「今組んでる仲間が、薄暗い法律関係にコネがある。どうにかするよ」

 ジョン太、勝手にどうにかする要員に。

「うん。このままだと、どうせ売れなくなるまで飼い殺しにされるだけだから、協力してもいいけど」

 遊女にしては清純派のお嬢ちゃんが、随分ダークになったものだ。

「それに、退屈だったし。もう、何もかも壊してくれるなら、それでいいかも」

「自暴自棄になるな。まぁ、全部壊した方がいいって云うのは、賛成だが」

「姐さん、何か昔とキャラ違うね」

 雛菊は言った。

「私は元からこんなだ。潜入の時は一応、キャラ作ってたし」

 トリコはきっぱり言い切った。

「そうなんだ」

 雛菊は、少し呆れた顔をしたが、うなずいた。


 雛菊とは、その後も少し、話をした。

 本当の年齢と、実は小学生の子供も居るという事を明かすと、雛菊は驚いていた。

 詳しく聞いた、雛菊の父親についての話は、外界の法律の範囲内で、充分対処出来る内容だった。

 まだ子供だった頃から、そういう親に振り回されて来た彼女には、もう、判断が出来なかったのだろう。

 父親も、言いなりになっているという母親も、医者の治療を受けた方がいい。

「そう言えば、姐さんが捕まって晒し者になってた時」

 一通りの話が終わってから、雛菊は言った。

「捜しに来た人が居たんだけど、会えた?」

「どんな奴だった」

 魔界まで、自分を捜しに来る様な相手に、心当たりがなかったので聞いた。

「私が会ったのは、若い男の子で、魔力が高くて、何となく姐さんに雰囲気が似てた。あと、小夜ちゃんが魔法整形の獣人に、同じ事聞かれたって」

 何だ、鯖丸とジョン太か。

「そいつらだったら、あと何時間かしたら、会えるよ」

 トリコは言った。

 襲名披露が、そろそろ始まろうという時間帯だった。


「魔法少女鯖子です」

 自己紹介した鯖丸は、秋本に殴り倒された。

 ヤクザ達が、遊興地区に飲み込まれた頃、警察関係者も全員集合していた。

「何で殴るのよ」

 おネエ言葉で聞いた。

「よく分からないけど、むかつく」

 的確な意見だ。

「いい加減にしろ、お前。さっさと元に戻れ」

 戦闘用ハイブリットの身体能力をフル活用して、ジョン太がツッコミを入れた。

 鯖丸は、地面にめり込んだ。

「ひどいわー、鯖子壊れちゃう」

 何言ってるんだ、このバカは。

「死ね」

 本気で、ツッコミがひねりのない方向に一本化して来た。

「巨乳、好きだったくせに」

「お前の巨乳なんか、好きじゃない」

 おっちゃん、泣きそうだ。

「こんな乳に惹かれる自分が許せん。こいつは鯖。すね毛濃いし、腹筋割れてる」

 自己暗示モードに入っている。

 そんなに巨乳好きなのか。みっちゃんはAカップなのに。

「何でそんな事知ってるー」

 とうとう、心の声にまで突っこんで来る様になってしまった。

 人としておかしいだろう、それは。

「まぁまぁ」

 所長は止めた。

「私も巨乳な訳だが」

「所長は、太ってるだけ」

 的確な意見を言ったジョン太を闇に葬り去ってから、所長は皆に言った。

「ヤッパの政から、最終報告が入った。襲名披露が、今始まった。鯖丸は、南入口の橋に待機して、機動隊の支援を待て。

 ジョン太とハートは、西入口で待機。私は、斑と平田と東の橋に待機。北の橋は、ハヤタの所で担当だ」

 続いて、警察官達が、魔法使いの背後に割り振られた。

 土方警部が、自分の隣に立って、よろしくと言った。

 残りの警官は、皆、三名程度のグループになって、配備されている。

 南の橋は、実質自分一人で担当になるのだという事が、はっきり分かった。

 魔法を使って見せろと言われたのも、納得は行く配置だ。

「機動隊を呼ぶタイミングは、私が指示する」

 土方警部が言った。

「各グループとも、緊急時の連絡は、この紙に書いて飛ばす様に」

 各グループに、便箋が渡された。

 物質操作系能力者が、魔力を込めてある紙だ。

 誰でも使える様に作るには、ある程度の熟練度が必要で、実際に使われるのを見るのは、初めてだった。

 所長も物質系能力者だが、触ってみると別人の魔法だと分かる。

 作ったのは、警察官の中の誰かだ。確か、物質系は二人居た。

 意外と、侮れない人材が揃っている。

「では、解散。各自持ち場で、次の指示を待て」

 目の前にある、西の橋担当の、ジョン太とハート、それに宇和川と秋本がその場に残り、皆はそれぞれ、持ち場を目指して散開した。


 南の橋までは、ゆっくり歩いても五分程だった。

 どの橋も似た様な作りで、遊興地区側のたもとには小さな監視小屋が建てられ、外から来る者にはチケットが渡されている。

 遊女の逃亡を防ぐのが目的だが、来客数の統計にも使われているらしい。

 チケットを無くすと、出て行く時に一応調べられる事になっていた。

「女性の方が、厳しく調べられるらしいが…まぁ、我々は強引に突入する訳だから、関係ないな」

 土方警部は、巨乳になったせいで収まりの悪い刀のストラップをいじっている鯖丸を、ちらりと見た。

「それは、すぐに元に戻れるのかい」

「さっきやってみました。コツが分かれば、簡単です」

 先刻、ハヤタ探偵事務所の元橋という女が、ぼさぼさで伸ばしっぱなしの髪の毛を整えてくれたので、より女っぽく見える。

 あやうく化粧までされそうになったが、元に戻った時大変な事になるので、丁重にお断りした。

 服が男物なのは、まぁ、変という程でもない。

 流行ってはいないが、こういう服装の娘も、たまに居る。

 ただ、靴はサイズが合っていないので歩きにくいらしく、いつの間に手に入れたのか、サンダルに履き替えて、靴は手にぶら下げている。

 いや…いつの間にというか、それ、さっき居た小料理屋の備品。

「勝手に履いて来たのか」

 警察官なので、土方警部は一応咎めた。

「後で返しますよ」

 鯖丸は言った。

「ほら、刑事物のドラマで、よくあるじゃないですか。犯人追跡中に、ちょっとそのバイク借りるぞみたいな。そーゆー流れで」

「ドラマだけだから、それ」

 怪しく見えない様に、その辺をぷらぷらしながら、土方警部は言った。

 サンダルとバイクを同列に語るのも、どうかと思うし。

 橋からそう離れていない場所に、オープンカフェ…というか、時代劇の団子屋風の店があったので、将棋台みたいな椅子に腰掛けた。

 一応団子もあるが、メニューの内容は普通の喫茶店だ。

「好きな物頼んでいいから」

 土方警部が言うと、鯖丸は目を輝かせた。

「ケーキ、いいですか」

「いいよ」

「じゃあ、イチゴのタルトと紅茶のセット」

 どういう食い意地の張った青年だと思ったが、紅茶を飲みながらケーキをつついている図柄は、いかにも女の子っぽく見えそうだ。

 カモフラージュとしては、最適かも知れない。

 自分が、巨乳だが身なりに無頓着な若い娘に、ケーキをおごりつつ、何事か企んでいるおっさんにしか見えないという事実は、この際我慢しよう。

 ケーキは、すぐに出て来た。

 紅茶の到着を待たず、フォークの存在を無視して、イチゴのタルトを鷲づかみにした鯖丸は、二口で食い切った。

 ダメだ、こいつ。

「もう少し、女の子らしく振る舞いなさい」

「いやーん、ヨッシー厳しいー」

 腕に抱きついて、ぎゅっとおっぱいを押しつけた。

「君の考える女の子らしさは、そういう感じかね」

 土方警部は、冷静に聞いた。

「あ、ダメですか」

 鯖丸は、素に戻ってたずねた。

「ダメだよ」

 こんな所を、うちの奥さんに見られたら、帰ってからどんなひどい目に遭わされるか…。

 いや待て、元は男だし、別にいいのか?

 土方警部が思い悩んでいる間に、近くの席に見覚えのある男が座っていた。

 先刻も鯖丸に絡んで来た、蒲生組の羽柴仁だ。

 襲名披露の席に出られる程には、ヤクザ社会の中で偉くないのだろう。

 終わるまで、暇をもてあましている様に見える。

 まぁ、この男の仕事は用心棒だし、敵の出方を探りに出ているのかも知れないが。

 幸い自分は、外界での仕事が大部分なので、魔界を主なシノギの場にしている羽柴には、面が割れていない。

 幸運に感謝しながら、土方警部は知らない振りを決め込む事にした。

「おっちゃん、冷コー」

 茶屋風の椅子に、行儀悪く座った羽柴は、注文を通してから、困った事にこちらを見た。

「おっ、さっきの姉ちゃんやないけ」

 連れが居るのに、馴れ馴れしく鯖丸の隣に座った。

「まだ、この辺うろうろしとったんか。危ない言うたじゃろ」

「だって、面白そうなんだもん」

 鯖丸は、可愛く笑った。

 思いの外、女の子の演技が出来ている。さっきまで、ケーキを寄生獣みたいな食い方していたくせに。

「度胸あるのぉ。魔力も高そうじゃ」

 無遠慮に、肩に手を回して来た。

 おまけに、遠慮無くおっぱいを見ている。

 ジャケットを着ているので、やばい部分は隠れているが、当然ノーブラだ。

「どうじゃ、わしとリンクせんか」

 うわ、口説かれてる、これ。

 土方警部は、フォローすべきかどうか、少し迷った。

「お兄さん、魔力高いの」

 鯖丸は、まんざらでもない顔で聞いている。

 変なヤクザ弁だが、羽柴はけっこう若いし、見た目も悪くない。

 こんな所でプレイヤーをやっている様な女だったら、そこそこいい顔をして見せる方が自然だろうが…。

「まぁな。失望はさせねぇよ。あっちの方も」

「へぇ」

 ちょっと楽しそうな顔をして見せてから、言った。

「でも、今日はヨッシーのガイドだから、ダメなんだ」

 土方警部の手を握った。

 腕の立つプレイヤーが、危ない場所を見てみたい観光客のガイドを、個人的に引き受ける事は、良くある。

 もちろん違法だが。

「また今度誘ってね。この辺は時々来るけど、大抵は工業街の方に居るから」

 運ばれて来た紅茶に、ミルクと砂糖を入れて、可愛い仕草で飲んでいる。

 本当は男だと分かっているとキモいが、知らなかったら、割といい感じだ。

「そうか、残念じゃな。わしは羽柴仁。ジンって呼んでくれ」

「ふうん、ジン君。あたしはマキ」

 おい、どこからそんなウソ名前がすらすら出て来る。

「フルネーム名乗るって事は、魔界人なんだ。かっこいいね」

 鯖丸…おそろしい子…と、白目になって、土方警部は心の中でつぶやいた。

 やって来たアイスコーヒーを、一分もしないで飲み干した羽柴仁は、じゃあ、またなと言って、その場を離れた。

 本当にサボりに来ていただけらしい。

 またねぇ、ジン君と言って手を振った鯖丸は、羽柴が見えなくなると、振っていた手を下ろした。

「変な奴に目を付けられましたね」

 普通の口調に戻って、言った。

「そうだけど、何者だ、君は」

 土方警部は、呆れて聞いた。


 トリコは、じりじりしながら待っていた。

 襲名披露の盃事が終わるには、まだ少しかかりそうだ。

 今し方簡単な食事が出された。

 おにぎりと漬け物とゆで卵だ。

 宴席でお相伴する事はあるが、遊女が調子に乗って飲み食いする訳にもいかないし、何か腹に入れておかないと、酒の相手もその後の相手もままならない。

 一応、その辺の配慮はされている。

 大きめのおにぎりを二個取って、がっつり食ったトリコは、がやがやしている大部屋を出て、裏庭に面した廊下に座った。

 懐からゆで卵を出して、額に当ててこつこつ割ってから、食べ始めた。

 成長同調不全の治療を初めて、二年程になるが、薬で育ち盛りの状態を維持しているので、意外と腹が減る。

 体格としては、そろそろ魔界での姿に近付いて来た。

 もう、これくらいでいいと思うのだが、医者が、君はもう少し大きくなるのが本当だからと言うので、治療を続けていた。

 とりあえず、由樹の授業参観に出て、違和感がない見かけになったので、当初の目的は達成したのだが…。

 見た目が子供でなくなったので、外界での生活も楽だった。

 生理が不順だったのも治ったし、外見が年相応に近付いたのは、ありがたい事だ。

 遊女達の中には、子供に近い様な姿に自分を変えている者も居る。

 仕事上の戦略なんだろうけど、色んな好みの男が居るのに、わざわざ幼女趣味の変態狙いに行くのは、どうかと思う。

 懐から、二個目の卵を取り出して、額で割った。

「塩が欲しいな」

 独り言を言うと、背後から差し出された手が、ぱらぱらと白い物を振りかけた。

「部屋の中にあるのに、何でこんな所に居るの」

 雛菊が、隣に座った。

「苦手なんだ。ああいう雰囲気」

「私も」

 二個持っていたおにぎりを、一つ差し出した。

「ありがとう」

 ためらわずに受け取って、食べ始めた。

「よく食べるねぇ、太らないの?」

 雛菊は聞いた。

「今の所、太らないよ。病気だから」

 懐から、三個目のゆで卵を出して差し出したが、雛菊は断った。

「私は、そんな食べたら太るから、いい」

「もうちょっと太ってもいいのに」

 一般的な基準として言った。

「だって、痩せてる方がいいってお客、多いもん」

「素人の意見だな。肉の魅力が分からなくて、何の遊び人だ」

「マニアックだねぇ」

 二個目のゆで卵を片付けて、三つ目を出した。

「姐さん、食べ過ぎ」

「そうかな」

 むいた卵の殻を、その辺に投げ捨てて、トリコは言った。

「塩くれ」

「はいはい」

 アジ塩の瓶を出して来た。

 ゆで卵に塩を振りかけていたトリコは、ふいに顔を上げた。

 裏庭を囲む様に続いている廊下を、男が二人歩いている。

 一人は、盃事に参列している、組長の手下だと分かった。

 もう一人は、ヤクザではないが、カタギにも見えない。

 幸い、相手はこちらには気が付かなかった。

 男と話しながら、廊下を横切って、消えた。

「見つけた」

 トリコはつぶやいた。

 尋常でない表情を見て、雛菊はこわばった。

「姐さん?」

「無事にここを出られると思うなよ」

 凄絶な表情で、ビーストマスターは嗤った。

 

 魔界の外では、異変が起こっていた。

 ゲートに程近い路肩に、マイクロバスが次々と乗り付けていた。

 通常の車両ではない。機動隊の人員輸送車だ。

 草の茂った空き地に突っこんで停まった車両の一台から、一人の男が降りて来た。

 ヘルメットを被り、プロテクターを身に着けているが、土方警部が鯖丸を魔界に連れて行った時、無言で同乗していた男だ。

 今日も無口に、厳しい表情で空を睨んだ男は、次に腕時計と魔界のゲートを、交互に見た。

 もう一人の男が、車両から降りて来た。

「一号、指示をお願いします」

 一号と呼ばれた男は、少し視線を動かした。

 プロテクターの胸と、背中にあるPOLICEの文字の下には、番号が割り振られている。

 刑事達は、皆、魔界名を設定していたが、そんな物は無駄だというのが、男の考えだった。

 憶える労力もバカにならない。番号で充分だ。

「指示があるまで、車内で待機だ」

 男は、静かな声で言った。

「はい」

 二号のマークを付けた男は、敬礼してから、日常会話の口調になった。

「大丈夫なんでしょうか。得体の知れない魔法使いを、先頭に立てててしまって」

 一号の表情は、動かなかった。この男は、いつもそうだ。

「そんな事は関係ない。我々は最善を尽くすだけだ」

「はい」

 二号は、もう一度敬礼して、車両に戻った。


 盃事は滞りなく終わり、宴席が始まっていた。

 トリコは、酌をして回りながら、松田組新組長、マトイ優作の様子を伺った。

 子供っぽい外見の女の子を何人も侍らせて、酒を飲んでいる。

 若い頃は武闘派で鳴らした男で、経営の手腕もあり、昔気質の先代を補佐して、松田組をここまで大きくしたのも彼だという話だ。

 魔法も、そこそこ使えると聞いている。

 でも、ロリコンじゃあな…。

 おまけにドMで、集めて来た少女達にいたぶられて喜んでいるらしい。

 要は、困ったおっさんだ。

 幸いというか、今の外見では、絶対組長からはお呼びがかからない。

 代わりに、あちこちで肩を抱かれたり乳をもまれたり尻を触られたりしながら、こちらも相手を物色した。

 こういう仕事は久し振りだが、思いの外不愉快だ。

 昔は、何でもないと思っていたのに。

 執拗に絡んで来る男の手を取って、宴席を抜け出した。

「聞き分けがええのぉ」

 にやけた顔で付いて来た男は、廊下の奥に幾つもある部屋の障子戸を開けた。

 奥にある襖の向こうに、布団が敷いてある。

 上着を脱ぎながら、半開きになった襖をくぐった男は、立ち止まった。

 目の前に、異様な光景があった。

 何人もの男達が、折り重なる様に倒れたまま、腐抜けた顔でへらへら笑っている。

 一目見て、正気ではないのが分かった。

「てめぇ、何しやがった…」

 言い終わる前に、トリコの指先が男の額に触れた。

 男は、その場でふらふらよろめき始めた。

 男の額に、少し食い込んでいる様に見えた指を離して、重なっている連中の中に蹴り込んだトリコは、後も見ないで廊下に出た。

 他の遊女が、間違ってここに入り込まない様に、障子戸を封印し、少し乱れた襟を直した。

「よし、次」

 きっと顔を上げた姐さんは、宴席に戻って行った。


 ジョン太とハートは、西の橋から少し距離を置いて、観光客を装っていた。

「何回見ても馴染めないな、それ」

 普通の外人になってしまったジョン太を横目で見て、ハートはぼやいた。

「俺もだよ」

 自分でも、違和感があるらしい。

 少し離れた場所に、秋本と宇和川が居る。

 ハートを除くと、男前の集団になってしまった。

 まぁ、ハートも痩せたら男前だという噂もあるのだが。

「中川君、そろそろ準備して」

 宇和川が指示を出している。

 たぶん、秋本の方が魔界には慣れているだろうが、この春に警官になったばかりなので、右も左も分からない新人扱いだ。

 警察の備品らしい刀と、自前の木刀二本を持った秋本は、神妙な顔でうなずいた。

 魔界名はトゲ男じゃないんだな…と、ジョン太は考えた。

 警察内部に、学生時代違法なプレイヤーをやっていた過去がバレたら、マズイのだろう。

 トゲ男だった頃の秋本は、常に極端な魔法整形をしていた。

 変身して見せなければ、バレる事はまず無いだろう。

「ぼちぼち時間かい」

 ハートは、二人に尋ねた。宇和川はうなずいた。

「予定ではそうです。政から連絡が来れば、ひじ…ヨッシーが合図を出すはずなんですけど、少し遅れている様ですね」

 上司を、変なあだ名で呼び捨てにするのは、抵抗があるらしい。

「合図って、一応聞いてるけど、そんな派手な事して、大丈夫かい」

「どうせ、派手に突っ込みますから」

 宇和川と秋本は、上着の下に防弾チョッキを着ている。

 一応着ける様に勧められたが、ハートとジョン太は断っていた。

 外界でなら有効だが、相手が魔法使いでは、役に立たない事が多い。

「政兄ぃからの合図は、この、式神みたいなやつで来るんだろ」

 ジョン太は、土方警部から渡された便箋を、手に取った。

 込められた魔力が、指先から伝わって来る。

 これを作ったのは、チンピラに化けて潜入しているヤッパの政こと浜上刑事だ。

 意外と、熟練度の高い魔法なのが分かる。

 秋本と同じで、プレイヤーだった過去があるのかも知れない。

「中でヤバイ事になってたら、これ触ったら分かるかい?」

「僕は、それ程魔力が高くないので無理ですが、ランクAくらいの人なら、分かると思います」

 宇和川ことジミーは、言った。

 先刻から、便箋を入れていた胸の内ポケット辺りに、かすかにぴりっと痺れる感覚があった。

 やばい時の段取りは、土方警部と打ち合わせして、独自の判断で突入だ。

 『マサがヤバイ.突入の合図を出せ』

 ボールペンを取り出したジョン太は、便箋に走り書きした。

 思いの外拙い字だ。発音はほぼ日本人だが、案外書くのは苦手らしい。

 普段、仕事での事務にはパソコンを使っているので、住所氏名以外を日本語で手書きする機会は、意外と少ないのだ。

 内通者が居るという話だった。

 浜上刑事が無事で居ればいいが…。

 最後に、メッセージの後ろにヨッシーと付けた。

 紙飛行機の形に折ると、便箋は意外なスピードで飛び始めた。


 土方警部がメッセージを受け取った時、鯖丸はまだ紅茶をすすっていた。

 貧乏性なので、ポットサービスで出されたミルクティーを、全部飲み切らないと納得出来ないらしい。

 トイレ行きたくなったな…と思った。

 土方警部に断ってから、席を立った。

 幸いというか、何と言うか、小さい茶屋のお手洗いは、特に男女別に分かれてなくて、個室も一個だけだ。

 男女関係なく、一人でも使用していると、入れない構造になっている。

 空いているので入ると、外界と全く同じ洋式便器があった。

 男に戻った方が、絶対いい。

 そうは思ったが、性別を変えるのは、無意識でやってしまったが、けっこう大きい魔法だ。

 ヤクザ屋さん達も、遊興地区から出て見張っているだろうし、突入まではなるべく魔法を使いたくない。

 仕方ないので、ズボンとトランクスを下ろして、便座に座った。

 抵抗あるなぁ…とは思ったが、がんばってみる事にした。


 げっそりした顔で戻ると、土方警部が遅いと怒っていた。

「すいません。あの、出すのはまだいいけど、拭くのが抵抗あって」

 目の前に、ジョン太の拙い字で書かれたメッセージが突き付けられた。

「これから、突入の合図を出す。準備しなさい」

「それ、あと一分早く言ってくださいよ」

 眉をしかめてから、鯖丸はズボンのベルトを、元の位置に戻した。

 試しに元に戻ってみた時、これをやらなくて、大変な事になったのだ。

 あっという間に、巨乳のお姉ちゃんが、ごく普通の青年に変わった。

 股間を触って何かもぞもぞやっている青年に、土方警部は忠告した。

「人前で堂々とそんな所の位置を直すな」

「だって、急に生えて来るんだもん」

 それは分かるが、別に恥ずかしくはないらしい。

「機動隊に合図を出す、準備して」

「はい」

 やっと、神妙な顔になった。

 土方警部は、売店に歩み寄ると、おばちゃんラムネ頂戴と言った。

 おばちゃんと云うより、ばあちゃんな駄菓子屋の店主は、よく冷えたラムネのガラス瓶を差し出した。

「それ、どうするんですか」

 ペットボトルの飲料しか飲んだ事のない若者は、怪訝な顔をした。

 専用の栓抜きで、ビー玉を押し込んだ土方警部は、中身を飲み干した。

 飲み終わった瓶を地面に置いた。

 少し地面に埋めてがっちり固定して、懐から何か取り出した。

 その辺のコンビニでも売っている様な、普通のロケット花火だ。

 一度に一袋分サイダーの瓶に差し込んだ土方警部は、誘導と強化の軽い魔法を使って、花火が思い描いた方向へ、遠くまで飛ぶ様に調節した。

 懐から百円ライターを取り出して、火を付けた。

 点火されたロケット花火は、夕刻が近付いたとはいえ、まだ明るい魔界の空に舞い上がり、ひゅうと音を立てて飛び去った。


 突入の合図が来た。

 外界ではあり得ない距離を飛んで来た花火が、上空ではじけた。

 一号は、立ち上がって走った。

 先頭車両に乗り込み、出発の合図を出した。

「全車突入」

 事前に報されてはいたが、かなりひびった表情で、ゲートの係員は遮断機を上げた。

 機動隊の人員輸送車は、魔界のゲートを抜け、走り続けた。


 エンジン音と人のざわめきが、背後から聞こえた。

 地味な青と白に塗られ、窓ガラスに金網の入ったマイクロバスが、次から次へと観光街に突っ込んで来る。

 先頭の二台が、鯖丸と土方警部の背後に停まった。

 あっという間に、盾を持った機動隊の集団が、整列した。

 残った車両は、二方向へ散って行く。

 徒歩でも、十五分もあれば一周出来る遊興地区外縁だ。

 車での移動なら、あっという間に配備は終わるだろう。

 プロテクターに一号と書かれた男が、土方警部に向かって敬礼した。

 打ち合わせの後魔界へ連れて行かれた日に、自分の隣に無言で座っていた男だと鯖丸は気付いた。

「じゃ、後は任せたから」

 土方警部は云うと、機動隊員を吐き出し終わった特殊車両に乗り込もうとした。

 てっきり、一緒に突入して指示を出してくれると思っていた鯖丸は、ええっという顔をした。

「僕を庇いながらじゃ、やりにくいだろう」

 土方警部の魔力が高くないのは、分かっていた。

 それでも警察官だから、柔道か剣道はかじっているだろうし、拳銃の射撃訓練だって、ヤクザよりは積んでいる。

「心配しなくても、制圧は彼らに任せればいいし、逮捕は我々がやる。君は、派手に暴れてぶっ壊してくれるだけでいい」

「そういうのは得意ですけど…」

 鯖丸は、口ごもった。

「ヨッシー、一緒に来てくれないのぉ」

 何でまだおネェ言葉だ。

 いくら手練れでも、バイトの学生だ。

 あまりにも重要なポジションを一人で任せると、びびると思って黙っていたのだろう。

 土方警部は、輸送車のステップに片足をかけ、少し背中を丸めて、肩越しに振り返り、軽く片手を上げた。

 くたびれたコートを着ているので「うちのかみさんが…」とかぼやきながら事件を解決していた、昔のドラマに出て来る頭脳派刑事みたいだ。

「気を付けてな。死なない程度にガンガン突っ込め。期待してるよ」

「はぁ」

 鯖丸は、諦めたらしく、遊興地区の方を向いた。

 前衛を一人で任せられるのは知っていたし、充分出来ると納得していたが、指示を出す人間が居ないとは思っていなかった。

 これでは、背後に居る機動隊員全員の命を預かったも同然だ。

 危険な仕事は色々やって、それなりにキャリアを積んでいたが、責任の重い仕事は、経験が無かった。

 任せられたという事は、所長もジョン太も、出来ると判断したからだ。腹をくくるしかない。

 帽子を脱いでポケットに突っ込み、ジャケットも脱いで、放った。

「これ、持っててもらえますか。破きたくないし、帽子は借り物なんで」

 土方警部は、うなずいた。

 すうと深呼吸した鯖丸は、自分の頬を両手でぱんと叩いた。

 背中の刀を、すらりと抜いた。

 一瞬姿がぶれてから、鬼の装甲が体を覆った。

「じゃあ、行きます。あまり離れないでください」

 一号と書かれた男に言った。

 言い終わるのと同時に、姿が消えていた。

 堀の向こうにある建物が、薄い三日月型の衝撃波に薙ぎ倒されるのと、鯖丸が橋の向こうに着地するのは、同時だった。

 橋のたもとに配備されていた連中が、監視小屋ごと吹き飛ばされた。

 何をどうやったのかすら、分からない。

 それでも、一号は顔色一つ変えなかった。

 腕を上げ、部下達に指示を出した。

「突入!!」

 機動隊は、手狭な橋を無視し、浅い堀を突っ切った。


 ジョン太とハートは、機動隊が配備を終える前に、橋を渡っていた。

 宇和川と秋本が、後から付いて来る。

 車から駆け下りた機動隊が、次々と後に続く。

「もたもたするな、全速!!」

 怒鳴るジョン太に、なぜか背後の機動隊全員が従っている。

 元軍人だと聞いていたが、意外と命令するのに慣れているな…と、ハートは思った。

「ジミーは機動隊と一緒に、後方から付いて来い。中川は俺達と前列だ」

「いいんですか。それ」

 秋本は、呆れた顔をした。

 警察で決めた配置を、勝手にいじってしまっている。

「あいつ、前へ出したら最悪死ぬぞ」

 ジョン太は、容赦のない事を言った。

「ヨッシーみたいに、自分で分かってりゃいいんだけどな」

「外界では強いんですけど…」

 秋本は言った。

「お前も、トゲ男で行っといた方が無難だぞ」

 同僚に見られたら困るんだろうけど…と付け加えた。

 いつの間にか、ジョン太も犬っぽい姿に戻っている。

 ファスナーを下げたジャケットの内側には、無数の弾丸が収納されていた。

「じゃあ行くかぁ」

 楽しげに言ったハートの体は、更に一回り膨らんだ様に見えた。


 東口には、所長と斑と平田が居た。

 所長も魔力は高いので、政こと浜上の危機は、察していた。

 斑と平田も、直接便箋を身に着けていれば、分かっただろう。

 ジョン太の出したメッセージも感知出来たが、相変わらず甘い奴だと思っただけだった。

 夫の土方義男も甘いから、すぐに突入の合図を出すだろう。

「全く…めんどくせぇ。あとちょっと我慢してもらえば、トリコがもっと頭数減らしてくれるのに」

「政さんが拷問されたり、指詰められたりしたら、どうするんです」

 平田は聞いた。

「それはまぁ、不可抗力で仕方ないんじゃないかな」

 相変わらず鬼だ。

「所長らしいわ」

 斑は、同意している。

 いいのかそれで。

「まぁ、仕方ない。私も現場に出るのは久し振りだしな。ジョン太の判断は、速いが間違っていた事は無い」

 所長は、刀を抜いた。

 昔、現場に居た頃使っていた同田貫は、鯖丸が新入りだった頃、かまいたちに両断されて、しばらく経ってから回収されていた。

 外界の刀鍛冶には修復困難だと言われていた刀を修復したのも、鯖丸本人だ。

 一緒に切られた腕を繋げたくらいだから、技術的には困難では無いはずだが、色々嫌な記憶が邪魔をしたらしく、実際に刀を修復出来たのは一年程前だった。

 以来、同田貫は所長専用の刀に戻っていた。

 昔居た魔法使いが使っていた、座頭市が持つ様な仕込み杖は、用途がないので普通の刀に仕立て直して、予備にしていた。

 同田貫が折られた時購入した、軽い実用刀は、鯖丸の予備になっている。

 相手が多い時は、刀に予備があった方がいい。

「突入する。準備はいいか」

 背後の機動隊に、所長は聞いた。

 いくら、土方警部の奥さんでも、民間企業の所長で、見た目は小柄な中年の女に指示を出されるのは、こういう集団には苦手なはずだ。

 それなのに、何のためらいも無かった。

 余程、指揮系統がしっかりしているのだろう。

 所長は、ポケットから煙草を出して火を付けた。

 深く煙を吸い込んで、吐き出した。

 魔力が、内側でざわざわ高まるのが、自分でも分かる。

 軽く左手を挙げて、合図した。

「突入。各自、判断してヤクザどもの確保に当たれ」

 既に、敵が固めている橋に突っ込んだ。

 襲いかかる銃弾と魔法は、斑と平田のスパイダーネットがはじき返した。


 ハヤタ探偵事務所の面々は、北の橋に居た。

 予定より突入が早まったが、特に動揺は無かった。

 ここに居るメンバーは、社内でも魔界に慣れた、魔力の高い人員だ。

 それでも、普通の浮気や素行調査も、出来るスキルを持っている。

 NMCこと西谷魔法商会の様な、魔界専門の企業ではない。

 魔界専門の会社は、この地域には他にもあった。

 魔界での荒事を片付ける便利屋も、魔界に近い場所なので、他にもある。

 それでも、ハヤタ探偵事務所が選ばれた事には、自信を持っていた。

 魔力任せの案件では、他の専門企業に負けるが、相手が魔法使いだけではないヤクザなら、いくらでもやり様がある。

 背後に機動隊の人員輸送車が止まり、フル装備の機動隊員が吐き出された。

 内村は振り返った。

「では、行きます」

 背後の機動隊員は、身構えた。


 トリコは、遊郭の廊下を歩いていた。

 やれるだけの相手は、頭数を減らした。

 後は、ここまで来た目的を遂げるだけだ。

「姐さん」

 呼ばれて、立ち止まった。

 宴席を抜けて来た雛菊が、立っていた。

「何をするつもりなの」

 トリコは、振り返った。

「言わないとダメか」

「言ってくれれば、協力出来るかも」

「しなくていい」

 トリコは、断言した。

「私が病気だった時、治してくれたよね」

 雛菊は言った。

「魔界で、医術の出来る魔法使いを呼んだら、お金がかかるから、普通は放って置かれるんだよ」

「知ってるよ。私も昔は、お前と同じ商売だったからな」

 トリコは、平静な口調で言ったが、ある程度魔力のある相手に、隠せる程では無かった。

「その頃知り合った男の敵が、ここに居る。私の問題だ、見なかった事にしてくれ」

「そうして欲しいなら、するけど」

 雛菊は言った。

「私に危険が及ばない程度の協力なら…」

 言えば、雛菊はもっと深入りして協力してくれるだろう。

 でも、それは絶対ダメだ。

「じゃあ、宴席に居る奴を誘って、あの部屋に連れ込んでくれ。私の作った結界があるから、奥の部屋に入れるだけで、行動不能に出来る」

「姐さん、どれだけ魔力高いの?」

 雛菊は、呆れた顔をした。

「ランクSの中でも、高い方かな」

 とんでもない事を、さらりと言った。

「それから、以前私の行方を尋ねて来た若い男と獣人を憶えてると言っていたが…」

「うん」

「そいつらには、私のやってた事と行き先は、黙っていてくれ」

「味方なんでしょう」

 雛菊が聞くと、トリコは答えた。

「そうだ。だから、知られたくない」

 雛菊はうなずいて、宴席に引き返した。


 ヤクザの側でも、突入される事は、事前に分かっていた。

 ただ、こんな大規模な手入れになると予想していた者は、少数派だった。

「面白い事になって来たのう」

 羽柴仁は、ネクタイを緩めて畳の上に腰を下ろし、煙草をくわえた。

 すぐに弟分の富良野が、発火魔法で火を付けた。

「お前はライターか」

 羽柴は、眉をしかめた。

「兄貴の為なら、ライターにもなりますぜ」

「ええから、そいつ片付けぇや」

 部屋の中央に、縛られた浜上刑事が転がっていた。

 かなり痛めつけられた様子だが、とりあえず無事だ。

「殺っちまいますか」

 富良野はたずねた。

「アホか。何の為にお前を呼んだんじゃ。きっちり吐かせぇ」

 先刻、さぼってアイスコーヒーを飲みつつナンパして戻ると、組長の蒲生から、見張り以外の仕事を言いつけられた。

 松田組に最近入ったチンピラが、どうやら警察に内通しているというのだ。

 舎弟の富良野が、誘導自白のスキルを持っているので、ヤッパの政とかいうチンピラを押しつけられた。

「いかんのぅ、オヤジは松田の言いなりで」

 いくら弱小組織とはいえ、組長が松田組に良い様に使われているのは、面白くない。

 いや、待て。

「富良野」

 政に魔法を使おうとしている富良野を止めた。

「もうすぐ警察が突入して来る。お前は、見奈良の兄貴と一緒に、オヤジを連れて逃げろ」

「サツの連中くらい、俺が燃やしてやりますよ」

 富良野は身構えた。

「相手がサツだけならそれでええが、連中プロの魔法使いを連れて来とる」

 うわ、他人頼みか、プライドねぇ…と、富良野はぼやいた。

「西谷商会が出て来とるっちう事は、あそこの腕利き全員が来とると思うた方がええな」

「あそこは、ヤバイ奴ばっかりですからね。見奈良の兄貴、あそこの所長には、二度と会いたくないって言ってました」

「犬みてぇな拳銃使いと、蜘蛛の巣張るコンビも、ヤバイけどな…」

 羽柴は、腕組みした。

「ここ数年、もっと危ない奴が入っとる。ビーストマスターと、鬼みてぇな剣士じゃ」

「ビーストマスターって、政府公認魔導士じゃねぇんですかい」

 富良野は尋ねた。公表されていないせいか、意外と情報が古い。

「民間に移ったんじゃろ。あそこも色々黒いけんのう」

「そうですねぇ。あんなのが居るくらいですから」

 浜上は、気を失ったふりをして二人の会話を聞いていた。

 見た目がチャラいので、刑事には見えなかったらしく、単なる内通者扱いなのは幸いだった。

 富良野とか言うチンピラが、誘導自白の魔法を使ったらヤバかったが、違う方向に話が進んでいる。

「鮪とかなんとかいう奴も、相当ヤバイしのう」

 さっきナンパしていた相手が、鮪とかの当人だとは、全く気が付いていない。

「あいつらには何度も仕事邪魔されとる。ちぃとお礼をしてから、わしも逃げるわ」

「逃げちまうんですか」

 富良野は、意外そうな顔をした。

「今度の手入れじゃあ、纏の奴も押さえられるじゃろ。とばっちり食わん内に、逃げるが勝ちじゃ」

 松田のオヤジさんには義理があったが、纏なんぞどうでもいい。

 いっそこれを機に、松田組には解散してもらった方が、好都合だ。

「こいつ、どうします」

 富良野は、畳の上に転がっている浜上刑事を軽く蹴った。

「放っとけ。そんなもんに構っとる閑ないわ」

 おお、何だか知らないが、こいつら松田組を裏切るつもりらしい。おかげで助かりそうだ。

「じゃあ行きます」

 富良野は出て行きざまにもう一度浜上に蹴りを入れた。

 痛い。だが、無事で帰れそうだ。

「オヤジと兄貴を頼んだぞ」

 富良野に声をかけてから、羽柴は振り返った。

「さて」

 気絶したふりをしている浜上に、言った。

「時間はあんまり無いが、ちいと腹を割った話をしようかのう、刑事さん」

 事態が好転したのか悪化したのか、浜上には分からなかった。


 魔法使いと刑事と機動隊が、橋を突破していた。

 あまり時間はない。

 遊女の着る派手な着物をひらめかせて、トリコは廊下を早足で歩いていた。

 先程見た男が消えた方向には、茶室の様な離れがあった。

 一般の客は、立ち入れない様になっている場所で、遊郭に雇われている男達が、廊下に陣取っている。

「おい、ここから先は、お前らみたいなのは立ち入り禁止だ」

 用心棒風の、刀を持った男が言った。

「さっさと戻って、チンピラどもの相手でもしてろ。それとも、お仕置きされたいか」

「やかましい」

 着物の袖から、華奢な女にはあり得ない大きさの、鋭い爪を持った獣人の様な腕が伸びて、二人の男を叩き伏せた。

「雑魚が吠えるな」

 まだ意識がある方を、獣の腕が掴み上げた。

「ここにクイックシルバーが居るな」

 用心棒は、怯えた顔でうなずいた。

 ある程度の腕はあるので、かえって相手の魔力の高さが実感出来る。

 絶対にかなわない。

 トリコは、用心棒を、綺麗に剪定された松の幹に投げ付けた。

 相手が沈黙したのを確認してから、離れに続く短い渡り廊下を渡った。

 歩きながら、姿が変化した。

 長い黒髪を結い上げた遊女が、赤毛でソバカスのあるきつい顔立ちの女に戻って行く。

 離れの障子戸を、叩き付ける様に開いた。

 呆然としてこちらを見上げている、ダークスーツのヤクザ二人と、イタリア辺りのブランド物のスーツを着た男が、居た。

 トリコは、恐ろしい顔で嗤った。

「久し振りだな、龍ちゃん。こんな所で、また何か悪巧みかい」

 政府公認魔導士、クイックシルバーこと浅間龍祥は、怯えた顔で後ずさった。


「政府公認魔導士の連中は、何を企んどるんじゃ」

 羽柴はたずねた。

 浜上は、首を横に振った。

「ウソっぽく聞こえると思うけど、何も分かってない」

「知っとる事だけでも話せや」

 信じられない事に、信用されたらしい。

 こいつ、警察以上に現状を把握しているし、頭も切れる様だ。

 浜上は諦めて話した。

 特に、ヤクザ側に漏れて困る様な情報でもない。

「今回の手入れで、政府公認魔導士の協力を取り付けようとしたが、出来なかった。

 こちら側の個人情報を、君らの偉い人に流したのも、政府公認魔導士だ。

 おかげで、こっちの主戦力になる魔法使いが、外界で襲われている」

「わしらは、そんな事はせん。魔界でのシノギは、外界には持ち出さんわ」

「それは、昔から魔界に居る古いタイプのヤクザの考え方だ」

「古くて悪かったのう。じゃけど何事も節度ちうもんが必要じゃろ」

「松田組の新組長は、新しい事が好きな様だけど」

 浜上が言うと、羽柴は黙った。

「君は、そういう纏優作を苦々しく思っている様だ」

 纏を見捨てて、自分の組の親だけを逃がそうとしていた顛末も、浜上は見ている。

「取引をしないか」

 縛られて転がったまま、浜上は羽柴を見上げた。

 こんな状況のくせに、この刑事、あんまり困った様子がない…と、羽柴は考えた。

 そろそろこの辺りまで警官達が押し寄せて来るだろうし、自分自身も、そこそこ腕に覚えがあるのだろう。

「一応聞くけど、手短に頼むわ」

 羽柴は言った。

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