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一話・ヤクザvs魔法使い vol.2

 閑静な住宅街で起こったケンカ沙汰は、けっこう周囲の目を引いていた。

 普段、怒鳴り声が聞こえる事すら全くない様な、治安の良い地区だ。

 これから帰ると連絡していた有坂のケータイには、何度も両親からの電話が入っていた。

 事情を説明しながら家に戻ると、玄関に両親が出ていて、駆け寄った。

 二階建ての、ごく普通の住宅で、特に裕福という訳ではないが、ある程度は余裕があって、きちんとした両親が居て、狭いが手入れされた庭があって、庭の隅に犬が居て、地方都市では生活に必要なので置いてあるせいで、庭が狭くなっている原因の自家用車があって…。

 この辺では平均的な家庭だ。

 事の顛末を話している有坂の隣で、鯖丸は普通に謝り続けていた。

「すみません。たぶん、俺のバイトの関係でご迷惑かけたと思うんですが、県警の方で対処してもらいますから」

「一体、どういうバイトを…」

 県警が対処してくれるなら、違法なバイトではないだろうが、刃物を振り回す男に襲われる時点で、普通ではない。

「事情は話せませんが、今の仕事が終わるまでは、お嬢さんにも、この家にも近付きません。ほんとに、ご迷惑かけました。申し訳ないです」

「いや…もう、永遠に近付かないでくれた方がいいんだけどね」

 有坂の父親は、しごく当然な意見を言った。

「それは嫌です。安全になったら、今まで以上に近付いて行く方向で…」

「そういう方向は、却下だ。意外と図々しいね、君は」

「ええっ。野に咲く花の様に控えめな感じですけど」

 バカが言い争っている。

 有坂カオルは、鯖丸の右手を握った。

「とにかく、家に入って」

 玄関を開けて、強引に家へ入れた。

「ダメだ。帰ってもらいなさい」

「そうだよ。今日は帰るから」

 バカ親父(親バカ)と、バカ彼氏(元々バカ)の意見が一致した。

「何言ってるの。そんなで帰るつもり?」

 鯖丸とパパ(二人ともバカ)は、指差された腕を見た。

 とっさに防御した左腕は、ジャージの上着ごと切られて、玄関のタイルに、指先から血が滴り落ちていた。

「あら、救急車呼ぶ?」

 有坂の母親は、割合冷静に聞いた。


 きつめに包帯を巻いてもらうと、出血は止まったので、その日は普通に家に帰った。

 有坂パパが、血を見てすっかりダメになってしまったので、母親の方が車を出して家まで送ってくれた。

 あんなでパパ、県内ではかなり有名な武道家で、溝呂木先生も一目置いているという話を聞いた事がある。

 実戦で強いのと、試合で強いのは別物だが、困ったもんだ。

 とりあえず、他に居ないのでジョン太に相談してみると、思いの外悪い反応だった。

「有坂の方は、警察で護衛してもらう。お前、今日は家で泊まれ。迎えに行くから」

 ジョン太の言動とは思えない。

 普段はもっと頼られているし、この程度の事で守ってもらう程ではない。

 少し考えてから、思い出した。

 魔界でなら、いくら危険な目に遭っても、魔法で対処出来るが、外界での自分は、ちょっと運動神経が人より優れているだけの、本気で普通の人間なのだ。

 忘れていた方が、どうかしている。

 戦闘用ハイブリットで、魔界でも外界でも強いジョン太とは、全然違う。

 戸締まりをきちっとして、ジョン太を待つ事にした。


 待っている間に、切られた腕が今頃になって痛くなって来たので、少し残してラップをかけてあったチャーハン(昼飯の残り)を食って、鎮痛剤を飲んだ。

 以前、全く別の理由で医者から処方してもらったが、全部は使わなかったので、残しておいた薬だ。

 薬が効く前に、迎えが来た。

 ジョン太が来ると思っていたが、やって来たのは県警の宇和川で、車も警察の車両だった。

「すみません、こんな時間に」

「いや…こちらのミスだから」

 宇和川は言った。

「魔界から戻る時に、後を付けられてたんだよ。幸いというか何て言うか、君の本名や素性は、知られていない様子だけど…」

 それじゃあ家の周辺を、あんなチンピラがうろうろしていて、有坂と一緒に歩いている間、ずっと後を付けられていた事になる。

 気が付かなかったなんて、本当にどうかしてたんだな…。

「君と有坂さんを襲った男は、もう捕まったから」

 明らかに不審者なので、あっという間に近所の人の通報で駆けつけた警官に取り押さえられたそうだ。

 丁度良いので、持っていた合口を宇和川に渡した。

「あの…一斉摘発やるって云うのは、向こうにもばれてるんですか」

 宇和川はうなずいた。

「こういう情報は、割と抜けるもんだけど、今度のは内通者が居るな。まぁ、見当はついてるし、そいつもう、懲戒免職確定だけどな」

 ジョン太が直接来なかったのは、吉村家の皆さんも襲われるかも知れないかららしい。

 それじゃあ、今回関わっている西谷商会とハヤタ探偵事務所の面子は、全員ヤバイじゃないか。

 魔法使いは、外界で始末する方が、魔界でやり合うよりずっと楽だ。

 ハートは強そうだからまだましだが、斑と平田は大丈夫だろうか…。

 トリコは、フリッツが一緒に居るなら、安全だろうけど、何時までこっちに居てくれるんだろう。由樹が一人で留守番なんて事になったら、絶対ヤバイよな。

 考えている間に、ジョン太の家に着いた。

 ここへ来るのは久し振りだ。

 小洒落たマンションだが、作りが古いので、セキュリティー的に云えばその辺のアパートと変わらない。

 宇和川は、エレベーターに一緒に乗って、部屋の前まで送ってくれた。

 ジョン太は、呼び鈴を押すとすぐに出て来た。

 四月なのに、半ズボンとランニングシャツという、よく分からない格好だ。

「ちょっと中で待っててくれ」

 鯖丸を部屋に通したジョン太は、しばらく廊下で宇和川と話し込んでいた。

 どの程度まで情報が漏れているのか、今後、一斉摘発に参加する者の、本人や家族の安全は、どう確保するのかとか、そういう話をしている様子だ。

 ジョン太には珍しく、仕事相手に対して語気が荒い。

 相変わらず、こういう場面には俺を参加させないなぁ…と、相方の話をドア越しに聞きながら、鯖丸は思った。

 俺だってもう、けっこういい大人なのに、いつまでガキ扱いなんだろう。

 戻って来たジョン太は、大丈夫だったかと聞いた。

「うん、まぁ」

 あいまいに返事をした。

 怪我の事は聞かれなかった。

 ジョン太なら嗅覚で分かっているはずだが。

「お前、拓真の部屋で泊まれ。おおい拓真、開けるぞ」

 息子の部屋をノックしてから、ドアを開けた。

 吉村拓真には、二年以上会っていなかった。

 机の前で、本を読みながら音楽を聴いている少年が誰なのか、一瞬分からなかった。

 こちらに気が付いた拓真は、耳からイヤホンを抜いて、椅子を立った。

 まだ子供っぽいきゃしゃな体型だが、背が高い。

 170センチ近くはあるだろう。

 ええと、今小学生だっけ…それとも中1くらい?

 茶色い髪を、今風のお洒落な感じにカットして、ちょっと外人っぽい感じで整った顔立ちなので、中途半端なアイドルよりかっこいい。

 こいつ絶対、学校では女子にモテモテだ。

「武藤君、憶えてるだろ。前はちょくちょく遊びに来てたから」

「こんばんわ」

 ちょっと照れた風に、拓真はそっけなく頭を下げた。

「あ、どうもお世話になります」

 思っていたより大人っぽい反応だったので、普通に挨拶してしまった。

「じゃあ頼んだぞ。お母さん迎えに行って来るからな」

 ジョン太は、信じられない様な事を言って、部屋を出て行った。

「ちょっと待って」

 鯖丸は、ジョン太の後を追った。

「それ、全然ここに来た意味ないじゃん。むしろ拓真と美織ちゃんが危ないだけじゃないか」

「ああ、言ってなかったっけ」

 一応、外へ出かけるには不適切だという自覚はあるのか、ジョン太は半ズボンとランニングの上から、普通のズボンとシャツを着始めた。

「二人とも、能力的には俺とあんまり変わらないから。変な奴が来たら、すぐに気が付くよ」

 初耳だ。

 二人とも、一目見てハイブリットと分かる外見だが、ジョン太の様に先祖返りタイプではない。

 何となく、戦闘用ハイブリットの能力は、先祖返りタイプの外見とセットになっていると思い込んでいた。

「来るのが分かってたら、ヤクザくらいお前がどうにか出来るだろ」

「それはそうだけど…」

 用心の為に、以前秋本にもらった木刀を持って来ていた。

 外界でも、二三人相手ならどうにかなるだろう。

「拓真に、音楽はイヤホン外して聴けって言っといてくれ。すぐ帰るから」

 ジョン太は出掛けてしまった。

 ため息をついて振り返ると、すぐ後ろに拓真が居た。

 気配が無かったので、ちょっと驚いた。

「武藤君、ラーメン食べる?」

 唐突に聞かれた。

「え…うん、食べるけど」

「じゃあ作る」

 キッチンの方へどんどん歩いて行くので、後に続いた。

 改めて見ると、以前遊びに来ていた頃と比べて、吉村家は様変わりしていた。

 部屋のあちこちに、無秩序に花が生けられている。

 花屋で売っている様な花から、その辺に生えている野草から、木の枝から、様々な素材が、花瓶や花器や、ガラスの素麺鉢やコップや、籐の籠に半切りのペットボトルを差し込んだ、即席の花瓶に生けられて、配置されている。

 ジョン太もみっちゃんも、生け花に興味があるとは聞いた事も無かった。

 じゃあ、犯人は、拓真か妹の美織ちゃんだ。

「美織ちゃんは?」

 お湯を沸かし始めた拓真に、聞いてみた。

「寝てる」

 拓真は答えた。

「でもラーメン作ってたら、たぶん起きて来るよ」

 美織ちゃんに最後に会ったのも二年以上前だ。

 あの頃は幼稚園児だったが、もう小学生になっているはずだ。

 袋ラーメンをゆでている間に、手際よく豚肉とネギともやしを炒めている拓真を、ぼんやり見た。

 料理が上手いのって、遺伝もあるのかなと思う。

 手伝うとかえって邪魔そうなので、黙って見ている事にした。

 二袋のラーメンを、器三つに取り分けて野菜炒めを乗せていると、本当に美織ちゃんが起きて来た。

 鯖丸を見つけて、あれ?という顔をしている。

「武藤君だよ。憶えてるだろ」

 ジョン太と同じ事を言っている。

「えーと…」

 ちょっと考えて思い出したらしい。

「あ、変質者と間違われて、警察に捕まった…」

 そんな事、憶えてなくてもいいのに。

「しばらく荒れてたけど、彼女が出来て落ち着いたって言ってた。落ち着いたから、また来たの?」

 ジョン太は、小学生女子に、どんな説明をしているんだ。

「あー、はいはい。小学生から見たらもう、落ち着き払ったおっさんですから」

 本当は全然落ち着いてないけどな。

 

 ラーメンを食べていると、ジョン太がみっちゃんと戻って来た。

 看護師をしているジョン太の奥さんとは、一年程前に会っている。大人なので、別に外見も変わっていない。

「武藤君久し振り。元気だった?」

「はい」

 みっちゃんに話しかけられると、いつも少しくすぐったい気分になる。

 理由は自分でも分からない。

「拓真、お母さんもラーメン食べる。作ってー」

「えー、いい年して夜中にラーメンなんか食べたら、太るよ」

 息子に甘えた事を言って、服を着替えに行ってしまった母親に、ぶつぶつ文句を言いながら、拓真はキッチンに戻った。

「父さんはどうする」

「ああ、いらない」

 原型に近いハイブリットのせいか、ジョン太は割と小食だ。お茶でも飲むつもりか、拓真の隣に立って、ヤカンで湯を沸かし始めた。

 何か、こういうのいいなぁ…と思う。

 将来的にこういう家庭を持ちたいなと、この家に来るといつも思っていた。

 久し振りに来てみて、やっぱりそう思う。

 俺もそろそろ、具体的にそういう事を考えてもいい年だよな…と、鯖丸は想像を巡らせたが、なぜか有坂の裸エプロンしか浮かんで来なかった。我ながらエロ過ぎる。妄想終了。

 気を取り直して、安否の確認もかねて有坂にメールを送った。

 返事はすぐ来たので、何度かメールのやり取りをした。

 あの後、すぐに警察が来て、一斉摘発までの間、周囲を重点的にパトロールする事になったそうだ。

 べったり張り付いて護衛してもらえないのは、少し不安だが、警察もそんなに人手はないのだろう。

 お巡りさんではなく刑事が来て、ある程度の事情は説明してくれたらしい。

 せめて明日は、出来れば学校も休んで、家でじっとしていて欲しいと伝えると、有坂はしぶしぶ承知した。

 この埋め合わせは、後でしてもらうから…という内容のメールが戻って来た。

 出来る事なら、何でもしたい気分だ。

 有坂とのやり取りが一段落したので、バイト先の塾長に連絡して、土日は休みを取っておく事にした。

 魔界に出たり入ったりしていたら、まずい事になりそうだったし、今度の仕事は、何だかややこしい事になりそうだ。

 別の曜日にバイトで講師をしている知り合いに、翌週の講義と代わってもらう事で話がついた。

 全部の段取りが終わった頃には、十一時を回っていた。

 今日は、色々あり過ぎて疲れた、もう寝よう。

 まだ、リビングのソファーに並んで座って、深夜の微妙なお笑い番組を見ているジョン太とみっちゃんに、お休みを言って拓真の部屋へ入った。


 拓真は、机に向かって勉強していた。

 通常の、学校の勉強ではないのは、ちらっと見て分かった。

 ああ、やっぱりまだ小学生だったのか。どっか私立の中学でも受験するつもりなのかな…。

「もう寝なよ。遅いから」

 ベッドの横に、マットレスを並べて、布団が敷いてあったので、トレーナーとジャージを脱いで潜り込んだ。

 ふかふかで、寝心地がいい。

「明日、学校休めって言われたし、せっかく夜食も食べたから、もうちょっと」

 夜食だったのか、あれ。

「どこ受けるの」

「秀峰学園」

「やめときなよ。あそこ全寮制で男子校だぞ、青春が灰色」

 せっかく美少年なのに…ていうか、男子校に美少年はマズイだろう。

「武藤君、OBじゃなかったっけ?」

「ううん、俺中学は公立」

 地球に来たばかりで、入院している期間の方が長かったので、院内学級で勉強していたから、中学にはあまり通っていなかった。

 宇宙に居た頃は、暁に振り回されていたし、当時のいい思い出はほとんど無い。

「あそこ、高校から入る方がむずかしいのに。意外と頭いいんだね」

「まぁ、割と賢い方かなぁ」

 顔だけ見ると、説得力がない。

「じゃあ、ちょっとここ教えて」

「うーん、小学生のクラスは、教えた事ないんだけど…」

 起き上がって、机の上を覗き込んだ。

 割とレベルの高い問題集をやっているが、小学生なので難解という訳でも無い。

 どの辺が分からないのか聞いて、ヒントを小出しにすると、自分で解いてしまった。

 美少年の上に、頭も良い。ジョン太の息子だから、きっとスポーツも人間離れして万能だ。

 同年代で同じクラスに居たら、けっこう嫌なタイプだな、こいつ。

「拓真、学校でいじめられてない?」

 一応聞いてみると、ちょっと返事が遅れた。

「別に。何で」

「お前が同級生だったら、俺、絶対いじめるもん」

「武藤君て、時々黒いよね」

 時々じゃなく、基本的に真っ黒なのだが。

「いいんだ、どうせ中学から別になるし」

 やっぱり、いじめられてるんじゃないか。

「お父さんとお母さん、知ってるの」

 ちょっと心配になって、聞いてみた。

 小学生の頃は、いじめる側だったけど、結局は親にばれて、顔の形が変わるぐらいぶん殴られた上に、一日倉庫に閉じ込められた。

 こういうのは、きちんと大人に言いつけないと…。

「お母さんはたぶん知ってるけど、父さんには言わないでね」

 拓真は、真剣な顔で言った。

「サッカーのクラブ辞めさせられた時も、死ぬ程落ち込んでたのに、こんなのバレたらめんどくさいから」

「あ…サッカーやってたんだ」

 そこから初耳だったが、どうして辞める事になったのかは、大体分かった。

 ジョン太が、自分と能力的にはあまり変わらないと言うくらいだ。

 少なくとも、魔界で人間バージョンになったジョン太と同等くらいの運動能力はあるだろう。

 技術を積み重ねたプロなら、どうにか対応出来るだろうが、小学生相手では、同じフィールドに置くのは危険なレベルだ。

「公式戦に出れないのは、最初から分かってたけど、一緒に練習したり、非公式の試合に時々出してもらうだけで、良かったんだけど…」

 ハイブリットは、スポーツの公式競技に出られないが、通常なら小中学生のレベルで、一緒に練習するくらいは問題ない。

 ただ、戦闘用ハイブリットになると、身体能力も反射速度もかけ離れ過ぎている。

 たぶん、父兄や周囲からも苦情があったんだろうし、本人も、これはちょっと危ないなと思ったのだろう。

 ナイーブなおっちゃんが、自分に似たせいでこんな事になったと落ち込んでいる姿は、容易に想像出来るが、ジョン太、子供に気ぃ使わすな。親としてどうなんだ、それ。

「言っちゃえ。あいつはもう一遍、どん底まで突き落とした方がいいよ。大丈夫、割と這い上がって来る方だから」

「武藤君、父さんに何したの?」

 オカマ掘っちゃいましたとは、さすがに言えない。

「まぁ、仕事関係で色々…」

 拓真は追求しなかった。

 と云うより、小学六年生男子には、想像の範囲外。

「別に、サッカー辞めたのはいいんだけどさ。観るなら野球の方が好きだし、替わりに華道教室に通ってて、けっこう楽しいから」

 家中変な生け花だらけなのは、拓真のせいだったらしい。

 頭脳明晰でスポーツ万能の美少年。趣味は生け花。

 面白過ぎるぞ、そのキャラは。

 何だか将来が楽しみだ。

 都会に就職しても、年に一回くらいは、動向をチェックしないとダメだな、こいつは。

 年賀状とかでさりげなく。


 鯖丸が、魔界に連れて行かれて、意地になって本気で魔法を使ったせいで、有坂と色々あって、家に送り届ける途中、後をつけて来たチンピラに襲われて、結果的にジョン太の家でお泊まりする事になって、久し振りに会った拓真が、変なキャラになっていたという、一連の顛末と同じ日。

 如月トリコは、県警での打ち合わせが終わってから、一人で路面電車とバスを乗り継いで、家に帰るつもりだった。

 一緒に回る寿司を食いに行く予定だった鯖丸が、土方警部に連れて行かれたので、ジョン太が家まで送ると言ってくれた。

 ありがたく甘える事にして、普段はみっちゃんが通勤に使っている自家用車の助手席に乗った。

 魔界ではまともに動かない、新型のハイブリッドカーで、仕事関係で乗り回す時は、県病院で看護師をしているみっちゃんを、送り迎えする事になっているらしい。

 吉村美津子とは、一度面識がある程度だった。

 鯖丸は、すごくいい人だと言っていた。

 そうだろうな…とは思う。

 こんなめんどくさい男と、ちゃんとした家庭を持って、円満にやって行けてるんだから。

 魔界関係の仕事をしていると、別ジャンルの人間と付き合うのは、難しくなる。

 今まで、魔界と関係ない男と付き合っても、たいがい上手く行かなかった。

 魔界関係の男とも上手く行かなかったのは、自分が悪い。

 夫の如月海斗は、とっくに死んでいるのに、引きずり過ぎだ。

 それで、お互い割と本気で付き合っていたつもりだった鯖丸とも、別れる事になってしまった。

 あの頃の鯖丸はまだ、二十一歳くらいで、他の女も知らなくて、本気で子供だったからなぁ…と思った。

 今だったら、全然違うと思うが、まぁそれはそれとして、結果オーライで。

 もっと変な奴を好きになってしまったし、鯖丸も今は幸せそうだし。

 引っ越しがめんどくさいので、ずっと住んでいるアパートの下で、ジョン太は車を停めた。

「フリッツ居るけど、会ってく?」

 一応聞いた。

「そうだな、挨拶だけ」

 ルイス・アレン・バーナードは、国連宇宙軍の軍人だ。

 ジョン太と同じ戦闘用ハイブリットで、しかも先祖返りではない純血種だ。

 更に、ジョン太の様な犬型と違って、身体能力と瞬発力は遙かに高いが、持久力が低い上に、集団行動が苦手なので、実用化されなかった、希少な猫型ハイブリットだ。

 マイナーコロニーU08の事故で、魔界での実績を積んでしまったので、その後ずっと、軍内で魔界関係の仕事を任されている。

 あまりあちこちに飛ばされるので、住所不定軍人とか、自嘲的に言っていた。

 フリッツは、由樹と一緒にキッチンで何か作っていた。

 子供の適応力というのは、想像以上で、お互い片言の日本語と英語しか分からないのに、意思の疎通は割と出来ているらしかった。

「お帰りトリコ。寂しかったよー」

 ツンデレのデレ期が暴走している軍曹は、帰って来たトリコをひしーと抱きしめてから、ジョン太を発見して硬直した。

「貴様、なぜここに」

「悪いね、仕事で」

 あまり見たくない場面を直視してしまったジョン太は、無かった事にすると決めたらしかった。

「帰る。何も見なかった。幻覚、何もかも幻覚」

「分かった。そのまま幻覚を抱いて逝け」

 変なファイティングポーズを取っている。

 このまま、関節技になだれ込むつもりだ。

「うん、お前の寝言に付き合ってる閑、無いし」

 回る寿司計画がつぶれてしまったので、事務所に戻って、もうちょっとだけ仕事を片付けておくつもりだった。

 何だかんだで、実は自分も回ってるのが食いたかったので、少し不機嫌だ。

「俺は今日も明日も仕事だけど、お前らは気兼ねなくいちゃいちゃしてね。じゃあ」

「べ…別にいちゃいちゃとか、そんな事…」

「いや、確実にするだろ」

 トリコは、冷静に突っ込んだ。

「お前、その変なツンデレキャラ、そろそろ止めろ。飽きた」

「飽きられたー。もうお終いだぁ」

 フリッツは頭を抱えた。

 うわぁ、プライベートでは、ここまで変な奴だったのか。

「帰る」

 やってられんので、ジョン太はさっさと帰る事にした。

 途中にあるスーパーの総菜売り場で、何個か寿司を買って、つまみながら仕事の続きを片付ける予定だった。

 子供ら二人には、今日は少し遅くなるから、先に夕食を食べておく様に言ってある。

 みっちゃんの仕事が終わる時間帯まで残業してから、一緒に帰ろう。

 そうすれば、明日の予定も楽々だし。

 もちろん、予定通りには行かなかった。


 食卓には、ペペロンチーノ系のあっさりしたパスタと、いい感じに焼いたチキンに、トマト系の何か凝ったソースをかけたやつと、白っぽいチーズと黒オリーブの入ったサラダが並んでいた。

 国籍はカナダだと聞いていたが、なぜかフリッツの作る料理は、中華とイタリアンのローテーションだ。

 どっちも、変なアレンジがされていて、本格派ではなくパチもんぽいが、それなりに美味しい。

「もっと早く連絡してくれたら、今日も休み取ってたのに」

 パスタを箸でつまみながら、トリコは文句を言った。

 朝、いきなり電話して来て「今、幕張宇宙港」とか言われても、こっちも困る。

 あちこち飛ばされているせいか、仕事が一段落すると、割とまとまった休みは取りやすいらしく、ここ一年ちょっとの間に、フリッツは何度か日本に来ていた。

 大抵、空港も宇宙港も近い関東圏で、某世界的なネズミの居るランドで遊んだりして、日程に余裕があったらこっちまで来てだらだら休日を過ごしたりしていた。

 カナダにあるフリッツの自宅にも一度行ったし、壁中変なフィギュアが飾ってあってちょっと引いたが、それなりに楽しかった。

 何だかんだで一年以上続いている。最長記録だ。

 たまにしか会えないのが、かえっていいのかも知れない。

「いいじゃないか、会いたかったんだし」

 フリッツは、フォークでパスタを巻きながら言った。

「それに、ちょっと話したい事が…」

 食事中に、そんな改まった態度で、真面目な話を始めるなよ…食後でいいじゃないか。相変わらず、タイミングの悪い奴だ。

「おれ、邪魔だったら向こうでゲームやってるけど…」

 雰囲気を察した由樹が、自分の皿を持って席を立ちかけた。

「いや…ユウキも聞いてくれ。実は…」

 フリッツが何か言い出そうとした時、ケータイが鳴った。

 何だか、以前にもこんな事があった様な気がする。

 大事な話をしようとしたら、ジョン太から電話がかかって来て…。

「はい」

 迷惑そうな口調で電話に出ると、ジョン太の声が、緊張した感じだった。

「そっちは、何か変わった事はないか」

「別にない」

 フリッツには、通話の内容が聞こえるらしく、緊張した面持ちになった。

「鯖丸が、松田組の鉄砲玉に襲われた。お前達も用心してくれ」

「外界でか」

 トリコは、聞き返した。

「そうだ。魔界から帰る時、後をつけられたらしい」

 だから、素人は嫌なんだ。

 鯖丸が警官に連れられて行くのを、ちらっと見た時、嫌な予感はしていた。

 犯罪捜査のプロだから、魔界でもそれなりに玄人だと思っている所が、たちが悪い。

「それで、鯖丸は無事なのか?」

「自分で家に帰ったくらいだからな。怪我をしてても軽傷だろう。危ないから、今晩は家に泊める。それと、フリッツに替わってくれ」

「替われって」

 トリコは、フリッツに自分のケータイを差し出した。

 ここ一年英会話を習っているが、ネイティブの人が早口でしゃべっていると、さすがに聞き取り辛い。

 ジョン太としばらく会話したフリッツは、分かった、確認すると言って窓際に近寄った。

 カーテンを指先でちょっとめくって、隙間から下を見ている。

「ああ、居るな。こっちで始末していいのか」

 普段のダメなツンデレから、仕事モードの口調に変わっている。

 ジョン太が、何か指示を出したらしい。

 フリッツは、分かったと言って、電話を切った。

 こちらにケータイを返してから、フリッツは金色の目を糸の様に細めて、にーっと笑った。

「ちょっと待っててくれ。外のヤクザ、片付けて来るから」

「楽しそうだな」

 軽くストレッチを始めたフリッツに、トリコは言った。

「本物のヤクザ見るの、初めてなんだ。そうだ、俺のケータイ。倒したら写メ撮って送ろう」

 そんなん送る友達居たのかよ、こいつ。

 完全に娯楽気分だ。

「殺さない程度にしろよ」

 ケータイをポケットにねじ込んで、ベランダの窓を開けたフリッツに、トリコは言った。

「分かった。一緒に記念撮影する?」

「断る」

「ちぇっ」

 ベランダの手すりを乗り越えたフリッツは、ひらりと空中に身を躍らせた。

 ここ、三階なんだけどなぁ…。

 少しして、変な悲鳴が何度か聞こえた。


 翌朝、手足の関節を外されたヤクザが二名、下のゴミ集積所で発見された。

「二人とも、絵の人だった」

 裸にむいたヤクザ二人に囲まれて、にっこり笑った写真を手に入れて、フリッツはゴキゲンだった。

「いいなぁ、俺も毛皮じゃなかったら、こんなの彫りたいなぁ」

 フリッツの感性は、未だに分からない。

「毛を剃ってから彫れば?見えないお洒落として」

 トリコは、投げやりに言った。

「それもありか…」

 ありなんだ。

 ヤクザ二人を片付けてしまったので、昨夜は心置きなくあんな事とかそんな事とかして、ゆっくり眠った。

 折角なので、二人組が持っていたケータイの履歴を確認したが、大した事は分からなかった。

 メールは、大半がプライベートな物で、組事務所とのやり取りは、着歴が残っている程度だった。

 ただ、松田組の方でも、ランクSの自分と鯖丸を、積極的に外界で排除しようとしていた事は分かった。

 襲名披露に向けて、人手はあまり割きたくないのだろう。

 魔力ランクの高い順に、襲われているらしかった。

 となれば、次は所長だが、あの人は存在その物がヤクザよりもタチ悪いので、襲われて困っている所は、想像出来ない。

 おまけにダンナは刑事だし。

「今日はどうする」

 起き上がって伸びをしてから、フリッツに聞いた。

「観光」

 寝起きの猫の様なポーズで欠伸をしながら、フリッツは言った。

「田舎だから、大して面白い所なんかないぞ」

 大体、今日は由樹も学校は休ませて、大人しくしていろと言われているのに。

 まぁ、外界でフリッツにかなうヤクザなんか、居ないだろうけど。

「どこでもいい。皆で一緒に出掛けたいんだ」

「そうか。近所の観光地なんて、あんまり行かないから、検索してみるよ」

 とりあえず、ベッドを降りて、顔でも洗う事にした。

 洗面所には、もう由樹が起きて来ていて、歯を磨いていた。

 お早うと言うと、歯ブラシをくわえたまま、もごもご挨拶を返して来た。

「フリッツは、寝てるの」

 口をゆすぎ終わってから、由樹は聞いた。

「いや。起きてだらだらしてるけど」

「へぇ」

 何か言いたそうな顔だ。

「どうした。何か気に入らない事でもあるのか」

「別に、そう言う訳じゃないけど…」

 由樹は、雑に顔を洗って、タオルで拭き始めた。

「母ちゃんの男の趣味が、年々悪化している様な気がして。次はどんなの連れて来るのか、心配になってただけだよ」

「安心しろ。あれより変な奴は、さすがに守備範囲外だ」

「あそこまでは、ぎりぎりセーフなのかよ。心広いな」

「広い方がいいだろ」

 身支度が終わった由樹は、洗面所のドアを開けた。

 一歩廊下に出て、そのまま止まった。

 そろっと手招きして、トリコに合図してから、廊下の隅を指差した。

 どんよりした雰囲気のフリッツが、こちらに背中を向けて座り込んでいた。

「ひどいよ、二人とも。次って何?俺、そんなに変?」

 ああ、また変なスイッチが入って、キャラ変わってる…。

 見た目が猫なので、犬型ハイブリットと違って、耳がいいのは忘れがちになる。

 実際は、犬型程ではないが、聴覚も嗅覚も、人間とはかけ離れているのだが。

「わぁ、フリッツ、日本語分かる様になったんだ。すごいねぇ」

 由樹が、別方向からのフォローに入った。

 気の毒に。小二で母親の彼氏にまで気を遣う人生。

「甘やかすな。放っておけ」

 姐さんは、息子の気配りを粉砕した。

「どうせ二三十分で元に戻る。その間に朝ご飯作ってしまおう」

 付け加えた。

「洋食、飽きたし」

「飽きられた…二日連続で。もうダメだ」

 フリッツは、更に深い場所まで落ちて行った。

「塩鮭でいいかな。冷凍のがあったし」

「うん。おれ、卵焼きも食べたい」

 二人とも、もう放っておく事に決定したらしかった。


 フリッツが放置プレイされている頃、ジョン太は既に、事務所に居た。

 鯖丸も一緒で、一度自宅に戻って、仕事用の服や保険証を取って来ていた。

 明日、魔界に入れば、この程度の刀傷なら自力で簡単に治せるのだが、労災が出るというので、これから病院に行くつもりらしい。

「めんどくせぇな。俺も一緒に行かなきゃならんのだから、明日自分で治せよ」

 ジョン太は、雑な事を言った。

 割と魔界で大怪我する奴なので、外界での扱いも、だんだんいいかげんになって来ている。

「けっこう痛いんだけど。鎮痛剤も無くなったし」

「ほら、これ」

 ジョン太は、机の引き出しから、半分優しさで出来ている市販薬を取り出した。

「医者の薬の方が、よく効くのに」

 鯖丸は、ぶつぶつ言いながら薬の箱を受け取った。

 残りの半分は、絶対厳しさで出来ている。

 二回も襲われやしないだろうから、後で一人で病院行こうと思っている所へ、電話がかかって来た。

 個人のケータイではなく、事務所の電話だ。

 ジョン太が受話器を取って、しばらく話し込んでいた。

「何の電話?」

 鯖丸はたずねた。

「トリコの所に行ったチンピラ、ゴミ集積所に捨ててあるのが捕まったそうだ。それと、お前を襲った奴の事情聴取、終わったって」

 ジョン太は、受話器を置いて言った。

「どうやら、五人程のグループで、県警を出た所から尾行していたらしい。まずい事になったな」

 ローテクだけに、防ぎようがない。

 顔も住所も知られてしまったら、いずれ本名もバレるだろう。

「お前、今度の仕事終わったら、引っ越した方がいいぞ。偽名で部屋借りる手続きは、してやるから」

「そんな金ないのに…」

 給湯室から冷めた茶を取って来た鯖丸は、半分は厳しさで出来ている薬を飲み込んだ。

「俺はともかく、トリコが尾行されるのはあり得ないと思うけどな」

 元政府公認魔導士だったトリコは、その辺の魔法使いの何倍も、セキュリティーが高いし、日常生活にも気を遣っているはずだ。

 いくら県警の前で見張っていても、顔も名前も分からない相手は、尾行出来ない。

「政府公認魔導士協会の方から、情報が漏れてるらしいんだが」

 ジョン太は、嫌な事を言った。

「お前、浅間龍祥って憶えてるか」

 憶えている。

 公認魔導士の大阪本部に居た男で、昔、トリコのパートナーだったと聞いている。あまりいい印象は無かった。

「あいつ今、左遷されてこっちに居るそうだ。情報源も、たぶんあいつだろうな」

 それじゃあ、トリコの方が俺なんかより余程ヤバイじゃないか。

 フリッツが一緒に居るなら、まず安全だろうが、この先の事を考えると、油断は出来ない。

 トリコは、外界に居る時は、本気で弱いし…。


 その後、残り二人のちんぴらが、西谷商会事務所の前と、ハヤタ探偵事務所近辺で捕まった。

 翌朝、一斉摘発に参加するメンバーは、早朝から事務所に集まった。

 鯖丸とジョン太とトリコ。それに、平田と斑の二人にハート。今回は、所長も久し振りに現場に出る。

 事務所に残るのが、事務の斉藤さんと三希谷だけになってしまう。

 二人とも、今回の摘発には関わっていないので、襲われる様な事はないだろうが、斉藤さんが居るとはいえ、三希谷に留守番をさせるのは、いかにも頼りない。

「あいつ、電話の応対も怪しいもんなぁ」

 自分の過去を丸ごと棚に上げて、鯖丸はぼやいた。

「バイト経験もあんまりない新卒なら、あんなもんだろ。その内憶えるさ」

 ジョン太は、軽く言った。

 それはそうだが、新卒正社員の教育を、バイトに任せるってどうなんだ。

 事務所の裏口にある、狭くて薄暗い階段を下りて、地下の駐車場に向かった。

 ビルのテナントに入っている、他の会社とは、明らかに違う古くさい車が、二台並んで停まっていた。

 いつもの四駆と古いジムニーだ。

 二台の車に分乗した西谷魔法商会の面々は、魔界に向かって出発した。


 いつも通り、ハンドルは鯖丸が握った。

 所長と斑と平田とハートは、四駆に乗って先に行ってしまった。

 最近エンジンの吹けが悪いジムニーは、だましだまし国道を進んでいた。

「いっぺんレストアした方がいいよ、これ」

 既に、慣れていない者には、エンストさせないで走るのがむずかしい状態だ。

「次の車検通らなかったら、買い換えるらしいけど」

 ジョン太は言った。

「最近、魔界で動く車手に入れるの、難しくなって来たからなぁ」

 魔界でも作動する、内燃機関だけが動力源の車は、年々減っている。

 狭い後部座席に座ったトリコは、ぼんやりと窓の外を見ている。

 トリコが仕事前からぼーっとしている事は、珍しかった。

「フリッツの奴、まだ居るんだろ。休めない仕事が入ってて、運が悪かったな」

 肩越しに振り返って、ジョン太は言った。

「いや…今日の昼過ぎに、成田からカナダ行きの便に乗るから、一緒に家出たよ」

「ええっ、由樹一人で留守番じゃん。大丈夫なの」

 鯖丸は、驚いて聞いた。

「うん。久し振りに実家と連絡取れたんで、由樹はフリッツに連れて行ってもらった。羽田で引き渡してもらって、二三日ばあちゃん家で遊んで来るって」

 トリコの実家が、東北の方にあって、父親の事は分からないが、母親が健在なのは聞いていた。

 どうやらフリーで魔法使いをやっているらしく、魔界に入って連絡が取れない事が多いらしい。

 軍曹の奴、いつの間に家族ぐるみのお付き合いまで持ち込んでたんだ…と、ちょっと感心した。

 そういうの絶対、あいつのキャラじゃない。

「実はね」

 トリコは、ちょっと言いにくそうにしていたが、続けた。

「昨日、プロポーズされた」

「ええっ、ツンデレのくせに?」

 一瞬、運転が疎かになりそうだった。

「いや、ツンデレ関係ないだろ」

「それで、どうなったんだ」

 ジョン太もちょっと興味津々らしい。

「うーん、いずれはそういう話になるだろうと思ってたから、まぁいいんだけどね」

 トリコは、ちょっと頭を掻いた。

 もしかして照れてるのか、あの姐さんが。

「あいつ、当分住所不定みたいだし、こっちも仕事あるし、由樹の学校もあるし、今後の見通しが立つまで、一応保留って事で」

 保留なのか。気の毒な軍曹…。

「でもまぁ、家族ぐるみの付き合いな訳だから、ほぼ決定だよな」

 ジョン太は言った。

「いや、あいつ、うちの親に会うの、今日が初めて」

「ひでぇ」

 会った事もない交際相手の母親に、ろくに言葉も通じないのに一人で行って来いと言われて放置。ひどすぎる。

 相変わらず、姐さん雑だ。

「由樹も居るし、大丈夫だろ。あいつ、普通に立ってるだけで目立つから、行き違いになったりはしないよ」

「そういう話じゃないだろう。相手の親に会うのとか、めっちゃ緊張するんだぞ」

 おっちゃん、変な過去を思い出しているらしい。

「別にいいじゃん。それよりコンビニ寄っていい?おやつ買って行くから」

 鯖丸も雑だった。

 元カノの結婚話に、そういうリアクションでいいのか。

「そうだ、お泊まりセットの化粧水切れてたから、買って行かないと」

 ああ、本当にこいつら雑…と、ジョン太はため息をついた。

 かわいそうなフリッツ。


 魔界の西口ゲートには、先に着いた所長達と、県警の土方以下数人の刑事が待っていた。

 皆私服で、車両も警察の物ではない。

 一度に魔界に入ると目立ってしまうので、西口と南口に別れて、時間差で入る段取りになっている。

 今頃、南口ゲートには、ハヤタ探偵事務所の面々と、警察官数人が来ているはずだ。

 ジョン太と鯖丸は、会社の倉庫に入って、いつも通りの装備を調えた。

 最近、魔界と外界での体格差が少なくなったトリコは、普段の仕事だと、服を着替えたりしなくなったのだが、今日はめずらしく着替えを持ち込んでいた。

 いつもの、動きやすい服装ではない。

 この近辺の魔界特有の、ちょっと裾の短い、派手な着物姿で、歩く度にちらちら太ももが見える構造になっている。

 魔界の住人でも、こんなん着るのはお水系の姉ちゃんだけだ。

 襟足を深く抜いて、胸元も胸の谷間が見える様な、絶妙にエロい着付け方だ。

 観光街の特別遊興地区というのがどういう場所か、鯖丸はやっと思い当たった。

 仕事で何度か入った事のある、女郎屋街だ。

 周囲が堀に囲まれていて、人の出入りが分かりやすいので、警察関係者を遠ざけるには便利だが、そういう格好してるって事は、皆と別行動で潜入するつもりなのか。聞いてない。

 政府公認魔導士だった頃、この手の潜入捜査をしていたのは知っているが、民間に移ってからは、一度もしていないはずだ。

 進んでやりたい様な仕事じゃない。

「いつ、そういう事になったんだよ」

「昨日」

 トリコは答えた。

 色っぽい格好には似合わないショルダーバッグを肩にかけて、先に車へ歩いて行く。

「誰がそんな事やれって…」

 用心の為に、いつもの長刀に加えて、予備の刀を手に持った鯖丸は、おやつの入ったコンビニ袋を掴んで、トリコの後を追った。

「先に潜入して、手引きした方がいいと思って」

「するなよ。ヤクザくらい、正面突破で充分だろ」

「意外と強敵が居るぞ。渡された資料、ちゃんと見たのか」

「見たけど…」

 さすがにもう、依頼書も見ない様なダメなバイトは卒業している。

「今度は、相手の数が多いからな。内側から出来るだけ減らすつもりだ」

 トリコは、立ち止まって振り返り、腕組みして鯖丸を見上げた。

「今更何気にしてるんだ」

「気にするよ。結婚話も決まりかけた人が、そーゆーダークな仕事するなよ」

「別に、本番までやる気はないけど」

 そういう問題じゃないだろう。

「どっちにしろ、お前が気にかける事じゃない」

 いや…気にかけるだろ。仕事のパートナーとしても、フリッツの知り合いとしても…まぁ、友達って程でもないけど…、元彼としても。

「しっかりしろよ、斬り込み隊長。お前のポジションの方が、大変なんだから」

「分かってる」

 鯖丸は、納得のいかない顔でうなずいた。

「早くしろ、置いて行くぞ」

 ジョン太が、四駆の荷台に飛び乗って、声をかけた。

 調子の悪いジムニーは置いて行くらしい。

 外界でこういう車の乗り方をしていたら捕まるが、魔界でなら大丈夫だ。

 警察官が同行しているのは、気になるが。

 トリコは、もう一人分空きのある後部座席に乗って、車は走り出した。

「ジョン太、トリコがああいうポジションなの、知ってたな」

 揺れる荷台の上で、鯖丸は少し厳しい口調で聞いた。

「まぁな。お前がそんなに気にするとは、思わなかったけど」

 車が、境界を抜けた。

「本人がやるって言い出したんだ。問題無いだろ」

 いくら、男関係が無軌道なトリコとはいえ、女郎屋に潜入する様な仕事を、進んでやっていたとは思われない。

 どういうつもりなんだろう…と、鯖丸は考えたが、全く見当が付かなかった。


 観光街には、徒歩で入った。

 驚いた事に、刑事達の中にも、車を魔法陣で隠す技術を持っている者が居た。

 思った程素人の集団ではないらしい。

 観光街には、何度も仕事で入っていたが、堀の向こうにある遊興地区に入ったのは、二回だけだ。

 目立たない様に、数人のグループに分かれた。

 南口から来る者と、時間差で入って来る者も含めて、全員が揃うには、まだまだ時間が掛かる。

 打ち合わせで顔を合わせていない警官と、目立つので突入の直前にやって来る機動隊を含めると、相当な人数になる。

 魔界では通信機器が使えないので、連絡は人力だ。

 鯖丸は、屋台の椅子に座って、うどんを食べていた。

 ジョン太は、隣でおでんの大根をつついている。

 少し離れた場所に、所長と土方警部が、並んで露天を見物している風を装っているのが見えた。

「ヤクザっぽい奴が多いな、さすがに」

 ジョン太は周囲を見て言った。

「お前も、出来るだけ見た目変えとけよ」

 普通の人間バージョンになって、上着で銃を隠したジョン太は、意外と目立たなかった。

 観光客の中には、多くはないが外国人も居る。

 全く、違和感はない。

「いや…無理だし」

 やたら魔力は高いくせに、相変わらず魔法整形の苦手な鯖丸は、一応顔を隠す目的でハートに借りた野球帽を、目深にかぶった。

 ハートって、カープファンだったのか。初めて知った。

「あの、鬼っぽいやつに変身しておけばいいじゃねぇか」

 大根を食べ終わったジョン太は、豆腐と餅巾着を注文した。

 ジョン太にしてはめずらしく、色々食っている。

 昼飯はここで適当に済ませるつもりらしい。

「俺のイメージって、鬼っぽくて日本刀持ってる奴だぞ。余計バレるって」

「何でもいいから、どうにか見た目変えとけよ。でないと、突入までどっかに隠れてるしかないぞ」

 周囲に、それっぽい見た目の男達が増え始めていた。

 襲名披露だからなのだろう。

 ヤクザっぽい格好と云っても、ラフな姿ではなく、ダークスーツや紋付き袴姿の者が多い。

 明らかに幹部や親分衆と云った連中が、そういう手下達を従えて、悠然と橋を渡って遊興地区に入って行く。

 単にエロ目的や遊びで来た一般客達は、異様な雰囲気を感じたのか、橋の前ですごすご引き返している。

 トリコがどうやって中に入ったのかは、謎だ。

 ここで働いていた者にしか分からない、通用口があるのかも知れない。

 幹部らしい男に付き従っていた、ダークスーツの男が、こちらに近付いて来た。

 名前は知らないが、見覚えはある。

 何度か仕事で小競り合いをしたヤクザで、相当に魔力の高い男だった。

 ヤバイ、本気でヤバイ。

 こんな所で正体がばれて、騒ぎを起こす訳にはいかない。

 しかし、突入までどこかに隠れていたら、折角観光街に来たのに、こんなに並んでいる屋台のジャンクフードや、お気に入りの定食屋で食べるつもりだった丼物が…。

 鯖丸のいやしさと危機感が、その時奇跡を呼んだ。さすが、ランクS。

「おい、おでん包んでくれ。卵と牛すじと大根。全部十個だ」

 男は、屋台のオヤジに言った。

「へい、まいど。そんなにいっばい、お持ち帰り用の器用意してないんで、鍋ごと持って行ってもらえます?」

 さっき、うどんをゆでていたアルミ鍋に、どんどんおでんを入れている。

 魔界のこんな場所で商売やってるだけあって、ヤクザ相手に、全然物怖じしていない。

 わし、ここのおでん好きなんだ。昔、親分に拾ってもらった頃なぁ…とか、幹部っぽい男は言っている。

 ジョン太は、オゥ、ジャパニーズヤクザーとか、日本語ぺらぺらのくせに、真性外国人のリアクションをしている。

 おでん買い付けにパシって来た男は、更に帽子を目深にかぶって、うどんをすすっている鯖丸を見た。

 帽子のつばに手をかけて、一瞬の動きではぎ取った。

 どんぶりと箸を両手に持っていた鯖丸は、ワンテンポ反応が遅れたが、屋台に立てかけてあった刀の柄を掴んだ。

「物騒じゃのう、姉ちゃん」

 男は、帽子を返して笑った。

「よう見たら可愛らしいのに、台無しじゃ」

 知り合いに似とると思うたんじゃが…と男は独り言を言った。

「ええと…」

 鯖丸は口ごもった。

「今日明日と、この辺は物騒じゃ。いくらプレイヤーでも、無茶はせんようにな」

 おでんの入った鍋を持って、男は、兄貴分らしい幹部の所へ戻って行った。

 鯖丸は、自分の体を見下ろした。

 普段なら目に入る腹部から股間までの辺りが、何かに邪魔されて視界に入らない。

 代わりに視界に入ったのは、割合大好きだけど、自分には絶対付いていない物だった。

「うわ、何、このおっぱい。えええっ」

 聞き覚えのない甲高い声が、自分が言ったはずの台詞を復唱している。

「本物だぁぁ」

 掴んだ両手に、むにゅっと気持ちいい感触があった。

「何じゃこりゃあ」

 魔界で二度目の、何じゃこりゃあだった。


「わぁ、気の毒に」

 完全に他人事の口調で、所長は言った。

「巨乳だな」

 ジョン太の目付きが、エロい。巨乳なら、本当に何でもいいのか、このおっちゃんは。

 急遽移動した、小料理屋の二階で、鯖丸は泣きそうだった。

 先刻確認したら、ご自慢の悪魔将軍も消滅している。完全に女だ。

 落ち込みながらも、気の毒に思った土方警部が注文してくれた、鰻重の上肝吸い付きを食い進む事は忘れない。

「うう…ひどい。何だこれ。鰻ってうまい。食うの初めて」

 喜んでいるのか、困っているのか、分からない。

「それ、自分で元に戻れるのか」

 ジョン太は一応聞いた。

「さぁ、普通の魔法整形じゃないみたいだから、折りたためないんだけど」

 鰻重に集中している。

 本当に困ってるのか、こいつ。

「これ食い終わったら、色々やってみる」

「鰻の方が大事なんだ…」

 そうじゃないかとは思った。

「最悪、いっぺん外界に出て入り直せば、確実に元に戻るし」

 ジョン太は、うんざりした感じで、鰻重をかっこんでいる相棒を見た。

 元々男前ではないので、女になっても美人ではないが、童顔なのでそれなりに可愛らしい。

 なのに、あぐらをかいて鰻重をがしがし食っている。

 ビジュアル的には最悪だ。

「突入までには、元に戻しとけよ」

 ジョン太は、窓の下を見た。

 二階の窓からは、遊興地区に入って行くヤクザ達が見える。

 だいぶ、頭数が揃って来た様子だ。

「さっき、俺に声かけて来た奴、誰だっけ」

 鰻重を食い終わり、名残惜しそうな顔で重箱の隅をつついていた鯖丸は、やっと諦めたらしくジョン太に聞いた。

「蒲生組の若いもんで、羽柴仁だな。魔界出身で、蒲生に拾われるまでは、関西魔界で裏家業の魔法使いだったらしい。

 今は、蒲生の用心棒と、拳銃の密輸入を仕切っている。君らとは、二度程仕事で顔を合わせてるはずだが」

 土方警部が、代わりに解説してくれた。

 さすがマル暴、色々詳しい。というか、その件の依頼主、今思えば土方警部だ。

「顔は憶えてるんだけど、名前までは…」

 鯖丸は腕組みして考えようとして、乳が邪魔なのか中止した。

「向こうも、君の顔は憶えているな。突入直前まで、その姿でいた方がいい」

 銃と刃物を同時に扱う、けっこう強い魔法使いだった。

 見覚えがあると思って、帽子を取ったのだろう。

 こんな姿になっていなかったら、危なかった。

「そうですね」

 両手を合わせてごちそうさまと言った鯖丸は、刀を掴んで立ち上がった。

 体型が変わったので、ズボンがずるりとずり落ちて、トランクスが半見えになっている。

 本当にがっかりな奴。

 ベルトを締め直して、長くなった裾を折り上げ、一応身なりを整えた鯖丸は、広島カープの帽子を被った。

「どこ行くんだ」

 ジョン太は、嫌な予感がしたので止めた。

「元に戻れるかやってみてからにしろ。もう一回変身出来なかったら、突入までここに居た方がいい」

「えーと、怪我したせいで昨夜風呂入ってないし…」

 鯖丸は、うろんな事を言った。

「そこに温泉あるから、ちょっと一風呂」

 ダメだこいつ。本当は楽しんでやがる。

「死ねぇぇ」

 何のひねりもないツッコミで、ジョン太は鯖丸の首を絞めた。

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