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五話・さよなら 中編

「何か俺、桐矢君には嫌われたみたい」

 あれだけやれば、大抵は嫌われる。まぁ、最初から好かれてなかったみたいだが。

「何やってんだよ、お前は」

 ジョン太は、呆れた顔をした。

「さぁ…」

 元から、そんなに誰彼構わず好かれる方でもないので、鯖丸は特に気にしなかった。

「桐矢少年には、お前が恋敵にでも見えるのかもな」

 ジョン太は、いい線まで予想していた。

「ええっ、何んで。俺、ますみちゃんにも嫌われてるっぽいのに?」

「そんな事までは知らん」と、ジョン太は言い切った。

 原因がエロ本だなどと、二人とも夢にも思わない。

「それより、あの学校の生徒全体で、何かするつもりみたいだよ」

 鯖丸は、桐矢から辛うじて聞き出せた経緯を話した。

「もっと、ちゃんと聞ければ良かったけど」

「いや、聞き出せただけで上出来だ。ガキどもだけで大した事は出来んだろうが、最後のお祭り騒ぎくらいなら、見逃してやってもいいしな」

 ジョン太が、意外と鷹揚に構えているので驚いた。

 確かに、今度の相手は敵とは呼べないただの『物』だ。

 手出しをしなければ敵意すら無い。

 最悪の事態がせいぜい、仕事代をもらえない程度で、危険があっても微々たる物だろう。

 異界の魔法使いだの、魔導変化した実験プラントだの、二段変形するラスボスだのを相手にして来た二人には、軽い相手だった。

 だからと云って、油断するつもりは無いが…。

「ジョン太も、ますみちゃんから何か聞いた?」

 自分が桐矢と話している間、ジョン太がただぼんやり待っている訳はないので、尋ねた。

「まぁ、あんまり引き止める訳にもいかんから、ちょっとだけな」

 ジョン太は、微妙な顔をした。

「明日は楽しく終わりにしたいから、夕方までは手出ししないでくれって」

「へぇ」

 気持ちは分かる。

 そういうイベントに大して熱心でない自分でも、ゼミの仲間と朝まで飲んだり、友達と旅行に行ったりしているのだ。

 少ない人数で親密に付き合って来た仲間と学校と、同時に別れるのは、大変な事だろう。

 普段なら、問答無用で仕事を片付けてしまうジョン太が、子供達の感情を考慮して、ピアノを封じるのを先延ばしにしている。

 そう云えば、ジョン太の息子の拓真も、今年で小学校卒業だったな…と思い出した。

 夕方から仕事に取りかかる事になる。

 時間的には厳しいが、それは仕方ないかと思って、鯖丸はうなずいた。

 校庭に置いて来たカガミ達が、懐中電灯を振りながら、こちらに向かって歩いて来るのが見えた。

 二人が戻らないので、自分達だけで帰る途中だったのだろう。

 三人と合流して、民宿松吉に向かって歩いた。

 ますみちゃんから聞いたもう一つの話は、鯖丸にはしない事にした。

 云いたければ自分で言うだろう。


「お前らは、明日邪魔するなよ」

 帰り道で、ジョン太は一応釘を刺した。

「ええ、明日はそんな事しませんよ」

 カガミはうなずいた。

「僕らは明日、旧街道へとどろ石を見に行く予定ですから」

 この一帯がまだ魔界ではなかった昔、四国内を廻る巡礼が徒歩で通っていた街道だった。

 今では車で山頂まで行ける様になってしまった縄手山への、魔界側の登山道として残っている。

 山本が、ここの登山道を登りたいだけの為に、魔界へのパスを持っているのも知っていた。

 魔界に出入りする為に必要なパスは、手続きが面倒なだけで、申請すれば大抵の場合は取れる。

 元々、魔界で護身の為に、外界では許可されない武器の携行が認められているので、犯罪防止の為に人の出入りをチェックするのが目的だ。

 登山道の途中に、何やら伝説のある大きな石があって、信仰の対象になっていたという話も聞いていた。

 もちろん、全く興味がないので、内容は記憶していない。

「へぇ、あの辺はけっこう険しい道だったと思うけど」

「詳しいね、さすが魔法使い」

「いや、一応ワンゲルなんで。あの道、登山者にも人気あるし」

 鯖丸が、カガミ達と話し始めたので、ジョン太は少し距離を置いて後に続いた。

 帰り道でもう少し明日の段取りを詰めておこうと思っていたのだが、同年代の青年らと楽しげに話し込んでいるのを見て、後でもいいかと考えた。


 民宿松吉に戻ってから、二人は明日の予定を詰め直した。

 もう一度動き出しそうな物を封じても、おそらくまた消されてしまうだろう。

 終業式が終わってから、翌日ピアノ運送がやって来るまでの間に、どうにかするしかない。

 松吉の奥さんが気を利かせて出してくれた熱燗を、炒り豆腐をつまみにちびちびやりながら、鯖丸は広げた紙に学校の見取り図を書き込んで行った。

 魔方陣を書き写すのに使った紙の残りだ。

 それに、迷いのない筆運びで、校舎と校庭を書き込んでいる。

 魔力の高い人間が魔界で集中してそんな事をすると、紙の上に書かれた見取り図が、ぐにゃりと空間を歪めて立ち上がりそうな気配がする。

 魔方陣を模写したせいで、また、妙なスキルを身に付けてしまった様だ。

 これが最後の仕事なのに。

「一個一個囲い込むより、学校全体を封じられないかな」

 アルコール耐性の無いジョン太は、茶を飲みながら、鯖丸の書いた見取り図を覗き込んだ。

「周りの地形がな…起伏があるし、木も生えてる」

 魔方陣は、正確に描く必要がある。

 障害物や起伏のある地形に、正確に書き込むのは困難だ。

 畳の上に広げた紙に触ると、図形が反応し、学校の俯瞰図と周囲の木立が、地形の起伏と共に立ち上がった。

 紙の上に3D映像が展開されている。

 もしかしてこいつなら出来るんじゃないか…と、ジョン太は相棒を見た。

 しかし、確信がない事を基準に、仕事をする訳にはいかない。

「そうだな、策が尽きたら、俺がつくもがみを足止めして、その間にお前が学校全体を封じるのも有りだが」

 最後の手段を確認してから、鯖丸が旨そうに食っている炒り豆腐に手を付けた。

 美味しいが、お茶と一緒だと、少し残念な濃いめの味付けだ。

 一升瓶一本くらいまでは平気な相方が羨ましい。

「先ずは地味にやろう。段取りは今日やったのと同じだ。ただ、チョークだと結束がゆるいな。魔方陣を貸してくれたじいちゃんも言ってたが、墨と筆の方がいいだろう」

「これ、使いにくい」

 湯飲みに注いだ熱燗をぐいとやってから、鯖丸は眉をひそめた。

 それは、書道でもやってない限り、墨と筆を使いこなせる若者の方が珍しい。

 目の前の和紙も、魔力の高さで3D映像に酷似した物を展開しているが、外界に出したらきっと、稚拙な落書きだ。

「お前なら出来るだろ。素で描くんじゃなくて、魔法使えば」

「まぁ…」

 ジョン太は、もう一つ気になっていた事を注意した。

「いくら強いからって、飲み過ぎだぞ」

「うーん」

 鯖丸は腕組みした。

「何か、こういう和紙に筆書きの図形って、見てると目眩がするんだけど、酒が入るとちょっとマシになる」

「それ、酔ってるだけなんじゃないのか。もうやめとけ」

 代わりに茶を渡すと、大人しく飲み始めた。

「見取り図描く時まで、魔力込めるからだ。見る為に描いた見取り図で目を回してどうする」

 硯で丁寧に擦った墨は、魔力の通りが劇的にいい。加減をしくじってしまったのだろう。

 ちょっとの間考え込んでいた鯖丸は、ふと聞いた。

「魔方陣って、囲い込まないとダメかな」

「え…」

 ジョン太は聞き返してから、相棒が何を思い付いたのか分かった。

「あらかじめ紙に書いとくのか」

「その方がすぐ使えるから」

「ダメとは聞いてないが、魔方陣はそういう使い方しないだろう」

 和紙を四つ折りにして、小さく切った鯖丸は、試しに物を隠す時の魔方陣を描いて、それをちゃぶ台の上に置いた。

 ちゃぶ台は、少しの間透明になったが、しばらくして元に戻った。

 台の上には、込められた魔力を使い切った和紙が残された。

「足止めくらいには使えそうだな」

 ジョン太はうなずいた。

「予備の紙が無いか、松吉に聞いて来る。出来れば今から用意しておこう」


 翌朝は良く晴れた。

 夜遅くまで、魔方陣を描いたり、打ち合わせをしていたジョン太と鯖丸は、眠そうな顔で庭に出て、柿の木の下に引かれた湧き水で顔を洗って歯を磨いた。

 来しなに温泉から持って来た安全カミソリでヒゲをあたっていると、もうすっかり身支度を終えたカガミ達が出て来た。

「おはようございます」

「おはよう…ていうか、早いね」

 全員、きっちりとトレッキング用の靴を履いて、ザックを背負っている。

「色々見たい所があるし、明るい内に戻りたいので」

 杉田が言った。

 調査で山間部を歩くのに慣れているのだろう。全員、ちゃんとした装備だ。

「ガイドとか無しで大丈夫なの」

 過去に、かまいたちが出た山だ。

 ああいう危険な動物は、そんなに頻繁に発生する訳では無いが、コンパスも当てにならない魔界の山間部は、歩き回るのにも技術が必要だ。

「大丈夫です。僕らもこういうのは慣れていますから」

 カガミは言った。

「エスケープルートも確認してますから、心配しないでください。また、夕食の時に会いましょう」

 縄手山の山頂は魔界ではない。

 放送の為の電波塔があって、少し下にはキャンプ場と寺のある、地味な観光地だ。

 何かあった時は、ひたすら上を目指せば、外界に出て携帯も使える。

「俺ら、今晩は戻れるかどうか分からないんだ」

 湧き水を、その辺に置いてあったワンカップの容器で汲んで口をすすいでから、鯖丸は言った。

「そう、やっぱり仕事だと大変だね。頑張って」

「うん」

 カガミ達は、ジョン太にも行って来ますと軽く会釈して、畑の中の道を山に向かって行った。

「じゃあ、俺らもメシ食ったら出るか」

 ジョン太は言った。

 鯖丸はうなずいた。

 最後の仕事だ。

 後悔のない様に、きっちりやろう。


 校庭に、予想もしなかった数の人が集まっていた。

 まだ早い時間帯だったので驚いた。

 聞かされていた予定では、終業式は通常の時間帯に行われるはずだ。

 集まっているのは、父兄や生徒だけではなく、卒業生も多かった。

 どこから来たのか、様々な年代の人々が、おそらく久し振りに会ったのだろう、懐かしげな顔で会話していた。

 こんなに皆から愛されていた学校が無くなるんだな…と思うと、封じる側の自分が悪い様な気がして来る。

 ふいに思い出した。

 自分が属していたのは、ここよりも小さい集落だった。

 地球ではないが、宇宙のど田舎だ。

 ここと同じで、高等教育を受ける年齢になったら、余所へ行かなければならない。

 宇宙生まれの自分は、月か軌道ステーションへ行くつもりだったが、地球出身の友達も居て、両親と離れて地球に戻るのだと言っていた。

 皆、死んでしまった。

 小さい頃から一緒に育った友達も、地球から来て、最初はいがみ合っていたが、親しくなれた友達も。

 そしてR13は、今も放棄されて軌道上を漂っている。

 ざわざわしている校庭を見た。

「あんまり同調するな」

 ジョン太に言われて、我に返った。

「うん、ごめん」

 集まった人々の感情に、同調しそうになっていた。

 魔力が高いと、魔界では多人数の強い想いに引きずられやすい。

 今までそんな事が無かったのは、特に感傷的な性格でなかったのと、同じ意志を持った集団が居なかったせいだ。

 気合いを入れる為に、両手で頬を叩いた。

「終わるまでは、見てるだけ?」

 ジョン太に聞いた。

「ああ、約束だから」

 ジョン太が、一丁しか銃を持っていないのに気が付いた。

 予備の弾丸も、二回程換装したら終わり程度しか持ち込んでいない。

 しかも、マグナム弾も撃てる44口径ではなく、威力の低い32口径のコルトだ。

 それを、目立たない様にシャツの下に付けたショルダーホルスターに仕舞っている。

 ジョン太はきっと、余程の事が無ければ素手で対応するつもりなんだな…と考えた。

「俺も、これは持ってない方がいいかな」

 使い慣れた刀を手に取った。

「お前は持っておけ。使う事は無いかも知れんが、念の為だ」

「分かった」

 ピアノの音が校舎の中から流れ始めた。

 拡声器がある訳では無いのに、それは校庭まではっきりと聞こえた。

 校歌斉唱が始まった。

 校庭に居る様々な年齢の人々も、それぞれ懐かしげに校舎を見たり、一緒に歌ったりしている。

 校舎の中では、終業式と閉校式が行われている。

 同調しないで居るには、努力が必要だった。

 それに、腹も痛くなって来た。

 朝、早めに出て来たので、ゆっくり用を足す時間がなかったのだ。

 トイレに行くと言って、少し校舎から遠ざかった。


 昭和の初期からある古い学校のトイレについて、鯖丸はちょっとナメていた。

 前に住んでいた線路沿いのアパートで、今時珍しい和式便器(共同)に慣れていたので「俺、上級者」くらいの覚悟で入ってしまった。

 死亡レベル。

 魔界でも街中では基本水洗トイレ(浄化槽は個別管理)だし、無い所でもピストルみたいな器具が付いた簡易水洗だ。

 入り口から嫌な予感がしていた…というか、なぜトイレが校舎から離れた別棟なのか考えるべきだった。

 熟成された排泄物の匂い、不潔な感じに湿ったコンクリートの床。

 木で出来た個室の戸を開けて、倒れそうになった。

 生まれて初めて、便所に湧いているウジ虫を見たのだ。

「ひっ」

 全身から、音を立てて血の気が引いた。

 あまり風呂に入らなかったり、洗ってないパンツを平気ではいたりするが、基本、完全管理されたコロニー出身だ。

 排泄物を再利用した物を口に入れるのは平気だが、排泄物を自然のままに放置した末に行き着く先には、全く耐性が無かった。

「うっ…うわあぁぁぁぁ、何これ、何の魔導変化」

 木で出来た戸をぶち破った。

 一瞬の冷静な判断で、個室の隅に置いてあったちり紙を掴んだ。

 微妙に湿っている。でも、ないよりマシ。

 そのまま、校庭を出て斜面を駆け上がり、人目のない中腹で用を足した。

 幸いワンゲルに居たので、野外で用を足すのは慣れている。

 木の枝で穴を掘って埋めてから、引き返した。

「何だ、あのクリーチャーは…何の呪いなんだ」

 涙目になっていた。


「ハエの幼虫くらい見た事ないのか」

 ジョン太は、意外と軽い反応だった。

「あれ、怪我して放っとくと傷口にも湧くよ」

「やめてえぇぇぇ」

 鯖丸は、耳を塞いだ。

 吐きそうだ。

「お前って本当にコロニー出身なんだな」

「今更言われても」

 たぶん、あと一ヶ月くらいは夢に出る、あれ。

 終業式は一通り終わって、引き続き閉校式が行われていた。

 校庭に居た過去の卒業生も、校舎の中に移っているらしく、校庭はもう無人だ。

「ハエとか蚊は、外界にも居るだろ。今更何言ってんだ」

 ジョン太は呆れた。

「いや…蚊は湧くだけだし、あんな白っぽい虫にはならないし」

「湧くって…蚊も一応繁殖して増えるんだが」

「ええっ、蚊ってその辺から自然に湧くんじゃないの」

「お前、本当に大学院まで出たんだよな」

 ジョン太は念を押した。専門バカにも程がある。

「お前の見ている世界観が不安だ」

「だって、あんなの妖怪じゃん」

 ハエの幼虫、妖怪扱い。

「しっぽ生えてる奴は、たぶん魔導変化だよ。もうすぐ妖怪になるんだ」

「何、しっぽの奴を見たのか」

 ジョン太は、わざとらしく驚いた。

「お前、目を合わせなかっただろうな。あれと目が合ったら、体が徐々にハエ人間に……」

「ひぃ」

 本気にしている。何て面白い奴。

「ウソだよ。しっぽあるのはアブの幼虫」

 長時間騙し続けるのもアレなので、ジョン太はあっさり流した。

「アブ?」

 さすがにワンゲルなので、アブは知っている。

「はいはい、アブ、アブ」

 ジョン太は軽くいなした。


 閉校式がどんな具合に行われているのかは、外からでは分からなかった。

 軽トラやトラクターや昔のオート三輪が、次々に校庭に乗り付けている。

 荷物が運び込まれ、更にお祭りみたいなノリで、近隣の人々も集まって来ている。

「今運び込まれたのビール。小中学校の閉校式なのに」

 鯖丸は、目ざとく荷物を判別した。

「それに、ジュースとかサイダーもケース単位で。あっ、お菓子もあんなに」

 食いたいだけらしい。

 ジョン太は、嗅覚でもっと詳しい内部情報を掴んでいた。

 中で、多分調理実習室か理科室の様な火が使える場所で、ご飯を炊いて鍋物を作っている。

 こりゃ、学校が無人になるには時間がかかりそうだと、うんざりした気分で考えた。

 ますみちゃんの言っていた、最後のお祭りって、一体何時まで続くんだ。

「様子見に行くか」

 諦めた感じで言った。

「あんまり長引く様だったら、お前は仮眠しといた方がいいからな」

「分かった」

 神妙な顔でうなずいたが、長年の経験で内心何を考えているかは、分かってしまった。

 ダメだこいつ、隙あらば食う気満々だ。


 まぁ、翌朝まで続く様な仕事だ。

 ハイブリットの自分はともかく、鯖丸は途中で休憩を入れて食事も取らないと、持たないだろう。

 分かっていたから、途中で交代して民宿松吉に戻って、メシを食ったり仮眠したりする予定だった。

 なのに、肝心の松吉と奥さんがここに居る。

 うわ、客放ったらかしかよ…と見ると、離れに泊まっている家族連れが、楽しげに宴会に参加していた。

 依頼主がこんな有様では、もう仕方ない。

「中入って様子見よう」

 ジョン太が諦めて言うと、鯖丸はうなずいた。

 さすがに仕事中なので「やった、ご馳走食べれる」とかいう心の声は口に出さないが、顔に出ている。

 昔のこいつなら、本気で口に出していた所だが、何だかそれなりに大人にはなっているらしい。

 挨拶して校舎に入ると、松吉は悪びれないで手招きした。

「丁度良かった。呼びに行こうと思っていたんだ」

「ほらほら、ここ座って」

 椅子を勧められて、松吉の奥さんが、大きな鍋から汁物をよそってくれた。

 根菜がたくさん入った醤油味の鍋で、鶏肉と松山揚げも入っているのでこくがあってあったまる。

 お椀を受け取ってぼんやりしている間に、目の前に田舎風ちらし寿司のおにぎり(ちょっと具の多いいなり寿司の中身だけみたいなやつ。まだあったかくて酢が控えめで美味しい)と、持ち寄られた総菜を取り分けた皿が並べられ、何時の時代から使われているのか『三ツ矢サイダー』とプリントされたコップに酒を注がれた。

 どうやら松吉夫妻は、ジョン太が絶望的に酒を飲めないという事実を記憶するつもりは、全く無い様だ。

 また、全部俺が飲む事になるのかよ…と鯖丸は不安に駆られたが、ジョン太が「仕事中だから」と断ったのでほっとした。

 机を寄せて、いくつかの島を作った教室の中は、給食の時間みたいな感じになっている。

 学校の机と椅子って小さかったんだな…と考えた。

 地球の中学には、少ししか通わなかったが、そう言えばこんなだったな…いやいや、そうじゃなくて。

「小学生も居るのに、お酒出していいんですか」

「ジュースとサイダーもあるから」

 お祭りみたいな感覚らしい。

 教室の中は、人で溢れていた。

 大人も子供も、皆、楽しそうだ。

 二つの教室と廊下まで、机や椅子を並べて、飲み食いしたり話し込んだりしている。

 教室は、小学校のお楽しみ会みたいなノリで、折り紙で作ったチェーンや、色つきティッシュの花が飾り付けられている。

 多分これは中学生が書いたと思われる『さようなら縄手山小中学校』という筆書きの文字の周りにも、紅白のティッシュの花が飾ってあった。

 黒板は、様々な色のチョークで、寄せ書きがいっぱいだ。

「これ、行事が終わったらすぐ片付けていいんだよね」

 感傷的になっていると思っていた鯖丸が、意外な事を小声で聞いた。

「まずいのか」

 ジョン太も小声で聞き返した。

 それから、気が付いて言った。

「いや…そうだな。まずいな」

 魔界では、人の持つ想いや概念が強く働く。

 只でさえ同じ想いを抱いた人々が群れている場所で、こんな風に形にして、それを見る事で更に想いを上書きする。

 もちろん、皆魔界の住人だ。

 祭りや何かで、似た様な体験はして、コントロールする方法も知っているし、いくら魔界に住んでいても、魔力の高い人間ばかりではない。

 しかし、今のこれは、手加減を知らない子供達が、無意識か故意なのか、想いを込めまくっている。

 そして、集まった大人の卒業生達も、気が付かないままそれに同調してしまっている。

「部外者の俺が、うっかり同調しそうになるくらいだもん。ヤバイよ」

「お前が敏感過ぎるだけじゃないのか」

 そうであって欲しいと思って言った。

 魔界の住人は、日常的に魔法に触れているので熟練度は高いが、感覚的には慣れて鈍感になっている。

 外界に住んでいる上にランクSの鯖丸は、魔法に対して敏感だ。

 しかし、ジョン太は、楽観的な性格ではなかった。

 直ぐに判断した。

「行こう。今からでも出来る限りの物は封じる」

「えっ、夕方まで手を出さない約束だったんじゃ」

 鯖丸は、自分でまずいと言い出した割りに、ますみちゃんとの約束を優先した。

「閉校式の邪魔はしないさ。人目に付かない所から、順に封じて行く」

 周りに聞こえない様に、小声で話しながら、ジョン太はいも焚き風の根菜鍋をすすって、ちらし寿司のおにきりをつまんだ。

「魔方陣を書き込んだお札、枚数は余裕あったよな」

「うん、大丈夫」

 既にお代わりして、おにぎりも三つくらい食っていた鯖丸はうなずいて、松吉夫妻に「ちょっと席外します」と言って刀を掴んで立ち上がった。

 雰囲気で察した二人も、そろそろ民宿に戻ると告げて、親子連れ三人と一緒に教室を出た。


 理科室にはまだ、料理を作り終えたおばちゃん達が、座ったまま話し込んでいた。

 骨格標本やホルマリン漬けや人体模型のある場所で、よく平気で楽しそうにおしゃべりしているな…と感心した。

 小さい学校で、調理実習室や給食施設が無いので、火が使えるのはここだけの様だ。

 魔界でも使えるLPガスだ。外界でも、田舎や山間部の一部では、まだ現役だ。

 子供達も何人か居て、一緒にお菓子を食べている。

 封じてしまいたい物が沢山ある部屋だが、ここは後回しにするしかない。

 というか、つくもがみ化した人体模型が一緒に菓子をむさぼり食っているのに、おばちゃんは平気な顔で「あ〜ら奥さん」みたいな感じで肩を叩いている。

 今更だけど魔界の奴らって何なんだ。

 ジョン太は、諦めた風に肩をすくめて、資料室へ向かった。


 資料室の前には、ますみちゃんと桐矢が居た。

 特に何かしている訳では無く、廊下に置かれた傘立てに腰掛けてサイダーを飲みながら、同じ袋から菓子をつまんでいた。

 ますみちゃんは否定していたが、端から見ると微笑ましいカップルだ。

 桐矢はこちらを睨んで、ますみちゃんも厳しい顔をした。

「まだ、約束の時間は来てませんけど」

 ジョン太に向かって言った。

 ますみちゃんが睨んでいるのはジョン太で、桐矢が敵意をむき出しにしているのは鯖丸だ。

「下級生を煽って、同調する様に仕向けたのか」

 ジョン太は聞いた。

「そんな事…」

 ますみちゃんは口ごもった。

 それから、顔を上げて言った。

「外界から、知らない人達がいっぱい来るんでしょう。ただ、遊びに来るんだ。私達には大事な場所なのに」

「分かった」

 ジョン太はうなずいた。

「ワガママ言ってるガキのお願い聞くのも限界だ。行くぞ、鯖丸」

「オジサンはいい人だと思ってたのに」

「いい人が魔法使いなんかやってる訳ねぇだろ」

 ジョン太は否定した。

「俺は資料室を封じる。お前はますみちゃんと音楽室に行け。ピアノはもう使わねぇだろ。お札十枚くらい貼って封じて来い」

 桐矢の方へ振り返った。

「悪いけど付き合ってもらうぞ」

 ジョン太が、関係者とは云え、こんな子供を巻き込むなんてめずらしい。

 きっと、何か別の意味があるんだろう。

「分かった」

「何で日向とこいつ…」

 反論しかけた桐矢の腕を、ジョン太が掴んだ。

「まぁ、いいじゃねぇか。おっちゃんと資料室でお話しようぜ。色々封じながら」

 さすがに、見た目の怖いジョン太には逆らえないらしく、桐矢は資料室に連行された。


 音楽室にも、小学生が一生懸命作ったらしい飾り付けがされていた。

 一歩踏み込むと、持っていた刀が、鞘ごとぶうんと震えた。

 バッハが、微妙な表情でこちらを見た。

 ジャケットのポケットから、用意していた魔方陣を描き込んだお札を取り出した。

 取り出したそれは、自動で飛んだ。

 バッハと、メトロノームと、ケースに仕舞われたトランペットが、即座に封じられた。

 ピアノはびくともしない。

 敵意は感じなくて、鯖丸は音楽室の隅に片付けられた椅子に座った。

 ますみちゃんは、ピアノの前に置かれた椅子に座った。

「あの…前にも聞いたけど、ここが民宿になって、ずっと大事にされるんじゃ、ダメなのかな」

 聞いてみた。

「そんなの…」

 ますみちゃんは俯いた。

「ひどいよ。ここは、私達には大事な場所なのに」

「でも、いつかは離れないと」

 言ってから、どきりとした。

 自分は無理矢理生まれ故郷から引き離されたけど、自分の意志で離れなければいけなかったら、きっと色々決心が必要だったろう。

「鯖丸兄ちゃん、変わっちゃったね。好きだったのに」

「えっ…?」

 それはどういうフラグですか。


 そりゃあ人間、四年も経てば色々変わる。

 十代や二十代前半の、子供や若者なら尚更だ。

 あの頃の自分が、明確に思い出せない。

 何か、電話の受け答えも、お茶を入れる事も出来ない様なアホだったなぁ…という自覚はある。

 でも、今もアホなの…。

 ますみちゃんだって、昔は可哀想な子供だったけど、今は中々可愛い女子中学生だ。それも、来月から女子高生の。

 しかし、四年前の身も心も病んでいる状態からやっと脱出して、というか、心は相変わらず病んでいて、更に大怪我して寝込んでいる状態の俺を好きって、どういうバツゲームだ、それ。

 ますみちゃん、君のメンタル面は大丈夫なのか?

「うん、四年もあったら色々変わるよね」

 一応言い訳した。

 あれから色々あった。

 彼女居ない歴=年齢だったのに、いきなり好きな人が出来て、希望としてはそのまま結婚しようと思ってたのに、色々あって別れた後も仕事仲間として一緒に行動して、意外と辛いなぁと思っていたら、向こうに好きな相手が出来て、やけくそになって遊んでたけど、割りと普通に恋愛して、今は婚約者が居て。でも、一緒に居られなくて。

 色々あり過ぎだ。大丈夫なのか、俺。

 ますみちゃんだって、今年から高校生だ。

 大人じゃないけど、もう子供じゃない。色々あるだろう。

 それからふと、もっと重大な事実に気が付いた。

 あれ? 今までこっちからのごり押しとか告白とかで恋愛関係を維持して来たけど、それなりに幸せだったけど、相手から告られるの初めてじゃね? たとえ過去形でも。

 モテてたのに気が付かなかった過去の俺、死ね。

 …いやいや、相手は当時小学生だし、小学生相手じゃ犯罪だし。

 色々な思考が一瞬で脳裏を過ぎったが、とりあえず冷静を取り繕った。

 幸い過去形だ。

 今の所桐矢君とますみちゃんは、いい感じのカップルに見える。

 というかまぁ、元々が年上好きなので、二個も年下の有坂と将来の約束をしたのだって、自分的にはすごいな、さすが惚れた弱みとか思っている。

「エッチな本とか置いて行ったの、すごく嫌だったけど、やっぱり好きだったの」

 へぇ、なるほど。

 しばらく話が見えなかった。

 それから、自分がハザマ医院で世話になっていた時、ますみちゃんが雑用のバイトをしていたのを思い出した。

 何だかたわいもない話をして、楽しかった。

 ジョン太が外界から助っ人を連れて来て、ついでにプリンとまるまるバナナと、あと、巨乳物のえっちな雑誌を差し入れしてくれて…。

 ハザマ医院の畳敷きの病室で、あれで抜いた記憶はあるのに、雑誌を外界に持ち帰った憶えが無い。

 あれ…もしかして。

 俺は大変な事をやらかしましたか?

「見た?」聞いた。

「見た」ますみちゃんはうなずいた。

 小学生(当時)に、あんな物を発見されてしまったのか…と考えた。

 ここ一年で、エログッズは必ず発見されるという事は身に染みて分かっている。

 ああもう、あの頃の俺を目の前に正座させて、一時間ぐらい説教したい。

「すいません」

 とりあえず謝った。


「それはさておき」

 置く事にした。

「とりあえずこの部屋だけでも、壁の飾り付け外していいかな」

「嫌です」

 ますみちゃんはきっぱりと言った。

「夕方まで手出ししない約束です」

「悪いけど約束は破るよ。これがつくもがみの魔力を増幅させてるの、分かってるだろ。少しでも減らしとかないと、手に負えなくなる」

 ますみちゃんは、ピアノに触った。

 奇妙な空気が、周囲に巡らされた。

「分かっててやったんだな。ここから離れたくない下級生や、愛着のある大人を巻き込んで、無意識に同調させて」

「最初はわざとじゃなかったの」

 ますみちゃんはピアノの蓋を開けた。

 真ん中の『ド』の音を押さえた。

 音が周囲に広がる。

 じわじわと空気の振動が、鯖丸の座っている壁際の椅子まで寄せて来た。

 空中に波形が見えた。

 今まで、考えた事も無かった。うかつだった。

 ますみちゃんは魔界生まれの魔界育ちだ。

 十五歳くらいになれば、熟練度はかなり高い。そして、過去にかまいたちを見てしばらく口も利けなくなる程怖い思いをしている。

 生まれつきの能力よりも魔力が高くなっているはずだ。

「友恵ちゃんが、このピアノと離れたくないって言って、その時同調して、つくもがみになったの。それが周りに広がって」

「友恵ちゃんって、ピアノ弾いてた娘?」

 尋ねると、ますみちゃんはうなずいた。

 その間も、周囲の音の波は、じわりとからみついて来る。

「何でそんな事したんだ。手に負えなくなったらどうするつもりだよ」

「そうなれば、ここが民宿にならなくて済む」

「怪我人が出るかも知れないぞ」

「それは…」

 ますみちゃんは口ごもった。

「種田のじいちゃんや松吉のおばちゃんが居るし」

 種田のじいちゃんというのは、魔方陣を譲ってくれた老人の事だ。確かそんな名前だった。

 松吉の奥さんも、普段は民宿の女将さんだが、魔力は飛び抜けて高い。

「それに、鯖丸兄ちゃんとジョン太のオジサンを呼ぶって、松吉のおっちゃんが言ってたから、ホントに危なかったら止めてくれると思った」

 鯖丸は、腰の座りが悪い小学生用の小さな椅子に掛けたまま、少し肩を落として頭を掻いた。

「出来るでしょう。昔鯖丸兄ちゃんがかまいたちを足止めした時の穴、埋め戻すのが大変だから今用水池になってる」

「知ってるよ」

 畑の持ち主には、悪い事をしたと思っている。

「だったら分かるだろ。俺、魔力は高いけど、魔法使いの経験は、ここで育ったガキ以下なんだよ。出来るのは、手加減無しにぶっ壊す事くらいだ」

 周囲を巻いていた波が、少し引いた。

「だから邪魔するな。本当にヤバくなったら、ここ全部壊すしか無くなる。民宿になる方がまだマシだろ」

 ますみちゃんの表情が少し変わった。

 寄せていた音の波が、更に後退した。

「大体、手出しするなって言ってるのに、俺を頼るのはおかしいよ」

 椅子を立って刀を背に掛けた。

 そのまま手を伸ばして、壁にかかった折り紙のチェーンを外した。

 接触するとそれは、思いの外強力で、肘の辺りまでしびれる様な感触があった。

 外されたチェーンが、ぐるりと足下に絡みついて来た。

 ピアノが…いや、ピアノを囲む空気が、あり得ない形に歪んだ。

 ジャケットの内ポケットに入れた矢立を、上から手の平で押さえた。

 丁寧に魔力を込めながら硯で擦った墨と筆がセットされている。

 これを使って、問答無用で周囲を封じて行くには、時間帯が早い。

 校舎の中と外に、まだ沢山の人が居て、縄手山小中学校に名残を惜しんでいる。

「友恵ちゃんって娘、呼んで来てくれる? それ、何とかしないと」

 ますみちゃんが触れているピアノは、形状はそのままに、既に歪み始めていた。

 このまま接触させてたら、つくもがみに取り込まれるかも知れない。

 ピアノから伸びている音の波が、ますみちゃんを取り巻いていた。

「でも、あの子はきっかけだっただけで…それに」

「いいから行け、これは命令だ。それとも、俺とガチでやる?」

 刀に手をかけた。

 只の脅しだった。こんな事はしたくなかった。

 魔界人だから、魔力の差は良く分かるのだろう。

 ますみちゃんはピアノから離れた。

「酷いよ、そんな人だとは思わなかった」

「俺は昔から、そんな人だよ」

 ピアノの周辺を歪ませている魔力のうねりが、飲み込む様に立ち去るますみちゃんの背後から絡みついた。

 音楽室の出口で、それは辛うじて振り切れた。

「友恵ちゃんはここに入れるな」

 音楽室の戸を開けているますみちゃんに言った。

「君ももう、ここには入るな。外で待っててくれ」

 廊下を、ますみちゃんが小走りに駆け去って行く足音が聞こえた。


 ひとしきり飾り付けを外して廊下に出ると、ジョン太が居た。

「思ってたよりめんどくさい事になった」

「こっちもだ」

 うなずいたジョン太は、お楽しみ会的な飾りを体中に巻いている鯖丸を見て、一歩引いた。

 けっこう長い付き合いになるのに、何でこいつはいつも、予想の斜め上を行くんだろう。

「なぜ巻く?」

 一応聞いた。

「外したけど、いっぺんに持ちきれなくて」

 じゃあ二回に分けて運ぶという選択肢は無いのか…と言いそうになって止めた。

 突っ込んだら負けな気がする。

「校舎の裏に焼却炉あったろ。そこで燃やそうと思って」

 良く見ると、無理矢理外した飾りが、体にぎちぎち巻き付いている。

 行動を縛られる程ではないが、多人数の意識や無意識を飲み込んで、重合結界と変わらない状態になっている。

 本当に、何でいっぺんに運べないという理由だけで、これ、体に巻き付けるかな。

「ここで燃やしてやるよ。ちょっと目つむってろ」

 体に巻き付けた飾りと、両手一杯抱えた飾りを焼いた。

 ぽん…と軽い音がして、一瞬だけ熱風が吹き上がり、足下に白い灰が落ちた。

「ええっ、何か髪の毛焦げてるんじゃない? やめてよ。俺、再来週にはびしっとした普通のサラリーマン風の格好してないとヤバイのに」

「丁度いいじゃねぇか。散髪しろ」

「うう…一応社会人として許される範囲内でオシャレな髪型にしようと思ってたのに」

 鯖丸が身形に気を使おうとするなんて、画期的だ。

 もしかして金銭的に余裕が出来たら、ちゃらちゃらした格好したいのか?

 がっかりしていた鯖丸は、降り積もった灰を払って、聞いた。

「それで、めんどくさい事って何?」


 ジョン太が桐矢に聞き出したのも、ますみちゃんとあまり変わらない内容だった。

 最初に、江隅友恵という少女が、ピアノと同調し、リンク状態になる。

 年を経て人々の想いを飲み込み続けていたピアノは、意識を持ってつくもがみ化し、周囲の『物』が引きずられて同調する。

 その時点で、周囲の大人に相談するべきだったのだが、学校が無くなる事は、子供達皆が嫌だった。

 皆の想いがつくもがみを増幅させ、そこで教師や親が気が付いたが、事態をそれ程深刻に考えないで居る内に、学校に愛着のある大人達も、無意識でつくもがみを強化し、今に至る。

 魔界人でも、つくもがみを見た事のある者は珍しく、この村でも魔方陣を譲ってくれた種田のじいちゃんくらいだった。

 めったに起こらない現象なのだ。

「一応、資料室の連中は全部封じたんだけどなぁ」

 ジョン太は、枚数の減ったお札を見せた。

「あれ、そんなに長く持たねぇぞ」

「え…?」

 最初にちゃぶ台で試した魔方陣は、大して持たなかったが、つくも封じのお札は、墨を摺る段階から魔力を込めて丁寧に作っている。

 正直言って、割と大変だった。

 音楽室では、ピアノ以外の相手には良く効いたし、持続時間にも余裕がありそうだったが。

「じゃあ、墨で重ね掛けすればいいんじゃ…」

 懐に仕舞った矢立は、触れると頼もしい感じがした。

 ジョン太も同じ物を持っているはずだが、何だか効きが頼りない気がする。

 魔法を全く使えなかった昔のジョン太ならともかく、今なら並みの魔法使いより魔力は高いはずだが。

 ジョン太が、会話している分には、全く日本人ではない事を忘れるくらい日本語が堪能なのに、手書きの文字は意外と稚拙なのを思い出した。

 そう云えば、メールも7割方英文だし。

 リンクした時、思考言語が英語なのは知っていた。

 そして、陣形の中には、漢字で『九十九神を封印する』と云った意味の長い文字列が書き込まれている。

 まさか、そんな事が不利になるなんて、今まで思いもしなかったけど……。

「ジョン太、思考言語って切り替えられる?」

 聞いてみた。

 ジョン太は怪訝な顔をしてから、気が付いたらしくうなずいた。

「そうか…いや、出来るけど、多少努力は必要だな」

 元々、原型タイプのハイブリットなので、外見で人種は分からないが、電話で話していて外人だとは分からない位だ。

「思考言語を切り替えた方が、魔方陣の効きは良くなると思う」

「めんどくせぇな」

 本音を言ってから、しばらく黙り込んで、顔を上げた。

「よし、完了」

 そんな簡単に完了なのか。

 内心思ったが、深く聞くのはやめておいた。

「じゃあちょっと、封じ直して来るわ」

 資料室の引き戸を開けた。


 ジョン太が封じたと言っていた資料室は、カオス状態になっていた。

 ごちゃごちゃと置かれた物達は、好き勝手に動き回って、貼られたお札は魔力を使い切って白紙に戻っている。

 鯖丸は、入り口ではぁぁとため息をついた。

「あれ、いっぱい作るの、大変だったのに」

「済まん」

 ジョン太は素直に謝った。

 こんなに早く効き目が消える予定では無かったが、最初から一晩持つとは思っていない。

 封じる品物の四倍近い枚数の札は用意している。

 今度は、本気で魔力を引き上げてから封じるつもりらしく、ジョン太の外見が先祖返りタイプの犬型ハイブリットから、普通の外人のおっちゃんに変わった。

 相変わらず、無駄に男前だ。

 手に持った札は、つくもがみに向かって自動で飛んだ。

 資料室の喧噪が収まり、勝手に棚やケースから出歩いていたつくもがみは、床の上で静止した。

 今度は、がっちり封じているのが分かる。

 細かい品は一カ所にまとめて、更に墨と筆で床の上に魔方陣を描き込んで行った。

 お大事な化石や土器は、一つ一つ丁寧に封じて、とりあえず一仕事終わった。

 元からごちゃごちゃ物が置かれたこの部屋は、つくもがみの個体数は多いが、閉校式の行事に使われていないので、飾り付けもない。

 きっちり封じてしまえば、しばらくは安心だ。

 廊下に出てから、念の為に入り口を別の魔法で封じた。

「何で鍵がねぇんだ。魔法より鍵かけた方が確実なのに」

 資料室を出たジョン太は、文句を言った。

「田舎だからじゃない? 松吉さん所も、鍵かけてるの見た事無いし」

 外界でも、市街地からかなり離れた田舎では、未だに昼間は鍵をかけない家も多い。

「うーん」

 納得していない様子の、アメリカの都会育ちのジョン太が、資料室の前後にある引き戸を封印して、一息ついた。

「俺も、ピアノは無理だったけど、バッハとか封じ直しとくよ」

 鯖丸は、音楽室に戻った。

 戻ると、女の子がピアノの前に座っていた。


「君、江隅友恵ちゃん?」

 しまったと思った。

 ますみちゃんには、ここに入るなと言っておいたが、素直に待っていてくれるだろうと思って、飾り付けを処分しようと音楽室を出たり、資料室の封印を手伝ったりしていた。

 時間的には大した事じゃない。

 でも、ここで動かず待っているべきだった。

 ピアノが、あり得ない形に歪んで見える。

 実際には、窓際の方を向いているはずの上蓋の部分が、こちらに向いて笑っている様に見える。

 周囲の空間が歪んでいて、それが少女を巻き込む様に囲んでいた。

 少女には見覚えがあった。

 先日もピアノの練習をしていて、終業式と閉校式にもピアノを弾いていた少女だ。

「はい」

 少女はうなずいた。

「日向先輩から、ここに来て待ってる様に言われて…」

 情報が間違って伝わっている。

 音楽室に入らないで、外で待っている様に言ったはずだ。

 いや…待て。俺がここでずっと待ってなかったから、彼女は音楽室に入ってしまったのでは。

「何で勝手にここに入った?」

 ジョン太が、きっぱりした口調で聞いた。

「外で待ってる様に言われたはずだ」

「知ってます」

 少女は答えた。

 答えてから、ゆっくりと唇を持ち上げて笑った。

「知ってますよ」

 やばい、こいつ。

 つくもがみに取り込まれているのか、それとも無意識で操っているのか、とにかく普通の状態じゃない。

 ピアノと少女の魔力が、あり得ない形でゆらめきながら融合した。

 ますみちゃんが『ド』の音を出した時より、ずっと高い位置で同調している。

 ピアノが鳴った。

 周囲の空間が歪み、まるで抽象画の様に形の崩れたピアノから、立体感を無視した鍵盤がぐりぐりと曲線を描きながらこちらへ伸びて来た。

 物理的な攻撃ではない。

 だが、目に見える音が、頭の中に食い込んで来る。

 こんな魔法は初めてだった。

 普通なら防御に使う障壁が効かない。

 頭の中が揺さぶられる。

 耐えられない程の魔法ではなかった。

 踏み堪えて、鍵盤に押されながら、じりじりとピアノに近寄った。

 ピアノと少女が、まるでリンクを張った様に、魔力の流れを共有しているのが見える。

 ただ、どちらが主導権を握っているのか、判然としない。

「さぁ、どうしようかな」

 少女が、外見では微動だにしないが、気持ちの上で一歩引くのが分かった。

 主導権がどちらにしろ、押しに弱いのはこの少女だ。

「ともえちゃ〜ん、お兄さんとお外へ行こうか」

 客観的に性犯罪者なセリフを吐きながら、じわじわと少女に近付いた。

「お前、それ、ギリギリアウトだぞ。セリフも顔も」

 傍観していたジョン太が、たまりかねて突っ込んだ。

 セリフはともかく、顔は仕方ないと思う。

 何か、夢見がちな女子中学生がぐらっと来る様な、王子様的外見にでも魔法整形すれば良かったのか?

 技術的にも心情的にも美的感覚からも、全部無理だが。

 さてどうしよう…と思っているスキに、ジョン太が前へ出た。

 魔力レベルを調節しながらつくもがみと音の魔法をやり過ごし、小柄な少女を小脇に抱えて、何事も無かったかの様に音楽教室を出た。

 あっという間だった。

 呆然としたのは、鯖丸もピアノも同じだった。

 ピアノが反応する前に、先に我に返った鯖丸が、鍵盤と音階をかいくぐって廊下へ逃れた。

 ピアノは、廊下までは追って来なかった。

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