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一話・ヤクザvs魔法使い vol.1

『大体三匹ぐらいが斬る!!』『続・大体三匹ぐらいが斬る!!』の続編です。

先に二作を読んでいただいた方が、内容が分かりやすいですが、強制ではありませんので、お好きな所からご自由にお読みください。

 電車の駅横にある公園のベンチに、二人の男女が腰掛けていた。

 二人とも、男女の差はあるがそれなりに長身で、鍛えられた体格だ。

 男の方は、よれよれのTシャツと接ぎのあたったジャージで、女の方はそこそこ有名なスポーツ用品メーカーのジャージだったが、世間的に言うと、まぎれもなくどっちも電車に乗るには恥ずかしい格好だ。

 カップルなのか、部活の先輩後輩なのか、傍目には判断のつきかねる二人組だ。

「有坂、俺らさぁ」

 男の方が言った。

 西瀬戸大理工学部宇宙工学科の院生、武藤玲司こと鯖丸、二十三歳。

 大学院も一年目後半になって、就活も本腰を入れ始める時期だ。ゼミでの研究も、ある程度目鼻が付いて来た。

「そろそろ付き合わない」

 女の方が、顔を上げた。

 同じく西瀬戸大の英米文学科三年、有坂カオル。

 ばりばりの理系と文系で、学業的にはなんの接点もない二人の共通点は、剣道部だった。

 正確に言うと、異種格闘技戦だ。

 有坂は元々、子供の頃から薙刀をやっていた。

 剣道と薙刀の模擬試合を見せたいと言うので、長年の師匠溝呂木に呼ばれて、久し振りに剣道部に顔を出したら、対戦相手が有坂だったのだ。

 剣道は続けていたが、学生の公式試合は、大学四年の春で引退している。

 薙刀だという以外、特に詳細も報されないで、対戦した。

 薙刀だから、そうかもと思っていたが、かけ声をかけた時点で、相手が女だと分かって、ちょっと引いた。

 立ち会うと、リーチの長い薙刀は、思いの外やりにくい相手で、苦戦した。

 長物だと苦手かと思っていた接近戦も、柄の方を返してさばいて来る。

 どうにか勝ったが、年下の女の子に苦戦したのはけっこうショックだった。

 どうやら、現役の選手が負けでもしたら、試合でのモチベーションに影響するので、とっくに引退している自分が呼ばれた事は、後で知った。

 部を引退してから、溝呂木先生の自分への扱いは、けっこう雑だなと思う事はある。

 それでも、道場には週二で通っているし、どちらかというと頼られていると感じる事もあるのだが…。

 薙刀部が無かったせいなのか、有坂は高校の後半で、剣道に転向していた。

 理由を聞くと、色んな人と戦いたかったからだと言っていた。

「そうか、女子は層が厚いからなぁ」

 自分達が子供だった頃、女子剣道部が舞台の漫画が大ヒットして、アニメにもなっている。

 それも、日本のアニメ七十パーセントを生産しているという噂の、某テレビT京とかでなく、全国枠で。

 その影響で今でも剣道は女子の方が層が厚い。

 その後、有坂に頼まれて、朝練に付き合ったり、剣道とは関係ない勉強に付き合ったりして、今に至る。

 あまりにも二人で連んでいるので、周囲にはとっくに付き合っていると思われていた。

 先日、二人でやっている自主朝練が終わってから、タオルで汗を拭っている有坂を見た。

 付き合いが長くなって来たせいか、無防備な姿だ。

 好きになる理由なんて、割とどうでもいいんだなと思った。

「いいですよ」

 有坂は言った。

「私も、先輩ってちょっとかっこいいなって思ってました」

「そうなんだ」

 一応、冷静に言った。

「どの辺が」

「強いから」

「見た目とかは?」

「えーと…」

 困らせる様な質問をしたらしい。

「人は、見た目じゃないです」

 見た目、全否定。

 分かってはいたが、ちょっとがっかりした。

 それは、男前だとは言わないが、不細工ではないし、スタイルがいいので、全体的に見ればそこそこだと思うが…。

「有坂は、見た目も可愛いよ」

 驚いた事に、有坂カオルは赤くなった。

「先輩、スケコマシ」

 びしっと肩を叩かれた。

 何?その昭和の香りがする名称。こいつ、女子大生の皮をかぶったおっさんか…。

「先輩が、昔色々あったのは聞いてます」

 以前、女関係で荒れていたのは、剣道部内でも知れ渡っているらしかった。

「でも、今は真面目なんでしょう」

「俺は何時だって真面目だよ」

 鯖丸は、有坂と見つめ合った。

「とりあえず、手、握っていいかな」

 公園のベンチで、並んで座っている男女としては、ものすごく許容範囲内だ。

「どうぞ」

 有坂カオルは、手を差し出した。

 薙刀と剣道をやっているにしては、柔らかい手だ。

 それはまぁ、普通の女子大生に比べたら、ごつごつしいているが。

「キスもしていい?」

 手を握られたまま、引き寄せられた。

「いいですよ」

 公園だが、周囲に人目はない。

 それくらいはいいだろう思われた。

 予想と違って、ディープキスをされた。

 でもまぁ、それくらいは付き合う事になったら普通だし…。

「じゃあ、セックスしようか」

「先輩、途中段階はしょり過ぎ」

 一応抗議した。何なんだ、この人は。

「いずれするだろ」

 適当な事を言われた。

「俺ん家この近所」

 手を握ったまま、ベンチから立ち上がった。

「来る?」

 どういう訳か、うなずいてしまっていた。





 いつの間にか、桜の季節が来ていた。

 西谷魔法商会の事務所は、相変わらずだった。

 顔触れは多少変わったが、基本的に魔界の営業に出ているか、事務所に居るかだ。

 今日は、魔界の宅配専門で雇った北島という少年が来ていた。

 鯖丸の顔を見ると、お早うございますと、大きな声で挨拶した。昼過ぎだけど。

 まだ高校生で、攻撃力は低いが、逃げ足が劇的に速いので宅配を任されている。魔界名はイダテンだ。

 矢継ぎ早に学校や友達の事を話し始める北島を、子供だなぁと思う。

 自分も、ここに来た当初は、ぎりぎり十代だった。

 きっと、今の自分から見ても、笑っちゃうくらい子供だったんだろうなぁ…とは思う。

「先輩、聞いてます?」

「うん、聞いてる」

 最近、先輩呼ばわりされる事が多い。

 まだ学生だとはいえ、世間的に言えば、とっくに社会人になっている年齢なので、それも仕方ないかなと思う。

 学校で、バイトしているのを咎められた話をひとしきりしてから、北島は宅配の伝票を差し出した。

「これ、お願いします。今日、斉藤さんが休みで」

「自分で配った荷物の伝表処理くらい、そろそろ出来る様になれよ」

 一応文句は言いながら、出かけている平田のパソコンを借りて、立ち上げた。

「あの…私のもお願いします」

 この春に入社したばかりの、新人の女の子が、自分がやるはずの備品の在庫確認と発注の仕事まで、回して来た。

 いつから始めたのか知らないが、ほとんど進んでいない。

 おろおろしている様子なのが、何となく分かる。

「分からないなら、誰かに聞けよ。俺は現場がメインのバイトなんだから」

「ちょっと怖くて…」

 確かに、ここの事務所に居る人間は、魔界で荒っぽい仕事をしているせいか、皆クセのある者ばかりだ。

 ジョン太は目つきの悪い犬だし、ハートはどう見ても北斗の拳の悪役だし、平田と斑は、夫婦揃ってヤクザもんとその情婦にしか見えないし、所長に至っては、元ヤンでマジで怖い。

 唯一見た目が怖くないトリコを指差そうとすると、反対に、自分がやっていた事務処理を押しつけて来た。

 相変わらずパソコンが苦手らしい。

 鯖丸は、ため息をついて席を立った。

「何だよ、ちょっとぐらい手伝ってくれてもいいじゃないか」

 人に丸投げしておいて、トリコはすごい事を言い始めた。

 斉藤さんって、偉いなぁ…と、しみじみ思った。

「タイムカード押して来る。こんなにただ働きさせられたら、たまんないよ」

 そういう予定で来たんじゃないのに…。

「三希谷さんって、何でこんな変な会社に就職しちゃったの?」

 新卒で、いきなり入る職種じゃないと思うが。

「昔から、魔法少女に憧れてて」

 ああ、やっぱり変な人なんだ…。納得した。

「あんな風には、なっちゃいけないよ」

 ポールペンのしりでトリコを指すと、空になったペットボトルを投げられた。


 程なく、ジョン太が外から戻って来た。

 爪楊枝なんかくわえていて、おっさんくさい事この上ない。

 というか、おっさんが悪化している。

 何が気に入ったのか、ここ数年、暑がりのくせに腹巻きを愛用していて、たまに人前だというのに、そこからごそごそ小銭を出して来たりする。

 平均寿命も延びた今日び、四十代半ばでそこまでおっさん化する奴も珍しいのだが…。

「今頃昼飯?」

 パソコンに向かったまま、鯖丸は聞いた。

「打ち合わせで昼休みつぶれてなぁ。その辺でちゃっちゃと済まして来た」

 また、近所でざるそばを食って来たらしい。

 いくらハイブリットは燃費がいいとはいえ、こんな二メートル近いごついおっさんが、昼飯、ざるそば一枚で足りるのかと、未だに時々疑問に思う。

 少し遅れて、平田も戻って来た

 ジョン太と一緒に、打ち合わせの後昼飯だったのだろう。

 あ、すみません、すぐ終わりますからと言うと、もうちょっと休憩したいから、そのままパソコン使ってていいよと言われた。

「お前は、所長に呼ばれて?」

 ジョン太はたずねた。

「そうだけど、所長、まだ帰ってないよ」

「ああ、ケーサツとの合同捜査で、色々あるらしくて、まだ県警」

 元ヤンと県警…良くない組み合わせだ。

 爪楊枝をゴミ箱に捨てたジョン太は、鯖丸の手元を覗き込んで、顔をしかめた。

「コラ、三希谷の仕事を手伝うなって言っただろ。自分でやらせて、横で教えろや」

 後頭部をしばかれた。

「それ、トリコにも言ってよ」

 鯖丸は、文句を言った。

「こいつはもう手遅れだ」

 いや…自分が教えるのめんどいだけだろ…と、鯖丸は思った。

「三希谷は、お前が居なくなったら若手のメインを張ってもらわなきゃいけないんだから、色々教えといてくれよ」

 ええっ、こんな娘が?と、思わず口に出しそうになった。

 いい年して魔法少女とか言ってる、変な小娘にしか見えない。

「魔界に入ると、けっこう凄いのよ、彼女」

「先輩、居なくなるんですかぁ」

 北島が大声を出した。というか、こいつ、デフォルトで声がでかい。

「まぁ、来年の今頃にはね」

「えー、ずっと居てくださいよ」

「居ないよ。俺だっていずれは卒業するよ。就職先だって内定してるし」

「そうか、それは良かったな」

 ジョン太は、本気で良かったなと云う顔をした。

 学業を続けるのに、色々苦労して来たのを、ずっと見ている。

 普通に就職して、普通に安定した収入が入る様になれば、こいつの恐ろしい程の貧乏性とか、あんまり風呂に入らないとか、三日以上同じパンツ履いてるとか、部屋が汚いとか、カビの生えたパンを平気で食うとか…いや待て、治らない様な気もして来た。

「お前、あの薙刀女と半年近く続いてるんだったよな」

 こんな男相手に、半年も耐えられる女が実在する事自体、信じられない。

 なんて云うか…適材適所?

「人の彼女を、そんな悪の組織の改造人間みたいな呼び名で…」

 鯖丸は、ぶつぶつ文句を言った。

「お前ら、卒業したらどうするの」

 薙刀女(ジョン太の勝手な命名)も、この春から四年だから、来年一緒に卒業のはずだ。

「うーん、まだ一年近く先だし、有坂も海外に留学したいとか言ってるし、今の所分からないよ」

 鯖丸にしては、冷静な発言だ。

 確か、就職先は関東だったはずだし、こいつの性格なら、卒業したら速攻で籍入れて強引に薙刀女を連れて行きそうなもんだが…。

「何か、大人になったなぁ。お前らしくなくて、つまらん」

 ジョン太は、理不尽ないちゃもんをつけた。

「俺の人生は、受け狙いじゃないんだよ」

 鯖丸は、押しつけられた事務を片付けながら、まともな事を言った。

「ちぇっ、普通の人になっちゃって。最近、魔界でもあんまり暴れてないし、それじゃあ剣道が強いだけの、普通の大学生だぞ」

「前からそうなんだけど…」

 このおっちゃんは、俺に何を期待しているんだ。

「最近、大仕事も入ってないし、平穏でいいんじゃないの」

 ここ一年程、魔界の便利屋より、塾の講師の方がメインの仕事になってしまっている。

 魔法使いの方が実入りはいいが、不定期で、何日も続く仕事もあるし、定期的にこつこつ働いた方が確実だ。

「確かに、入ってないな、大きい仕事は」

 営業的には、それなりの利益を出しているが、ここしばらく、大きな仕事は途絶えている。

 まぁ、小商いで地道に稼ぐ方がいいが。

 ジョン太がうなずこうとした時、勢い良くドアを開けて、所長が戻って来た。

 めずらしく、髪の毛をきちっとまとめて、地味な色のスーツを着ている。

 元ヤンで、ちょっと目付きが悪いのを除けば、普通のおばちゃんだ。

「久し振りに、大仕事が入ったぞ」

 満面の笑みで、言い切った。

 所長は、派手な仕事が大好きなのだ。

 鯖丸とジョン太は、顔を見合わせた。

 ふっとため息を漏らして、諦観の笑みを浮かべた。

 何気に、所長と似た様な精神構造のトリコは、実は派手な仕事が好きなので、よっしゃーという風にこぶしを握った。

「ええーっ、大仕事ですか。すげー」

 いや…北島君、君は関係ないから…たぶん。

「この仕事が取れる事を見越して、集まってもらった」

 所長は、皆に言った。

「ええと…船虫さんが居ません」

 北島が、手を上げて発言した。学校か、ここは。

「彼は、この春で北海道支所の所長として転属だ。今は、研修中」

「そうなんだ…」

 外見は、サイコホラー物の嫌な悪役の様な、ちょっと怖い船虫は、ハートとコンビを組んでいたが、特にリンクを張っている訳でもなく、無口で影が薄いので、存在感はあるのに目立たないという、不思議なポジションだった。

 プライベートについては、誰も知らない。

 転属する事になって、今初めて話題に上がる、気の毒なキャラだ。

 本人が、気の毒だと思っているかどうかは、別として。

「来週の花見には来るよ」

 所長は、自分の机の前まで行って、椅子に座った。

「さて、大仕事の話だ」

 皆は、聞き耳を立てた。


 魔界には、ヤクザがいっぱい居る。

 外界の暴力団組織が、規制の緩い魔界に進出したり、魔界が出現する前から、その地域を仕切っている組織が、地元の皆さんの協力を得つつ、存続していたり…。

 現在は、生存競争の激しい外界で淘汰された広域暴力団が、昔気質の地元のヤクザ屋さんを駆逐しつつ、勢力を伸ばしているのが現状だ。

 魔界は、治外法権になっている地域が多く、警察の監視も、外界以上に届かない。

 麻薬の密売や、日本では禁止されている銃器の密輸入も、魔界を経由して行われる事が多く、社会問題にもなっている。

 不法な出入国も、魔界を経由すれば簡単で、暴力団組織の資金源になっているという話だ。

 建前としては、善処すると言い続けていた警察だが、実際には何の手立ても打てなかったのが現状だ。

 魔界で活動する為には、特殊なスキルが必要だからだ。

 一般的に、警察とか自衛隊とか軍隊とか、集団組織で上手く立ち回れる人間は、魔界での仕事に適性がない場合が多い。

 そんな訳で、魔界の便利屋が指名されたのだ。

 もちろん、所長のコネもあるだろうが…。

「今までも、小商いでヤクザの邪魔はして来たが、今回は全面対決になる」

 所長は言った。

「やり甲斐あるぞー」

 大体、どういうコネがあるのか知らないが、今まで対暴力団関係の仕事を取って来たのは、ほとんど所長だ。

 おかげさまで、ジョン太と鯖丸とトリコの三人は、魔界に関わっている暴力団関係者に、手配書が回っているくらいだ。

 幸い、魔界では光学機器が働かないので、写真は撮れない。

 変な似顔絵が出回っているらしいが、どれも全く全然似ていなかった。

 ジョン太は、魔界で人間バージョンになれば、一生見つからないし、鯖丸は鬼っぽい外見というイメージが先行して、こんなバカそうな奴だとは誰も思わない。

 トリコに至っては、潜入捜査で使っていた色っぽいカエデ姐さんのイメージが広まっているので、本気で誰にも分からない。

 ハンニバルの件以来、所長が会社自体のセキュリティーレベルを引き上げているので、今の所外界から情報が漏れた事も無かった。

「それ、日帰りじゃないですよね」

 鯖丸は、ちょっと眉をしかめた。

「面接受けに行く時、けっこう旅費がかかったから、塾の講師は休みたくないんですけど」

 そう言えば最近、散髪代もケチっているらしく、だいぶ髪も伸びている。

 最初にここへ来た時も、似た様な髪型だったが、あの頃は首の後ろに付いたプラグを隠す為だった。

 今は、本気で節約の為に伸ばしっぱなしになっているらしく、邪魔になって来た後ろ髪を輪ゴムで括っている。

 剣道部に在籍していた頃は、学費を免除されていた様子だが、今は自分でちゃんと払っているらしく、色々なバイトを掛け持ちして、収入は増えているはずだが、相変わらずかつかつの生活らしい。

「いいよ、途中で抜けても」

 所長は、雑な事を言った。

「警察との合同捜査だし、うち以外にも、ハヤタの所も参加しているからな。頭数に余裕はある。塾の仕事の間だけ抜けて、また戻って来い」

 うわ、それ、寝る時間とかあるのかよ…と、鯖丸は内心思った。

 とは云え、断ると、今月の家賃とか生活費が大変な事になるので、無言でうなずいた。

「予想は付いてると思うが、松田組の連中を相手にする事になる。

 来週の水曜に、県警とハヤタの所の奴も合同で午後三時から打ち合わせだ。皆、予定は開けておく様に」

 割合、厄介な事になりそうだった。


 夜遅くアパートに戻ると、有坂カオルが帰り支度をしている所だった。

 ちゃぶ台代わりに使っている、粗大ゴミ置き場から拾って来た壊れたコタツの上に、夕食の支度がしてある。

「あ…帰るんだ」

「だって、遅いから」

「ごめんよぅ、早く帰りたかったんだけど」

 靴を脱ぐのも早々に肩を抱くと、ちょっと機嫌を直した顔をした。

「切羽詰まった受験生にたかられちゃって…」

 西谷商会を出て、学校に戻って、土曜なので、夜はいつも通り塾のバイトだった。

 授業が終わってからも、色々質問して来る子供らを、こっちは時給の仕事なんだよとか言って無下にも出来ず、一時間以上付き合う事になってしまった。

「塾長がビールくれたけど、飲む?」

 小脇に抱えた、お中元の箱を差し出した。

 待て、四月のこの季節にお中元ってそれ、単に賞味期限の迫った酒を押しつけられただけじゃないのか。

 有坂の判断は的確だったが、カビの生えたパンを食う様な男に言っても無駄だ。

 もらえる物は、何でももらう主義…というか、貧乏性だし。

「試しに一本だけ…」

 箱を受け取って、開封してみた。

 一応まだ、賞味期限は残っている。

 美味しくはないだろうが、腹をこわす心配も無さそうだった。

 鯖丸は、体質的には物凄く酒に強いのだが、別に好きという訳でもないので、さっさと有坂が用意してくれた遅い夕食を食べ始めた。

 大して料理は上手くない自分の作った物を、時々うまいとか独り言を言いながら、無心に食べてくれる姿を見て、付き合い始めた頃は感動したが、単に食い意地が張っていて、いやしいだけなのが分かってしまったので、最近は冷静だ。

 何でこんな人を好きになったんだろうと、時々思う。

 取り得は多いが、欠点も多過ぎる。

 それなりに、大事に想われているのは分かるので、別に不満な訳でも無いけど。

「来週末から、久し振りに魔界の大仕事が入ったんだ」

 舌平目のムニエル…というと聞こえはいいが、近海物で安売りしている小振りのべんちょう(地方での呼び名)に、片栗粉をまぶして焼いたやつを、骨もむしらないで頭からぼりぼり食いながら、鯖丸は言った。

「しばらく、時間無くなるから、今日は泊まって行きなよ」

「うーん」

 有坂カオルは、考え込んだ。

「明日、兄さんが帰省して来るし、武藤君も一緒にごはん食べないかって、言われてるんだけど」

「わーい、それ、絶対行く」

 普通、実家から通っている娘と付き合っていたら、色々気詰まりな事もあるだろうに、武藤先輩は、その辺を気にしている様子は、全然無かった。

 何と言うか、剣道のスタイル同様に、人の懐に入り込む才能が、突出している。

 母親にはけっこう気に入られているし、昔から男女交際に厳しい父親が黙認しているのも凄い。

 顔も性格もイマイチなのに、以前はあちこちで色んな女に手を出していたと云うのも、何となく分かる。

 まぁ、それ以外にも、あっちの方がすごいし、男前ではないが可愛いので、年上のお姉さん達に可愛がられていたのだろうが。

 その辺の変な過去については、剣道部内ではけっこう有名だ。

「それで、今日はどうする?」

 色々、期待している顔だ。

「帰る」

 有坂は言い切った。

 きっぱり言えば、無理な事はされないのは、分かっている。

「一回ぐらいはいいけど…」

 一応、少しは譲歩した。


 いつも通り、家の近くまで送ってくれた。

 二人で歩いていると、いつの間にか向きになって走り込んでしまう事が多い。

 とっくに学校での部活は引退しているはずなのに、いつも置いて行かれそうになる。

 男女の体力差で納得するのは悔しい。

 低重力コロニー出身だから、ハンデがあるのは絶対先輩の方なんだと言い聞かせて、必死で付いて行くのが常だった。

 今日は、そんなに苦労しないで付いて行けた。

「有坂はすごいな」

 家の前に着いた時に、武藤先輩は肩で息をしながら言った。

「俺、本気で走ったんだけど」

「私だって、本気ですよ」

 真顔で言い切った。

「明日は、来てくださいね」

「うん」

 抱き合ってキスをした。

 近所の誰かが見ているかも知れないが、別にいいやと思う。

「来週の火曜、夜って空いてる」

 急に聞かれた。

「ええと、七時からなら…」

「丁度いいや」

 いいらしい。

「うちの会社の…西谷商会の方の花見なんだけど、来る?」

 魔界関係のバイトについては、謎が多かった。

 以前から、何となく知りたかったのは本音だが、関わり合いになっていい物か、疑問だったのだ。

「それ、私が行ってもいいんですか」

 一応聞いた。

「いいよ。にぎやかな方が楽しいし、人数増やせって言われてるし」

「じゃあ、行く」

「よっしゃー!!」

 何がよっしゃーなのか知らないが、鯖丸は本気で喜んだ。


「いやぁ、本日はわたくしの送別の為に、このような盛大な宴を開いていただいて、くっくっくっ」

 カラオケセットのマイクを握った船虫は、不気味に笑った。

「たった二十人かよ、しけた大宴会だなぁ」

「うちの従業員は、バイト入れても十一人だぞ」

「寝言は寝て言え」

「部外者まで呼んで、人数水増ししてるのに」

「そもそもお前の送別会じゃない」

 挨拶は、大変不評だ。

 あっという間に所長にボテクリ回されて、口に一升瓶を突っ込まれた船虫は、沈黙した。

 桜の下に、養生シートを敷いて座り込んだ西谷商会一同は、序盤から飛ばしていた。

 幸い、周囲も同じ様な状態の集団が群れているので、それ程は目立たない。

 ハートは、船虫からマイクを奪い取って、あっという間にトップギアに入っていた。

「歌います!!勇者王誕生!!!」

 北島は、未成年のくせにこっそり飲もうとしていたビールを取り上げられたので、勝手にがんがん肉を焼いて食い始めていた。

 さりげなく横で参加している斉藤さんが恐ろしい。

 ジョン太は、宴会開始五分もしない内に、光の速さで出来上がった酔っ払いになってしまっている。

 変なテンションで笑いながら、どんどん服を脱ぎ始めていた。

 場所取りをさせられていた三希谷は、しばらく呆然とそれを見ていたが、いきなり船虫がくわえている日本酒の瓶を取り上げて、半分程一気飲みしてから、二本目のマイクを握ってハートとハモり始めた。

「あの…いつもこんな感じ…?」

 横に座っている鯖丸に聞こうとした有坂は、顔色を変えた。

 調子に乗って全裸になってしまったジョン太の横で、武藤君がさくさく服を脱いでいる。

「うわはははは、いいぞー、二人とも最低ー」

 所長と斑が、大喜びだ。嬉しいか?

「はいはいはい、どーもー、馬並みでーす」

「人並みでーす」

 最低な漫才が展開され始めた瞬間、平田とトリコが、二人の背後から蹴りを入れた。

「脱ぐな!!そして自慢するな!!」

「ツッコミのくせに、ボケるな!!」

「大変だねぇ、君も」

 知らないオジサンに、酒を注がれた。

「あ、どうも」

 早い段階で、酒で自分を分からなくした方がいいと判断した有坂は、紙コップに入った日本酒を、一気に飲んだ。

 というか、武藤君はこの段階でしらふなのだが。

「お前ら、パンツ履けー。うわ、頭に履くな、何、ボケをシンクロさせてんだ」

 二人でボケ始めたので、姐さんが息切れしている。

 程なくジョン太はその場に倒れて意識不明の重体になったので、鯖丸はパンツ一丁で飲み食いに参加して来た。

 先程、有坂にお酌してくれたオジサンが、皆に酒を注いで回っている。

「いや…どーも、いつもお世話になってます」

「誰だっけ、あの人」

 平田に聞いてみた。

「さぁ、どっかで見た顔だが」

「県警の土方です」

 男は、にこやかに言った。

「でえっ」

 皆が硬直した。

 何か全員、いっぱい後ろ暗い心当たりがあるらしい。

 ハートと三希谷は、マイクを握ったまま静止した。

 鯖丸は、全速力で脱いだ服を拾い集めて着始めた。

「すいません、補導しないでください」

 北島は、本気で謝り始めた。

「つい出来心なんです。一人で置いて来るより、いいと思って」

 留守番させたくなかったのか、由樹を連れて来てしまっていたトリコは、言い訳した。

「もう、やってませんから、やってませんから」

 斑は叫んだ。いや…、昔何やったんだ、あんた。

「本当なんです」

 平田まで弁解を始めた。

 由樹と斉藤さんだけが、冷静に肉を焼いている。

「ああ、これ、うちのダンナ」

 巻き寿司をつまみながら、所長がしれっと言い切った。

「ええっ」

「里見が、いつもお世話になってます」

 県警の土方警部は、皆に向かって愛想良く笑った。

「うわ、所長のダンナって実在したんだ。俺、都市伝説かと思ってた」

 ハートが、超失礼な事を本人の前で言い始めた。

 だいぶ出来上がってきたらしい。

「もっと飲みなさい、都市伝説二号」

 空になった有坂の紙コップに、どばどばと酒が注がれた。

「ええっ、俺に彼女が居るのも、都市伝説だったのかよ」

 さすがに文句を言った所に、ビールを渡された。

「ダメだよ、君」

 だんだん、酔っ払いの完成品に近付きつつある、都市伝説一号は言った。

 装備がネクタイハチマキな時点で、かなりうろんだ。

「最初から脱いで、どうする。全裸は最後の武器だ!!」

 何の?

 肩を組んで銀恋をデュエットし始めた都市伝説一号二号を、鯖丸は絶望的にながめた。

 おかしなユニットが出来上がっている。

 今年も、全然酔っぱらわない自分が、これ片付ける事になるのか…ジョン太が羨ましい。

「由樹、ちょっとそこ避けて。もう、この場にある肉、全部食う。生でも食ってやる」

 鯖丸は、バーベキューセットの上に、皿の中の肉をぶちまけた。


 翌日、県警の会議室に、昨日とほぼ変わらない面々が揃っていた。

「誰だ、花見の次の日に打ち合わせ入れたの」

「所長だけど…」

 昨晩、宴会会場に倒れたまま捨てて行かれたジョン太は、大変機嫌が悪い。

 大きなホワトイボードの前には、先日の都市伝説一号とその部下らしき人々が並んで座っている。

「どうも、組織犯罪対策部六課の土方です」

「屋島です」

「古市です」

「宇和川です」

「浜上です」

 見た目ヤクザと変わりないマル暴の人々が、次々に名乗った。

 ジョン太と所長は、既にこのメンバーとは顔見知りらしく、連れて来た顔触れを紹介して行った。

「平田と斑、ハートに如月、鯖丸」

 皆、本名は名乗らない。

 魔界で本名を知られると、行動を縛られたり、最悪死ぬ事もあるからだ。

 打ち合わせの段階から、魔界名を使った方が安全だ。

 警察の面々は、そこまで魔界の専門家ではないので、本名を名乗ってしまったが、手元に渡された資料には、きちんと魔界名が記入されていた。

 鯖丸は、複雑な顔で手元の資料をめくった。

 バイトの自分が、こういう場に呼び出されるのはめずらしい。

 たいがいは、日程もきっちり決まって、魔界に出かける段階で、皆と合流するからだ。

 名前を呼ばれた時、軽く頭を下げた。

 気のせいか、県警の皆が、こちらを注視した様な気がした。

 昨晩は気のいいおっさんだった都市伝説一号は、今日は厳しい顔だった。

 遅れてすいませんと言いながら、どやどやと三人の男女が入って来た。

 ハヤタ探偵事務所のメンバーだ。

 元々は、素行調査などがメインの、普通の探偵事務所だったのが、たまたま魔力の高い従業員が居た事で、魔界での調査を積極的に受ける様になって、十年程経っている。

 現在では、西谷商会に次いで、地元では魔界関係の民間企業として名前が通っている。

 もちろん、外界での浮気調査も、頼めばちゃんと引き受けてくれるが…。

「いや…四月なのに暑いですね、今日は」

 一番年長に見える男が、どうでもいい事を言いながら席について、ハンカチで汗を拭った。

 遅れたから、走って来たのだろう。

「初めまして、ハヤタ探偵事務所の内村です。こちらは、うちの魔界担当で、元橋と伊吹」

 初対面の人間も、何人か居たので、内村は自己紹介した。

 本名っぽい魔界名だ。

 外界での仕事も多い探偵なので、客に名乗る時、違和感のない呼び名にしているのだろう。

「じゃあ、揃ったので始めましょうか」

 土方警部が言った。


「もうご存じだと思いますが、明後日、広域暴力団松田組の、一斉摘発を行います」

 皆はうなずきながら聞いている。

「外界での摘発とは、全く違う状況になると、覚悟しておいてください」

 そもそも、外界での普通の摘発という概念が、全く分かっていない鯖丸は、首をかしげた。

「ドンパチやるって事だよ」

 横合いから、ジョン太が説明してくれた。

 そう言えば、ニュースで流れる風俗店や、違法なポルノを販売している組織の一斉摘発は、警察関係者に大人しく連行されている映像以外、見た事がない。

 外界では、警察官は意外と強いのだ。

 魔界では、そうも行かない。

 法の縛りが緩い上に、相手は魔法を使う。

「明後日、松田組五代目襲名披露が、観光街奥の遊興地区で行われます。一斉摘発は、この現場で決行しますが、系列団体も含めて、四十人近い人間が招待されています。幹部連中の身の回りの世話に付いて来る若い衆も入れたら、七十人は下らん訳で…」

 土方は、ちょっと言葉を切って、目の前にあるペットボトルの茶を飲んでから、続けた。

「正直、警察組織の人間だけでは、手が回らないので、皆さんのご協力を仰ぐ事になった訳です」

 人数を聞いて、正直驚いたが、全員が魔法使いという訳でも無いだろう。

「基本的には、我々警察組織で検挙を行います。機動隊も応援に入りますが、相手方にも相当に熟練度の高い魔法使いが存在します。

 そいつらの相手を、皆さんにお任せしたい」

「ええとですね、お渡しした資料の10ページ目に、当日参加する事が予想されている者の名簿があります。B2以上のランクだと思われる魔法使いは、最後に、別欄を設けてありますので」

 古市と呼ばれていた男が、皆に言った。

 皆がコピーした紙の束をめくり始める。

 名前が分かっているだけでも、かなりの人数だった。

 魔法使いだけで、二十人は居る。

 幹部から三下まで、組織内の地位はまちまちだが、見た事のある名前も、いくつかあった。

 ここには名前の載っていない魔法使いも、当然居るだろう。

「これだけの情報が、外部に漏れている理由は?」

 ジョン太がたずねた。

 いくら警察でも、魔界での捜査は困難なはずだ。

「浜上が潜入捜査に当たっています」

 古市の横に座った若い男が、軽い感じで片手を上げた。

「どーもー、ヤッパの政と呼んでくださーい」

 よく、そんな危ない事するなぁ…と、鯖丸は感心した。

「政府公認魔導士に、協力要請はしてないんですか」

 ちょっと疑問に思ったので、聞いてみた。

 警察の面々は、一様に微妙な顔をした。

「要請はしているんだが、いい返事がもらえなくてね」

 土方警部が、顔をしかめた。

 それから、少し迷って、決心した様に言った。

「実は、暴力団組織と、政府公認魔導士の間で、何らかの取引があるらしいんだが、事実関係は確認されていません」

 いわゆる、オフレコの情報だ。

「その件に関しては、後日捜査します。今回の一斉摘発とは直接関係ないので、まぁ、記憶に留める程度で…口外もしない様にお願いします」

「はい」

 その後も、細かな打ち合わせが続いて、終わったのは夕刻だった。


 帰ろうとしていた所を、土方警部に呼び止められた。

 今日は自家用車で来ていたジョン太が、乗せて帰ってやろうかと言って来て、ついでに晩飯おごってやろうかと、珍しい事を言い始めた所だった。

「ええっ、焼き肉がいい。それか、回る寿司」

「そんなもん食わしてたら、俺の小遣いが無くなるわ。ファミレスかラーメン。三品まで」

 やっぱり小遣い制なのか。そんな気はしてたけど。

「回るとこ連れて行ってよ。二十皿限定でいいから」

 放っておいたら、どんだけ食う気だ、こいつ。

「トリコ、お前も来るか。由樹も連れて」

 割り勘だけどと、一応付け加えた。

「いや…今日は帰るよ。フリッツが来てるんだ」

 一応、現在トリコの彼氏というポジションの猫型ハイブリットは、まとまった休みが取れると、ちょくちょくこっちへ来ているらしかった。

「何だよ、じゃあお前も休めば良かったのに」

「一応、明日は休み」

 トリコは言った。

「明後日の事で何かあったら連絡してくれ」

「へいへい、心置きなくいちゃいちゃしてくれ」

「軍曹によろしく言っといてね」

「ああ、分かった」

 以前は、トリコとフリッツが一緒に居るだけで、何となく腹立たしかったが、もう、そんな気持ちも無くなって久しい。

 お互い、離れてしまったなぁ…と、少し寂しく思うくらいだ。

 トリコに手を振ってから、さぁ回る寿司だと張り切った所で、土方警部が声をかけて来た。


 鯖丸は、不機嫌な顔で覆面パトカーに乗っていた。

「悪いね、何か予定あった?」

 土方警部は聞いた。

 助手席には、屋島とか言う刑事と、自分の隣に見覚えのない男が一人乗っている。

「いえ」

 一年振りの回る寿司が…。

 仕事の話だと言われたら、断る事は出来ない。

 いいんだ…就職して初めてのボーナスが出たら、回ってないやつ食いに行こう。

 将来の野望で、悲しみを紛らわしている所へ、話しかけられた。

「武藤君は確か、秋本巡査の友達だったね」

「あ…はい。そうですが」

 自称永遠のライバル、秋本隆一は、大学を卒業してから、地元に戻って警察官になっていた。

 まさか、そんな堅い仕事に就くとは思っていなかったので驚いた。

 絶対、勤務中に剣道の練習が出来るとか、そういう理由に違いない。

「魔界にも詳しい様なので、彼にも明後日は参加してもらうんだが…」

 車が、魔界のゲートに向かっているのに気が付いた。

「実は、今回の摘発で、初めて魔界で行動を共にするのは、君と秋本だけなんだ」

 そう言えば、ジョン太やトリコは、警察と一緒に仕事をしたと何度も言っていた。

 斑と平田やハート様も、同様だ。

 ああ、三希谷は今回参加しないんだな…と、思った。

 魔法使いをやりはじめて、一ヶ月も経っていないのだから、当然だ。

 まだ、宅配専門の北島の方が、キャリアが長い。

「それもあるし、今回里見が…いや、君の所の所長が、突入部隊の最前列を、君一人に任せろと言って来たので」

 特に、不思議な事でもない。

「はい、出来ると思います」

 土方と屋島は、顔を見合わせた。

 隣に座った男は、無言だが鋭い視線を向けて来た。

「こちらとしても、他に人手を割けるので、その方がいいんだけど、何分、君の安全も含めて、人命に関わる事だから」

 ああ、そういう事かと思った。

 魔力ランクと今までの業績で充分わかるはずなのに、自分の目で見ないと、納得しないタイプなんだな、この人。

 いや…もしかしたら、隣に座ってる男が、そうなのかも知れない。

「それで、一度魔法使って見せてもらえるかな」

 ここまで連れて来られて、断る事も出来ない。

 魔法は、メンタルな部分が大きいから、お膳立てされてさあどうぞって云うもんじゃないんだけど…。

「分かりました。全力でやっちゃう方がいいですか?」

「もちろん、その方が…」

 手加減するつもりだったのかという顔をされた。

「じゃあ、一キロ四方、人が居ない所でなら。危ないんで」


 帰り道でも、鯖丸は不機嫌だった。

 無理矢理魔法を使わされた事は、その辺の小高い丘をまるごと吹き飛ばして、土方と屋島を唖然とさせた事で、多少は気が済んだ。

 久し振りに会った秋本は、すっかり社会人らしくなっていた。

 自分も、希望通りの職種に就職先は内定しているが、だらしないジャージ姿で、相変わらずバイトに明け暮れている状態だ。

 何となく、置いて行かれた様な気がして、余所余所しい態度を取ってしまった。

 そこそこ長い付き合いだが、秋本が本気で魔法を使っているのは、初めて見た。

 火炎系の能力者で、思っていたより強かった。

 魔力もけっこう高いだろう。

 自分の男前には、屈折したコンプレックスを持っている様子だが、それだけでここまで魔力が高いはずはない。

 秋本も割と謎の多い奴だ。

 帰り道では、同じ車に乗った。

 行きに隣に居た男は、いつの間にか居なくなっていたので、帰りは後部座席に、秋本と並んで座った。

 秋本が、微妙な表情でもぞもぞしているのに気が付いて、ちょっと吹き出しそうになった。

「お前、マジで魔法使ったの、初めてだろ」

 学生の頃、魔界でプレイヤーをやったり、殿の使いっぱをやったりしていたが、本気出して魔法を使う様な機会は無かったのだろう。

 逆に言うと、それだけ魔力が高くて、余裕があったのだろうが。

「大きい魔法使うと、やりたくなるんだ。普通だから、それ」

 とは云え、こういう状態になるのは、相当魔力が高い証拠だ。

 普通、魔界の仕事に慣れているいつもの面子なら、それとなく抜いて来る時間の余裕とかくれるのだが、今日は間髪入れず帰りの車に乗せられてしまった。

 時間を食ったので、それなりに気を遣ってくれたのかも知れないが、要らんお世話だ。

「勃っちゃった。ヤバイよ、これ」

 前の席に座っている二人には聞こえない様に、秋本は小声で言った。

 話題は下品だが、相変わらず男前だ。

「お前、見た目はいいんだから、女には不自由してないだろ。誰か呼んでしてもらえよ」

「それが、この後交番で夜勤…」

 気の毒に。

「まぁ、明後日の為に、前日ゆっくり休もうと思って、シフト替わってもらったからなんだけど」

 こんな事なら、通常勤務にしておけば良かった…と、秋本はため息をついた。

「大変だなぁ。これ貸してやるから、閑を見て自力でどうにかしろや」

 いつも持ち歩いているディバッグから、エロ本とAVを取り出した。

「なぜ持ってる…」

 秋本は、呆れた顔をした。

「今付き合ってる彼女に、この前全部捨てられて…」

 鯖丸は、辛い顔をした。

 この件に関しては、自分に落ち度はないと思う。有坂が悪い。それなのに、全然世間の賛同が得られない。

「大事な物は、常に持ち歩かないとダメだと分かったんだ」

 力説している鯖丸を、秋本は呆れた顔で見た。

「大事なんだから、後で返せよ」

「そんな重たいエログッズ借りられるか。大体、セーラー服ものって好きじゃないし」

「いいじゃん、セーラー服。特に、いい年して似合いもしないセーラー服着せられてる、安い企画物とか、サイコー」

「お前の特殊性癖なんか、知りたくもなかったよ」

「性癖言うなぁー。あの、嫌々着せられてる感が、ぐっと来るんだよ」

「おばはんにセーラー服着せて喜ぶな、熟女マニアが。中身も本物だからいいんじゃないか」

「お前、それ、現職の警察官が言っていいのかよ。淫行条例違反」

「仲良しだねぇ、二人とも」

 掴み合いのケンカを始めた二人を、ちらりと振り返って、土方警部は言った。

「ちょっと配慮が足りなかった様だから、帰りにソープでも奢ろうか」

「いえ、そんなお気遣いは無用です」

「あんた、本当に警官か」

 所長のダンナだから、絶対普通の人ではないのは、分かっていたが。

 案の定、隣に座った屋島が、止めてください土方さんと言っていた。


 下品な話題で、久し振りに会った秋本と打ち解けたのは良かったが、基本的に何の問題も解決されないまま、鯖丸は家に帰った。

 秋本と違って、場数は踏んでいるが、こういう時にはちゃっちゃと家に帰って、何でもいいからAVとか見ながら抜いてしまうのがいい。

 カラーボックスの裏に、二枚程隠してある、友人のAV大王山本が焼いてくれた新たなエロDVDの事を考えながらドアを開けると、有坂が居た。

「うわー、何で居るんだ」

 今日は、ゼミの飲み会で、来ないと言っていたのに。

「ええと…いけなかった?」

 いつもなら、ふいに来ていても、嫌な顔をされた事は無かったので、有坂は困った顔をした。

「いや…いいよ。いいけど…」

 やばい。本気でやばい。

 それは、今まで清いお付き合いだった訳じゃないけど、少なくとも普通の状態での付き合いだった。

 こんなえぐい場面、見せられない。

 頼むから今日は帰ってくれ。いや、せめて十分くらい、一人にして。

「ええと…ちょっとそこのコンビニで、お茶買って来るよ。喉渇いたし」

 どうにか、この場から離れる理由を物色した。

「お茶なら、さっき容れて冷やしてあるけど」

 有坂は、首をかしげた。

 うわー、何でそんなに気が利くんだ。夏じゃなくても冷たい茶が好きなコンビニ世代のハートを、がっちりゲット。

 まぁ、ほぼ同年代だから、その辺の好みは一緒なんだけど。

 ていうか、買って来ないで自分で容れてくれる辺り、育ちがいいというか、節約上手と云うか…。ありがたい。今は困るけど。

「どうしたの。何か変だけど」

 もうダメだー。

 有坂の腕を掴んで、その場に押し倒した。

 驚いて抵抗されるのも構わず、ぴっちりしたジーンズを無理矢理脱がして、下着をむしり取った。

 冷静な自分が、どこか余所に居て、何やってるんだと冷たく罵っている。

 ジャージとトランクスをずりおろして、まだその気になっていないどころか、状況も飲み込めなくて呆然としている相手の足を開いて、無理矢理押し入った。

 ああ、何やってるんだ俺。全部台無しだ。もうお終いだ。


 年下の女の子と付き合うのは、初めてだった。

 今まで本気だったり遊びだったり、色々あったが、相手は皆、年上か、せいぜい同い年だった。

 頼りになる先輩で恋人だと思われたくて、多少は無理をしていたのも事実だ。

 まぁ、金銭的に無理をするのは本気で無理なので、その辺の自分の経済状況はあからさまに伝えてあったが、他の部分は努力した。

 ちょっと苦手なタイプだった有坂の父親とも、愛想良く接して、交際も認めるというか黙認してもらったし、本当は甘えるのが好きなのに、頼りになる先輩として振る舞った。

 でも、全部お終いだから、もういいや…。

 有坂カオルは、部屋の隅で膝を抱えてぐすぐす泣いている武藤君を見た。

 これじゃあ、私の方が何か悪さしたみたいじゃない…と、釈然としない気持ちになる。

「玲司君」

 めずらしく、名字ではなく名前で呼ばれた。

 鯖丸は顔を上げた。

 有坂カオルは、不機嫌な表情をしている。

「何か、嫌な事でもあった?」

 責められると思ったのに、そんな事を聞かれるとは思わなかった。

「うん」

 もう取り繕えなくなったので、本気でうなずいた。

「魔界で、無理矢理魔法使わされたんだ。次の仕事の準備で」

 有坂は、ため息をついた。

「そうか、魔法使うとしたくなるって言ってたもんね」

「普通は我慢出来るんだけど、有坂の顔見たら…」

 膝を抱えて、また俯いてしまった。

「ごめん。俺、最低だ」

 しばらく一人で落ち込んでいたが、どうにか決心したらしく、立ち上がった。

「送ってくけど…」

「一人で帰れる」

 いつも家まで送ってもらうのは、何となく悪いと思っていたし、今日は気まずい。

 二キロというのは、車やバイクを持っている相手なら遠慮する必要もない距離だが、徒歩だとかなり微妙だ。

「危ないよ」

 この周辺が、治安の悪い地域だというのは知っていた。

 痴漢や変質者やひったくりは、常習的に出没していて、洒落にならない様なレイプ事件も起きているし、過去には近所で殺人事件もあったという話だ。

 家賃が安いのは、伊達ではない。

「大丈夫。変な奴居たら、走って逃げるし、今日は竹刀も持ってるから」

 何で、ゼミの飲み会に竹刀持って行くんだ…と、心底落ち込んでいるくせに、その辺は冷静な判断で、鯖丸は考えた。

 教授や親しい友達とは上手く付き合えているが、ゼミ全体の雰囲気にはついて行けない…とこぼしているのは、聞いた事がある。

 有坂も色々あるんだろう。

「そうだね、うん。俺の方が危ないよな」

 がっくりした感じで、再び座り込んでしまった。

 ああ、この人、変な自分ルールが色々あって、めんどくさい。

 普通この程度なら、少し言い争って終わりに出来る範囲内だと思うけど…。初々しいカップルという訳でもないんだから。

 変な人なのは、最初から分かっていたけど、どういう方向に変なのかは、未だにちょっと把握出来ない。 

「やっぱり送って」

 有坂は、座り込んでいる鯖丸の手を握った。

 先刻まで割とかっこいい先輩だった物体は、それはやめた方がいいんじゃないかな…という、汚れたタオルで、顔をごしごし拭った。

「怒ってないの?」

 本気で情けない表情で聞かれた。

 ああ、こういう人だったんだなぁ…と思った。

「もちろん、怒ってる」

 有坂は言った。

「でも、嫌いになる程じゃない」


 二人で手を繋いで、治安の良くない薄暗い旧市街を抜け、普通の住宅地に入った。

 商業地区ほど明るくはないが、一戸建ての住宅が多くて、それぞれ治安の為に門灯を点しているので、安心して歩ける程度の明るさはある。

 健康の為のウォーキングや犬の散歩で、人通りもそこそこあった。

 幹線道路から外れて、少し寂しい場所に出た。

 夜に歩くには寂しい場所だが、昼間は閑静で雰囲気のいい住宅地だ。

 有坂が外泊すると、さすがに嫌な顔をされるが、今日はまだ九時だし、時間的にも常識の範囲内だ。

 ゼミの飲み会に最後まで参加していたら、もっと遅くなるだろうし。

 送って行くというポジションなのに、鯖丸はうなだれたまま、手を引かれてとぼとぼ有坂の後を歩いていた。

 情けない。

 でも、少なくとも嫌われてはいない。

 その辺が救いだった。

 自分的にはもう、完全にアウトだと思っていたからだ。

 有坂も、気まずいのか、何を話していいのか分からないらしく、無言だった。

 向こうから、人が歩いて来た。

 住宅街の路地では、けっこう普通の出来事だ。

 近所の主婦とか、ウォーキングをしている夫婦とか、親子とか、犬の散歩とか。

 近付くと、相手がそのどれにも属さない、異質な者なのが分かった。

 ヤンキーとかチンピラとか、その辺の手合いで、寒くもないのにポケットに両手を突っ込んで、肩をいからせて歩いて来る。

 有坂も鯖丸も、基本的に強いので、あまり警戒しなかった。

 ひょろりと痩せた男は、二人の前で立ち止まった。

「鯖丸だな、お前」

「え…?」

 外界に居る時に、こんな名前で呼ぶのは、仕事仲間くらいだ。

 或いは、魔界関係で、あまり有り難くない知り合いか。

 おまけに、ヤクザっぽい風体。たぶん、今度の仕事がらみだ。

 色々あっていっぱいいっぱいだった鯖丸は、間抜けな返事をしてしまっていた。

 普段なら、平然とほらを吹いてやり過ごせるのだが、そこまで気が回らなかったのだ。

 大丈夫だ…まだ肯定した訳じゃない。

 誰ですかそれ?とか、チンピラ相手にびびっている口調で聞き返せばいいだけだ。

 口を開こうとして、相手の視線が自分ではなく有坂の方に向いているのに気が付いた。

 有坂カオルは、女にしてはかなり背が高い。

 肩幅もあるし、髪の毛もショートカットで、ジーンズとシャツのラフな服装だ。

 おまけに、竹刀袋を肩から下げている。

 手を引かれて、後ろをとぼとぼ歩いている自分よりは、絶対に強そうに見えるだろう。

 だからって、男と間違うのはひどいんじゃないか…?

 そりゃあ、おっぱい小さいし、顔はきりっとしているし、バレンタインデーには、女の子からいっぱいチョコもらってたけど。

「鯖丸かって、聞いてんだよぉ」

 冷静に見ると、チンピラっぽい男も、相当緊張しているのが分かった。

「誰ですか、貴方は」

 有坂が、聞き返した。

 さすがに、声を出したら女だと分かるはずだが、男は目標を変えるつもりは無いらしかった。

 何で、そう頑なに、そっちが俺だと思い込む?

 男が、ポケットから手を抜いた。

 民家の門灯の、ゆるい光の中に、何かがにぶく光った。

 やばい。

 反射的に一歩前へ出た。

 繋いでいた手をぐいと引いて、有坂を背中に回して庇い、左手をかざして防御した。

 男の手に、合口が握られていた。

 一瞬ためらってから、再び斬りかかって来た。

 その間に、有坂が竹刀を抜いていた。

 かけ声もろとも、男の手首に一撃を叩き込んだ。

 刃物を取り落とした男は、こちらを見て、罵った。

 てめぇ、ぶっ殺すぞ…とか、何とか、啖呵だけきって、そのまま身を翻して全速力で逃げ去った。

「ばーか、そんなんでぶっ殺せるかよ」

 鯖丸は、男が逃げ去るのを見届けてから、屈み込んで合口を拾った。

 きっと、後で警察が調べるだろうと思って、首にかけたタオルで包んで、ジャージの上着のポケットにつっこんだ。

 振り返ると、有坂はまだ竹刀を構えていた。

 少し堅い表情をして、男が逃げ去った方を睨んでいる。

 ガチでやっても、相手が刃物で、こちらが竹刀でも、有坂が負ける様な相手ではないが、殺傷能力のある武器を持った相手と向かい合うと、けっこう怖いのは知っている。

 試合以外では戦った事もないし、ケンカもした事が無いはずなのに、よく平気だったなぁ…と、感心した。

「大丈夫?」

 尋ねると、有坂はこわばった顔で、首を横に振った。

「怖かった」

 やっと、それだけ言った。

※この物語にはヤクザが登場しますが、実在の暴力団組織とは無関係で、魔界が関わる関係上、現実とはかなり異なります。

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