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四話・極道顛末記 中編

 珍しい事だが、外界での仕事を任された。

 依頼のあった行方不明者は、箱崎ミユリ、福田澄子、越智不由実。

 昨年末に、二人の女の子を取り戻した実績が口コミで伝わって、依頼して来たという話だ。

 同業のハヤタ探偵事務所にも、同様の依頼が別件で入っているという。

 魔界関係の調査は、外界に比べて割高な料金設定になっているが、親にとってみれば警察に任せておくだけでは、心配でたまらないのだろう。

 魔界では、警察はそれ程当てにならない。

 行方不明になるまでの足取りを調べて来いと言われて、鯖丸はしぶしぶ町中へ出掛けた。

 当然だが、魔界の便利屋が外界で仕事をする事は、めったにない。

 こういうのこそ、警察の仕事じゃないのかと反論すると「お前の方が被害者に年齢が近いから、色々聞き出せる」と言われた。

 そりゃ、大学生やOLなら近いが、箱崎ミユリに至っては高校生だ。

「女子高生から見たら、大学院生なんておっさんと同類だろ。全然近くないね、箱崎関係は無理」

「なに、お前なら制服着たらまだまだ高校生で通るって」

 所長が無責任な暴言を吐いた。

「箱崎の通ってた高校の制服、調達して来ようか。サイズはLでいいな」

「何のイメクラですか、それ。絶対嫌です」

 強くお断りしたので、コスプレだけは回避出来たのだが、箱崎の周辺もきっちり調べて来いと言われた。

 なぜそんな事を言われたのかは、調べ始めてすぐに分かった。

 箱崎と越智はプレイヤーで、警察には話しにくい事も色々あったのだ。

 福田は魔界出身だったが、魔力が低いので、外界の高校に通って、そのまま外で就職していた。

 昼休み時を狙って、オフィス用事務機器のリースをしている勤め先で、同僚の話を聞いた。

 地味な娘で、友人の数もそんなに多くない。

 調べるのは楽だった。

 月に一度は、中央街にある実家に戻っていて、掠われたのはその時だという。

 実家からは、戻って来なかったと報告されていたから、家に帰る前に連れて行かれたのだろう。

「魔界に入ると、連絡取れなくなるから、いつもメールくれるのよね」

 と、同僚から紹介された友人は言った。

「あの子、魔法っていってもコップの水をちょっと温める程度の事しか出来ないって言ってたし、外界の人の方がよっぼど魔法使えるって。何されてもろくに抵抗出来ないだろうし、無事だといいけど」

「何か聞いてませんか。小さい事でもいいから」

「いいえ、何も」

 実家から戻って来る日曜の夜に、映画を見に行く約束をしていたのに来なかったというから、本当に唐突に居なくなったのだろう。

 箱崎も、似た様な物だった。

 昨年度に塾に居た子が、箱崎と同じ高校を受験していたのを思い出したので、連絡を取って事情を話すと、部活の先輩づてに、箱崎の友達を紹介してくれた。

 塾の教え子とその先輩と、先輩の同級生だという箱崎の友人四人で、総勢六名の女子高生に囲まれる事になった鯖丸は、事態が収拾出来ない方向へ行ってしまったと、遅まきながら気が付いた。

 割と可愛い女の子六人に囲まれているのは嬉しい。

 しかし、てんで勝手にしゃべりまくっている女子高生六人を仕切るのは、困難な作業だ。

 学校の先生って、大変だな。塾なら、皆勉強するつもりで来てるから、ちゃんと話を聞いてくれるんだけど。

「それで、箱崎さんは居なくなる前に、どこか行くとか言ってなかった? 魔界に入るなら、どの辺とか」

「なに、お兄さん探偵? あんまりかっこよくないね」

「あたし、ケーキも食べたい」

「あ、私もー。それとロイヤルミルクティー」

 ファミレスで大騒ぎだ。

「君ら、友達が行方不明になってるのに、心配じゃないの」

 どうせ経費で落とせるが、一応注意した。

「そんなの、心配に決まってるじゃん」

 睨まれた。

「仲間集めて、捜しに行く相談してたの」

 やばい。そんな事絶対やめてくれ。

 るりかですら迂闊に掠われた相手だ。こんな女子高生のプレイヤーが徒党を組んだって、かなうはずがない。被害者が増えるだけだ。

「箱崎さんの事は任せて。君らが手出ししたら、余計に厄介な事になるから」

「何、あんた本当にハヤタの所の探偵?」

 魔界の人捜しと言えば、大体ハヤタ探偵事務所が有名だ。

「いや、西谷商会」

 どちらかというと、ハヤタ探偵事務所より荒っぽい仕事で業績を上げている。

 プレイヤーなので、その辺の事情は知っているのだろう。女の子達はちょっとの間黙って顔を見合わせた。

 単なる人捜しではないと気が付いたのだ。

「何だ、外界で聞き込みなんかやってるけど、お兄さんも魔法使いなの」

「NMC(西谷魔法商会の略称)の魔法使いだったら、イダテン?」

「ううん、鯖丸」

 一応名乗ると、女子高生四人は「うそぉー」と叫んだ。

 塾の元教え子とその先輩は、どうやらプレイヤーではないらしいく、怪訝な顔をしている。

「鯖丸って外界ではこんななの。超男前だってウワサだったのに」

 それは多分、秋本と混同されてるな…と、鯖丸は考えた。

「本物? 何でそんな有名な魔法使いが、外界でパシリみたいな事やってんの」

 だって、実際ただのバイトでパシリだし。

「殿の城壊したっていうの、本当なの」

 それは、殿本人がやりました。

 鯖丸は、収拾出来なくなった女子高生を見て、ため息をついた。

 どっちにしても、こんなに騒いでいたら、そろそろ店の人に注意されそうだ。

「ええと…もうちょっときちんとした話聞きたいんだけど、とりあえず場所変えない?」


 女子高生に翻弄されたせいで、その日は越智不由実の周辺まで調べる事は出来なかった。

 外界の聞き込みは、時給計算ではなく一件なんぼなのに、散々だ。

 アパートに戻ると、有阪はバイトで留守だった。

 留学資金の足しにする為に、卒論が終わってから以前よりバイトを増やしている。

 自分も、これからコンビニなので、用意してくれていた夕食を食べて、皿を片付けた後、帰って来てすぐに入れる様に風呂に水を溜めた。

 それでも、コンビニのバイトまで、まだ三十分程ある。

 中途半端な時間だ。

 一人で居ると、あと何日有阪とこうやって一緒に生活出来るのか、つい考えてしまう。

 もっと二人で居られる時間があったらいいのにと思った。

 たまには帰って来ると言っているし、魔界みたいにメールも電話も通じない場所へ行く訳じゃないのに。


 越智不由実は、西瀬戸大の二年だった。

 昨年末に知り合った槇島が同学年なので、何か知らないかと聞いてみると、特に親しくはないが同じ講義を取っていたりして、面識はあると言って、越智の友人を紹介してくれた。

 昨日の事といい、人脈って大事だ。

 しかし、学年も学部も違うとは言え、同じ大学内だ。

 なぜか、紹介された越智の友人も武藤玲司を知っていて、しかも怖そうな先輩を一緒に連れて来ていた。

「越智君の何が知りたいの」

 学食で待っている所へ、頼まれもしないのにやって来た先輩は、小柄だが怖そうな女だった。

「行方不明になる前後の事で、何でもいいから聞かせて欲しいんだけど。警察に話せなかった事も含めて」

 鯖丸は説明した。

「ところで、君は何?」

 関係者でも無さそうなのに付いて来た、先輩だという女に聞いた。

「松本です。カオルの友達の」

「うえっ」

 変な声を出してしまった。

 松本が、有坂の一番親しい友達だというのは、知っていた。

 何度か、面識もある。

 しかし、就職が近いせいか、目立つアフロヘアーをストレートに戻していたので、全然わからなかった。

「ええっ、アフロじゃないじゃん」

「私の特徴は、アフロだけか」

「いや…おっぱいもそこそこ目立ってます」

 一応言うと、トレーではたかれた。

「あんた、この子達を呼び出して、昼ご飯もおごるとか言って、何考えてるの。カオルに言いつけるよ」

「仕事なんだからしょうがないだろ。費用も経費で落ちるし、本当に話聞きたいだけだってば」

 苦手なタイプだ、こいつ。

 どこまで事情を説明していい物かと迷ったが、別に秘密にする事もないだろう。

 魔法使いの仕事も、この先ずっと続ける訳では無い。

 鯖丸が武藤玲司だとバレても、あと三ヶ月乗り切ればいいだけだ。

「じゃあ、やっぱりあんた、鯖丸だったんだね」

 松本は言った。

「そうだけど…」

 名前を出すと、越智の友人だというプレイヤーの二人は、驚いた顔をした。

 俺ってそんなに有名か?

「それじゃあ、サクヤを取り戻してくれるよね」

 親や警察も知らなかった越智不由実の魔界名を出して来た。

「仕事だからな。西谷商会の精鋭が全力を尽くすよ。担当は、俺の他にジョン太とビーストマスターだ。必要なら、ハートとるりかも入る」

 ビーストマスターの名前は、相当に効いたらしい。

「西谷にビーストマスターが居るって、本当だったんだね」

「本当だよ。三年前からずっと組んでる」

「るりかさんが西谷に就職したってウワサも、本当だったんだ」

 るりかも、プレイヤーの間では有名らしい。

「箱崎の友達も言ってたけど、自分らで解決しようとは思わないで俺らに任せてくれ。るりかがラチられる様な相手なんだ」

 それで納得したらしく、二人の女子大生は、知っている事は全部話してくれた。

 色々話を聞いた後、西谷商会に報告に戻った。

 松本は、何だか気になる事を言った。

「あんたがこういうバイトしてるって、カオルは知ってるの?」

「それは知ってるよ。秘密に出来る様な事じゃないし」

「だったらいいけど」と、松本は言った。


 その日の午後に、今回合同で仕事をするという刑事が二人、西谷商会にやって来た。

「げっ、秋本」

 鯖丸は、出前のラーメン(大盛り)を吹き出した。

 やって来たのは、秋本と浜上の二人だった。

「お前は、交番勤務じゃなかったのかよ」

「だいぶ前に異動になったんだけど」

 秋本は、何時の話をしているんだという顔をした。

 今年の春にあった一斉摘発で、魔界に慣れている事がバレてしまったので、その後の人事異動で土方警部の手下に組み込まれてしまったのだ。

「お前こそ、最近溝呂木先生の道場にも顔出してないみたいだし、一般の大会にも学生の大会にも出ないで、何やってたんだ」

 頭に巻いたタオルを外して、口の周りからラーメンの汁を拭った後、また元通りに巻いている鯖丸を、それでいいのか…という顔で見て、秋本は言った。

「俺だって色々忙しかったんだよ」

 鯖丸は反論した。

 昨年末の修羅場が脳裏に浮かぶ。終わった後だから冷静に思い出せるが、色んな意味であんなに追い詰められたのは初めてだ。

 そう云えば、しばらく道場にも行ってないな…と思い出した。

 この仕事が終わったら、顔を出しておこう。

「今度の件は、ジョン太とトリコで組む事になるみたいだけど、二人は?」

 浜上刑事が尋ねた。

 同行しているのが部下の秋本だけなので、警官には珍しく二人を魔界名で呼び捨てにしている。

「ジョン太は、たぶん昼メシ食いに出てるんじゃないかな」

 鯖丸は答えた。

「俺も、さっき来た所なんだけど。トリコは、午前中病院に検診に行くって言ってたから、帰りに昼メシ食ってるんでなきゃ、混んでて遅れてるんだと思う」

 事務所の中は、他に人影はなかった。

 どうやら全員、昼休みか仕事で出払っているらしい。

「昼メシまだだったら、出前取る? ここのラーメン美味しいよ」

 出前用のメニューを差し出した。

 浜上は、お昼まだだったんだよな…と言って、真剣にメニューを見始めた。

「君は、何頼んだの」

「ラーメンライス餃子セット大盛り」

 鯖丸は、破壊力満点のメニューを口にした。

「じゃあそれにしよう、秋本も同じでいいか」

「はい」

 浜上が携帯を出したので、鯖丸は止めて事務所の固定電話を手に取った。

「うちから電話した方が、早く届けてくれるから。あっ、すいませーん、NMC中四国支所でーす。B定食大盛り二つ、大至急ね」

 そう云えば、警察と合同の仕事で、向こうから打ち合わせに出向いてくれたのは初めてだ。

 来ているのは二人だけだし、こちらも人捜しには他のメンバーも関わっているが、警察との合同捜査を命じられているのは、自分達のチームだけだ。

 春の一斉摘発に比べたら、小さい仕事なんだろうなと思った。

 何の関わりもない普通の女の子達が、何人も居なくなっている。絶対、ヤクザの襲名披露より、大変な事件のはずなのに。

 受話器を置いた鯖丸は、それじゃあお客様に茶でも入れるか…と言って、給湯室へ消えた。

 

 ジョン太とトリコは、程なく戻って来た。

 所長も戻って来たが、別件の依頼者と電話で話し始めたので、五人は来客用の応接セットでラーメンと餃子をつつきながら打ち合わせに入った。

 トリコまで、昼ご飯まだとか言ってAセット(ラーメン半チャーハンセット)を注文してしまったので、ジョン太以外の全員がラーメンをすすっているという惨状だ。

 何となく諦めたらしく、自分だけコーヒーを入れて飲み始めた。

「さっきハートとるりかから連絡入ってな」

 ジョン太は言った。

「箱崎が中央街の港で保護されたそうだ。他に福田澄子と越智不由実の捜索が入ってるんだが」

 警官二人は知らないので、一応説明した。

「その越智と箱崎は側索願いが出てますね。福田は初耳ですが」

 ラーメンをすすりながら、浜上が言った。

 警察の上司が居ないせいか、ノリが警官よりも魔法使いに近い。

「福田澄子は、魔界出身だ。依頼者も魔界人。警察ははなから当てにしてないと思うぞ」

 トリコは断言した。

「普通なら、魔界内部で片付ける様な失踪事件だが、似た様な事件が外界でも起きてるから、うちに依頼が来たんだ」

「福田は、足取りが不明だ。失踪当日、魔界のゲートを通った記録がない。魔界出身で不審な目的もない福田が、魔界に不法侵入するとは考えられないからな。外界で拉致された可能性が高い」

 ジョン太が言った。

「ええと…、福田さんが最後に友達と連絡取ったのは、実家に帰る予定になってた土曜日の午後七時半。翌日映画のレイトショーを友達と観に行く約束してるから、実家で一泊してすぐに戻るつもりだったみたいです。

 西側ゲートの近くにあるAコープで買い物を終えて、これから実家に戻るという内容のメールを送ってます。買い物の内容は、豆乳鍋の元と鶏肉のつみれとマロニー」

 鯖丸は、メモ帳を出して読み上げた。

 福田家の夕食メニューまで、何となく分かってしまったが、何でそんな細かい事まで友達にメールしてるんだ、福田澄子は。

「それと、箱崎ミユリは、進路の事で両親と意見が食い違って以来、家庭内での会話は少なかったみたいです。プレイヤーを始めたのもその頃。

 行方不明になった時は、工業街の沿岸に居たそうです。丁度、蒲生組が拳銃や麻薬の密輸入に使ってた船着き場のある場所」

 鯖丸は、割と色々聞き出して来ていた。

「箱崎ミユリはやっぱりプレイヤーだったんだな。両親は否定してたが」

 浜上はうなずいた。

「越智不由実もプレイヤーです。魔界名はサクヤ。年明けの三日に、仲間のプレイヤーと魔界に入ってます。

 侵入経路は、旧道から脇に入った抜け道で、観光街までは仲間と一緒に行動していますが、そこで解散して不明になってます。

 乗って来た車に、約束の時間が過ぎても戻らないので、翌日家族に連絡。

 家族には、堀浦在住の先輩宅を尋ねる途中に居なくなったと話してますね」

「誰一人、警察には本当の事を話してないじゃないか」

 浜上刑事は、頭を抱えた。

「まぁ、プレイヤーはそんなもんだろうがな」

 身に覚えがあるらしい。

 おおい…と、横合いから今まで電話に出ていた所長が、声をかけて来た。

「福田澄子と越智不由実も、確保出来たぞ」

 いい報せだ。

「後はお前ら三人で片付けてくれ。こっちは別件の仕事が入った」

 じゃあ早速…と、浜上は書類入れから紙にプリントされた束を取り出した。

「これで、うちからの依頼に集中してもらえそうですね。見つかって保護された者も含めた、行方不明者の名簿です」

「十八人か。思ったより多いな」

 ぱらぱらとめくってから、ジョン太が言った。

 失踪届が出ていない者も居る可能性が高い。実際にはもっと多いだろう。

 地方都市の特定の場所で起きたにしては、不自然どころではない人数だ。

「プレイヤーが連絡不能になる事は多いですし、行方不明者の内七人は成人です。二三日連絡が取れないだけでは、警察では失踪と断定出来ません」

 浜上は言った。

「いずれ、大規模な失踪事件として扱われるでしょうが、犯人グルーブの目的が人身売買なら、一刻の猶予も出来ません」

「うちとの合同捜査は、非公式か」

 ジョン太が尋ねると、浜上はうなずいた。

「土方警部が上層部を説得している間に、とにかく被害者の安全だけでも確保したい。よろしくお願いします」

「ヨッシーも色々大変なんだな」

 鯖丸はつぶやいた。


 犯人の手口は、ほぼ同一だった。

 ランダムに目を付けた、素人っぽい若い女を、薬物で昏倒させて連れ去る。

 使用される薬物は、即効性の睡眠薬と、ダウナー系の麻薬。どちらも違法だ。

 犯行現場が魔界に限らないのは、おそらく魔界内部だけでは、ターゲットを調達するのに手間がかかるからだろう。

 人口も人口密度も、外界の方が圧倒的に高い。

 浜上が乗って来た車で、五人は魔界に向かった。

 警察の車両ではないのか、捜査用なのか、白ナンバーで一般車両の番号だ。

 渡された失踪者の名簿を見ていた鯖丸は「よっしゃー、憶えた」と言って、トリコに紙の束を渡した。

「これ、暗記するのか」

 トリコは、嫌そうな顔をした。

「お願いします。魔界に本名を書いた名簿を持ち込む訳にはいかないから」

 ハンドルを握った浜上刑事が言った。

 ジョン太は、携帯に取り込んで何度も見返している。

 失踪者の中で、見つかった者には丸印が付いていた。

 丸が付いている奴は憶えなくていいな…と気を取り直して、トリコは顔写真入りの印刷物を睨んだ。

「しかし、分からんな」

 ホッチキスでとじた紙をめくりながら、トリコは言った。

「観光街や中央街の売春組織に売り飛ばすならともかく、こんなに掠って、自社営業で顧客を確保出来てるのか?

 素人っぽい娘を高く売るなら客層も限られるし、そもそも蒲生組ってヤクザ組織から村八分の状態だろう」

「それなんですけど」

 助手席に座っていた秋本が振り返った。

「顧客は県外から船で来ています。主に本州の大都市圏から」

 瀬戸内海は、本州、四国、九州の、三つの陸に囲まれた穏やかな内海だ。比較的小型の船舶でも、悪天候でなければ安全に航行出来る。

「上客への提供は一度きりで、その後は何度か別の客層の相手をさせられた後、関西魔界の人身売買組織に流されるそうです。

 関西魔界に売られる寸前に保護された娘からの証言です」

 それはつまり、薬物で抵抗出来ない状態にされた素人娘を、金持ちの変態がいい様に遊んだ後、もうちょっと値下げして上客に提供し、最後には余所へ売り飛ばして終わりという最低のパターンだ。

 売られる寸前に保護されたとはいえ、その娘は一生消えない様な傷を抱える事になる。

「最悪の事態は避けられたけど、もっと早く動けてたら…」

 秋本は苦い顔をした。

 こいつ、何でこういう時まで男前なんだ。

「いや、警察が確定もしていない魔界での犯罪で、何人か保護出来てるなら上出来だ」

 ジョン太が言った。

「ええ、一度掠われて、無事に戻って来た被害者が八人も居ます」

「誰かが故意に逃がしてるな」

 トリコが、めずらしく難しい顔をした。

 そういう心当たりは、一人しか居ない。

「そいつ、まだ生きてりゃいいけど…」


 境界は、一ヶ月前よりも少しだけ後退していた。

 元に戻るには、もうしばらくかかるだろう。

 もしかしたら、今の状態で安定してしまうのかも知れない。

 倉庫で装備を調えて、一行は先ず、一番ゲートから近い工業街へ向かった。

 無事に保護された女の子の何人かは、この近辺で船に乗せられたと証言している。

 しかし、見知っていたはずの蒲生組事務所は、もぬけの殻だった。

 元々、ここが外界で工場だった頃の管理棟で、古くさいコンクリートの小さな小屋は、外壁も内部もだいぶ傷んでいた。

 昔のスチール机と回転椅子が放置されて、酒の瓶やコップやどうでもいい週刊誌の類はそのままになっていたが、荷物は何も無かった。

 ヤクザの事務所にありがちの神棚が設置されているが、中身はもう、移動されたのか祭られていない様子だ。

 引き払われて大して時間は経っていないのか、机の上には埃も溜まっていなくて、残された週刊誌は最新号だ。

「逃げられたな。中央街の方へ行くか…」

 一通り事務所内を調べている時に、四人の男達が入って来た。

「何じゃお前らは」

 パンチパーマと角刈りとスキンヘッド、ダークスーツとダボシャツ。

 どいつもこいつも、外界では絶滅危惧種のどヤクザだ。

 しかし全員、蒲生組ではない。

「警察だ」

 浜上が、冷静に言った。

「あぁ?」

 男達の語気が荒んだ。

「俺らは警察じゃねぇよ。西谷商会だ」

 ジョン太が説明を追加した。

「ビーストマスターだ。生意気言ってると、きゅっと絞めるぞ」

 トリコの知名度は絶大だった。

 ヤクザの集団が、顔色を変えて後ずさっている。

 いや…絶大っていうか、有名なだけじゃここまでヤクザには怖がられない。一体何しでかしたんだ。

「蒲生組は、もうここには居ないの?」

 鯖丸は聞いた。

「何じゃお前は」

 見た目がナメられやすい鯖丸は、軽い扱いだ。

「鯖丸だけど」

 最近、魔界での自分の知名度にある程度確信が持てたので、名前を出してみた。

 なぜか、ヤクザ四人は、尻を押さえて全力で後ずさった。

 待て、俺は魔界のヤクザ社会で、どういうキャラ設定になってる。

 一応、言ってみた。

「犯すぞ、コラ」

「すんません、マジ勘弁してください」

 うわぁ、やっぱり凶暴なガチホモ設定になってる。るりかのせいなのか…それともジン君か。

 どうでもいい気分になって来たので、この際設定を悪用する事にした。

「蒲生組の連中は、どこ行ったんだ。正直に話さないと色んな所をほじくり返すぞ」

 ヤクザ四人は、簡単に折れた。


 蒲生組は、昨年末よりも更に困った状況らしかった。

 ヤクザ四人は、この周辺を仕切っている末広組で、破門の回状が回っている蒲生組の構成員は、徹底的に排除する方針だと言い切った。

「あいつらは無茶をし過ぎたんじゃ。あんたら二人は警察だから、分かるじゃろ」

「分かってるし、君らを取り締まるのが目的で来てる訳じゃない」

 浜上は言った。

「そう言ってくれる刑事ばっかりじゃないし、浅間が捕まってから、政府公認魔導士協会も、積極的にわしらを潰しにかかってるからな」

 浅間が、魔界の暴力団と結託していたせいで、政府公認魔導士協会は、世論から何度も叩かれている。

 イメージアップ作戦の一環として、積極的に暴力団撲滅の方向へ行ってしまうのは、ある程度仕方のない事だ。

「擁護はしないが、黙認はする。蒲生組の一部のバカが暴走してるのを止めたいだけだ」

 浜上は言った。

「マサさんがそう言うなら」

 角刈りの方の男が言った。

 浜上の魔界名だ。彼も魔界ではそこそこ知られている様だ。

「しかし、こんな面子で来る様な大事件ですかい」

「何人掠われてるか知ったら、そんな事言ってられないよ」

 浜上はぼやいた。

「お前らも追い詰め過ぎるから、あいつら無茶し始めるんだぞ」

「いやいや…」

 パンチの男が言った。

「日室でしょう。元々イカレとるんですわ、あいつ。でなきゃ蒲生組の連中も、浅間に付いて行ったりせんでしょう」

「まぁ、イカレたタイプだったな」

 殿の城で直に見た事のあるトリコは、言った。

 体中に気味の悪い刺青を入れた、蛇の様な男だった。

 城では別行動だったジョン太と鯖丸も、別件で顔くらいは知っている。

 羽柴仁には、兄貴分に当たるはずだった。

 自分の方が上の立場だったら、とっくにこんな事態は収拾しているはずだ。

「ここは引き払って、中央街の港に移っとるはずですわ」

 スキンヘッドが言った。

 頭にワンポイントで彫り物を入れていて、そこそこかっこいいのでヤクザよりミュージシャンっぽく見える。

「あっちも締め付けが厳しいんで、もう居場所はないはずじゃけど、海の上はどこのシマでもないですけん」

 早く回収しないと、女の子達が関西魔界に流されてしまう可能性が高くなった。

 兵庫県警と大阪府警も動いている。いずれ保護される可能性は高いが、それまでの時間経過が、取り返しの付かない事態を招いてしまう。

 一刻も早く保護しなければ…。

「ジン君…羽柴は、その日室って奴を止めようとしてたはずだけど、今、どうしてる」

 鯖丸は聞いた。

「蒲生の親分と、見奈良さんと羽柴と富良野は、最初から日室とは敵対しとったし、このごたごたが片付けば、破門も解けるはずじゃったし…」

 スキンヘッドは、言い淀んだ。

「大人しく待っとれんかったんじゃろうな、羽柴はやんちゃな奴じゃけん」

 鯖丸に向かって、指を一本立てた。

「あんたのコレには気の毒じゃが、もうどっかに沈められとるじゃろ」

 待て、そのコレは何のソレだ。

 四国魔界のヤクザ業界で、俺とジン君のカップリング、公式設定かよ。喜ぶのは、るりかぐらいだろう。

「べ…別に、あいつとは何でもないからねっ。うわーダメだー、これじゃあ只のツンデレだー」

「落ち着け」

 ジョン太にはたかれた。

「そうだ、お前と公式設定でコレなのはジョン太だけだろ」

 トリコが、要らん事を付け加えた。

「さすがにもう、その設定は忘れたいんだけど」

 反論しかけた鯖丸は、はたと気が付いた。

「良く考えたらトリコも」

 人類は皆兄弟。

「嫌だ、こんな人達」

 秋本はもう、挫折しそうだった。


 中央街の港は、昨年以来特に変わった所は無かった。

 湾岸に車を駐めて、人気の少ない小さな港を歩くと、前回蒲生組の船が停泊した区域に行き当たった。

 どこにどの船を泊めるかは、標識こそないものの厳重に決められて、港の管理組合に使用料を支払っているはずだった。

 小型船舶ばかりで船着き場はごちゃごちゃしているが、漁船や釣り船の類はほとんど出払っている。

 蒲生組の船も居なかった。

 昼間は目立つ黒い船体も、周囲の海上には見当たらない。

 夜に商売を始める屋形船だけが、まだ残っていて、くたびれた感じの女が、煙草を吸いながら甲板で洗濯物を干していた。

 ジョン太は、無造作に桟橋まで飛び降りて、女に声をかけた。

「姉さん、ここにあった黒い屋形船、何処へ行ったか知らないかい」

「知らない」

 女は、だるそうに答えた。

「じゃぁ、何時頃戻るか分からないか? 大体でいいんだが」

「あの船は、もう戻って来ないよ」

 女は、さらっと衝撃的な事を言った。

「船着き場の契約が切れたからね」

 明らかに、蒲生組の黒い船と同じ業務内容らしい屋形船の女は、最後の一枚を干し終わって伸びをした。

「今月からのお金払ってないから、こんな感じだしね」

 女が指さした一角には、使用禁止のマーク代わりに、軽い結界が刻まれていた。

 破るのは簡単だが見えやすいので、単なる目印なのだろう。

「船着き場の代金も払えてないなんて、どういうヤクザなんだよ、あいつら」

 秋本はつぶやいた。

「俺、ちょっと気の毒になって来た」

 基本的に、貧乏にはシンパシーを感じる鯖丸は、少し同情的になった。

 破門の回状は回るは、組事務所は追い出されるわ、船着き場の使用料は払えないわ、踏んだり蹴ったりだ。

「そんな訳ないだろう。あれだけ女の子掠っておいて」

 ジョン太は否定した。

「確かにそうだが…」

 この手の商売には詳しいトリコは、考え込んだ。

「いや…待て、案外いい報せかも。あいつらに資金的余裕がないという事は、掠われた娘が無事な可能性が高い」

 少なくとも、関西魔界に売り飛ばされてはいないはずだ。

 皆の会話を聞いていた女は、口を挟んだ。

「組合長さんに話し聞いてみれば? 今なら寄り合い所でお茶飲んでるから」


「普通は、多少滞納したくらいじゃ、追い出したりしないんだがね」

 組合長だという男は、この港を取り仕切っている様子だった。

「まぁ、迷惑だから出て行ってもらったのが本当の所だね。地回りの組や屋形船の連中からも苦情が来てたし」

 寄り合い所の軒先で老人と碁を打っていた恰幅のいい男は、五人も雁首揃えてやって来た皆を、呆れた様に見た。

「何、外界の警察は、あんなケチな連中捕まえる為に動いてんのかい。普段何かあっても、手を貸しちゃくれないくせに」

「二十人以上の若い女性を誘拐しているんですよ、あいつらは」

 浜上刑事は、組合長の嫌味を流して答えた。

 組合長と、差し向かいの老人は、何だか心当たりでもあったのか、しばらく黙り込んだ。

 その間に、寄り合い所の奥で帳簿を付けていた中年の女が、皆に茶を出してくれた。

「普通の商売女にしちゃ、様子が変だとは思うとったよ」

 老人はうなずいた。

「船には、女の子達を乗せて行ったんですか」

 浜上は、事情を聞き始めた。

 秋本は、横に立ってメモ帳を引っ張り出している。

「十人程おったな。屋形船にしちゃ、女の人数が多すぎるんで、気にはなってた。普段はせいぜい四、五人くらいだったが」

 屋形船は、元々お座敷で宴会をしながら遊覧する船なので、そこそこの人数は乗れる様になっている。

 掠われた女の子全員と、蒲生組の構成員を乗せていても不思議ではない。宴会ではなく寝泊まりするなら、快適とは言えないかも知れないが。

「それで、蒲生組の連中は港から出てどこへ行ったんですか。女の子達を余所へ移動させたりしているのを見ませんでしたか」

「海へ出て行ったきりだよ」

 組合長は、不吉な事を言った。

 地面の上にはもう、居場所がなくなってしまったのだろうか。

 女達を大量に乗せて、ゆらゆらとどこかへ流れて行く屋形船の映像が、皆の脳裏に浮かんだ。

「まずいですね。そのまま関西魔界まで海路を逃げられたら」

 秋本が深刻な顔で言うと、組合長と老人と事務の女は、一斉に吹き出した。

「兄ちゃん、兄ちゃん」

 やけに馴れ馴れしく、事務の女は背中を叩いた。

「屋形船はねぇ、川とか近海を流す遊覧船なんだよ。魔界じゃ使えないから、GPSも無いし、海図とコンパスだけで素人が関西まで行くのは無理だって」

「ええっ、屋形船ってタヒチぐらいまでは行けるんじゃないの」

 鯖丸が驚いて聞き返した。

「どこの両津勘吉だ、それは」

 ジョン太が突っ込んだ。

「ネタがマニアックで分かりにくい」

 トリコが更にツッコミを重ねて来た。

「玄人が居れば行けるってもんでもないのよ。マンガじゃないんだから」

 事務のおばちゃんまで、なぜそんな細かいこち亀のエピソードを知ってる…。

「近所に居るよねぇ、石川さん」

 老人に同意を求めた。

「まぁ居るじゃろなぁ」

 老人はうなずいた。

「近海をうろうろしながら商売でもしとるんじゃろう。転送使える奴がおったけん、食料や燃料の補給は、海に居るままで出来るじゃろうしな」

「その辺の島にでも潜んでるんだろう。待っとれ、今海図出しちゃる」

 組合長も、二十人もの女の子が掠われていると聞いたせいか、割と協力的だった。

 普段なら、絶対警察に協力なんてしそうにないキャラに見えたが。

「魔界の海域から出てない可能性が高いな」

 ジョン太は言った。

「どこかで船を借りられませんか? 近隣だけでも捜してみたい」

 組合長が思案していると、横合いから石川が声をかけて来た。

「うちの船なら、貸してもかまわんよ。人手までは貸せんけどな」


 石川老人は、近所の釣り船屋だった。

「明朝の四時までには戻してくれ。予約が入っとるけん」

 港の真ん中辺りに留められた第八みゆき丸は、定員七名くらいの小型船舶で、古い型だがそこそこ馬力はあるという話だった。

「しかし、本当に船舶免許持ってんですか、ジョン太は」

 浜上は、疑わしげにジョン太を見た。

「持ってる。こう見えてお坊っちゃまだから、俺」

 冗談にしか見えない事を言い切った。

 浜上も、冗談だと受け取った様だった。

「じゃあ、鯖丸は留守番な」

 船に乗ろうとした鯖丸は、止められた。

「何かあった時の連絡係だ」

「ああ、中川君も残って」

 浜上刑事は、秋本の警察での魔界名を呼んだ。

「明日の四時までに戻らなかったら、外界へ出て土方警部に連絡してくれ」

 秋本は反論しかけたが、上司の命令なので黙ってうなずいた。

「待って、残すならトリコだろ。何かあったらどうするの」

 鯖丸は、ジョン太に反論した。

「そうしてもらいたいのは山々なんだけど」

 トリコは、ため息をついた。

「泳げない奴連れて行くと、色々気を使うからな」

「泳げないのか」

 秋本が、驚いた顔をした。

「泳げるよ。息継ぎ出来ないだけで」

 世間ではそう言うのは、泳げるとは言わない。

「水がある場所なら、トリコの方が安全だ。まぁ、待ってろ」

 魔獣を使う事が多いので、普通の魔法を使っているのはあまり見ないが、元々トリコは水系の魔法使いだ。

 海の上だと、周囲が全て武器の様な物だ。

「はーい、留守番はトゲ男一人でいいと思いまーす」

 鯖丸は手を上げて発言したが、却下された。

「この船は定員が少ないんだ。緊急に保護しないといけない子が居るかも知れん。なるべく少人数で行きたい」

 ジョン太に言われた鯖丸は、しぶしぶ従った。


 主人公のくせに置いてきぼりにされた鯖丸を残して、第八みゆき丸は沿岸を航行していた。

 境界を出る事も多いのか、船には外界でしか使えない魚群探知機とGPSが装備されている。

 どちらも魔界では使えないので、ジョン太は渡された海図を頼りに、目視だけで船を進めていた。

 瀬戸内海には、無数の島がある。

 魔界周辺の海域にも、名前の付いた島の他に、地図にも載っていない様な小島や、ただの海から突き出した岩の固まりと大差ない物まで、様々な島がある。

 人が住んでいて、定期的に船が行き来している島は、魔界には一つきりだった。

 猪島という

 こういう場所には潜んでいるまいが、一応小さな船着き場に寄ると、水と燃料を買い付けて行ったという話は聞けた。

 それから、南西の方向に向かったという。

 そちらの方向には、小島が一つあった。

 魔界と外界ぎりぎりの海域で、漁師が使っていた小屋があるが、今は廃屋になっているという。

 昔は使えていた井戸が涸れて以来、誰も住まなくなって何十年も過ぎているそうだ。

 漁師が使っていた小屋も、放棄されて十年以上経っているという話だ。

 目視を頼りに、コンパスを補助で使って、みゆき丸は島に近付いた。

 頑張れば猪島から手こぎボートでも行けそうな距離だが、海流は思いの外速い。

 幸い、猪島周辺には定期船や漁船、釣り船の類が航行しているのは珍しい事ではないので、ここに蒲生組の船が居ても、エンジン音や船の姿で不審に思われる事はないだろう。

「魔界内部の海域で、船で上陸出来そうな無人島は、ここだけだな。後はどの島も、海からいきなり切れ上がった崖に囲まれてるか、そもそも島と呼べる様な大きさじゃない。釣り客を上陸させる事はあるそうだが、定員二十人とか、島と呼べるレベルじゃないな。ただの岩だ」

 海図には、みゆき丸の船長が様々な書き込みを入れていた。

 ジョン太は、ベルトの物入れから眼鏡を引っ張り出して地図を見ていたが、言った。

「ここに居なかったらもう、陸地には居ないか、魔界自体に居ないか、どちらかだ。

 居るかどうか、確認だけでも早くつけよう。他を捜す事になるなら、明るい内に目星だけでも付けたい」

 いくら暗視能力の高いジョン太でも、夜の海で見当も付かない相手を捜したくはない。

「どうやって確認します? いきなり上陸して、女の子達に何かあっても困るし」

「見て来よう。裏側から近付けるか」

 トリコが尋ねた。

 本当に小さな島だった。

 南側に狭い砂浜があるだけで、後は三方を崖に囲まれている。

 海からこんもりと盛り上がった島を、雑木林が覆っていた。

 小さな島なので険しい地形に見えるが、実際の標高は五十メートル程度だ。

 島の周囲もせいぜい四百メートルちょっと。本当の小島だ。

「見つからない様に行くなら、東からだな。地形的に島の頂上からも見えなくなってる」

 ジョン太は、船を迂回させた。

 小さな島の東側は、切り立った崖の下に少しの浅瀬が続いた後、海に向かって落ち込んでいる。

 ぎりぎりまで船を近付けて泊めると、トリコは水の魔獣を呼び出して背中に乗った。

「誰か居たら、合図するから」

 トリコは、首から下げた小さなホイッスルを見せた。

 二人だけで組む時は、たまに連絡に使っている犬笛だ。

 普通の人間より可聴域の広いジョン太にしか聞こえない。

 トリコも、コウモリの魔獣を使えば超音波を感知出来るので、二人の間では比較的安全で距離の長い通信方法だった。

 簡単な意思疎通が出来る信号程度は、過去の仕事で決めてある。

 水の魔獣は、ふわりと船から離れると、海岸沿いを迂回して砂浜に向かった。


 砂浜から見えない岩場に降りたトリコは、少し後悔しながら険しい海岸を進んでいた。

 傍目には、砂浜まで目と鼻の先で、楽に着けそうに見えたのだが、海草が被った岩場を歩くのは、けっこう危険な作業だ。

 ずるずる滑って転けそうな上に、転けたら転けたで、フジツボとか亀の手とかに被われた岩場ですりむいて、悲しい事になりそうだ。

 諦めて、もう一度魔獣に乗って砂浜の端まで移動した。

 砂浜は、引き潮なのか、何層にも堆積した漂着物がむき出しになっていた。

 きっちり整備すれば、ステキなプライベートビーチになりそうな、こぢんまりとした砂浜は、そのまま背後の切り立った山に続いている。

 その、砂浜の奥に、小屋と言うには大きな木造建築があった。

 海岸に向かった部分は、壁が無くてオープンになっていて、天井の高い内部には、手動の滑車と、朽ちかけたボートが見えた。

 周囲には、ボートから外されたエンジンが、錆びたまま転がっている。

 どちらかというと、レジャー目的で使われていた様に見える。

 しばらく眺めてから、聞いていた漁師小屋というのは、半壊した木造建築の隣にある小さな建物だという事に気が付いた。

 まだ現役で使えそうな小屋だ。

 黒い屋形船は見当たらないが、小屋の中には確かに、人の気配があった。

 もっと近付くと、明らかに最近使ったと思われるたき火の跡や、カップ麺の容器に混じって、ここ最近発売された地方限定スナックの開き袋まで転がっていた。

 もう、間違いない。

 トリコは、さくさくと砂を踏んで、小屋に近付いた。

 気配は多いが、皆、大した魔力はない様に思えた。

 るりかが返品された事を考えると、魔力の高い娘は、それと分からずに拉致されても、実力が確認された時点で放棄されているはずだ。

 無事に戻って来た娘達の何人かは、そういう魔力の高い娘だろう。

 残っているのは、自力では脱出も抵抗も出来ない娘達だけだ。

「何か、めんどくさい事になりそうで、嫌だな」

 小屋の戸を開けた。

 砂浜に建てられた漁師小屋は、寝泊まりする事もあったのか、一応床が張られていて、畳の代わりにござが敷かれていた。

 明かり取りの窓があるものの、外に比べれば薄暗い室内には十人以上の人間が居た。

 目が慣れると、皆が若い娘達だと云うのが分かった。

 こちらの姿を見て、怯えた様に後ずさった。

「警察だ、手を上げろ」

 ほぼ全員が、手を上げた。とりあえず、蒲生組の奴は居ない。

「嘘だ。民間の便利屋だ。警察と提携して、君らを保護しに来た」

 ため息に似た安堵の声が、周囲に広がった。

「細かい説明をしている閑はない。君らはこれで全員か」

 いいえ…という声が、いくつも聞こえた。

「船で連れて行かれたんです。助けてください」

「家に帰りたい」

「助けて」

 様々な意見が、いっぺんに言われた。

「君らは皆保護するが、たとえば怪我をしているとか、持病があるとか、緊急性の高い者は居るか」

 トリコが尋ねると、皆は顔を見合わせた。

「それは、あの…」

 皆の視線は、一斉に小屋の奥へ向いた。

「この人です」

 小屋の奥に、砂にまみれてぶっ倒れているのは、昨年末に会ったきりの羽柴仁だった。


「どうする…」

 犬笛で呼びつけられるポジションに、微妙な疑問を感じつつ、砂浜に船を近付けたジョン太は、トリコと合流した。

 娘達は十二人居た。

 羽柴を合わせて十三人、一度に連れて行ける人数ではない。

 とりあえず、乱暴に魔獣で羽柴をくわえて、船の甲板に放り出したトリコは、砂浜まで一気に飛び移って来たジョン太と、顔を突き合わせていた。

 浜上は、普通の人間なのでそこまでの運動能力はないし、冬の海に入って濡れるのも嫌なのか、船に残って羽柴の介抱にかかっている。

「それは、二度に分けて運ぶしかないだろう」

 トリコは、当然の事を言った。

「急げば、暗くなる前に全員保護出来る」

「途中で蒲生組の船が戻って来たら、やばいんだよ」

 ジョン太は言った。

「残った女の子達の安全が確保出来ない」

「私が残って待ってるよ」

 トリコは言った。

「蒲生組の船が戻ったら、海上で動けない様にして足止めしておく。お前は、あの娘らを積めるだけ積んで港に戻れ。マサも残した方がいいな、その分一人乗れる」

「そうだな」

 ジョン太はうなずいたが、何だか不安げな顔をした。

「あんまり無茶はしないでくれよ。何か、はたで見ている方がはらはらする」

 ちょっとため息をついた。

「やっぱり、泳げなくても鯖丸連れて来て、お前を港に残した方が良かったかな」

 鯖丸だったら、一人で残して行っても、蒲生組の連中くらい全滅させるだろうし、多少痛い目に遇わされても別に心配もしないんだが。

「私だって、けっこう気を付けて仕事してるんだぞ。見ろ、この重装備を」

 普段は薄着のトリコが、めずらしくダウンのコートなんか着込んでいるのは気が付いていたが、更にその下にはセーターと保温下着を装着していた。

「更に、ズボンの下にもパッチを…」

「見せんでいい」

 すそをめくり始めたトリコを止めた。

 こんな危ない事をやらせているの、フリッツにバレたら、泣くまで関節技をかけられそうだ。絶対黙ってよう。

 海岸奥の小屋から、女の子達がそろそろと用心しながら、こちらに近付いて来ていた。

 連れて来られた時のままなのか、随分薄着の娘も居て、寒そうに海風に身を縮めている。

「とにかく船に乗せよう、手伝ってくれ」

 ジョン太は、いきなり両脇に二人の女の子を抱えて、軽々と船に飛び移った。

 何が起こったか分からない女の子二人を甲板に残して、代わりに浜上を抱えてすぐに砂浜に戻って来た。

「俺は自力で降りられるんだが…」

 浜上は一応抗議した。

 トリコは、じゃあ次は君ら三人…と言って、魔獣の背に女の子を乗せた。

 それから、更に後二人運ぼうとしているジョン太に言った。

「船室に毛布あっただろう。あれ、置いて行ってくれ。それから、腹が減った。買っておいたおにぎりと菓子と、あとお茶も」

「へいへい」

 船に戻って女の子を下ろしたジョン太は、船室に降りて行って、ご注文の品を魔獣の背中に積み上げた。

「あと二人だ。誰でもいい、早く乗せろ」

 砂浜に戻った魔獣から、荷物を下ろしているトリコに言った。

 女の子達は皆、一刻も早く救助されたいのだろうが、ずっと一緒に居て、それなりに仲良しになってしまったのか、我先には来ないで、顔を見合わせた。

「じゃあ、君ら」

 浜上が、何だかしんどそうにしている二人を、素早く選んで魔獣に乗せた。

「港でこの娘らを下ろしたらすぐに戻る。待っててくれ」

 ジョン太は、慣れた様子で船をバックさせてから切り返し、あっという間にスピードを上げて去って行った。

「何でも出来る奴だなぁ」

 感心した様に見ていたトリコは、背後で不安げに佇んでいる女の子達に気が付いて、振り返った。

「大丈夫だ、船はすぐに戻って来る。とりあえず小屋に戻って待とう。これ、運んで」

 毛布と、袋に入った弁当類を指さした。

「それから、この人は本物の警察だ。今後の事は、彼に相談してくれ」

 めんどくさい役は浜上に丸投げしたトリコは、おにぎりを一個出して歩き食いしながら、小屋に向かった。


 港に残された鯖丸と秋本は、船着き場から少し離れた防波堤に腰掛けて、ぼんやり海を見ていた。

 ここからだと、少し高台になっていて、港全体を見渡せる。

「明日の四時までこうしてるのは、ちょっと厳しいな」

 鯖丸は言った。

「後で車を取って来る。遅くなったら交代で仮眠しよう」

 秋本は、ポケットから三食パンを出して来た。

「半分食えよ」

「刑事だったらあんパンじゃないとダメだろ」

 遠慮無く半分むしりながら、鯖丸は言った。

「いや、あんパンはそんなに好きじゃ…あっ、何でクリームのとこ全部持ってくんだ、やめろ」

「いいじゃん、クリームパン好きなの」

 あっという間に、口に入れて飲み込んでしまった。

「ひどい、あんパン好きじゃないって言ってるのに、あんこの所全部残しやがって」

「え? 要らないならもらうけど」

 残りの三色パンも、美味しくいただかれてしまった。相変わらずひどい奴だ。

「俺のパンなのに…」

「貧しい学生に、パンの一個ぐらい譲ってくれてもいいじゃん」

 自分の方が年上なのに、しゃあしゃあと言い切った。

 秋本はもう諦めたのか、反論はしなかった。

 もういいや…車の中にもっと美味しいパンがあと一つあるし。

「何か、パンだけだと窒息しそう。ジュース買って来い」

 完全にパシリ扱いだ。

「お前なんか、海水でも飲んでろ」

 秋本はぼやいた。

「暗くなっても皆が戻らなかったら、もうちょっと何か買って来た方がいいな」

 鯖丸は、秋本の切り返しは無視して、言った。

「あと、マサさんにはジョン太から言ってると思うけど、この仕事が一段落付かなくても、俺、明日の昼過ぎには抜けるから」

 秋本は驚いた顔をした。

「何でだよ。依頼された仕事くらい、最後までちゃんとやれよ」

「いや…俺今、塾の講師の方が本業で、受験前の大事な時期に、休む訳にはいかないから」

「お前って、本気でバイトの魔法使いなんだな」

 分かってはいたが、自分が社会人になってから見ると、何だか色々思う所はあるらしい。

 秋本は、少し納得した様な、呆れた様な、微妙な顔をした。

「そうだよ。今更何言ってんの」

 やっぱりパンだけ一気食いすると辛いのか、鯖丸はポケットを探って小銭を取り出した。

「何か飲み物買って来る。お前は?」

 猪島と工業街に渡し船を出している定期便の待合室を指さした。

「カフェオレ」

「そんな洒落たもん、あるかどうか分かんないよ」

 一応断って歩いて行った鯖丸は、程なく『あたたか〜い』飲み物を二つ買って戻って来た。

「はい、これ」

「待てぇ、あたたか〜いスポーツドリンクって、何だ」

「だって、安かったから」

 抗議しようとして、鯖丸が『あたたか〜い』みかんジュースを持っているのに気が付いてやめた。

 まだ、スポーツドリンクの方が、被害が少ない。

「寒い時は温かい飲み物がいいよな」

 その通りだが、何を温かくするかは、少し考えて欲しい。

 しばらく『あたたか〜い』不気味な飲み物を、二人で飲んだ。

 変な沈黙が流れた。

「実は」

 鯖丸は、彼らしくなく、ちょっと言い淀んだ。

「今頃になって悪いんだけど」

「何だよ」

 いきなり変な事を言い始めた鯖丸を、秋本は気味悪そうに見た。

「殿からの伝言。無事だから、何も心配は要らないって」

 秋本は、俯いたまま黙り込んだ。

「もっと早く言わなきゃいけなかったんだけど、メールとか電話じゃ、何か違うと思って」

 直に伝えようと思っていたら、こんなに月日が過ぎてしまった。

 個人的に色々あって忙しかったとはいえ、ちょっと悪い事をしたと思っているのか、鯖丸も黙ってしまった。

 秋本は、別にその事については特に非難もしないで、しばらく経ってから「そうか」と言っただけだった。

 殿と秋本…トゲ男が、どういう関係だったのかは分からないが、お互い、信頼関係があったのは確かだ。

 トゲ男は殿を慕っていたし、殿も彼を可愛がっていた。

 聞いてみたい様な気はしたが、詮索する事でもないので、その後も二人は、黙ったまま時間が過ぎるのを待った。


 見覚えのある青と白の船が、沖から戻って来たのを、最初に秋本が見つけた。

「どこ? 全然見えない」

「目が悪いんじゃないのか、お前」

 防波堤の上を走りながら、秋本は言った。

「特に良くはないけど、悪くもないよ」

 動体視力は優れているが、通常の視力はごく普通だ。

 最近ちょっと下がっている気もする。父親が眼鏡だったから、気を付けた方がいいかも知れない。

 言われて見ると、港に向かって来る小型の船が見えた。

 近くには、他の漁船も出ていて、区別するのはむずかしい。

 船着き場に駆け寄る頃には、それと分かる程に近付いた船には、何人もの人影が身を寄せ合っているのが見えた。

「人がいっぱい乗ってる。見つかったんだ」

 船着き場に接岸した小さな船には、何だか硬い表情をした女の子ばかりが九人、座り込んでいた。

 古いゴムタイヤをバンパー代わりに貼り付けた船体を、コンクリの船着き場に押し当てる様に接岸したジョン太は、駆け寄った二人にロープを放った。

 二人とも、船に関しては素人だ。

 二人でロープを引っ張ってから、鯖丸が昔ワンゲルで教わったもやい結びを、うろ覚えでもたもた再現しようとしている間に、ジョン太が降りて来た。

「これで全員じゃない。引き返すから後たのむ」

 女の子達を急かして、船から降ろし始めた。

「怪我人も居るから、よろしくな」

 ぐったりした細身の男を抱きかかえて来て、ひょいと渡された。

「えっ、何でトリコとマサさん居ないの? うわ、ジン君じゃないか。どうなってんの、これ」

「説明は後だ」

 再び船に飛び乗ったジョン太は、あっという間に沖へ去った。

 後には、九人の女の子に囲まれて、愕然とした表情の秋本と、羽柴仁をお姫様だっこした鯖丸が、取り残された。

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