表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/22

三話・魔界大決戦 vol.6

 浅間は、先程と同じ様子で待っていた。

 君達も懲りないね…という風に、ため息をついた。

「特にトリコ。お前はいつまで昔の事を根に持っているんだ」

「貴様が死んでも、許してなんかやらないよ」

 トリコは言った。

「執念深いな」

 浅間は言った。

「でなけりゃ、もうちょっと長生き出来たのに」

「仕事で来てるだけだ。お前らの事情なんぞ知らん」

 所長がにべもなく言い捨てた。

「もうすぐ応援が来る。死にたくなかったら投降しろ」

 くわえ煙草で、刀を肩に担いだ上に、ジャージのポケットに片手を突っ込んでガンをとばしている。百パーセント、ヤンキーだ。

「状況が分かっているのか?」

 浅間は、うっすらと嗤った。

「お前達全員、この場で殺す事も出来るんだぞ」

 最後尾に居る殿の方をちらりと見た。

「そいつは、体だけ壊しても死なないだろうが、当分出て来られない様にする事は出来る」

「こんな真似をしている理由を、一応聞こうかな」

 所長は言った。

「どっちが勝つにせよ、そろそろ犯人が崖っぷちで自慢話を始める頃合いだろう」

「サスペンスドラマじゃないんだ。自慢するトリックも計画も、何もないさ」

「あなたは、こういう場面ではもう少し勝ち誇る様な人だと思っていましたが」

 菟津吹が口を挟んだ。

「君は確か、鬱とか蕗とか、そういうアレだったな」

「名前も覚えてくれてなかったんですね」

 菟津吹はつぶやいた。

「むかつくけど、好都合です」

「本名は知ってるよ」

 浅間は言った。

 菟津吹はその場で黙り込んだ。

「でも、本名を押さえるとか、そういう細かい作業は、もう面倒になって来ているんだ」

 畳の上に広がった魔方陣が、明滅しながらじわじわと浅間の体を這い上っている。

 それはもう、胸の辺りまで達していた。

「何が目的ですか」

 菟津吹はたずねた。

「別に」

 浅間は、投げやりに言った。

「色々面倒臭くなったから、人間やめようかなって」

「自分が面倒臭くなったからって、何十万もの人間を巻き込むな」

 所長が言うと、浅間は不思議そうな顔をした。

「そんなに多くは取り込んでいないが」

「魔界の拡張で、被害を受ける人間を数えれば、それ位にはなる」

 所長は、吐き捨てる様に言って、短くなった煙草を投げ捨てた。

「ここ、禁煙なんだけどなぁ」

 浅間は、焦げの付いた畳を見て、嫌そうに言った。

「外界じゃもう、好き勝手に吸える場所が少ないんだよ」

 左手を突っ込んでいたポケットから、新しい煙草とライターを取り出した。

「こっちでくらい、好きにさせろ」

 煙草に火を付けた。それが合図だった。

 あらかじめ魔力を込められていた煙草が、発光した。

 それは、浅間の視界も一瞬塞いだ。

 打ち合わせをしていた皆は、それが光る前に目を閉じていた。

 わずかなスキに、ジョン太とフリッツが窓から侵入し、管を切り始めた。

「貴様ら」

 浅間が、腕をかざして目を塞ぎながら、もう一方の手を前へ出した。

 腕の先まで、あの魔方陣が渦巻いていた。

 先程と同様に、皆が吹き飛ばされようとした。

 入り口まで戻されて、何かに引っかかった。

 管の束が、上から下がっていた。

 それに触れたトリコに、声が聞こえた。

『止めるぞ。捉まって』

「遅い!!」

 トリコが、上に向かって怒鳴った。

『もうちょっと褒めてくれよぅ。頑張ったんだから』

 管を伝わって、重力操作が来た。

 手を繋いだ皆に向かって、とてつもない重力が襲いかかった。

 全員が、音を立てて床にめり込んだ。

 それからふいに、正常に戻った。

 浅間の攻撃をやり過ごした皆の前に、管の固まりが降りて来ていた。

 それは徐々に管から抜け出し、床に降りる直前に、体に食い込んだ管を次々と引き抜いた。

 最後に、自分の手で口から入り込んだ管を引き抜いた鯖丸は、白濁した粘液を少し吐いて咳き込んだ。

「最悪だ。気持ち悪い」

 どうにか立ち上がって、後ろに利き腕を差し出した。

 所長が、踊り場で拾って来た刀を抜いて、握らせた。

 使い慣れた刀は、すぐに反応して手の中に収まった。

 全身が、変化を始めていた。

 鬼の装甲が、あっという間に体を覆って行く。

 裸の状態でそれを見るのは初めてだった。

 全身の急所という急所は、カバーされていた。

 過去に怪我をしたり、生まれつき弱い部分も、ガードされている。

 ただ一つ、なぜか魔力を吸われている皆とは違って、左肩に付いた管だけが外れていない。

 そのせいで、鬼の姿で刀を構えた鯖丸は、長い管で壁に埋め込まれた人々と繋がっている様に見えた。

「君は本当に、色々やるねぇ」

 浅間が、腕を差し伸べた。

 再び風圧が皆を襲った。

 刀を構えた鯖丸が、押し返した。

「長くは持たない。早く」

 上に向かって叫んだ。

 浅間が気を取られている内に、ジョン太とフリッツが管を切断していた。

 百人近く居る生け贄の、ほぼ半数を切り離している。

 更に管を切り続ける二人に、管とは全く違う触手が襲いかかった。

 サキュバスだ。

 屏風の後ろから飛び出して来て、浅間の加勢にかかった。

 所長とるりかの二人が、あっという間に彼女を取り押さえた。

 浅間はそれでも止まらなかった。

 魔方陣が、体全体を浸食していた。

 そうして、城の最上部から、凄まじい力が流れ込んでいた。

 先程見た、奇妙な空気の流れを、ジョン太は思い出した。

 何か、とんでもない事が起ころうとしている。

 浅間の姿が一瞬ぶれ、変化を始めていた。

 少しずつ膨らみながら、人としては、いや…生き物としてはあり得ない姿に変わって行く。

 それは巨大化しながら、徐々に化け物に変化していた。

「うわぁぁ、ラスボス丸出しだー。年末の小○サチ子みたいになってるぅ」

 ジョン太が、ベテラン演歌歌手もゲームのラスボスも、どっちにも当たり障りのある暴言を吐いた。

「サチ子を悪く言わないでください」

 なぜか菟津吹が抗議した。

「演歌か。演歌好きか、お前は」

 ジョン太は反論した。

「俺には効かないからな。基本、ハードロックだから」

「どっちも古いわー」

 背後から蹴りが入った。

 るりかが、魔法のステッキを構えて、仁王立ちになっている。

「どうでもいいわ、それ」

 鯖丸が、刀を中段に構えて、皆の前に立った。

 基本、音楽なんか聴かないので、何のこだわりも無いのだ。

「こいつを、ぶちのめせばいいんだな」

 鬼に姿を変えた鯖丸の周囲に、魔力が螺旋状に巻き上がった。

「バカなのか、君は」

 既に、二倍以上の大きさになって、人の姿を失いつつある浅間が言った。

「ああ、バカだよ」

 鯖丸は答えた。

「とっくに切れてる女相手に、体張ってるんだ。バカだろ」

 刀が変色していた。

 金属の光沢を失って、半透明になっている。

「別に、今更どうしたい訳でも無いのにね」

 壁の上で、管に取り付いていたフリッツが止まった。

「こいつは止める。後は任せた」

「待て、今のどういう…」

 魔力の壁が激突した。

 それでもまだ、数十人の魔力を吸い上げている浅間と、一方的に吸われている鯖丸では、勝負にすらならないだろうと誰もが思った。

 しかし、鯖丸が左肩に繋がった管を切らなかったのは、計算だった。

 繋がった管から、奪われた魔力が吸い返されている。

 怪物と化した浅間が抵抗した。

 腕から、無数の管が放たれ、取り付き、飲み込んだ。

「鯖丸っ!!」

 トリコが、その場から姿を消した。

 一瞬で浅間の背後に現れ、両手で巨大化した浅間を絡め取った。

 全く、視界に入らなかった。

 いつの間にか姿を消して、移動していた。

 以前、U08で使った擬態だ。

 擬態に邪魔な衣服が、脱ぎ捨てられて床の上に落ちた。

「自分の魔法で捕らえられるのは、気分が良いだろう」

 浅間に合わせて、巨大なヤモリと化したトリコが、からみついた。

 それはすぐに吹き飛ばされ、広間の隅に叩き付けられた。

「そんな物、効く訳が無いと、分からないのか」

 怪物になった浅間が言った。

「もちろん分かってる。お前のプライドを折る為に使っただけだ」

 壁にたたき付けられたトリコは、どうにか体を起こしてせせら笑った。

「もっと強いやつを使おうか?最初から持ってる水の魔獣でもいいけど、コウモリもいいな。それとも…」

 鯖丸を振り返った。

「お前がくれたやつ、使うけど、いいな」

「ええ、何の話?」

 裸になったトリコの体に、今まで見た事の無かったタトゥが浮かび上がっていた。

 それは、腹の辺りでうごめき、這い出して立体化した。

 以前見た、獣人化したトリコが使っていた魔獣だと分かった。

 牛程もある、爬虫類と猛禽の合体した手足に、燃える様なたてがみの獣が、トリコの腹から這い出した。

 説明されなくても、これが何なのか分かった。

 こいつは俺だ。…ていうか、俺の魔力が具象化された化け物だ。

 ヤモリが浅間で、こいつが俺で、そうしたらコウモリがハンニバルで…。

「リンク張った数だけ魔獣が居るのかよ」

「今頃気が付いたのか」

 恐ろしい獣のたてがみを撫でながら、トリコは言った。

「だったらジョン太とフリッツも、きっちりリンクしとけよ。絶対強いし、どうせ兄弟だらけなんだから」

 鯖丸は、要らん事を言った。

「ええっ、ジョン太も」

 フリッツは、知りたくなかった事実を知ってしまった。広間、穴兄弟だらけ。

「鯖丸は仕方ないが、ジョン太まで」

「気にするな」

 トリコは言い切った。

「仕事上の行きがかりだ」

「ああ、人類は皆兄弟って、こういう事を言うんですね」

 るりかが、絶対違う事を言い始めた。

「私でも引くわ。こんな近所を兄弟だらけにして」

 取り押さえたサキュバスにまで言われてしまった。

「やった…エロでサキュバスに勝ったぞ」

 トリコは、小さくガッツポーズを決めてから、自分の横に立っていた巨大な獣に命じた。

「襲え!!」

 獣は、ひらりと空中に飛んだ。

 浅間と鯖丸の間に着地し、管の束を食い千切った。

 体に食い込み始めていた管の束を払い落として、鯖丸は身構えた。

 巨大な獣は、そのまま止まらず、浅間に襲いかかった。

 太いかぎ爪が、浅間を切り裂いた。

 浅間の体は、切り裂かれながらも変化を続けていた。

 体の表面で魔方陣が揺らめき、裂かれた場所から枝分かれしながら、更にあり得ない姿に変わり続ける。

 獣は、浅間に食いついたまま、取り込まれ始めていた。

 たてがみを振り上げ、めちゃくちゃに暴れ回りながら、徐々に境界線が融合を始めている。

「うわ、鯖丸と一緒でバカなんだ。力任せに暴れてるだけじゃねぇか」

 ジョン太がぼやいた。

「俺、あそこまでバカじゃないよ」

 鯖丸が反論した。

「力があり過ぎて、コントロール出来ないんだ」

 トリコが、腕を差し出し、強引に獣を呼び戻した。

 引き千切る様に、強引に戻された獣が、暴れ足りないのか咆吼を上げながら体表に収まった。

 体の上で平面になってしまって、浅間の方を睨みながら、まだうごめいている。

「手に負えないやつを出すなよ」

 ジョン太は非難した。

「他の奴出したって、歯が立たないからな」

 トリコは、ひとまず服を拾って羽織った。

「じゃあ、一緒にやろう」

 鯖丸が、右手で刀を構えたまま、左手でトリコの手を握った。

「二人がかりなら、いけるんじゃないの」

「分かった、やってみよう」

 トリコがうなずいた時、背後から影が再び現れ、襲いかかった。


 影を払いのけ終わった時には、所長とるりかの手から、サキュバスが消えていた。

 叩き落とされた影の向こうに、男が二人居た。

 先刻階段落ちして床に埋められた、ヤクザの内の二人だ。

 パンチパーマと角刈りの、割合分かりやすいタイプのヤクザだった。

 変化を続けて変わり果ててしまった姿の中で、まだ少し人の様相を残している浅間の顔が、不思議そうに二人を見た。

「お前達、何をしに…」

「加勢に来たに決まってるじゃありませんか」

 パンチパーマが言った。

「カズトと御堂は、動けないんで外へ置いて来ましたがね」

 角刈りが言った。

 浅間が、今まで見た事もない様な、複雑な表情をした。

 それから、変化した体の中程にある顔の部分が、微妙に笑った。

「もういい」

 どこがどうなっているのか分からない体の一部から、腕の様な長いものがゆらゆら出て来て、部屋の隅に逃れていたサキュバスをつまみ上げ、二人の前に下ろした。

「見ての通り、大体終わった。お前達はこいつを連れて逃げろ」

「しかし…」

「早くしないと、お前達も取り込むぞ」

 二人の男はうなずいて、サキュバスの手を取った。

「さ、姐さん早く」

「嫌。私は残る」

 抵抗を始めたサキュバスと、二人のヤクザは、そのままの姿でかき消えた。

 浅間がどこかへ送ったのだろう。

 浅間に全員で当たる為には邪魔だったサキュバスを、本人が退場させてくれた。

 好都合だ、しかし…。

「死ぬ前に初めて友達が出来て、良かったじゃないか」

 トリコが言った。

 わぁ、こいつやっぱり、殺る気満々じゃねぇか…と、ジョン太は内心思った。

 それから、ふと見上げると、フリッツがいつの間にか天井の最上部に登っていた。

 管で繋がれている人間は、十人程になっている。

 もうすぐ全員切り終わるだろう。

 それにしては、弱っている様子が全く無い。

「早くしたまえ」

 後ろから殿が言った。

「もう、世界の融合が始まっているぞ」

 何がどう始まっているのか、この場で見ていてもさっぱり分からなかったが、魔方陣に外部から何かが流れ込んでいるのは分かった。

 先程外で見た、奇妙な空気の流れが、魔方陣の中にまで渦巻き始めていた。

「倒そうと考えるな。退かせるだけでいい」

 時間がないと判断したジョン太は、鯖丸とトリコに言った。

「とにかく、あいつを魔方陣の中心から追い出せ」

 所長とるりかが、サポートの為に少し離れて身構えた。

 菟津吹が、廊下に倒れた人々を、もう一度影になって襲って来ない様に、離れた場所へ転送し始めた。

 合図は無かった。

 最初に、ジョン太が両手に銃を抜いて撃った。

 弾丸は、ばらばらな方向へ弧を描いて飛び、残った人々から管を切り離した。

 浅間は、意に介さない様子で、ゆらりと体を動かした。

 表面で魔方陣が揺れ、衝撃波が周囲を薙ぎ払った。

 所長とるりかが、皆の前に壁を出して持ちこたえた。

 天井に居たフリッツまでは、手が回らなかったらしく、吹き飛ばされて管の中にめり込むのが見えた。

 張られた障壁をぶち壊しながら、獣が浅間に襲いかかった。

 肉食獣と猛禽が合体した様な、巨大な獣は、今度は浅間を食い千切りながら一瞬で離れ、再び襲いかかった。

 統制された動きで、ヒットアンドアウェイを何度か繰り返した。

 浅間はしばらく、反撃もしなければ痛そうな顔も見せなかった。

 獣を操るトリコの補助をしながら、鯖丸は、少し焦り始めていた。

 強烈な一撃で、巨大化した浅間の体を削り取っているが、本当にダメージを与えているのか、確信が持てない。

 そして、この魔獣を操るのは、困難で神経を使う作業だった。

 アクセルが戻らなくなった暴走車を操っている様な物だ。

 自分もトリコも、最初から魔力を吸われた状態だ。長くは持たない。

「しょーがないから、顔、行っとく」

 トリコはうなずいた。

 獣の一撃が、顔の部分に振り下ろされた。

 今度は、浅間は明らかに防御した。

 そうして、表情をゆがめながら、唯一残っていた人らしい部分が、体の中に沈み込んで行った。

 しまった、一発で決められなかったせいで、ガードが堅くなった。

 色を変えながらゼリーの様に揺らいでいた体表が、ふいに固まった。

 体の上を動き回っていた魔方陣が、固定した。

 鯖丸が、悲鳴を上げてその場に転がった。

 浅間が、繋がった管から魔力を吸い上げながら侵入して来たのだ。

 所長が、とっさの判断で管を切り離した。

「おい、大丈夫か」

「どうにか」

 鬼の装甲も解除されてしまった鯖丸は、少し震えながら所長の手を借りて何とか立った。

「あの野郎」

 再び、装甲が体を覆い始めた。

 一瞬繋がった浅間の意識に、鳥肌が立った。

 あいつは、生まれつき罪悪感が壊れてる。悪い事をしているなんて意識が、全く無いんだ。

「まだ行けるか」

 トリコが尋ねた。

「うん」

 トリコの手を、もう一度握った。

 お互い限界なのが、何となく分かる。

「もうちょっと吸い返してやろうと思ってたんだけど、マズったな」

「この程度で済んで良かった」

 獣が、コントロールを取り戻した。

「管が首に入ってたら、今ので終わりだったぞ」

 魔力を吸い上げやすい所定の位置に、管が入っていなかったのが幸いした。

 魔方陣の中央で固まっていた浅間の…いや、もう何が何だか分からないいびつな円錐形の物が、いきなり表面からめくれ始めた。

 ささくれの様に、体表からいくつもめくれ上がったそれが、ゆるやかなカーブを描きながら立ち上がり、硬化した。

 獣が、うなり声を上げて襲いかかった。

「止めろ」

 ジョン太が叫んだ。

 円錐は、ふわりと少し浮き、回転を始めた。

「まずい、戻…」

 円錐から無数に立ち上がった刃が、瞬く間に獣を切り刻んだ。

 あっという間だった。

 皆が、阿鼻叫喚の血の海を想像したが、切り裂かれた獣は、風船がはじける様にその場から消え去り、突風だけが残った。

 鯖丸からコピーした魔獣だから、大気操作系だったのだろう。

 円錐は、ひらひらと出した刃を畳むと、ねじれてしまった天井からの管を解く為に、逆回転を始めた。

 トリコが、その場に倒れた。

 ダメージは、コピー元ではなく使っている者に来る様だ。

「トリコ!!」

 鯖丸が、トリコを抱き起こした。

 手の平に乗る程の大きさになってしまった獣が、ちょこちょこと走り寄って来て、体の中に戻った。

 それで、少し力が戻ったらしいトリコが、目を開けた。

 トリコってこんな顔だったな、そう言えば…と思った。

 もう何年も、近くでしげしげと見た事は無かった。

 少し緑がかった瞳が、こちらを見上げ、それから少しだけ視線を動かした。

「大丈夫?」

「まぁな」

 うなずきはしたが、自力で起き上がるのは無理の様だった。

「くそっ、あいつをほんの四、五メートル、横へどかす事も出来ないなんて」

「お前に出来ない事なんてないだろう。無敵なんだから」

 そんな訳無いだろうと反論しかけた言葉を、飲み込んだ。

「分かった、やるよ」

 トリコをその場に座らせて、立ち上がった。

「斬り込みます。ちょっとの間だけ、防御お願いします」

 所長を振り返って言った。

「魔方陣の中心近くで、こちらの魔法が効くかどうか、分からないぞ」

「それは…ジョン太、どうにかして」

 刀を握って、身構えた。

 再び、過剰な魔力を通された刃が、半透明に変わった。

 凄まじい力だったが、見慣れた者には、もう限界だというのが分かった。

 鬼の装甲が保てなくなって、徐々に人の姿に戻り始めている。

 浅間の姿も、再びゆらゆらした軟体に戻り始めていたが、こちらは力を失った様には見えなかった。

 異界から入って来る力と、融合を始めているのだ。

 おそらく、地面に張った根で、地力も吸い上げている。

「タイミングは、あいつに合わせろ」

 ジョン太は、ちらりと上方の壁に視線をやった。

 先程トリコが見た位置だ。鯖丸はうなずいた。

 速過ぎて、ほとんど見えなかった。

 ゆらめきながら、姿を変えてゆく浅間の真上に、黒い物が一直線に壁から飛んだ。

 フリッツが、最後に残った管に斬りかかっていた。

 両手に構えたナイフを、獣の爪の様にひらめかせて、空中で管を両断しようとした。

 管は、ぶるんと震え、フリッツを空中ではじき飛ばした。

「浅い!!」

 ジョン太が、銃弾をばらまいた。

 皮一枚残して繋がっていた管がちぎれ、辺りに粘液を撒き散らした。

 ジョン太が発砲する前に、鯖丸は飛び出していた。

 管を切られた浅間が、叫び声を上げた。

 体中を無秩序に変形させながら震え、体表から無茶苦茶に槍の様なトゲを突き出した。

 所長とるりかが壁を作り、ほんの一瞬だけ鯖丸を守った。

 管にはじかれたフリッツが、体を捻って着地した。

 槍に砕かれた壁の影から、鯖丸が空中に飛び上がった。

 無数の槍の間を、重力操作で一気に上昇した。

 襲いかかる槍を、ジョン太が弾幕ではじき返した。

 半透明に変わった刀が、轟音を立てて空中から振り下ろされた。

 自分の重さを増しながら、一直線に切り裂かれる寸前に、浅間が少しだけ魔方陣の中心から動いた。

 バランスを崩した鯖丸は、転がる様に畳の上に叩き付けられ、そこへ浅間の体表からウニの様に飛び出したトゲが、湾曲しながら一気に襲いかかった。

 ジョン太が、魔力を引き上げながら直前まで迫ったトゲを、正確に弾幕ではじき返した。

 その間に、着地したフリッツが鯖丸の体を掠って、横滑りに移動した。

 更にトゲが襲いかかる前に、どうにか人間離れした速度に追い付いた菟津吹が、二人を瞬間移動させた。

 無数のトゲが、無人になった畳に突き刺さった。

「もう一回!!」

 鯖丸が叫んだ。

 管を全て切られたせいなのか、深手を負ったからなのか、浅間の姿がぶれ始めていた。

 あり得ない姿の化け物に、本来の姿がほんの一瞬オーパーラップした。

 パチンコ玉の様に吐き出される弾丸を、全弾操る為に、魔力優先の人間バージョンに変身したジョン太がうなずいた。

「よし、行け」

 鯖丸が、もう一度斬り込んだ。

 トリコが、一番精度の高い水の魔獣を呼び出し、ほんの少し中心からずれてしまった浅間を、足止めした。

 いくら、自分本来で持っている魔獣でも、こんな状態で呼び出すのは無茶苦茶だ。

 今度の攻撃は、トゲではなく、触手の様に無数に伸びる腕だった。

 ただの腕ではないらしく、擦った場所から焦げ臭い匂いが上がる。

 トゲよりも動きが自由な分、避けるのは困難だったが、強度は低いらしく、壁と銃弾で、どうにか直撃を避けられた。

 鯖丸は、今度は空中に飛ばず、低い位置から攻撃をかいくぐって、魔方陣の中心に斬りかかった。

 掛け声もろとも、怪物の体が切り裂かれた。

 怪物は、物凄い速さで様々な形に変化しながら縮み、最後に、人間に戻った浅間が、畳の上に倒れた。

 限界に近いぎりぎりの勝利だったが、終わってみると意外にあっけなく、それは普通の状態で横たわっていた。


「これで終わり?」

 鯖丸が聞いた。

 最初から魔力を吸われた状態で戦ったのだ。

 体中が空っぽだ。もう、動けない。

「俺達はな」

 ジョン太が言った。

 魔方陣の中心に、殿が立っていた。

 城の天井には、いつの間にか穴が空いて、青空が見えていた。

 視線を移すと、浅間は広間の隅に居た。

 死んではいない様だが、倒れたまま身じろぎもしない。

 菟津吹は、城の中に残された、影や魔力を吸われていた人間を、城の外へ転送する作業に、忙殺されていた。

「下の階に居る者は、吾輩がやっておこう。まだ、余力はある」

 殿は言った。

 浅間と同じ様に、殿の体に魔方陣が映り込み始めていた。

 城が、頂点を中心に、少しずつ消滅を始めていた。

「後始末を君達任せにするのは、心苦しいが、これでやっと終わる」

 殿が、お別れを言い始めているのに、皆は気が付いた。

「魔法陣の映像記憶は、少し改竄させてもらうよ。こちらに残したくないのでな」

「殿の記憶は消えないよね」

 鯖丸が、情けない声で聞いた。

「うむ、そんな小細工をする余裕はない」

 殿は、うなずいた。

「この仮想人格は消えるが、記憶は本体に引き継がれる。君達は大切な友人だ」

 一度でも、殿の本体を見た事があるのかどうかすら、怪しかった。

 しかし、大切な友人だという言葉は、本当だ。

 殿は、まだ床に座り込んでいるトリコの方を向いた。

「君から預かった石は、大切にするよ」

「待って、また戻って来るんだよね。まだ配達してないレコードとかテープとか、色々残ってるのに」

 宅配状況は、一応把握している鯖丸が言った。

 殿は、にっこり笑った。

「そうだな。また、新しい城を建てたら、届けてくれたまえ」

 魔方陣が発光した。

「それから、頼みがある」

 妙に人間っぽい口調で、殿は言った。

「トゲ男に、吾輩は無事だ、何も心配はないと伝えてくれ」

 友人の秋本が、トゲ男と名乗って殿の配下だったのは、もう二年以上前の事だ。

 良く考えてみれば、二人がどういう関係だったのかも、全く知らなかった。

 秋本が、妙に殿を慕っているのを、何となく不思議には思っていた。

 いずれ、どちらかの口から、聞けるかも知れない。

 出来れば、殿の口から聞きたいと思った。

 二千年も生きている異界人の事だから、うっかり百年ぐらい経ってから戻って来ないとも限らない。

「分かった」

 うなずくと、殿はもう一度笑った。

「では、逃げたまえ。ここはもうすぐ消滅する」

 天井の穴は、確実に広がっていた。


 外界からも、それは見えた。

 異界の穴から吹き出した渦が、魔界の一点に向かって流れ込み、そうしてまた、押し戻されて行く。

 殿の城が完全に魔界から消滅するまで、それは続いた。


 応援が来たのは昼過ぎだった。

 大阪と、ましてや北海道から呼ばれた応援にしては、充分早い。

 西谷商会の本社と支社からも、同じ便で応援が来たので、事後処理はもう、任せ切る事にした。

 久し振りに会う大阪本社のエンマ君が取り仕切ってくれたので、鯖丸は転送された田んぼの真ん中でぶっ倒れて、少し寝た。

 掠われていた人達と一緒に、救急車代わりのトラックに積まれて、外界に運び出されそうになって、やっと目を覚ました。

「相変わらずやなぁ、君は」

 呆れた風に言われた。

「ここまで来るともう、それ、見せびらかしたいんで出してる様にしか見えんで」

「皆裸だろ。わざとじゃないよ」

 一応、何か着ようと思ったが、自分の服がどこにあるのかも分からなかった。

 青い稲穂が茂った田んぼは、城に掠われていた人達と、転送されて来たガラクタで埋まっていた。

 これの弁償とか、誰がするんだろうと考えたが、分からないので諦めた。

 遠方で、忙しく動き回っている自衛隊と警察の姿が見える。

 秋本に、なるべく早く伝言を伝えないとな…と思った。

 それからもう一回気を失って寝た。


 もう一度目を覚ますと、夜だった。

 救援活動が行われる中で、特に怪我もなければ命に別状もない自分は、後回しにされたらしい。

 同じ様に田んぼの中で寝ていた。

 先程起きた時より、幾分楽になっている。

 隣に、ジョン太が座っていた。

「ええと」

 現状を確認した。

「どうなったの」

「皆、外界に戻った」

 ジョン太は答えた。

 周囲にはまだ、緊急性のない人々が残されていたが、大部分は外界の病院に搬送された後だと云う。

「お前も帰るだろ。送ってくよ」

 乗って来た軽トラが、農道に残っていた。

「うん」

「そんな格好で外へ出たら捕まるから、何か着な」

「うん」

 服は、沢山あった。

 掠われた人間の数だけ、服も靴も下着もあるのだが、自分の物を見つけ出すのは難しそうだった。

 先に回復して、適当に服を着てから搬送された者も多いので、着る物があるだけまだマシだ。

 下着は諦めて、その辺に落ちていたジーンズとシャツを着て、良く分からないサンダルを履いて、車に乗った。

「皆は?」

 物凄く疲れていて、もう一度寝てしまいそうだったが、どうにか意識を保って聞いた。

「トリコは、病院だと思う。怪我はないが、消耗し過ぎてたからな。菟津吹は、政府公認魔導士の応援と一緒に出て行ったよ。所長とるりかは、まぁ、無事だ」

 殿は?とは聞けなかった。

 あんな事は言っていたが、もう一度会える様な気は、あまりしなかった。

 代わりに聞いた。

「浅間は、どうなったの」

 ジョン太は、ちょっとの間口ごもった。

 それで、自分が知らない間に何かがあったのだとは分かったが、聞かない方がいい様な気がした。

「無事だ。逮捕されたし、当分出て来られないだろうけどな」

 何だかほっとした。

 少なくとも、トリコは、浅間の命を取る様な真似は、しなかったのだ。

 今度の事で、本当にそれだけは、心の底から良かったと思えた。


 魔界の現場に駐屯している医師に、簡単な健康診断と問診をされてから、外界に出た。

 対象が多いので、基準はゆるくなっている様子だった。

 見慣れた夜景が、背後に飛び去って行くのを見ている内に、また少し寝てしまっていた。

 疲れてるんだからしょうがないと、ジョン太は言った。

「ジョン太だって疲れてるだろ」

 自分が捕まっていた間、ジョン太がぼやぼやしていたはずがない。絶対そうだ。

「まぁ…」

 ジョン太は、曖昧に言った。

「でもまぁ、魔力を吸われてた訳じゃないし、俺らは疲れてても動けるからな」

 それで今まで、ハイブリットは普通の人間みたいに疲れないと思っていたのは、誤解だと分かった。

 疲れていても動けるだけなんだ。

 そう考えると、今まで色々迷惑をかけて来たなぁと思った。

「ごめん」

「謝るな。そういう仕様だから」

 肩を叩かれた。

「お前はいつも、良くやってる」

「そうかな」

 答えてから、こうやって一緒に仕事が出来るのも、もうあまり長い時間ではない事に気が付いた。

 ジョン太はきっと、もっと前から気が付いてる。

「俺、魔法使いを辞めるまでの間に、ガキ扱いは卒業出来るのかな」

 何となく聞いてみた。

 ジョン太は、笑って答えた。

「無理だな。お前は、俺にとっては何時までも、頼りになるくそガキだよ」

「ちぇ」

 鯖丸も、連られて笑った。


 アパートの前まで送ってもらった。

 後で何か、体調に異変があったら、すぐに連絡する様に言われた。

 低重力症患者の医療控除を外された直後だったので、ありがたい申し出だった。

 とにかく眠かったので、よろよろしながらアパートの階段を登った。

 二階まで上がった所で、鍵や学生証やケータイや免許を入れていたディバッグを、トンネルの入り口で乗り捨てた車に置いて来た事に気が付いた。

 紛失した訳ではないが、今日中に手元に戻る事はないだろう。

 恐る恐るドアを叩くと、それは直ぐに開いた。

 待っていて欲しいとは言ったが、本当に、こんなタイミングで、待っていてくれるとは思っていなかった。

 魔界でも、帰り道の沿道でも、周囲の惨状は目に入っていた。

 絶対もう、避難していると思っていた。

 ドアを開けた有坂が、息を呑んだ。

「玲司君、大丈夫?」

 きっと、ひどい状態なんだろうとは思った。自分では分からないけど。

 有坂の肩を抱いた。

 絞り出す様な低い声で言った。

「疲れた」

 それだけ言って、倒れ込んだ。


 気が付いたら、布団で寝ていた。

 有坂カオルが、175センチくらいある、ガチで武道系女子でなかったら、見捨てられるというより、手に負えなかったはずだ。

 幸い彼女が頑丈だったので、鯖丸は気が付くと布団で寝ていた。

 腕の中に倒れ込んで来た時点で、通常の女の子なら共倒れになっていた所だ。

 どれくらい寝たのか、見当も付かなかった。

 とにかく、喉が渇いて、腹が減っている。

 ケータイを確認しようとして、手元に無い事を思い出した。

 起き上がると、頭がくらくらした。

「俺、どれぐらい寝てた?」

 急いで聞いた。

「一日」

 有坂は答えた。

「本当に大丈夫?」

「一日…」

 聞き返した。

「今日、何曜」

「土曜日」

「うわぁ」

 飛び起きた。

「何時?」

「六時」

「ダメだぁ」

 塾のバイトの準備が、全然出来ていなかった。

 あと一時間で教材を揃えて、下準備をして塾まで行くのは、絶対無理だ。

 折角、生徒や塾長から信頼を得て来たのに。

「大丈夫だから」

 有坂が言った。

「塾、休講になってる」

「え…何で」

「何でって…」

 有坂は絶句した。

「当たり前じゃない。皆避難してるのよ。子供が居る家庭なんて、一番に逃げ出してるでしょう。

 玲司君は何なの、時給高かったら死んでもいいの?連絡ぐらい出来ないの?いいかげんにして」

「ごめん」

 反射的に謝った。

「本当に心配したのに」

 怒られていると思っていた鯖丸は、有坂が俯いて泣き出したのでうろたえた。

「ええ…あの」

 そこまで大げさに心配する事だろうか。

 もしかして俺、魔界で暴れ過ぎて、普通の感覚が分からなくなって来てるのかな。

「ごめんよ」

 有坂の肩を抱いた。

「居てくれて、ありがとう」

 有坂は、鯖丸にぎゅっとしがみついた。

 それから言った。

「玲司君」

「何」

「臭い」


 外界でどれ程の騒ぎが起こっていたか、知ったのは後だった。

 心配されても仕方ないと、その時やっと思った。

 とりあえず、死にそうな顔で見た事もない変な服を着て、薄汚れて帰って来て、そのままぶっ倒れて一日寝てしまったという事実は、もうちょっと冷静に振り返るべきなのだが。

 まだ少しだるくてふらふらしたが、シャワーを浴びて、出してくれたご飯を食べた。

 裸で田んぼに寝ていたせいか、体のあちこちに泥が付いていて、髪の毛の中からは青い稲穂が出て来た。

 管に捕らえられていた時にこびりついた、粘液らしき物の残骸は、強く擦らないと取れなかったが、肩に食い込んでいた管は干からびていて、案外簡単にかさぶたの様に剥がれた。

 物凄くお腹が空いている様な気がしたのに、食事はあまり喉を通らなかった。

 もう少し休んだ方がいいと言われたので、横になった。

 本当にまた、あっという間に眠ってしまった。


 魔界の拡張は止まって、境界は縮み始めていた。

 そのせいか、また、小規模な地震が何度か起こった。

 逃げ出す人々もまだ居たが、少しずつ、戻って来る人々も増え始めていた。

 憶測が飛び交い、根拠の薄い情報が、ワイドショーやネット上で流れたが、真相はまだ公表されていなかった。

 被害にあった人々も含めて、色々な事が元通りになるには、きっと長い時間がかかるだろう。

 翌日の朝に、ジョン太がやって来た。

 車の中に残して来たディバッグを、わざわざ届けに来てくれたのだ。

 どうせ、ケータイも入ってるから、連絡付かなかったしな…と言って、見慣れたディバッグを差し出した。

「ありがとう。あがってく?」

 そう言えば、ここでも前のアパートでも、場所は知っていてもジョン太を部屋に上げた事は無かったな…と思った。

「いや、すぐ帰る。色々寄る所があるからな」

 強面の外見に全然似合わない、女物のショルダーバッグを提げている。トリコのだ。

「これからトリコの家?」

 ジョン太の服装が、夏場にしても普段よりゆるいので、今日は休みなのだろう。

 休みの日にわざわざ荷物配って回るなんて、ジョン太も人がいいな…と思った。

「いや、空港」

 ジョン太は言った。

「うちの子らと一緒に、由樹も避難させてたからな。迎えに行ってから病院」

 それで初めて、トリコが入院していたのを知った。

「お前は大丈夫なのか」

「うん。いっぱい寝たからね」

 寝過ぎてぼんやりしていたが、特に調子は悪くなかった。さすが、自称頑丈人間。

「じゃあ、トリコにはフリッツが付いてる?」

 聞くと、ジョン太はものすごく微妙な、困った様な顔をした。

「いや…フリッツは、その…」

 言いにくそうに口ごもってから、白状した。

「人前で、死にかけの浅間ぶん殴って、今警察」

 自分が田んぼで寝ている間に、何かあった様な気はしていたが…。

「ええっ、戦闘用ハイブリットが一般人殴ったら、格闘家と同じ扱いだろ。バカなの、あいつ」

 バカにバカ呼ばわり。

「まぁ、お前と同じ程度にはバカなんじゃないかなぁ」

 バカばっかりだ。

「あの、何も無いですけど、お茶でも」

 出て来ないと思ったら、台所で黙々と茶をいれていたらしい有坂が、声をかけて来た。

「いや、折角で申し訳ないけど、時間ないから」

 ジョン太は、断って、付け加えた。

「詳しい話は、また今度な。じゃあ」

「ええっ、今聞かせてくれよ。どうせそこまでゴミ出しに行くから」

 鯖丸は、狭い入り口でサンダルをつっかけた。

「そんな格好で普通に外出するな」

 着古したTシャツと、どこで買ったのか、薄ら笑いを浮かべたマトリョーシカ柄のトランクスでゴミ出しに行こうとした鯖丸を、ジョン太は止めた。

 部屋の中では有坂が、よくぞ止めてくれたという顔で、こちらに会釈した。

 狭い部屋の中には、家具らしい物はカラーボックスとこたつテーブルだけで、二人とも学生だからか、本やノートの類はやけに多くて、部屋の隅に積み上げてあった。

 懐かしいというか、むずがゆいというか、そんな感じの部屋だ。

 遠くで、乗る予定の電車が来る音がしたので、急いで階段を下りた。

「大体玲司君は、何で上司にタメ口なの」

「ジョン太はいいんだよ。自分でそうしろって言ってんだから」

 背後で、二人が割合楽しげに言い争う声が聞こえて来た。


「すいません、もう来るんじゃねぇぞって、言ってください」

「いや、手続きがあるから、明日また出頭して。10時」

 翌日、警察署の入り口で、フリッツが警官ともめていた。

「はぁ、カツ丼って自腹なんだ。幻滅だな」

 ため息をついた所を、迎えに来たトリコにぶん殴られた。

「いい加減にしろよ、お前は。病み上がりで退院したての私に、突っ込ませるな」

「まだ、顔にライト当てられて、さっさと吐けとか言われるイベントもこなしてないのに」

 どうやら、留置所暮らしを満喫していたらしいフリッツは、ぼやいた。

「お前なんか、そのまま傷害罪でぶち込まれれば良かったんだ」

 誰かが手を回したのか、そもそも最初から大怪我をしていた浅間を、どこまでフリッツが怪我をさせたのか明白でなかったのか、単に魔界で大混乱の後だったので、細かい事には構って居られなかったのか、一通りの取り調べが終わると、案外簡単に釈放されてしまった。

「俺がやらなかったら、トリコがやってただろう」

 フリッツは言った。

「まぁ、私だったら、本当に殺してたかもな」

 トリコはうなずいた。

 フリッツが先に手を出さなかったら、きっとそうしていただろう。

「邪魔をして悪かったな」

 フリッツは言った。

 トリコは、しばらく黙ってから、首を横に振った。

「いや、これで良かったんだと思う」

 二人は、しばらく無言で、警察署前の歩道を歩いた。

 そのまま、真っ直ぐ横断歩道のある方へ向かいかけたフリッツの腕を、トリコが掴んで止めた。

「車で来てるんだ。由樹も乗ってる」

 駐車場を見ると、憶えのある古そうな軽四が停まって、窓から退屈そうな由樹が顔を出していた。

「母ちゃん、おそい」

「文句はこいつに言え」

 トリコは、フリッツを前に突き出した。

「フリッツ、ケーサツでカツ丼食べた?」

「ああ、冷めててまずかった」

「病院のごはんも、美味しくなくて」

 トリコも、愚痴を言い始めた。

「これから何か、うまい物食いに行こう」

 入院していたのは二日のくせに、長期療養していた人みたいな事を言い始めた。

「やったー、ラーメン?」

 由樹は、はしゃぎ始めた。

「もっといい物思いつけよ。悲しくなるから」

 三人で車に乗って、警察署の駐車場を出た。

「避難先はどうだった。一人で平気だったか」

 フリッツが聞くと、由樹はケータイを取り出して写真を見せ始めた。

「すっごい楽しかったよ。海で遊んで、ばあちゃんがお菓子作ってくれた」

 見せられた写真は、いったいどこの国なのか見当の付かない、南国風の海辺で、アイドルみたいな美少年と、可愛らしい女の子が、由樹と一緒に映っていた。

 上品な感じの老婦人と、人間バージョンのジョン太が、五、六十年老けた様な老人が、子供達と一緒にガーデンテーブルで寛いでいる写真もある。

 災害の避難というより、老夫婦がひ孫とリゾートを楽しんでいる雰囲気だ。

 うわぁ、改めて見ると、うちの子育ち悪そう…と、トリコは内心思った。

 あまり見ていても運転に支障が出るので、深く考えるのはやめて、ハンドルを切った。

「でも、やっぱりうちが、一番だな」

 由樹は言った。

「それ、年寄りのセリフだぞ」

 トリコは言ってから、さて、何を食べようかなと考え始めた。


 魔界から戻って数日は、今まで経験した事もないくらい、のんびりと過ごした。

 コンビニ以外のバイトが、全部潰れてしまったのだ。

 慌てて臨時のバイトを突っ込もうとするのを、有坂に止められた。

「こんな時くらい、ゆっくり休んで」

「そう言われても…」

 今回の仕事で、そこそこの収入はあるだろうが、菟津吹の暴走っぷりを思い返すと、都会でステキな新生活が始められる報酬は、期待出来そうにない。

 あいつ絶対、上司に話なんか通してないな…と想像出来た。

 本人に悪気はないんだろうが。

「お願いだから」

 お願いされると弱い。

 普段の経験で、この程度は貰えるというのは大体分かるので、素直に言う事を聞く事にした。

 医療控除も外されてしまったし、倒れたらおしまいだ。

 地震以来、拾ったテレビはいよいよ映らなくなって来たので、ケータイと有坂のパソコンでニュースを見ながら、四日間だらだらと過ごした。

 魔界での事後処理は、けっこう大変なはずだが、呼び出される事は無かった。

 まだ、寝込んでいると思われているのかも知れないし、後は民間の仕事ではないので、会社自体が手を引いているのかも知れない。

 一度、電話で事情を聞かれた程度だった。

 休んでみると、本当に疲れていたのが分かったので、素直に休養を取る事にした。

 客観的に見てくれる人が隣に居るのは、本当にありがたいなと思った。

 二人で、色々な話をした。

 たわいもない日常の事や、もっと昔の事や。

 お互い、どういう経緯で剣道を始めたのかとか、今まで話した事のない話題も出た。

 そうして、昔の話になったので、もう隠さないで、今までの事を話した。

 R13の事故は、本当はテロ事件で、自分は被害者だった事や、事件の後遺症で精神疾患を患って、治療の為に地球に来た事や、自分の病気のせいで、叔父さんの生活が無茶苦茶になって、今に至った事や。

 有坂は引かないで全部聞いてくれた。

 大変だったねと言ってくれた。

 そうして最後に、どうしても話せなかった事が、二つだけ残った。

 自分の病気が、解離性同一性障害…俗に言う多重人格だった事と、テロリストにレイプされた事。

 全部話してしまっても、有坂は自分の事を嫌いになったりしないと、もう分かっていた。

 それでも、一度に何もかも吐き出してしまう事は、どうしても出来なかった。

 いずれ、ちゃんと話せる様になるだろう。きっと。

「私も、あれから色々考えたの」

 しばらく、二人で肩を寄せ合って、ぼんやり座って、ニュースサイトの動画を見ていた。

 魔界との境界は、ずいぶん後退して、沿道の復旧も始まっていた。

 案外早く、世間は元通りになり始めていた。

 囚われていた人達や、地震で被害を受けた人達は、これからも様々な事を抱えて行かなければならない事は、想像出来たが。

 有坂に言われて、少し暗い気持ちになって画面を見ていた鯖丸は、彼女の方を向いた。

 あれからというのが、どれからなのかは、すぐに分かった。

 こんな話を、彼女の方から持ち出されるとは思わなかった。

 時期を見て、もう一度こちらから話そうと思っていた。

「ああ、それは、留学が決まったら、もう一回話し合おうと…」

「いいの、今決める」

 有坂は言った。

 本当に、色々考えたのだろう。

 きっぱりした口調で、きちっと正座して、こちらを見た。

「留学出来たらとか、そんな事言ってたら、逃げ道を作るだけだし、出来るの前提で話します」

「分かった」

 有坂が真剣なので、鯖丸も正座して向かい合った。

「一生懸命勉強して、出来るだけ早く帰って来れる様に努力します。だから、それまで待っててください」

 本当に嬉しい時も、意外と言葉は出なくなるんだなという事が分かった。

 それから、留学期間が二年で、外国での新年度が夏頃からで、有坂が戻って来る頃には、自分も社会人としてある程度余裕が出来ていて、彼女が目指している職業に就くのに有利な首都圏に近い場所で生活しているという、抜け目のない計算を、こんな時に一瞬でしてしまった事に、ちょっと落ち込んだ。

 平均寿命で云うと、百年近い年月、一緒に居る事になるのだから、その程度の事は考えなければ、この先やって行けないだろうけど…。

 そこまで先の事は、考える事は出来ても想像は付かなかった。

 思い描けるのは、せいぜい十年くらい先だ。

 一人か二人子供が居て、お互いの仕事や生活を尊重しながら、幸せに暮らしている。

 自分の両親が、そうだった様に。

「あの…やっぱりダメですか」

 返事が無かったので聞き返されて、ちょっとうろたえた。

「いや…全然。ええと、こんな時何て言ったらいいんだっけ」

 しばらくうろたえてから、深呼吸して考えをまとめた。

「ふつつか者ですが、これからもよろしくお願いします」

「こちらこそ、至りませんが、末永くお付き合いください」

 二人で頭を下げてから顔を上げ、目が合ってから吹き出した。

「これは無い。無いよな、さすがに」

「何これ、おかしい」

 二人でひとしきり笑ったあと、有坂はきりっとこちらを見た。

「浮気はしないでね。絶対」

「おう、もちろんだとも」

 絶対無理と内心思いながら、安請け合いした。

「浮気したら、千切るから」

「何処を!?」

 聞き返しながら、絶対そこしかないと思われる場所を、押さえてしまった。


 地方都市の空港は、小規模なのに思いの外賑わっていた。

 さっさと帰って来いと怒られたフリッツは、小さな空港の待合室に居た。

 これから首都圏に移動して、国際線に乗るのだ。

 見送りに来たトリコは、どういう経緯でそう言う物を欲しがっているのか、全く分からない『大正安全蚊取り』を差し出した。

 夏場なので、入手には困らない。

「これこれ」

 嬉しそうに、蚊取り線香と一緒に、旅行鞄に突っ込んでいる。

「足りなくなったら、送ってくれよ」

「いいけど…」

 捕まっていて、蚊取り線香大活躍の経緯を知らないトリコは、怪訝な顔をした。

「お前は、良く分からないな」

「トリコよりは、だいぶ分かりやすい」

 反論された。

 そうかも知れないけど、実は未だにフリッツの事が分からない。

「お前、私の外見が好きな訳じゃないよな」

 フリッツと出会ってからこっち、外界での見た目は、かなり変化している。

 中学生くらいの子供から大人まで、普通に考えればかなり引く様な変化をして来ているのだ。

 それに、外界での変化を差し引いても、特に好かれる要素は理解出来ない。

「最初に」

 フリッツは言った。

「最初に会った時、目を反らさなかった」

 もう、あまり憶えていなかった。

 生意気そうな若造が居て、睨んだだけだった。

 たったそれだけの事だ。

「俺みたいなハイブリットを見た奴は、皆、気の毒がって、目を反らすんだ」

 生粋のハイブリットだという事にプライドを持っているフリッツが、そんな事を気にしているとは、今まで思ってもみなかった。

「お前が気の毒な人だなんて、気が付かなかったな」

「この先もずっと、気が付かないでいてくれる気がしたんだ」

 フリッツはそう言って、ちょっと笑った。


 意外に早く、普段通りの生活が戻って来た。

 浅間はおそらく、希代の魔法犯罪者として裁かれる事になるだろう。

 ニュースの映像には、頻繁に彼の姿が流れていた。

 そこそこ男前で、やつれた様子で連行される姿が受けたのか、一部の特殊な嗜好の女子には、大変人気があるそうだ。

 まぁ、あれだけの事をしたのだから、当分出て来られないだろうが。

 サキュバスは、殿の城から消えたまま、行方不明になっていた。

 戒能氏からは、いつも通り依頼が入ったが、四国の魔界では見つけ出す事が出来なかった。

 望み通り、関西魔界に逃げたのだろうか…彼女の行方は、分からないままになった。


 九月に入ってから、もう一度叔父さんに会った。

 同じ公園の同じ場所で、セミは相変わらず鳴いていたが、以前の様な勢いは無くなっていた。

 地震のせいでスケジュールがだいぶ押してしまったので、結局夏休みは返上で研究室に詰めていたのだが、だいぶ遅れは取り戻したので、ここしばらくは、普通に家に帰れる様になっていた。

 今日は、これから有坂の実家で晩ご飯をご馳走になって、泊まる予定になっていた。

 これから先の事を、色々話し合わなければいけない。

 有坂パパのご期待に添えず、留学を止められないどころか、止めようとすらしなかったのに、どの面さげて娘さんをくださいとか言えばいいかな…と、めずらしく弱気になって、公園のベンチで黄昏れていた。

「大丈夫だ。いざとなったらこの、可愛い笑顔でお母さんを味方に付けて、説得してもらおう。頑張れ、俺」

 客観的に、公園で独り言を言っている不審者である。

 土手の上を帰って行く中学生の集団が、変な物を見る目で、こちらを見た。

 まだ明るい時間帯とはいえ、授業が終わるのはもっと早いはずだから、部活の帰りなのだろう。

「先生、変な人が居る」

「こら、指さすんじゃない」

 自転車を押して一緒に歩いていた男が、立ち止まってこちらを見た。

 それから、君らは先に帰りなさいと言って、公園に降りて来た。

「あ、叔父さん」

「やっぱり玲司か」

 叔父さんは、ベンチの横で自転車を駐めた。

「随分こざっぱりしていて、分からなかったよ」

 あれから散髪もしたし、有坂の実家に泊まるので、ユニクロのワゴンセールで買ったとは云え、そこそこ普通の格好をしていた。

 まぁ、いつものジャージとよれよれのTシャツは、寝間着代わりに着ようと思って、ディバッグに突っ込んであるのだが。

「まぁ、色々あって」

 鯖丸は、適当に答えた。

 自分が普通に見える格好をしていて、叔父さんがほっとしている様子なので、それはそれで良かったと思った。

「お前、今、どうしてるんだ。仕事は何やってる?」

 この人には、色々迷惑をかけたし、昔父親とも色々あったと聞いている。

 それでも、心配はしてくれていたんだなと思った。

「まだ学生なんだ。就職先は、一応決まってる」

「そうか」

 叔父さんは、何か色々言いたい事はある様子だったが、黙ってしまった。

 こちらからも、話したい事はあったが、急には言葉が出て来なかった。

 代わりに、ポケットからケータイを出した。

「一応、今の番号とアドレス、報せとくよ。前のはもう、使えなくなってるから」

 魔法使いのバイトを始める前に、料金が払えなくて止められていたケータイは、そのまま番号を捨てて新しい物に変えていた。

 最初のアパートも、家賃が払えなくてその頃追い出されたので、良く考えたら自分は、四年以上行方不明だった事になる。

 我ながら、これはちょっとひどいなと思った。

 急いで、自転車の籠に入った鞄から、携帯を取り出している叔父さんに言った。

「あの、今まで色々迷惑かけて、済みませんでした」

 こんな事を素直に言える様になるとは、あの頃は想像も出来なかった。

「いや、こちらこそ、済まなかった」

 叔父さんは言った。

 あまりケータイを使わないタイプなのか、通信機能を呼び出すのに手間取っている。

「時々でいいから、連絡してくれるか」

「はい」

 番号とアドレスの交換だけして、二人はその場で別れた。


 次に魔界に入ったのは、九月も半ばを過ぎてからだった。

 都会でステキな新生活…とまではいかなくても、そこそこ報酬には色を付けてくれていたが、そろそろ仕事が入らないかなと期待していた所だった。

 ウワサでは、勝手な行動を繰り返したせいで、菟津吹はだいぶ絞られたらしい。

 元々暴走しがちなタイプなので、あまり堪えていないというのも、聞いていた。

 旧戒能邸で、蒲生組の組事務所にされていた屋敷に、不審者が入り込んで住み着いているので、追い出して欲しいという、すぐに終わりそうな簡単な仕事だった。

 一人でもやれる様な仕事だったが、丁度ジョン太のスケジュールも空いていたので、久し振りに二人で魔界に入った。

 ジョン太は見た目が怖いので、こういう仕事を穏便に片付けるには最適だ。

 自分も、外見でダメ押しをかけようと思って、最初から鬼丸に変身して現場に向かった。

「お前、それはないわ」

 ジョン太は言った。

 変身はともかく、足下はぼろぼろになった少林サッカーの靴で、更に、この間魔界から出る時適当に拾って着て帰った、田舎の用品店で売っている様なおっさん臭い半袖シャツと、全くバランスの取れてない、若者っぽいローライズのジーンズという、何を考えているのか全く分からない格好だ。

 まぁ、何も考えていないからこうなったのだが。

「ちゃんと洗濯したんだけど」

 一応、言い訳をした。

「仕事用の服は、無くしちゃったから、これしか無いし」

「お前、ちゃんとした普通の服とスニーカー、持ってただろう。あれ、着て来いよ」

 ジョン太は注意した。

「断る。あれはよそ行きだ」

 ユニクロの服がよそ行きだなんて、可愛そうな子…と、ジョン太は涙ぐんだ。

「そういうジーンズ履くなら、せめてパンツもローライズにしろよ。見えてるぞ」

「腹が冷えるから、嫌だ」

 鯖丸は言い切った。

「腹巻き巻いてるおっさんに、注意される謂われはないね」

「若い頃くらい、見栄を張れよ」

 ジョン太は、ため息をついて、車を止めた。

 旧戒能邸には、まだ、蒲生組の看板がかかっていたが、門の中はざわざわしていて、多数の人間が入り込んでいるのが分かった。

「地震で家が無くなった人が、無断で住んでるだけじゃないの。追い出していいのかな」

 車のバックミラーで、変身した顔を確認してから「うーん、この辺もうちょっと怖くしとくか…」と、髪の毛をばさばさにしながら、鯖丸は聞いた。

「仕事だからしょうがねぇだろ」

 ジョン太は、一応銃を抜いた。

「行くぞ」

 鯖丸は、慌てて後に続いた。

 ジョン太は、門を蹴り開けた。

「オラオラ、怖い人達が来ちゃったよ〜」

 変な脅し文句と一緒に、屋敷内に踏み込んだ。

「ちゃっちゃと出て行かねーと、鼻フックで放り出すぞ、てめーら」

 脅し文句かどうかすら、微妙に怪しいセリフを吐いてから、鯖丸はちらりと東の空を見上げた。

 そこにあった殿の城は、もう、跡形もなく消えていた。

 むき出しになった山肌には、少しずつ、青い草が生え始めていた。

 ジョン太は、こちらを見た。

 刀は抜かなくていいぞ…と、小声で言った。

 いつの間にか、自分も銃を仕舞っている。

「なるべく、悪役っぽくな」

「分かった」

 建物の中からこちらを伺っているのは、どうやら本当に、無断で住んでいる一般人ばかりの様子だった。

 子供や年寄りも多い。

 外界の避難所へ行くより、住み慣れた魔界に残りたかったんだろうな…というのは分かった。

 でもまぁ、こっちも仕事だ。

 鬼の姿のままで、思い切り悪い顔でにやーと笑った。

「さぁて、出て行かない悪い子は、どこに居るのかなー」

 子供が泣き出した。

 何人かは、慌てて逃げ始めた。

「お前それ、なまはげ的な何かが混ざってるぞ」

「いいじゃん、怖がられれば別に」

 もう一度、空を見上げた。

 そこに、まだ城がある状態を思い描こうとしている事に気が付いて、苦笑した。

「こんな天気のいい日に、気の毒な人らを追い回して、何やってんだろうね、俺ら」

「言うな。我に返ったら負けだぞ」

 二人は、穏便に、しかし出来る限り怖い感じで、屋敷の中に乗り込んで行った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ