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三話・魔界大決戦 vol.5

 なぜ、この女が付いて来る…と、フリッツはげんなりしながら考えた。

 単独行動に慣れているとはいえ、一応軍人なので、チームで行動出来ない訳ではない。

 相手が同じ軍人ならだ。

 こんな、訳の分からないヤンキーは、守備範囲に入っていない。

「皆と一緒に、上へ行かなくていいんですか」

 一応聞いてみた、

「私は本名を知られてるからな。後方を担当した方がいい」

 所長は言った。

「後はまぁ、サキュバス対策かな」

 サキュバスに捕まった時の感触を思い出したのか、フリッツはちょっと嫌な顔をした。

「向こう側から少し下ると、牢があるらしい。行ってみよう」

 城の構造については、ある程度知っている者が同行するのは、心強い。

 素直に付いて行くと、登って来た通路の反対側に、下りの狭い通路があった。

 今の所、敵も影も出て来ない。

 少し下ると、木の扉があって、その向こうには、何か嫌な匂いが漂っていた。

 排泄物と、気力を無くして弱り切った人間の体臭と。

 奥は暗かったが、魔法をチャージして灯せる明かりがあったので、指先で触った。

 扉の先には、石で出来た床と壁が続いていて、通路の片側は、いかにも牢屋ですという感じの、ステレオタイプの牢になっていた。

 この造形は、おそらく殿のセンスだ。

 牢にも、あの管が上から垂れ下がっていた。

 牢の素材には馴染まないので、ただ配線コードのように上から降りて来て、その場でとぐろを巻いているだけだが、その先には、人が繋がっていた。

 うつろな目をした、衰弱した人間が数人、管に繋がれて魔力を吸われている。

「少ない」

 所長は言った。

 吸い上げた魔力を使っているのは、天地だけではないはずだ。

 あれだけの事をした浅間が、こんな数人の魔力で、足りているはずがない。

 おまけに、あれが起こってから四日目だ。

 いつから魔力を吸われているのか知らないが、こんな使い捨て状態で魔力を吸い上げていたら、数日と持たないだろう。

「ここは、要らない連中が繋がれてるだけだな。無駄足だ」

 所長は、周囲を見回して言った。

「待て」

 フリッツは、空気の匂いをかいでから、奥へ向かって走った。

 一番奥の牢に、トリコが居た。

 意識があるのか無いのか、ぐったりと壁にもたれて、身じろぎもしない。

 首の後ろには、皆と同じ様に、管が繋がっていた。

「トリコ!!」

 声をかけると、ゆっくり目を開いた。

「ああ、フリッツか。意外と早かったな」

 力ない声だった。

 相当に消耗しているのが分かる。

 どうやって閉じ込めたのか、牢には鍵も扉も無かった。

「待ってろ、今出してやるから」

 太い鉄格子に取り付いて力を込めた。

 熊でも閉じ込めておける様な鉄格子が、しばらくするとぐにゃりと曲がった。

 牢に飛び込んだフリッツは、トリコを抱き起こした。体が冷たい。

 こうしている間にも、魔力が吸い出されているのが分かった。

 首に繋がった管を引っ張ったが、それはがっちりと肉に食い込んでいた。

 下手に引き剥がすと、場所が場所だけに、命に関わる。

 しばらく考えてから、決心した。

「これ、切り取るけど、いいか?」

 トリコがうなずいたので、ナイフを抜いた。

 めん吉の所で念入りに磨いだナイフは、戦闘用ハイブリットの腕力とスピードも相まって、子供の腕程もある管をすぱりと切断した。

 切り口から、気味の悪い白濁した粘液が噴き出したが、幸い感覚までは接続されていなかったらしく、トリコ本人は痛くも痒くもない様子だ。

「ここから出るぞ。立てるか?」

 トリコはうなずいて立ち上がろうとしたが、その場に崩れる様にして倒れてしまった。

 魔力を吸われると、体力も奪われてしまうのだろう。

 限界まで魔法を使うと、確かに肉体的にも精神的にもきつい状態になる。

 抱きかかえて牢を出ようとすると、トリコが言った。

「水…」

 一日やそこら飲まず食わずでも、人間特に命に別状はないが、夏の盛りに水くらいは飲んでいないと辛い。

 魔力を吸われて衰弱している状態では、尚更だ。

 パックに入った少量の水は持っていた。行動食の代わりにもなるけっこう高カロリーのハイポトニック飲料だ。

 封を切って渡してから、周囲を見回した。

 管は、内側からではなく、高い位置にある窓から入り込んでいた。

 特に見張りは居ないが、こんな風に管を切ってしまった事は、どこかで把握されていると考えた方がいい。

「逃げるぞ」

 抱き上げようとすると、トリコは首を振った。

「まだだ。浅間を捕まえる」

 弱ってはいるが、断固とした口調だった。そんな様子では無理だと言おうとしたが、放っておけば一人で行きかねない。

「分かった、ちょっと待て」

 トリコを床に座らせたフリッツは、屈み込んで頬に両手を当て上を向かせた。

 そのまま唇を重ねた。

 こんな時に何やってるんだ…と思う間に、魔力が逆流して来た。

 吸い取られていた力が、補充されるのが分かる。

 トリコは、必死で抵抗してフリッツの腕を振り解こうとした。

 ただでさえ弱っているのに、戦闘用ハイブリット相手に、そんな事が出来る訳がない。

 それでも、抵抗するくらいには回復している。

「やめろ」

 やっと手を離したフリッツに、トリコは言った。

「こんな事したら、どうなると思ってるんだ」

「大丈夫だ。限界は分かっている」

 フリッツは、普通に立ち上がって、こちらに手を伸ばした。

 ランクSの自分相手に魔力を逆流させると云うのは、小さい器から大きい器に向かって水を注ぎ込む様な物だ。

「お前、やってる事が無茶苦茶だぞ」

 手を引かれて、トリコはどうにか立ち上がった。

「どっちがだ」

 普段のフリッツなら、有無を言わせず自分を抱き上げて連れて行くはずだ。

 絶対弱ってるくせに、何で平気な顔を通そうとするんだ、こいつは。

「お前のやりたい事は分かった」

 フリッツは言った。

 魔界で、簡易接続に近い事をしてしまったのだ。お互いの考えは、ほぼ筒抜けになってしまう。

「止めないんだな」

 トリコは、フリッツを見上げた。

 自分がどれ程大事に想われているか、今の接触で直接分かってしまった。

 それに、まだ海斗の事を重たく引きずっているのも、知られてしまったはずだ。

 なのにこいつは、望めばどんな事でもしてくれるだろう。

 たとえば…。

「ここを出るぞ。気付かれた」

 所長の声がした。

 フリッツに支えられて牢から廊下へ出た。

 幾つかある牢には、ぐったりと横たわる数人の男女が居た。

 太い鉄格子は物質操作でねじ曲げられ、首に付いた管は切り取られていた。

 いくらか回復魔法はかけられた様子だが、怪我と違って疲労や衰弱を短時間で回復するのは困難だ。

 とりあえず生命の危険はない程度に回復させて、このまま置いて行くつもりらしい。

 切り取られた管は、うねうねとうごめいていたが、もう一度犠牲者に接続し直すのは無理なのか、やがて窓の外へ引いて行った。

 扉の向こうで、ばさばさと物がぶつかる嫌な音がした。

 影だ。

 そして、人の足音が一つ、混じっている。

 所長は、すらりと刀を抜いた。

「来るぞ」

 フリッツはうなずいた。

 着ていたTシャツを脱いでナイフで切り裂いてから、トリコに背中を向けて屈んだ。

 トリコは、素直に黒い毛皮に被われた背中に体を預けた。

 ヒモ状になったTシャツで、きっちり括り付けられている時に、牢の外へ続く木の扉が開いた。

 所長が前に出て、体制を整えるまでの時間を稼いだ。

 痩せぎすでひょろりと長い男が、影を従え扉をくぐって現れた。

「突破するぞ。付いて来れるな」

 誰に向かって言っているんだと思ったが、この狂犬みたいな女が魔界でどれ程強いか分かったので、うなずいた。

「捉まってろ。落ちるなよ」

 トリコは無言で、フリッツの首にしがみついた。


 ジョン太は、殿と一緒に廊下を走っていた。

 精巧に作られているとご自慢の殿の体は、全体的に色々問題がある様子だった。

 運動能力はトリコといい勝負だし、五感も普通の人間より少し鈍い様だ。

 魔法で補強出来るのでそれ程問題でもないが、体の作りもやわに見える。

 殿は一体、何が目的でこの体を使っているのだろう…と、殿のスピードに合わせて走りながら、ジョン太は考えた。

 魔力だって、前の体の方が高い感じだが。

「君は…」

 後ろを付いて来ながら、殿が言った。

 床から少し浮いて、空中を飛ぶ様に走っているので、足音はしない。

 筋力を使って走っているのではないらしく、息も切れてはいない。

「中々いい魔法使いになったね」

「その件に関しては、あんまり触れられたくないんだが」

 鯖丸にオカマ掘られたのが、未だにトラウマになっているのだった。

「君達には、色々関わらせてしまった。済まないとは思っているのだよ」

「やめろよ、そういう死亡フラグを自分で立てるの」

 何だか嫌な予感がしたので言った。

「いや…吾輩は君らの表現では何と言ったかな…年寄りだが、当分消滅する予定は無い」

 今までにも何度か、殿は自分の事を老人だと言っていた。

 本体を見た事が無いし、そもそも異界人の本体を見たからと云って、外見で何かを判断出来る気もしない。

 どうせ年寄りとか言っても、自称二千才の異界人の事だから、今後も俺の何倍も長生きするに決まっているし。

 広間への階段を上がる手前の踊り場が近付いていた。

 今の所行く手を塞ぐ物は無いが、踊り場に大量の気配が感じられた。

 有無を言わせず突破する事は出来る。

 戦闘用ハイブリットの利点は、魔界でも外界でもスピードだ。

 しかし、速さに任せて突破してしまえば、確実に後から追って来るだろう。

 どういう状態で待ち受けているかも分からない浅間の所へ、追っ手を引き連れて行くのは得策ではない。

 鯖丸が居れば食い止めてくれるのに…と考えた。

 いや…捕まってる奴を当てにしてどうする。

 サキュバスに操られて、敵方に回らなければ、それだけで御の字だ。

 あれが敵に回ったらお終いだ。

 可能性は高かったが、何となくあいつはそうならないだろうし、ヤバイ時には加勢して来る様な気がした。

 あっさり掠われて良い様にされる奴じゃない。

「ここで少し時間を稼ごう」

 ジョン太は、後ろから走って来る殿を止めた。

 ハイブリットの聴覚には、別の通路から近付いて来るるりかと菟津吹の足音が聞こえていた。

 あいつらに後衛を固めてもらってから、上へ行こう。

 新人のるりかにそこまでさせるのは酷かも知れないが、能力的には可能だ。

 菟津吹がサポートしてくれるだろうし。

 二人の足音が近付いて来るタイミングを見計らいながら、ジョン太は物陰で息を潜めた。


 るりかと菟津吹は、特に何の妨害にも遭わず踊り場まで来ていた。

 広い踊り場は薄暗く、板張りの空間を何本かの柱が支えていた。

 その一番奥に階段がある。

 踊り場から広間まで続く、大きく長い階段だ。

 池田屋階段落ちで、ヤスが「銀ちゃ〜ん」と叫んで転げ落ちて来そうな階段だ。

 銀ちゃんが受け…と、るりかは一瞬雑念を入れた。

 階段の前には、四人の男が居た。

 薄暗いので定かではないが、風体はヤクザ風だ。

 暗い天井近くには、黒いもやが漂っていた。影だ。

「こちらに気が付いているはずなのに、来ませんね」

 角から少し覗いて、菟津吹が言った。

「階段を守れればいいんでしょうね」

 るりかは、魔法のステッキを構えた。

 ファンシーな外観だが、実際は特殊警棒とスタンガンを融合させた凶悪な護身具だ。

 これを使えば、物質操作系の自分でも、電撃を繰り出せる。

 他にも、カセットボンベのガスバーナーと融合させて、火炎攻撃をする事も可能だった。

「階段の向こうまでは、行けないんですか」

 菟津吹の瞬間移動能力は、かなり高いと聞いていたので、尋ねた。

「行った事のない場所へは、無理です」

 菟津吹は答えた。

「たとえば、目視で確認出来る場所なんかは?ここから見える階段の最上部とか」

「それは可能ですね。でも、ここは暗いからイメージが固まりません。せめてもう少し明るければいいんですけど」

 瞬間移動の転移事故はシャレにならない。リアルに『壁の中に居る』状態になってしまったら、最悪生命に関わる。

「じゃあ、明るくしましょうか」

 るりかは、魔法のステッキを逆さにして、柄の底から何かをずるりと引っ張り出した。

 それは、取り出されると絶対柄の直径より大きいスタンガンに姿を変えた。

 スカートのひらひらの中にそれを突っ込んだるりかは、代わりに懐中電灯を取り出した、

 懐中電灯は、がしゃりとステッキの中に押し込まれた。

「融合、ミラクルフラッシュ」

 魔法少女は、にやりと笑った。

「説明しよう。ミラクルフラッシュとは、強烈な光で敵の目を潰す必殺技である」

「潰すな」

 菟津吹はうなった。

「出力は加減しますよぅ」

 見た目だけは可愛いふくれっ面で反論したるりかは、ふと、広間の反対側を見た。

 こちらと同じ様な、下から続いている通路の出口がある。

 少し奥に、殿とジョン太が居た。

 ジョン太にはこちらの会話がまるまる聞こえていたらしい。

 両手をかざして×印を作り、絶対そんな事するなという表情で睨んでいる。

 うなずいてしばらく待っていると、複雑な通路のどこをどう通り抜けたのか、後ろからジョン太と殿が来た。

「あんまり冷や冷やさせんでくれ。おっちゃん、本当は気が弱いのよ」

 ジョン太は文句を言った。

「でも、正面から突っ込むよりは良いんじゃないですか」

 るりかは言った。

「そうだけど、打ち合わせもしない内から、がんがん突っ込むのはやめてくれ」

 るりかのコマンドは、基本的にガンガン行こうぜ一択なのだが、あまり一緒に組む事の無かったジョン太は知らない。

「どうやら、こいつが居ないと」

 ジョン太は、殿の後ろ頭をかるく小突いた。とうとうこいつ扱いだ。

「魔方陣は解除出来ないみたいだから、これを上へ連れて行くの最優先な」

「お宅の所長と猫っぽい人は、待ってなくていいんですか」

 菟津吹が聞いた。

 フリッツは、トリコを救出したらさっさと帰ってしまいそうな気がした。

 しかし、トリコ本人は絶対帰るとは言わないだろう。

 トリコがどういう状態で救出されるかで、フリッツが戦力に加わるかどうかが決まる。

「あいつらは後から来る」

 ジョン太は言った。

 最悪、所長だけは来てくれるはずだ。

「るりかの作戦通り、先ず階段の上まで移動だ。それから…」

 少しためらって、続けた。

「二人であいつらを食い止めてくれ。俺は殿を連れて上へ行く」

「分かりました」

 るりかは、二つ返事だった。

「あいつら全部片付けて、すぐに後から行きますから」

 中々の男前発言だ。

 軽く暴走癖のある菟津吹も、特に反論しないでうなずいた。

 るりかって、あと十年もしない内に、所長みたいになってしまうかもな…とジョン太の心に一抹の不安が残った。


 痩せぎすの男も、魔力を補充されている様子だった。

 どうにか牢から脱出した所長、フリッツ、トリコの三人は、追って来る影と男から逃げていた。

 影を閉じ込め終わった所長は、刀を抜いていた。

 上半身裸で、短い刃物を持った男は、ゆらゆらした変な動きで、いつの間にか三人の行く手を塞いでいる。

 蛇の様な動作だ。

 体中に彫られた入れ墨が、更に不気味な感じを演出している。

 一見まともだったアロハシャツと違って、元々イカレていたタイプなのだろう。

「食い止める、先に行け」

 所長が、見事なチンピラ剣法で男に斬りかかった。

 男は、ぐにゃりと奇妙な動作で避けた。

 そのまま横合いから背後に回り込もうとした所へ、顔面にヤクザキックが炸裂。

 体勢を崩した男めがけて、床と天井から無数の柱が高速で襲いかかった。

「後ろだ!!逃げられた」

 フリッツが叫んだ。

 所長が出した柱に潰される前に、男が奇妙な動作で床上すれすれを這う様に逃げるのが、辛うじて見えていた。

 おかしい。

 いくら魔界でも、戦闘用ハイブリットの自分に見えない程の速さで、人間が動けるだろうか。

「光学迷彩だ。真後ろに居るぞ」

 所長が、無茶な体勢から刀を振り回した。

 何かが吹っ飛ぶ気配はあったが、それもあっという間にかき消えた。

「消えたままこんなに動き回れる奴は、初めて見るな」

 所長は、ちょっと無理をしたのか、顔をしかめて肩をぐりぐり回した。

「気配まで消しても、お前なら音と匂いで場所は分かるだろう」

 こいつの扱いは、魔法を使えなかった頃のジョン太と似た様な感じでいいな…と所長は考えた。

 昔コンビを組んでいたので、それ程戸惑わない。

「指示を出せ。奴は今どこだ」

「それが」

 フリッツが言った。

「音も匂いもない。完全に消えている」

 もちろん魔法だろう。

 最初は、大阪本部のサリーちゃんが使う様な、ステルス能力だったはずだ。

 それが、魔力を補充されて、完全に存在を消す能力に変わっている。

 攻撃は、思ってもいない場所から来た。

 鋭い刃物の様な固まりが、斜め後ろからいきなり無数に襲いかかった。

 所長の腕を掴み、人間が壊れないぎりぎりのスピードで引っ張った。

 氷で出来た刃が壁に当たって跳ね返った時には、消えた男はもう、攻撃を仕掛けてきた場所には居なかった。

 フリッツは、集中して周囲を探った。

 眉と口元にある触毛が、緊張してぴんと立った。

 ごく短いが、純血のハイブリットにはたまに残っている器官だ。

 空気の流れと振動が、微かに感じられた。

 指示を出せる程の確信は無かったので、自分で魔法を使った。

 指先から放たれた電撃が、右手の壁に当たってはじけた。

 とっさに障壁を張った男の姿が、一瞬丸見えになった。

「そこかぁ!!」

 所長が刀を振り下ろし、壁ごと男をぶちのめした。

 崩れた壁の中に、ひょろりとした半裸の男が転がった。

 更にみぞおちに蹴りを入れて、とどめを刺してから、所長は刀を鞘に収めた。

「よし、そこそこ使えるな」

 そこそこって、あんた…。

 さすがに、トリコと鯖丸とジョン太を、いいように使い回している奴の評価というか、何と言うか。

「行くぞ」

 入れ墨の男が完全に意識を失ったのを確認してから、所長は先に立って歩き出した。

 ずっと大人しくしていたトリコが、首に回していた腕にぎゅっと力を込めて言った。

「意外と魔法も使えるんだな」

 一緒に組んで魔界に入った事もあったが、宇宙空間のマイナーコロニーだったので、雷撃系の魔法で電気系統を破壊するのが怖くて、魔法はほとんど使わなかった。

 無差別麻痺攻撃の特殊能力を、一度使って見せたくらいだ。

 少し回復して来ているトリコが手出ししなかったという事は、黙って見ていられる程度には魔法使いとして認められたという事だ。

 何だか無性に嬉しかったが、照れくさいのでそっけなく返した。

「この程度で褒めるな」

 ツンデレを完全に廃業した訳ではないのだった。


 るりかと菟津吹は、階段の最上部で追っ手を食い止めていた。

 蒲生組の構成員は、波状攻撃を仕掛けて来る。

 階段の最上部という、地形的に有利な場所に陣取って、とにかく倒さないまでも食い止めるという条件でも、二人だと厳しい状況だ。

 融合させる道具で、次々攻撃属性をチェンジ出来るるりかの能力と、防御系と攻撃補助に優れた菟津吹のコンビで、辛うじて強化された魔法使い四人を足止めしていた。

 まずいな…と菟津吹は思った。

 能力は高いが、この魔法少女は見たところ経験が浅い。

 どうせプレイヤー出身だろうが、ここまで能力が高いと、相手に手こずった経験は無いはずだ。

 長期戦には持ち込めない。

「一気に片を付けようと思うけど、いい?」

「いいですね、それ」

 るりかはうなずいた。

 疲れて来ているのが分かる。

「あいつらを一カ所にまとめる。後は二人でフルボッコだ」

「どうやって?」

「見ていて」

 攻撃の手を止めると、四人は階段を登って来た。

 目的は、二人を仕留める事ではなく、上へ行ってしまった殿とジョン太を食い止める事だというのが分かった。

 四人が階段を七割以上登り切った所で、菟津吹は床に両手を置き、魔力を通した。

「行けぇ、必殺階段落ち」

 ぱかんと音を立てて、階段がフラットな傾斜に変わった。

「ヤスー!!」

 るりかはノリで叫んだ。

 古いお笑い芸人のコント状態で、四人のヤクザは階段を滑り落ちた。

 踊り場に落ち切った所へ、二人の魔法攻撃が襲った。

 床に、ぽかりと穴が開いた。

 悲鳴を上げて落ち始めた四人の上に、周囲の床と壁と、とにかく固形の物質が追い打ちをかける様に降り注いだ。

「埋まれ。クソ野郎どもが」

 菟津吹が捨てゼリフを吐いた。

 とうとう、本性が表面化して来ました。

「じゃあ、次はあれを何とかしましょう」

 るりかは、天井近くにうごめく影を指さした。

 菟津吹はうなずいて身構えた。


 ジョン太は、殿と一緒に最上階向かっていた。

 何だか良く分からない雑魚が、邪魔をして来る。

 全員、操られている人間だというのは、ぶちのめしている間に分かった。

 サキュバスが出て来たらヤバイな…と思った。

「あんたは…」

 そこでやっと思い当たったので、殿に聞いた。

「どうしてサキュバスの魔法が効くんだ」

 サキュバスの魔法は、基本的に男にしか効かない。

 殿はどちらかというと男だが、そもそも異界人に男女の区別はあるのか。

「もちろん、以前の体なら、あの手の魔法は効かない」

 殿は言った。

 殿の、以前の体を思い出した。

 容姿は似ているが、もっと異質で、一目見て人間ではないと分かる体。

「しかし吾輩も、君達の言う分類では雄なので、人に近い体に入ってしまうと、無防備なのだよ」

「何で、そんな体に入ってるんだよ」

 外見が人間に近いというだけで、他の利点は見当たらない。

「それは」

 殿は言った。

「以前の体で長期間城を出ると、消滅してしまう」

「ええぇ、そうなん」

 殿が、城を出てぷらぷらしている所は、確かに以前は見た事が無い。

 出歩いているのは、この体になってからだ。

「城を出るには、この体に入るしか無かったのだよ」

 殿は、何だかあまり言いたくなかった事を、白状している雰囲気だった。

「君達が力の基準をランク付けしている様に、我々の世界にも似た様な単位があるのだよ」

 初耳だった。

 というより、異界のこんな突っ込んだ話を聞ける機会は、一介の魔法使いにはほぼ無いだろう。

「吾輩は、権威ある研究者として、向こうである程度の影響力は持っているが、単純に強さで云えば、君と同等だ」

 それは、決して弱くはない。

 しかし、自分が強いのは、魔力に上乗せされる戦闘用ハイブリットの能力があるからだ。

 単純に魔力だけなら、そこそこ強い魔法使い程度だという事は、分かっていた。

「我が弟子は、まぁ、こちらで云うと鯖丸だな」

「鯖丸が暴れたら、俺は止められるぜ」

 一応言った。

 相打ちになるだろうが、とにかく止める事は出来る。

「君が普通の人間だったら、止められないだろう」

 殿は言った。

 それで、殿が今まで、どういう立ち位置で魔界に居たのか分かった。

 知識と経験はあるが、戦闘用ハイブリットの能力はない自分が、異界で暴走する鯖丸を止める立場。

「色々大変だったんだな、お前も」

「面白い体験だった」

 殿は言い切った。

「しかし、これで終わりにしたい」

 廊下の奥に、階段が見えた。

 ヤスが転げ落ちる様な壮大な階段ではなく、ごく普通の規模の、広間へ続く最後の階段だ。

 投げやりな妨害しか入らなかったのは、この先にとんでもない物が待っているせいだろう。

 サキュバスは確実に居るだろうし、そして今どんな状態で何をしでかすか見当の付かない浅間が居る。

 しかし、周囲は静かで、強大な魔力を漂わせるラスボスみたいな雰囲気は、微塵も感じられなかった。

 ただ、無数の人間が上に居るのだけは分かった。

 半分眠っている様な気配で、時折かすかに意味のないつぶやきが聞こえる。

 ジョン太は、銃を抜いて構えた。

「先ず、サキュバスが居たら速攻で潰す」

 殿の方へ視線をやって、ジョン太は言った。

「それから浅間を押さえる。あんたは魔方陣を解除しろ」

 殿は軽くうなずいた。

 十数メートルの廊下を移動する間、二人の行く手を遮る物は、何も無かった。

 階段を登り、更に廊下を進んだ。

 勝手を知った、見慣れた襖に手をかけ、油断無く身構えながら開いた。


 所長、トリコ、フリッツの三人は、菟津吹とるりかに追い付いていた。

 驚いた事に、二人だけで蒲生組の連中を排除していた。

 上へ向かう途中、天井から床に向かって大穴が開き、蒲生組のヤクザと瓦礫の山が崩落して行った。

 折角なので、追い打ちをかけてフリッツが雷撃魔法を叩き込んだ上から、所長が二度と上がって来れない様に穴を塞いだ。

 踊り場まで出ると、階段の上に居る二人に、影が集っていた。

 木戸を閉め切った向こうで、二人がもめている。

「だからあいつらもやっつけようって言ったんですよぅ」

 るりかの声が聞こえた。菟津吹が反論しているのも聞こえる。

「無駄に戦わない方がいい。あれ、元は掠われた人間なんですよ」

「だってー、もうすぐ戸を破って入って来る」

 非力な影だが、集団で執拗にぶつかって来るせいで、薄い板で出来た引き戸は破れかけていた。

 おまけに、引き戸は上へ持ち上げると外れるという知識を、核になった人間から引き出せたのか、賢い方法で戸板を外そうとしている物まで居る。

「おおい、お前ら無事か」

 所長が声をかけた。

「はぁぃ」

 るりかが答えた。

「オジサンとお殿様は先に行きました。私達はここで追っ手を食い止めろと言われて」

「バカが、何で待ってないんだ」

 所長はつぶやいてから、フリッツを見た。

「あのもやもやを片付けろ。後を追う」

 皆で片付けるではなくて、片付けろなんだ…。

 フリッツはため息をついて、背中に負ぶったトリコを下ろした。

「人使い荒いな、お前ん所の所長」

「まだ、優しい方だよ」

 トリコは、板張りの床の上に立った。

「私はもう大丈夫だ。あれを片付けるのは手伝えないが」

 魔法が効かない影相手には、トリコは無力だ。

「すぐ終わる。そこで見ててくれ」

 フリッツは、両手にナイフを抜いた。

 片刃のナイフを手の中でくるりと返し、ダメージを与えても相手を殺さない様にして、身構えた。

「怪我はさせるが、いいな」

「それくらいは仕方なかろう」

 所長はうなずいた。

 フリッツの姿は。その場からかき消えた。

 走り去った後の風圧で、辛うじてとんでもない高速で移動したのだという事が分かった。

 生粋の戦闘用ハイブリットの上に、猫科のハイブリットは犬科よりも瞬発力が高い。ジョン太を見慣れている所長にも、その姿は見えなかった。

 薄暗い場所で、運動神経が人並み以下のトリコには、何が起こったかすら分からない。

 鋭い風切り音と、影から分離した人間が板張りの床に落ちる音だけが聞こえた。

 確認出来たのは、全てが終わってからだった。

 階段の中程にフリッツが立っていて、二人を手招きした。

「終わったぞ」

 床には、裸の人間が横たわっていた。

 二十人にも満たない。

 最初に襲われた時の、怒濤の様な攻撃を考えると、驚くほど少なかった。

 無限に補充されていると見えた影も、消耗しているのだ。

「よし」

 所長は、階段を登ろうとしたトリコに手を貸した。

「もう大丈夫です」

 トリコは言った。

 魔力が高いので、魔界に居れば回復は早い。

 とは云っても、完全に回復した状態には程遠かった。

「そうか、無理はするなよ」

 所長は、らしくない事を言った。

 それから、フリッツと、引き戸を開けて姿を見せた菟津吹とるりかに言った。

「行くぞ」

 三人はそれぞれにうなずいた。


 襖を開けたジョン太は、その場で一瞬固まった。

 まさか、ここまでひどい事になっているとは、思っていなかった。

 襖を開けたとたん、むわっとした生臭い空気が流れ出して来た。

 漏れ出して来る匂いで、ある程度の覚悟はしていたが、想像の範疇に治まらなかったのだ。

 壁中を被った管に絡みつかれて、生きたまま魔力を吸われている人間達。

 それは、魔力を供給する為の、不気味な肉の温室だった。

 誰一人正気ではないのは、一目見て分かった。

 正気だったら、こんな状態には耐えられないだろう。

 敷き詰められた畳の上に描かれた魔方陣が、薄青く明滅していた。

 その中心に、見覚えのある男が座っていた。

 白いYシャツを着崩して、脇息にもたれている男。

 浅間だ。

 直接会うのはハンニバルの事件以来だった。

 以前は、嫌味で高慢で、身形には気を使う男だったはずなのに、浅間の印象はまるっきり変わっていた。

 穏やかで、少し疲れた様子で、着崩したシャツや乱れた髪の毛には無頓着に思えた。

 ここまでの大事をしでかしておいて、前よりずっとまともな人間に見える。

「思ったより早かったな」

 浅間の視線は、殿に向いていた。

「君と違って、友達は多いのでな」

 殿が、どこまで本気なのか分からない事を言った。

 確かに、生まれつき人間の浅間より、異界人の殿の方が、人間の友達は多そうだったが。

 殿が浅間と話している間に、ジョン太はサキュバスの気配を捜した。

 隠れる場所は、ここが奥の間だった頃の名残で残っている、豪華な屏風だけだ。

 嗅覚は、むせる様な生臭い空気のせいで、役に立たなかった。

 しかし、居るならそこしか無い。

 抜く所も見えない速さで、左手に構えられた短機関銃が弾丸を吐き出した。

 無数の弾丸が、曲線を描きながら屏風の向こうへ吸い込まれる。

 その間も、利き腕は油断無く拳銃を浅間に向けていた。

 あれだけの弾丸を撃ち込んだのに、手応えがなかった。

 狙いを外したとか、サキュバスがそこに居なかったとかではない。

 浅間に全弾を止められたのだ。

「まずい、来るぞ」

 ジョン太は、とっさに殿を庇って移動した。

 こちらが放った弾丸が、返って来た。しかも追尾して来る。

 逃げ回りながら、どうにか弾丸の主導権を取り戻そうとした。

 しかし、のんびり寛いでいる浅間から、弾の一つも取り戻せない。

「くそっ、やっぱり強い」

 右腕の拳銃を立て続けに撃ち、機関銃の弾を叩き落とした。

 質量で勝る44口径の弾が、高速で飛び回りながら機関銃の弾を粉砕する。

 たとえ似た様な魔法が使えても、このスピードで飛び回る弾丸を正確に操るのは、普通の人間には無理だ。

 だから浅間にも、弾は見えていなかった。

 代わりに、周囲の空間全体に支配権を伸ばして来た。

 空中で弾が止まった。それから、こちらを向いた。

「大丈夫だ、吾輩に任せたまえ」

 殿が前へ出た。

 腕を前へ出し、空中を掴む様にして制空権を取り戻した。

「魔法は使えないんじゃなかったのか」

 ジョン太はたずねた。

「無駄遣いは出来ないだけだ。この程度、問題ない」

 一歩、二歩と前へ出た。

「我が弟子から受け取った魔方陣を、返してもらおうか」

 人に似せたにしては、やけに白い手を差し出した。

「今更?」

 浅間は、軽く笑った。

「魔界が広がった方が、殿様も住みやすいだろうに」

「吾輩は、君が邪魔をするまでは、充分快適だったよ」

 少し皮肉っぽい口調だった。もしかして怒ってるのか、殿は。

「世界を混ぜ合わせる方法を思い付いたのは、あんただろうに」

 浅間は、殿を見上げた。

 異界人と対しているのに、恐れる様子は全く無い。

「俺は実行した。それだけだ」

「二つの世界は、それぞれ独立しているから美しいとは思わないのかね」

 浅間は、今度はゆっくりと時間をかけて、凄味のある笑顔を浮かべた。

「二千年も生きているくせに、おめでたいロマンチストだな」

「我々の世界の虫より寿命が短いのに、せめて夢ぐらい見たまえ」

 殿は切り返した。

 うわ、虫ってあの影の事かよ…蚊取り線香でぼとぼと落ちてたしな…とジョン太は考えた。

 殿の方を見ると、こちらを振り返らなくとも分かるらしく、頭の中に直接話しかけて来た。

『あの男を退かせる。協力してくれ』

 魔方陣の中心に立つイメージが、同時に送られて来た。

 そうしなければ、魔方陣は解除出来ないのか…。

 軽い同意が返って来た。

『そりゃ大仕事だな』

 自分より魔力の高い相手と戦うのは慣れていた。

 魔法が使えなかった頃から、この仕事を十年以上続けて来たのだ。

 しかし、今の浅間が一筋縄で行くとは思われない。サキュバスの所在も不明だ。

『安心したまえ、君の仲間もそこまで来ている』

 こちらに背中を向けたまま、殿は頭の中で言った。

『それに、君の相棒も、そろそろ目を覚ますぞ』


 鯖丸は、ぼんやり意識を取り戻していた。

 足下に浅間と、背の高い屏風の後ろで佇んでいるサキュバスが見えていた。

 殿とジョン太が入って来て、浅間がジョン太の攻撃からサキュバスを守るのも、殿がめずらしく積極的な行動に出ているのも、視界に入っていた。

 何もかもが、ゆるいとろみの付いたぬるま湯の中で、もがいている様な感じだった。

 抜け出したいのに、外へ向かえば向かう程苦痛で、踏ん切りが付かない。

 浅間が、立ち上がるのが見えた。

 周囲の空間が、陽炎の様にゆらいだ。

 魔力が吸い出され始める。まずい…。

「くそっ、せめて刀」

 必死で、沈みそうになる意識を保って、周囲を探った。

 刀は、自分がここに囚われた時感じたのと同じ場所に、まだあった。

 遠すぎて呼べない。

 心の中で悪態をついて、ふと、自分の腕が目の前にあるのに気が付いた。

 刀を呼ぼうとして、無意識に持ち上げていたのだ。

 よし、動ける。

 体の、他の部分も動かそうと、全身に力を込めた時、足下で広間への戸がぶち壊された。


 最初に踏み込んで来たのは、所長だった。

 広間と廊下を隔てる襖を、ヤクザキックでぶち破り、抜き身の刀を肩に担いで周囲をぎろりと見回した。

 背後に、手下よろしく四人を引き連れて、鷹揚な態度で浅間を見下ろした。

 それから、ジョン太に言った。

「何一人で先に行ってるんだ。待ってろ、バカが」

「いや…そういう段取りでしたよね。確か」

 ジョン太は、銃を構えたまま、ちらりと振り返った。

 こんなに早く追い付いてくれるとは思っていなかったし、そもそも全員が加勢出来る状態でここへ来るとも、考えていなかったのだ。

「あいつを退かせて、殿を魔方陣に…」

「分かった」

 浅間が、魔方陣の中心で立ち上がっていた。

 魔方陣が明滅し、周囲の空間がゆらいだ。

 人間だったはずの男の瞳が、あり得ない白色に変わった。

 次の瞬間、全員が吹き飛ばされた。

 広間へ続く長い廊下を吹き飛ばされ、階段を転げ落ち、更に短い廊下を壁や床と共に薙ぎ払われ、本気の階段落ちで、もんどり打って薄暗い踊り場の床に叩き付けられた。


「いや…あり得んわ、あれ」

 顔を歪めて起き上がった所長は、とりあえず皆が無事なのを確認した。

 隣に居たトリコがうなずいてから、へその上までめくれ上がったニットシャツの裾を直した。

「皆、無事か」

「はぁぃ」

 床にぺたりと座り込んだるりかが答えた。

 いつの間にか魔法少女コスチュームの背中に、羽根が生えている。

 吹き飛ばされた時に、これで切り抜けたのだろう。

 菟津吹は、どうにか瞬間移動で窮地を逃れたらしく、普通にその辺に立っていた。

「そろそろ退いてくれないか」

 所長とトリコの尻の下で、フリッツの声がした。

 着地する時に二人を庇ったのだろう。

 これだけ反射速度が速ければ、吹き飛ばされている最中でも周囲の状況を判断して動ける。

 ジョン太は、広い踊り場の隅に居た。

 殿を守るというポジションを忠実に実行したらしく、何だか分からない固まりの中から、二人で這い出して来た。

「臭せぇ。洗わずに熟成した洗濯物の匂いがする」

「君は神経質だな」

 殿は文句を言っているが、そんなセリフを吐く所を見ると、ジョン太も若い頃は無精な青少年だった過去があるのかも知れない。

「何だ、それは」

 所長は、二人が埋まっていた固まりを見て、顔をしかめた。

 嗅覚の鋭いハイブリットでなくとも、嫌な匂いがする。

 ため込んだ洗濯物の匂いだ。それも、夏場の。

 ジョン太と殿がめり込んでいたのは、大量の服と下着と靴の山だった。

 広い踊り場の隅に積み上げられていたそれに、普通の人間は気が付かなかったし、ハイブリットの二人も、別に気に留めてはいなかった。

「掠われた人達の服だ」

 トリコが言った。

 皆がこちらを向いた。

「影も、魔力を吸われてる人達も、裸だったろう」

「異物は排除した方が、使い勝手がいいからな」

 肩に引っかかったブラジャーを脇へよけて、殿は、何でもない事の様に言った。

「幸い、現在の気温は高い。保温をしなくとも生存に支障はない」

 その他の問題は山積みなのだが、皆はめんどくさいので考えない事にした。

 基本的に生きてりゃオッケーだ。

 所長が、洗濯物の山を掻き分けて、何かを取り出した。

 鞘に頭悪そうなシールをべたべた貼った、鯖丸の長刀だ。

 小さく、管理番号のシールも貼られている。間違いない。

「あいつも一緒に掠われたのに、見つからなかったのか」

 ジョン太が尋ねた。

「何言ってるんだ」

 トリコは、驚いた顔をした。

「鯖丸はあの中に居ただろう」

 あの中って、あの、魔力を吸われてる人達の中か?

「気が付かなかったのか。何の為にリンク張ってるんだ、お前は。無駄にオカマ掘られただけか」

「その話は蒸し返さないで」

 心の底からお願いした。

「そう言えば、お前は別だったのか」

 一緒に掠われたのに、トリコだけ無事に戻って来ている。

「あの男は、トリコを生かしておきたく無かったんだろうな」

 フリッツが言った。

「別の場所で、生命維持の措置はされずに、魔力を吸われていた」

 あの、生臭い温室で飼い殺しにされるより、幾分マシに思えた。

 もちろん、生命の危機という点では、ずっと厳しい状況だが。

「鯖丸とは接触出来ている」

 トリコは言った。

 城全体を覆っている管に繋がっていれば、有線接続状態だ。理屈では可能だろうが、こいつら改めて、どんだけ魔力高いんだ。

「そろそろ自力で目を覚ましてる頃だ」

「そうか」

 ジョン太はうなずいた。

「じゃあ、戻るしか無いな」

 トリコと目が合った。

「お前は、どうするんだ」

 浅間の命を、本気で狙っていた事を、ジョン太は知っていた。

 こいつ相手に、どんなに言い訳しても隠せるとは思えない。

「分からん」

 トリコは答えた。

「終わってから考える」

「じゃあ、少なくとも終わるまでは、信頼していいんだな」

 うなずいた。

 ジョン太は、少し笑って同じ動作を返した。


「先ず、管を切ろう」

 フリッツが言った。

「大変な作業だが、一人ずつ切り離して行くんだ。供給が無くなれば、あの男も元に戻るだろう」

 無責任な発言を、付け加えた。

「元がどんなだかは知らんが」

「そこそこ強いな」

 トリコが言った。

 トリコ以外は、現場に居た頃の浅間を知らない。

「物質操作系のくせに、技が出るのが速くて連発して来るが、この面子なら一対一でも勝てる相手だよ」

 最も、今は魔法の属性も強さも、全く変わっている様だと付け加えた。

「切り離さなきゃいけない管は、これだけだ」

 自分のうなじを指さした。

 もうすっかり干からびてしまった管が、まだ皮膚に食い込んでいる。

「切られてもダメージはない。遠慮せずに片っ端から切って行け」

「出来ればな」

 ジョン太は、苦い顔をした。

「我々でサポートする」

 所長が言った。

「お前達なら、一瞬でも注意をそらせれば、かなりの数をこなせるだろう。別行動で上へ侵入して、あいつが我々を攻撃しているスキに、管を切り離せ」

「所長、シャレになりませんよ、それ」

 ジョン太は、顔をしかめた。

「本当に危なくなったら、僕が全員逃がします」

 菟津吹が、やけにきっぱりと言った。

 サキュバスに捕まっていても、皆を逃がせるくらい、瞬間移動に能力が特化しているのだ。

 はったりで言っているのでは無いだろうが…。

 そのサキュバスが、何処に居るのか分からないのが厳しい。

 だからと云って、この場から引き返す訳にはいかなかった。

「よし、行こう。合図を決めるぞ」

 ジョン太は、皆の顔を見て言った。


「別行動って、これか」

 フリッツは文句を言った。

「お前はまだいいだろ、猫だし」

 ジョン太は言い返した。

 二人は、城の外壁を登っていた。

「俺なんか犬だぞ。犬は壁なんか登らないんだよ」

「ニンジャは登るだろう。日本に長く住んでるんだから、壁くらい登れ」

「外人の考えるニンジャって、何か違うんだよな」

 自分も外人のくせに、ジョン太は文句を言い始めた。

「ニンジャって、別に特殊能力も無いし、基本スパイだから、あれ。007だから」

「それは充分特殊なんだが」

 城の外壁は、一見つるつるだった。

 それなりの微妙な出っ張りはあるが、フリークライミングの達人と、能力の高いハイブリット以外は、登るのが困難な状況だ。

 小さな凹凸に手足をかけて、二人は上へ向かっていた。

「ここで別れよう」

 広間の高さまで移動したジョン太が言った。

 窓は、東西南北の四カ所にあった。

 以前はきちんとあった障子や雨戸は外され、ただの四角い穴になっている。

 それも、内壁を被う管で、ほとんど塞がれていた。

 管は、外壁まで漏れ出し、城の壁を這い回っていた。

 浅間とは感覚が繋がっているかも知れないので、なるべく触りたくなかったが、触らなければ内部に侵入出来そうにない。

 ジョン太と別れて、斜め上に移動していたフリッツが、変な風に息を吸い込むのが聞こえた。

 金色の目が、驚いた時の猫の様にまん丸になっているフリッツを見上げて、それから彼の見下ろしている地上に目をやった。

 ジョン太の反応も同じだった。

 ここへ侵入する時は、腐った果物の様な匂いを発していた根が、枯れていた。

 代わりに、生白い新しい根が、更に範囲を広げて周囲の地面に食い込んでいた。

 そうして、先刻までは青々としていたみかん畑と自然の木立が、全てかさかさに枯れていた。

 地面すら灰色に変色し、ひび割れて、その上に枯れ葉が積み重なっていた。

 枯れているのは、裾野だけではなかった。

 既に、麓に広がる田畑の一部も、枯れ始めている。

 これは、自分達の手に負えるのだろうかという気持ちが、一瞬過ぎった。

 応援が来るまで、待った方が…。

 目に見える速度で、枯れ野が広がっているのを見て、思い直した。

「どのみち、五人や十人の応援が来ても、何も変わらんだろう」

 フリッツが言った。

「それとも、周辺を避難させて、ミサイルでも撃ち込んでもらうか」

 このまま魔界が広がり続けたら、いずれそういう事になる可能性もある。

 魔界ではミサイルの誘導装置は働かないが、飛行機械が飛ばせない訳ではない。

 きっと、目視での空爆なら可能だろう。

 管に捕らえられた人間と、影に飲み込まれた者は、もう死んでいたという事にされるだろう。

 フリッツも自分も、そういう展開は軍で何度も見ている。

「俺達が止めないと、いずれそうなるな」

 ジョン太は言った。

「じゃあ迷うな。さっさと行け」

 フリッツに説教されてしまった。

 何か煮え切らない物を感じながら、ジョン太は壁を移動した。

 フリッツの姿は、反対側へすぐに見えなくなった。

 普段行った事のない、城の裏手に出ていた。

 こちら側には、小高い山がいくつか連なり、その間に深く切れ込んだ谷があった。

 異界への穴が開いている場所で、長年四国の魔界で仕事をしているのに、見るのは初めてだった。

 わざわざ穴に近寄る人間は少ないし、この地形のせいで、端からは全く見えなくなっている。

 周囲の小山は、以前は周りと同じくみかん畑だった様だが、人の手が入らなくなってから長い年月が経つので荒れ果て、穴からの影響で無秩序に魔導変化していた。

 それすら、城から伸びた根に吸い上げられ、枯れ始めていた。

 魔導変化した植物と木々が、助けを求める様にわらわらと空中に向かって枝葉をゆらめかせていたが、動く度にひからびた枝葉がぽきぽきと折れ、地面に降り積もっていた。

 もうじき、この森も死ぬだろう。

 穴からは、不思議な色の空気が吹き出していた。

 いくら異界への穴でも、普段こんな物が出て来ないはずなのは知っている。

 それは、渦を巻きながら上空へ伸び上がり、城のてっぺんに向かってゆるやかに落ち始めていた。

 もう、あまり時間がない事だけは、何となく分かった。

 外壁に開いた窓に取り付いた。

 管に触らない様に気を付けながら窓枠に腰掛け、合図が来るのを待った。

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