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三話・魔界大決戦 vol.4

「久し振りに掠われやがったな、あのピーチ姫は」

 石の床を殴りつけて、ジョン太はうなった。

 菟津吹の魔法は、人だけではなく、周囲の床や壁まで持って来ていた。

 雑な魔法だ。余程余裕がなかったのだろう。

 魔法が使えただけ、大した物だった。

 田んぼの真ん中に転がった城の一部の上で、皆はその場に座り込んでいた。

 サキュバスの魔法の影響がまだ残っていて、まともに立ち上がれない。

「大体てめぇは何の為に居るんだ。ぼさっと突っ立ってるだけかよ」

 殿に向かって悪態をついた。

「いや…その」

 殿は、らしくない動作で、背中を丸めてもじもじした。

「見ての通り、この体は大変良く出来ている、傑作だ」

 ジョン太は、それが何だという顔をした。

「ちょっと細部まで作り込み過ぎた」

「バカだ、てめぇは」

 サキュバスの魔法が効くくらい精巧な人体を作って、何をするつりだったんだ、この異界人は。

「お家に帰って、前の体に着替えて来い」

「あの魔方陣を壊してしまわなければ、お家には帰れないのだが」

 殿は白状した。

「ああもう、ぐだぐだだ。何なんだ、この状況は。いや、相手が浅間だからなめて突っ込んだ俺が悪い。最悪だ」

 ジョン太は、頭をかきむしった。

「そんなに自分を責めるものではないよ」

 殿は言った。

「じゃあてめぇを責めてやろうか、ねちねちと」

 どうせ殿は、そんな事をしても堪えないだろう。

「やっぱり、浅間とサキュバスは連んでたんですねぇ」

 菟津吹も、こんな時にのんきに感心している。

 黙り込んでいたフリッツは、少しよろけながら立ち上がった。

 そのまま、田んぼを突っ切ってあぜ道に上がり、歩き出した。

「おい、引き返すのか」

 ジョン太は尋ねた。

「当たり前だ。トリコが掠われたんだぞ」

「あいつなら、多分大丈夫だ」

 ジョン太は言った。

 フリッツは、厳しい顔で振り返った。

「本名を押さえるのも無理だし、サキュバスの魔法も効かない」

 反論しようとしたフリッツに言った。

「もちろん、助けには行く。だが、あと二三人応援は欲しい。こいつも…」

 殿を指さした。

「化け物避けぐらいにしか、役に立ちそうにないしな」

 殿は、平然とその意見を聞き流した。

 

 外界で最後の余震が来たのは、魔界の魔方陣が完成した時だった。

 余震にしては強い揺れの後、目に見えていた魔界の拡張は止まった。

 むしろ、余震毎に広がっていた境界が、少し後退した程だった。

 境界に押し寄せていた報道陣が、夜だったがそれを速報した。

 人々は少し安心し、それから、避難して来た人々が、境界と検問の間に押し留められている姿を見て、ショックを受けた。

 だから、夜が明けて、実際には魔界の拡張が止まった訳ではなく、加速しているという事実を知った時、パニックが始まった。

 余震毎に目に見えて広がる事は無くなったが、魔界は、じわじわと、早送りしなければ分からない程度の速度で、水が染み込む様に、止まる事なく境界を広げ続けた。


 最初の地震と異変があってから、三日目の朝が来た。

 有坂カオルは、実家からアパートに戻っていた。

 連絡があってから戻ればいいのに、律儀な性格なのだ。

 午前中に顔を出した大学の構内では、夏休みだという事もあって、それ程の混乱は無かったが、練習熱心で休暇中も休まず来ている剣道部の後輩の姿が見えなかった。

 ゼミに顔を出すと、今日会うと約束していた教授の姿が無かった。

 どちらも、魔界に呑まれたと言われている地域から通っている。

 とうに復旧したはずのケータイも通じない。

 諦めてアパートに戻りニュースを見て、やっと世間が大変な騒ぎになっている事に気が付いた。

 昨夜止んだと思っていた魔界の拡張は続いていて、まだ原因も対策も、何もかも分からない状態だった。

 余震の度に、劇的に広がる事は無くなったが、魔界は休まずじわじわ広がっている。

 少し青くなった。

 武藤君は、そんな大変な事になっている場所のど真ん中に行ってしまっている。

 そして、連絡も取れない。

「もう…魔界で使えるケータイくらい、何で誰か発明しないのよ」

 理不尽な文句を言った所に、ケータイが鳴った。

 一瞬、これから戻るという電話だと思った。

 いつも通りのちょっと間延びした声で、晩ご飯作っといてとか言って来るものだと思って、大急ぎでケータイを手に取った。

 相手は武藤君ではなく、友人の松本だった。

「カオル、悪いんだけど今晩泊めてくれない」

 唐突な電話だった。

「ほんと悪いんだけど、うちのアパート、避難勧告が出ちゃって。今晩だけでいいから」

 松本は、大学に入ってからの付き合いで、親しい友人だった。

 家賃が安いというので郊外に住んでいて、何度か泊まりに行った事もあった。

 魔界との境界が近付いている辺りだ。

「いいよ。今晩だけでいいの?」

 同棲しているのは知っているので、遠慮しているのかと思って聞いた。

「うん、明日の晩に夜行バスで帰るから。今日の便は、一杯で取れなくて」

 確か、実家は福岡だ。

 少し前に帰省して、戻って来たばかりだったはずだ。お土産ももらった。

 今度のこれは、帰省ではなく避難なんだという事に気が付いた。

 ちょっと怖くなった。ここは大丈夫なんだろうか。

「分かった。うちの場所知らないよね、駅まで迎えに行くから」

「ありがとうね。何か他にあてがなくて」

 松本は気を使ってくれているのだろうが、そもそも気を使う相手の武藤君は、今日中には帰って来ない気がした。

 誰か居てくれた方が心強い。

 でも、明日も帰って来なかったら?


 松本は、当分こちらには帰らないつもりらしく、大きなバッグを提げていた。

 駅前のコンビニで買ったらしい酒とつまみと菓子の入った袋を渡して「これ差し入れ」と言った。

「適当に買ったけど、ビールとポテチで良かったかな」

「やったー、ポテチ久し振りー」

 何か、悪い方向へ貧乏性が悪化している友人を、松本は心配げに見た。

「あんた大丈夫?言っちゃ悪いけど、あんな学校中で有名な変人と付き合ってて」

 有名なのだった。

「そこまで変な人じゃないよ。ちょっと貧乏なだけで」

 ちょっとじゃないし、確実に変な人だ。

「まっちゃんの方こそ大丈夫なの?避難勧告が出たなんて」

 松本はうなずいた。

「まぁ、逃げられる先があるからね。隣に住んでた人なんて、本気で困ってたよ。多分今は、どっかの学校の体育館」

 大変な事が起こっているのだというのは分かったが、実感は無かった。

「ひどい事になってるの?」

「そうみたい。魔界になった所から逃げてきた人も見たけど、本当に怖かったって言ってた」

 何でそういう危ない所へ行ってしまうのかと思って、有坂は黙り込んだ。

 何だかもう、ヤクザに襲われるくらいは、人類に理解出来る範疇の微笑ましい出来事に思える。

 ヤクザは、一泊とめてあげたら30キロもお米をくれたので、どちらかというと大歓迎だ。

「カオル、何かあったの」

 黙り込んでしまった有坂に、松本は聞いた。

「玲司君、昨日からバイトで魔界に入ってる」

 松本は、歩きながらしばらく考え込んだ。

 傍目には、小柄な松本と、170センチ以上ある有坂では、友人の方がひ弱に見える。

 しかし、武道と勉学にばかり打ち込んでいる有坂と違って、松本は顔が広くて博識で、人脈も広かった。

 それに、精神的にタフで、いつも冷静だ。

 どちらかというと、友人を頼りにしているのは、有坂の方だった。

 しばらく考えた松本は、ふいに顔を上げた。

「私、プレイヤーの友達も何人か居るから聞くけど」

 有坂は、小柄な友人を見下ろした。

「何?」

 視線としては見下ろしているが、友達を頼りにしている表情だ。

 松本は尋ねた。

「あんたの彼氏って、鯖丸なの?」


 確かに、そんな風な名前だった。

 アパートの部屋に戻って、二人で差し入れの酒を飲みながら、有坂は考えた。

 同じ大学の学生で、同じく剣道部で、お互いの事は良く分かっているつもりだったが、良く考えると、それ以外の武藤玲司については、ほとんど知らない事に気が付いた。

 コロニー出身で、子供の頃事故で両親を亡くして、それから地球に来たという所までは知っていた。

 逆に云うと、それ以外の事は知らなかった。

 どういう事故なのか、近くに叔父さんが居るのに、どうして何の援助も受けないで一人で暮らしているのか。

 結婚してくれとまで言っておいて、自分の事は何一つ話していない。

 それは無いんじゃないかと、何となく思った。

 帰って来たら問い詰めないと…。

 それ以前に、ちゃんと帰って来るんだろうか。

「ああ、何だか訳分からなくなって来た」

 まだ何本か残っているビールのプルトップを乱暴に押し開けて、有坂は半分程一気飲みした。

「色々大変ねぇ」

 松本は、同情的に言った。


 目を覚ますと、何だか少し高い場所に居た。

 ここは何処だろう…と、鯖丸は、ぼんやりする意識の中で思った。

 見覚えのある場所だった。

 豪華な内装は至る所で取り払われ、片付けられて広い空間が確保されていたが、床一面に敷かれた畳と、一段高くなった上座には馴染みがあった。

 殿の城、最上階だ。

 変なガラクタを取り払うと、こんなに広かったのかと感心した。

 それから、内装を取り払われた壁を見て、愕然とした。

 窓を除いた壁一面が、あの、異様な管に被われて脈打っていた。

 その管の中に、ぽつぽつと黒い点が埋め込まれていた。

 それが、人の頭だという事に気が付くまで、しばらくかかった。

 頭の中に、もやがかかった様にぼんやりして、何もかもが重たい。

 目が焦点を結んで、頭が、ごくゆっくりとそれを認識した。

 人が壁の中に埋め込まれている。

 無数に這い回る根に捕らえられ、絡め取られた人々が、脈動に合わせてかすかにうごめいていた。

 目を閉じている者も居れば、開いている者も居る。

 しかし、皆一様に、うつろな表情だった。

 うっすら笑っている者も、苦悶の表情を浮かべた者も、誰一人意識を保っていない。

 服を剥がされ、絡め取られ、開いた口の中に管が入り込んでいる。

 魔力の流れが、脈動と共にゆっくりと、一定方向へ流れ込んでいた。

 生きたまま魔力を吸われている。

 そうして、床を這う様に部屋の中央へ伸び出した管の先に、浅間が居た。

 殿が愛用していた脇息にもたれて、少し疲れた顔でこちらを見上げている。

「目を覚ましたね、君」

 ジャックインプラグの様な位置で、自分の体に管を繋いだ浅間は、それを引きずったまま、ずるりと立ち上がった。

 外見は少しやつれて見えるが、恐ろしい程の力が周囲に渦巻いているのが分かった。

 こいつは、捕らえた人間の魔力を自由に使えるのだ。

 厄介な事になったと思った。

 トリコはどこだ。二人がかりでガチで行けば、何とか…。

 周囲を見回して、やっとの事で自分の現状を理解した。

 周囲の人々同様、壁の中に埋め込まれているのだ。

 肉色の根が脈動する感触と生暖かさで、鳥肌が立った。

 口から漏れそうになる悲鳴を、やっとの事で飲み込んだ。

 まだ、変な管をつっこまれてはいない。意識もある。弱味を見せては駄目だ。

 恐怖と緊張が、意識をはっきりさせた。

 浅間が立っている場所を中心に、魔方陣がうっすら発光していた。

 見た事もないくらい複雑な図形が、畳の上に描かれている。

 じっと見ていると目眩がして来た。

 どんなにくらくらしても、倒れる心配がないのが、この状態の唯一の救いだ。

「てめぇ、こんな事してどういうつもりだ」

 出来る限り首をねじ曲げて、ざっと部屋中を確認した。

 幸いなのか、もっと悪い事になっているのか、トリコはこの中には居ない。

「威勢がいいな」

 浅間は、ちょっと笑った。

 そうとうな力を手に入れているはずだが、以前の様な勢いも、尖った所も無い。

 こんな奴だったろうかと思った。

「君には選択肢を残して置いた。君の実力は、高く評価しているからね」

 浅間は言った。

「選べ。ここで屍の様に魔力を吸われ続けるか、人形になって俺の為に働くか」

 嫌な二択だ。

「どっちも断る」

 強引に体をよじり、壁の中でもがきながら、刀を呼ぼうとした。

 反応が遠い。

 壁を被う管が、即座に体を締め上げた。

「お前をぶちのめして、外界に引きずり出してやる」

「残念ねぇ、傀儡にすれば面白そうな子なのに」

 どこから現れたのか、最初から居たのか、サキュバスがこちらを見上げた。

 浅間の横に立ち、彼の手を取って、しなだれかかった。

 お前ら、そういう事だったのかよ。

 くそっ、どっちが勝ち目がある?

 いっちゃってる魔法使いに、触手で巻かれて魔力を吸われ続けるのと、男なら抵抗するのは困難な魔女に、触手で巻かれて操られるのと…。待て、何で触手一択だー!!

 どちらにしても、本名は押さえられている。抵抗するのは、実質無理だ。

 だったら、最悪の事態だけは避けなければ。

 トリコも捕まっている今、俺が敵に回ってしまったら、浅間に魔力を提供するより悪い状況になるんじゃないのか。

 こちらへ手を伸ばしたサキュバスに、鯖丸は怒鳴った。

「触るなぁ!! お前の手下になる気なんて、ねぇよ」

「あら」

 サキュバスは、指を引っ込めて眉をひそめた。

「さんざん遊んだ割には、微笑ましい恋愛してるのね」

 リンクも張っていないのに、接触した相手の中身を覗けるらしい。

 いや…そういう所は覗かなくていいから。

「でも、この仕事が終わったら、君の所へ帰るから待っててみたいの、それ、死亡フラグだから」

 待てぇ、それ、大筋で間違ってるとは言いにくいが、意味合い的にだいぶ違うぞ。事実を湾曲してまで人のフラグを勝手に立てるな。

「この子、精神的にもけっこう頑強だから、長期間操るのは無理ね」

 サキュバスは、浅間の方に向き直った。

「残念だな。使えそうだったのに」

 浅間は、本当に残念そうに言った。

 それから、こちらへ視線を向けた。

 複雑な魔方陣が軽く発光し、サキュバスは巻き込まれない為か、広間の隅に下がった。

「待て、トリコは何処に?」

 体の周囲で、肉色の管がざわめき始めていた。

 何か、目的があるかの様に体の上を這い回り、あまりの気持ち悪さに鳥肌が立った。

「リンクを張ったランクS同士を、接触させておく訳が無いだろう」

 浅間は言った。

「諦めろ。君の安全と健康は保証する」

 肉色の管が一気にうごめいた。

 全身を固定し、強引に口の中に侵入して来た。

 悲鳴も上げられないまま、それは口を塞ぎ、太さを変えながら食道の奥まで侵入した。

 何か、生暖かい物が流し込まれ、体の力が抜けて行った。

 それから、壁を被った管は、捕まっている人々に対したのと同じ様に、魔力の供給源をいい状態で生かす為に、念入りな仕事をした。

 動けないが、まだ身体感覚の残っている体に、肛門から侵入して来た。

 続いて、細く変化して、尿道に入り込んだ。

 ああ、これは絶対生かしておく気だなと思った。

 食道の奥まで差し入れられた管からは、きっと、体を麻痺させる以外にも、必要な栄養が送り込まれるんだろう。

 強制的な栄養補給以外は、重装宇宙服を長期活動モードで着用した時と、ほとんど変わらない。

 別に、耐えられない様な状況じゃない。

 こういう事に耐えられない人間は、マイナーコロニーでの仕事なんか出来ない。

 とにかく、意識だけは保っていないと…。

 首筋に何かが張り付いた。

 それは、浅間が首の後ろに付けていた管と同じ物で、周囲で囚われている人々も、見える範囲では皆、それに繋がれている様子だった。

 通常の定位置らしいうなじを探って、それからその場所が、ジャックインプラグと人工皮膚で塞がれている為なのか、奥にある基盤が邪魔をするのか、少しの間後ろへ引いた。

 やがて、首筋から左肩の方向へずれて行ったそれは、肩胛骨の後ろ側辺りで定着し、根を伸ばす様に体の中へ侵入して来た。

 口から強引に送り込まれた麻酔のせいか、それは何の苦痛も無かった。


 トリコは、薄暗い場所で目を覚ました。

 目の前に、ひんやりした石の床があった。

 高い位置に開いた窓から、薄明るい日差しが射し込んでいる。

 早朝からセミが鳴いている。暑い夏の一日になりそうだ。

 起き上がろうとして、頭を抱えて床に倒れた。

 頭ががんがんする。

 そっと手の平で探ると、耳の少し上が腫れていた。

 ざらざらとした感触があって、半分固まった血が、指先にこびりついた。

 どういう経緯でこうなったか、思い出した。

 瞬間移動させられた時には、まだ意識があった。

 それから、目の前に居た蒲生組の男に殴られた所で記憶がない。

 最後に、自分の目の前に居て嗤っていた男の顔を思い出した。

 浅間!!

 隣にはサキュバスが居て、こちらに同情的な視線をちらりと向けた。

 今度会ったら、確実にぶっ殺してやるつもりだったのに、先手を打たれてしまったのか。

 頭を押さえて起き上がり、石の床の上に座った。

 見覚えのある場所だった。

 以前、めん吉の手引きで捕まって城に侵入した時、入れられた牢屋だ。

 あの時と違って、殿の作った結界は、完全に消え失せていた。

 これなら脱出は楽だ。

 浅間の奴どういうつもりだ。こんな所へ雑に閉じ込めるだけなんて。

 それとも、外にはあの影みたいな奴が居るのか…?

 先ず、頭の傷を治してから、太い鉄格子を破壊しようとして頭に手をやった。

 感触が変だった。

 魔法が働いていない。

 自分の魔力は確かにそのままあるのだが、使えなくなっているのだ。

 これと同じ物は、ずっと昔に知っていた。

 浅間の魔法封じだ。

 魔力が格上の者には使えないはずだが…。

 人の魔力を吸い上げているという話を思い出した。

 掠って行った人の数が、何十人なのか、それとも百人や二百人では効かないのか、見当も付かなかったが、影の様な化け物と融合させられる前に、魔力を吸われるのか、魔力を吸われる者と、化け物にされる者に分けられているのか…。

 答えはすぐに分かった。

 後頭部から、魔力が流れ出していた。

 首の後ろに手をやって、何かがそこに取り付いて、自分の魔力を吸い出しているのが分かった。

 生暖かい、弾力のある管が、首から根を張って体に入り込み、力を吸い上げ、どこかへ送り出している。

 引き抜こうとして掴んだが、皮膚どころか、もっと深い場所まで入り込んでいるのか、びくともしない。

 一緒に肉が引っ張られ、ずきずき痛んだ。

 仕方がないので、管の方をどうにかしよう捻ったり引っ張ったりしてみたが、思いの外丈夫に出来ている。

 最後に噛み付いてみた。

 弾力はあるが、堅くて歯が立たない。

 自分の魔力と熟練度に自信があるので、武器の類は一切持ち歩く習慣が無かった。

 今度からは、折りたたみナイフの一本くらいは、持っておく事にしよう。

 ああ…でも、こんな調子で魔力を吸われ続けたら、今度なんて無くなるかも知れない。

 浅間は、トリコを生かしておく気は無かった。

 だから、延命措置は全くしないで、水も食料も与えず、体が持たなくなるまで魔力を吸い上げて、後は捨てるつもりだった。

 過酷な状況だったが、ある意味では幸いだった。

 意識を奪われず、自分で物を考えられる状態で放置されたからだ。

 魔法は封じられていたが、魔力その物は健在だ。

 トリコはしばらく目をつぶり、自分の力が吸い出されて行く先に意識を向けた。

 何か、ざわざわとうごめく気配が、微かに、しかし大量に存在した。

 自分と同じ様に、繋がれて魔力を吸われている人間が、どこか離れた場所にかなりの人数存在している。

 魔法を使えない状態で、繋がった管から意識を探るのは困難だった。

 トリコは集中し、ゆっくりと遠い場所に聞き耳を立てた。


 ジョン太と菟津吹が、二人乗りしたオフロードバイクで戻って来たのは、すっかり陽も高くなった頃だった。

 城を脱出した後、体勢を立て直すと言った二人は、それぞれ応援を頼む為に外界へ出た。

 殿とめん吉という、訳の分からないメンバーで残されたフリッツは、少しイライラしながら待っていた。

 ジョン太にきつく止められていなかったら、一人でトリコを救出しに行っていただろう。

 別に、上官でも何でもないのに、あいつに逆らえないのは何故だろうと思いながら、めん吉が出してくれた丼物を受け取った。

「仕入れに行けないから、残り物しかないんだけどね」

 きつねうどんの揚げとねぎを、卵でとじた丼物だ。

 トリコと付き合いだして二年も経つので、たいていの和食は大丈夫だ。

 礼を言って箸を手に取った。

「兄さん、箸使うの上手いね。最近は日本人でも、ちゃんと箸持てる奴は少なくなったのに」

 原型のハイブリットだと人種は分かりにくいが、日本語が不自由なので、外国人だというのはすぐ分かる。

 地元でも、和食や中華の店はけっこうある。

 説明しようと思ったが、日本語と英語をごちゃませでしゃべっても分かってくれる皆と違って、魔界出身らしいこのうどん屋は、日本語しか分からない様子だった。

 まぁ、仕事で色々な国の魔界へ飛ばされ続けていたので、言葉が通じないのは慣れている。

 大体分かる分、まだマシだ。

 しかし、隣でカウンターに突っ伏して熟睡している殿は、何を言っているのか理解するのが難しかった。

 日本語が堪能な者にも、やっぱり分かりにくいという話だったので、その辺は諦める事にした。

「皆さんは、何時戻りますか」

 やや不自由な日本語で聞くと、めん吉は首を横に振った。

「さぁね。ジョン太のやる事だから、間違いはないと思うが」

 以外と信頼度が高い。

「鯖丸とビーストマスターが、同時にやられちまうんじゃ、応援なんか役に立つんだか」

 トリコがそんな名前で呼ばれているのは、知っていた。

 それから、二年前に見たあの二人の無敵っぷりと、怪獣並みの破壊力も。

 自分の魔力など、比べれば取るに足りない物だ。

 しかし、どんな魔法使いよりも速く動ける。そして、雷撃系は、魔法の中で一番スピードが速い。

 相手が何だろうと、トリコは絶対助け出す。まぁ、ついでに余裕があれば鯖丸も。

 ジョン太と菟津吹が戻るまでの間に、借りて来たナイフを手入れしようと思い立った。

 料理人だから、砥石くらい持っているだろう。

 日本語であれ、何て言うんだっけと思いながら、錆の浮いたナイフを見せると、めん吉はそれでもう分かったらしく、カウンターの中に手招きした。

 意外と手狭な調理台の上に、棚の下から出して来た荒いのと細かいのと、二種類の砥石を設置して、洗い桶に水を溜めてくれた。

 水道はない様子で、調理場の隅に水瓶が置いてあった。

 先ず、目の粗い砥石で、念入りに錆を落として、きっちり時間をかけて仕上げをする間、めん吉はカウンターに座って、先程出してくれたのと同じ丼物を食べ、食後に二本煙草を吸い、茶をいれて飲み始めた。

 更に、殿が目を覚まし、一緒に茶をすすり始めた頃、何時から使っていないのか定かではなかったナイフは、ぴかぴかになっていた。

 こうして見ると、中々いい品物だ。

 ベルトの後ろに差し込んで、一息入れてぬるくなった茶をもらった所で、ジョン太と菟津吹が戻って来た。

「応援で女手が確保出来たぞ」

 ジョン太は言った。

「後からすぐに来る。合流したら出発だ」


 外界は大変な事になっていると、ジョン太は説明した。

 境界の外へ出て、それぞれ会社と政府公認魔導士協会に連絡を入れたのだが、そもそもの境界が、入って来た時より更に外へ移動していたのだ。

「もう、市内の外側辺りまで魔界だ。避難勧告も出ていて、大変な騒ぎになってる」

 ここいらはともかく、穴から離れた魔界内部の方が、まだ余程落ち着いた状態だという。

 境界が、じわじわ拡張し続けている事も報告した。

「あいつは、世界中を魔界にするつもりなのか」

「我が弟子なら、そこまでやったかも知れんが、あの人間には無理だろう」

 殿は、少し冷めた揚げ玉丼を、ちびちび食べていた。

「こちらでは何と言ったかな…ここから一番近い魔界と繋げるくらいの事は出来よう」

 関西魔界だ。

 あんな離れた場所と繋がってしまう程、四国の魔界が広がったら、確実に世界一の規模になってしまう。

 そこまで巨大な魔界が出現したら、周囲にどんな影響が出るか、見当も付かない。

「浅間に本名を知られていない応援が、関西本部と北海道支部からこちらに向かっています。もう、好き勝手にはさせません」

 菟津吹は、きっぱりと言い切った。

「そいつらを待ってる程は、時間がない」

 ジョン太は言った。

 遠距離の移動時間は、ここ十数年で劇的に短縮されたが、そんな低軌道宇宙船は、国内の様な近距離移動には使えない。

 結局、昔ながらのジェット旅客機が、一番速い交通手段だった。

「うちの応援が来た。お前はここで仲間が来るのを待つか?」

 ジョン太は、菟津吹に聞いた。

「いいえ、人手は多い方がいいでしょう。幸い僕は、最近四国支部に来たので、浅間もまだ、本名は知らないはずですし」

 それはそうなのだが、こいつ顔は大人しいくせに独断でばかり行動していて、組織の中での立場は大丈夫なのかと、多少心配になった。

 遠方から、エンジン音が近付いて来ていた。

 最初は、ハイブリットの二人にしか聞き取れなかったが、やがて、菟津吹とめん吉にもそれと分かる距離まで来た。

 殿が特に反応していないのは、聴力のせいなのか、単に興味がないだけなのか、分からない。

 それからジョン太は、フリッツがずっと気にしていたが聞けなかった事を口に出した。

「由樹は、うちのガキどもと一緒に避難させたそうだ。夏休みだし、しばらくは安全な場所でのんびり遊んでるだろうよ」

 それは良かった。

 しかし、しばらくという事は、こちらもしばらく戻れないという意味なのか?

 そんな事にはなりたくない。

「心配するな、念の為だ」

 ジョン太は言った。

「ほら、女手が到着したぞ」


 やって来たのは、目付きの悪い中年の女と、萌えキャラみたいな魔法整形の少女だった。

 中年の女の方は、ジョン太の上司で所長だという話だ。

 ジャージ姿で、鯖丸と同じ様に刀を背中に忍者風に装備している。

 まぁ、鯖丸の方が所長に習ってそうしているのだが、部外者のフリッツは知る由もない。

 何だか弱そうな奴が二人来たなと思っただけだった。

「フリッツです」

 短く自己紹介すると、所長はうなずいた。

「バラクーダだ。まぁ、呼びにくいから皆、単に所長って言うが」

 握手すると、魔力の高さが分かった。人は見かけによらない。

「魔法少女ミラクルるりかです」

 萌えキャラの方は、更に分からない事を言った。

 きっと、深く考えない方がいいのだろう。

「ハートは留守番ですか」

 ジョン太は所長に聞いた。

「いや、留守はちょっと頼りないがイダテンに任せて来た。どうせ電話番だけだしな」

 所長は言った。

「ハートは、斑と平田の居場所が分かったから、二人を引き取って、後から来る」

 引き取るという単語が引っかかったのか、ジョン太は怪訝な顔をした。

「あいつら、自衛隊の包囲を強引に突破しようとして、身柄を拘束されているんだ」

 あの二人らしいといえばらしいが、困った話だ。

「全く、困ったもんだ。まぁ、私らも強引に突破して来たんだが」

 所長は、平然と言った。

「境界は広がったし、他に色々忙しくて手薄になってるから、意外と簡単でしたよ」

 るりかも平然と言い切った。

「君、夏コミは?」

 気になったジョン太はたずねた。

「サークルと買い物は、友達に任せて来ました」

 るりかは言った。

「この埋め合わせは、体で払ってもらおうと思います。特に鯖丸先輩に」

「そうか。まぁ、助け出したら、ヌードモデルでもアシスタントでも、好きな様にこき使えばいいさ」

 自分に被害が及ばないので、ジョン太は安請け合いした。


 所長とるりかが乗って来たジムニーと軽トラに分乗して、皆は再び城へ向かった。

 陽は高くなって、うだる様な暑さだった。

 みかん畑以外にも、自然林が多く残っている城の周辺は、耳が割れそうな程セミが鳴いている。

 車を降りると、土や木や堆肥の匂いに混じって、果物が腐った時の様な、甘くて不快な匂いが強烈に漂っていた。

 城の表面を巻いた根は、夏の激しい日差しの中で、いよいよ本格的に腐れて来ていた。

 匂いと魔力に吸い寄せられた虫が、周囲を飛び回っていた。

 城から発する魔力で、すっかり魔導変化してしまった得体の知れない昆虫が、しつこくまとわりついて来る。

 菟津吹が、ずっと持ち歩いていたリュックの中から蚊取り線香を取り出して火を付け、大正安全蚊取りにセットし、腰から下げた。

 まとわりつく虫は、目に見えて減った。

 いいなそれ…と、フリッツは思った。

 ローテクだけに、魔界でも有効だ。日本を出る前に、絶対買って行こう。

「魔法の効かない、その影みたいな奴らは、基本的に任せる」

 所長は言った。

「私らはサキュバス担当という事でいいな」

「お願いします」

 ジョン太はうなずいた。

 るりかも、サキュバスと対した経験があるのは幸いだ。

 女二人に任せておけば、大丈夫だろう。

 るりかは不明だが、所長はトリコと違って物理的な攻撃力も高いので、影にあっさりやられてしまう心配はない。

 まぁ、るりかだってトリコよりはマシだろうし。

「吾輩は、魔方陣を壊すのが目的だから、加勢はしないと思ってくれたまえ」

 殿は言った。

「もしかして、出来ないのか?」

 殿が手を貸していれば、トリコと鯖丸が持って行かれる事も無かっただろう。

「そうだ。吾輩は今、本体と連絡が取れない状態になっている。この仮想人格で出来る事は限られる。余分な浪費は、慎まなければならん」

「お前、本物の殿じゃなかったのかよ」

 さすがにジョン太もキレそうになった。

 異界人が重要な事を話さないのは、単に人間と思考回路が違うからだが、ここでそんな告白をされても…。

「吾輩は吾輩だ。自分が複数存在する事に、君達は抵抗がある様子だが」

 異界人と言い争っても仕方がない。

「浅間が、大人しく投降しなかった時は、どうします」

 ジョン太は諦めて、所長に話題を振った。

「我々が受けた依頼は、浅間の確保だからな。死なない程度に痛めつけて捕まえる。それでいいな」

 菟津吹の方を向いた。

 ダメだ所長。そいつ、見かけは温和だが、暴走癖があるから…。

 ジョン太は内心思ったが、ここで自分が忠告するより、菟津吹の判断に任せた方が会社的には有利だと考えて、黙った。

「あなた方の判断にお任せします」

 菟津吹は、予想通りの事を言った。

「もしも、人命がかかっている様な状況でしたら、容赦はしないでください」

 お前、悪くするとクビになるぞ…と思ったが、はなからそうするつもりだったので、ジョン太は何も言わなかった。

「あんたの立場は、聞いてなかったな」

 所長がフリッツに向き直ったので、やっと、この中年の女が、ジョン太に替わって現場を指揮する事になったのだと気が付いた。

 ウィンチェスター程の経歴がある元軍人から、あっさり指揮権を取り上げられる相手が居るとは、予想もしていなかった。

「国連軍に、魔界対策本部なんて部署があるとは聞いてない。私情で首を突っ込んでるならいいが、お前、本当は何者だ」

 そこまで知っているとは思わなかった。

 伊達に、ウィンチェスターをあごで使っている訳では無さそうだ。

「そういう部署は確かにありません」

 フリッツは言った。

「それは、私個人の名称です」

 実績を積めば、それなりの人数の部下を与えられる予定だったが、何しろ仕事内容が内容なので、適任者が見つからなかった。

 呼び出されては、長期間の調査で拘束され、仕事がない時は好きな様に休暇を取れたが、何時呼び戻されるかも分からない様な状況が、二年近く続いていた。

 こんなでは、家庭を持って安定した生活なんか、とても出来ない。

 一時は転職も考えたが、他にやりたい事も思い付かなかった。

 色々面倒な事を思い出して、フリッツはため息をついた。

「名目上は視察して、報告する義務がありますが、元々休暇中なんで」

 フリッツは、正直に言った。

「正味、トリコが助かれば、他はどうでもいいです」

 怒ると思ったが、所長はにやりと笑った。

「いいね君、その自己中っぷり。魔力はそこそこだが、いい魔法使いになれるぞ」

 魔法使いって、そういう物だったのか…?

 しばらく考えて、そういう物かも知れないと思った。

 少し、気が楽になった。

「では、目的の為にも協力してもらわないとな」

 所長は明らかに、ただでこき使える人手が増えた事に喜んでいる。

 ジョン太は気が付いたが、気の毒なので沈黙し、一行は城の内部に向かった。


 入り口は塞がっていたが、開けるのは簡単だった。

 どうやら、城の基本を形作っている素材以外の、木や土や石といった、こちら側の世界で馴染みのある物は、あの、根の様な管と馴染みにくいらしく、木で出来た戸の向こうにも管がはびこっていたが、手で押し退けると、簡単に通り抜けられた。

 最初に来た時同様、しばらくの間は何の邪魔も入らなかった。

 黒い影は突然来た。

 ぶうんという低い振動と共に、影が押し寄せて来た。

 所長は当然予想していたが、るりかも、えぐい化け物を平然と見た。動じる様子もない。

「殺しちゃダメなんだったな」

 所長は確認した。

「そうです。なるべく殿から離れないで」

 化け物達は、学習していた。

 元から賢いのか、取り付いた人間の思考力を使えるのか、組織立って行く手を阻み、殿の存在にはじき返されながらも、波状攻撃をかけて来た。

 そうして、人は飛べないという事を知っているのか、攻撃されると天井近くへ逃れた。

 ハイブリットの二人が前へ出て、黒い壁の様に押し寄せる化け物を叩き落として行ったが、攻撃は中々止む気配が無かった。

 素手で触るだけで、少し熱を奪われるらしく、二人の動きは、少し鈍くなって来ていた。

 いくら殿が居ても、全ての化け物を遠ざけるのも、無理だ。

 このままではまずい。

 皆は、化け物が塞ぐ通路から、脇へ抜け、部屋の中に逃げ込んだ。

 窓から捨てられない大きさの、大量のガラクタが押し込められた部屋の中は、薄暗かった。

 きっちり閉めた戸の向こうに、ぱたぱたと化け物がぶつかる、軽い音がした。

 壁をこつこつ叩いていた所長は、狙いを付けた場所に、物質操作で穴をえぐった。

 向こう側にも、同じ様な部屋があった。

「行こう。このまま、あいつらの前へ出る」

 化け物相手には魔法が通用しないが、物になら使える。

 二三の壁を通り抜け、一行は化け物の群れる通路の、ずっと先へ出た。

 かなり遅れて、こちらに気が付いた化け物が追いすがって来た。

 ジョン太は、いつの間に拾ったのか、何に使われていたのか良く分からない棒切れをフリッツに渡した。

「直接殴るのはまずい。これを使え」

「分かった」

 今度は二人が後衛を引き受け、所長とるりかは、自分達に向かって来る物だけを、刀の鞘と魔法のステッキ(特殊警棒)で、追い払った。

 ふと、菟津吹にだけ、化け物がたかって来ないのに気が付いた。

 一度目に来た時には、そんな事は無かった。

 何が違うのだろうと考えたフリッツは、割と羨ましい装備『大正安全蚊取り』を見た。

 菟津吹のベルトから蚊取り線香を引き抜いたフリッツは、試しに化け物に向かってかざしてみた。

 明らかに、煙の周囲から化け物が引いた。

「予備は持ってないのか」

「あります」

 菟津吹は、リュックから小箱を取り出した。

 ぴっちり二個組になっている線香を、菟津吹とるりかが丁寧にバラし、ジョン太が火炎魔法で次々と点火した。

 周囲に、もうもうと煙が立ち込めた。

 人間も、ちょっと辛い状況だ。

 床の上に線香を放り出すと、化け物の移動はそこで止まった。

 何匹かは追いすがって来たが、叩き落とすのは楽な作業だった。

「あいつら、虫?」

 ジョン太は、殿に聞いた。

「さぁ」

 殿も、蚊取り線香が効くとは、思っていなかった様子だ。

「まぁ、吾輩の存在価値も、蚊取り線香程度だったという事だ」

 珍しく、謙虚な事を言っている。

「悲観するな。バルサンくらいの値打ちはあるさ」

 ジョン太は、慰めにもならない様な事を言った。


「来ているねぇ」

 浅間は、最上階の部屋で、つぶやいた。

 管に繋がっている彼には、城の中全てが見えていた。

 ただ、全てを把握するのは、むずかしい。

 人間は、そんなに大量の情報を、同時に処理する様には出来ていないからだ。

 そこで浅間は、部下にした蒲生組の連中に情報を渡し、それぞれの担当区域をスキャンさせていた。

 何か変化があった時だけ、情報がこちらに返されて来る。

 まさか、影達がヤブ蚊並みの扱いを受けるとは思わなかったが、勢い良く火を付けられた線香も、いずれは燃え尽きて消えるだろうし、影はいくらでも補給出来る。

「私が行こうか?」

 浅間の隣で、サキュバスが言った。

 浅間は、彼らしくない優しげな顔で笑った。

「いや、天地の守備区域だ。彼に行かせよう」

 意識を集中し、管で繋がった男に、大量の魔力を送り込んだ。

 同時に、こちらからの命令も伝えた。

『先ず、女二人を倒せ。年かさの方の本名は、押さえてある。名前は、土方里見。後から応援に、クシタニを寄越す』

 軽い笑いと共に、同意が戻って来た。

 何人来ても、こちらには無限に供給される魔力がある。

 愉快な気分だった。


 鯖丸が…いや、武藤玲司が目を覚ますと、そこは見知った場所だった。

 しばらくの間、しかし拭えない違和感と戦った。

 それは、自分が生まれ育ったマイナーコロニーの内部で、懐かしい光景が周囲にあった。

 隣には両親が居て、子供用の軽装宇宙服を着せてくれている。

 低重力コロニーでは、子供の身長が伸びるのは早い。

 地球人の子供なら、もっと年長にならなければ、船外作業に耐えられる様な宇宙服を着られないが、ここでは子供も重要な働き手で、宇宙服を着られるようになったら、大人の仕事を手伝うのが慣例になっていた。

 誇らしい気分だった。

 いずれは、ここを離れて、月か軌道ステーションの学校に入るだろうが、それまでは皆の仕事を手伝えるし、もう、小さな子供扱いはされない。

 普段、つかみ所のない父親が、にこにこしているのも意外だった。

 そう言えば、こんな感じの人だった。

 地球人で、動作は無器用だが力持ちで、今思うと、地球人としてもがっちりした体格だった。

 レトロな黒縁の眼鏡をかけていて、真顔で冗談を言う様なタイプの男だった。

 待て、何もかも過去形なのは、何でだ。

 隣で笑っている母親の顔と、悲惨な姿で切り刻まれた血まみれの遺体が、ぶれる様に重なった。

 小さな、細い手足の自分と、父親程ではないが、それなりにごつい体格の自分が、点滅する様に入れ替わった。

 悪い夢を見ているな…と思った。

 夢はたいがい悪夢だ。楽しい夢の方が少ない。

 何だか、ひどい悪夢が、どんどん通り過ぎて行った。

 夢にしても、これは酷過ぎる。

 皆殺されて、自分も、信じられない様な酷い目に遭って、地球に送られて、立ち上がる事も出来ない様な、重力の底に落とされて。

 重力はいつも敵だった。だから、ここへ来た時に、自由に操れたのだ。

 それで…ここって何処なんだ。

 何もかもがおかしかったが、何がおかしいのかは分からなかった。

 考えろ、正しい状況って、どんなだった?

 必死で考える内に、記憶が戻って来た。

 ただし、間違った状態で。


 意識は現在に戻っていた。

 何もかも、きちんと思い出せた。

 西瀬戸大理工学部の大学院に在籍していて、二年前に、ちょっと残念な結果で剣道部を引退していて、就職先は内定していて、魔界でのバイトをしている。

 両親は健在で、バイトと云っても小遣い稼ぎと生活費の足しにする程度の、気楽な物だった。

 交際相手との関係は良好で、将来の事で多少の意見の食い違いはあるが、思い悩む程でもない。

 平穏で幸せだった。

 こう在りたいと願っていた自分だ。

 待て、こう在りたいと願っていたのが今の状態なら、願っていた自分は、本当はどんなだ。

 考えてももう、全く分からなくなっていた。

 考えない方がいいんじゃないのか?きっと確実に、今より悪い状態のはずだ。

 本当はどうだったのかとか、そういう意識すら、次第に浮かばなくなっていた。

 昔、とてつもなく酷い事があった様な気がする。

 でも、今はそうじゃない。楽しい事もいっぱいあった。

 だから、酷い事はきっと夢だ。夢はなぜか、たいがい悪夢だったから。


 トリコは、管を遡っていた。

 魔界では、無線通信が全く行えない代わりに、外界以上に有線接続が有効だ。

 こんな風に繋がっていれば、おそらくリンクを張ってしまう事も可能だろう。

 管の先には、ざわざわとした気配が、無数にうごめいている。

 どれもこれも、はっきりとしない状態で、ぼんやりと夢を見ながら、魔力を吸われ続けている様子だった。

 たわいのない夢が多かった。

 金や権力や美貌や、変わった所ではレアでマニアックなアイテムを手に入れて、それなりに満ち足りてまどろんでいる者。

 現実で余程疲れていたのか、ただ単にもう、平穏な休息を求めて、眠り続けている者。

 どうしてそうなったのか分からないが、自分で求めて、苦悶の中に身を置きながら眠っている者。

 無くしてしまった愛情を取り戻して、安らいでいる者。

 どういうノルマのきつい仕事をしていたのか、締め切りのない世界とかいう桃源郷で寛いでいる者。

 百万匹の猫に踏まれている夢を見ている奴は、ちょっと危ない。

 それから、死んだ人間を生き返らせている者。

 ああ…これは私だと思った。

 自分がこの状況に置かれたら、絶対望みそうな事だ。

 端から見ると、それは醜い願望だった。

 体は、ずっと離れた牢の中にあるのだが、思わず目を背けてしまった。

 状況は分かった。もう、戻ろう…と思いかけて、止まった。

 何となく知っている感触のある意識が、混じっていたからだ。

 先に掠われてしまったトリコは、鯖丸も捕まっている事を知らなかった。

 しばらく気が付かなかったのは、それがあまりにも現実と違っていたからだ。

 残念な顔のくせに、どうやら自分の容姿に対するコンプレックスは無いらしく、外見はほとんどそのままだったが、他は全て違っていた。

 満ち足りた平穏な人生を送って来た、穏やかで優しげな青年が居た。

 何だ、この、気持ちの悪い物体は。

 バカで意地汚くて腹黒くて根性ねじ曲がっててすけべで、それでもとにかく絶対負けないのが、いい所だったろうが。何あっさり浅間の術にかかって、アホみたいな夢を見てるんだ。

 客観的に云うと、ほぼいい所がないという事実はスルーして、トリコは意識の中で手を伸ばし、鯖丸の首根っこをひっつかんだ。

「何やってんだ、こんなお洒落な服着てちゃらちゃらしやがって。お前に許可されてるのは、破れたジャージと仕事着だけだ。目を覚ませ」

 どう考えても、目を覚まさない方がまともな状態だ。

「あれ…トリコ、久し振り」

 間抜けな返事が返って来た。

 久し振りっておい、さっきまで一緒だったろうが…。

 こいつの改変された記憶の中で、私は一体どの辺の位置に居るんだ、あまり知りたくない様な気もするが。

 用心しながら、意識を接続した。

 見慣れた市街地に立っていた。

 周囲には、特に変わった様子もない。

「フリッツは一緒じゃないの?」

 あまり設定は変わっていないみたいだ。

「お前、ジョン太の事は忘れてないよな」

 一応確認した。

「何?俺、記憶喪失か何かだったの」

 いつも通りのアホそうな顔で笑った。基本的には鯖丸だ。違和感はない。

 しかし、これは違う。こんなのは。

 周囲には、地方都市とはいえ、そこそこの人通りがあった。

 かまうもんか、どうせ幻覚だ。

 トリコは、鯖丸の襟首を掴んだまま、もう一方の手を、ずぶりと額から頭の中に差し込んだ。

 思った通り、それは指の第二関節までめりこみ、頭の中に探りを入れた。

 現実だったら、外界でこんな事が出来る訳がない。

 鯖丸は、呆然としてこちらを見下ろした。

 内容も、大体予想した通りだった。

 ある一点以外は、ほぼ現実と同じ世界だ。R13での事件が、起こらなかった世界。

 両親は健在で、地球には自分の意志で来て、目標に向かってそれなりの努力をしている、ごく普通の青年。

 そうか、こんなどうにでもなる幻覚の中でも、そこそこ頑張ってるんだな、お前は。

 でも、こんなぬるま湯みたいな男は、鯖丸じゃない。

 ずぼりと額から手を引き抜くと、鯖丸は、呆然とした表情のまま、少し後ろによろけた。

 通行人が、何事もなかったかの様に、傍らを通り過ぎて行った。

「かわいそうな夢、見やがって」

 トリコは言った。

「あんな奴にいいようにされて、こんな所でのんびり、自分に都合のいい夢を見続けるつもりか。戻って来い」

 鯖丸や、捕まった周囲の人間達が、自分とは違う状況だというのは、何となく分かった。

 こいつら、長期的に魔力を吸い上げる為に、きっとひどい状態で生かされている。

「目を覚ませ。お前、自分が今、どんな状態か分かってるのか」

 言ってはみたが、実はトリコにも分からなかった。

 せめてこいつが、正気に戻らないまでも、物理的に目を開けてくれれば、周囲の状況が見えるのに…。

 鯖丸は、襟首を掴んでいたトリコの手を取って、そっと外した。

 それから、こちらの両肩に手を置いた。

 脳天気な青年の表情が、一変してしまっていた。

「分かってる、そんな事」

 ひどく暗い声だった。

「トリコは俺の事、不死身か何かだとでも思ってんの。俺だって、辛い事は普通に辛いんだよ」

 これが幻覚だと云う事は、どこかで理解している様だ。

「知ってるよ。パートナーなんだから」

 トリコは、ごつい青年の背中を抱いた。

 良く出来た幻覚だ。記憶していたのと、それは全く同じ感触だった。

 かすかに肩が震えている。

 きっと、泣いているんだろう。割とよく泣く奴だし。

「でも、負けないんだろ」

「そうだよ。負けるの嫌いだから」

 トリコから離れて、手の甲で顔をがしがし擦った。

 それから、自分の頬を指さした。

「きっついの頼むわ。叩き起こしてくれよ」

「分かった。覚悟しろよ」

 身構えた所で、がくんと意識全体が後ろへ引っ張られた。

「え…?」

 鯖丸の方も、目には見えないが、何かに引かれる様にのけぞった。

 身体感覚を奪われて、幻覚の中に居る鯖丸には分からなかったが、トリコには状況が理解出来ていた。

 急激に魔力を吸い上げられている。

 あいつら、城の中で派手に暴れ始めたな。

「トリコ!!」

 鯖丸は、こちらに手を伸ばした。

「時間切れだ。自分で目を覚ませ」

 トリコは言った。

 急速に引き戻される直前、おそらく鯖丸の体が目を開けたのだろう。見慣れた街角に、悪夢のような光景が、一瞬ぶれて重なった。

 その中心、見下ろす位置に、浅間が居る。

「待って、トリコは今どこに居るんだ。絶対助けに行くから」

 バカだな、そんな余裕ないだろう…と思いながら、映像を送った。

 鯖丸の意識に、見覚えのある牢の窓と、鉄格子の断片が届いた。

 それから、繋がった意識が断ち切られた。

 幻覚は、元の形を成して、再び何事もなく動き始めていた。

 平穏な日常と、痛みのない過去と、それから…。

「けっこう楽しい夢だったのに」

 ぶつぶつ文句を言ってから、自分の頬を両手で叩いた。

「しょーがないから、そろそろ起きるか」

 幻覚の光景が、ぼんやりとした現実に重なった。

 

 アロハシャツの男が再び現れた時、一行は城の半分を登っていた。

「ああ、何だかまた、魔力が上がってる」

 ジョン太はぼやいた。

 正確に言うと、魔力が上がったというより、容量が増えた感じだ。

「さすが西谷商会。いい面子を連れて来てるな」

 アロハシャツの男は、言った。

 いい面子と云うのは、つまり、魔力を吸い取るのに都合のいい相手だ。

 そして、こいつも吸い取った魔力を、どういう方法か分からないが、供給されている。

「蒲生組の天地だな」

 所長が言った。

 さすがに、現場にはあまり出ていないが、良く知っている。

 こいつの魔法は、空気操作系だ。鯖丸と同じ系統で、魔力が低ければ大した威力はないが、火炎系の補助としては有効だし、魔力が上がれば、絶大な破壊力がある。

 強化されているなら、油断は出来ない。

「一人で出て来て、どういうつもりだ」

「一人に見えるかい?」

 天地は笑った。

「まぁ、背後に五十人くらい居るな」

 所長は言った。

「見えてるのか?」

 フリッツは、ジョン太に尋ねた。

 ジョン太は、微妙に表情を歪めた。

 はったりかよ、何て女だ。

「こんな雑魚、どうって事ないだろ。やっちまえ」

 ジョン太に命令した。本当にこの女、とんでもない。

「まぁ、やっちゃいますけど、無傷で捕まえて、状況吐かせる方が良くないですか」

 ジョン太は、銃を抜いた。

 魔力が上がっているとはいえ、通常ならジョン太一人でも対抗出来る相手だ。

「要らん、そんなもん」

 言うが早いか、床から垂直に壁が伸び上がり、アロハシャツをぶちのめした。

 刀すら抜かないで、相手を叩き伏せた所長は、腕組みしてふんと唸った。

「基本的に、本名は知られてると思え。事情なんざ後で聞ける。出会い頭でぶちのめせ」

「何だ、この狂犬は」

「聞こえてるぞ」

 所長に睨まれて、フリッツは黙った。

 皆は、倒れた男をそのままにして、先を急いだ。

 背後で、かすかな物音がした。

 振り返った時には、天地が立ち上がり、攻撃を繰り出していた。

 ジョン太とフリッツが、真っ先に反応した。

 二人の反射速度なら、充分に対処出来るが、空間の限られた通路では、避けようがない。

 全員を両腕で絡め取って、床へ伏せた所で、菟津吹が瞬間移動を使った。

 当てる相手の無くなった衝撃波が、周囲を振るわせながら、通路を上って行った。

 天地の背後に出現するやいなや、フリッツが関節を決めて、そのまま絞め落とした。

 手応えが、何となくおかしかった。

 確実に絞め落とした天地が、普通に立ち上がっていた。

「やばい、こいつ死なないぞ」

 所長がうなった。いや…殺す気だったんかい、あんた。

「もう、生きてないのかも。ゾンビ的なあれで」

 菟津吹が、嫌な事を言った。

「生きてる感触はあったが…」

 普通の状態でないのは確かだ。

 痛覚とか恐怖心とか、そういう生存に大事な物がはぎ取られている感じ…。

 後ろから更に、何かが来た。

 再び、あの、影のような化け物が押し寄せて来た。

 先刻散々倒したのに、無限に供給されて来る様に見える。

 叩き落とした影が、人の姿に変わり、それからまた、影に飲み込まれるのが見えた。

 こいつら、核になっている人間を倒さない限り、何度でも再生して来る。しかし、中身の人間を殺す訳にはいかない。

 たかられる度に、ほんの少しずつ体温を吸われて、皆はじりじりと殿を中心に一カ所に固まって行った。

 影の向こうから、天地の声がした。

「土方里見、こっちへ来い」

「そいつを黙らせろ」

 所長が怒鳴った。

 ジョン太が銃を抜いて撃った。

 当たっている手応えはあるのに、倒れる様子がない。

 もっと致命傷を与えないと、無理なのか…。

 いくら敵側に回っているヤクザ相手でも、それはちょっと躊躇われる。

「黙らせればいいんですね」

 るりかが、どこからか紙切れを出して空中に飛ばせた。

 それは、生き物のように宙を飛んで、天地の口元に張り付いた。

 ナイスだるりか。

 しかし、るりかの技が決まる前に、天地は命令を言い終わっていた。

「その、横に居る女も連れて来い」

 所長が、るりかの腕を掴んでいた。

 魔力レベルではほぼ互角で、同じ物質操作系能力者だが、所長の方が圧倒的に熟練度が高い。

 るりかが、硬直した様にその場に固まった。

 そのまま、所長に引きずられて、殿の周囲の安全圏から一歩踏み出した。

「土方里見、戻れ」

 ジョン太が、こちらから命令をかけ直した。

 見えない小競り合いがあって、主導権をもぎ取られた。あいつの方が魔力が高いのか…この間までは、印象の薄い雑魚だったくせに。

 魔力レベルを引き上げながら、更に抵抗したが、取り戻せなかった。

 もう、仕方がない。

「くそう、後で怒られるのに〜」

 言いながら、所長をぶんなぐり意識を奪ってから、皆の方へるりかごと放り投げた。

 そのまま影をかき分けて突進し、天地をぶちのめす。

 その間、0.4秒。

 ジョン太の動作が見えていたのは、フリッツだけだった。

「おい、そんなじゃ、すぐに起き上がるぞ」

 フリッツが忠告した。

「起きて来たら、もう一回殴る」

 ジョン太は断言した。

「起き上がれなくなるまで、タコ殴りだ」

「何だ、それだったらこうすりゃいい」

 影をかき分けてやって来たフリッツが、いとも簡単に天地の手足の関節を外して、その場に放り出した。

「最初からやれよ」

 ジョン太は、悲惨な姿になって転がっている天地を見下ろして、言った。

「これでも意識があれば魔法は使えるからな。もう一発殴っとけ」

 やり方がえぐい。

 二年の間にこいつ、一体どんなひどい所に飛ばされ続けていたんだ。

「追って来れない様にしときましょう」

 るりかが、影を避ける様に四つん這いでこちらへ来て、天地に触った。

 見る間に、ずぶずぶと、天地の体が床の石畳に沈んだ。

 回復魔法では、外れた関節は治せない。

 物理的に元に戻すしかないのだが、石の中に固定されていては、それも出来ない。

 いくら魔力が高くても、空気系の魔法で、自分を傷つけない様に石を削って脱出し、自力か誰かに関節を戻してもらうには、相当な時間がかかるだろう。

「るりかちゃん、君もたいがいひどいね」

「頼もしいだろう」

 正気に戻った所長が言った。

「あいつらを閉じ込める。協力しろ」

 殿に向かって、ぞんざいな口を利いた。

 殿がうなずいてこちらへ来ると、影は押されて後退した。

 影の背後…今まで登って来た通路の後ろに、壁が伸び上がり、通路を塞いだ。

 壁に向かって押し戻された影は、狭い空間に集まった。

 更にこちら側から壁を作って塞ぎ、閉じ込めが完了した。

 もやもやとした影だけが、壁から漏れ出して来ていた。

 やはり、物質操作と云えども、魔法は効果がないのか…と、皆は思った。

 しかし、漏れ出して来たもやは、少しの間辺りを飛び回って、壁の中に戻って行った。

 核になっている人間は、壁を抜けられないのだ。

 少なくとも、誰かが壁を壊すまでは、影の動きを封じられる。

 念を入れる為に、菟津吹が壁に封印をかけた。

 そして皆は、無言でうなずき合うと、上に向かった。


 吹き抜けになった、広い場所に出ていた。

 通路と、それに沿って点在する部屋以外ない一方通行の空間を、今まで登って来て、やっと広い所へ出た。

 殿の城は、自然の小さな山を被う様にして建てられている。

 今までは、山肌を巻く様に通路を登って来たが、やっと山頂に近い場所に出たのだ。

 この先は、複雑な空間を抜けて、広い踊り場から、階段を上がった広間まで続いていた。

「ここで別れよう」

 ジョン太は提案した。

 もう、狭い通路を進むしかなくて、一気に全滅させられる危険は、犯さないで済む。

 魔法を使うにも隠れるにも、広い空間は有利だった。

「そうだな」

 所長は、ちらりとフリッツを見た。

「ジョン太、お前は殿を連れて、最上階へ行け」

 一番信用出来る者に、殿の確保を任せているのだという事が分かった。

 魔方陣の破壊には、殿が必要だ。

「るりかは、菟津吹と一緒に、別ルートで上」

「踊り場に出たら一本道だから、すぐ合流する事になりますよ」

 ジョン太が言った。

「何かあった時の保険だ。それから」

 フリッツの方を向いた。

「お前は、言われなくてもそうするだろうから、トリコの救出最優先だ」

 フリッツは、うなずいた。

「じゃあ、一時解散」

 皆は、三方に散った。

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