SEED OF LIE
見慣れた家の台所に、母が立っている。
少年は母の傍まで歩いていくと、くいくいと彼女の服の裾を引っ張って、手に持っていたノートを見せた。
彼女はそのノートを受け取ると、きらきらと目を輝かせてページを捲り、その内容を読み始める。
しばらくして、彼女は満面の笑みで少年を抱きしめた。
「ミオ、貴方の書く物語は、きっと誰かを救うわ」
その時かけてもらった言葉を、今でも覚えている。
彼女は、少年の書く物語が大好きだった。
「ミオ、貴方ってばどうしてこんなに素敵な物語を書くの?」
母さんが支えてくれているおかげで、僕は好きな物語がかけるんだ。
「ミオ、お母さんなら大丈夫よ。きっと貴方の物語が
皆に見つけてもらえるまで、頑張るわ」
母さん、無理しないで。
「ミオ、そんなに心配そうな顔をしないで」
母さん。
「ミオ」
「……ミオ、書き続けなさい。誰かの為の物語を」
✡✡✡
「____ッはぁっ!!」
ミオは、勢いよく飛び起きた。
「.........」
...あんな夢を見たのは、いつぶりだろうか。
最近は母の夢なんて一切見ていなかったのに。
それに、悪夢とまでは行かないが、何だか後味が悪い夢だった。何故かとても気分が悪い。
荒い呼吸を整えながら、すこし心を落ち着かせる。
少々時間を置いて次第に呼吸と気分が落ち着いてくると、まずミオの目に映ったのは自らの両手だった。
その両手には、丁寧に包帯が巻かれている。
...一体誰がこんな事を?
そしてふと、その手を自身の右頬に伸ばしてみた。
「...いてっ!」
指が頬に触れた瞬間、鈍い痛みが頬を走った。
思えば痛いのは頬だけではない。身体中がずきずきと痛み、おまけに鉛のように重たい。
____周囲を見渡してみる。
左から、真っ白い壁に、真っ白いカーテン。そして窓際には白い...彫刻のような物が置かれている。
そして同じく真っ白いベッドに、自分が寝かされていて...
順に視線を送り、視線が自らの右を向いた時。
「おはよう」
「ッ!?」
心臓が口から飛び出そうになり、咄嗟にベッドから起き上がろうとする。
が、ボロボロになった身体では急に激しく動くなど到底不可能であり、再度自分の身体に走った激しい痛みに顔を歪ませる。
「こらこら、まだ傷は全然治ってないんだから。急に動こうとしちゃダメだよ?」
ベッドの横の椅子に腰掛け、口元にうっすらと笑みを浮かべた男が幼子に語りかけるような口調でミオを諭す。
純白の制服に身を包んだその姿を見て思い出した。
自分が黒いローブの男と対峙したこと、そして危機一髪のところで、今目の前にいるこの怪しげな男に助けられたこと。
「...記憶の方は大丈夫みたいだね。よく眠れたかい?ミオ。ああ、君の名前は調べさせてもらった。君の持ち物の中の紙に書いてあったからね。あれは小説だね?なかなかいい作品じゃないか」
ミオはなにも喋っていないが、男は何でもお見通しだと言うように笑って、ぺらぺらと饒舌にまくし立てた。
その底の見えない笑顔と掴みどころのない雰囲気に、ミオは少々警戒する。
じっと探るような目線で男を見ていることにその男自身も気がついたのか、再度口を開いた。
「まあまあ、そう怖がらないでよ。僕は"教団"の人間だ。ボロボロにされて死にかけだった君を、僕がここまで連れてあげたんだよ。感謝されこそすれ、警戒される覚えはないな」
「......」
……その実、たしかにこの男の言う通りだ。
ただミオからすれば、彼の記憶が正しければの話であるが、この男はミオが殺されそうになった相手を、不思議な能力を操りものの十数秒で片付けた謎の人物。
そして本人も言っていたが彼は"教団"の人物。
つまり____
"ライアリスト"だ。
✡✡✡
この世界の人間は皆、魂に「嘘の種」が植えられている。
ある人間のついた嘘に"使命"が課された場合、その使命を養分として、嘘の種は発芽する。
発芽したそれは、嘘をついた人物に、ついた嘘に基づいた特殊な能力を授けるのだ。
特別な力を授けられた"発芽者"、通称「ライアリスト」。
ライアリストは世界中を探しても数えられる程しかいない。
そんな強力な力をもった貴重なライアリスト達は世界中からこのアルセイリオ王国にある"教団"に集められ、その力を人々の為に使うと誓いをたてさせられる。
そして日々、常人では手に負えない危険な任務をこなしているのだ____
「...とまあ、簡単に言えばこんな感じなんだけど、まあ、だいたい知ってるか」
一通りの説明を終えると、謎の男____名を、アディル・ファリオットと言うらしい____は、大きく伸びをした。
「こういう堅苦しい説明、僕苦手なんだよねぇ」
ミオはしばらく黙っていたが、ようやく口を開く。
「...確かに、だいたい一般常識としてまかり通ってるものだけど、誓いの件とかは知らなかった。ライアリストはもともと教団の為にあるものだと思っていたから」
ミオの言葉にアディルは肩を竦めた
「まあ、そうだよね。ほとんど警察みたいなものだし、神様から貰った力だって言うのに、国家にいいように利用されて、最早神聖さの欠片もないよ」
飄々としているが、アディルの並々ならぬオーラのようなものはミオにも感じ取れた。
口を開きはしたものの、ミオがまだ警戒を解こうとしないことを確認すると、アディルは軽く息を吐いて椅子から立ち上がる。
「それでここは、教団の医務室さ。医務室と言っても他の部屋とほとんど変わらないんだ。どこもかしこも真っ白で目が痛くなっちゃうよね、全く...ああ、ただの雑談だよ」
アディルは些か人との距離が近い傾向にあるようだ。
ただ人懐っこい性格かと言われれば、そんな可愛らしいものでもないような気がした。
「...どうして僕を教団の医務室に?あそこなら近くに病院もあったはずだ」
「...それは、自分が一番よく分かってるんじゃない?」
にこりと笑うアディルとは裏腹に、ミオはびくりと肩を震わせた。
「心当たりはあるでしょう。ね?」
____ない、と言いたいところだった。
あの時...子供が黒いローブの男に攫われそうになった時、子供の声と共鳴するように現れた光る文字、そして、光る万年筆と光の粒子、消えた子供...
彼のもとに起きた、明らかに通常の人間では起こせるはずもない超自然的な現象は、ライアリストのそれを想起させるものばかりだった。
「...いや、まさかそんなはずは」
「そのまさかだ」
アディルはその白い服とのコントラストでよく映える純黒の手袋をはめた手を、ミオの肩に置く。
「君の嘘の種は見事に発芽した」
その言葉に、ミオは目を見開いた。
「...ッ!そんなはずない!だって僕は嘘なんてなにも...!!」
ミオは肩に置かれたその手を振り払うと、どこか取り乱した様子で荒々しく言葉を放つ。
だが言い終わらないうちに、そんな反応には慣れているとでも言うかのような冷静な口調でアディルが言葉をぶつけた。
「では君は先程の一連の出来事について、"君がライアリストだ"ということ以外でなにか根拠を持って説明できるのかい?」
「......ッそれは ...」
信じられない事実を突きつけられ、ミオは困惑し、そして混乱する。
____自分がライアリスト?
しかし、ライアリストとなるにはまず嘘をつき、尚且つその嘘は己の魂に使命を刻む程の、大きく、深いものでないといけない。そうでないと嘘の種は発芽なんてしないはずだ。
「...ぼ、僕は...僕は嘘なんて付いていないし、種が発芽する理由がない。きっとこれは何かの間違い...そうだ、何かの間違いだ!」
「自分のついた嘘に気が付かないまま使命を背負ってしまうものも多くいる」
アディルは変わらず薄ら笑いを貼り付けてはいるが、その眼差しはどこか真剣だった。
「君の能力について君自身もまだ分かっていないと思うし、最初は酷く恐いだろう。その気持ちは痛いほど分かるさ。ライアリストとなる者は、ほとんどが元はただの一般人なんだ」
「............」
ミオは俯いた。自信の身に降り注ぐ怒涛の新事実や重すぎる宿命に、ミオの頭と心は全く追いついていなかった。
ライアリストと判明したものは、順次教団に送られ強制的に団員となる。
その制度はどこまでも残酷で、一人の普通の人間の人生に土足で踏みいり、めちゃくちゃにするようなもの。
ミオには守るべき家庭がある訳でも、親友がいる訳でもなかったが、どうしても、自分がライアリストとして教団に仕えるということに抵抗を感じた。
それはいち人間の心情としては相応しいものだろう。
「......まあ、そこまで心配することはないよ。僕らだって制服を脱いで能力を抑えればただの一般人と変わらない。カフェに行くことだってできるし、美術館を巡ることだって出来る。ただ少々危険な任務に駆り出されるけど、なにもひとりで立ち向かえと言っているわけじゃないよ。ここには同じ宿命を抱えた子達が沢山いるんだ」
アディルはミオの肩をぽんぽんと叩いた。
「いきなり任務だなんだって……僕は小説家だ。ひとりで静かに執筆をしていたい。本当に……僕に拒否権は無いのか」
ミオはアディルと目を合わせて、真剣に問うた。
アディルは少しばかり考えるような仕草をすると、ゆっくりと口を開く。
「……ない訳でもない。バックれられないかと言われればそういう訳でもない」
「……!?本当か?」
ミオはその言葉を聞くと希望の光を取り戻したかのように少し口角を上げて、「なら……」と続けようとするが、その言葉はアディルによって止められた。
「ただし、リスクも大きい。教団は突如として強力な力を手に入れてしまったライアリスト達の教育の場でもある。新しいライアリストは、ここで自身の能力を理解し、そして適切に向き合っていくための術を学ぶんだ。使い方、制御の仕方はもちろん、その力のリスクも学んでおかなければ万が一も有り得るからね」
……その言葉に、ミオは反論ができないでいた。
確かに自分自身、あの時の光の文字や粒子がなんだったのかすらまだ分かっていない。
その状態で教団を抜け出したとして、果たして本当に今まで通りの生活を送ることは可能なのだろうか?
否、ほとんど不可能に近いだろう。
嘘の種や発芽者の為の施設なんて、教団くらいしかないのだから。
「……」
ミオは俯いて黙りこくる。
確かに理屈はわかる。だがそれでも、、あまりに理不尽ではないか。望んで手に入れた力でもないというのに、ほんの偶然で自分のこれからの人生が全て決まってしまうだなんて。
そんなのは、簡単には受け入れられない。
しばらくミオの顔を見つめていたアディルは、軽く息を吐くと再度背中を押すようにミオの背中を叩く。
「大丈夫だって。案外楽しいものになるかもしれないだろう?確かに教団に入ることに抵抗を感じる者は多い。それは至極当然のことだ。教団は僕達を任務に使うけど、ただ逆に言えば僕達ライアリストを唯一安全に保護できる場所でもあるんだから」
にこりと笑って続ける
「それに、安心していいよ。僕は教団の中でもなかなか融通のきく立場なんだ。その僕が君のバックについてあげよう」
「......どういうことだよ?」
「僕は、偉い人って事だよ」
「...は?」
その時、医務室の扉がコンコンとノックされた。
その直後に男の声が聞こえる。
「ファリオット支部長、入ってもよろしいでしょうか」
ミオは首を傾げる
「支部長……?あんたの事か?」
たった今支部長と呼ばれたアディルは扉の外に向かって返答する
「おっ、来たね。入ってどうぞ~」
「失礼します」
ガチャリと扉を開けて入ってきたのは、アディルと同じような制服を着た男性だった。
男性はミオの方を一瞥すると、アディルに向き直って問いかける
「彼が例の?」
アディルはどこか自慢げに微笑むと大きく頷いた
「そうだよ。新入りだ」
「なるほど」
アディルよりかはオーラが薄めだが、彼もなかなかに実力のある人物なのだろうと見て取れる。
凛々しい顔立ちに落ち着いた雰囲気を纏っている、いかにも仕事が出来そうな青年だ。
「少年」
ミオは男に不意に声をかけられてびくりと身体を震わせ、少々緊張した様子で答えた
「はい……」
「体の調子はどうだ?歩けるか?」
「……いや、まだ…」
「そうか、では」
すたすたと真っ直ぐにミオの方へと近づいてくる
男はミオの目の前に立つと、何も言わずにスっと手をかざした。
突然の行動にミオは困惑し身構えた。
が、次の瞬間にミオの身体を金色のふわふわとした光が包む。太陽のような心地よい温かさで全身を覆われ、とても心地が良い。
身体の芯からエネルギーが湧き上がってくる感覚があった。
次第に光が収まる。
アディルが微笑んで言った。
「どうだい?身体はまだ痛むかい?」
試しに自身の手を閉じたり開いたりしてみると、先程まであった鈍い痛みが消えていた。右頬にも触れてみるが、確かに痛みはなかった。
「……こ、れは……」
「彼の能力だよ」
アディルは男の肩に手を置くと、自慢げに語り始めた。
「彼は回復速度を著しく加速させる能力の持ち主だ。非戦闘員だが、先程までは回復要員として任務に出向いて貰っていた。なかなか居ない貴重なライアリストなんだよ」
「お褒めに預かり光栄です。……私はシリス・トラーシェルド。教団の治癒担当だ。よろしく頼む」
シリスはアディルに軽く頭を下げると直ぐにミオに向き直り、簡潔な自己紹介の後にミオの方へ握手を求めるように手を伸ばす。
ミオはその手を取って軽い握手を交わした。
シリスの薄い藍色の髪が窓から差し込む陽の光に煌めいた。
彼はかけている眼鏡の縁をくいっと押し上げると、またアディルに視線を戻す。
「支部長。彼の"検査"はまだですよね?」
「うん。君に治療してもらったら直ぐに向かおうと思っていたところだ」
彼らのいう"検査"がなんの事だか分からなかったが、それよりもシリスの「支部長」という呼び方に疑問を抱いた。
「……さっきも聞いたが、支部長って、この人の事か?」
ミオはアディルを指してシリスに問うた。
シリスは少し目を見開くと、ひとつため息をつく。
「支部長、まさかその説明をしていなかったんですか?」
「いやいや君が来る直前にしようと思ってたよ」
確かにシリスが部屋に入ってくる直前、自分のことを「偉い人なんだよ」……なんて言っていたような気がする。
シリスはミオに向き直る。
「確かきみはミオと言ったよね?説明不足ですまない。教団にはここ本部以外にも、世界の各所に支部がある。彼は、この王都ノルヴェリス支部の支部長なんだ」
「ご紹介に預かりました~。言ったろ?偉い人だって」
ミオは目を見開く。教団の支部が複数あることにも驚きだったが、それ以上に今や世界の中心とも言えるアルセイリオの中心部、王都ノルヴェリスの長を任されている彼は、やはり只者では無いようだ。
「僕は怖い人じゃないから安心してね?各支部の支部長のなかでも僕は最も"シゴデキ"で"真面目"だと言われているんだ。信頼してくれて大丈夫だよ」
「あまりその話は聞いたことがありませんね」
シリスが即座にツッコミを入れる。その切れ味にアディルも一瞬固まった。
シリスは風のようにその話題を流すと、ミオに語りかけた。
「体が動かせるようになったのなら、急かすようで悪いが検査に出向いて貰いたい。君の能力の検査だ」
「……能力の、検査……」
ミオは自分の手のひらを見つめる。
教団の一員としてこれから生活をしてかなければならないという現実は未だに受け入れ難いが、あの時の光の文字や粒子の正体をはっきりと知りたいという気持ちはあった。
「……わかった。行くよ」
「協力感謝する」
ミオはベッドから立ち上がると、シリスとアディルの案内のもと、検査室へと向かうのであった。
✡✡✡
「……こ、これは……」
医務室の扉を開けて最初にミオを驚かせたのは、"教団"の内装であった。
教団の建物は円柱のシルエットをしていることは教団の外から見ていて分かっていた事だが、中がこうもシンプルな筒状になって居たとは思いもしなかった。
内壁に沿うような形で沢山の部屋の光が灯り、廊下は柵で保護されている。
柵から下を覗くとそれは奈落のように暗く、よく見えなかった。相当深く地下にも続いているのだろう。
逆に上を覗くと上は目が眩むほど眩しく、そのまま天への続いているのかと思わせるほどだった。
____まるで天国と、地獄のようだ。
"監視塔のないパノプティコン"を思わせる構造のそれは、どこかおどろおどろしい雰囲気をまといつつも、高潔さや威厳を感じさせるものでもあった。
ただアディルも言っていたように、医務室と同じく建物全体が真白く塗装されている。
壁も、扉も、窓も、柵も。
"教団"という名前によく合っているように思えた。
「興味津々だね。柵から落ちたら戻って来れないよ?」
ぼうっと建物を見つめていたら、不意に後ろから声をかけられてびくりと身体を震わせる。
「あはは、そこまでびっくりさせるつもりはなかったんだけど」
「ほら二人とも。はやく行きましょう。ドルノック教授がお待ちです」
少し先の方にいるシリスが呆れ顔でアディルとミオに呼びかけた。
「はいはい、ほら行こう」
「うあ、ちょっと……!」
アディルはミオの腕を掴むと大股で歩きはじめた。
そのすらっと長い足の大股はどうもミオの歩幅に合わずになんども躓きかけたが、なんだか悔しいのでそのことは黙って必死に前へと歩みを進めた。
しばらく歩くと、一つの部屋が見えてくる。
扉の前まできて表示板をみると、そこにはハッキリとした文字で「能力検査室」と書かれていた。
✡✡✡
「うーーーん……」
ミオは今椅子に座らされて、ある老いた男にじっと顔をのぞき込まれている。
ミオの手には、もともとミオの持ち物出会った万年筆が握られていた。
「もう一度やってごらん」
「……はい……」
老人__ドルノック教授と言うらしい__に言われるがまま、ミオは適当に万年筆を空中にかざし、【Apple】と文字を書いてみた。
当然傍から見ればなにもない場所で万年筆を振っている者にしか見えない。
ただそれミオにも同じことで、あの時のような光が現れることはなかった。
「うーーーーーん……」
「ダメそうかい?」
ミオの後ろから教授に声をかけたのはアディルだ。シリスはミオをこの部屋まで案内すると、他に仕事があるからとどこかへ行ってしまった。
今目の前にいるこのドルノック教授は"鑑定眼"という特殊な能力の持ち主で、新しくライアリストになったものは皆彼に能力の詳細を教えて貰うらしい。
長く伸ばした髭を撫でながら眉間に皺を寄せ、かれこれ十分ほど難しげに唸り続けている。
それほどミオの能力は複雑ということだろうか。
暫くして、教授は口を開いた。
「能力の発動直前、本当になにか特別な感覚やら、現象やらは起きなかったのかな?」
ミオは思い返してみる。
体が動かなくなって、もう諦めようと思った時に連れ去られる子供の助けを求める声が聞こえた。
だがこの話はもう先程教授に伝えた。それ以外に何かあったかと言われると、特にない気がする。
「……特には……」
「……ふむ……なにかこう、その瞬間に思い出したこととかは?」
「……ないですね」
「ふむぅ……少し待ってくれ」
教授は何やら難しい表情で、手元にある文献を読んだり、また別の分厚い本を開いたり、立ち上がって何かを確認しにいったり、ミオの手のひらをじっくりと観察して何かをメモしたり等、忙しなく動いた。
かれこれ数十分が経過した頃、ようやく口を開く。
「残念だが……………このタイプは私には難しい。ただ分かるのは、戦闘か非戦闘かでわけられる感じの能力ではないということだな……能力が初めて発動した時のことも聞かせてもらったが、恐らく……」
「……恐らく?」
ミオはごくりと唾を飲み込む。
「……万年筆で文字を綴ることによって、何かしらの"願望を叶える"力ではないだろうか?」
……願望を叶える?
ミオは目を見開いた…が、それよりも何故かアディルの方がその言葉に強く反応した。
「詳しく教えてくれ。発動条件は?」
教授はそのアディルの食いつき様に若干動揺しつつも、こほんと咳払いをしてから話しを続ける。
「発動条件は…そうだな、彼の心に関連するものだと、私は睨んでいるよ」
「……僕の……心?」
教授の言っていることはどこか抽象的で、はっきりしない。ただ、教授にもそのくらい曖昧にしか分からないのだということなのだろう。
「今私に分かるのは、その位の情報しかない」
「教授らしくないな。いつもならもっとズバッと診断しくれるだろう。私のときもそうだった」
アディルが訴えるも、教授は首を横に振った。
「君の能力ははっきりしていた。そのくらい魂に強く宿命が刻まれていたんだ。ただ彼の場合は……その刻まれた宿命が曖昧だ。もしかすると____彼自身が自分に刻んだ宿命では無いのかもしれない」
部屋に、少しの沈黙が流れる。
「…彼自身が刻んだ宿命ではない?そんなことがあるのか」
「現時点では、ただの憶測だがな」
教授はまたこほんと咳払いをすると、ミオに向きなおって口を開く。
「兎に角だ。まずは、実践あるのみだろう」
ミオはその言葉を理解することが出来ずに、首を傾げる。
「……実践?」
「……ああ!それがいいね」
アディルも教授の意見に賛成したようで、先程までの何かを考えるような表情からぱっといつもの飄々とした笑顔に変わった。
「早速近々、任務に取り掛かってもらおうということだよ」
「……はあ!?」
その言葉にミオは愕然とした。ついさっき教団に連れてこられたばかりで能力についてもまだほとんど分かっていないというのに、初任務だと?
馬鹿げている。そんなの自殺行為だろう。
ミオがわなわなと震えていると、それを察したアディルがまたにこりと笑った。
「大丈夫。僕も一緒にいくし、最初からそんなに難しい任務には向かわせないよ。いわゆるチュートリアルだ。君の能力について現状調べる術がない今、実際にどのような状況がでそれが発動するのか調べるのがいちばん手っ取り早いだろう?」
理屈は分からないでもない。だがどうしてもそう簡単に首を縦に振ることは出来ない。
「ふざけるなよ、死ににいけって言ってるようなものじゃないのか!?」
ミオが怒りを露わにすると、今度は教授が口を挟んだ。
「アディルがついて行くって言っているんだ。安心するといいよ。かれの能力は戦闘系最強クラスだ」
教授の言葉に、アディルは鼻を高くして自慢げに頷いた。
____思い返してみればその話自体は信じられないものでもない。
謎の影を操る人物も十数秒でこてんぱんにした、あの凄まじい能力。
それが彼のライアリストとしての能力だというなら、別に彼の"最強クラス"というか肩書きを疑う材料をミオは持ち合わせていなかった。
「大丈夫、大丈夫。何かあったら僕が守ってあげるから。君には指一本、ガラスの一欠片にすら触れさせないよ」
アディルが人差し指を唇に当ててウインクする。
その胡散臭い表情の男を信頼するのはあまりにもハードルが高かったが、実際ここでミオがいくら反抗したところで強制的に初任務とやらに連行されるのだろうということは薄々分かっていた。
ミオは元々物分りのいい人間という訳ではなかったが、今日一日で色々なことが起きすぎて脳が疲れているのかもしれない。
しばらくの沈黙のあと、ミオは深いため息をついてアディルに声をかけた。
「…………住み込みか?」
「ん?」
「ライアリストは、教団に住み込みで任務に行くのか?」
その言葉を聞いて、アディルはぱっと眩しい笑顔になる。この男の表情筋は毎日忙しそうだ。
「任務に行く気になってくれたんだね!」
「いや別に行く気にはなってな……」
「もちろん住み込みさ!!!君の部屋へ案内するよ!!!」
「おい……!!」
ドタバタと騒がしい音を立てながら部屋を出ていく二人を見送ると、教授はふうっと息をついた。
そしてしばらく考えるような仕草をしてから、ぽつりと呟く。
「……あれは……良くも悪くも、この世の大きな何かを変えてしまうかもしれないな……」
✡✡✡
ベッドに大の字で寝転がりながら、ミオはぼうっと天井を見つめていた。
アディルに案内された部屋は、医務室と何ら変わらない、殺風景な真っ白い部屋だった。
あるものは窓と、机とベッド、クローゼットなど。
そのどれもが純白に身を包んでいる。
部屋に案内してくれた時にアディルは、執筆作業がしたくなったらいつでもこの部屋でやっていいと言ってくれた。
出版を手伝ってくれる老人の貴族のことも話したら、教団からでも連絡を取れるように調整してくれると。
持ち物であった万年筆と原稿用紙とカバンを返されて、アディルは「分からないことがあったらなんでも聞いてね」とまた変に上手いウインクをかまして部屋を出ていった。
ミオはため息を着く。
「……落ち着かないな」
ベッドから起き上がり、机の上にのった紙束を見る。
そこには原稿用紙の他にも、先程受け取った別の紙束が置いてあった。
アディルが言うには、"初任務"とやらの詳細書らしい。奴には「今回は全く危険じゃなさそうだからラッキーだね」なんて言われたが、それが本当かどうかも怪しい。
おもむろに椅子に腰掛け、その紙束を捲って内容に目を通す。
「…………謎の団体の調査……?」
内容は簡単にするとこうだ。
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その団体は"一人の人物"によって運営されている様だ。その団体の団員らしき人物たちはその一人の人物を心から慕っている、または信仰すらしているように見える。
その周辺は治安の悪さで有名だったが、その団体が出来てからはトラブルの話も聞かなくなり、安定している様だ。
調査班に周辺を調べさせたが、そこで強力な嘘の種の気を感じ取った。
我々はその団体の中にライアリストがいる可能性があると見て、今回、本格的にその団体内部へ潜入し、調査を実行することにした。
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「……新しいライアリストを探す……ってことか」
この詳細を読む限り、アディルの言っていたように確かにあまり危険な任務では無さそうだ。
「……まあ……ただ聞き込みしたり良いだけだろう」
一通り詳細を読み終えると、睡魔が襲ってきた。大きな欠伸をすると、ミオはふらふらとベッドまで戻り、顔面から倒れ込んだ。
「……疲れたな」
余りに衝撃的な出来事の数々。
ミオの身体はとっくにキャパオーバーだった。
瞼の重みに任せて目を瞑る。
数刻もしないうちに、彼は深い眠りへとついた。
✡✡✡
____月明かりの差し込む協会。
美しいステンドグラスから零れる月光は、色とりどりに輝いて男の長い銀の髪を彩った。
「…………月は、あの日から何も変わりませんね」
ふっと瞳を閉じて、静かに微笑む。
「……もう少しで」
男はステンドグラスに手をついて、恍惚とした笑みで呟いた。
「もう少しで、貴方々の未練も晴れるでしょう。
____明日、ここで流れる血を見れば、きっと…」
to be continued
こんにちは。黎ノ暁です。
第二話ですね。説明パートが多いので書くのが大変でした。
続々と新キャラクター、怒涛の展開、早々に私の頭が追いついていません