第1話
亡くなった祖父の遺品整理を頼まれた久慈原里穂は、オーサカ都鶴見区にある、祖父の家を訪れていた。
そこで、押入れの奥から、お中元に渡すような古びた箱を発見する。
中身を確認すると、小箱に入った赤い宝石の付いたネックレスと新聞の紙面が一枚。
そして、これらを里穂に残す。と、書かれたメモが入っていた。
なぜこんなものを私に?
疑問に思った久慈原だったが、遺品整理を優先させ、1通り整理を終わらせた。
自宅のマンションに戻ると、興味本位で紙面を読み始める。
この紙面の発行元は創成新聞社の紙面で、1980年に創刊と書かれていた。
【強行された自衛隊軍事訓練、神白島にて】
特集記事なのか、見出しに関するものが、つらつらと書き綴ってある。
記事によれば、1975年。
オーサカ湾の淡路島と泉佐野を直線状に結んだ場所にある神白島。
住人は160人弱と、集落と呼ばれるほどの人口だった。
しかし、神白島の真下を通るオーサカ活断層帯が起こしている、スロースリップ現象により、本土への避難が可決された。
島民は抵抗を示したが、1978年。
人口は、自然死も含め急激に減少し、限界集落となり、社会的共同生活が困難になった島民は、政府の説得により島を破棄。
約30名が本土へと渡った。
しかし、真相は違う。
実際、その日は人口調査という名目で島に上陸。
政府から派遣された役員数名と、選抜された自衛隊員が派遣された。
そして、島民30名を助けたのだ。
神白島に上陸した我々は、狂気に満ちた島民と邂逅した。
島民は、羅真様の降臨を妨げるなと、突然、襲い掛かったからだ。
私の知る限りでは、その戦闘で自衛隊員や役員、合わせて6名が死亡した。
制圧後、1980年に島は沈み、オーサカ湾から姿を消した。
政府の圧力なのか、密約なのか。
秘密厳守を言い渡され、現在も公にはならず隠されている。
記事を読み終えた久慈原は、好奇心からパソコンに向かった。
1980年、創成新聞と検索エンジンに入力する。
マイナー新聞なのだろうか。
創成新聞社に関する記事は出てこない。
次に、神白島、沈む、1978年と入力した。
しかし、これもヒットしない。
もっと時間を掛けて検索すれば出て来るかも。
ふっ。とパソコンの右下にある時刻を確認すると、仕事に支障が出る時間だった。
後ろ髪を引かれながら、久慈原は仕方なく眠ることにした。