魔王が消えた日
「ふはははは。勇者はいま、この魔王によって滅ぼされた。どうだ、お前たちだけ取り残された気分は。さあ小童ども覚悟はいいか」
暗黒の霧に覆われた魔界の大地、立ちはだかる魔王の足元に血塗れで伏すのは、かつて勇者と呼ばれた男。そこから距離を置いて魔王に対峙する三つの人影があった。勇者パーティーの生き残りである。
人の性格というものは十人十色、この場合は三者三様と言えようか、この極限状態においてその思惑もまた様々であった。
(この帰還魔法を無効化する霧からさえ逃れられれば…あるいは地上に戻り援軍を求められるやもしれん)
(魔王をこのまま見過ごす訳にはいかん…今やらねば我々の世界はやがて闇に呑まれる)
(どうにか戦闘態勢を整えて…勝機を見出さなければ…)
魔王がおぞましい雄叫びをあげる。最初に踵を返してその場から立ち去ろうとしたのは、この中で最も体格がよく威勢のよかった戦士であった。世界中から希少な鉱石を取り寄せ、特級の鍛治師が打ち上げた武具に身を包みながらも、困難に立ち向かう勇気は持ち合わせていなかった。
「わ、私は逃げるのではない、これは戦術的撤退だぞ。お前たちここを離れるまでやつを食い止めるのだ」
そう息巻く声も恐怖に震えているのであった。
「ふ、愚かな人間よ。お前から消えるがよいわ」
低く唸るような声でそう呟くと、魔王は凍てつく息を吐き、戦士を氷漬けにしてしまった。
「こうなっては致し方ない。儂の最後の力、お主にぶつけてくれるわ」
パーティーの中で最年長、絹のローブを羽織った白の賢者は手に持つ杖に魔力を込め、聖なる雷を召喚した。閃光が魔王を打つ。
「ふははは。魔界に雷を呼ぼうなどと浅知恵を。この闇の霧の中では光は何の力も及ぼさない。まだそれがわからんか」
魔王が指先を弾く。闇の霧があたかも生命を吹き込まれたかのようにうねうねと動き出し、白の賢者を襲う。
「く、苦しい、息ができぬ…」
白の賢者は喉を掻きむしりながら息絶え、その場に倒れた。
「確か…もう一匹残っておったな」
魔王がその三つの目を向けると、その先にはまだ少女であろう一人の魔道士の姿があった。
「お前もすぐに楽にしてやろう」
「いいえ、わたしはこの場を脱します。あなたを打ち倒して」
「小娘に何ができるというのだ」
「皆さんの犠牲は無駄にしません。あなたが気を取られている間に、詠唱は終わりました」
魔王は薄ら笑を浮かべて少女を嘲る
「この魔界では聖なる力など無力なのだ、さあ食らわせてみよ、そのしがない魔法とやらを」
「いいえ、わたしが操るのは…時の力」
少女がそう言い終わらないうちに、魔王の周りの空間は歪みはじめ、その巨躯を飲み込んでいった。
「な、なんだと。こんなことが…一番弱そうな小娘に我がしてやられるなど…」
と恨みのこもった言葉を残し、魔王は次元の彼方に消え去っていった。
「これでほんとうに魔王を滅ぼせたわけではない。だけどいつの時にか、魔王を討つ勇者が現れる。きっと…」