この世で一番きれいな花
「生まれ変わるなら、わたしは花になりたい。この世で一番きれいな花に。」
今際の際でそう願う、その若い女は、とびっきりの不細工だった。
その若い女は学生で、薬剤師になることを志し勉強している。
美しく長い髪は、すれ違う男をハッと振り返らせることもある。
しかし、その若い女の後ろ姿に声をかけた男は十中八九、
がっかりした顔になって遠ざかっていく。
何故なら、その若い女の顔は、お世辞にも美人とは言えなかったから。
ぼやけた目鼻立ち、ひん曲がった口元、痩せぎすな体。
口の悪い子供なら不細工と言い放つことだろう。
美しく見えるのは、長い髪の後ろ姿だけだった。
そんな見かけをしているものだから、
その若い女は、外見や顔で人を幸せにすることは諦めている。
それ以外のことで人を幸せにしてあげたい、癒やしてあげたい。
「わたしみたいな不細工でも、人の役に立ちたい。」
そんな理由から、その若い女は薬剤師を志すことにしたのだった。
特別に賢くもなく、要領もよくはなく、苦学して今の学校に入った。
毎日、学校の授業とその予習復習で大忙し。
勉強に夢中で寝食も疎かになりがちで、たまにクラっとすることも。
その時、その若い女は、
後にそれが大変な事態を引き起こすことになるとは、
夢にも思っていなかった。
ある日、その若い女は、いつものように学校にいた。
授業を終えて、次の授業の準備をしている最中、
急に強い目眩を感じて倒れてしまった。
「あれっ、わたしどうしたんだろう。寝不足かな。」
すぐに学校の保健室へ運ばれ、それから病院へ行くことになった。
病院で診察した医者が眉を顰め、もっと大きな病院へ行くよう勧められた。
言われるがまま、その若い女は大きな病院へ行き、精密検査を受けた。
大きな病院でも、やはり診察した医者の表情は冴えない。
やがてその若い女の両親が呼ばれ、
その若い女は重い病気であることが告げられた。
「わたしが病気?嘘でしょう?」
その若い女は、自分が重い病気であると、
にわかには受け入れることができなかった。
しかし、自覚症状はなくとも病気は進行する。
医者の不養生とはなんとやら。
薬剤師を志すその若い女は、
重い病気により、薬剤師になるどころか、
自らの命が長くないという宣言を受けた。
それから月日は過ぎ、その若い女の体はみるみる悪くなっていった。
体は鉛のように重く、正体不明の激痛に襲われる。
今やその若い女は、一日の大半を病院のベッドの上で過ごす毎日だった。
「わたし、もうすぐ死ぬのかな。
薬剤師になって、病気の人たちを癒やしてあげたかったのに、
その前に自分が病気になるだなんてね。」
乾いた笑い声をあげて、その若い女は眠りに落ちた。
眠りに落ちて夢を見た。
夢の中で、その若い女は、見知らぬ一人の老爺に出会った。
周囲は薄明るく開けた広大な空間。
もやもやと足元に雲のようなものが滞留して敷き詰められている。
その老爺は白髪に白髭で、白いローブのようなものを着ている。
手には捻れた木の立派な杖を持っている。
穏やかな微笑みを浮かべるその顔に見覚えはなかった。
神様。その老爺の特徴を一言で述べるなら、その言葉が相応しい。
そして実際に、その老爺は神様のように語り始めた。
「娘よ、よくぞこの天界に来た。
もっとも、お前にとっては、望まぬ結果であろうがな。」
「あのう。天界って言いましたか?」
「そうだ。ここは天界、お前たち人間がいる下界とは違う場所。
お前は魂となって、この天界にやってきた。」
「魂ってことは、わたしは死んだんですか。」
「そうだ。」
老爺の返答がその若い女の心を残酷に抉る。
だが、意外なことではなかった。
自分が重病を患っていると知らされてから、
いつかこんな日が来ると覚悟だけはしていた。
心残りはたくさんあるけれど。
そんなその若い女の胸中を察しているのかいないのか、
老爺は白い髭を撫でて語り始めた。
「お前は死んで魂になった。それは事実だ。
だが、本題はここからだ。
死んだお前は、転生する先を選ぶことができる。
お前は次に転生する先の希望はあるか?」
どうやら輪廻転生は実在するらしい。
そんなことをおぼろげに思いながら、その若い女は尋ねた。
「転生する先って、何でもいいんですか?例えば神様とか。」
「それは流石に無理だ。
人間が死後に転生する先は、人間かそれより下位のものに限られる。」
「人間より下位って何ですか?」
「うむ、動物や植物なら何でもと思えばわかり易かろう。」
「ちなみに、人間より上位のものって何?」
「自分よりも上位の存在について、説明しても理解するのは難しかろう。
儂のようなものなどだと思えばいい。
そういった存在には、今のお前はまだ転生できない。
さあ、何か転生したいものはあるかな?」
死後に転生する先の希望は何かと問われて、その若い女は考える。
生前に残した未練は山とある。
薬剤師になる夢も叶えていないし、人並みの恋愛もしたことがなかった。
もう一度、人間に生まれ変わることができれば、
人生をやり直せるだろうか。
いや、待てよと、その若い女は老爺に問うた。
「もう一度、人間に転生することはできるんですよね?」
「うむ、そうだ。転生先に人間を選んでもいい。」
「その場合、どんな人間になるんですか?
自分自身の体で生き返るの?」
「それは不可能だ。お前はもう死んだのだから。
自分自身の体を転生先に選ぶことはできない。
人間に生まれ変わる場合は、それ以外は何も選ぶことはできない。
いつの時代、どこの誰に生まれ変わるか、全ては時の運次第。」
「時代って、生まれる時代も変わっちゃうんですか。」
「天界は時間が一方向だけに流れているわけではないからな。
お前が死ぬ前に生きていた時間より、
遥かに前や後に転生することもありえる。
しかしその全ての要素は選べない。
それが人間に生まれ変わるということだ。
逆に、動植物に転生するのなら、時や場所や種族などは選ぶことができる。」
人間に転生するのなら、後は運任せ。
動植物に転生するのなら、時や場所や種族は任意に選ぶことができる。
一見すると、人間に転生するのがいいように感じられる。
人間に転生すれば、薬剤師になる夢も、恋愛も、叶えられるかもしれないから。
しかしと、その若い女は考え込む。
果たして自分は、もう一度人間に転生しても、同じ夢を見るだろうか。
転生するということは、まっさらな人間に生まれ変わるということ。
人間には無限の可能性がある。
逆を言えば、人間に転生したら、何をするかはわからない。
不細工なりに人を癒やしてあげたいと志した夢だが、
もしも新しい人間に生まれ変わったら、自分は何をするだろう。
最悪、他人を癒やすどころか傷つける人間になるのではないか。
悪い予想を始めると止まらなくなってしまう。
人間が持つ無限の可能性が、今はその若い女の懸念材料だった。
あるいは、存在目的が単純である動植物の方が、
転生した後の行動は予想し易いのではないだろうか。
そうしてその若い女は、一つの結論にたどり着いた。
「わたしは、生まれ変わるなら、花になりたい。
どんな花も人に危害を加えることはない。
毒草の花でも、遠くから見ている分には害がない。
だからわたしは、今、人を癒やすために、花に転生したい。
人間だった頃のわたしは、お世辞にも美人とは言えなかった。
だから、この世で一番きれいな花に転生して、
その美しさで人を癒やしてあげる存在になりたい。
それがわたしの夢。」
それが、その若い女の結論だった。
無限の可能性がある人間に転生するのを止め、
美しいだけの花になって人を癒やす。
それが、生前に叶わなかった、薬剤師になって人を癒やす夢の代わり。
その若い女の返事は、神様たる老爺に届いた。
「うむ、わかった。
ではお前は、次は花に転生するがいい。
この世で一番きれいな花だ。
きっとお前は、人々に愛され癒やしを与えることだろう。
では、さらばだ。」
周囲の広大な空間が薄暗くなっていく。
足元の雲が抜けたような感覚がして、その若い女は意識を失った。
どこかの山奥、森の中。
背の高い木々が生い茂る空から、木漏れ日が降り注ぐ。
木漏れ日が差し込む一角に、きれいな花が咲いていた。
その若い女は今、花になっていた。
人間だった頃の記憶はもうない。内も外もただの花。
同種の花が複数で一つの存在を形成している。
身動きを取ることはできないし、人間のような高度な知性はない。
ただ、植物にも魂という心はあって、
その心には唯一つ、人を癒やしてあげたいという夢が刻まれていた。
その若い女が転生した、その花は、
真っ白で艷やかな、それはそれはきれいな花だった。
一度目にすれば、誰もが魅了されるに違いない。
現に山奥の森の中で、他の動植物たちからとても大事にされていた。
その若い女だったその花は、他の動植物たちとともに、
山奥でひっそりと静かな生活を送っていた。
するとそこに、余所者が変化を運びもたらした。
人間だ。
人間の旅行者が、道にでも迷ったのか、
偶然にもこんな山奥に足を踏み入れたのだった。
その人間は、その花を一目見るなり、うっとりと見惚れた。
「こんなところに、こんなにもきれいな花が咲いているだなんて。
これは何という花だろう。
いや、名前なんてどうでもいい。
このきれいな花を、他の人たちにも見せてやろう。」
そうしてその人間は、森にひっそりと咲くその花を、
周囲の土ごと何輪か採取して持ち出したのだった。
花は同種で一つの存在を成す。
だから、幾つかがわけられたところで、痛みなどはない。
ただ体の部位が遠くに離れているだけ。
その若い女だったその花の魂は、おぼろげにそれを感じ取っていた。
人間は持ち出したその花を、山の麓の村に持ち込んだ。
「おい、みんな見てくれ。
山の奥で、こんなにきれいな花を見つけたぞ。」
集まった村人たちは、その花を一目見るや、うっとりと顔を綻ばせた。
「うわぁ、きれい。」
「こんなにきれいな花、私見たことない。」
「僕もだよ。
この花を見ていると、心も体も癒やされていくようだ。」
その花に魅了された村人たちは、早速その花の苗を大切に植え替えた。
「この花を殖やして、ここに花畑を作りましょう。」
「それはいい。
山の奥にまだ花があったはずだから、それも取って来よう。」
そうしてその花は、全てが採取されて村の花畑に植え替えられた。
その若い女が花に転生する前から志していた、
人を癒やしたいという夢の第一歩だった。
村の花畑に植え替えられたその花は、
順調に根を下ろし、その数を殖やしていった。
しかし、花の数が殖えても人間で言うところの人数が増えたわけではない。
植物は同種で一つの存在、体が大きくなっても魂は一つのままだった。
その花はもっとたくさんの人を癒やしたいと、精一杯のきれいな花を咲かせた。
その花の美しさは評判を呼び、村を訪れる人も増えた。
しかし、事はその花の希望通りにはいかなかった。
村人は、この花がここにしかない特殊な花だと知って、独占しようと考えた。
世界で一番きれいな花は、他所には移さず殖やさせず、
この村だけで見られるもののままであることを目論んだ。
村の出入りには厳しい検査が要求され、
その花が外部に持ち出されることを固く拒んだ。
時にはその花の一部をこっそり持ち出そうとした人間が、
村人たちによって厳しく処罰されたこともあった。
遠く山の村へ足を運んでも、その花を見るだけ。
その花の人気にあやかった土産物こそあれ、花自体は決して手に入らない。
それでも、その花の美しさは人々を魅了し、
人間たちはその花に癒やされようと、喜んでその村に足を運んだ。
その花の美しさの人気は衰えることがなく、たくさんの人がやってきた。
人々はその花を一目見るだけで、心も体も癒やされていった。
その花自体も、人々を癒やしたいという夢が叶って喜んでいた。
しかし、いいことばかりではない。
たくさんの人と物と金が集まれば、人心を惑わす存在となる。
その花の花畑を作った村でも、村人たちの間で綻びが出来つつあった。
村を訪れる人たちは、食事をしたり土産物を買ったり、村に金をもたらす。
しかしその金は、無関係の村人の手には決して渡らない。
村に人が増えて皆が迷惑しているのに、それは不公平ではないか。
最初はそんな些細な不平だった。
それに対して、その花で利益を得ている人たちは、強烈に反対した。
村に人と物と金が集まれば、それは回り回って誰もが得になる。
それでも反対するのは、村が嫌いな人たちなのではないか。
結局、不平は数によって押し潰された。その場はそれで抑えられたかに思われた。
しかし、荒んだのは人心だけではない。
村ではその花の花畑を広げるために、周辺の開発を押し進めた。
豊かな森を切り開き、他の動植物を追い出して、その花の花畑としていった。
先祖代々から長年守ってきた山も畑も、その花の花畑にされてしまった。
そうしたら罰が当たった。
ある時、季節外れの大雨が続いた末に、大規模な土砂崩れが起こった。
山と森を切り開いて作ったその花の花畑は、土砂の下敷きになってしまった。
今まで土砂崩れを防いでくれていたものを、人間が花畑に変えた結果だった。
被害は村にまで及び、いよいよその花に対する不平は抑えられなくなった。
「村がこんなことになったのは、あの花のせいだ!」
「俺は最初から反対だったんだ。
先祖代々の土地を花畑にしてしまうだなんて。」
「きっとあの花は呪いの花なのよ。
あの美しい外見で人々を魅了して、数を殖やすために利用してるんだわ。」
「私たちはあの花に利用されていたんだ。」
「もう十分に稼いだだろう?
あんな花、もう全部刈り取ってしまえ。」
「刈り取るだけじゃ足りない。
もっと酷い目に遭わせてやらないと、気が収まらない!」
「もう二度と、人間を利用できないようにしてやる。」
そうして、その村では、その花は禁忌の存在とされ、
大々的な狩りの標的とされた。
あの美しい花畑に火が放たれ、あの花たちが焼き殺されていく。
村では今、あの花の駆除の真っ最中だった。
かつては村に財と癒やしをもたらしたその花は、
今や不幸と不和の原因として、憎み刈り取られる対象になっていた。
花畑だけでなく、道端に生えているその花が、根ごと刈り取られ火に焚べられる。
村人たちは今、その花を共通の敵とすることで、失った団結を取り戻していた。
その花が刈り取られ、火に焚べられる度、その魂は激痛に晒されていた。
そうして数を減らされ、僅かに残されたその花も、村人たちは許さなかった。
「この花が、こんなに美しい外見をしているのが悪いんだ。」
「品種改良して外見を変えてしまえ。
もう二度と人間をたぶらかさないようにな。」
「どうせなら、この世で一番、醜い花にしてやろう。」
そうして、村人たちは、その花を他の草花とかけあわせて、
二目と見られぬような醜悪な見かけの花にして、山奥に植え返したのだった。
醜い自分の外見でも人々を癒そうと、その若い女は薬剤師を志した。
しかし病によりその生は志半ばで失われ、その若い女は花を転生先とした。
この世で一番きれいな花となって人々を癒やすという夢を叶えるために。
山奥の森の花にひっそりと転生したその若い女は、
人間に見初められ、麓の村で独占的に栽培されることになった。
美しい花は人々を癒やし、その若い女の夢は叶ったかに思われた。
しかし、村に集まった人と物と金は人心を惑わし、不和を引き起こし、
村人たちの憎しみはその花となったその若い女に向けられた。
人間を惑わした罰として、その花になったその若い女は、
美しい姿を奪われ、この世で一番醜い花にされて山に放たれた。
今のその若い女は、かつての美しさはなく、
一見するとただの雑草にしか見えない。
虫たちには食い物にされ穴だらけになり、
動物たちには踏み潰され、食われては虫下しに吐き捨てられる。
花に転生してもなお、その若い女は人を癒やす夢に破れた。
今はただ我が身の儚さに魂は涙していた。
ところが、そんなその花たるその若い女の預かり知らぬところで、
失われたはずの夢はまだ動き続けていた。
村からその花の花畑が撤去され、幾季節が過ぎたある日。
村で正体不明の病が発見された。
その病気は今までにどこでも確認されたことがないもので、
進行すると命に関わる。
病気はその原因もわからないままに広がり、
あっと言う間にその村は病人だらけとなった。
今更その原因を調べることも難しいが、
一時期に増えた旅行者たちが持ち込んだとも、
花畑を作るために山や林を切り開いたことが原因だとも言われた。
原因もわからず、治療法もなく、次々に倒れていく村人たち。
このままでは病気が村の外にまで広がりかねない。
それだけはなんとしても防がねば。例えどんな方法を使っても。
かつて、花畑を焼いた村人たちは、
今度は自分たちが焼き払われることに怯える側になった。
そんな村人たちを救ったのは、
かつてこの世で一番きれいな花であった、
今は雑草よりも醜い外見となったその花であるその若い女だった。
その花を煎じて飲むと、たちどころに病気に効果が現れた。
ようやく見つかった薬に、村人たちは藁をも掴む思いで縋った。
一度は身勝手に利用し、ただ捨てるだけでなく、
この世で一番醜い姿にした村人たちを、
その花たるその若い女は快く受け入れた。
今は醜い姿になってしまったけれど、そんな自分にも癒せる人たちがいる。
そんな人たちを癒やしてあげたい。
それは奇しくも、その若い女が人間だった頃に薬剤師を志した理由と同じ。
今、自らが薬となって大勢の人々を癒やす、その若い女は、
この世で一番きれいな花だった。
終わり。
不細工というと言葉がよくないかも知れませんが、
美人ではない若い女が、外見に囚われず人に貢献することを志し、
道半ばで倒れ、美しさを手に入れることを希望したものの、
最後にはその美しさを失うが、しかし人々を癒やすという話でした。
その若い女は外見に囚われない内面の美しさをもっていたのでした。
美しいものは、見る者を心穏やかにしてくれるけれど、
美しさは時として争いの原因にもなる。
人を癒やすためには、必ずしも美しくある必要はない。
美しくはなくとも人を癒やすことができる、
そんなきれいな花があればいいのにと思います。
お読み頂きありがとうございました。