子守唄
【side ハナ】
夕餉も終わる頃になると、すっかり月が真上に出ていた時刻になっていた。
「そろそろ行く。世話になった」
「あの、もう遅いから。夜の獣が出てくる刻だから泊まっていって」
森深い荒屋周辺は夜になると獣が出る。
夜から活動を始める肉食の獣は恐ろしいので、母さんがいた時も日暮れから外に出ることはなかった。
たまたま出会った朱殷を夕餉に誘った理由は、これから夜になるのにこんな辺鄙なところにいる彼の身を案じたからだった。
「寝床、粗末で寝にくいかもしれないけど…」
朱殷は黙っている。
この見えない瞳では彼がどう受け取ったか表情がわからない。
やはり嫌だったろうか。
首飾りを持っているような人だから、もしかしたらどこかの偉い人なのかも知れない。
藁の菰以外で寝たことがないので普通がよくわからないが、粗末な寝屋でも今から出歩くよりもここにいてもらった方が安心だ。
「お前はどうする?」
「わたしはその辺で寝るから大丈夫」
「ふむ。では今夜はここに泊まっていく。ただ、人の身で土の上で寝るには寒かろう」
「人の身?少し寒い位よ」
朱殷はおかしそうに笑った。
「ククク、少し寒いのならばやはり2人で寝るぞ」
「朱殷は嫌じゃない?」
実を言うと、母さんが死んで以来初めての冬を迎えたハナはその寒さに参っていた。土床からの冷えは厳しく、菰1枚では朝まで凍える有様だ。それでも貴人と一緒に寝るなど憚られた。
「別に嫌ではない」
「そう…じゃあ一緒に寝よう!2人で寝ると温かいんだよ!」
母と寝並んだ頃を思い出して、懐かしさにへにゃりと笑みがこぼれる。霜月の荒屋はひどく寒く、ハナは躊躇せずに朱殷の懐に入った。
寝並びながら、ハナは矢継ぎ早に尋ねる。
「朱殷はどこから来たの?」
「あー・・・そう、南の方だ」
「南!暖かい土地と母さんに聞いたことがある!」
「おぅ、南は暖かいぞ。少し行くと海もある」
「海?」
「川よりでかい」
「川より!」
朱殷は、自分の話にくるくると表情を変えて驚くハナが面白かった。
ハナは自分が笑われていることに気付いたが、さりとて行ったこともない土地の話は不思議ばかりなので仕方ない。川より大きいなんてどういうことだろう?
それからもハナは南の話を強請った。
赤や黄色のゲンショク色の花が咲き、そこに住む人々はクロい髪とクロい色の肌をしているという。
日がな1日よく歌う民らしく、朱殷はその旋律を口づさんでくれたのだが、その歌を聴いていたら母を思い出し、あまりに悲しくなって涙がこぼれてしまった。
それをみて慌てたように違う子守唄を歌い直してくれた。この人はなんて優しい人なのだろう。美しい声で紡がれるその歌はどことなく母の子守唄に似ていた。
何処からともなく、ホーホーと梟の鳴き声がする。朱殷の歌に合わせるように鳴くその声はハナを眠りに誘っていく。
ハナはまどろみながら優しい梟の神に祈る。
この優しい朱殷が暖かく眠りにつけますように、と。
◆◆◆
【side 厄神】
躊躇なく懐に入って来た少女に朱殷は目を丸くする。
こいつは警戒心というものがないのか。
ないな、絶対にない。
完全に安心し切った顔でぬくぬくと寄ってくる様は、まるで動物の子どものようだ。
俺は死んだ母親と同じか。
誰かと一緒に寝る日が来るなど思ってもみなかったが、親とはこういう気持ちになるもんか。
(まぁ悪くはない)
少女はまだ眠くないようだったので南の話してやると、興奮してくるくると表情をかえた。
怯れるでも敬うでもなく、ただ珍しい話に目を輝かせ、話すたびにその美しい顔を崩してへにゃへにゃと笑う。
母親しか知らない無垢な子どもーーー
(面白いやつだ)
しかし、歌まで強請られるとは思わなかった。
仕方ないから南の人間が祈りの際に歌っていた旋律を口ずさんだ。
『輪廻の輪に還った夫がどうか無事に神の国に着きますように』という内容だったか。
南の祈りはいつも美しく、呼ばれもしないのに聞きに行く程度には気に入っていたが、まさか少女が泣き出すとは思わなかった。
母親を思い出させてしまったのだろう。
泣かせてしまった歌の代わりに梟のジィさんが毎夜歌っていた子守唄を思い出し、口ずさんでやった。
「愛しき子よ、安らかに眠れ。また明日、また明日」
ホーホーホー
途中から梟がやって来て一緒に歌うもんだから、なんとも居心地が悪くなる。
(こりゃ完全にジィさんにバレてるな)
そして朱殷は柄にもなく祈った。
優しい梟の子守唄がハナに安らかな眠りをもたらします様にとーーー