9 北 へ
シスと合流した時、そこにはもうキエルの姿は無かった。
『あの子、ちゃんと帰った?』
『夕方まで、お姉ちゃんのことを待っていたよ。
これ、お姉ちゃんに返すって、置いていった』
そこには、私が渡した金貨10枚が置いてあった。
キエルも金の為に情報を売ったとは、思いたく無かったのかもしれない。
人の命に関わることだとはいえ、清廉な子だ。
今度会う機会があったら、別の形でお礼をするか……。
それがいつなのかは、分からないけれど……。
それから私達は、奴隷商から救い出した者達を連れて、北へと向かった。
ただその歩みは遅い。
獣人はともかく、子供や女性の足では、森の中の道無き道を歩くのはかなり厳しいだろう。
しかも目的地までは数十kmもあるし、途中で山や谷を越える必要もある。
さすがにレイチェルは私の背中に乗せて運んでいるけど、それでも長時間揺られていたら体調も崩すだろうから、頻繁に休憩は必要だった。
実際、酔って吐かれそうにもなったし。
さすがにゲロインの誕生は阻止するよ。
う~ん、なるべく人間が歩きやすいコースを選んでいるつもりだけど、まあ10日近くははかかるだろうなぁ……。
そして油断をしていたら、事故で、あるいは獣や魔物に襲われて、犠牲者が出ることになりかねない。
こりゃ、慎重に行かなければ……。
幸いにも奴隷商の店からは、食料や諸々の道具は持ち出すことができたので、最低限の野営をすることは可能だった。
更に私の土属性の魔法で石造りの小屋を作って、雨風を凌げる寝床も用意したし、案外快適なものだよ。
まあそれは、野生動物の私だからこそ、というのもあるけれど……。
そんなこんなで、3日が経過した頃──。
『大丈夫……?』
「うう……」
レイチェルが熱を出した。
今彼女は、ぐったりと床に臥せっている。
「済みません、娘が……」
『いえ、無理な旅をさせているのだから、仕方がないです』
母親のセリスが、頭を下げる。
本音を言えば、早く安全な場所に辿り着きたいという想いは、彼女のみならず他の者達も同じだろう。
それがレイチェルの所為で足止めをされた形となっているので、居心地の悪い想いをしているに違いない。
だけど子供が弱いのは、当たり前の話だ。
しかもレイチェルには、慣れない旅だけではなく──父親に裏切られたことによって生じた精神的なストレスがその幼い身体にかかり、容赦なく体力を奪っているようだ。
体調を崩すのも、当然のことだと言える。
ストレスは馬鹿にできない。
意外と簡単に胃へ穴が空けたりするし、免疫力が激落ちするから、体内に潜伏していた過去の病気の菌が活性化して、症状がぶり返したりもするからね。
それに雨風を凌げる寝床があるとはいえ、夜は冷える。
まともな寝具が無い状態では、十分な休息は取れていなかったということなのだろう。
むしろ今まで泣き言を言わなかったレイチェルを、私は賞賛したいと思う。
私は尻尾で、レイチェルの身体を覆って暖める。
「狐火」を操る要領で、自身の体温を上げることも可能なので、生体カイロみたいなものだ。
「あったかい……」
ふむ……あんまり高熱でもないし、念の為に奴隷商の館から持ち出した薬も飲ませたから、大丈夫かな?
ただ、レイチェルが回復するまで、移動するのは無理だな……。
いや……獣人達なら、先行させても大丈夫かな?
『シス、まだ元気な人達を連れて、先に行ってくれる?』
『え~……、またお姉ちゃんと別行動~?
最近お姉ちゃん、冷た~い』
と、シスは不満顔だ。
『シスが頼りになるから、お願いしているんだよ。
本当に自慢の妹だよ』
『……も~仕方がないなぁ』
うん、チョロい。
『じゃあ、ゴングによろしくね。
ゴブリンと人が喧嘩しないように、気をつけてよ?』
ゴブリンが凶暴な魔物だと思っている者達も多いだろうから、敵意を持ってしまう可能性もあるけれど、現時点ではまだ彼らの奴隷としての支配権は私にあるので、私の方からも争わないように命じておく。
ゴブリンの方は、シスに監督してもらおう。
それと──、
『ナユタはどうします?
シスに付いていっても、いいけれど……』
「オレはここで、残った人達の護衛をするぜ。
追っ手がくるかもしれないしな」
と、意気込む。
夢であった冒険者の活動が当面難しいというのに、彼女は前向きだ。
しかし追っ手かぁ……。
正直言って、その可能性は十分に有り得る。
さすがに私でも、数十人単位の人間が移動した痕跡を、全部消すことはできないからなぁ……。
『そこのところ、どうなの?』
私は奴隷商の店主だった男に問う。
彼は太っているので、先に行くほどの体力は無い為、一緒に残ることになった。
「くる……でしょうな。
組織には追跡に長けた者も、おりますのでな……」
そう答える男の顔には、わずかに嘲笑うような色が見え隠れしている。
まあ、私によって強制的に奴隷にされた彼は、内心では私に対する反発心があるのだろう。
今までは奴隷を売買する立場だったから、まだまだ簡単に反省はできないのだろうね。
……そういう奴には、現実を見せるしかないだろうねぇ……。
そう、たとえ追っ手がきたとしても──、
『じゃあ、返り討ちだね』
こうするしかないわなぁ……。
そしてその機会は、2日後に訪れた。
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