乙女ゲームの悪役令嬢に転生したけどヒロインがむちゃくちゃ過ぎる
雲一つない絵画のような美しい青空。その青空の元うっすらとのその存在を示す二つの月。
桜ではない淡い桃色の花が咲き誇る木々が綺麗に並ぶ正門の前で1人の少女と少年がドラマのようにぶつかって、ふと視線が混じり合う。
これは乙女ゲーム『胸キュン☆ときめきスクールライフ』のスタート、オープニングであると、私だけが知っていた。
所謂前世の私はゲーマーな兄とゲーマーな姉を持つ末っ子として日本に生まれ2人と同じくゲーマーとしてすくすくと育った。
好きなゲームは育成系だが家には兄姉のコレクションが沢山あり私はそれらを分け隔てることなく、様々なゲームをプレイした。
兄の好きな戦略ゲームやギャルゲー、姉の好きな乙女ゲームやBLゲームまでそれはもうありとあらゆるものをプレイして、その中に『胸キュン☆ときめきスクールライフ』もあったのだ。
王道の異世界ファンタジーの学園もので、ヒロインは聖魔法を使え平民ながら特待生として入学しそこから成長しつつ攻略対象と愛を深めていく。
王道ということもありゲームそのものはしっかり作られていて、恋愛抜きにしても面白かった記憶があるが、問題はここではない。
私の今生の名前はリリアルティ・ヨーク。
公爵家の一人娘として生まれた、『胸キュン☆ときめきスクールライフ』の悪役令嬢である。
そう私は悪役令嬢として転生してしまったのだ。
更に問題が一つ。
このゲームの悪役令嬢、リリアルティはヒロインを虐めた罪で処刑、追放、醜男へ嫁ぐなど散々な目に遭うエンディングが待っているのだ。つまり私の未来に光はない。
こんな状況なら普通の異世界転生が良かった。
だがゲーム開始前に前世の記憶が甦ったのは不幸中の幸いか。
こんなエンディングなど当然御免。私は幸せに長く生きていたいのだ。
前世の記憶が甦ったのは9歳というデビュタント前のこと。
足を滑らせ家の中庭にある噴水に落ちた衝撃によるものだった。
いきなり走馬燈のように頭の中に記憶が早送りで流れ、しかも他人の人生を見た当時の私は一週間寝込み家族を心配させたものだ。
まあおかげでゆっくり頭を整理出来る時間も得て、私は私の前世の記憶をゆっくりと受け入れた。
そこからこの世界がただの異世界ではなくゲームの世界だと気付いたのは私に義理の弟が出来た時。父親に紹介された時に「あ!知ってるわ!」と脳内に電気が走った感覚に陥った。
…声には出してはおりませんことよ。そこまで間抜けではございませんの。
この義理の弟。ゲームに出てくる攻略対象キャラクターのマルクス・ヨークであり、彼のエンディングではリリアルティは父親母親共々処刑されマルクスが公爵となりヒロインと幸せになる、というとんでもエンディングである。
マルクスはリリアルティの父親と娼婦の女との間に出来た子供で、つまり不倫して出来た子供。それをリリアルティの母親がよく思わないのは当然のことで母親とリリアルティはマルクスを虐待し続けた。
だからこそのあのエンディングだったのだろう。
気持ちは分かるが私は違う。あんな危険なエンディングはどうしても避けたい。
私は母親の機嫌を取りながら弟を可愛がった。私は貴方の敵ではないことを伝えたくて、出来る限りの家族愛を向けた。前世の太鼓持ちスキルを舐めないでほしい。
その成果としてマルクスは何かシスコンっぽくなったがまあ良いだろう。恨まれなければいいのだ。
それからしばらくして、私はデビュタントを迎えた。
そこでリリアルティは皇太子であり攻略対象キャラクターであるヨハネウス・ベリと出会い一目で恋に落ち父親に頼み込んで婚約者という立場を手に入れる。というストーリーなのだが、私はもちろんそんなもん御免である。
ゲームのメインキャラである皇太子になぞ近付いては絶対にいけない。彼のエンディングは追放で済むが東部地方の監獄といわれる土地への追放であり、実質死だ。そんな生き地獄絶対に嫌です。
私は挨拶も早々に済ませ足早に家に帰った。両親は怪訝そうな表情だったが弟は喜んで迎えてくれたので良し。
これで皇太子との接点もなく山場を乗り越えた、と思っていたら逆に素っ気ない態度に好感を持たれてしまい後日皇室から婚約者にと連絡があった。
私は寝込んだ。
「そんな風に僕に興味を示さないのはリリーが初めてなんだ」
「姉様に近すぎです。離れてください」
右から皇太子、左から義弟。
左右から挟まれ私は薄笑いを浮かべるしかない。
どうしてこうなった。何故。何故こうなるの?
私はただ悲惨なエンディングを回避したかっただけなのに。
攻略キャラクターが揃いも揃って私に近寄ってくるとゲームに支障が出てしまう。
こうなったら。
こうなったら仕方ない。彼等がヒロインの方へ向くよう私は悪役令嬢に徹するだけだ。
悲惨なエンディングだけは避ける為に逃亡先を用意しながら私は決意した。ここからの私は頑張った。それはもう頑張った。
だからもう心置きなくゲームのシナリオ通りに進行させてみせますわよ。死なない程度に。
「そうと決まったらやりきってみせますわ!」
「ふふ、今日もリリーは元気で可愛いね」
私の決意をよそに皇太子は優しく笑う。
顔が赤くなるのを隠せないから止めてほしい。
そうして冒頭に至る。
オープニング通りヒロインは皇太子がぶつかって、そこから物語は始まり私が登場する…筈なのですけれど?
何故か目の前の光景はまるで違うものだった。
「おっと失礼!」
一人の少女が皇太子にぶつかったように見えて、何と直前に少女は華麗に身をよじりそれを回避した。
そしてその少女は美しく一回転してから「ごめんなさい!気を付けまーす!」と言葉を残して足早に去っていく。
「は?」
思わず、私はぽつりと言葉を漏らした。
だってそうでしょう?ゲームパッケージに描かれていたヒロインで間違いない少女がイベントを無視して走り去っていったら「は?」ぐらい出る。
「どうしたの?リリー」
「いっ、いえ…、あの、先程の生徒…」
ヨハネウス殿下が不思議そうに私の顔を覗き込むとマルクスが私の前に立つ。
マルクスは過剰に私を守ろうとする癖があって、学園にも飛び級で入った。
ゲームでは義姉への対抗心から飛び級する筈だったのだが少し狂ってしまっているものの、シナリオに影響はないだろう。
「僕達が真ん中にいるから邪魔になっていたんだろう。さあ移動しようか?」
エスコートしようと私へ伸ばされた手は再びマルクスによって叩き落とされた。うーん。相手は皇太子なのだが。いいのだろうか。
というよりマルクスもここまでしなくていいし、ヨハネウスも私に構わなくていいし、本当私のことなどほっといてくれ。
私は悪役令嬢なのだから。
あの衝撃なオープニングから1ヶ月。
あのヒロインは驚くことに全てのイベントを回避していた。
全て。全てのだ。序盤のイベントはほぼ強制のものばかりで好感度が高くないと発生しないとかそんなことはない。
にも関わらずイベントが発生していない、というより本当にヒロインが回避しているのだ。
イベント発生場所を避けて通る、攻略キャラクターがいると逃げる、など。
どう見てもその行動は意図的で訳が分からない。
しかも意図的に回避した後、どこに行くかといえば何故かは知らないが魔術教師のアドワルド先生の元である。
彼はゲームで授業やテストの時にだけ出てくるNPC。ぱっと冴えない30代ぐらいのくたびれた男である。
そんな男の元にヒロインは通い詰めているではないか。
一体どういうことだ。これではゲームがまともに進行しない。
これではいけないのだ。
ヒロインは攻略キャラクターと恋愛をするべきなのだから。
「お待ちなさい!」
遂にしびれを切らした私はヒロインを捕まえ問い質すことにした。
何故ゲーム通りにいかないのか。もしかしたらゲームに致命的なバグでも発生しているかもしれない。
そうなったら私にも影響が出てしまう。
「え?何?あたし急いでるんだけど」
「いそ…っ、いえ!貴女!どうしてゲームとお…いや先生のところばかりに向かうのです?他の生徒と交流するのも重要でしてよ?」
「だって興味ないんだもん」
間髪入れずに返された言葉に私は言葉を失った。
今何て言いました?
「……は?」
「だから興味ないの」
「きょ、興味ないって…、そんなこと」
意味が分からずたじろいだ私を頭の先から足の先までじっとりと睨んだヒロインは「ふーん」と一言溢し、
「アンタも転生者って訳ね?」
と告げた。
「…つまり、えーと、ミカさんも転生者ですのね…」
私達は場所を移し向かい合って、ようやく話の整理を始めた。
ミカというこの女性は間違いなくヒロインであり私と同じように「胸キュン☆ときめきスクールライフ」を知る転生者である。
「そうよ」
「だ、だったら何故!シナリオ通りにしないのですか?もう何個もイベントを無視しているではありませんか!」
別にゲームの世界に転生したからといってその通りに進めなくてはならない理由はない。理由はないが普通ゲーム通りに進めるものではないか?
ゲームの補正なんかありそうだし内容を知っているのだから有利に進めることだって出来るのに。
こういう小説や漫画ではヒロインはゲーム通りに進めていくものが多い筈だ。
「進めてるわよ。アドワルド先生ルート」
「は!?そんなものありませんわよ!?」
「…ははーん、アンタ知らないのね?」
ミカがにたり、と意地悪そうに笑う。何やら向こうの方が悪役に見えないこともない。
「アドワルド先生ルートはね!DLCで追加されたのよ!」
「DLC!?」
この世界には不釣り合いな、けれど私達には馴染みのある言葉がお互いの口から飛び出した。
そんな情報あっただろうか。それが発表される前に前世の私が何らかの形で死亡してしまったのか。
その辺りはもう知る術はないが、とにかく私の知らないルートがありミカはそれを知っているということだ。
「そう!ユーザーの希望が多かったから運営が答えてくれた待望の先生ルート!あの少し枯れた風貌と声に中年にしか出せないあの色気!実際にこの目で見れるなんて…何度も要望出して良かった!」
ミカは興奮しきった様子で力説するが私にはさっぱり理解出来ない。
彼女は所謂、枯れ専なのだろうか。
「で、でもそのルート進めるにしても他のイベントが…」
「ほんとに知らないのね…。先生ルートは他のルートを進める必要は一切ないし、つまり不要なイベントも強制イベントも全部すっ飛ばせるのよ!他のキャラクターに近付く必要もなし!全てをあの人に費やせる!」
「な、何ですってー!?」
私は驚愕のあまり叫んだ。
「という訳よ。私はちゃんとゲーム通りにしてるってこと」
「そ…そんなルートが……、ハッそのルートでは私は…!」
「あー大丈夫よ。先生ルートじゃ他のキャラもアンタもほぼ出てこないもの」
「な…何ですって…」
ということはだ。
ヒロインであるミカがゲーム通りに忠実にアドワルド先生ルートを進めているとなると私はヒロインと絡むことがなく、つまり悪役としてヒロインを貶すことも苛めることもない。
あれ?私の役目もしかしてないのでは?
「ってことだから!急がないと先生の休憩終わっちゃうわ!」
「あ!ちょっと!」
御免遊ばせ~!と高々に挨拶を響かせながらミカは足早に去っていく。
とんでもない事実に私の頭は全く付いていかずその場で立ち尽くすことしか出来なかった。
「そ…そんな、まさか…」
「どうしたんだい?リリー」
「ッ!…で、殿下!?」
ぼーっとしていたからか、近くまで来ていた皇太子に気付かなかった。
先程の会話、聞かれていないだろうか。
「その呼び方は止めてほしいって何度も言ってるじゃないか。昔みたいに名前で呼んでほしいな」
「で、ですが、そのようなこと…」
「だめ?」
首を少し傾けて甘えるような声を出すヨハネウス殿下に私の意思はぐらりと揺らぐ。
彼がこうやって甘えるのは実際私の前だけのような気がして、私はついつい絆されてしまうのだ。
皇太子として重圧に耐える彼を支えたいとも思うがそれはヒロインの役目。私ではない。
私は婚約破棄された後は遠い土地へ逃げるのだから。
「姉様!」
「マルクス…」
言葉に詰まっているとマルクスがさっと私の体を庇う。そしてきつくヨハネウス殿下を睨んだ。
「殿下、姉様へ付きまとうのはやめてください」
「言い掛かりだよ。僕は婚約者のリリーと話していただけ。君こそいい加減姉離れするべきだと思うな」
だから何故こうなるのだ。
ヨハネウス殿下とマルクスはこうやって私のことで言い合いを起こすのでこちらとしたら気が気ではない。
やめて!私の為に争わないで!なんて言えればいいが、普通に言える訳がないのだ。
「つ、次の授業は移動でしたわね?このままでは遅れてしまいますわ。さあ、行きましょう!」
ひとまず、私はそう言って場をおさめた。
とりあえずこれで何とかやり過ごせたがこの先一体どうなってしまうのだろう。
悪役令嬢不在のルートなんて、じゃあ悪役令嬢の私は何をすればいいの。
不安だけが心の中に渦巻いて、私は手を強く握った。
そしてしばらく。
ミカは本当に攻略キャラクターと交流することも、というか会話すらなくアドワルド先生の元へ通い詰めていた。
周りの生徒達も「あの子先生のこと好きなのね」なんて言って簡単に納得して特に気にもしていない。
私はヒロインがこちらにこないから何もすることもなく、苛めもしないから周りから何か言われることもない。
驚く程にのんびりとした穏やかな学生生活を送っていた。
よくよく考えるとこの方がいいのかもしれない。
悪役にならず処刑も追放も心配せずのんびり過ごせるならこの方がいい。
だが。
だが、である。
こんなのんびりした学生生活が待っているなんて思ってもいなかった私は、どうしたらいいのか分からない。
だって悪役令嬢として意気込んでいたのに。
「お、お待ちなさい!待ってくださいお願いだから!」
「何よ…、もう用ないでしょ」
私は現状にとうとう、耐えきれなくなって再びミカを捕まえた。ミカは物凄く面倒そうな顔をして、けれど立ち止まってくれる。
「ほ、本当にこのままなんですの?わた、わたくしは何をすればいいのです!」
「だーかーらー、別に何もしなくていいのよ。そっちはそっちで楽しんでれば?ヨハネウスもマルクスもなんかアンタのこと気に入ってるじゃん。アンタも好きなんでしょ?」
「そ、それはその、いえそんなことはいいのです!貴女あれだけ攻略キャラクターがいるのにどうして先生に…!」
皇太子を呼び捨てにするなど不敬罪に問われそうだが、やはりミカにとって皇太子であってもただの「キャラクター」なのかもしれない。けれどそうだとしても殿下はつけるべきだとは思うが。
こちらが冷や汗をかいているとミカは静かに考え込む。
「………まあ、アンタには言っていいか」
ぽつりと呟くとミカは「アンタ何歳?」と聞いてきた。
「…何歳、って学生なのですからじゅう」
「そうじゃなくて。今じゃなくて中身よ中身。中身の年齢」
中身。
ということは前世のことを言っている。
「た、多分18歳だと思いますわ…。最後の記憶はその辺りですの」
「私、31歳なの」
「さっ……」
私の前世の記憶は大学に入る前辺りで途切れているから、その辺りで何かあって死んだのだろう。死ぬ時の記憶がなくて良かった本当に。
そう思い返しているとミカの発した言葉は私の思考を止めるには充分だった。
「アラサーなのよ私。体が幾ら若いっていっても中身は大人。だから今の周りの子達のこと若いなーぐらいにしか思えない訳」
「つまり…」
「そっ。つまり子供にしか見えないのよね。顔が良いってもヨハネウスもよくて弟ぐらいにしか思えなくて…なんつーか、子供相手に恋愛なんてほんっとマジで無理。30越えと10代の若い子と恋愛なんかもう無理生理的に受け付けない絶対無理」
「は、はえ…っ」
こんなことある?
と思うが嘘をついているようには見えない。となればこれは本当の話だろう。
ミカは枯れ専なのではなく年相応の恋愛をしていただけとは。
「だからアンタのことも妹?ぐらいに思えるの。やり合う気にもならないし…。まあそういうことだから好きにしたら?って話よ。私そっちに行く気なんて全くないから」
もうめちゃくちゃである。
まあ最初からめちゃくちゃなのだが。
まさかこんな理由があったとは。年齢が原因で恋愛が出来なくなることなんてあるんだと頭の冷静な部分で考えた。
「では…、では本当に他のキャラクターに興味がない…?」
「これっぽっちも」
「な、な、ならどうすればいいんですの~!?追放された後の為に逃げる土地も用意して事業も立ち上げましたのに~!従業員も雇って頑張ってる最中ですのよ!もうむちゃくちゃですわ!」
「いやアンタも結構むちゃくちゃじゃないの…」
ミカは呆れ顔だったが私にとっては死活問題だ。
その為に頑張ったのに。まさか全て不要になってしまった。
だが今更放り出せないのも事実。雇った従業員を不要になったので解雇だなんて私には出来ない。
皆私が直接面接して選んだ信頼出来る人達で、それに親やマルクスに内密に計画を進めるのは本当に大変だった。
それをはい終わり。なんて出来る訳がない。
「リリー、ここにいたのかい?」
「ひゃあ!?殿下!」
またタイミング良く現れたヨハネウス殿下の声に私はすっとんきょうな声を上げる。
ミカの「えぇ…?」という冷たい声が聞こえた。
「いえ、別に、私達は…!」
「恋バナしてたんですよー」
「えっ!」
戸惑う私を尻目にミカが割って入ってくる。
恋バナ。恋バナ?恋の話でした?今の話。
「公女様の恋のお話聞いてただけです。好きな相手がいるみたいなので」
「…そうなの?リリー」
「ちょっ!まっ、これは違っ!」
「という訳で話終わりましたから私は失礼しまーす!」
それだけ言ってミカはいい笑顔で爽やかに走り去って行った。
表情が読めない殿下と困惑する私を置いて。
「あ、あの殿下、これはあの」
「ねえ、リリー」
殿下は一歩、私に向けて近付く。
それが何故か怖くて私は同じように一歩、後ろへと下がった。
今まで見たこともない表情をしていて何故か少しだけ恐怖を覚える。
「僕はずっとリリーが好きなんだよ。誰にも取られたくないし誰にも渡すつもりもない」
「はえ!?」
「だからその話の相手が誰なのか。気になって仕方ないんだ」
壁際まで追い込まれ逃げ場のない私の頬に手が添えられる。
嫌われてはいないと思っていたがまさか、「好き」だなんて言葉が私へ向けられるとは思ってもいなかった。
だって攻略キャラクターはヒロインと結ばれるものだから、悪役令嬢の私となんて、そんな。
「リリー、君は僕のことどう思ってる?…僕は婚約者として、1人の女性として、君を愛しているよ」
顔に熱が集まる。体温の上昇を抑えられない。
どうしよう。私は。
「止めてください。姉様が困っています」
そこに颯爽と現れたのは義弟のマルクス。
いつものように私を背に庇った。いつも、弟は私を助けてくれる。
「今大事な話をしているんだ。いい加減騎士気取りは止めた方がいい」
「俺は姉様を何があっても守ると決めているんです。誰が相手であろうとも」
再び一発触発の空気を何とかするべく、私はマルクスの腕を取った。
それに私も一秒でも早くこの場から去りたかったのだ。
今日は本当にいいところに来てくれた。
「や、約束の時間でしたわね!さっ、マルクス行きましょ!」
そう言うとマルクスは即座に理解してくれたのか「そうです。迎えに来ました」なんて言って歩調まで合わせてくれる。
本当によく出来た義弟だ。
後ろから殿下の声が聞こえたが今立ち止まる訳にはいかない。申し訳ないが逃げるのが優先だ。
「姉様」
「どうかしたの?マルクス」
それから少し歩いて、魔術棟から訓練場へと続く廊下の途中でマルクスは止まった。
振り返った先に見えた顔は真剣なもので、彼はこんな表情をする男だっただろうかと僅かに戸惑う。
「姉様は殿下のことをどのように思っていますか?」
どこかで鳥がピイ、と鳴いて風が吹いた。
冬の到来を感じさせる寂しげな風。
「で、殿下のことは、その…」
「好きです、姉様」
そう告げられた言葉に私の思考は完全に止まった。
好きだと言った。義弟とはいえ弟のマルクスが、私を好きだと。
馬鹿な。そんな筈はない。殿下もマルクスもヒロインではなく悪役令嬢の私を。
「弟としてずっとこのままでもいいと思っていました。ずっと姉様といられるなら弟でも良かったんです。でも、このまま殿下に、他の誰かに姉様が取られるなんて嫌だ」
「マ、マルクス…」
「姉様、好きなんです」
どこか苦しそうに声を絞り出すマルクスに私は、何も、返すことも出来ずに金魚のように口をはく、と動かした。
不意に「アンタも好きなんでしょ」とミカの言葉が甦る。
確かに私は2人が嫌いなどではない。いや、そんなレベルでは。
私はヨハネウスもマルクスもキャラクターとではなく、今を生きる男性として、私は。
「わ、わ、私そんなところまで考えてなんか…!」
「姉様?」
「いませんでしたの~!!」
取り敢えず私は走って逃げた。
それから。
私は今、父の領地を出てエネベリアの田舎にいた。
追放された際の逃亡の土地として用意していた場所でここで農業改革を行っている。
「リリー様、首都からお手紙が」
「今度はどちらからかしら?殿下?マルクス?」
「ミカ様です」
「あら、珍しいわね」
追放された訳でも何かした訳でもないが私は現在親元を離れ領主の真似事をしており、まあまあ、それなりに上手くやっていた。
殿下と義弟からの告白を受けたあの日から私は何と情けなく逃げ回り卒業を待たずに、母にだけ行き先を告げ家出のような形でここへ来たのだ。
逃げた。そう私は逃げた。あの2人から。
だってどちらかを選ぶなんて私には出来なくて、それでいて2人とも選ぶことも出来ない。
私は逃げた。
その後私は雇っていた従業員達と何とかやっている。
特に今手紙を持ってきてくれたハーネリーは非常に優秀な男で、私の右腕として常に寄り添ってくれる。
どうやってかは知らないが居場所を突き止めて来た殿下と義弟からも私を守ってくれた。
「俺の命はリリー様と共にあります」なんて騎士のような台詞をくれる私には勿体ない程の男性だ。頼りがいがある。
彼のおかげで私は束の間の平穏を手に入れることが出来ていた。
ちなみにこれはミカから聞いた話だが殿下と義弟は私がいなくなってから随分荒れたようで、国中しらみつぶしに探したらしい。
ミカもその時に私が逃げたことを知って呆れたようだが、今は近状などをこうやって手紙で教えてくれている。
余談だが彼女は今卒業後アドワルド先生と無事結婚し幸せに暮らしているとのことだ。夏には子供も生まれるという。
ミカからの手紙を丁寧に開けた。
前回の私からの手紙の返信が日本語で書かれていて、そこには。
「……えっ?」
「どうしましたか?リリー様」
「………えっ!?」
私は手紙を破る勢いでそこに書いてある文章を読み返す。
そこには。
『エネベリアって続編の舞台よ。農場ゲーでハーネリーも攻略キャラクターなんだけど、アンタ続編にも首突っ込む気な訳?』
と、爆弾級の文章が書かれていて私は引っくり返る羽目になった。
私の束の間の平穏は見事ぶち壊れ続編に巻き込まれることになる訳だが、それはこの後の話だ。