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 残雪

作者: 依尾





———28年間、ずっと一緒に居た人がいる。



 ものごころついた時からそばにいて、家族のように過ごしてきた人。


 

 幼稚園から小学校、それに中学、高校まで、お互いの進路が別れるまで、ずっと一緒だった。

 互いの部屋を自分の部屋のように扱い、家族同士での恒例行事も、数えきれないくらい沢山あった。

 ずうっと長い間そばにいたからか、兄妹とか友達とはまた違う、空気みたいな存在だった。

 


「一華、」



 呼びに来た母の声。振り向かずにゆっくりと息を吐く。



「うん」



 今行く、と返事をしながら、下げていた視線を軽く上にあげる。冷えているせいか、吐いた息が白く空を舞う。

 再び大きく息を吐くと一瞬視界が真っ白になり、自分の頭の中も今こんな感じだな、と少し面白くなって笑みがこぼれた。

 

 うん、身体も冷えるはずだ。今日は何年かぶりの雪が降っているのだ。



 …あの時も、雪が降ってたなあ。

 今日が来ると分かってから、何度も何度も思い返しては、頭に残る昔の記憶。



「……。」



 力の入らない左手を、同じく力のない右手でぎゅっと握りしめる。今日ほど、自分を情けなく思った日はないだろう。


 今更、だとは思う。けど、こんなにかかるとは自分でも思わなかった。後悔、でもない。ただ、これを言わないと前に進めない自分がいる。




 昔の、あなたへ。



 

 微かな震えに、自分が柄にもなく緊張していることを知る。

 

 

「早く行かなきゃ、ね」



 言い聞かせるように呟いて、ゆっくりと足を彼のもとへ向けた。







—————…




「——…っにい、薫兄って!」




 縁の声に、自分がどれだけの間、時計を眺めていたのかを知る。



「そろそろ時間だけど…」



 まだここに居ない存在に、「遅くない?」と探す弟の姿を見て、俺も少しだけ眉を下げる。



 誰のこと、なんて聞かなくても分かる。…家族ぐるみで腐るほど一緒にいた奴。

 決めたのは自分。…だから後悔とかじゃないし、迷っているわけでもない。意地があったのは確かだし、プライドがあったのも本音。



 

…ただ、…あの頃の、あの雪の日の、自分に。


 





「…何、浸ってんだか」



 

 何か言った?と振り向く縁に「いや」、と返した時だった。


 軽いノック音が響いた後、数拍おいてゆっくりと開かれた扉。見えた姿に「遅い!」と縁が声を荒げた。




「…ごめん、待たせた」




 やっとみせた幼馴染の姿に少し安心したのか、自分でもほっとするのが分かる。

 

 縁は、「俺も準備してくる」とバタバタ部屋を出て行った。




「…重役出勤すぎんだろ」




 遅かった事を含め、嫌味を込めて言ってやると、一華は少し間をおいて、ふっと笑みをこぼした。




「今日の重役は、…あんたでしょーが」




 




————…





 薫と二人きりになるのは、いつぶりだろう——…



 昔は飽きるほど一緒にいたのに、いつから二人で会わなくなったんだっけ。




「薫、」

 


「ん?」



 冷や汗で握りしめた両手が汗ばんでいるのが分かる。 


「私、ずっと言えなかった事がある」



 いつもと違う私の様子に、薫はゆっくりと手を止めた。



「何? …聞きますよ」



 

 聞きなれた心地よい彼の声に、少しだけ緊張がほぐれたのか、肩の力がすっと抜ける。唇が少し震えてしまっているけれど…、



 …うん、言える。




 …もう、何度も頭の中で繰り返してた言葉。




「薫」




 一拍おいて、深く息を吸う。








「薫は、…酸素だよ。私の、」




 私の言葉に、彼は目を見開いて固まった。

 




 ————…





 「俺さ、婚約者ができる」



 急に真顔で話し出した幼馴染に、「は?」と返したのは18の時。このご時世に?とは思ったが、彼の家柄的におかしいことではなかった。



 「お前、どう思う?」



 真っすぐ射貫くような目。本気で話してるのは見てすぐわかったのに。



 「…良かったじゃん、貰い手が居て」



 プライドが高くて可愛くない、幼かった私。本当は、自分が居た場所に、これから先、違う人がいると考えるだけで心が痛かった。


 

 「…俺にとっては、お前は酸素だったんだけど」



 他の人が聞いたらよくわからないセリフ。けど、これが薫なりの精一杯だと気付いた時、素直に嬉しかったのに。


 それでも、婚約者って…、私が何か言ったところで変わるわけじゃない…。


 何も言えずに黙っていると、薫は苦笑いを浮かべたまま「寒いし、中、入るか」と部屋に戻っていく。


 無駄に長く一緒にいたせいで、これ以上お互い何も言えなくて…。


 冷えつくすベランダで、ひたすらにしんしんと降り積もる雪を、ぼうっと見ているしか出来なかった、苦い記憶。





—————…




 本当は、ずっと言いたかった。…けど、言いたくもなかった。矛盾してるけど、どっちも私の本音で。



 言うだけでこんなに時間がかかってしまったのは、今更言ったところで変わらないっていう諦めと、邪魔でしかないちっぽけなプライド。



 それでも、…薫が幸せなら、幸せでいられるのなら、と思えるようになった大人な自分もいて。


  

 ……この日まで、ずっと言えずに来てしまったけど。


 

「…薫、」



 私の言葉に、ゆっくりと目線を合わせた薫。

 



「結婚、おめでとう」




 今の自分に出来る精一杯の笑顔で。今日、晴れの日を迎えたあなたへ。何も言わずに送り出すことのできなかった私を、許してはくれないかもしれないけど。



「…」



 無言で見つめる私を見て、…遅いわ、とい言わんばかりの視線を向けた彼。


 そして、「ありがとな」と言った薫の表情は、あのころと変わらない幼い笑顔を浮かべていた。



 言わせてくれて、ありがとう。





   ———…告白、



   あなたが、ずっと好きでした。

   

   それはもう、口に出しては言えないけれど。






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