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6 貝細工、されど牡丹


 今日こそは、空子ちゃんに告白しよう。


 そう決意して、会える保障もないのに僕は少し気合を入れて家を出た。空子ちゃんと毎回会う場所で空子ちゃんがやってくるのを待つ。どうしてメールアドレスとか電話番号を聞いていないのだろうかと今更ながらに考える。


 改札口から白いワンピースを着た空子ちゃんが降りてきた。僕に気付くと一度首を傾げてから僕のほうに近づいてくる。僕は唐突に切り出した。


「空子ちゃんは、好きな人っている?」

「突然ですね」


 不思議そうな顔をされ、僕は笑う。


「うん、ほら、いない?好きって言っても、光子を好きっていうのとは違う意味でだよ?クラスの隣の席の男の子とかさ。いっつも自分にいじわるしてくるんだけど、掃除のときとか机運んでると助けてくれるような子とか」

「ダイゴさんはいるんですか」


 話題をそらされることはもうわかっていた。だから僕は答える。元々、逸らされたほうが僕には都合がよかったのだ。心の中で何度も繰り返してきた言葉を現実にする。


「いるよ。空子ちゃんだよ」


 電車が通り過ぎた。改札から人がぱらぱらと降りてくる。僕らの横を通り過ぎて、階段を下りていった。


「雨が降ってきそうですね。今日は傘を忘れてきてしまいました。大悟さんは傘がないときはコンビニでビニール傘を買いますか」

「……うん、だから雨が降るたんびに買っちゃって、一回しか使ってないビニール傘がいっぱいあるよ」

「なかったことにするつもりはありません」


 本当に空子ちゃんはわからない。突き放したと思ったら、話題を戻す。戸惑うしかない。空子ちゃんは空を見上げて、少しだけ目を細めると僕に視線を向けて目を伏せた。


「私は貴方が私を好きだということを知っています、それで充分でしょう」


 拒絶でも受け入れでもどちらでもなかったけれど。僕はそれでいいと頷いた。付き合いたくて告白したのではないんだと自分でもなんとなく感じ取ったからだ。人のいなくなった駅前の、階段を下りる。僕らは手を繋いで歩いた。空子ちゃんの手は小さくて、でも暖かかった。僕の手は冷たいんだと以前女友達に言われたことがあるから少し不安になる。


「ダイゴさんの手は冷たいですね」

「あ、ごめん」

「どうして謝るんです。手が冷たいヒトは心が温かいのだと相場は決まっているんですよ」


 空子ちゃんは笑って言った。僕は空子ちゃんの手を握る。手は暖かかったけれど、僕は心が冷たいからだ、とは思わない。少し強く握ったのに、空子ちゃんは何も言わなかった。


 僕らは歩いて、バスターミナルまで向かう。僕は大学があるから、空子ちゃんは用事があるらしい。振られたのに、僕は嬉しいらしかった。空子ちゃんを見送って、手を振って歩こうとすると、背後から声をかけられた。


「ねぇ、ちょっと」


 浮かれていたと自覚はある。聞こえた声は不機嫌を押し殺して感情をどこまでもなくした色をしていた。


 振り返ると、光子が僕を睨みつけるように佇んでいた。僕の方が背が高く、見下ろすことができるというのに、感じられる威圧感に少しだけ体が強張る。それでもつとめて平静を装いながらいつもの調子で首を傾げて見せた。


「光子…どうしたんだい。怖い顔して?」

「見たわよ。アンタ、空子と手、繋いでたでしょう」

「あ、うん」


 問い詰められるように僕は建物の間に追い詰められた。光子は険しい顔をして、僕を壁に留めると腕を組んで眉を寄せた。


「あんた、空子のこと好きなの?」


 一瞬、突然問いかけられて不快に感じる。光子とは確かに友人だけれどあれこれと詮索される覚えはない。けれど、彼女は空子ちゃんのイトコだから、確かに知る権利はるのかもしれないと思って頷く。


 光子はため息を吐いてズルズルと壁に背中を預けてしゃがみこんだ。僕は何がなんだかわけが分からない。光子の言葉を待っていると、光子がぼんやりとだるそうな目を向けてきた。


「それって恋愛対象として?」

「うん」

「性欲対象ってことでいいのね?」


 僕は頷くのを躊躇った。それはわからない。あの子をどうこうしたいとか、そういう気持ちが自分にあるのか、それは直視していなかった。光子の目つきが鋭くなった。


「本気じゃないなら、ちょっかい出さないで」

「どうして、光子に言われなきゃならないんだい」


 初めて僕は逆らうような声を出した。光子は空子ちゃんのイトコだけれど、好きかどうかは僕の感情だ。他人に指図される覚えはない。そう拒絶するように眉をよせるけれど、効果はなく。光子は呆れたように続けた。


「空子にはおじさまがいるからよ」


 当然のように、そしてそれが全てだといわんばかりに言われた言葉に、僕は二人で牛丼を食べに行った日を思い出した。空子ちゃんの父親。空子ちゃんがとても大好きな人。確かに僕は父親には勝てないかもしれないと思うけれど。僕は空子ちゃんの親愛が欲しいわけではないのだ。


 光子を見下ろして、答えた。


「……親離れ、子離れはいずれするでしょう。それに、俺だって今、空子ちゃんに手を出すつもりはないんだけど」


 さすがに犯罪に手を染めたくない、と言うと光子が何度目かのため息を吐いた。つくづく解ってないのねぇ、という言葉に僕は不快になる。


 いや、先ほどからずっと不愉快だ。そんな僕に遠慮したのか、光子は少し沈黙して、言葉を選ぶように続けた。


「空子、普通じゃないのよ」


 それは分かっている。あれが普通なら子供向けのアニメ番組は消えるだろう。僕は頷いた。けれど光子は眉を寄せる。


「あの子、父親と寝てるのよ」

「親子なんだし、空子ちゃんまだ小学生でしょう?父子家庭だから仲がいいのはいいことなんじゃないか」

 

 僕だって小学生の低学年までは時々怖いから、と母親と一緒に寝ていた。空子ちゃんは高学年だけれど、片親のいない家庭ならば親子の愛情が強くなってもなんら不思議ではない。


 光子が笑った。もはや隠すことは無意味だと思って共犯者の名前を売り捨てる犯罪者のような笑みで、口を開く。


「セックスしてるって言ったの」


 駅からどっと人が降りてきた。通り過ぎていく通行人をぼんやりと眺める。僕は、光子から顔を逸らしたまま光子の言葉に肩をすくめた。


「まさか」


 諦めさせるためにしては品のいい冗談ではない。空子ちゃんに対しても失礼だ。イトコなのにそんな陥れるような嘘をどうしてつくんだろう。僕は信じていなかった。隣で、光子がゆっくりと立ち上がるのが気配でわかる。


「本当よ。アタシがまだ男だったころ、空子とすごく仲良くしてるのに嫉妬したおじ様が目の前でね」


 まさか、ともう一度呟く。でも、先ほどとは含んだ意味が違うのだと自分で解った。


 光子が僕に嘘をつく理由などない。冗談半分でつくとしても、そう、空子ちゃんを可愛がっている光子が、空子ちゃんを汚すような嘘をつくはずがないのだ。僕はそれを解っていたのに、一度目は冗談だと笑って終わらせたかった。

 

 最初から、嫌悪感があった。あの時、空子ちゃんの父親に、僕は嫌な気持ちがした。それは当然だ。当然、父親が娘を守る為の目じゃない。あれは、男が女を愛しむ目をしていたからだ。


 どこかで、そんな感じがしていたのだと、あっさりと認めてしまいたくなかった浅ましさか。


「どうして、止めなかったんだい」


 今度は否定はせず、僕は光子には視線を向けないままで空を見上げた。雨が降ってきそうだ、と空子ちゃんが言っていた言葉を思い出す。鉛色の大画面に嫌悪した。視線を光子に戻す。


 光子はポケットから皮製のシガレットケースを取り出して、ゆっくりとした動作で細い煙草に火を付けた。一度ゆっくりと肺まで煙を吸い込んで、己を落ち着かせるかのように吐き出す。


「今思えば通報するなりなんなり出来たわよね。でも、あの時はただ怖かったのよ」

「今からでも、」

「昔なら良かったのよね。今のあの子は知ってるわよ。アンタだって、空子が頭がいいし、物知りだって知ってるはずよ。あの子、自分がされてることも、してることも、全部、もう分かってるのよ。知らなかったころなら引き離せただろうけど、知ってるから、あの子が不幸に見える?」


 それでも、と僕は言おうとして空気が吐き出されただけだった。虚空に消える小さな息に、光子が命を吹き込むようにたたみかける。


「おじ様は、空子を愛しているのよ」


 煙のニオイが鼻孔に付き、不快感を煽る。それでも、それでも僕は平時を続けた。


「空子ちゃんのお母さんに似てるからかな?」

「いいえ。それに、空子のお母様はまだ生きてるわよ。あの夫婦、離婚したの」


 光子の言葉に、僕は空子ちゃんのことをほとんど知らないんだと改めて思い知らされた。


「空子はおばさまの連れ子。空子が赤ん坊の時の再婚。だけど空子が小学生の時くらいに別れたの。おじさまは空子の親権を取った。紫の上でも作る気かしら」


コロコロと心底おかしそうに光子は笑うけれど、僕は笑えなかった。


「空子ちゃんは、助けを求めたりはしてないの?だって、光子は空子ちゃんと仲がいいじゃないか」

「助けを求めるって、どうして?」


 不思議そうに光子が首を傾げて笑った。綺麗な笑顔だ。僕は頭を振る。おかしいのはまるで僕のほうだ、と言われているようで、まともなのは僕だと再確認しなければならない。


 息を吸った。光子の煙草の煙が肺に入る。常時を外れた光子の吐いた煙を吸って、僕も侵されていくような錯覚を覚える。頭を振った。


「父親となんて、おかしいよ」

「空子もおじさまを愛しているのよ。あの子が成人すれば問題ないでしょう?愛は自由だって」

「キミや一政とは違う」

「同じよ。アタシたちは男同士だけど、愛し合ってる。同性愛も、近親愛も、道徳的に正しくないってことじゃ、一緒よ」

「間違ってるよ…そんなの」


 自分の言葉が正しいはずなのに、なぜ弱々しく聞こえるのだろう。けれど、そこで初めて光子が引いた。声音を押さえ、狂気を押さえ、綺麗に微笑む。


「そうね。わかってるわ。でも、愛してるの。なら、それでいいじゃない。そう、我侭で無理やり正当化させないと、本当に好きな人とは一緒になれないのよ」


 僕は解らない。空子ちゃんのように「知る」だけに留めることさえも、できない。何とか理解しようとして、頭の中が真っ白になっていく。


「でも、じゃあアンタはどうなの?大悟」


 光子が僕を見た。理解できないものを理解しようとして困惑する僕に、親近感を持たせて理解させるようとしているようだ。僕は一度思考を止めて、光子を見詰めた。雨が頬に当たる。やはり、雨が降ってきた。建物の間は一応に雨は凌げるだろう。


「アンタ、空子とセックスしたい?」

「空子ちゃんは子供だよ」


 反射的に答えてしまった。光子はそれがただの常識の模範解答であると嫌そうな顔をして少し言葉を強める。


「したいの、したくないの」


 答えが自分の中で出てしまった。けれど肯定の言葉を吐くにはまだ僕は常識人でありたかった。だらしなく自分に縋り、首を縦に振る。


「でも、僕は…今じゃなくて、将来、空子ちゃんと付き合って、それで、空子ちゃんが大人になったらって…」


 でもそれまで同じように空子ちゃんを好きなんだろうか。今はとても空子ちゃんのことがすきだ。だけど、結婚するわけではないし、同じ、しかも子供をずっと好きでい続けるのだろうか。僕は結局のところ、今空子ちゃんを好きなだけだ。一緒に将来を生きたいとは考えていられない。付き合うだけなら、それは、年齢のつりあう人間との方がいい。そう返されそうで僕は言葉を途中で消した。間延びした明るい声が響く。


「光子! 大悟! お前らそんなところで何をやってるんだ?」

「あら」


 先ほどまでの険しい顔が嘘のように、光子に微笑が浮かんだ。ひょいっ、と僕らのいる場所を覗き込んできたのは一政だ。手にビニール傘を持って珍しそうに僕らを見ている。


「こんなとこで、どうしたんだ?」

「別に、なんでもないよ」


 僕は親友に笑って、その場から立ち去ろうとした。けれど、光子の明るい声が邪魔をする。


「大悟ったら、空子のこと好きなんですって」

「ちょ! 光子!」


 あわてて光子の口を塞ごうと手を伸ばすけれど、少し遅かった。一政は一瞬あっけに取られたように僕を見て、眉を寄せる。


「はぁあ?お前…ロリコン?俺の親友は犯罪者だったのか?」

「酷っ!」

「お前、冷静になれよ! 相手は子供だろ」

「子供でも空子ちゃんが好きなんだ! なんていうか、あの立葵みたいな気高さが綺麗だし、ヨシノズみたいに控え目な可愛さ…」

「お前が何いってるかさっぱりわかんねぇ! っつーか、男のクセになんでお前そんなに花に詳しいんだよ!」

「母親の実家が花屋だから!」


 話しているうちに話題が変わってしまった。一政も気を使って逸らしてくれたのかもしれない。非難する資格が自分にはないと思ったんだろうか僕はそれに感謝した。何やら男同士のくだらない馬鹿話になって、暫く。


 いつまでもここにいても無意味だと僕はターミナルに向かう。二人から離れようとすると、一瞬光子が先ほどの表情に戻って呟いた。


「忠告はしたわ」


 そして、光子は、あとは僕に任せると言ってくれた。


 僕は二人とわかれ、バスに乗る。傘を買う必要はない程度の雨量だ。ぽつぽつと、窓ガラスに水滴がたまって落ちていくのを眺めながら眉を寄せる。僕はどうしたいのかよくわからない。


 考えなきゃいけないことはたくさんあった。空子ちゃんが父親と関係を持っている。それを、僕は知って、どうするべきなんだろうか。光子のように見守るべきか? それとも素直に警察に知らせるべきか?いや、そこまではさすがにしなくても、空子ちゃんに目を覚ますように言うべきか。


 どれも違うような気がする。僕は、空子ちゃんが好きだから、何かもっと別の手段を取らなければいけないんじゃないだろうか。油断していたら雨足が強くなってきた。空子ちゃんは、あの可愛い傘を差してどこかへ行くのだろう。



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