第85話 別れと手紙
「っと」
足が地につくと一息つく。
エルフィアは未だにはぁはぁと息を切らして、足を震えさせている。
「大丈夫だ、もう地面だから」
俺は彼女を落ち着かせようと、背中をさすってやる。
高所恐怖症になったことがない俺からしてみれば、なにが彼女をそこまで怯えさせるのかはわからないが、ずっとあの地下室で引きこもっていたのだから、そういった弊害も残ってしまったのかもしれない。
そうしてやるとエルフィアは次第に荒ぶる呼吸を落ち着かせ、上下する肩の揺れを抑えていった。
「ありがとう……」
最後にふっと息を吐き出すと俺の腕を掴んでくる。
体の震えは止まったとはいえ、余韻は残っているのだろう、体にはあまり力が入っていないようだった。
エルフィアを連れて高いところに行くのはなるべく控えた方がいいな、そう思った。
「それでは、お元気でーー!」
向こう岸からは魔法をといたエルフの兵士たちが両手を大きく振りながら叫んでいる。
「ここまで送ってくれてありがとう! 次帰ってくる時もよろしく頼むよ。 それじゃあ行ってくる!」
俺もそれに返すように手を振り、別れを告げた。
ラフィーは元気よく手を振り、エルフィアはペコッと一礼する。
そのお辞儀は影響を受けているのかどことなくリリーのものに似ていた。
そして国境線と彼らに背を向けて、ついに人間国領に踏み出したのだ。
2年前とまるで変わっていない、緑豊かな森を歩き進む。
時期は春で、のどかで暖かな風が吹き抜けていく。
動物達は冬眠から解放され、元気そうに鳴き声を上げ駆け回っている。
なんだかピクニックでもしているようで、つい頬が緩んでしまった。
「そう言えば、ユウ、何か手紙みたいなの貰ってなかった?」
すっかり回復したエルフィアが突然横から投げかけてきた。
ラフィーもそれに続くように言ってくる。
「確かにマスター、何か貰ってましたよね?」
「……ああ、そうだな。 落ち着いてから読もうと思ってたんだ」
別に忘れていた訳では無い。 もちろん何が書いてあるのかは気になるし、サイオスが俺にたくしたものなのだから、読まなければならないものだということも分かっている。
けれど、きっとこの手紙を読んでしまえば、今感じているこの寂寥感を強めてしまうだろうということが頭を離れなかった。
進むと決めた、進まなければならないと分かっている。 それでも寂しさをごまかすことはできない。
きっとこれはサイオスが俺に与えた試練なのだ。
俺はこれを読まなければ、まだ進むことができない、サイオスはきっとそう言いたくて、これを俺に託したのだろう。
「どうしたの?」
手紙を手に持ち、なかなか開封しない俺を見てエルフィアは顔を覗いてきた。
「……いいや、なんでもない。 それじゃここで少し休憩しよう。 手紙は、その間に読むよ」
「ん、わかった。 ラフィー、リリーちゃんからもらった甘いお菓子があるんだけど一緒に食べない?」
エルフィアは俺の態度に少し首を傾げたが、あまり突っ込みはせず頷くと、ラフィーそう呼びかける。
「あ、それならあたしもミカエルから色々ともらっているので分けて食べましょ!」
そうして2人は少しひらけた芝生の上に腰を下ろし、各々受け取ってきたお土産を広げた。
「あ、それ美味しそうね」
「フィアのクッキーも可愛くて美味しそうです!」
「んー! 美味しい!」
「甘いお菓子は正義です」
2人とも頬を抑えながらお土産のお菓子にご満悦のようだ。
なにはともあれ、この2人が打ち解けてくれて本当に良かったと思う。
ちなみにフィアというのは、ラフィーが付けたエルフィアの愛称だ。
初めはなかなかぎこちない2人だったけれど、色々あって今ではすっかり距離も縮まった。
そんな和やかな光景を少しの間眺めると、俺は手頃な岩に腰掛けて、ついに手紙の入った封筒を開封する。
「……よし」
俺は覚悟を決め、ゴクリと息を呑み、四つ折りにされた3枚の紙を広げていき、1枚目の方から目を通していった。
『ユウヘ。
君のことだからきっと、この手紙の意味にもう気づいていると思う。
これは君が正しい一歩を踏み出すために贈ったものだ。
きっと、この手紙を読めば、君はきっと寂しいと思ってしまうのではないかと思う。
それは我々としては嬉しい限りだ。
しかし、君の願いのためにはそうも言っていられないのはユウ自身が一番わかっているはずだ。
そこで絶対に知っていてほしいことがある。
この手紙は別れの印ではない。 再会のための切符だ、ということだ。
私達はいつでも君と共にある。
たとえ離れていたとしても、絶対にユウを裏切らない。
なにがあろうとも、決して変わらずレイアースは君の故郷だ。』
「……はは。 そんなこと、言われなくてもわかってるよ」
かすかな声が息のように溢れる。
心がとても温かくなる。 気持ちがとても軽くなる。
そうだよな。 俺にはちゃんと、帰る場所があるんだ。 待ってくれてる人がいるんだ。 なら少しくらいの寂しさだって全然平気だ。
俺は「ふぅ…」と息を吐き出すと、2枚目を読んだ。
『それともう一つだけ覚えておいて欲しいことがある。
君はまだ若い。 私から言わせれば、経験も技も心もまだまだ未熟だ。
しかし、だからこそ無限の可能性を秘めている。
いいか、ユウよ。 自分を見失うな。 周りに流されるな。
非才だろうと無職だろうと、君には君なりのやり方がある。
弛まぬ努力の積み重ねと、その身に秘める可能性、それがユウという人間を強くしていく。
一歩一歩がどれほど小さくても構わない。
時には疲れ果て、地に伏して、涙を呑む日があってもいい。
それでも次の日には顔を上げ、立ち上がり、前を向き、行き先を見据え、全力を尽くして戦え。
そうすれば、必ず辿り着く。 ユウが願い、目指す場所に。』
きっとこの教えは、今までのどんな教えよりも深く強く、俺の中に張り付いて刻み込まれるのだろうと、そんな気がした。
そして最後に3枚目を読み進める。
『なんだか堅苦しい手紙になってしまったな。
それじゃあ最後に一つだけ。
これから、辛いことや苦しいことがたくさんあると思う。
それでも、楽しいこともたくさんあるはずだ。
私は何よりも君に、充実した学園生活を楽しく過ごしてほしいと願っている。
長くなってしまったが、それじゃあここら辺で終えるとしよう。
まだまだ話したいことはあるので、必ず帰ってくること。
ジーク・サイオスより』
3枚目は上半分ほどで読みきった。
やはり思った通り、この手紙を読むと寂しくなった。 レイアースが恋しくなった。
けれど、引き返そうなんてことは微塵も思わない。 涙だって流さない。
だってそうだ。 故郷も居場所も必ず残してくれると言ってくれた。 学園生活を楽しんでほしいと願ってくれた。 たくさんの思い出がこの胸の中に、確かに残っている。
手紙を読んだ今では、体がものすごく軽いように感じる。
サイオスらしい文調のこの手紙はきっと、これからも俺のことを支えてくれる、そんな気がした。
そうして手紙を閉じようとした時だった。
3枚目の下半分にまだ何か書いてあることに気づいて、視線を移す。
『追記。
恋人ができたら必ず紹介するように。』
流石にこれを見たときは、苦笑いで顔がしばらく引きつったままだった。




