第46話 国境線
少女は悶えていた。
その痛みに、苦しみに。
少女はその手に固く握しめたナイフで己の左目を何度も、何度も、何度も何度も、突き刺す。
そのたびに真っ赤な鮮血は滝のように流れ出し、その左目は光を失っていく。
だが、少女はやめない。
光を失ってもなお、痛みに苦しんでもなお、少女はまた一突き、一突きと血塗られたナイフを突き立てる。
惨憺たる光景は誰にも見つかることはなく、孤独に、孤高に、滑稽に少女の悲鳴は轟き続ける。
「………ぐぁっ!」
誰かにこの叫びを、嘆きを聞いて欲しい、そんなことはいつしか考えなくなっていった。
死にたい、けれど死ねない。
消えたい、けれど消えられない。
そしてまたその左目を血に染めていく。
今まで、多くの命を葬り去ってきた、その力に終止符を打つべく、ひたすらに刺し続ける。
しかしその試みに『終わり』がくることはない。
そのうち、少女はこう願うようになっていった。
「だれか、私を殺して」
彼女の悲惨な過去、現実、そしてその大罪は決して無くならない、終わらない。
少女の心はすでにそこにはなく、次第に痛みという痛みが感覚として抜け落ちていくように、瞳に宿る生きる希望さえ血の涙に変わって零れ落ち、彼女は涙を流すことさえしなくなった。
白銀の少女は今日も、暗く冷たいまどろみの中に沈んで行く。
そして生理現象的に目を覚ませば、外在的負傷は嘘のように無くなってしまっているのだ。
この無限ループのノイローゼを、少女は2年も繰り返している。
いつになれば、少女は明るい朝を、温かい未来を迎えることができるのだろうか………。
◇◆◇◆◇◆
俺たちはひたすら森を歩いた。
「お、見えたぞ」
俺は遠くを眺めるように、目の前に広がる光景を指さした。
あれから1時間ほど森の中を歩き続け、ついに国境線である、河川を眼前に迎えていた。
かなりひらけた場所では境である川が美しいせせらぎを奏でている。
しかし、幅10メートルといったところの河川には吊り橋らしきものが一切見当たらなかった。
「橋がないんじゃあ、どうしたもんか」
俺は頭を抱え、なんとかこの川を超える方法はないかと模索する。
だが、そこらへんに生えている木を切り倒し橋を作ろうとしようが、到底10メートルに満たない樹木ばかりだ。
ならば泳いでいくか。
いや、この急な流れに逆らって泳ぎ渡るのはかなり困難だろう。
そういえば忘れていたが、そもそも俺は金槌なためこんなところに飛び込めば一瞬でゲームオーバーだ。
それで悩んだ末に思いついた方法は、いかにも間抜けで、考えなしで、力技な作戦だった。
「どうするんですか?」
「ピィィ?」
ラフィーとピィは俺の逡巡する表情を見て訊いてくる。
ちなみにピィというのはラフィーが勝手に呼んでいる精霊の名前だ。
おそらく違ったものを主人から付けられているはずだが、現段階での呼び名のいうのも必要だろう。
というわけで、俺もラフィーを真似て、そう呼んでいる。
「方法が2つ浮かんでるんだが」
俺は顎をさすりながら瞑目してポツリとこぼす。
それを存外にも興味深そうに聞いたラフィーとピィが早く教えてと言わんばかりに目を輝かせて、俺が考える方法を答えるのを待っていた。
だが、俺は彼女らのそんな期待を裏切るような的外れな作戦を口に出す。
「まず、1つ目」
俺は人差し指を突き立てて、いたって真剣な面持ちで言った。
当然真面目に考えた結果の作戦なのだから、自分的には納得しているものだ。
「ラフィーに俺を運んでもらう。 ラフィーとピィは飛べるからな」
そして、俺は次に中指を立てるようにしてピースのかたちをつくり2つ目の提案を述べる。
「そして2つ目、これはかなり力技になるんだけど、ここをジャンプして乗り越える」
2つを言い終えると「他にも案があったら出してくれないか?」と加えて、ラフィーの返事を待った。
ラフィーは顎に手をやって考え込むように「んー」と呻いて、口を開いた。
「申し訳ありませんが、あたしがマスターを運んでいくことはできません」
「どうしてだ?」
「あたしは一応飛べますが、あれはただ少し浮いているというだけなんです」
「つまり、重いものをもって浮くことはできないってわけか?」
「そうですね。 それと2つ目なんですが、かなり無茶ではないですか?」
「たぶん、できるとは思うんだよなぁ」
「もしかして、そういう芸当のスキルでも温存してあるんですか?」
「あるにはあるんだが……」
そう言って、俺は視界の端に意識を集中し、ステータスプレートの中からあるスキルをもう一度確認した。
『跳躍力強化:跳躍力を強化する。 有効時間、20秒。 クールタイム、30分』
跳躍力を強化する、か。
こういった漠然とした説明はよして欲しいと内心で愚痴った。
その言葉に不安を覚えるのは、ステータスに跳躍力をという欄がないからだ。
ならば何を参考に強化するということになるのかが、どうも不鮮明でならなかったのだ。
おそらくは身体能力に依存するはずだが、さてどうなるか。
そんなことを考えつつ、一息分おいて言った。
「たぶん大丈夫だとは思うんだが、なにせ心配性なもんでな」
苦笑いしながらそう言うと、ラフィーも食いつくようにその話を進める。
「それではどうします? 他に策でも考えますか?」
しかし、ここでの長居にあまり意味はないと思い、頭を悩ませていると、ピィがラフィーの手のひらから離れて、あっという間に川の向こう側へいってしまった。
そして向こうからまるで「いけるいける」と言うように羽をばたつかせて、ピィは羽招きする。
その意図が別のところにもあったのかもしれないが、ピィのそんな動作をみて「やってみるか」と小さく呟いた。
そして、ピィの謎の行動を首を傾げて眺めているラフィーに声をかける。
「決めた。 ジャンプして渡る。 ラフィーは俺の背中にしがみついてくれないか?」
俺が背中に指をさし、おぶられるように促すと、ラフィーは少し迷ったのち嬉しそうに背中にしがみついた。
「よし、それじゃあ行くぞ!」
そう言って『跳躍力強化』を発動させる。
ポイントの無駄遣いかもしれないと肩を落としそうになったが、これも必要経費だ、と自分に言い聞かせ助走を取る。
体の重さが嘘のように軽くなった感覚を覚え、これならいける、と俺は駆け出した。
走り幅跳びの世界選手はこのような感覚なのかもしれないと思いながら全速力で川に向かって走る。
ついに川岸につくと、加速を生かしたまま足を踏ん張り跳躍した。




